夏の梅の子ども*   作:マイロ

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 幕間 とある新人のための長い一日
おんなじだね。


「こいつを選んだお前自身を恨むんだな」

 

 

 その言葉は白髪の少年に向けられていたものだったが、妙に夏梅の耳に残った。

 

 

 

❂❂❂ ❂❂❂

 

 

 騒がしい彼らの中心にいるのが、中島敦だ。項垂れているので顔が見えない。その代り、中島敦の特徴的な髪色がよく見えた。

 若白髪ってやつだろうか、と大叔父の霜が降りたような白頭と見比べる。年を取らずとも、白い髪の人はいるらしい。それで、それは生まれた時から、白いのだろうか。

 

 大叔父の袖をつかんで、横からそれを眺めていた。

 夏梅は大叔父のように白くもないし、父のように赤くもない。わずかな記憶にしかない、母のような純粋な黒でもない。

 

 夏梅は、ドアが閉まるまで、彼等の後姿を見送る。音を立ててドアは閉まる。

 賑やかな彼らが去っていくと、探偵社はとても静かになった。

 閉じきられたドアは、音を外へと追い出し、静寂を中へと連れ込んできたのかもしれない。さて、では音はいったい外のどこへ行ったのだろう。静けさはドアの前で待っていたのだろうか。

 そう上の空で想像しながら、夏梅の手は不満そうに和装の袖をぎゅうと引っ張っていた。

 大叔父は反対側の掴まれていない方の袖で夏梅を隠すようにして、入ってきた風から守った。

 

「……おんなじだね、まっしろ」

 

 騒がしく出て行った彼らの、中心にいた白髪の少年の頭を思い出しながらつぶやく。

 不服そうに袖を引っ張ったり、握ったりする夏梅を、大叔父は見下ろすだけで、つぶやきに応えることはない。応えを期待したわけでもなかった。

 ただ、黙って聞いてくれて、そばにいるだけでよかった。

 

(髪のいろ、ぼくもまっしろ、なるかなあ)

 

 父の赤い髪のなかに、白い髪の筋を見つけたことがある。夏梅はもの珍しくて宝物を見つけたみたいに教えてあげた。

 父は声をあげて驚くと、俺も年を取ったものだ、と白い髪を抓む夏梅の手をとってきた。こんなに大きくなるんだからな、としみじみ手を見ながら言っていたけれど、自分の手を見下ろしながらも夏梅は、三歳なんだけどなと思っていた。

 そのときのことだ。夏梅が、どうして白いのと言ったら、年を取ると白くなるんだよって。若い人もときどきいるけどねって。そう聞いたのだ。

 父がいれば、「あれが若いひとの白い髪?」とさっきの場で話すことができただろうけれど。

 

「――社長、すみません。今宜しいですか」

 

 遠慮がちに事務の春野がやってきて、大叔父に見てもらいたい資料があることを口頭で伝える。そのやり取りを聞いて、大叔父の和装の袖から手を離した。

 大叔父と春野が部屋を出ていくようだ。控えめに目礼を寄越す春野に、にこりと顎を引いて応えた。そしてひそひそと声を潜めて話すのをちょっと目を伏せて聞いていた。傍から大叔父の気配が遠ざかる。そして、ぱたん、と事務所内の別のドアが開けられて閉まる音がした。以前お話されていた件で……ええ、そうです……それで、安井刑事から連絡がありまして……あ、いいえ………なんでも新たな情報が手に入ったとのことで……ええ、一度社長にも見ていただきたいと。それで……と、仕事の話をする春野の言葉は、夏梅の耳には通り過ぎる。

 頭に入らない、遠ざかっていく話し声もぷつりと届いてこなくなる。

 

 夏梅は――ドアが閉まる音は好きじゃない。夏梅を温かなところからひとりだけ締め出すみたいで。誰もいない家に帰るとき、誰もいない家を出るとき。誰も迎えてくれないし、誰も背中を見てくれない。

 

 ふすーと鼻から息を吐くと、くるりと閉まったばかりのドアに背を向ける。

 

……なんだかとてもつまらない。つまらないけれども、やることは毎日あって、それを毎回熟すのだ。この繰り返し。終わりは見えない。けれども、夏梅がすることは決まっている。そこに父がいるのなら。

 

(今日は、乱歩さんのお供かあ……)

 

 その父も、今この場にはいないわけであるが。

 

 かたん、と席に座ると、静けさがしみじみと感じられた。ああ、静かだ。とても静かだ。さて、どうしよう?

 あまりにも静かなので、夏梅はわざとため息をついて音を立てた。それでもやっぱり静かだった。カタカタとパソコンが鳴る音が、奥の事務室から聞こえてくるくらいには。

 そこには事務員が詰めている。夏梅は、このだだっ広い部屋に今はひとりきり。午後から用事があるので、合格した新人の少年を迎える彼らについて下に降りるわけにもいかない。やることがあるのだ。あと少しで完了するのだけれども……なんだか、やる気がでない。

 席に座ったまましばらくぼんやりとしていると、ドアが開いた。瞬いてそちらを向くと、先ほどの春野が盆を片手に入ってくるところだった。そうして、部屋に唯一人いる夏梅の席まで来ると、柔らかい笑顔で、緑茶の入った湯呑を机の端に置いてくれた。

 さらに、橙色の茶請けの和菓子をのせた漆塗りの皿がそばに置かれた。夏梅はきょとりと目を瞬かせてそれを見やる。

 漆塗りのさらには橙色の和菓子のそばに、朱色の串が添えられている。竹を割って細くした串の先端はふたつに別れている。夏梅はそれを見て、絵本でデフォルメされている蛇の細長い、真っ赤な舌を思い浮かべた。

 

「社長が頂き物のおすそ分けだそうですよ。夏梅君、頑張っているからって」

「大叔父さんが……?」

「ええ。お茶が熱いうちにどうぞ」

 

 にこりと微笑む春野に、夏梅は開いた口をどう動かそうかと迷った末、自然と下がった眉につられるように唇がゆるんだ。

 

「ありがとう、ございます」

 

 ふふふ、と柔らかく笑って、春野は事務室へと戻って行った。

 

 使い慣れない、和菓子用の短い竹串を持つ。父は、いつも怪我をしないように、とプラスチックの先端のとがっていない小さなスプーンを出してくれる。外に出れば、見掛けにあった対応をされる。だから、夏梅は背伸びをしてでもがんばらないと、と思うのだ。

 がんばりたい、と思えることだってきっと大事なことだと夏梅は思った。

 ちょっとがんばって、笑顔を作ってみる。何も面白いことなどないけれど、そうしたい気分だった。

 しかし、あまりうまくいかない。頬が強張っていた。あまり表情を動かしていないような……。それで夏梅はああ、と気づく。

 落ち込んでいたのだ、夏梅は。

 わらっていても、笑っていない。

 

 理由は分かっていて、でも分からないふりをする。分かっていて、それに気づいてしまうのはもっと悲しくなる予感がした。

 

「……おいしそうー」

 

 努めて軽く小声で口に出してみる。よし、大丈夫そう。がんばった、がんばった。

 褒めてくれる父も大叔父もいないので、夏梅は自分で褒めてみた。

 目の前にはきれいな和菓子がある。

 甘いものを食べて自分を甘やかそう、と思った。こうしてちょうど良いタイミングでおいしそうなお菓子がもらえたわけであるし。

 

 気合い、とばかりに和菓子を口にして茶を飲み、はふうと一息を吐いてから、夏梅は自分のやることにかかった――といっても大してあるわけではない。

 

 茶を飲みながら隣室で待機していた大叔父の傍らでこつこつと作っていた新入社員向けの書類を、確認するだけ。全てあるか、抜けがないかを五回通り確認すると、封筒の中に入れた。

 もうやることなかったかなと自分の机のメモを見て、ああと思い出す。

 伝えなくてはならないことがあるのだ。勤務形態と報酬について。固定休日の希望については本人に記載してもらうとして、どうやらお金を持っていないようなので、はじめは日払い方式にするか、前払いにするかを聞こう。

 

 午前中の今のところ、新しい依頼は入って来ていない。

 細かな労働条件については、明日にでも尋ねよう。

 

 

 

 書類の入った封筒を中島敦の席になる机において、メモをはる。

 メモには入金方法についての希望についてを問う内容がある。書き慣れない文字を鉛筆で書いた後、ボールペンで清書して、消しゴムで鉛筆の跡を消す。

 夏梅のつかっているメモは、赤い梅が四つ角に描かれている。何とか読める黒い文字と赤い花びらのバランスがなかなか良いのではないかとちょっと自画自賛してみる。

 しかし、それも中村敦がこれを見た時の反応を想像するまでで、はたと気づいて手を止めた。

 いつもならば、このメモ用紙を使うだけで、夏梅からの伝言だと分かるのだけれども、入社したての彼には誰からのものか分からないだろう。

 名前と入社祝いの言葉を添えた。

 メモのバランスはちょっと崩れた。今度はもっと上手くしよう。肩をすくめて反省すると、そのまま席に戻って鞄をとって肩にかけた。

 

 午前中の夏梅の用事はこれで終わりだ。

 昼休憩に入る事務の人に挨拶をして、先に失礼する。

 

 壁に手をつけて、廊下を歩き階段のところまでつくと、夏梅くんと声をかけられた。

 

 顔をあげると、いつかのように首や腕にも包帯を巻き付けた人物が人の良さそうな笑みを浮かべて片手をあげていた。

 中島敦の方へ他のみんなと行ったのかと思っていた。

 相変わらず、周りに人がいないときに話しかけてくるのだなと思いながら、一瞬でこわばった手を壁から離して近づいた。

 

「……どうしたんですか」

「今朝言ったろう? あとで話そうって」

 

 そんなことを電話先で、この人物がいっていたのは憶えている。寝ていたところをたたき起こしてきたあの着信音を、夏梅はちょっと恨んだので。憶えているとも。

 でも、約束をしたこの人物が中島敦という少年の方へと行ったと思ったものだから、あれはなかったことになったのではと考えていた。

 

 彼は素直と夏梅のことを称していた。

 けれども、たぶん、そんなことはないと思う。

 

 学生鞄の肩掛けの部分を、体の前で握りしめる。

 

「じかん、ないし……」

 

 目を逸らしてそういうと、太宰は肩をすくめた。

 

「そうだろうか、きみはこれから学校へ行くんだろう?」

 

 一拍遅れて首を捻った。自分が何か先に告げただろうかと疑問に思った。

 太宰は、大仰に腕を組み、人差し指を一つ立て、ぱちりと片目をつぶってくる。芝居がかった仕草が、役者のようだ。

 太宰の口から流暢に根拠が次々と挙げられる。

 

「制服はいつも通りだけど、休日は持ってこない学校指定の鞄を持ってる。中身を重そうにしていることから、これから学校で何がしかの用事がある。休日に制服で鞄を持って登校するっていうのは、まあ自主学習か追試か補講くらいだね。でも、テスト週間だから追試はないだろうし、きみってあまり勉強に真面目って感じじゃないから、先生が心配して時間を作った補講かな」

 

 言い当てられて、びっくりしていると太宰は更に言った。

 

「補講は午後からで、時間はそんなにかからないんだろう、一、二時間くらいかな。お昼時すぐに補講を始めることはないだろうから、十三時くらいがはじまりなんじゃないかい?」

 

「お昼の二時からだよ」

 

 ちがう部分を訂正するために言うと、太宰はほうほうという顔をして顎に指をかけ、目をきらりと光らせる。

 

「おや、じゃあ時間はまだあるねえ?」

「……。……あっ………え……えーとぉ……」

 

 ぐぐう、と言葉に詰まる。夏梅はこの流れで首を縦に振るしかできない。

 首を垂れるようにひとつ頷く。顎を引いたとき、自分のつま先が見えた。こうして頭を下げると、自分が負けてしまったような気持ちになる。いやだなあ、と思いながら厭々下げるときもあるけれど――今は、こうして頭を下げてしまったことで、ほっとした。どうしてだろう。断ろうと思っていたのに。しかたなく頷いただけなのに。

 そう思いながら、ほらやっぱり自分は素直ではないのだとちょっと情けなく、眉がハの字になった。

 


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