夏の梅の子ども*   作:マイロ

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倖あれかし

 握りつぶしたメモの言葉は、罪への誘惑だ。

 

 

 

 

 

 “そのうそをまもりたいか?”

 

 

 

 

 

 船舶という主要な基地を失ったギルドは、異能力と思しき飛行船を拠点に据え直した。そして、そこへ中島は捕らえられているという。海が駄目なら空ということなのだろう。そうできる用意があるということは、素直にすごいというしかない。……中島は自力で脱出するはずと太宰は云ったが、夏梅は、上空を移動する飛行船からどのように脱出できるのか、見当もつかない。太宰の期待を背負う中島に同情する一方――もしかしたら、と夏梅も期待してしまうのだった。

 

 さて――中島と鏡花がそれぞれギルドと警察の手に落ちる騒動となった襲撃事件だが、その時、船が停留していた港の倉庫は破壊され、収納されていた貨物、物品は甚大な被害を受けた。その近くには、一時保管場所として、コンテナが積まれている。

 

「この中に、ナツメくんのお母さんの絵が入っているんですかー? ぼく、芸術作品ってよくわかりませんけど、こんなに暑いところに置いたら傷んじゃったりしないんですか?」

 

 海からの潮風に麦わら帽子を片手で押さえながら、少年――宮沢はちょっと思案深げな声で、「収穫した果物や野菜なら、こんな密封した鉄の箱に入れちゃったら、一時間もしないうちにすぐ腐っちゃいますけど……」と懸念を口にする。

 

「うーんと……」

 

 麦わら帽子からはみ出た、キラキラとした金髪が太陽の光を反射する。港には日陰になるような建物はなく、強い陽光が白いアスファルトの照り返しで、目を焼く。夏梅は目を細めながら、確認をとるように隣の蒐集家(コレクター)である茨木へと視線を送った。それを受けて茨木は、夏梅へと日傘をさしていない方の手で、眼鏡の蔓の部分を押し上げて頷いた。

 

「ええ。中には、私が独自に持ち込んだ携帯型の空調機器により24時間体制で、温度・湿度を制御しているので、保存状態は完璧に近いと自負しています」

「……だって。外は暑いけど、中は結構涼しいんだよ? 絵の具も溶けたりしないんだって。そこは溝地さんが何度も確認してくれたんだー」

 

「へェ~? そんなに好い塩梅のコンテナなら、(アタシ)も入りたいぐらいだねェ。……ここは暑いったらありゃしないよ」

 

 与謝野は手持ちのレース付きの日傘を差していたが、まだ暑いらしく、空いている手で首元を仰ぎ、気怠そうに嘆く。天気は快晴。ずっと晴れ間が続いており、あの日みた長い飛行機雲は何だったのだろうと夏梅は首をかしげるばかりだ。

 

 几帳面に解説してくれる茨木の隣で、日傘も帽子もなしに、ハンカチで顔をふきふきしている男性学芸員の溝地が、しゃべるだけでも大変そうにせかせかと周囲に視線を走らせて焦燥に駆られたように、夏梅達を急かした。

 

「は、早く、移動先へと移しませんと……こ、ここに置いたら、また盗られてしまうかもしれないんでしょう? ぶ、ぶ物騒なことに中村先生の作品が巻き込まれるなんて、わわ、私の細い肝が悲鳴を上げそうですよ。は、は早くこの()たちも安全なところに連れていきましょうよ」

 

 過保護な親のように早く早くと急かす溝地は、亡き母の個展を開きたいと、瀬戸にまで再三の連絡を寄越してきた人物の一人で、熱心な母の絵画の信奉者(ファン)である。数少ない母の絵は、瀬戸の屋敷にあるもの以外の、世に出回っている作品はもともとの絶対数が少ないことも相まって、蒐集家(コレクター)間では高値で取引されているため、実物を見る機会を他の一般の市民にも――と熱意溢れる文面で何度も何度も分厚い手紙を寄越してきていたらしい。

 ……夏梅は知らなかったが。きっと父も知らなかったと思う。母は自分の絵の評価について、夏梅たちに語りはしない性質であったし。

 

 その父とは個展の打ち合わせで何度も顔を合わせているらしく、夏梅とは父の話でも盛り上がる――とはいえ、学芸員としての高い技術も持ち合わせているため、半ば押し売りのように夏梅の取り組みに参加を申し込んできていた。

 実際とても助かっている。

 蒐集家たちが、車をチャーターして運転まで都合をつけてくれても、絵の保管方法については、専門家ではなかったからだ。

 

「じゃあ、戻りましょうか。これで十五、十六、十七点目です。与謝野さん、賢治お兄さん、ありがとうございます。……それから」

 

 夏梅は振り返る。そこには協力してくれた蒐集家の茨木たちと溝地がいた。母の絵のために奔走してくれた人たちだ。夏梅は目を伏せる。

 

「皆さん――母の絵を、大切にしてくれて、有難うございます」

 

 頭を下げる、夏梅の手は震えていた。温度を感じなくなっていた夏梅の肩に、与謝野の手が、もう一方の腕には宮沢がそれぞれ寄り添い、夏梅の冷えた手を、宮沢のあたたかな手のひらが包んだ。その温度に、顔がクシャリとゆがみそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから四日――中島はまだ脱出の気配を見せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、太宰の予言染みた言葉の通り、『Q』はギルドの手に落ち、ポートマフィアの手から離れた。まさか、という言葉は誰の口から洩れたのかは定かではない。一刻も早く、事態を収拾し、対策を練らねばならない。

 

 

 

 

 

 依然として何一つとして問題が完全には解決しないまま、新しい問題ばかりが起こる。

 白々しいほどに快晴の空には、苦々しくも、異国からやって来た巨大な鯨が泳いでいる。

 

 

 

 

 

 

 行方不明であった母の絵画の回収は、佳境に入り、残すところあと三点を残して完了となる。その作業を、夏梅は担当していない。担当しているのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海沿いの歩道を行くと、売家になっている建物がある。住居と店舗が併設されており、住宅街からは離れているが、海に近いことから夏には観光客もやってきそうな立地の一軒家だ。脇には駐車場もあり、なかなかの優良物件と見えるが、未だ買手はつかないらしい。

 ……それもその筈だ。店舗のひさしは破れかぶれで、雨風に汚れるままになっている。出入り口に扉はなく、少し覗き込むだけでも、床には縁の欠けた食器やら黒く汚れた調理器具やらが散乱していた。

 

「……解っていたことだけれど、悪趣味としか云いようがない」

 

「そうか? 立地はいいと思うが」

「………」

 

 やっと口を開いたかと思えば、同行者はまた黙り込む。

 バス停から降りて、地図の通りに進んで来たが、共に行動している太宰は口数が少なく、バスの乗車中に至っては黙り込んでしまっていた。腹でも壊したのかもしれない。しかし、大の大人である太宰に便所を勧めるのは少々憚られる。当人が耐えているのなら猶更だ。……限界が来た時には、黙って送り出そうとは思うが。

 

「あと三枚か。やっとここまで来たな」

「……夏梅くんは、よくぞ一人で十七点も集めたものだよ」

 

 江戸川の推理があっても、実際に足を運んで絵画を集めるには相当な時間を要した。

 そして、江戸川が云うには、夏梅が取り戻そうと奔走したときは、妨害さえあっただろうという。それに比べれば、今まで私が太宰と共に回収してきた絵画の置き場所にはほとんど妨害や障害といったものはなかったと云えよう。

 

「そうだな。だが、協力者の力も大きかっただろう。皆、かなりの資産家だったのは驚いたが」

 どうやって調べたのかは知らないが、協力者としてリストアップされていた蒐集家(コレクター)たちの総資産の額すら資料には記載されており、それを余すところなく音読されたときは、世の中、金があるところにはあるのだなという実に平凡な感想を抱いた。

 

「主に、個人で築き上げた富だろうね。それだけに趣味に費やすこともできるのだろうが、きみの奥さんが描いた絵に傾ける情熱は大したものだよ。自宅の地下に専用の展示室を造ったり、絵のための別荘を建てたりと金も手間も惜しみなく注いでいた」

「なんというか、個性的な人物が多かったな」

「個性的で風変り。一つ共通点を挙げるとしたら、誰かに見せて自慢するというより、徹底して自分一人のためというのが共通していると云えるだろう」

 

「……なるほど」

 

 太宰の人間観察の炯眼には素直に感心させられる。

 

 夏梅が自主的に動いて保護し終わっている十七点の作品は、個展に関わる学芸員と蒐集家たちの手を借りて数か所に保管しているという。江戸川の作戦により、それらをすべて一か所に移すことになり、夏梅は探偵社の与謝野と宮沢と共に、一か所ずつ保管先から絵画を移す役割に分担されている。

 

 絵画の保管には、蒐集家の個人的な資産が投じられていたり、立ち入りが禁止されている私有地などに厳重に保護されている。その門戸を訪ねるだけでも、画家の子である夏梅本人が居なくては扉を開けもしないという偏屈な者が多いらしかった。そのため、夏梅が絵を取りに行くことは決まっており、絵の保管のために学芸員がついてくることになっていた。

 

 ――夏梅達の計画では、襲撃を懸念して、作品を数か所に分けて保存することにしていたようだが、今は武装探偵社の総力を挙げて保護するため、一か所に集めた方がよいという指針に転換した。

 

 探偵社からは、移動の際に敵の襲撃があった場合に備え、一般人である蒐集家と学芸員の安全のために与謝野が、そして重量のある絵画の移動のために、力仕事に適した宮沢が選ばれていた。襲撃により、一般人である協力者が負傷したとしても、与謝野であれば治癒することが可能だ。幾ら多く見積もっても、十二ぐらいにしか見えない夏梅は、力仕事には幼過ぎる。また与謝野も女性であるので、見た目以上に重みのある絵画の移動には、人手が必要であった。その点、数居る異能者の中でも屈指の怪力の持ち主であろう宮沢という人選は適当と云えた。

 加えて、探偵社は絵画の収集・保護だけではなく、中島と鏡花の身柄のこともある。中島は自力で脱出するということを想定して、その脱出の補助のために、なんに使うのか知らないが、スモークを大量に用意するために国木田が、そして隠密行動で準備を進めるために谷崎が、中島の脱出補助のための人員に割かれている。鏡花の段取りは、太宰が時期を見計らっている。その時が来れば与謝野も駆り出されるが今はその時ではない。そのため、絵画の収集には、国木田と谷崎以外の社員総出で奔走している。

 

 新たな絵の回収には、私と太宰が割り振られた――これは云ってしまえば消去法だろう。

 

 

 江戸川から手渡された地図には、この何の変哲もない売り物件に星印が記されており、同行している太宰の体調が優れないようであるので、太宰に代わって率先して様子を見ることにした。構造を把握するように建物の手前で全貌を眺めていたが、それ以上動こうとしない太宰を残したまま、扉のない入り口に近づく。

 

「地震にでもあったのか? だいぶ散らかっているな」

 

 扉がないためか、外からの埃と、雨風のためにできた黒い汚れが、うっすらと床に落ちている食器類を覆っている。もし現在の所有者が本当に真面目にこの物件を売りに出したいと思うのならば、最低限の掃除かリフォームはすべきだろう。それにしても、だ。

 

「どうしてこんなところに、妻の絵を持ち込んだんだ? 散らかっているだけで、本当に罠の一つも仕掛けられていないようだが」

 

 伝え聞いた妻の身の上を照らし合わせたが、縁もゆかりもなさそうな一軒家をわざわざ移動先に選んだということへの違和感が先行する。江戸川の推理だったが、なんというか、納得がいかない。……そんな疑いを持ったところで、江戸川の頭脳は本物だ。今まで外れたためしがなく、これからもそうだろう。……自分の根拠のない感覚というのはつくづくあてにならないものだ。

 

「――これ自体が罠のようなものだよ。当人よりも周りに悪意をばらまく醜悪さ。謀った奴の腹の底が見えるような悪辣な手口だ」

 

 背後で、足元の割れた皿の破片を踏み砕いた音がした。振り返ると、出入口を一歩入ったところで立ち止まった太宰がいた。その靴先へと目を落とすと、大きな血痕を踏みつけていた。

 ――床一面に広がる、血溜まり。

 そんなものがあったかと慌てて顔をあげると、黒服の影がいた。崩壊しかけた躰を繋ぎ止めるかのような包帯が各部位を覆う。いつものような痩躯の目立つ首や手首は痛々しく、加えてどんな暴虐の中にあったのか、片目までが包帯に覆われている。黒服と肩に羽織った外套が、その包帯の白を目立たせている。華奢な部類だ。だというのに、深淵を覗き込んだような瞳が、圧倒してくる――思わず生唾ととともに瞬く――と、それは陽炎のように消え失せた。当然、床には調理器具や割れた皿とその破片が散乱するばかりだ。

 

「――虫唾が走るよ」

 

 床の様相を目で追っていると、未だ入り口前で立ち止まったままの太宰が喋る。

 生暖かい白昼の光が入り口から差し込んでくるが、それは太宰の背後からは逆光になっている。目が眩んだのか、太宰の表情が視えない。

 

「太宰――?」

「悪夢を追体験させられているようだ。こうして軌跡を辿らせてご丁寧に無自覚の被害者へと無知の罰を配っているのか。裁定者にでもなったつもりか。――あの子を連れてこなくて正解だった」

 

 俯く太宰は、体の横でこぶしを震わせていた。指先は白く、物凄い力が入っている。――此れは怒りだ。筆舌にしがたい憤りに空気が震え、私に伝わってきた。誰かが、知らず太宰の逆鱗に触れてしまったのだと私は漸くそこで気づいたのだ。

 

「きみ達を翻弄しようとするのなら、愚策だったと言わざるを得ないが、私を苛立たせようとする意図だったなら、利口な手だよ」

「太宰。お前、苛立っているのか?」

 

「そりゃあもう、血管がはち切れそうなくらいだよ、織田作」

 

 我慢ならないとばかりに、太宰は喉から感情を絞り出す。

 ……これほど、感情をあらわにするところを初めて見た。

 目は怒りのためか、赤く充血している。何となく、太宰は本気で起こった時は感情を失くしたような顔になると思ったが、こんな風に起こることもできるらしい、と不謹慎にも納得した。

 太宰の充血した目が私を捉える。

 

「痛みを失ったきみの代わりに私が怒ろう。最悪だと云っていい。こんな最悪な状況が起こって善いはずがない。当事者たちは知らない。それが救いになるならば兎も角……知らないことが此れほど皮肉で、救いがないということを当人ではなく、第三者にそのように認識させてくる辺り――壊滅的に性質が悪い」

 

 あまりの感情の波動に、臆した私は欠ける言葉を失くしていたが、太宰の握りこぶしから、赤い血が一筋流れるのを見て、思わず名を呼んだ。

 

「おい太宰、()せ! どうしたんだ、急に」

「急に? 急にじゃないさ。ここに来る道中もずっと。ずっとだよ、織田作」

 

 慌てていたため、多少乱暴に太宰へと近づいた。足元で、細かい破片が砂を砕くような音を立てる。

 両手の手首を握ると、その細さにぎょっと怯む。それでも離さずにいられたのは、夏梅の方がよっぽどだったからだろう。

 しかし、何時にない――尖った犬歯がのぞくほどに顔をゆがめる太宰を、私はぼんやりと見送る。目の前にいる太宰は、いつものように砂色のコートを着ている。いつも通り、の筈だ。

 

 太宰が両手で顔を覆う。

 

「……ここで(かつ)て起こったことも、ここで今行われていることも、きみ達は知らなくていい」

 

 声が掠れていた。声が掠れるほどの、憤り、だろうか。

 両手がゆっくりと下される。そこに、先ほど見た幻影が後を引いているのか、現れた双眸は、闇より底のない色をしていた。

 

 よく研がれた小刀(ナイフ)のような言葉。思わず心配になる。その研がれた言葉の切っ先は、太宰自身に向いているように思えたからだ。そのようなことはある筈はないが。

 

「人の過去を土足で踏み荒らす。最低な連中だよ。ああ……気分が悪い」

 

 慌てて太宰を確認すると、太宰は口元を手で覆っていた。

 先ほどのバスで乗り物酔いでもしたのか、吐き気がするのかもしれない。

 

「太宰、体調が悪いのならあまり無理をするな。お前は泉鏡花の救出の交渉役もあるだろう。……絵については、云ってみれば、俺と夏梅の家庭的な事情だか」

 

 らな、と言い切る前に、「織田作」と太宰に呼ばれる。透徹した声だった。平坦な人生ではなかったと自認する私よりも、ずっと重い物を背負ってきたかのような老成した空気を漂わせることがある。織田作――この呼び方を最初にし始めたのは太宰だった。他の探偵社の面々もその呼び方で馴染み、いつしかそれが日常になっていった。

 

「……織田作。私は今きみがこの場からいなくなったら、こんな企みを謀った大本の人物へと単身で迫って自分でも何をするか判らなくなることを気に留めてもらえると嬉しいかな」

 

「それは……」

 

 視線を斜め上に遣りつつ、思案する。

 天井の染みは、雨漏りの跡と黴の繁殖によるものだ。放っておかれた人家の名残だと思えば、物悲しく詫びしい。――それは際限ない深みにはまりそうな程だ。些末なことに目を止めて感慨深くなるのは、歳のせいか。

 首を振り、太宰の言葉を咀嚼する。

 

「つまり、俺はここにいればいいってことか」

「私の目の届く範囲にいてほしいということだよ、親友」

 

 太宰の言葉に、動揺する。親しい友人だと思っていた相手から、明確に言葉にされる。それはとても唐突で、何の脈絡もない台詞に聞こえた――少なくとも私は。まるで夜の田圃の道を歩いていたら、空から血の付いた鍬が降ってきたとかそういった程度(レベル)での衝撃。しかし――その言葉を聞くことができたのは、とても幸福なことだと思う。

 だが、ここで「有難う」などと云うのは意味がないこと(ナンセンス)だ。「勿論だ、友よ」と返すことも。何故なら、互いに同じ気持ちだからだ。そして……何より、この口から出た瞬間に、その言葉の持つ力がこの世界では色褪せてしまうような気がするからだ。

 

「……そうか。お前がそう望むなら、そのようにしない道理はない」

 

 努めて当たり前といった風に、返す。言葉にしたから、言葉にされたからと云って、この関係が崩れるはずもない。非凡な年下の友人は、私のことをそこまで見做してくれている。ならば、そのように思われるに相応しい者であろうと、非才のこの身で努力するだけだった。

 

「一階にはなさそうだな。居住区画の二階だろうか。確か外に、階段があったな。……太宰、無理はするなよ」

「……その言葉をそっくりそのまま返すよ」

 

 太宰は静かに返した。

 何処にでもあるありふれた造りだからだろう、私は苦も無く階段を上り、(ドア)取っ手(ノブ)を回す。明るい外から室内に入ったからだろう。目の前が眩んだ。何度か瞬くと、暗いカーテンが取り払われたように視界が戻る。そこは――子供部屋のようだった。

 

 クレヨンが散らばり、野球ボールが転がる。木製の二段ベッドの柵の部分には、武骨なナイフが刺さっており、そこに額に納まった絵画が提げられている。

 

「………特に、罠はなさそうだな」

 

 正直拍子抜けした。もう一度用心深く辺りを見回すが、嘗ての住人である子どもたちが和気あいあいと暮らしていただろう空間に不似合いなナイフが目につくくらいだ。子供部屋の中で違和感を発揮するそのナイフだが、それよりも私にとっては、描きかけの絵であったり、使い込まれたグローブであったり、ベッドの脇の柵に塗られたクレヨンの跡であったりを見つける度に、酷いめまいを感じた。長い間換気されていないからだろうか。

 停滞した空気は、生温い。

 

「大丈夫かい、織田作。絵は見つかったのだから、このまま帰ろう。目的は果たされたのだから」

「そう、だな」

 

 太宰の云うとおりだ。私は絵を回収した太宰が先に外へ出るのに着いて行く。しかし、最後にもう一度、振り返る。

 そこにいた子どもたちは、今はどのくらい成長しているのだろうか。そう想像したとき、瞼の裏には、少年少女の姿が思い浮かび――思わず笑みが零れた。

 

 

 

 

 

 

 ――子らに倖あれかし。

 

 そう念じれば、少年少女たちはそれぞれ各々の笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 みつけたわ


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