ーーどうして。
見渡せば、それは屍の海。
それはかくも可憐な乙女たちが散っていった花の残骸でもあり。
哀れにも霧散していった、漢どもの夢の跡でもあった。
そんな退廃とした世界に彼女ーージャンヌ・ダルク・オルタは一人佇む。
ーーどうして。
そう、問いを投げる。
無論、答えなどない。
「……あとは君だけだよ、ジャンヌ」
代わりに聞こえる、背後から響く声。
馴染み深くもあり、けれども初めてでもあるようなその声に、ジャンヌは振り替える。
……そこに立つのは、見慣れたはずの彼の姿。
けれども同時に、それはいつもの彼ではないのだ。
漆黒の衣装。
黄金色にそまった瞳。
日頃の少年とは、真逆に見えるそれ。
ーー自分と同じ、反転した姿。
目の前に立つ少女を見て、彼ーーマスターはうっすらと微笑む。
ーー本当に、心そこから嬉しそうに。
「ーーさぁ始めようジャンヌ。君とオレの、二人だけの話を」
ーーああ本当。
どうして、こうなった……。
それに意味がないと理解しつつも。
問いかけ続けずにはいられなかったジャンヌなのであった。
■ ■ ■
ーー事の発端は、一時間ほど前まで遡る。
「……先輩。どこに行っちゃったんでしょうか?もうすぐ作戦開始なのに……」
きょろきょろと、辺りを見回しながらマシュはそう呟く。
「ーーはん。まったく、私にここまで手間をかけさせるなんてね。いいご身分ですこと」
隣を歩いていたジャンヌが、そう悪態をついた。
すると、マシュが「申し訳ありません……」と頭を下げる。
「その、私一人で探すのは時間がかかりすぎると思いまして……」
「違うわよ。アンタじゃなくてあのバカマスターに言ったの。集合時間になっても来ないアイツが一番悪いわ。これは、きっついお仕置きが必要みたいね」
ははは、と渇いた笑いを見せるマシュ。
……しかし、先程から本当にマスターの姿を見ない。
入れ違い、だとしたらマシュの端末に連絡がくるはずだし。
どこにいるだろうか、と二人が頭を悩ませていたときだ。
突如、ガシャンガシャンと重く、やけにうるさい音が聞こえてくる。
二人がそちらに視線を向けると、廊下の向こうからある一人の女性が走ってくるのが見えた。
「……あ、自称天才女だ。やけに慌てて走ってくるわね」
ジャンヌの言う自称天才女ことダ・ヴィンチちゃんは、彼女にしては珍しく必死な様子で走ってきた。
すると、彼女もこちらに気づいたのだろう。
おーい、と両手を振った。
「……いやぁよかった。やっと他の人たちに会えた」
「……ダ・ヴィンチちゃん。どうかしたんですか?」
マシュがそう尋ねるが、ダ・ヴィンチちゃんは「その前にちょっと休憩……」とマシュの両肩を掴んで、しばらくの間、息を整える。
それから彼女は顔を上げて、きりっとした顔でこう言うのであった。
「……あとは頼んだよ」
「「……はい?」」
ジャンヌ、マシュ、双方が首を傾げる。
しかしダ・ヴィンチちゃんはそれ以上説明することはなく、「じゃあねー」と手を振って去っていくのだった。
「ちょっと!?ちゃんと説明しなさいよ!」
そう言ってジャンヌが声をあげたときだ。
ーーまた一つ、誰かの足音が聞こえた。
けれども先程と違い、その足音はゆったりとしていて、落ち着いて感じられる。
徐々に、近付いてくる足音。
二人はじっと、その足音が響いてくる向こうを見つめる。
そして、一人の少年が姿を表した。
「……あれ。マシュに……それにジャンヌも。ちょうどよかった」
「先輩……もう、どこにいらしてたんですか」
ほっ、と安堵の息を吐いて、マシュはマスターに駆け寄った。
彼はごめんね、と彼女に頭を下げた。
「……ちょっと野暮用があってね。それで遅れちゃった」
「そういうときは事前に連絡をくださいっ!ほら。ジャンヌさんだって怒っていま……どうしたんですか?」
そう、マシュは佇む彼女に声をかける。
対して、ジャンヌはその目を大きく開いて唖然としていた。
ーー廊下の向こうからやってきたマスター。
彼は少し、いつもと違う様子に見えた。
衣装の根本的なデザインは変わってないが、全体に黒を貴重とした色合い。
そして、青かったはずの瞳が、黄色がっかたものへと変化している。
ーーいやそれ以前に。
この気配は……。
「……貴方、まさか」
「ジャンヌさん、どうかしまーーっ!?」
マシュの言葉は、終わる前に遮られた。
その頬を、くいと捕まれたから。
「ーーマシュ」
「せ、先輩……?」
彼女の目と鼻の先に、マスターの顔があった。
知らず、マシュの頬が熱くなる。
心臓の鼓動が早まる。
いつも見慣れたはずの彼の表情。
なのにどこか、艶やかに感じてしまう。
すると、マスターは優しく微笑む。
それから蕩けるような声で、彼は告げるのだ。
「……ああ。やっぱり君は可愛い」
「ーーは?」
ーー想像を斜めゆく発言に、ジャンヌは眉を潜めた。
しかし反対に、マシュはその言葉に顔を極限まで赤く染め上げられるのだった。
「か!かかか、かわいい、ですか?」
ゆでだこのように、真っ赤なマシュ。
マスターはああ、と一もにもなく頷いた。
「当たり前じゃないか。マシュはいつだって可愛い。その眼鏡姿だって、よく似合ってる……ただちょっと悲しいかな。サーヴァント姿もオレ結構好きだったから、仕方がないけど少し寂しい」
「……せ、先輩がお望みでしたら、その、ダ・ヴィンチちゃんが私の鎧のレプリカを持っていらしたと思いますので、格好だけなら出来るかと……」
「本当に?そしたらすごく嬉しいなぁ……やってくれるかな、マシュ?」
彼女の手を握りしめ、首を傾げるマスター。
マシュはおろおろとあわてふためいていたのだが、やがてこくりと、首を縦にふるのだった。
マスターはなおさら嬉しそうに笑った。
すると、彼は彼女の顔に自らをさらに近づける。
一瞬、マスターの顔が視界から消える。
それから一瞬、ほんの一瞬だけ、短い音と頬を吸われるような。
彼は顔を離して、変わらず優しげな笑みでこう言うのだった。
「ーーありがとう、マシュ。君がオレのサーヴァントでよかった」
ーーその頬の感触を、口づけだと理解した瞬間。
マシュの忍耐も限界を迎えた。
ボン!と顔から湯気を出してその場に座り込む彼女。
両手で顔を隠してうつむいたまま動かない。
……完全に、ショートしていた。
「……よし。次はジャンヌだね」
そうマスターが振り向いたとき。
……すでにジャンヌは背中を向けて全力で走り出していたのだった。
■ ■ ■
「……結論から言おう。これは私が悪い」
「ええ、何となく想像ついたわ……」
……マスターから逃げ切ったあと、ジャンヌは先に逃走、もとい自分達をスケープゴートにしたダ・ヴィンチちゃんと合流した。
互いに壁に手をついて息を整えながら、彼女たちは会話する。
無論、先程のマスターについてだ。
「……あれなんなのよ。なんであんな気色悪いことになってるわけ?説明なさい」
「その前にだ。一つ質問するのだが……君は、彼に対して何か感じなかったかね?」
「……そりゃあもう、感じまくりよ」
ーー相対したときの彼の纏っていた雰囲気。
黄色の瞳。
黒々とした覇気。
それはかの騎士王や槍使い、そして己を染めあげた衝動。
……オルタ化した者の気配だった。
つまり、その論法でいくのなら……。
「……マスターがオルタ化したってことなの?」
大正解、とダ・ヴィンチちゃんは頷く。
ーーいや、冗談じゃない。
大体なんで、マスターが反転している?
オルタ化は原則としてサーヴァント特有の現象。
そもそも、どこにそんな要因があったのだろうか?
「……それを作ってしまうのが、私という天才の長所であり、悪いとこでもあるだよねぇ」
」
「自惚れてないでさっさと説明しなさい」
がん、とその頭に拳をおろして、ジャンヌは先を促した。
痛かった、と頭をさすりながらダ・ヴィンチちゃんは言葉を続ける。
「……実は、ひそかに入手したアルトリアちゃんオルタとかクーちゃんオルタとか君の一部を使ってある薬を開発したんだ。その名も『インスタントオルタ化キット』」
「……前提からしてだいぶ突っ込みたいんだけどこの際それは置いておくわ。それで、その薬の症状は何?」
「言葉通りだよ。あの薬は精神を反転させる。まぁ霊基を揺るがせるほどの効果はないけどね。仮にこの人がオルタ化したらどうなるのかな?というのを知る目的で作ったんだ。役に立つかもだろう?……それがなんの手違いか、彼が誤って接種してしまったらしい。いやはや厳重に保管しといたんだけどなぁ、あれ」
「……ちょっと待て。なら本当に……あれがアイツがオルタ化した姿って言うの?」
こくり、とかの天才は頷いた。
ーーあの歯の浮くような台詞。
キザッたらしい態度。
背筋の凍るようなわざとらしい笑顔が、全部。
ーーマスターが反転したがゆえに出た現象だとでもいうのか。
「……やだ。私のマスター、キモすぎ」
「はっきり言うねぇ君は。まぁ恐らくは反転したことによって遠慮とかそういったものの箍が外れたんだろう。彼なかなか謙虚だし」
「どこがよ。割りと遠慮なし、ていうか無自覚を装ったタラシの天才よ。むしろ今のアイツの方が軽薄に見えるわ」
「ほほう、君の目にはそう映るのか……まぁそれは置いといてだ。ああなった彼はマシュよろしく女性たちを片っ端から口説きまくってね。しかもそれが百発百中で凄いのなんの。これは私の手に負えんと撤退してきた始末さ」
「手に負えんとか割りきり良すぎでしょう貴方……薬の効力はどのくらいなの?まさかあのまま一生とか言ったら私、契約書破いてでも座に還るわよ」
ジャンヌの問いかけに、彼女は首を左右に振る。
「ーー正直にいうとわからない。そもそもマスターの摂取量を知らないからね。だがまぁ長くて半日だろう。放っておけば自然に鎮火するよ、おそらく」
「それで全焼してたらもとも子もないと思うのだけど……」
……ともあれ、彼女の言うとおり自然鎮火を待つのが確実らしい。
それまでに何人の少女が、彼の毒牙にかかるのか。
ーー止めてやるのが情けだろうが、あのマスターに体が拒否反応を示してそも近づきたくないジャンヌであった。
そのとき、ダ・ヴィンチちゃんの端末が鳴り響く。
「はいはーい私だよ……あ、そう。分かった。まぁ、みんな気を付けて」
ぴ、と終音ボタンを押す彼女。
それからしばし、無言になる。
「……今度は何があったのよ?」
そう尋ねると、「それがねぇ……」とダ・ヴィンチちゃんは若干目を反らしつつ告げる。
「……どうやら彼、大抵の女の子たちは攻略したみたいでーー今度は男を襲い出したみたいだ」
「止めにいくわよっ!!」
ダ・ヴィンチちゃんの首根っこを掴んで、ジャンヌは走り出した。
……最悪、正気に返った時に彼が首をつりかねない。
自らのマスターに生命とその他もろもろの危機を感じ取った少女は、カルデアを駆けるのであった。
続