私の名前   作:たまてん

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どうか、貴方の傍に

――それも、いつもと変わらぬ日常のはずだった。

 

誰もいない廊下を、少女は歩く。

 

集合時間まで、あと十分。

 

遅れるくらいなら、早めについた方がいいと思う彼女。

 

だから必ず、五分前集合で現地につく。

 

――大広間への扉が開く。

 

そして目にする、青く大きな球体。

 

……その下にいる、一人の人影。

 

白い上着に、黒のズボン。

 

跳ねた黒髪が特徴の彼。

 

「……おは、よう」

 

 

そう言って、少女は歩み寄っていく。

 

……少々歯切れが悪いことを除いて、これもいつも通り。

 

名を呼ばれたら少年はこちらに振り向き、笑みを浮かべる。

 

間抜けと言えてしまうほど、屈託のない笑みで、少女に微笑みかけるのだ。

 

 

――しかし。

 

今回、返ってきたのは、針のように鋭い視線。

 

微笑みからはほど遠い、敵意にも似た瞳だった。

 

「……どうして、ここにいるの?」

 

――淡々とした声。

 

責めるような声音で、マスターは少女に問う。

 

「え、いや……出撃すると、思ったから……」

 

普段とは違う少年の態度に気圧され、少女はしどろもどろになりながら答える。

 

そんな彼女に、さらに畳み掛けるように彼は「必要ない」と言い切る。

 

「……君には待機をお願いしたはずだ。だから、君は出なくて構わないーーいつも面倒くさいって言ってたろ?よかったじゃないか。願ったり叶ったりで」

 

「それは、確かに言いましたが……」

 

――反論出来ない。

 

マスターが口にしたことが全て正論であると、よく理解しているから。

 

目を泳がせて、かけるべき言葉を必死に探す少女。

 

少年は目を閉じて腕を組み、壁にもたれたまま、それ以上口を開かない。

 

表情豊かな彼を目にして来た彼女には信じられないほど、全てに無関心な姿。

 

「――わかり、ました…」

 

……絞り出すような声で、俯く少女は言った。

 

そのまま、来た道に踵を返す。

 

最後にちらりと、扉を出る前に彼女は振り替える。

 

遠く離れた場所に、マスターの姿を見る。

 

見える距離なのに、その姿は、あまりに遠い。

 

――まるで、今の二人の関係を、再現しているかのようで。

 

「……バカ」

 

ぽつり、と最後につぶやいて、少女――ジャンヌ・オルタは広間を後にする。

 

……果たしてそれは、誰に向けた言葉だったのか。

 

■ ■ ■

 

「……それでだ。マスターと何があったんだ?」

 

――筆を綴る手は止めず、羊皮紙からも目を離さずに、アンデルセンは向かいの席でうつ伏せになっている少女に尋ねた。

 

「……別に。何でもないわよ」

 

カルデア施設内にある食堂。

 

マスターたちも出撃して、そのサポートに施設役員が出払ってるのもあって、その場所は閑散としている。

 

そこにいる二人の影は、ジャンヌ・オルタとアンデルセン。

 

いつもの高慢な物言いとはほど遠い抑揚ない少女の答えに、「嘘をつけ」と彼は一蹴する。

 

「普段の小生意気な態度からは想像もできないほど萎れているぞ。加えてだ……あの超がつくお人好しが、よりによってぞっこんのお前を無視していると来た。何もないというほうがおかしいだろう」

 

「うるさい。貴方には関係ない。てゆうか、なんでこーゆー時だけやけにしつこいのよ」

 

「愚問だな。こんなおもしろ珍事件、訊かずしてどうする。ぜひ小ネタの一つとして使わせてもらおうじゃないか」

 

「舌噛んで死になさい、マセガキ」

 

びっ、と立てた中指をアンデルセンにむけるジャンヌ。

 

やれやれ、と青い髪の少年は肩をすくめた。

 

「……しかしだ。あのマスターがああなると言ったら相当だぞ。オレもここにいて長いが、あんなのは初めてだ。本当に、何をしたんだ?」

 

「……だから、何もしてないわよ」

 

再度、ジャンヌはそう答える。

 

……だがその本心では、何が原因でこうなったか、検討がついていた。

 

――きっかけは、おとといマスターと出撃した時の出来事。

 

そのときの戦闘は、いつもに比べたら苦戦を強いられて、油断が許されない戦いになっていた。

 

そして終盤、あと一撃で敵を全滅させる展開を向かえる。

 

問題はそのあとで、ジャンヌは特攻に近い形で、敵に止めを差したのだ。

 

――マスターの、指示を無視して。

 

ぎりぎりではあっだが、ジャンヌは敵の撃破に成功した。

 

しかしマスターは怒った。

 

びくりと、その怒号で背筋が震えてしまうほど。

 

どうして指示に従ってくれなかった、と彼は怒りを露にした。

 

……その怒声に、ついジャンヌもかちんと来てしまった。

 

だから、彼に言った。

 

倒したんだから、別にいいじゃない。

 

――瞬間、彼の顔から表情が消えていた。

 

怒りも何もなくなった、彼の顔。

 

瞳は冷たくて、氷のようだった。

 

……それ以降、マスターは口を聞いてくれなくなった。

 

廊下ですれ違おうが、話かけようが、ジャンヌのことを冷めた視線を投げて、去っていく。

 

「……怒り過ぎよ、バカ」

 

拗ねたように、彼女は呟く。

 

そんなジャンヌの仕草に、「めんどくさい奴だ」とアンデルセンとため息混じりに言った。

 

「拗ねるぐらいならさっさと謝るなりなんなりしたらどうだ。事情は知らんがそうすれば万事解決なのだろう?」

 

「嫌よ。だって私、…そんなに悪くないし」

 

「ほうほう、『そんなに』か……つまり、多かれ少なかれ非があると認めているわけだな」

 

「…………」

 

途端、押し黙るジャンヌに「本当にめんどくさい奴だ」と彼は再度呟く。。

 

――こうなっては、子供のダダと大差ない。

 

それを正してやる義務はアンデルセンにはないし、してやる義理もない。

 

あってもしない、無視する。

 

どうにでもなってしまえ、と作業に戻ったときだ。

 

「……嫌われたかもね、私」

 

――そんな囁きを、少年は耳にする。

 

ちらり、と視線を前方に向ける。

 

机に額をつけたソレは、剣を握り、旗を振り、幾千の戦場を駆け抜けた竜の魔女。

 

そんな苛烈さを秘めた彼女が、ただ一人の青年の態度に、心を悩ませている。

 

……恋に煩う、乙女のように。

 

「……お前はバカか?」

 

――そんな、珍しいものを見てしまったからだろう。

 

つい、そう口が滑っていた。

 

「――この程度で好き嫌いを言うぐらいなら、アレはお前なんぞに手を差し伸ばしたりしない。そこ抜けのお人好しで、オレやお前など及びもつかないバカ……だからこそ興味深い。人理焼却を阻止してなお、観察していたいと思えた……お前も、そんな物好きのうちの一人だろう?」

 

「……自分が変わり者だっていう自覚はあるのね。貴方」

 

余計なお世話だ、と自称三流作家は答える。

 

それから彼は、嫌々ながら(と見えるように)その言葉に続きを口にする。

 

「……結論を述べるなら、うじうじ湿ってないでさっさと謝ってこい。以上だ」

 

「……意外ね。まさか貴方から激励をもらうなんて」

 

「仕事の邪魔だから消えてもらいだけだ、さっさと行け」

 

くすりと笑うジャンヌに、アンデルセンはそう吐き捨てる。

 

……らしくないことなど、するもんじゃないと、内心後悔しながら。

 

――ちょうどそのときだ。

 

「――お、いたいた。ジャンヌくん、ちょっといいかな?」

 

自分を呼ぶ声に、ジャンヌは頭を上げる。

 

見ると、長い杖を携え、茶色く長髪の女が来るのがわかる。

 

――ジャンヌやアンデルセンと同じ、それ以上の物好きかつ変人、ダ・ヴィンチが二人のもとに歩んでくる。

 

「……何よ。貴女が私に用なんて珍しい」

 

「まぁ今回はちょいと事情があってね。ほら君、おとといの戦闘に出ていたろう?そのときのデータが欲しくてね。だから君にレポートを書いてもらいたくて」

 

げ、と思わず声に出た。

 

――この女のレポートは、とにかくめんどくさい。

 

細かく訊き出したいからと、量が半端ではないのだ。

 

さながら、夏休みの宿題を最終日に片付けるような気分みたいだ、とマスターがぼやいていたのを耳にした。

 

「本当はマスターくんにお願いしたいんだけど、彼出撃中だし、帰ってきてこの量をお願いするのは忍びなくてね――とゆうわけで、明日までよろしくね、ジャンヌくん」

 

ガンっ!どこから取り出したのか分からない謎の書類タワーが出現する。

 

その束を心底嫌そうに眺めながら「なんで私が……」とジャンヌは愚痴る。

 

それに対し、ダ・ヴィンチは「だって暇だろう」とこれまた失礼な言葉をかけてくる。

 

「それにだ……やってあげたとなれば、君の株も上がるんじゃないかな?」

 

――最後に、そんな囁きをジャンヌに耳打ちして、かの天才は去っていった。

 

呑気に鼻唄をなんかを歌いながら歩いていく後ろ姿に、ジャンヌは舌打ちする。

 

 

「……相変わらず食えない女ね。なんかこう、足元見られてるみたい」

 

「実際にそうじゃないのか……で、どうするんだお前は?」

 

「……やるわよ。仕方ないからね」

 

束の一枚を手に取り、早速取り組み始める彼女。

 

勤勉なその姿に、アンデルセンは思わず。

 

――まったく。

 

『何が』仕方がなくて、そんなことをしているんだか……。

 

そう、胸の内でつぶやいた。

 

■ ■ ■

 

「……終わんない」

 

いっこうに減らない書類の山を見て、呻くようにジャンヌは一人つぶやく。

 

――時刻は零時を回った。

 

アンデルセンも部屋に帰り、かれこれ三時間ぐらい、わずかな光しかない暗い食堂に一人で、ジャンヌは作業をしている。

だが、彼女が字が苦手なこと、デスクワークをやりなれていないことを鑑みても、渡された量が果てしなく多かった。

 

……こんなの、明日の朝までに終わるわけがない。

 

徹夜してぎりぎりいけるか、と言ったところか。

 

あの女史の無茶ぶりに、殺意を抱きそうになる。

 

――けれど。

 

「……これを、一人でやってるのね」

 

……思い返してみる。

 

彼が、こんなモノをやっている姿を、ジャンヌは目にしたことが少ない。

 

あったとしても、すぐに終わらせていた。

 

……今になってわかる。

 

マスターは、意図して見せないようにしてくれていたんだと。

 

彼女に心配をかけないように。

 

彼女と過ごせる時間を、少しでも多く出来るように。

 

……それも知らずに、私は。

 

「――なら、今度は」

 

――今度は、自分の番だ。

 

これをしっかりと終わらせて、彼の役に立てば……それでようやく、マスターと話し合う土台に立てる。

 

よし、と気合いを入れて、彼女は筆を取る。

 

単純作業の繰り返し、という眠気と戦いながら、ジャンヌは作業を進める。

 

 

■ ■ ■

 

 

――ひゅうと、首もと冷たい風が撫でる。

 

机にうつ伏せて寝ていたジャンヌは、思わず身じろきをする。

 

ぬくぬくとした心地に微睡む彼女は、それから再び眠りつく――その寸前で、がばりと起き上がった。

 

――完全に寝ていた。

 

寝まい寝まいと思っていたのに、いつのまにか睡魔に負けていた。

 

しまった、と思いながら手元の書類を確認する。

 

案の上、書類は空欄だらけ――。

 

「……え」

 

――ではなかった。

 

手に取った書類にはびっちりと文字がかかれている。

 

確認してみたが、他の書類も同様でーー終わらせるべき課題は、全部終わっていた。

 

……ちゃんと終わらせられたのか。

 

いや違う、と彼女は首を振る。

 

手に取ったものに目を通すが、読んだ覚えのない事柄ばかり。

 

さらに綴られた文字は、ジャンヌのものではない。

 

――そして何より。

 

彼女の肩にかけられている、この暖かな毛布。

 

それには微かに、彼の匂いが香っていた。

 

……ああ、そうか。

 

その香りで、ジャンヌは察する。

 

同時に、自分の幼稚さ加減に、恥ずかしくなった。

 

――怒っているのは、彼も同じ。

 

だけど私は、自分のことしか考えてなかった。

 

怒りたいように怒って、拗ねていただけ。

 

相手が何を考えてたなんて、頭が回らなかった。

 

――対して彼は、怒りながらも私を想ってくれていた。

 

冷たい態度をとりながらも、こんな風に……私に、優しくしてくれてた。

 

「……バカなのは、私だ」

 

肩にかけていた毛布を握りしめながら、絞り出すように彼女は言う。

 

子供みたいに、駄々をこねた自分が本当に恥ずかしくて、情けなくて。

 

……この優しさに、泣きそうになった。

 

――その時、かつんと響く音を耳にする。

 

瞬間、熱くなった瞼を、ジャンヌは上げる。

 

ジャンヌが座っている場所から少し離れた、開きになっている食堂の入り口。

 

その場所に、一人の人影があった。

 

――マスターの青い瞳が、ジャンヌの黄金の瞳と合わさる。

 

一瞬の間、それからマスターは、振り返って来た道を戻り始める。

 

「っ、待ってマスターっ!」

 

慌てて立ち上がり、ジャンヌは駆ける。

 

食堂を出ると、その廊下の、ジャンヌのいる位置から少し離れた場所で、マスターは背を向けたまま立っている。

 

「……マスター。私、あの……」

 

――声が詰まる。

 

言わなきゃいけないことは、わかってる。

 

なのに、喉が震えて、上手く言葉にならない。

 

「……目が覚めたなら、部屋に帰った方がいい。風邪引くよ」

 

こちらを向かないまま、マスターはそう言って、再び歩き出す。

 

――違う。

 

そんな言葉で、終わりにしたくない。

 

だから、だからだからだからっーー!

 

「ーーごめんなさいっ!!」

 

 

――叫ぶように、彼女は頭を下げた。

 

その一言を絞り出すだけで、精一杯。

 

……神様にですら、許しを乞わなかった。

 

そんな自分が、誰かに許してもらいたいだなんて……なんて、滑稽なんだろう。

 

――でも。

 

どうか、伝わってくださいと、願う私がいた。

 

――沈黙が続く。

 

頭を下げているから、彼がどんな顔をしているかなんつ分からない。

 

……やがて、かつんと、靴音が響く。

 

音は連続して響いて、こちらに近づいてくる。

 

「――顔を上げて、ジャンヌ」

 

頭の上から聴こえる、彼の声。

 

言われた通り、少女は頭を上げる。

 

すると、ぽすりと、鼻先が柔らかいものが触れる。

 

その柔らかいものは、全身を暖かく包む。

 

――抱き締められたのだと、しばらくしてジャンヌは気づいた。

 

「……マス、ター?」

 

不安そうに、少女は彼を呼ぶ。

 

その声に、少年は答える。

 

「……オレも言い過ぎた。ごめん」

 

――そう、優しく抱き締めてくれながら。

 

彼は、そう言ってくれた。

 

――途端、溢れそうになる。

 

胸の奥、瞼の中が熱くなる。

 

……知らなかった。

 

許してもらえるのが、こんなに嬉しいことだなんて。

 

――貴方に抱き締めてもらうことが、こんなに素晴らしいことだったなんて。

 

指先は震えて、涙を堪えるのがやっと。

 

か細く、掠れた声で「うん……」と辛うじて頷けた。

 

「……君を、思い通りにしたいとは思わない。そんな権利、オレにはない。だけど覚えておいて欲しい……オレは君以上に、君のことが好きだ。だから……もうあんな、怖いことはしないで」

 

――そうして、少年は胸の内を吐露する。

 

人理焼却を阻止した後、てっきり還ってしまうと思っていた。

 

それが当たり前だと、覚悟していた。

 

なのに――彼女は、ここに残ってくれた。

 

傍にいてくれた。

 

愛しく想う君が、笑いかけてくれる。

 

……どんなに、嬉しかったことか。

 

だから、どうしても許せなかった。

 

彼女を貶すもの、危険に晒すもの全てが、許せなかった。

 

……たとえ、それが彼女自身であっても。

 

「――大人げないよね。本当に、ごめん……」

 

髪を撫でながら、マスターは苦笑する。

 

――大人げない、と彼は言う。

 

でも裏を返せば……なりふり構わずに考えてもらえるほど――大好きなんだよという告白。

 

……ああ、もう。

 

恥ずかしくて、死にたいぐらい――嬉しい。

 

――この身体は、もう私だけのものじゃない。

 

帰りを待ってくれる人がいる。

 

だから、面倒くさいけど――私は、私を守らなくちゃ。

 

わかった、とジャンヌは頷く。

 

「……だけど、貴方も約束して」

 

少年の顔を、まっすぐな瞳でジャンヌは見る。

 

……大切に思っているのは、貴方だけじゃない。

 

物好きだから、とあの作家は言った。

 

けれど、それは違う

 

――貴方が好きだから、ここにいる。

 

大好きな貴方がいる場所にいたいから。

 

貴方の近くで、笑い合いたいから。

 

……だから、私は言った。

 

「――もう、一人では頑張らない……今度は、私にもレポート…手伝わせなさい」

 

……そう、微笑みかける。

 

言われた彼は、驚いたように目を丸くする。

 

けれどそのあと、くすりと笑う。

 

「……ああ。でもその前に、誤字脱字は直さないとね。さっき見たけど――うん、ひどかった」

 

「……善処するわ」

 

神妙な顔立ちで答えるジャンヌに、マスターは微笑む。

 

……本当に、こうゆうところが可愛いんだから。

 

「――さて。夜も遅いし、今夜はもう寝よう、オレももう眠いし……」

 

欠伸をしながら歩きだそうとするマスター。

 

その背中に「あ、待って!」とジャンヌは声をかける。

 

何?と振り返るマスター。

 

「えと、その……」

 

ジャンヌは目を泳がせて、言葉に窮しているよう。

 

首を傾げるマスター。

 

葛藤する彼女であったが、やがて意を決す。

 

肩にかけたままの毛布を両手で握りしめ、その顔は恥ずかしげにそらす。

 

……ほんのりと頬を染めて、彼女は言った。

 

 

「――今夜は。いっしょに、いさせて……」

 

 

――片言の、君の言葉。

 

上目使いの、赤らめた顔で答えを待つ君は……正直、破壊力が絶大だった。

 

……真っ赤な顔を手で覆い、よろめくマスター。

 

大丈夫!?と本気で心配して寄ってくるジャンヌ。

 

……ああ、これだから。

 

これだから……堪らなく。

 

「……いいよ」

 

そう呟いた彼は、心配そうに見つめてくる彼女の腰を抱く。

 

……吐息がかかるほど、すぐ傍に。

 

青い瞳を近づけて、マスターは言った。

 

――決して、彼女が聞き漏らさないようにと。

 

「……ずっと、傍にいるよ」

 

そう微笑むマスター。

 

その笑みに、驚いたように目を開いていたジャンヌも――ふっ、と笑い返す。

 

彼女らしい、不敵な笑みで。

 

「――ええ。ずっと、地獄の底まで……傍にいてね」

 

……煉獄の焔は、熱く痛く、苦しいものだろう。

 

けれど、それも耐えられる。

 

だって――。

 

……この唇に触れた温もりの方が、ずっと、ずっと――熱く切ない、優しさに溢れているから。

 

 


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