夕日が滑走路に繋がるエプロンを照らしていた。
「総員、ジーナ・プレディ中佐、マリアン・E・カール大尉に対し、敬礼!」
『統合506JFW新司令』ペリーヌ・クロステルマンの凜とした声が滑走路に響き渡る。ここは506JFWセダン基地。今まで2つに分かれていた506JFWの基地が統合される事が決定し、長年続いた歪な506の部隊構造に終止符が打たれる最中に行われたジーナとマリアンの離隊式は従来までの『Aチーム』『Bチーム』に所属する部隊員全員に加え、『名誉506JFW司令』であるロザリー・ド・エムリコート・ド・グリュンネ中佐、更には501JFWを経て新たに『統合506JFW新司令』となったペリーヌも参加していた。
「長い間世話になったな」
部隊員の敬礼に答礼していたジーナがゆっくりと口を開いた。506Bチームの隊長を担っていた際には自分で『一応の隊長』などといっていた彼女だが今までの実績やその人となりから彼女を慕う者は少なくない。少なくとも506に取っては必要不可欠な人材であった事という事に異論を挟む者はこの場には誰一人いなかった。
「マリアンさんも本当に行っちゃうんですね~」
この場に似合わない何とも気の抜けた声を上げたのは506部隊唯一の扶桑人、黒田邦佳中尉だった。
「姫様も本国に行っちまったしな」
ロマーニャ出身のウィッチ、アドリアーナ・ヴィスコンティ大尉が邦佳に同意する。
「永遠に離ればなれという訳でも無いですし・・・中佐もマリアンも向こうに行っても時々は連絡、下さいね」
その横からリベリオン海兵隊所属のジェニファー・デ・ブランク大尉が2人に声を掛ける。
「またあっちに着いたら連絡くれよ~コーラのケース3個は送るから」
軽い調子でそう言うのはリベリオン陸軍中尉、カーラ・J・ルクシックだ。
「ああ、今まで本当に世話になった。・・・AチームにもBチームにも。また向こうに着いたら連絡する」
ジーナがそれぞれに向かって最後の挨拶をする。長年在籍した部隊の面々や基地とも今日でお別れだとなると無性にこの場所、この空間が恋しくなってくる。
「ジェニファー、カーラ、今までありがとな。・・・Bチームの奴らも」
マリアンも同じような心境なのだろう。長い間諍い合っていたBチームの面々にも自然と感謝の言葉が口から漏れる。
「中佐、大尉。お時間です」
ジーナ達をリベリオンへと送る輸送機のパイロットだった。
「わかった」
パイロットに向かって了解の返事を送るジーナ。
「・・・後は任せました。ペリーヌ少佐」
「ええ、ジーナ中佐やグリュンネ中佐が守ってきたこの部隊、確かに受け継ぎましたわ」
ペリ-ヌ少佐は責任感の強い女性だ。任せて大丈夫だろう。そう確信するとジーナは輸送機に向かって歩き出した。マリアンもそれに倣う。
ーーー大丈夫だ。私達がリベリオンに行く以上この部隊に危害が加わる要素は少ない。私とマリアン大尉以外何も知らないこの部隊の人員に危害を加えて『彼ら』が得をする事は何も無い。そう思える事がせめてもの救いだった。皆は私達がリベリオンに行く事を『栄転』と言う。
・・・違う。ただ飛べなくなった魔女、羽をもがれた鳥が地上でもがき苦しむ事になっただけだ。今から向かうワシントンは決して栄転として行き着く先では無い。そこに待っているのは・・・
「中佐、どうしました?」
ふと我に返る。マリアンが横から不安げな表情で除いていた。彼女の場合は事の真相を知っているだけに心情も私と同じような感じであろう。私だけが苦しむのでは無い。彼女も苦しむ事に・・・しかしここで自分が弱気になる訳にはいかない。
「いや、大丈夫だ」
平然とした様子を見せる。大丈夫だ。あっちに行ったからと言って必ずしもすぐに何かが起こる訳では無い。大丈夫だ・・・
自分の中にそう言い聞かせるジーナ。しかし彼女は忘れていた。自分の渾名が不幸を呼び寄せる女、『アンラッキー・プレディ』だと言う事を。そしてその渾名の由来となったジーナ自身の不幸を呼び寄せる体質が、自分たちがワシントンに着いた後、遺憾なく発揮されると言う事に・・・
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「ホシが暴れ出した?」
リベリオン合衆国東海岸最大のメガロポリス、ニューヨーク。リベリアンドリームを追い求める人々の活気で賑わうこの街はその活気とは裏腹に凶悪犯罪の温床でもあった。そんな魔都の治安を守るのは北米最大の警察組織、ニューヨーク市警だ。そのNYPDの中でもニューヨークの中心街、マンハッタンが所轄となる17分署はジャンキー、浮浪者、ホームレスが現れては出て行きを繰り返す正にニューヨーク治安の最前線とも言える建物だった。
「毎日毎日よくも飽きずにヤクだのアル中だのがやってくるねえ・・・やってらんねぇ」
呆れた様な表情を浮かべながらそう呟くのはNYPDでも数少ない女性警察官、サマンサ・スペード2級刑事だった。
「全くだ。こんな場所で人生を終えたくはないね。オハイオかアーカンソーにでも行って悠々自適な老後生活にしたいもんだ」
サマンサの愚痴に反応した腹の突き出た男は相棒のハーランだった。この冴えない男ともなんだかんだで長い付き合いになる。最初にサマンサがこの17分署に配属された際にここでの『仕事のやり方』を教えてくれた人物だ。
ハーラン流NYPD17分署での過ごし方
1・人を見たらジャンキーだと思え
2・こっちに向かって突進してくる奴がいれば挨拶の前に45口径をぶっ放せ。挨拶はその後。
3・始末書を書くときは『生命の危機』を感じましたと書け。このフレーズはパトロール中にトイレに行きたくなった時、他のオフィサーの前から急に消えた時にも使える
etc
etc
etc・・・
「どうしたサマンサ、にやけてるぞ」
そんな事を思い出してる内に思わず顔がほころんでいた様だ。慌てて顔を戻す。その時
「誰か来てくれ!取調室でジャンキーが暴れ始めたんだ!取り押さえるのに人出がいる!」
捜査課のオフィスに怒号が飛んだ。しかしここはニューヨーク、こんな事は日常茶飯事とばかりにサマンサが落ち着いた様子でオフィスから出て行こうとする。
「俺が行く」
「はいよ」
ハーランの何ともやる気の無さそうな声に見送られてサマンサは捜査課オフィスを後にした。
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拍子抜けした。サマンサが取調室に着いた時にその『暴れていた筈のジャンキー』はすっかり大人しくなってぽつねんと取調室に置かれた椅子の上に座っているのだ。
「なんだよ来ること無かったな」
そう言いながら取調室から立ち去ろうとすると1人の老刑事に足を止められた。口元に白いひげを蓄えた17分署の古参の警部だった。何でもジャンキーを取り押さえることには成功したが彼の言っていることが支離滅裂で何の事だかさっぱりわからない。ジャンキー慣れしているお前なら大丈夫だろう。ちょっと取り調べを変わってくれとの事だった。言い方を変えれば
「俺たちはこんなのに付き合ってる暇無いからお前変われ」
と言う事であった。いつものサマンサなら無視してさっさと引き上げる所だが頼まれている相手が頼まれている相手だ。階級の違いやそもそもこの老刑事には今まで始末書の件などで散々世話になっている。その人物の頼みを無碍には出来ない。という事でしぶしぶサマンサは取調室の中に入ることとなったのである。取調室にぽつねんと座っているのは40代程の男性だった。ジャンキーにしては服装や髪型は整っており一件すると何故こんな場所にいるのかがわからない程だった。取調室に入る前に今までこの男性を取り調べていた刑事から渡された事件の調書を改めて取り出す。名前はデビッド・カーラム。職業はニューヨーク証券取引所の案内員。
「・・・証券取引所のエリートさんまでヤクに手を出すとはこの国もそろそろ終わりかねぇ」
思わず口に出してしまったサマンサの一言にカーラムという男性が反応した。
「違う。麻薬になんか手をだしてはいない」
「・・・どういう事だ?」
「頼む。私の話を聞いてくれ。さっきの刑事にも全部話した。私の妄想だと一笑に付されて挙げ句麻薬中毒者扱いだ。先ほどは思わず腹が立って・・・すまない事をした」
・・・こいつ本当にジャンキーなのか?サマンサの脳内が回転し始める。麻薬中毒者、ジャンキーに多いのはまず意味不明な発言と支離滅裂な論理思考だ。先ほどの老刑事も『意味不明な発言を繰り返す』と言っていたが今サマンサの目の前にいる男性からはその様な様子は見受けられない。覚醒剤などに特有の舌のもつれや目の異常移動なども見受けられない。そんなサマンサの観察する様な目を察したのかカーラムは更に懇願する様な口調で言う。
「頼む。信じてくれ。神に誓ってもいい。私は嘘などついていない。話を聞くだけでもいい。とにかく聞いてくれ。お願いだ。私をジャンキー扱いして独房などに入れないでくれ」
「神・・・?」
「ああそうだ。神に誓う」
暫くサマンサとカーラムの視線がぶつかりあった。永遠に続くかと思われたにらみ合いは突如サマンサが発した言葉によって終わりを迎えた。
「・・・わかった。あんたの話を信じるかどうかはともかく、とりあえず話してみろ」
その瞬間カーラムの表情が若干和らいだような気がした。
「あ、ありがとう。ありがとう・・・」
「いいから、早く続けろ」
「・・・思い出したんだ」
そうして目の前にいる男性。カーラムの話が始まった・・・
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「MV22?そんな機体は聞いた事が無いですね・・・海兵隊の機材なんでしょうか」
506セダン基地所属のウィッチ、ジェニファー・J・デ・ブランクがおずおずとした態度で電話の向こうにいるサマンサ・スペードに対して応対する。2人は以前この506JFW全体を巻き込んだある事件の際に顔見知りとなっていた。故にお互いの連絡先も知っていたのだが、実際に一方が電話を掛けてきたり逆に掛けられたりする事は希だった。電話越しに聞こえてくるサマンサの声はぶっきらぼうだったが時差を考えるとリベリオンは今早朝の筈だ。こちらの時間に合わせてくれている所を見ると彼女なりの気遣いを感じ取る事が出来る。
『俺も聞いた事が無いんだ。海兵隊員のあんたに聞いてみたらもしかしたら・・・と思ったんだが』
サマンサの困ったような声が受話器越しに伝わってくる。サマンサがジェニファーにわざわざ朝早くから電話を使って聞いてきた事は『リベリオンや各国の軍でMV22という名前の機体を使っている軍隊はあるか、もしくはそんな名前の航空機を聞いた事があるか』という事だった。しかしジェニファーはそんな名前の航空機など聞いた事はない。おずおずとその事を話すとサマンサの落胆した様な唸り声が聞こえてきた。
「もしかしたら実験機とか新型機かも知れないので、一度他の方にも聞いてみます・・・お役に立てなくてごめんなさい」
『いや、いいんだ。いきなり電話なんかかけて済まない』
ジェニファーの心からの申し訳なさそうな声にサマンサが慌てて反応する。
『ありがとう。参考になったよ・・・ところで』
「はい?」
『506の前の隊長さん、今こっちに来てるんだって?』
ジーナの事だ。サマンサはあの事件がきっかけでジェニファーも含めた506の各隊員の連絡先を知っている。おそらくジーナの口本人から耳にした事なのだろう。
「ええ・・・」
『大変だな。そっちのウィッチもあんまり多くないんだろう?』
「はい・・・けど新しい隊長さんもいい人ですしカーラや黒田さんとかもいらっしゃいますし・・・それに・・・」
『それに?』
「マリアンと約束したんです。マリアンや中佐が本国へ行っても欧州の空は皆で守り抜くからって」
『・・・』
一瞬の沈黙が2人の間を漂った。
『・・・そうか。俺に出来る事はあんまり無いかもしれないけど何かあったらいつでも相談に乗るよ』
「ええ、ありがとうございます。言われてた先ほどの件は何かわかったらまた連絡します。それじゃあ」
『ああ、ありがとう』
会話が切れた受話器を元の場所に戻す。
「欧州の空を守る・・・か」
前はあれだけ頼りにしてた中佐やマリアンはもうここにはいない。カーラはあれでも歴戦のウィッチだ。それに比べて私は皆のヤクに立っているのだろうか。言い様もない焦燥感がジェニファーを襲う。
「あれ、ジェニファー、どうしたの?」
後ろから不意に声を掛けられた。カーラだった。
「い、いえ、何でもない・・・」
「あ、そう」
突然の事に動揺したのかジェニファーが必要以上に身体を動かして何も無いことをアピールする。しかし、それが却って怪しげな感じになってしまう。
「・・・まあ何かあったら言ってね」
そうカーラが言った時、突如甲高いサイレンが基地の中に響いた。
「ジェニファー!」
「うん!」
ネウロイの襲撃を示すサイレン。2人の身体はそのサイレンに突き動かされる様にストライカーのあるハンガーへと向かって走り出していた。
難しい事は今は考えなくていい。大丈夫。その内にきっと自分にしか出来ない事、自分が成すべき事がちゃんと見つかる筈・・・
ジェニファーの頭はコンマ1秒でその事を考えると次の瞬間には意識は目の前の危機へと向いていた。カーラとジェニファー、2人の小さな身体はストライカーを保管している大きなハンガーへと吸い込まれるように消えていったーーー
続く