夏の梅の子ども*   作:マイロ

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なかなか展開が進まない……。



空き部屋か。

「他の乗客たちはどうしているか分かるか?」

「ほかの……ほかのひとたちが、どうかしたの?」

 

 話題が突拍子もなく感じたのか、怪訝そうな目がこちらを向く。

 この様子では知らないようだ。あれから黄色い物体が破裂することはなかったのか……。

 

「夏梅は知らないか? 彼方此方であの黄色い物体が爆発していたようなんだが」

「ばくはつ……あんまり気にしてなかったかな。緑のマフラーの、ああ、ええと梶井のお兄さんを静かにしてもらうのにおはなししてたから」

 

 首を傾げずにはいられなかった。

 

 梶井が何者かにやられていたとはいえ、完全にこの爆発の件に関しての犯人ではないとは云い切れない。夏梅は梶井がポートマフィアの一員であるという情報を知らなかった。知らされていなかった。だからこそ、倒れている梶井も共に運んで介抱したのだろう。

 

 ……今更ながら思い至る。夏梅の様子があまりにも自然だったので、思いもよらなかった。梶井の目が覚めた時、夏梅に危害を加える可能性は決して低くはなかった、ということに。

 

 しかし、夏梅は静かにしてもらうように話をしていたという。つまり、それほど険悪な態度ではなかったのかもしれない。それに、あの傷だ。暴れるにしてもそれほど大したことは出来ないはずだ。右手を負傷しているとはいえ、無手の夏梅の強さはそれなりのもの。武闘派の異能力者でも、身体の基礎がしっかりしていない者には、まず負けることはない……と夏梅の師範が云っていた。

 

「梶井が騒いだのか?」

 

 夏梅が頷いた。どういう騒ぎをしたのか。

 さも当然といった体で語る次の言葉に気をとられた。

 

「みんなだってねてるでしょう?」

「そう、なのか?」

 

 妙に静かだとは思っていた。

 だがまだ夕刻にもなっていない。

 

 時間を意識して、やるべきこと(ルーチンワーク)を思い出す。

 荷物の中から、夏梅の補助食を取り出して手渡す。慣れたようにびりびりと包装を破いて、砕いた大豆と乾燥した果実を固めたスティック状の食料を口にする。こちらにいらないかと訊いてくる夏梅に、首を振って断る。夏梅の言う通り、今日は寝てばかりだ。全く空腹を感じない。

 この列車に乗ってから、起きている時間の方が少ない気がする。

 

「他の人がねてるときはしずかにしないといけないってせんせいがいってた」

 

 それはその通りだ。夏梅の教師は間違っていない。

 保健室の先生にでも云われた言葉だろうか。

 

「そうだな」

 

 気になっていたことを確認した。

 

「乗客は眠っているのか?」

「――ちがうの? おとうさんもお兄さんもねむってたよ」

「それは……」

 

 いや、しかし……そうか。

 夏梅は実際に他の上客たちの様子を目で見たわけではないようだが、そう外れてはいないのかもしれない。

 

「あの瓦斯(ガス)は、催眠性のものか」

 

 夏梅に被害がないのは、織田作が銃を撃って窓を割ったあとにこの客室から出たからだ。

 しかし、あの少女はどうなる? うまく逃げたのだろうか?

 あの黄色い爆発物を持っていたのは、梶井の物だったのだろうが。

 

「夏梅、あの黄色い……物体は、梶井からもらったものか」

「うーん……うん。そう、だよ」

 

 歯切れが悪い。

 

「知らない人――でなくとも、よく知らない相手から、物をもらってはいけない。分かるか?」

 

 夏梅曰く、梶井はバスで同乗していた顔見知りということになっているので、補足する。

 夏梅は素直に頷いた。

 

「もらっちゃだめ」

「そうだ」

「………うんと…」

 

 伏せ気味の瞳がゆらゆらと揺れていた。

 何か言いたげな、あるいは言いたいけれども憚られるといった表情だ。

 何を言われても驚かない。そう心に決めて促した。

 

「どうした」

「それってこれからだよね?」

 

 今、云ったのでこれからのことで間違いないだろう。頷く。

 

「そうだ」

 

 夏梅は顔をあげた。

 

「じゃあだいじょうぶだ。……それで、おとうさん。これ『さっき』もらったんだけど」

 

『さっき』であれば、今の織田作の言葉の範疇にない。

 動揺して言葉に詰まったが、とりあえず先を促す。

 

「一応、聞こう。……誰にだ」

「梶井のお兄さん」

 

 爆発物を渡された人間から、再び物を受け取ったのか……。

 殺意の垣間見える贈り物を渡してきたはじめとは違い、同じ相手に怪我の手当てするくらいには立ち位置に変化があったのかもしれないが。受け取るだろうか……?

 しかし我が子は受け取った。それが問題――いや、事実だ。

 

「聞こう。……これはなんだ」

 

 目の前に映るものが、信じられなくて我が子に再度尋ねた。

 

「おまもり。……はじめはもっと『ちがう』ものだっていってたきがするけど、そういうならそうなんだなって」

 

「そうか」

「そうだよ」

 

 それは、はじめに破裂したあの黄色い物体と寸分変わらないものに、織田作の目には映った。

 しかし、こうしてあの時のようには破裂していない。異能力も、それがすぐに危険を及ぼすものではないことを教えている。

 織田作は静かに考えた。

 

「だめだった?」

「……いいや。それなら、しかたないな」

 

 こちらを伺ってくる夏梅の頭を手のひらでかき混ぜるように撫でた。

 窓の外の風景は横に流れていくが、きちんと見えた。速度はゆっくりになっているらしい。とはいえ、飛び降りて無事に脱出できるほどではない。

 

「他の乗客たちが心配だ。様子を見に行こう」

 

 連れ立って外に出ると、そこは無人であるかのように静かだったが、人の気配はいつくかした。眠っているという夏梅の言葉は正しいのだろう。死人であれば、気配はないのだから。

 すぐ右の部屋は気配が感じられない。まずその部屋を見ることにした。

 

「御免ください。誰か居られませんか」

 

 問いかけながら、拳銃に指をかける。我ながら、物騒だなと思う。

 そこから返事が来ないのは知っていた。後ろに夏梅を下がらせて、拳銃を片手に持って引き戸を開ける。そこに、半ば予想していた惨状はなかった。

 

「いない……空き部屋か」

 

 拍子抜けする。いや、不謹慎だった。

 人が死んでいないことに、まず安心した。眠っている間に隣室で殺人が起こっているなど……想像したくない。

 

 夏梅を連れ立って他の部屋も順次見ていく。

 

 結果は、無人あるいは昏倒している乗客たちがいるのみだった。

 先頭車両に近い方、右隣の部屋は無人だった。人が入った形跡もなく、おそらく予約時に空きがあった客室なのだろう。三、四室は空いていたはずだ。太宰に勧めたのを覚えている。太宰がこの件に巻き込まれずに済んだのは幸いだ。……この場にいたのなら、と考えてしまうけれども。

 思いのほか、あの年下の友人に頼っていたらしいと気づかされる。横浜へ戻った時には、酒でも差し入れよう。

 

 左隣の部屋には、昏倒している乗客が、静かに床に倒れていた。

 ただ、状況が悪い方へ傾いているのを知らしめるのはそれ以外の客室で、そこに滞在していた形跡があるのに無人の部屋があったこと。それらの部屋には、何かが爆発してそれに巻き込まれたのか寝具や内装の焦げ付きや……血の飛び散ったあとがもれなくあった。

 

 爆発で混乱して荷物などが落ちているほかには、爪痕も靴の踏み荒らされた後もない。中の乗客たちは抵抗なく移動した、あるいはさせられた。

 

「計画的なもの、なのか」

 

 寝台の下を覗き込んでいた夏梅が、腕を伸ばして何かを掴んで顔をあげた。

 

「くつ、かたほうだけ落ちてるね」

 

 子どもの小さな靴だった。紐のところに少なくない血が付着している。少なくともこの子どもは移動させられた、ということだ。

 親が傍にいただろうから、怪我をした子どもを抱えて移動したのかもしれない。だが、どこへ向かったのか。

 

 黄色い凶器が猛威を振るった宿泊室には、乗客の姿は全く見えない。

 

 はじめの突発的な爆発の件は、梶井以外にありえない。

 だが、負傷した乗客を移動させたのは、梶井ではありえない。

 ボマーとしてその名が通っている梶井が、周りの被害を気にするという側面があるとは考えにくい。なにより、梶井自身は半死の目に合い、おそらく現在は逃亡を……。

 

「梶井の計画を、第三者が妨害しているのだとして……梶井は諦めたのか?」

 

 夏梅、と呼び寄せると、黒目がちの瞳をこちらへ寄越してきた。

 

「梶井が起きた時、夏梅は外に出ていたな」

 

 頷く夏梅に、さらに問いかける。

 

「梶井は、自分から外へ出ていったのか」

「うん。けがしてるよって云ったのに、行っちゃった」

 

 逃亡したのか。

 無防備だった織田作と、夏梅は見逃されたのだろうか。

 

「……どこに向かったか分かるか」

「そとだよ」

 

 夏梅は、窓の外を指さした。

 

「電車と電車のあいだのせまいところがあるでしょ。そこの窓にきいろいのをおいてばーんてして、そこからそとに出ちゃった。屋根のうえを歩くおとが聞こえたよ」

 

 正面突破ではなく、自ら抜け道を作って移動することから、ここは既に梶井の手中から外れた状態にあるのだと確信が持てた。

 

 しかし、屋根の上を移動していたことから、そのまま外へ身を投げ出して脱出したのではなさそうだった。車両と車両の間に足を掛けて、出来るだけ低い位置から草むらやら池やらに飛び降りるのが、最も衝撃を減らす方法だからだ。

 

 再起不能に追い込んだ人物を恐れてか、あるいはガスのことを避けて外から移動しているか。

 

 そうであれば、この列車で起きていることは、やはりあのガスマスクの人物が手綱を握っているのだろうか。

 

「とりあえず……夏梅はさっき受け取った物を渡すんだ」

「おいてきたよ?」

「……どこに」

「ねるへや」

 

 沈黙した末、まあいいか、とそれほど威力の強くない凶器が隣室に昏倒する乗客まで巻き込む暴発はないだろうと見当をつける。

 

 目下の悩みは、この列車で起こっている状況が一筋縄ではいかないらしいこと、だ。

 

 ガスマスクの人物の単独……あるいは、あの少女も一派なのかもしれない。悪名高い梶井の背後をとって無事だったのだ。なんらかの異能力を持っているのかもしれない。いくらその外見が、普通の少女に見えたとしても、だ。

 

 だが、この介入者の意図が分からない。

 

 もしかすれば、ポートマフィアである梶井の犯行を妨害する何者かの存在であり、その人物がこの一連の流れを左右しているのかもしれない。

 善い方向に、だろうか。殺傷性のないガスを用いていたとはいえ、それだけではまだ分からない。

 

 梶井と夏梅とは何があったのか知らないが、和解したのか。

 半死の目にあわされて、逆上、という線も捨てきれない。

 

瓦斯(ガス)、か。厄介だな」

 

 目的のわからない介入者について。偶然、梶井の犯行に巻き込まれたとは思えない。人相を徹底的に隠す変装に、何より、ガスマスクとガスを両方用意しているなど、これから何かしでかそうと計画していたと見るのが妥当だ。

 ガスマスクだけ、あるいはガスだけならば、多少おかしくとも他に考えはあるが。

 

 我が子の欠けてしまった指を視界に入れながら考えていると、我が子が振り仰いだ。

 

「おとうさん、にもつ取ってきていい?」

 

 夏梅の願いに、一も二もなく頷いた。


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