「――やぁ。二人ともやけに急いできたみたいだね。もしかして、そんなにオレに会いたかった?」
息を切らし、やってきた二人の来訪者に、にんまりとその黄金の瞳を歪める男。
「……遅かったか」
ぜーはーと肩で呼吸をしながら、ジャンヌは男の周りに転がっているものを見て舌打ちする。
黒衣の男――オルタ化したマスターの周りには、骨抜きにされたであろうサーヴァントたちの残骸。
……ちらほらと、女以外の姿も見えて、ますます彼女は深いため息をついた。
「――うん、通信で聞いた通りだったね。あそこら辺見えるかい?たぶん黒髭くんやスパルタクスくんも転がってるよ」
「やめて。見ないように目をそらしてるんだからほんとやめて」
傍らで同じように息を整えているダ・ヴィンチに、ジャンヌは顔を覆いながら答えた。
……うちのマスターがあんながたいのいい連中を口説いてる光景なんて、想像したくない。
「おやおや。そんな邪険にすることないじゃないか。オレはただ、日頃お世話になっている人たちに感謝の念を込めてお礼を言ってるだけさ」
「それがすでに対人宝具レベルでやばいことになっているのよ……で、自称天才女。あいつの止め方はどうすればいいの?」
「いや止めようと言ったのは君じゃないか……時間がたてばもとに戻るように作ったから、特に解毒剤とかはないよ」
「おーけー。ならやることは一つね……ぶん殴って、止める」
「君は鉄拳聖女の親戚かな?」
バキバキと指を鳴らす黒の聖女に、げんなりとした視線を向けるかの聖女《マルタ》。
するとその殺る気満々の姿を見て「おお怖い怖い」とマスターは肩をすくめた。
「相変わらずやることが派手だなぁ君は……でもそういうとこが好きだけど」
「その軽口、今すぐ閉ざして差し上げますから覚悟なさい」
言ってジャンヌは走った。
……オルタ化したとはいえ、所詮は人間。
戦闘に持ち込めば、マスターに勝ち目はない。
だからこの振り上げた拳は、なんら問題なく、マスターの顔に炸裂するだろう。
――空中に光り、迫りくる、その凶器さえなかったなら。
「っ!?」
駆けていた脚を止める。
同時に、その眼前の地面にタタタンとリズムよく刺さるものが見える。
それは漆黒のクナイ。
そして次に感じたのは猛毒の気配。
「――なるほど。つまり貴方が、黒幕ってわけね」
――ひらりと、青のリボンをたなびかせ、マスターの前に降り立った影を、ジャンヌは忌々しげに睨んだ。
「――はい。その通りです、お二方」
そうこくりと頷くのは彼女――静謐のハサン。
黒に染まる彼女の姿を見つめながら、なるほどとダ・ヴィンチは頷いた。
「――確かに、気配遮断スキルを持つ君なら、あるいは工房に入れたかもしれないね。…ま、どちらにせよ私の落ち度なんだけど」
「……この際それはどうでもいいわ。今一番聞きたいのは――なぜこんなことをしでかしたかってことよ。静謐」
――ダ・ヴィンチの工房からオルタ化の薬を持ち出して、それをマスターに使った真意。
答えなさい、とジャンヌは腰に下げていた剣をかざした。
返答の次第によっては、斬ると。
すると静謐のハサンは首を振った。
ひどく、嘆かわしいといわんばかりに。
「……よりにもよって、貴方がそんなことを言いますか。マスターを独占してる、貴方が」
「……は?」
何言ってるの、という顔をして口を開けるジャンヌ。
しかし静謐はある種の憎悪――羨望のまなざしを向けながら、彼女に語る。
「……マスターはずっと、貴方といてばかり。貴方がずっと、マスターを一人で囲おうとするから。私やほかの方々が入り込む隙間がまったくありません……そんなのは、不公平。だから、マスターにもっとみんなを見つめてほしくて――この薬を使いました。オルタ化は、自身の本心をさらけ出す行為。だからマスターはきっと、みんなに優しくなってくれるはずだと思ったのです」
「……いや別に、独占なんてしてないし」
「言ってるわりには、目が斜め上を向いてるよ。ジャンヌくん」
冷や汗を流すジャンヌに、ダ・ヴィンチはそう指摘をした。
――しかし次に聞いた言葉に、彼女の虚勢も消し飛ぶ。
ぽつりと、静謐はつぶやいた。
「……おとといだって、朝帰り」
「ブホォッ!?ちょっと待ちなさい!!」
――一瞬意識が飛びかけた。
予想外の一言すぎて、頭をハンマーで殴られたのかのような衝撃。
顔を真っ赤にしたジャンヌはぱくぱくと口を開いたが、うまく言葉にならずしどろもどろ。
そんな反応に、当のお相手さまはやれやれと肩をすくめた。
「そう恥ずかしがることないと思うんだけど。だっておとといどころか休みの日って大抵――」
「わー!わー!黙れ!黙りなさいそこのすっとこどっこい!!」
ぶんぶんと剣をふるジャンヌ。
その姿を見て「かわいいなこの子」と内心呟くダ・ヴィンチちゃん。
「……私だって、負けてません。貴方がいないときはいつだって、清姫さんとの戦いを勝ち抜いて、ベットの下に潜り込んでるんですから」
「いやいや、張り合うとこ違うよたぶん」
「……そうだね。オレの安眠が守られているのは静謐ちゃんのおかげなんだね。いつもありがとう」
「マスターくんも……なんかもういいや」
説得をあきらめる自称天才であった。
マスターの言葉に静謐は頬を赤らめる。
「いえ、ただ私はマスターを想ってのことで……」
「それがうれしいんじゃないか。誰かに思ってもらえるほど、幸せなことはない。だから静謐ちゃん――本当にありがとう」
す、と口を吸う音。
自らの頬に確かに熱を感じた静謐は、歓喜のあまり口元を覆う。
「――イける」
「何が?」
ジャンヌの問いに答えることもなく、最後にそう一言を残して、静謐も転がる躯の海に沈むのであった。
「……ねぇ。ひょっとしてオルタマスターってただのキス魔?」
「さぁどうだろうね……ちなみに、そんなキス魔は黒髭くんたちといっしょに――」
「それは聞きたくない」
がっちりと、耳を覆うジャンヌ。
どうかそんな事実はありませんように、と静かに願った。
「……あとは君だけだよ、ジャンヌ」
そう、マスターは告げる。
振り返る彼は自らと同じ黄金の瞳を光らせる。
……本当に。
「おや、私はカウントされないのかい?」
「まさか。さすがにオレもダ・ヴィンチちゃんにちょっかいかけるとか命知らずな真似はしませんよ」
「んーっと……これは、女性として怒るべきかな?」
「――どうでもいいわよ。そんなこと」
――しんと、ジャンヌは言った。
かつんと、靴を響かせ、彼女は歩む。
……本当どうでもいい。
原因がどうとか、情けないからとか、そんなんじゃない。
――私が苛立っているのは、もっと単純なこと。
それは――。
「――私以外に、そんな気やすく接するな。バカ」
「……なるほど。ツンデレ、ここに極まれり、だね」
ふむふむ、とダ・ヴィンチは頷いた。
――後ろの外野も焼き殺してやりたかったが、この際それは置いておこう。
今は目前の標的の方が重要。
……その、いかにも人の好さそうな笑顔。
それがあんな風にいろんな奴らに振りまくられるのは。
はっきり言って我慢ならない。
しかし、対してマスターはぽかんとした顔になる。
それから次は、その眉を顰める。
心外だといわんばかりに。
「……そうは言うけどねジャンヌ――好きだって言ったのは、君に対してだけなんだけど」
「……え?」
途端唖然とするジャンヌ。
だってほら、とマスターは人指し指を立てて思い出してと語る。
「マシュに対しても、他のみんなに対しても、オレは『好き』という言葉は一言も言っていないはずだよ?――俺の中での一番はもう決まっているしね」
口元に人差し指を立て、彼は笑う。
……その言葉の意味がわからないジャンヌではない。
ぼっと、瞬間的に赤くなる彼女。
「まぁ……それなら文句ないけど」
「いやちょろすぎだろ君!?」
がっくりと、ダ・ヴィンチは肩を落としていた。
――いつの間にか、マスターはジャンヌの前まで歩んできていた。
すっと、その手を頬にあてる。
「――ジャンヌ」
呼ばれて、見つめられた視線のすぐ先には彼の顔。
――早鐘を打つ心臓。
フ、と彼が微笑んだら、もうそれだけで蒸発しそうになる。
「――好きだよ」
――ただ、一言。
それだけで、どうしようもないとどめ。
「――な」
漏れ出た彼女の声。
ん、と彼は耳元に近づける。
「――な、なに言ってんのよ!バカ‼」
「ぐお!?」
バン!とこれはまたいい音が響く。
遠慮なしの一撃を食らった彼は、ものすごい勢いで地面に打ち付けられた。
そのままぴくりとも動かなくなったマスター。
そろりそろりと近づいて、ダ・ヴィンチちゃんはマスターの脈を診る。
――一応、生きてはいるようだ。
無事ではないが。
「――まぁとりあえず予定通り彼の確保には成功かなジャンヌくん――ああ、でも相打ちかな」
「――うっさい」
顔から、白い湯気を出しながら。
ジャンヌ・オルタは、顔を覆ってその場に座り込んでいた。
■ ■ ■
「――何、これ…?」
絶望、といったまなざしで。マスターはその手に握る手帳を見つめた。
すると横からにょっきりと首を出してみたジャンヌが「あらあら」と口を手で覆った。
「……一か月先まで、予定びっしりね。貴方の手帳」
お気の毒に、と少女は笑う。
――無事事態も収束し、マスターも正気に戻ったその後。
彼は手に握るもの、その予定帳を見て、愕然とするのであった。
そこに予定がびっしり詰まっていることは、あまり珍しいことではない。
……問題なのは。
「――全部デートの約束なんだけど」
「自業自得ね…ああ、でも巻き込まれたってのもあるか…」
「巻き込まれた?……ってよく見たら男とのデートの予定まである」
「……ご愁傷様」
はぁ、と特大のため息をつくマスター。
――正気じゃなかったからといって和解できる範疇は超えている。
多少の同情はするが、まぁ頑張れとしかいいようがない。
……男同士でのデートは、ほんと同情するけど。
「――唯一の救いは、この第二日曜日だけか」
「――あら。空きがあるの?なら決まりね」
え、とマスターは口を開ける。
そのすきに、横から手を伸ばして、ジャンヌはその唯一の空白にペンを走らせた。
「――これでよし」
そう言って、書き終えたその場所にある文字は一言。
――『私とデート』
「――逃げたら承知しないわよ」
「……了解」
がっくりと肩を落としながらも、嬉しそうにそう答えてくれる彼。
――まったく。
だからこそ、独占したくなるというものなのだ。
そう想って、くすり、と魔女は微笑んだ。
終