リベリオン合衆国、バージニア州アーリントンに居を構えるリベリオン合衆国国家軍政省の建物は巨大な五角形の姿をしている事から巷では「ペンタゴン」という渾名が付けられているらしい。そうシャーロット・E・イェーガー『空軍』大尉が知ったのは先ほど昼食を買いに行こうとして訪れたペンタゴン中庭にあるホットドッグ屋に訪れた時の事だった。
「大尉さん、知ってますかい?このホットドッグ屋はこんな場所にあるもんだから他の国の諜報機関とかに、ここが軍政省の一番重要な場所だって思われてるらしいですぜ」
初めて訪れた中庭のホットドッグ屋の店主は他にこんな話もしてくれた。中々愛想がいい店主だ。着任してあまり間も無いシャーリーに対して軍政省だったり、色んな戦場での出来事だったり、様々な事を教えてくれた。元々陸軍の兵員として欧州に派遣されていたが負傷して内地に帰還し、なし崩しでこの稼業にたどり着いたと店主はシャーリーに説明していた。そして、自分が戦場にいた時にシャーリーの様なウィッチに命を救われたとも。恥ずかしくなったシャーリーがはにかみながら、
「今はもうウィッチじゃないよ」
と言っても
「いやいや、何を仰います。俺はあんた達みたいなウィッチに助けられたんだ。助けられた恩は返しますよ」
と言い結局昼食の代わりとして買ったホットドッグとポテトのセットの金額をかなりサービスしてくれた。
「有り難いけど太るかな・・・」
そう呟きながら昼食を終え自分のオフィスに帰ってきたシャーリーはデスクの上にメモが置かれているのに気が付いた。
「なんだこれ?」
メモをテーブルから取り上げ目で追ってみる。
『15時30分 来客予定』
「来客・・・?」
おかしい。今日は誰もこのオフィスに来る予定は無かったはずだ。
「変だな」
そう訝しげに思いながらシャーリーは副官の男性の元を訪ねる。副官はシャーリーのオフィスを出てすぐの所に設置されている机に座って書類を整理していた。報告書などを整理するのはシャーリーの役目だが、そこに至るまでの細かな書類整理などは主に副官が担当する。今回の様な来客に関する手続きなども一旦この男性副官を経由してからシャーリーの手元まで届く事になっていた。
「おーい、ちょっといいか?」
「はい、なんでしょうか」
シャーリーの声に気づき、書類から目を離した副官が答える。
「この来客予定ってどこの誰の事なんだ?自分の予定には無かった筈だけど」
そう聞くと副官は怪訝そうな顔をした。
「え、大尉。聞いていらっしゃらないのですか?」
「え?」
「さっきここの回線に送られてきたんですよ。以前に大尉がコンタクトを取って欲しいと言われていた第509爆撃航空群所属のジェシー・マーシャル少佐という方からです。『後でそちらに向かうので大尉に知らせておいて欲しい』と。大尉に前もって許可はいただいているとも話されていましたが」
「なんだって!?」
そんな事は一切聞いていない。確かに以前マーシャル少佐にこちらからコンタクトを取ったことはあったし、近いうちにワシントンに来てもらうといった事も話していた。しかし今日ではない。それどころか彼女がワシントンに来る日も未だに決めていなかった筈だ。マーシャル少佐にはあれ以来こちらからメッセージを送っていないはず。なのに・・・
「ちょっ、ちょっと待て。それ本当?」
「はい・・・大尉は聞いておられなかったのですか?」
当たり前だと言いたくなる気持ちをぐっと抑える。実際この副官に何か言っても始まる事では無いし、マーシャル少佐にはいつかワシントンに来てもらわなければならなかったのだからその予定が少し早まったと考えればいいだけの事だ。唐突な情報に混乱し、熱が籠もった脳内がだんだん冷えていき、落ち着いてくるのが自分でもわかった。頭に手をやりヒートアップしかけた頭を元に戻す。
「・・・今日の15時30分だな?」
「はい、そのようにと」
前に501にいた時はこんな事無かったのにな・・・ワシントンに来てから色々な物を見て、色々な物事に追われている内にどこかで何かが変わってしまったのだろうか。こんな姿、ルッキー二に見せられないな・・・
「わかった、ごめん。ありがとう」
目の前で困惑している副官にそう言うとシャーリーは副官の元を後にした。自分のオフィスまでの道をたどりながらリベリオン軍から支給された腕時計で現在の時間を確認する。14時27分。あともう少し時間がある。その間に何をしようか・・・と考えた矢先にさっき自分のオフィスに入った際に山の様にデスクに積まれていた書類を思い出してしまった。
「・・・」
陰鬱な顔を隠そうともしないまま自分のオフィスに帰ってきたシャーリーは結局、相手が指定してきた15時30分まで自室のデスクで報告書群と格闘しなければならない羽目になってしまった。
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「リベリオン陸軍、第509爆撃航空群情報局所属ジェシー・マーシャル少佐です」
シャーリーのオフィスに入ってくるなりジェシー・マーシャルと名乗る女性は挙手の敬礼を行いながら言葉を続けた。
「今回は事前に十分な説明もないままこちらに押しかけてしまう様な形になってしまい申し訳ありません」
「今度からは事前にちゃんと教えてくれると有り難いかな」
あくまで階級上ではシャーリーの方がマーシャル少佐より下になる。しかし曲がりなりにもワシントンの本庁舎で部署の担当者を務めているシャーリーと一地方爆撃群の情報部所属の士官では軍の階級バランスが壊れてしまう事は想像できる事であったしシャーリーもマーシャル少佐も殊更その様な事を気にする柄ではなかった。以前501にいた時は一応は敬語だったんだけどな・・・と内心独りごちる。ワシントンと501JFWでは現場の空気など、全てが違ってしまっていた。
「今回はニューメキシコ州に現れた未確認物体の事についてとの事ですが・・・」
「そう。一つ報告書を読んでて気になった事があったんだ。だから少佐にわざわざ来てもらう事にした」
意識を戻したシャーリーが椅子に座ったままマーシャル少佐に話し始めた。あくまで少佐はシャーリー、ひいては国家軍政省Jー2の『情報提供者』としての扱いだ。
「私の手元に来た報告書には『今回ニューメキシコに現れた未確認物体は完全に乗物、しかも人間が使用していた物』って書かれてたんだ。・・・この報告書を作ったのは少佐。あなたが?」
「はい。そうです」
「何であんな断言できる様な書き方を?」
「失礼ですがこの部屋には盗聴器の様な物はありますか」
「・・・何でそんな事を?」
「念のためです。本事案は国家の最高機密として扱われる案件になる事も考えられますので」
部屋に入り挨拶もそこそこに盗聴器の有無を確かめてくる。尋常じゃない。そう思いつつもシャーリーは否定の言葉を発した。
「無いよ。こんな部屋を盗聴しても特に役に立つ事は見つからないだろうしね」
シャーリーがそう言った瞬間、少佐が手元にあった鞄の中から何枚かの写真を取りだし、シャーリーのデスク上に置いた。
「これは?」
「我々はあの後、農場にあった未確認物体を基地まで運び、綿密に調査しました。その結果驚くべき事実が浮かびました」
どこか狂言師の様な言い回しをする少佐はそのまま言葉を続ける。
「1枚目の写真をごらん下さい」
そう少佐が指し示したのは未確認物体の破片らしき写真だった。写真の中には五角形に似た形の破片が写っている」
「これがどうかしたのか?」
「その破片にはアルファベットの文字が書かれていました」
「これに・・・?」
そう言うとシャーリーは食い入る様に写真を眺め始める。確かによく見ると五角形の内側にうっすらと文字の様な物が見える。更にその文字の上には何かのマークの様な物が書かれていた。
「何て書いてあるんだ?」
「我々が解読したところアルファベットの大文字で『EG』その下にその文字よりは小さく『33 OG AF 0748』と書かれていました。上のマークの様な物については今のところ不明ですが何かしらの部隊記号では無いかとの見方が大きいです」
「・・・他に文字か何かは?」
「2枚目の写真をごらん下さい」
シャーリーが手に持つ写真を入れ替える。今度は元の形状を想像するのが困難なほどバラバラになった破片の様な物が写っていた。しかしその壊れ方からはこの残骸が元々は何らかの機械であった事が想像出来る。
「そちらの写真こそが我々がその未確認物体を人工物であると判断した最大の要因です」
「どういう事?」
「そちらにもアルファベットで文字が書かれていました。矢印の様なマークの中に『RESCUE』その横には我が軍の所属を表すマークに類似した星形のマークも確認されました」
そこでシャーリーがハッとした表情で写真から目を離し少佐の方を見た。
「リベリオン軍のだって?」
「正確に言えば『リベリオン軍機の国籍マークに酷似したマーク』です。大尉」
もしこれが本当にリベリオン軍機かそれに属した物ならばこれは航空機という事になる。・・・聞いたことが無い。こんな形をした航空機など。そもそもこんな五角形の様な部品を積んで空を飛べるのだろうか?いや、そもそもこれが航空機という確証は何処にもない。どっかのいたずら坊主が1夜で組み立てたガラクタ芸術品・・・いや、これはもしかして・・・
「新種のネウロイ?」
「いえ、それはありません。この物体からはネウロイのコアに当たるような物は何も検出されませんでした。その代わり・・・」
「何?」
「残骸の後部からはエンジンの様な物が発見されました。魔道エンジンとも、従来のレシプロエンジンとも異なる未知の推進器です。今現在調査中ですが・・・もっともこれがエンジンかどうかすらわかりません」
シャーリーの頭の中に次々と飛び込んでくる情報は報告書を読んだ時よりもはるかに凄まじい威力を持っていた。全く未知の推進器で移動する未知の乗物?
「わからないなぁ・・・」
首をひねるシャーリー。それを見つめる少佐はどこかその様子を面白おかしく見ている様に思える。
・・・シャーリーが以前にこの件に関する報告書を読んだときに感じた違和感。それを証明し、解読する為に報告書を書いた本人をわざわざワシントンまで呼び寄せたのに担当者の話を聞くたびに更に話がややこしくなっていく。意味がわからない。そこまで考えた時ある疑問が頭に浮かんだ。
「そういや少佐はなんでこれを私の所に送ってきたんだ?」
この報告書の内容云々以前の話だった。今目の前にいるマーシャル少佐から報告書を送られた後に、副官に命じてこの方向書がNACAといった研究部門に送られているのかを確認させたことがあった。結果はNO。報告書が送られたのはシャーリーの手元とあと1つ、欧州のとある研究グループにのみという事がわかった。何故少佐はこれを軍の解析機関やCIAの様な情報機関に送るようなそぶりも見せずに自分自身の所にだけ送ってきたのか。その疑問を今ここでぶつけてみようと思ったのだ。
「それは・・・」
シャーリーの問いにマーシャル少佐が答えようとしたその時、鋭いブザー音が鳴った。外部からこのオフィスの中に連絡する際になるブザーだ。シャーリーがデスク近くにある受話器を取る。
「はい、こちらシャーリー」
「大尉ですか?」
501のメンバーとはいかないまでも既に聞き慣れた声。先ほどの男性副官だった。
「シャーロットだけど何かあったのか?」
その途端男性副官が慌てたように喋りだした。
「今さっき庁舎の玄関で2人組の男が暴れてたんです。その連中はすぐに取り押さえられて別室に運ばれたんですがーーー」
「それで?」
「その男達がさっきから509爆撃群のジェシー・マーシャル少佐を出せと騒いでるんです」
その瞬間目の前にいた筈のマーシャル少佐がシャーリーのすぐ横に立っていた。そのままシャーリーから受話器をひったくり受話器の向こうに向かって話し始める。
「わかりました。すぐそちらに向かいます」
「ちょっ、おいおい・・・」
困惑するシャーリーの言葉など耳に入らないという様に少佐は手に持っていた受話器を元の位置に戻す。そしてーーー
「行きましょう。大尉。本件の重要参考人の方々がお待ちです」
そうシャーリーに語りかけるとそのままオフィスから出て行ってしまった。後に残されたシャーリーは暫くその場で呆然とした表情で立ち尽くしていた。
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「お前じゃ話にならん!!ジェシー・マーシャル少佐を出せと言っとるんだ!この建物に入ったのをちゃんと見たんだぞ!!」
国家軍政省地下の警備保安室、お世辞にも広いとは言えないこの殺風景な部屋で、周りを警備員に囲まれながら1人の男が口角泡を飛ばしていた。その横にいるもう一人の男は全てをあきらめた表情でそれをその様子をじっと見つめている。
「全く・・・こんな事をしている暇は無いんだ。少佐がいないのならすぐに私達を解放しろこのリベリアン共め!」
男性の言うことがそろそろ罵声に変わろうかという正にその時、警備保安室の扉が開き、2人の女性が警備員に囲まれながら入ってきた。その内の1人の女性は保安室で警備員相手に諍いあっていた男性、トレヴァー・マロニーを見た瞬間驚きの表情を見せた。マロニー自身もその女性を知っていた。何を隠そう自らの暗躍で潰そうとした部隊のメンバーだったのだから・・・
「あんた何でこんな所に・・・」
警備保安室に収容されていたマロニーを見た瞬間に驚愕の表情を見せた女性、シャーロット・E・イェーガーが困惑の色を隠せないまま呟く。
「お知り合いですか?」
マロニー達を取り囲んでいた警備員がシャーリーに向かって問いを投げかけた。
「いや・・・そういう訳じゃ」
「トレヴァー・マロニー。元ブリタニア空軍将軍。もう一人はマーカス・カーター。雑誌の記者・・・あの売れないゴシップ誌ですね」
少佐が警備員から渡された『被疑者』のデータを淡々と読み上げていく。
「・・・私の名前を呼んでいたのはどちらの方かしら」
データをそばにいた警備員に返すと氷の様な声色で目の前にいる男性2人に呼びかける。研ぎ澄ます様な視線を向けられて反応したのはマロニーだった。
「私だ」
「貴方は何故私の事を?」
「以前、雑誌で見てね。君のファンになった。是非一度お会いしたいとワシントンくんだりまでやってきたはいいが君に会う方法がわからない。ここに来れば君の居場所がわかるかなと思ってきたら運命だろう。君がこの建物に入ってくるのが見えた。そして今君は私の目の前にいる。・・・ああ、そうだ。この紙にサインしてくれないかね」
そう言うとマロニーはポケットの中から何も書かれていないメモ用紙を取りだした。さっきまでの様子とは全く違う落ち着いた態度、そして彼がこんな騒ぎまで起こした理由の馬鹿らしさ。シャーリーを始めその場にいた少佐とマロニーを除く全員が呆気にとられ呆然とした表情になる。マロニーの横にいる男性もポカンと口を開けた間抜けな表情となっていた。
「・・・まず私はワシントンの本省勤務ではありません。私の部隊はロズウェル陸軍飛行場・・・先日付でウォーカー空軍飛行場になりましたが。私はそこの基地所属の人間です。ここに来ても私に会えるという事はありません」
そう言いながら少佐はマロニーが差し出したメモ用紙にサインの様な物を書き込んでいく。
「それと・・・このような方法は迷惑極まりないので金輪際お止めいただきたい」
「・・・なるほど、わかったよ少佐」
何かを書き終えたメモを少佐から受け取りながらマロニーが呟く。
「お連れして下さい。用事は済んだ様です」
少佐は警備員にそう言うと、そそくさとシャーリーを連れて部屋から出て行こうとする。後に残されたのは成り行きを見守っていた警備員達とマーカス、そしてシャーリー達の後ろ姿をじっと見つめるマロニーのみだった。
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「おい、どうするんだよ!ただあの軍人達を怒らせただけじゃないか!!いい案があるってあんたが言ったからワシントンくんだりまで来たのにこれか!?あんたがペンタゴンの玄関で騒ぎ出した時必死で止めたよな!?」
国家軍政省の前に位置する小さな公園。そこに先刻国家軍政省の警備保安室から解放された2人の男性、マーカスとマロニーがいた。
「あの時とっとと、あんたから離れとけばよかった・・・おかげで俺はペンタゴンのブラックリスト入りだ。・・・もうここに取材で入ることも出来ない・・・」
目の前で先ほど女性の少佐からもらったメモをまじまじと眺めているマロニーに向かって恨み辛みを吐きだしていくマーカス。この男性と関わってからという物、あっちに行ったりこっちに行ったり振り回されっぱなし。挙げ句の果てにリベリオンの軍事の中枢部で騒ぎを起こされこの狂人と同じく地下の営倉行き。もう沢山だ。
・・・しかしよくよく考えてみよう。そもそもこの目の前の狂人としか言いようが無い老人に着いていこうと決めたのは誰だ?
ーーー俺だ。
マロニーがワシントンに行こうと言った時着いていこうとしたのは誰だ?
ーーー俺自身だ。
自業自得。初めから、あのシカゴのボロアパートでとっととこんな奴から離れていればよかったんだ。行き場の無い怒りを洗いざらいぶちまけたマーカスはエネルギー切れの様に手近にあったベンチに腰掛ける。
ーーーこれからどうする?マロニーから離れて、編集部に帰って今までの経緯を編集長に話してそれでーーー
「言いたいことは言い終わったかね?」
マロニーが投げかけた言葉に脚の間に埋めていた顔を上げる。最早怒る気力も無い。
「ふむ・・・言い終わったようだな。では行こうか」
そう言うとマロニーはメモ用紙を腰のポケットに入れ公園から出ようとする。
「行くってどこへ?」
「見たまえ」
マロニーがポケットから再びメモ用紙を取りだしマーカスの前に掲げる。
「5日後、扶桑大使館で。 ジェシー・マーシャル・・・なんだこれは」
「彼女も『我々側』の人間だという事だ。なるほど、扶桑大使館なら奴らも迂闊に手出し出来ない。彼女も考えたな」
「どういう事だ?あんたらはグルか!?」
先ほど、警備保安室に入れられていた時、マロニーはジェシーとか言う女性が現れたときにそれまでの態度を一変させた。それは彼女が現れた事で『目的を達成したから』なのでは・・・?マーカスの脳細胞が一斉に回転し始める。
「積もる話もあるだろう。今まであちこちに連れ回して申し訳なかった。とりあえずは扶桑の大使館に行こう。ようやく落ち着いて話が出来る」
真剣な声で話すマロニーの持つ雰囲気は初めて会ったときの狂人のそれでは無かった。確固たる意思を持ち行動する人間が持つ雰囲気。ある意味でマーカスが失ってしまった物dだった。
「ここまで言っておいてなんだが・・・分水嶺は今回で最後だ。君は私と着いてくるか?それとも全てを忘れて日常に戻るか?」
マロニーが提示した分水嶺という言葉。それはおそらくここで足を進めると本当に後には引けなくなると言う事だろう。だがマーカスに迷いは生まれなかった。
「あんたと一緒に行く。言っただろう?こっちも友人一人いなくなってるんだ」
「・・・いい目つきだ。よし、行こう」
夕焼けに紅くなるワシントンの空の下、2人の男が扶桑大使館に向け歩き出した。確固たる決意を固め混沌の渦中に飛び込んでいく。何が起こるかわからないが気分は風車に立ち向かうドンキホーテの気分。ここ数年味わったことの無いような恐れと高揚感を胸にマーカスは歩き出す。今の2人に取っては2人とも、駐ワシントン扶桑大使館の居場所を知らない事など微々たる問題でしか無かった。
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「説明してくれ」
シャーリーは自分のオフィスに入るなり目の前のジェシー・マーシャル少佐に鋭い視線を向けた。
「何であのブリタニアの将軍がここにいるんだ?あんたは彼に何を渡したんだ?そもそも何で私をあの場に連れて行ったんだ?明確な『答え』を私にくれ」
「わかりました大尉」
先ほどと変わらない声のトーンで少佐が話し始める。
「ですがーーー」
「?」
「5日お待ち下さい」
「5日?」
「先ほど彼らにある指示を下しました。その指示が効果を発揮するのが5日後です。その時に・・・その指示が効果を発揮する場面に貴方も立ち会っていただきます」
「・・・何だって?」
「5日、5日後です。その時に大尉には全てをお話します」
そう言った少佐の表情はどこか仮面の様に堅く、人間味を感じさせない様子だった。何か自分がとんでもない事に巻き込まれている様な気がして、シャーリーは思わず身構えそうになる。
ーーー事実、そのシャーリーの予感は外れてもいなかった。
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全てが氷に覆われた不毛の地、南極。この場ではいかなる生物も生存を厳しくされ、ほんの僅かにこの地に生息している生物達は極限までその身体を極地の生活に適応させている。
ーーー残念ながら人間は極地での生活には向いていないらしい。そう感じたのもつかの間、夜は太陽フレアで飛び散った電子などの粒子が織りなす幻想的なオーロラが空を覆い、このような天体ショーが見られるのであればここに住むのも吝かでは無いなとも思わされる一幕も確かに存在する。そんな極寒の世界において、連合国合同極地探検隊は『ある物』を探していた。南極大陸の沿岸部に位置しながら複雑な地形と厳しい環境に閉ざされ未だかつて人間の手が入った事のない禁断地帯。そこに分け入って既に1ヶ月弱。ついに探検隊は『それ』を見つけた。ノイエ・カールスラントの技術省から送られてきたデータとそっくり。いや、全く同じ物体がそこにはあった。船だった。全体的な形は上部が完全に平面となっており、その左後ろには艦橋の様な物が鎮座している。この海域に入って何年経過したのかはわからないが周りを凍りに囲まれて完全に身動きすら出来ない様な状態なのは目に見て取れる。それにしても・・・
「大きいのう・・・」
カールスラント空軍から今回の連合軍合同探検隊に派遣された数少ないウィッチ、ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタイン中佐は思わずそう口にした。
全長は約300mほどあるだろうか。戦艦よりも、空母よりも遙かに大きい。形状さえ違っていれば船とはとてもじゃないが思えるサイズでは無い。ノイエ・カールスラントにてブリーフィングを受けた時はとても信じられなかった物だが、いざ実際にそれを目の当たりにすると得も知れぬ現実感が轟々と大きな音を立てて迫ってくる。ハインリーケが今まで戦ってきたどんなネウロイよりもそれは大きかった。
「姫様はこんな物は信じられぬと言っておりましたが今の感想は如何かな?」
いつの間にかハインリーケの横で、1人の男性が立っていた。アルフレッド・リッチャー。カールスラント皇帝腹心の部下で、今回の探検隊の隊長を務める男性だ。
「うむ・・・話で聞いておっただけではとても信じられぬ物だったが。いざ見てみると信じざるを得んな」
「全くです。私も長い間各地を探検してきましたがまさかこの様な物に出会うとは・・・」
そう言うと2人はもう一度目の前の巨大な物体を見返す。人間が生存する事が困難な場所に放置されていた謎のオブジェクト。ハインリーケもリッチャーもそのオブジェクトの名前が厚く氷の張った船体に隠されているとはこの時は思ってもいなかった。
ーーー氷に覆われたその船体には確かに
『JOHN・C・STENNIS』
の文字が描かれていた。
続く