太宰が扉を開くと、机の上に胡坐をかく江戸川とそれを囲むように探偵社の面々が既に待機していた。――その中に織田作の姿もあった。
隣でいきり立つ国木田の肩を押さえて宥めているらしい。今回の遅刻は本意ではないのだが。
「――さて、揃ったな」
江戸川が机の上から飛び降りて床に着地する。
既に眼鏡を掛けていることから、江戸川に抜かりはないらしい。
「ギルドの所有である飛行船は未だに横浜の頭上だ。そしてリーク情報と裏取りにより、ギルドの主だった異能力者のみならず、その他のメンバーも地上に降りたということが分かっている。……裏取りに動いてくれた国木田と谷崎に拍手―!」
まばらに拍手が起こる。
その中で、谷崎妹の拍手は軽やかだった。
身を寄せ合うふたりの回りだけ周りとの距離が開いた。
「いい感じの気の抜けた拍手だね。宜しい。この二人にはそれで充分というものだ。そしていちゃつくなら後にしてもらおう。――で、問題はその後だ。バラバラに行動しているギルドのメンバーの幾人かの動向を引き続き探ってもらっていた。――すると、だ。何がしか命ぜられていたような動きを見せていたギルドのメンバーたちが次々に待ち構えていた特務課に捕まえられている」
片手で眼鏡のつるを押し上げた江戸川が、俯く。
表情は見えない。その頭脳はいま常人ではありえないほど高速で情報を整理し分析し解釈し処理していることだろう。
「軍警がギルドに買収され、逮捕させたギルドの一部異能力者を解放したかと思えば、今度はどうやら特務課が手を回してギルドの鎮圧に乗り出している。それもいっそ白々しいほど
太宰の方を向き、確認を取る。
「夏梅君は攫われた――だったね?」
それに頷く。
「太宰――何があった。そして考えを聞かせてもらおう」
顔をあげると、全ての面々が太宰の方を見ていた。
その顔を順繰りにみていく。
この中で、嘗て死んだ者がいる。
赤い長髪を鎖編みで一本にしている長身の男。
そろそろ無精ひげが生え始めた嘗ての友は、再会してみれば男やもめだと聞いた。
織田作が、生きている。実際に、現実に。――記憶だけがないまま。
それが異能力によって蘇った代償なのだとしたら?
記憶を
しかし、異能力が開花して比較的短期間で宿主が没したのだとしたら?
記憶のない織田作が、何故か縁もゆかりもなさそうな瀬戸という横浜から遠く離れた土地で数年を過ごした意味は?
本当は――ずっと前からその可能性に気付いていた。
「……とある病院にいる、特務課の然る
「花屋?」
首をかしげる面々の中で、一人だけ得心がいった顔で頷く者がいた。
「ああ、見舞いの花か」
織田作の言葉に、遅れて皆が頷きあう。
「ああ、確かに」
「律儀な奴だ」
「そこがナツメくんの好いところです!」
「その時は交渉の途中だったんだが、他の捜査員が部屋に入ってきて花束を持ってきた。そこには夏梅くんのメモ紙がつけられてあった。――夏梅くんが選んだ花束だろう」
国木田が首をかしげる。
「犯人は病院で夏梅を攫ったのか? 花束が落ちてたんだろうが、だとすると花屋からは無事に戻ってきたということだろう? ペンか何かなら辺りが騒がしければ落ちたのに気づかないかもしれないが、花束を落としたままにするか?」
「病院の中で花束が落ちてたら、不自然には思うだろうねェ」
国木田の言葉に与謝野が続く。
考え込んでいた中島が、顔をあげた。
「もしかして――犯人は、夏梅君を攫ったってことを、太宰さんに知らせたかった?」
太宰は、沈黙した。
「ナツメ君をさらった犯人はギルドじゃないんですか? それだと知られるようなことしないはずじゃあありませんか?」
さらに続く宮沢の疑問には首を振った。
こきり、と首の骨が鳴った。
包帯に包まれた首筋に手を当てて答える。
「まず、攫ったのは、ギルドではない。しかし、ギルドが夏梅くんを狙っているのは間違いない。……敦君にあれほどの巨額の懸賞金を掛けられる財力を持ちながら、わざわざこの横浜まで来たのはなぜか」
この世で、大抵のことは金で解決できる。それこそ、巨額の金は暴力にも正義にも勝り得る。
そして70億もの賞金を懸けられるほどに、財力も潤沢にあるギルドが、それでも叶えられない願いを抱き、『あれ』に、そして『あれ』につながるだろう――中島敦に固執している。
「少々の額じゃない、今までの人生で関わったこともないような巨額の金を前に出されれば、大抵の望みは叶う。人の命だって買えるだろう。
「それは……………人の心か?」
太宰は口角を上げた、「――ほんとうに
気色ばむ国木田を谷崎兄妹が両方から宥める。
太宰は、その隣に立つ人物へと視線を向けないまま、告げた。
「死んだ人の、
顔をあげる面々。女医である与謝野は腕を組み、眼を閉じていた。
太宰は、それらを見渡した。
「生きている人の命は、買えてしまう。国木田君辺りはこういう話を嫌うだろうがね」
「……そういった現状があることは知っている」
国木田が理想と書かれた手帳を胸に答えた。
そこには、揺るぎない――いや揺らぎはするが決して手放そうとしない理想がある。
「しかし、ギルドの望みはそういった金で帰る代物を欲しているんじゃない。ギルドは――ギルドの長はおそらく死人をよみがえらせようとしている」
「……与太話をしているんじゃないんだよな?」
「全くもって素面で真面目だとも」
理性的な国木田は眼鏡をはずして椅子にどかりと座り込み、頭を抱えた。
黙っていた中島が、声を上げる。
「――待ってください、太宰さん。それが、どうしてギルドが夏梅君を狙うことにつながるんです?」
「いい質問だ、敦くん。それはね、ギルドが夏梅くんを狙うのは、死人をよみがえらせる異能力が夏梅くんにあると思っているからだよ」
成程つながった、と江戸川が呟く。
そうなのだ、これは――
「死人をよみがえらせる……?」
「いや待て、そんな異能力があるのか?」
中島はぎょっと目を見開き、言葉を失くす。
対して国木田が、思わずと云った顔でしかし疑い深そうに隣へ視線を向ける。
隣に立つ織田作へ目を向けるので、他の面々も皆そちらへ集中する。
――織田作は仕方なさそうに口を開く。
「夏梅の異能は、そんなものじゃない」
「だよな!」
国木田は乾いた笑い声を立てる。
周りもそれにのって強張った顔で笑う。
「夏梅の母親がその異能を持っていた」
「 ま じ か !!!!!」
渾身の叫びが国木田の喉から飛び出す。
与謝野が口元に手を当てて、顔を険しくさせる。
奇跡のような異能力であるのに、その他の総じて顔色はよくない。
いや、中島はいつもと変わらなかった。その対比が際立っていた。
与謝野が、険しい顔のまま口を開く。
「だが、夏梅の坊やは母親を亡くしているんだろう?」
「そうです、織田作さんの奥さんはもう亡くなられてて、お墓参りにも……あっ」
気を遣ったらしい中島が織田作の顔色を窺って申し訳なさそうにする。
織田作はその視線に気づいたが、意味は伝わらなかったらしく首をかしげていた。
「墓参りには行ったな」
「はいいい! すみません!」
「中島が入ってくれたから、行けたんだ。感謝している」
中島は青くなったり白くなったりと顔色を変え、頭を抱えてしまった。
収拾がつかなくなりそうになりかけて、江戸川が口を開く。
全員の目が江戸川へと注がれた。
「――ということは、僕たちのやるべきことは、ギルドの飛行船を叩いて横浜から出て行ってもらうことと、夏梅君を攫ったやつをぼこぼこにして妙な情報を流させないように口を塞ぐこと、当然として夏梅君を取り返すし、鏡花ちゃんの救出(……と裏試験)もある」
中島が一部聞き取れなかったらしく首を捻っている。
「いい感じにギルドの主戦力以外のメンバーは特務課に捕らえられている様だし、強力な異能力者が下手に暴れまわって横浜に被害を及ぼす前に、
皆が固唾をのんで言葉を待つ。
「絵画蔵から、絵画が数点減っているらしい。学芸員のみ……なんだっけ?が鬼電話してきたよ。僕が見た限り四六時中舐めるように監視しててくれたのに、いつの間に一点また一点無くなってるってもう血相変えて大慌てでさ」
「夏梅くんの引き出しからメモ紙が減ったように、ですか」
太宰が尋ねると、江戸川がキャンディーの包装を破きながら、頷いた、「まあ、同じ異能力者だろうね」
口を開いてキャンディーを入れる。そのまま話した。
「おひょらく、飛行船にはほぼ人員は残っていないでゃろう。部下たちを夏梅君の捜索に回しているてょいうことは、ギルドの長は飛行船にいるままでゃ。ギルドの戦力にもにゃらないような下っ端は既に異様に速やかに特務課によって捕らえりゃりりぇていりゅし」
「特務課ってすごいですね……」
「対異能力組織の
中島の感想に、国木田が言葉を添える。
それだけではない――
江戸川はどうやらそれに触れないらしい。
「問題は、飛行船にいるだろうギルドの長と残留者の無力化、飛行船を操作して横浜から離れたところへ移動させること、鏡花ちゃんの救出、夏梅君の回収だ。飛行船のなかであれば、隠密に長けた異能力者と共にある程度内部を突破したら、催眠
キャンディーで頬の形を変えた江戸川が眼鏡の奥から叡智に光る瞳で見回す。
「他のギルドの動きを追っても、夏梅君には辿りつかないだろう。そう情報が操作されているとみていい。飛行船は手薄になっている。けれど、ギルドの長の異能力は定かではない。だから、臨機応変に対処し得る人員を選らぶ。そのほかは、地上に降りた強力な異能力者の対処に回ってもらう。そして、夏梅君の行方を探すには――まあ、見当はついている」
「わあ! さすがです」「すごい!」「さすが乱歩さん」「さすがです!」「さすがだねェ」
口々に上がる称賛の声に、いつもは機嫌がよくなる江戸川が渋い顔をしていた。
「そこには、絵画も一緒だ」
「ええと、それっていいことじゃないですか? 一遍に取り返せます」
中島が首をかしげる。
「
謎めいた言葉に首をかしげる中で、一つの言葉が投げられた。
「夏梅より、大切な物ではない」
織田作が弄っていた鎖編みの髪を放って、ひとこと云った。
静まり返る。でも――と、細く瞳を開けた江戸川が織田作を見上げる。
「夏梅君にとっては、違うかもよ?」
振り分けられた役割に、各々が準備をしだす。
太宰は、口数少なに織田作のもとへと近づいた。
「織田作……」
「夏梅のことは心配だ。――だが、無事の筈だ」
「……どうして判る」
織田作は長い鎖編みの髪を手のひらで玩んでいた、「――それは」
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目を開けた――でも、そこは真っ暗だった。
何かが焦げつくにおいがする。
硬い靴音が聞こえた。
かかとの部分に鉄板を打ち付けてあるのは、夏梅のよく知る人の靴と同じ。
そうだ、この足音は。
「――神西先生?」
しかし、夏梅を呼んだ声は違う人の物だったように思うのだ。
それに、老医は夏梅のことを、いつも『夏梅坊ちゃん』と呼ぶのだから。
「先生、ここにいるの? ねえ、先生だよね? 先生」
無言のまま足音が近づいてくる。
「ここどこ? 真っ暗で何も見えないよ。ねえ、先生」
手探りで近づこうとしたけれども、腕も足もぴくりとも動かない。
無理やり動かそうと力を入れると、肩と親指の付け根ところが痛んだ。腕は、何かを隔てて後ろ手に回されて固定されているようだった。
「せんせい?」
夏梅の頬を何か実体のないものがぞわりと撫でた――きをつけて、と。
複数の声でもって。
改稿中