「あのネウロイ共は何をやっているんだ・・・?」
リべリオン合衆国海軍遣欧艦隊に所属するバラオ級潜水艦「レッドフィッシュ」の艦橋で双眼鏡を手にネウロイの動向を観察していたルイス・D・マグレガー艦長はそう呟いた。「レッドフィッシュ」の現在地点は北海沿岸から15km地点。艦橋からはカールスラントのキールを確認できる。本来この鐵の鯨は敵国の輸送船団や戦艦・空母を魚雷による強烈な一撃により行動不能、あるいは撃沈する為の物であった。しかしその様な作戦行動はネウロイなる未知の敵により唐突に終わりを告げた。本来の敵を見失った世界各国の潜水艦はこぞって攻撃から偵察へとその任務を変更されたのだ。この「レッドフィッシュ」も漏れなくその一隻であった。ネウロイは海を渡ってはこない上、上空からの攻撃も潜水して回避する事が出来る潜水艦という艦種にとってはそれはある意味天啓ではあった。そんな中、「レッドフィッシュ」に与えられた任務は北海側からのネウロイに占領された敵地の偵察だった。偵察活動を続けて2週間、特に変わり映えの無い、黒と赤のグラデーションに見を包み、人間が育んできた文化を我が物顔で踏みにじっていく光景を見てきたルイス艦長は潜水艦内での数少ないプライベート空間である艦長室にて仮眠を取っている最中に当直のワッチ(見張り員)に叩き起こされて艦橋へと呼び出されてきた。現在「レッド
フィッシュ」は浮上航行を行い、灰色の艦橋を海面にさらけ出している。そんな艦橋
にはルイス艦長の他に5人の見張り員がいたが、どの顔も信じられないと言った表情でその光景を呆然と見つめていた。
「わかりません・・・しかしあれは・・・まるで建物を建てている様だ」
ルイス艦長の横でその光景を双眼鏡を使って眺めている副官が呟いた。彼らが目にしている光景、それはネウロイがーーーあのネウロイが建物の様な物を『建造』し始めている光景だった。場所は過去にネウロイの侵略を受け、現在も人類の手には奪還されていないカールスラントの北海沿岸地区。そんな場所で『彼ら』は一体何を作っているのか・・・「レッドフィッシュ」の艦橋上には疑問と戸惑いの念が溢れかえり渦を巻いていた。
「艦長、私は今まで様々なネウロイを見てきましたがあんなネウロイは見た事が
ありません。あれはまるで・・・文明だ」
文明ーーー人類の土地を、文化を、生命を理不尽に奪ってきた憎き敵に文明が?
馬鹿な。ルイス艦長は戸惑いながらも言った。
「あれが何を意味するのであれ、ネウロイに関する情報は全て本国へ提供する
義務がある。私達はこの情報を持ってパ・ド・カレーへと帰還する。後は科学者の
仕事だ」
ルイスの指示に戸惑いで溢れかえっていた艦橋が元々存在していた軍隊組織としての精気が蘇った。
「急速潜航!本艦はパ・ド・カレーへ帰還する!総員艦内に戻れ!」
「急速潜航、アイ!」
ルイスの指示で艦橋のみが海面に浮上していた「レッドフィッシュ」はその姿を完全に海中へと消した。ここからはパ・ド・カレーへ帰還するまでが勝負となる。上空哨戒を行っているネウロイに見つからずに帰還する・・・ルイス・D・マグレガー艦長以下「レッドフィッシュ」乗組員66名の孤独な航海が始まろうとしていた。
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青い空の下に軽快なBMW-132A1のエンジン音が響く。カールスラント軍のマーク
を翼に描いたJuー52型輸送機がガリアの北部、ドーバー海峡を望むパ・ド・カレー、
欧州連合軍最高司令部の滑走路にその銀翼を降ろした。ディジョンの506JFW基地を離陸してから4時間。辺りは日が落ちすっかり暗くなっていた。Ju-52のエンジン音が少しづつ弱まり、アイドリング状態となる。やがて機体は格納庫横のエプロンに駐機した。機体の横にあるドアが中から開けられ、機体の中から伊吹が姿を現した。辺りを見回す。駐機場の横には巨大な石造りの要塞とも城とも思わせる様な重厚な佇まいの建物
がどっしりとその場に構えていた。扶桑の建造物には見られない作り方だ。そんな事を考えていたその時、
「君がイブキ・ヒイラギかね?」
横からいきなり声を掛けられた。声がした方を見てみるとそこにはリベリオン陸軍の夏季略装を着用した男性が立っていた。がっしりとした身体に短髪の出で立ち、いかにも軍人といった様相を醸し出す男性だった。
「はい・・・貴方は?」
「私はマレー・サンディー。リベリオン陸軍中佐だ。ようこそ我がワイルドファイアへ。
歓迎するよ」
そう言うとマレーは手を差し出してきた。伊吹もその手を握り返す。
「君以外のワイルドファイア関係者はもう既にここにいる。付いてきなさい。まずは顔合わせと行こうじゃないか」
「どこに行くんですか?」
「あそこだ」
マレーが指差す方向を見ると先ほど伊吹が見上げていた建物が目に入った。あそこは兵舎
だったのか。
「では行こうか」
兵舎の方に向かって歩き出すマレーの後ろを伊吹は離れないように付いていく。
何だか兵舎自体が自分を誘いこんでいる様に思えてならなかった。
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欧州連合軍最高司令部兵舎は地下2階、地上4階建ての作りになっている。その中でも3階にある大会議室に8人の人間が集まっていた。会議室にはUの字になったテーブルが置かれており、そのテーブルの頂点に位置する場所に腰を降ろしているマレーが口を開いた。
「さて諸君、ここにいるイブキ・ヒイラギが今日この場所に到着した事で我々ワイルドファイアは本格的にその研究活動を実施することになる。さしあたってはーーーまずは全員の自己紹介からいこうじゃないか。我々はチームだ。お互いの事を知らずには協力しあう事も難しい」
「賛成だ。特にその今日来た・・・イブキ君?だっけ?その子も我々の事を知らないだろうしね」
マレーの提案に賛成を示した男性はテーブルの一番端に座っていた。金髪の髪は長い事散髪をしていないのかぼさぼさ、かけているメガネのレンズは埃だらけだったが目の輝きには一点の曇りも見られない。自分の身だしなみより実験結果を追い求める。ある意味、典型的な研究者タイプといった人間だろうか。
「じゃあまず僕から自己紹介をという事でいいかな?マレー中佐?」
マレーが頷く。
「じゃあ改めて、僕はニールス・ボーマン。バルトランド科学アカデミーからやってきた。専門は物理。特に量子力学を中心に研究している。よろしく」
周りの人間の反応からするにここに集まっている人間達は既に一度自己紹介を済ませているのだろう。最後のよろしくは自分宛ての物なのだろうか。伊吹の頭の中にその様な考えが浮かんでくる。
「では私もだな。私はモリス・ウィルキンス。ブリタニアMRC分子物理学研究所から来た。専門は生物物理学だ」
ボーマンの横に座っている男性が口を開いた。顎髭を生やしたいかにも紳士といった装いは流石はブリタニア人と言ったところだろうか。更にウィルキンスの横に座っている男性も連鎖反応の如く口を開く。
「私はアレクセイ・ぺトラチェンコ。オラーシャ科学アカデミーから来ました。元々、外科医でしたがここに誘われた時は心底驚きましたよ。どうぞよろしく」
顎まで生やしたひげ面。その熊の様な巨体に似つかわしくない丁寧な言葉づかいはある意味での個性に近い物を感じる。真面目な信頼出来る医学者の様だ。
「次は君の番の様だが?ダンチェッカー教授?」
マレーがそう言った先には禿げ頭にメガネをかけた男性が座っていた。男性はふうと息を吐くとゆっくりと口を開き始めた。
「・・・私はヴィルヘルム・ダンチェッカー。カールスラントのカイザー・ヴィルヘルム研究所から来ました。生物学が専門です」
そう言うとダンチェッカー教授は再び口を閉ざした。伊吹が周りを見渡すと誰もが困った様な顔を浮かべていた。なるほど。この人もある意味で研究者らしいという事か・・・
「あー・・・ありがとうダンチェッカー教授。次はウルスラ君。よろしく頼む」
「はい。ノイエ・カールスラント技術省研究部からこちらの部署に配属になりました、ウルスラ・ハルトマンです。階級は中尉ですがここではあまり関係無い様ですね」
マレーに促されてウルスラと名乗る女性が自己紹介を始めた。綺麗なブロンドの髪に知的さを漂わせる銀縁の眼鏡。技術者と名乗るに相応しい容貌だった。それにしても・・・女性の研究員はこのワイルドファイアに一人だけなのだろうか?
最近では女性の研究者も少なくないとは聞くがいくら何でもこの男所帯だ。女性に
必要な設備は軍の基地内であり女性職員も少なくない数が存在する連合国軍司令部
内に存在するとしても女性一人では厳しいのではないか・・・そう伊吹が感じた
その時ーーー会議室のドアがノックされた。
「入りたまえ」
マレーの声。それと同時に会議室のドアが開けられ、室内に入ってきたのは長いブラウン色の髪を肩まで伸ばした女性だった。カールスラント軍の正式な軍服を着用している。軍人か・・・?
「イブキはまだ会っていなかったな。紹介しよう。元カールスラント空軍第3戦闘航空団司令でいまは我がパ・ド・カレーに本拠地を置く501JFWの司令、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐だ」
501JFWーーーかつてネウロイに占領されていたガリアを解放し、ロマーニャ地方に出現したネウロイをも破った伝説の統合戦闘航空団ーーー世界のウィッチ事情にそこまで詳しくは無い伊吹もそれぐらいは知っていた。何度か解散しては再編を繰り返していたと聞くが今は欧州連合軍のお膝元にいたのか・・・そう考えていた伊吹の思考に水を掛けるかのように女性の柔らかい声が耳に届いた。
「初めまして。貴方が扶桑から来た研究者の方ね。噂はかねがね、そこのマレー中佐から聞いていたわ。よろしく」
ミーナと名乗る女性が手を伊吹に差し向ける。その手を握り返した伊吹はミーナの後ろにもう一人女性がいる事に気付いた。紺色の軍服を着用している。曲 がりなりにも軍隊関連の研究所で研究を行っていた伊吹にはそれが扶桑海軍の軍服である事がわかった。
「あの・・・中佐、そちらの方は?扶桑人ですか・・?」
「あぁ・・・こちらは・・・」
そうミーナが言おうとしたその時、ミーナの後ろにいた女性が一歩前に出た。女性の肩には曹長の階級章が掲げられている。そのまま伊吹の前にやってきたかと思うと腰を10度に曲げた。着帽していない際の一般的な敬礼である。女性が顔を上げるとーーー
「申し遅れました!私、扶桑海軍海軍兵学校から欧州派遣隊としてここ501統合戦闘航空団で研修・研究の元、配属されております服部静夏と申します!」
「あ、あぁ・・・よろしく」
威勢のいい声、姿勢の良さ、確かに海軍兵学校の人間だろう。普段あまりしゃべらない技術職の研究者を相手にしている伊吹には何処か新鮮に映った。
「ごめんなさいね、伊吹さん、服部さんはいつもこうなの」
と苦笑しながらミーナ中佐。その声を受けて
「そ、そんなことはありません!扶桑海軍軍人たる物、いつも臨機応変にと坂本教官が・・・」
静夏が抗議する。間に挟まれた伊吹はたまった物ではないと首を窄めるが・・・
「申し訳ないな。お二人方、今は皆の自己紹介をしてたところでね。501の面々の自己紹介はまたするとしてミーナ君は何をしにここまで?」
女性二人に挟まれていた伊吹に助け舟を出す形でマレー中佐が口を出す。伊吹はようやく抗議する静夏とそれを苦笑しながら受け流すミーナとの間から抜け出る事に成功した。
「あぁ、すみません。マレー中佐。用といっても大したことじゃないんです。最近のネウロイの出現パターンをまとめたデータが完成から持ってきたんですが・・・まさか自己紹介の途中とは思わなかった物で。お邪魔して申し訳ありません」
「あぁ、前に君達にお願いしていたデータか。いや、こちらこそすまない。また後で取りに行かせてもらうよ」
「はい。わかりました。それでは失礼します。服部さん、行きましょう」
マレー中佐の言葉に満足したようにミーナと静夏は会議室を後にした。それを見ながら
さっき自分が疑問に思った事に答えが出たような気がした。何故このワイルドファイア
に女性が一人だけ放り込まれたか。答えは簡単すぐ近くに女性だけの部隊が存在するからだ。これなら昼間は他の研究者達と意見交換をし、夜はウィッチ専用兵舎に戻ればいい。何か緊急事態が起こってもこの距離なら即座に対応できるだろう。
「さて、あらかた自己紹介は終わったわけだが・・・伊吹、君は何か我がチームに疑問などは無いかい?」
再びテーブルに付いて喋り出したマレー中佐の声に伊吹の思考回路が一瞬フリーズした。何せここに来るまではまだ4.5日しか経っていない。基本的な事項は行きの輸送機の中で読んだつもりだが根本的な疑問としてはーーー
「何故この期に及んでこの様な部隊を結成したんです・・・?」
世界中の研究者を集めネウロイの研究に当てさせるーーーその様なアイデアは今までにもあったし実際に計画が立てられた事もあった。しかし、扶桑国内で伊吹が北郷大佐に言われた様に様々な思惑や利権の関係上、それらが上手く機能しなかったというのもまた事実。しかし今回この様な部隊が組織された以上、何らかの『事情』がそこに生じたのだろう。
「・・・なるほど。イブキ君にはまだ見せていなかったな。よかろう。付いてきた
まえ」
そう言うとマレーは他の人間にしばらくここで待機するようにと言った後、会議室から出るように伊吹に促した。会議室から出た2人がやってきた先は兵舎の地下に存在する巨大な倉庫の様な場所だった。この場所に至るまで、様々な場所に小銃を携行した人員が配置され、地下に入る場所で身分証のチェックを行われるといった厳重な警戒具合だ。
「ここは・・・」
あんなに厳重な警戒具合でやってきたのはただの倉庫?伊吹の口からそんな疑問を内包した様に言葉が漏らされた。
「本来ならこの場所は通常の倉庫として使われる予定だった。・・・今は軍事機密に指定されているがね」
軍事機密ーーー今まで軍の研究所に配属されていた伊吹はある程度のインフォメーション・クリアランス(情報取り扱い資格)は持っていた。しかしーーー
「君がこのワイルドファイアに参加した時点で君のクリアランスは最高の1に認定されている。心配はいらない」
伊吹の戸惑いを打ち消すようにマレーが言う。セキュリティークリアランスは主に1、2、3が存在している。1は情報の内容または情報の収集手段が一般に開示されると国家の安全保障に著しいダメージを与える情報。2はいわゆる通常の極秘情報、3は一般公開されると、その国家に致命的なダメージを与える情報。この人類が一致団結して、未知の敵と戦わなければいけない場面においてもこの様な制度が導入されている背景には連合軍、ひいては連盟空軍が犯した不祥事などを隠ぺいする為ともネウロイ大戦後の事を見据えた国家間の取引だとも言われているが実際の所は大国間のパワーバランスの駆け引きに他ならないのだろう。今までそう考えてきた伊吹にとっては別に自分の持っているセキュリティークリアランスのレベルなどに関しては無関心だったし、気にしてもいなかった。研究職である以上は研究に必要な最小限の情報だけ見せてくれればいいーーーそう考えていたのだ。しかし
「今から君が目にする物は連合軍の中でもトップクラスの情報だ。漏洩した場合には実刑判決が下される。いいかね?」
マレーの言葉に思わず身が縮む。そんな情報を自分が目にしてもいいのかーーー?
やはりここに来るべきでは無かったか?面倒な事になってしまったのか?上にいた人たちは全員『これ』を見たのか?様々な思いが現れては消え、消えては現れる。荒れ狂う思考回路の中、伊吹が口にした言葉はたった一言だった。
「・・・はい」
伊吹の言葉を聞いてマレーは頷く。
「よろしい。では君にも見てもらうことにしよう」
マレーが倉庫に付けられた厳重な鍵を解錠し、観音開きになった鉄の扇を一気に開く。その瞬間、伊吹の眼には倉庫の中央に鎮座する『それ』が見えた。一面黒一色、普段遥か彼方空の上で魔女達を相手どっている際とは体表面に色は違う物の・・・これは確かにそうだ。有志以来、人類の前に姿を現し、その圧倒的な戦力で幾多もの命と大地を奪った憎き存在ーーー
「ネウロイ・・・」
パ・ド・カレー、欧州連合軍最高司令部の地下深くにそれは漆黒の身体を横たえていた。
「今から数年前から世界各地の戦場でこの様な原型を保ったままのネウロイの残骸
が発見されている。これはその中でも特に状態がいい物だ」
驚きと困惑、それらが入り混じり、呆然としている伊吹の横でマレーが言った。
「数年前から・・・?ネウロイは撃破されたら光の粒子状の物質になる筈じゃ・・・」
「少し前まではそう考えられていた。しかしその粒子状の物質からでもネウロイの細胞片などはごく僅かだが採取されていたんだよ。極秘裏にではあるがね」
「そんなことを何で極秘に・・・世界中の学者に知らせればネウロイの研究はもっと進んでいたかも・・・」
「君はウォーロックを知っているかね?」
ウォーロック、その言葉を聞いた瞬間、伊吹の脳裏に浮かんだのは最早、都市伝説と化している『ネウロイの技術を利用した新兵器』の噂だった。
「ウォーロックは実在したのだよ・・・結果的には失敗したのだがね。それ以来連合軍はネウロイの生物学的な研究を事実上中止してしまった。ネウロイ関連の技術は人間には手に余る物と判断されたことと各地の戦況悪化に伴う研究収支予算の削減。結局ネウロイの生物学的研究に金を掛けるより、前線の兵士や装備に金を回す・・・合理的と言えば合理的ではあるがね」
「じゃあ何故今頃またこんな部隊を作ったんです?」
伊吹がマレーに再度問いかける。その様な事情があるなら何故手間がかかる割には研究が進まないネウロイの学術研究に軍が本腰を上げ出したのか。
「1つは対ネウロイ戦争の泥沼化が原因だ。・・・イブキ、君はこの戦争はいつ、終わると思う?」
「・・・率直に言わせてもらうと終わりが見えませんね」
「その通り、戦況の泥沼化、慢性化に伴う世界経済の悪化、増え続ける難民、日々消耗される前線の兵士やウィッチ達。君に倣って率直に言おう。世界はこの戦争に疲れ果てている。世界の政治家達の中に『この状態が続くのならいっその事、ネウロイの中身や生態学的特徴を一気に調べつくしてこの状況を打破する秘策を見つけよう』そう考える者が一定数出てきたんだ」
このままネウロイの確たる正体もわからないまま延々と戦争を続けるのならネウロイの正体を解明してさっさと戦争を終わらせよう。確かに今の世界の状況を鑑みるにそう考える者が出てきても不思議では無かった。更にマレーは言葉を続けた。
「2つ目にこいつの発見だ。さっきの政治家連中の意見には一つ穴があった。それは『どの様にして、ネウロイの原型を保ったままの死体を見つけるか』ということだった。ネウロイは通常、撃破されたら光の様な粒子になると思われていたのはさっきも言った通りだが・・・ここにある物は特別だ。何故か殆ど損害が無いままその姿をとどめている。まさに、この目的に合致している。この『死体』を解剖して奴らの弱点を見つけることが出来ないか・・・各国の研究機関はそう考えた。結果的にこの部隊が設置されたという訳だ」
戦争を早く終わらせたい各国政府とネウロイの生物学的研究を行いたい各国の研究者の利害が一致した瞬間だった。後の流れは伊吹にも容易に想像が付いた。
「あー・・・なるほど。で・・・このネウロイの『死体』で何かわかった事は?ここに保管してたって事は自分たちが来る前に米軍の研究者達が多少は『弄った』んじゃないですか?」
その伊吹の言葉にマレーが口元を緩める。
「よろしい、お見せしよう」
そう言うとマレーは軍服のベルトに刺していたミリタリーナイフを取り出しネウロイの『死体』に近づいて行った。そして・・・
「いいか?イブキ、よく見ておくんだ」
その瞬間マレーは『死体』の表面に一気にナイフを振り落とした。ネウロイの『死体』の表面に吸い込まれたナイフはいともたやすくその漆黒に染まった表面を切り裂いていく
。
「どういう事だ・・・?」
その光景を見ていた伊吹が思わず漏らした声はマレーの耳にも届いていた。
「驚いたか?通常ネウロイの表面は何か損傷を受けたとしても尋常ではないスピードで回復していくと言われているが・・・こいつは全くその様な傾向が見られない。受けた傷はそのままだ。そして・・・これも見ろ」
そう言うとマレーは伊吹が立っていた場所と反対の場所に立つように指示した。
「これは・・・なんです?」
イブキが目にしたのは一角だけ完全に表面が削り取られたネウロイの言わば「内部」だった。内部のは何か球体の様な物が入っているのが見える。ネウロイの臓器・・・?伊吹が訝しげにそれを見ているとマレーの声が倉庫の中に響いた。
「イブキ、下がっていなさい」
「え?」
振り向いた伊吹は伊吹の後にいたマレーの手にM1911自動拳銃が握られている事に気付いた。
「え・・・」
伊吹が声を上げようとした瞬間、3発の銃声が倉庫内に響いた。M1911のバレルから飛び出した45口径弾は寸分違わず、ネウロイ内部の『臓器』に吸い込まれた。がーーーそれらの弾丸は『臓器』に達するとカンという大きな金属音を立てて跳ね返されてしまった。跳弾が辺りに飛び散る。
「マレー中佐!」
「大丈夫だ。倉庫内は防音だから外には聞こえていない」
「そういう問題じゃなくて・・・」
「見てみろ」
「え・・・?」
いきなりの発砲に鼓膜が一瞬機能を失った伊吹は即座にマレーに抗議しようとしたが、マレーに促された光景を見て言葉を失った。
「傷が・・・」
「そう。全く付いていない。45口径弾はおろかライフル弾や12・7ミリの重機関銃でも同じ結果だったよ」
45口径弾3発を撃ち込まれた筈のネウロイの『臓器』は弾丸を弾いたときに発生させる筈の痕跡すら残さずに悠然とその銀色の塊をその場に存在させていた。
「・・・一体こいつは何なんだ?」
「それを調べるのが我々の役目だよ」
困惑を隠しきれない伊吹とそれを見つめるマレー、2人の前には謎を秘めたままその場に佇むネウロイの『死体』。2人と1つを収めた倉庫の中はまるで魔物の住処の様な妖しい空気が漂っていた。
続く