私の名前   作:たまてん

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私の罪、最終話です


私の罪 終

 

 

――斬と、音が響いた。

 

途端、空には鮮血が飛び散る。

 

紅に染まっていく法衣。

 

傷口から、全身に広がるその痛みに、ピエールは思わず喘いだ。

 

その苦悶の声を聴いて、彼女は嗤う。

 

「あらあら、どうしましたか?使い魔が居なくなった途端これとか、さすがに萎えるわよ。さぁ、さっさとお立ちなさい。断ずるべき咎人は、確かにここにいるのですから」

 

赤く絡み、滴る剣を振りかざしながら、かの魔女はそう謳う。

 

……ほんとうは、そんな気概などとうに枯れ果てているだろうに。

 

否、本来なら立っていることすらままならないはずなのだ。

 

抑止力より賜った魔力。

 

それは、眼前に立つ少女、ジャンヌ・ダルク・オルタを断罪するには十分すぎるほどのものだった。

 

……なのに、結果はそうはならなかった。

 

無限と言えるはずの分身。

 

鏡写しといえる罪の化身の群れが、ジャンヌを襲い続けた。

 

――それは、罪の自覚。

 

シャドウサーヴァトとは、対象のサーヴァントにとっては自らの内面、その影を映した存在。

 

それは闇であり、後悔であり――己が罪の証明。

 

自らの罪を見つめ直し、その姿に糾弾され続けることによって対象に悔恨を与える贖罪。

 

ルーラーとなったピエール・コーションに与えられた唯一の宝具。

 

……けれど彼女は。

 

穢れ堕ちたはずの聖処女は、決して屈指はしなかった。

 

薙ぎ払われていく影の群れ。

 

振りかざす正義に、圧倒的な正しさの前にあっても、少女は……ジャンヌ・ダルクは、己を、黒く染まった自分を否定はしなかった。

 

「っ何故だ!?何故屈しない!?何故後悔しない!?何故……何故そんな自分に耐えられる!?」

 

そういって剣をふるうピエール。

 

傷負いの彼が振るうソレは、シャドウサーヴァントの攻撃に比べれば大したものではない。

 

ただ同じく負傷し、連戦を重ねたジャンヌにとっては堪えるものがある。

 

……ついでに言うなら、彼の気迫にほんの少しだけひるんだのも事実。

 

なぜならジャンヌにとって、ピエール・コーションという人物が――こんなにも感情をあらわにする人間だとは、想像できなかったのである。

 

「何故だ!?何故生きている!?何故死なない!?何故死んでくれない!?お前が死ねば、お前の心が折れとくれれば……私が、正しかったと証明できるのに!!」

 

――ああ、そうか。

 

必死になって剣をふるってくる彼を見て、少女は悟った。

 

――この男は、自分と同じだと。

 

かつてのオルレアン、その場所であの憎き自分自身を殺せば、自分の正しさを証明できると思えた。

 

あの絶対的な正義を、力でねじ伏せてやれば、私が正しいと証明できると幻視した。

 

この男も同じ、なんの因果か呼ばれた抑止力の代行として。

 

その機会、この好機に、まがい物の私を断ずれば――過去のすべてを帳消しできるなんて、考えているのだ。

 

――なんて。

 

なんて、おろかなこと……。

 

「……バカな人」

 

思わず、声に漏れた。

 

別に言っているやる必要はない。

 

そんな義理はないし、それに意味はない。

 

だけど……言ってやらなきゃ、気が済まない。

 

いくら取り繕うが、いくら御託を並べようが。

 

今の必死に剣を振る彼の姿は。

 

……たすけてーたすけてーと泣いていたあの醜い姿と、何にも変わってないという事実を。

 

「――よく聞きなさい。コーション司教――過去は、変えられない。選択したことに、後悔はしても無しにはできないわ。そう、例えあの導きが間違いだったとしても、それを人々に振りまいた事実は、私は忘れはしない、忘れたくてもできない……けど、貴方のやっていることは、ただの逃走。正しさが欲しいと言って、正義だといって自分のことを正当化しようとする。しかも性質の悪いことに、『自分が悪いことをした』なんて自覚をしてるから、中途半端なことこの上ないわよね」

 

「間違いなど、していない。私は……」

 

「――ならばもう一度、私の問いかけに答えなさい。ピエール・コーション司教」

 

――ぞくりと、背筋に悪寒が走る。

 

鍔競り合う剣、その先にある黄金の瞳。

 

その水晶体に、彼の姿が映る。

 

少女は、その白い唇を開く。

 

そして語るのだ。

 

――あの時、最後に彼に残した、その言葉を。

「――司教さん。私は貴方のせいで、死ぬのですからね」

 

 

 

――淡々と、少女は告げる。

 

「――あ」

 

 

――見つめてくる瞳は、無常。

 

憎悪も嫌悪も、何も感じられない。

 

そんなもの、少女は寸分も抱いていなかったのだ。

 

ただ少女は、事実を口にしたまでのこと。

 

――貴方の行いで、人が死ぬ。

 

それを決して、忘れないように。

 

……まるで、他人事みたいに、少女は残すのだ。

 

「っっ化け物が!!」

 

叫んで、ピエールはジャンヌから離れた。

 

構え直した剣先は、カクカクと震えている。

 

けれども、決して少女――の姿をした何かからは眼を逸らさなかった。

 

……逸らせなかった。

 

震える彼を見て、ジャンヌもそうねと肩をすくめる。

 

「……貴方の言う通り、確かに化け物じみてる。献身的にもほどがあるわよね、私……けれど、その言葉に貴方が震えたというのなら、それは紛れもない貴方の迷いであり……そして、貴方の罪よ、司教さん」

 

「っっ『宝具解放』!!」

 

瞬間、彼の周りにあふれ出すジャンヌの幻影。

 

しかし彼女はその黒い群れを鼻で笑う。

 

「そんな自棄で、しかも迷いまくりの奴に負けるわけないじゃない……それじゃ、いつまで経っても私には勝てないわよ」

 

 

黙れ、とピエールは叫ぶ。

 

瞬間、シャドウサーヴァントたちはジャンヌに襲い来る。

 

……大口を叩きはしたが、割ときついのは事実だ。

 

迫りくる影の首をはねながら、だんだんと息が上がってくる我が身にあとどのくらいもつかと考えてみる。

 

――もとより、この戦いの勝ち目は低い。

 

自分と同一個体と何体もやりあっているのだ。

 

ここまで持っていた方が、不思議。

 

……だから、こんな風に目まいがして、手がしびれて、剣を取り落として。

 

脚に力が入らなくなって、ぐらりと体がゆれることだって当然のこと。

 

絶好のスキ、迫りくる無数の刃。

 

私には、もうそれを防ぎきる手段はない。

 

――ああ、でも。

 

絶対的なピンチだっていうのに、私は……。

 

 

「――はい。おつかれさま」

 

……これっぽちも、心配してないのよね。

 

背中から抱き止まられる感触。

 

聞き慣れた彼の声。

 

振りかざされた刃は、キンと音を立ててはじかれる。

 

――目を開ける。

 

そこに見えるのは、黒い髪と、蒼い瞳。

 

よく見慣れた、見慣れすぎた、少年の姿。

 

その予想通りの光景に、ジャンヌは微笑んだ。

 

「……遅いわよ。マスター」

 

すると彼――マスターは「ひどいなぁ」と唇を尖らせる。

 

「一人で行くっていったのは君じゃないか。こっちは超特急で施設内に奴ら処理してきたっていうのに」

 

「そうです!トナカイさんと頑張ってはやく来てあげたのに、なんて恩知らずなのでしょう。未来の間違った私は!」

 

「アンタはお呼びじゃないわよ」

 

何ですって!?とモノ申して突き出してきた頭を、ジャンヌは嫌そうに抑える。

 

すると先ほどの攻撃を防いだマシュも「大丈夫ですか」と盾を構えたまま尋ねてくる。

 

「ひどく反応が弱っているの見て急ぎ駆け付けたのですが……でも、間に合って本当によかったです」

 

「ご心配どうも。アンタが思っているほどやわじゃないわよシールダー……けどまぁ、助かったわ。ありがとう」

 

「またまたぁ。素直じゃないんだからいだだだだだだ!!」

 

「やめるのです間違った私!マスターの頭を万力のように締め上げるのを今すぐやめるのです!」

 

少年の頭をぐりぐりと両こぶしでひねりあげるジャンヌをぽかぽかと叩くリリィ。

 

それからはぁと、ため息をついたあと「もういいわ」と、身体を起こす。

 

「――じゃ、ここからは私の仕事だから。貴方たちは下がってて」

 

「またそう言うこという……どうぞ、お姫さま」

 

文句を言いつつも、そう素直に従うマスターに、ジャンヌはフンと鼻を鳴らした。

 

再び剣をとり、歩き出す彼女。

 

ボロボロの背中に、マシュは声をかけようとしたが、マスターはそれを片手で制した。

 

止めないであげて、とマシュに微笑む。

 

傍らに立つリリィもしかり、その後ろ姿をじっと見つめている。

 

歩みゆく彼女は、再度ピエールに対峙する。

 

が、相対した彼の表情は驚きに目を見開いていた。

 

「……なんだ。それは」

 

短い問いかけに、さぁねとジャンヌは肩をすくめる。

 

「何だと言われても困るわね。勝手に私の後ろについてきて、勝手に私の隣に歩いてきて……私のことは嫌いじゃないとか宣う、ただの馬鹿どもよ」

 

いってくすりと彼女は苦笑する。

 

……あーあ。

 

ついに、マスターの前で言ってしまった。

 

けどまぁ……そんな悪い気分じゃないか。

 

しかし、ピエールはますます困惑した表情を浮かべる。

 

「……嫌いじゃない?そんな馬鹿な。ありえないだろう。間違いだらけのお前が、誰かに求められるなんて」

 

「ええそう。私も思ったわよ……けどこんなんでも、案外需要があるみたいね」

 

――はじめはジル。

 

次はマスター。

 

敬愛だの好きだと、何回も連呼された。

 

うっとうしい、うざい、そう初めは拒絶していた。

 

……けど、いくらか言われてみれば。

 

案外、自分のことも嫌いではなくなっていた。

 

贋作でも、罪深くとも。

 

――それでいいかなと思えてきた。

 

「だから、私は負けないわ。少なくともそういう契約だし。仕方がないから、ね……ゆえに、もう一度言うわ――その罪から、忌むべき過去から、決して目をそらすな。ピエール・コーション……認めてこそ、貴方ははようやく聖人としての一歩を、踏み出せるのです」

 

「…………」

 

――厳かに少女は言った。

 

自らの罪を否定せず、自らが間違いであると分かったうえで、彼女は抗う。

 

ジャンヌ・オルタでありたいから、そう認めてくれる人があるから。

 

――なんて、わがままで、横暴で……純粋な願い。

 

外見だけは清廉たろうとした自分がほんとにみじめに思えてくる。

 

……変わってない。

 

その純粋さも。純朴さも。

 

白が黒に反転しただけで、彼女はあのころのまま。

 

そして、自分にはない素直さでもある。

 

――本当に。

 

「――つくづく生意気な娘だ」

 

その言葉に、ジャンヌは笑う。

 

今更なセリフだと。

 

……認めよう。

 

生前の自分の行いを、聖人にはほど遠い、はるかに冒涜的な行為を。

 

――ああ、でもだからこそ。

 

今度こそ、本当に。

 

聖職らしく、燃え尽きたい。

 

いつかの、若かりし頃に見た、理想のように。

 

「――ゆえに、お前を認めるわけにはいかない。私の理想、私の聖道に、お前は不要だ、ジャンヌ・オルタ」

 

「――ようやく、妄執以外の理由が出来ましたか――ええ、その通りです。ピエール・コーション。これなるは悪の祖、全ての邪悪の根源――ジャンヌ・ダルク・オルタナティブ。聖道を歩まんとするなら、そのすべてをもって――裁いてみなさい、黒檀の我が身を」

 

「――了承した。なればこそ、お前を裁こう――我が宝具の、真名を以て」

 

言って彼は眼を閉じる。

 

そして思い浮かべる、彼の望んだ理想の体現者を。

 

 

 

――かつて、ただひとりだけ、憧れた人間がいた。

 

それはまさしく彼の理想の体現。

 

救国の使者であり、その心は無垢で無色。

 

まばゆいほどの、笑顔。

 

……その輝きが、うらやましかった。

 

純粋に、ただ信仰できるその姿に嫉妬した。

 

かつての我が身を見ているようで、けれど終ぞ私のようにならなかった君。

 

白き御旗のたなびく世界。

 

……私の、ユメ。

 

その名は――。

 

 

 

 

 

「――『かの者の祈りは、まことの信仰なり(La Pucelle d'Orléans)』」

 

 

 

 

一瞬の光。

 

そしてその輝きがやんだ後、そこに現れたもの。

 

それは先ほどのシャドウサーヴァントではない。

 

 

――白い装束と、白い御旗。

 

金の髪と青い瞳。

 

いつかみた、一人の祈りの少女の姿がそこにあった。

 

「――へぇ。これは驚いた。もしかして貴方、私のファンかしら?」

 

そう茶化すジャンヌに、戯けとピエールは言った。

 

「――さぁ。これが私の裁きだ。超えられるか、お前に」

 

挑発的に笑う男。

 

その仕草に、ジャンヌも笑う。

 

……ああ、どうせなら。

 

それぐらいの素直さがあれば、あるいは――。

 

「ーーいいえ。それは無駄なこと。意味がないわね」

 

かぶりを振って彼女は再び剣を構える。

 

黒の少女は剣を。

 

白の少女は旗を翳した。

 

――そして、黒は走る。

 

目指すは過去。

 

白い己の姿と、そんな姿に夢を見る一人の人間に向かって、剣を振り下ろす。

 

……結末までは、ほんの一瞬。

 

瞬きするよりも早く、終わりを迎えるのだった。

 

■ ■ ■

 

 

「――最後に、一つだけ教えてくれ」

 

そう、青年は問うた。

 

……心臓を刺し貫かれてるというのに、よくしゃべれるものだ。

 

「――何故、私を恨んでくれなかった?」

 

しかし問われた内容は脱力するほどつまらない内容。

 

はぁあと深いため息をついて、私は言ってやった。

 

――それに苦悩するのが、貴方の罰だと。

 

すると、彼はふ、と笑う。

 

心のそこから可笑しそうに。

 

「――ああ。まったくだ」

 

満足そうに、そうつぶやいて。

 

彼の身体は、空へと溶けていった。

 

■ ■ ■

 

「――お疲れさま」

 

ぽんと、腕の中で眠るジャンヌの頭を撫でるマスター。

 

するとその横でリリィがまったくですとむくれた顔をする。

 

「カルデアをこんなに散らかして、や、やっぱりこの私はだめだめです。ま、マスター、に、迷惑かけ、す、すぎでず!」

 

「……無理しなくていいよ、リリィちゃん。泣きたかったら泣いていい」

 

「な、泣いてません!」

 

赤く眼を晴らしながら、ぼろぼろと涙を流していく彼女のことを、横からマシュが抱きしめる。

 

かすかに聞こえてくる嗚咽に、マスターは苦笑する。

 

それからもう一度、彼はジャンヌを見る。

 

すやすやと寝息を立てる少女。

 

――この存在が罪と、彼はいった。

 

 

ああ確かに。

 

このかわいさはあまりに罪だ。

 

――でもそれ以前に、感謝している。

 

こんな罪を犯しているからこそ、この子に会えるという事実に。

 

――だから、こんな罪を犯している君といっしょにいる自分も。

 

「――同罪だね。これからも、ずっと……」

 

なんて、幸福な罪。

 

抱きとめるその感触。

 

その隣を歩くのが禁忌と言われるのなら。

 

……喜んで、咎人になろう。

 

そう、契約者は笑った。

 

――地獄の焔に焼かれる、その時まで。

 


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