夏の梅の子ども*   作:マイロ

27 / 67
飲んでよね。

 忙しない人込みに、夏梅は早くも疲れを感じていた。駅のホームが見えてくると、夏梅はエスカレーターの残りの段をひょいひょいと跳び登った。

 

 背中から父が咎めたが、たとえ若し夏梅が誤ってこけてもいいように後ろにいるのだから問題ないのではと思うのだ。

 

「だーいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 ホームには、並んでいる他の乗客たちが既にたくさんいた。時間には間に合ったもよう。乗客たちには、こどもも大人もお年寄りも、顔ぶれはさまざまだ。うきうきとしているのは同じで、夏梅もつられて気分が上向きだした。ここにいる人たちは、みんな知らない人だけれども、同じ電車に乗って同じ所へ行く旅をするのだ。なんだかとっても不思議に感じた。独特の空気がそこにはあった。

 知らない人たちの群れに入っていくのも、父といっしょなのでこわくない。

 

 頭にかぶった麦わら帽子を押さえて、夏梅は振り返った。

 父もちょうど上ってきたところだった。

 

 眉をさげて肩をすくめる父は、チケットを取り出した。それは緑色をしていて、特別なものなのだろう。すぐに目につく他の待ち人たちの手には、黄色いチケットがあった。

 ……緑と言えば、先ほど見かけた緑のマフラーの人もここにいるんだなあ、と思い返しながら、チケットの記載事項はだいたい覚えていたので、「あっちだよ」と夏梅はいう。

 

 

 場所が分かっているのですいすいと人を避けながら先に進む。父はついてくると思って、声はかけなかった。チケットの車両番号にあたる表示の辺りには、人はまばらだった。

 

「なんだか、ここはひと少ないね」

 

「優等客で予約しておいたからな。この車両の乗客は多くはない。客室が4つしかない。専用のラウンジがあって、ここに来る車両へは他の客たちは入れないようになっている」

 

 父は、近くのベンチを見つけ、夏梅に目線で促した、「あそこに座ろう」

 夏梅は座ったが、父は座らず、夏梅の横に荷物を置いて立ったままだ。

 胸ポケットから懐中時計を取り出して、時刻を確認する。

 

「時間はあまりないな。……ジュースぐらいなら買えるか」

 

 何がいい、と尋ねてくるので、夏梅は心のままにいやそうな顔をした。飲みたいと感じない時、食べたいと感じない時の飲食ほど苦痛なことはー……たぶんたくさんある。

 だが、いやだ。

 

「ええー、いらないよ」

 

「だが夏梅、今だいぶ疲れてきているだろう?」

 

 首をかしげてくる父が、夏梅の脚をみてくる。今ベンチに座った夏梅は、正直ここから動きたくないほどだ。少し黙って……ふへっとわらった。

 

「……ちょっと?」

 

「それは重畳。疲れを感じる前に、糖分は摂取しておかないとな。旅行の最中に倒れるなんて、夏梅も嫌だろう」

 

「やだ」

 

 いろいろな意味を込めた「やだ」だったが、父は、そうだろう、と言って頷いた。荷物を見ておいてくれと言いつつ、懐から小銭入れを取り出して自動販売機に向かう。……結局父の言うとおりになるんだ、そうなんだ。

 ふてくされた夏梅はその背中から目を離して、ベンチに置かれた旅行鞄を膝に移動させて、腕と顔を乗せた。うきうき気分がしぼんでしまう。燃費の悪い体に、ため息をつく。燃費が悪いというのか、そもそも一度にたくさんは入らないというのか。下手をしたらほぼ一日中何か飲んだり食べたりしないといけないのは、今のこの体を持ってからの悩みだった。

 

「のど渇いてないけどなー……」

 

 人のざわめきと、外からの風とが合わさって、逆に夏梅のなかは静かになった。ぼうっとしていると、唐突に、背中から黒電話の音がした。

 夏梅の背負ったリュックの中からだ。

 おなじみの着信音に、夏梅はリュックから手探りでスマホを取り出した。表示されている番号は、夏梅がつい最近見知ったものだった。

 

「もしもし――」

 

 突然のプラットホーム内での音楽。ホーム内に響き渡る音で、列車がやってくることを知らせる。言葉を途切れさせた夏梅の近くで、「やっと来るのね」と婦人の嬉しそうな声があがる。そして、人ごみの中から父が、スポーツドリンクを両手に持って帰ってくるのが見えた。

 それらの情報は勢いよくやって来た列車によって、夏梅が目を閉じたことで、捕らえられなくなる。

 

 夏梅の耳元で、同じ音が二重に響いてきた。

 列車を出迎える音楽、列車がやって来た風の音が、スマホを添えている右耳だけ重音だった。

 

『あとで会いましょう、夏梅坊ちゃん』

 

 辺りの音がやんだ、と同時に、耳元で電話の途絶えた後の音がした。

 

 ツーツーと会話が終了した事を知らせる音。知っている声の主の、一方的な言葉には、どこで会おうとかが抜けているのだが。そもそもあとっていつのことだろう。

 こういうのがあばうとっていうんだよと悩んでいると、目の前で両手にドリンクを持ったまま首をかしげる父の姿に気付いた。

 

 父があの騒音の中でも普通に動いて、やってきていたらしい。

 父は、「誰からだ?」と尋ねてきた。

 

 夏梅はスマホをリュックにしまい、差し出された飲み物を受け取りながら「間違い電話だったよ」と答えて、ペットボトルに口をつけた。甘い水分が喉を伝って、染み入ってくるようだった。これで気力が戻ってくるのだから、やっぱり父の言葉は正しいのか。なんだか、悔しい。

 時刻場所ともに曖昧な「会いましょう」宣言にうーんと悩みながら、手がふさがれないようにリュックの外ポケットにペットボトルを入れておく。父は普通に片手ずつ鞄と飲み物を手に持っている。身体能力と反射神経の差かな、とその背中を恨めしげにみた。

 

 

 

 到着した列車に人が集まった。黒光りした、いかにも強そうな外装に、夏梅や他の乗客たちは思わず歓声を上げる。強そう、なんかつよそう。

 お目当ての車両には人が少ないので順番に並べば、すぐに中へ入ることができた。

 

 他の乗客たちも通路にいたり、ラウンジを見に行ったりと、ごちゃごちゃとしている。おもおもしい外の見かけとは違い、内は木でできていて、窓の格子の彫りがとてもきれいで、人肌のようなぬくもりがあるように感じられた。

 夏梅は部屋をみつけて父に知らせる。父が引き戸になっている扉を開けて入るのに続こうとすると、夏梅はシャツを引っ張られて動きを止めた。

 

 振り向くと、そこには小さな女の子がいた。といっても、夏梅より年上だろう、五つくらいの子どもだ。

 

「おにいちゃん、これ、落としたよ!」

 

 女の子の手には、さっき仕舞ったはずのジュースのボトルがあった。リュックの脇のポケットを見ると、そこには何もなくなっていた。

 あれ、落とすかな?とちょっとだけ不思議に思いながらも、夏梅は、少女にかがんでありがとう、と目を細めてお礼を言った。

 

「どういたしまして!」

 

 女の子はにこっと笑って、両親らしき人のところへ走って戻っていった。

 夏梅は、受け取ったペットボトルを持って、父に続いて部屋に入った。

 

「どうしたんだ? 女の子の声がしたが」

「ちょっとね、落としちゃっとものを拾ってもらったんだ」

「そうか、よかったな。――これで荷物を下ろしたら、ラウンジで昼食をいただこう」

 

 夏梅の頭を撫でようと思ったのだろうが、夏梅の頭は麦わら帽子が居座っている。

 室内だと、帽子は脱ぐのかなと思って、夏梅はいそいそと背中に降ろした。そしてにっと笑顔になる。

 

「お昼ごはん楽しみー!」

 

 お腹はすいていなかったが、ちらりとみえた食事処はとてもきれいで、早く行ってみたかった。夏梅は父の荷物の傍にリュックと、寝台の上に置かれたペットボトルに手に持っていた自分のものを置く。冷たいものを持っていた手に、息を吹きかける。あー、冷たい。

 

 荷ほどきのために、屈んだ父の小脇から、バイブが振動する。ぶるぶると震える音がするのは夏梅のリュックの中からだ。

 

 父のほうが近くだったので、父が夏梅のリュックでなっているスマホを取り出した。父は画面を見て、肩をすくめた。

 

「メール、だれから?」

 

 電話番号で送られてくるメールの着信はバイブ設定にしている夏梅は、父に聞いた。

 

「ただの広告だな」

「ふうん? ………みーせて」

 

 荷物の整理をしている父の傍でぼうっとしているのも暇なので、スマホを受け取って、壁に寄りかかり、迷惑メールとして処理しようとした。

 しかし、その電話番号はさきほどの着信と同じものだった。

 

 なんか怪しげだなあと思いつつ、父をしり目に、その広告メールをタップすると、携帯会社の長い広告文の下に、用件が書かれてあった。

 

『展望車で落ち合いましょう Dより』

 

 画面に表示されるのはメールの一部だけだったので、父は気づかなかったのだろう。

 別に知らないわけではないし、『D』などと書かなくても、夏梅は分かるのにと思ったが。

 

 これから昼食だったんだけどなあと夏梅は悩む。時間がかかれていないので、きっと今ということなのだろう。この人物の言葉はちゃんと聞くようにと言われていた夏梅は、仕方なく父に言う。

 

「おとうさん、ちょっと探検してきていい?」

「荷物はまだすこし時間がかかるから、暇なら行ってきていいが。――その前に、もう一回飲み物を飲んでおけ」

「はあーい……」

 

 夏梅が自分が置いたと思ったペットボトルのキャップを開くと、がりっとプラスチック音がした。あれ?と首をひねる。

 未開封を開けた音がした――ということは父の分だ。確か夏梅の記憶では、こっちに置いたのが一口飲んだ夏梅の分だと思ったのだが。

 

「おとうさん、まちがえておとうさんのほう開けちゃった」

「どちらでもいい。もともとどっちもお前が飲めるように買ってきたものだからな」

 

 確かに父は、わざわざ塩分と糖分を摂取する飲み物は普段自分には買わない。

 

「えー、でもおとうさんのぶんだし」

 

 父は頓着せずに、荷物を出して整理している。言葉はほんとうで、夏梅がいつも飲み切れなかった分は、父が代わりに飲んでいた。昔は気にしていなかった夏梅だが、学校で回し飲みを二谷にとがめられてから、気をつけるようにしていたのでひとまず躊躇して悩む。

 

「うーん……あ!」

 

 夏梅は、室内に、コップがあるのを見つけた。

 

「ぼくがお父さんの入れてあげる! ちょっと待ってて」

 

 備え付けのコップ二つのうち一つに飲み物を入れた。整理の手を止めた父に、コップを手渡す、「……ありがとう」

 

「ちゃんと飲んでよね! じゃ、ぼくは外を探検しに行くから!」

「すぐに戻るんだぞ」

「わかってるー!たぶんね!」

 

 夏梅はスマホとペットボトルを片手に部屋を飛び出した。

 さて、展望車とは何でどこにあるのだろう。

 

 夏梅はすぐに乗務員に声を掛けられ、展望車がどこにあるかを教えてもらった。

 最後尾にあるというそこへは、車両を一つ隔てているのみ。

 すぐとはいかないまでもまあ戻ってこられるだろうと考え、にぎやかな列車の中を突っ切っていくと、展望車に当たる最後尾につく。展望デッキへ出ようと取っ手に手をかけた。

 

「『申し訳ありません、お客様。ここは危ないので、出てはなりません』」

「あ、ごめんなさ……うん?」

 

 聞き知った声に、夏梅は振り返った。

 そして、夏梅は顔をほころばせた。

 

「あ、先生(、、)――」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。