今回は祖父母の話となります!
始業式の次の日、俺と母さんは市内まで出てきていた。
始業式は週末に行われた為、土日休みをはさむことになる。
こんなことなら、月曜日から始めればいいのにと悪態をつきながら俺は母さんと市内から電車に乗り換え、郊外の一件の旅館に着く。
「ここが、じいちゃん達の友達の美奈子さんの住む家?」
「そうよ。お母さんも小さい頃、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて来てたの。」
そこまで大きくはないが、自然に囲まれ、和風な景観の美しい旅館だった。
涼しい風が俺の頬を撫でていく。
俺達が何故ここに来たのかと言うと······
────昨日の夕方、母さんが買い物から帰ってきて、俺の部屋を訪れた。
コンコンというノックが響き、母さんの声が聞こえる。
「律人? 帰ってる?」
「うん、どうしたの?」
母さんが扉を開け、話し出す。
「今日、おじいちゃんのお友達から電話があってね、明日暇なら家に来なさいって、律人も一緒に。」
「誰? 俺の知ってる人?」
「本郷美奈子さんていう人なんだけど、知らないわよね?」
まさかその名前が出てくるとは思わなかった。
本郷という名字は知らないが、名前には聞き覚えがあった。
「知ってる。じいちゃんの許嫁だった人でしょ? じいちゃんから聞いたことがある。」
「あら、知ってたのね。その美奈子さんがおいでって。」
じいちゃんが死ぬ前に聞いた話。
許嫁だった美奈子さんはじいちゃんがばあちゃんの事が好きだということに気づき、二人の仲を取り持った。
その時に、美奈子さんが言った言葉はすごく心に残っているから覚えている。
一度会って、話してみたいと思っていた。
葬式にも来てたみたいだけど、あの時は話しかける余裕なんてなかったからな······
「分かった。行くよ。」
────『ゆきや』と書かれた旅館の暖簾をくぐると、美奈子さんが待っていた。母さんが先ほど連絡していたからだろう。
「待ってたわ、涼子ちゃん、律人君。」
着物に身を包んだ美奈子さんは、50代後半とは思えないほどの綺麗だった。
この人ほんとにもうすぐ60なのか······?
凛とした佇まい、柔らかく刻まれた目尻のシワ、優しい瞳。
若い頃はこの人もものすごくモテたんだろうな······
「こんにちは、美奈子さん!」
「初めまして、一ノ瀬律人です。」
俺は母さんに続いて挨拶をする。
美奈子さんは柔らかく微笑み返し、上がるように促す。
内装も綺麗に掃除が行き届いており、塵一つない。
大きな旅館ではないが、隅々まで手が行き届いていて、品がある。
「美奈子さん、お仕事は大丈夫なんですか?」
母さんがそう尋ねる。俺もそれは気になっていた。
わざわざ仕事を止めてまでとなれば、申し訳なさすぎる。
美奈子さんはふふっと微笑みながら話す。
「大丈夫よ。ウチはそんなに大きなお店じゃないけェ。それに、今は娘夫婦が切り盛りしてくれているわ。」
「へぇー! 美咲ちゃんが? 元気してますか?」
「元気よ。今じゃウチの女将じゃけェ。」
美咲? 誰?
聞き覚えのない名前に首を傾げていると、美奈子さんが説明してくれる。
「美咲は、ウチの娘なんよ。涼子ちゃんの一つ下の。」
母さんの幼なじみか。
母さんは「懐かしいなぁ」と楽しそうに笑う。
廊下を少し歩き、一つの部屋に通される。
「ここで待っとってくれる? お茶持ってくるけェ。」
そう言って美奈子さんは部屋を出る。
「懐かしいな······母さん、小さい頃はここでよく美咲ちゃんと遊んでたの。」
母さんは不意に話し出す。
「あの頃の私にとってはこの六畳の空間がかけがえのない時間だった。」
母さんは元々身体が弱かったから、小さい頃はほとんど外で遊べなかったと、ばあちゃんから聞いたことがある。
外を眺めながら母さんは呟く。
俺はその光景がなんだか悪い予感を感じさせた。
「母さん······?」
俺の言葉は虚空に消え、代わりに襖が開く。
「懐かしいかい? 涼子ちゃん。」
「はい。とても。」
美奈子さんは麦茶を差し出しながらそう問いかけていた。
座布団の上に着物を整えながら美奈子さんが座る。
その一つ一つの仕草が洗練されていて、美しさを感じさせる。
「あの頃は、みんないたのに今は3人もいなくなったのね。」
美奈子さんは哀愁を含んだ笑みを浮かべた。
「秋彦さんが亡くなって、お父さんとお母さんが亡くなって······」
母さんはそこで黙った。
俺は話がよくわからず黙っていた、そんな俺を見かねて美奈子さんが話し出す。
「秋彦ってのは私の旦那よ、七年前に亡くなったの。」
美奈子さんは懐かしむように話し出す。
「私と、雫が幼なじみで、秋彦と総一朗が幼なじみだったんよ。」
そして······と美奈子さんが続ける。
「私の婚約者が総一朗で、雫の婚約者が秋彦。」
────もう四十年前の話になるんよ。
私と雫はほんとに小さい頃から一緒でね。
なにをするにしても一緒やったんよ。
あの頃の私はお転婆じゃったんやけど、雫は小さい頃からしっかりしてて、女の子らしくてね。
正反対の性格やったのに、何かと気があってずっと一緒におったんよ。
そして、中学生の時に、私は総一朗と秋彦に出会った。
まぁ先に出会ったのは総一朗となんじゃけどね。
私が総一朗の許嫁に決まったのは小学校を卒業する頃じゃったから。
顔はそんなに悪くないんやけど、いかんせん馬鹿じゃったからね、総一朗は。
直情型でイタズラ好きで、ほんとガキじゃと思ォとったんよ。
ほかのバカな男となんも変わらんてね。
私も似たようなタイプじゃったんやけどね······
それでも、こんな男が婚約者なんて嫌じゃと思ォとったんよ。
でも、そうね······総一朗を初めて気になりだしたんは些細なことじゃったんよ。
その日はまだ春先の肌寒い日でね。
私は学校に雫と歩いて行きよったんよ。
そしたら、通学路の少し深い用水路に知らないお婆ちゃんが落っこちとったの。
幸い、水は全然流れとらんじゃったんやけど、お婆ちゃんが足を挫いて自力で上がれんくなっとったんよ。
生徒達も何人かおったんやけど、みんな知らん振りでさ。
そんな時に総一朗は真っ先に走っていって、お婆ちゃんを抱えて用水路から上がってきた。
みんなが見て見ぬふりする中で総一朗はお婆ちゃんに「大丈夫?」「怪我はない?」と言って、足のくじいたお婆ちゃんを背負って家まで送り届けとったんよ。
私はその時に初めて総一朗が他の男とは違うと思った。
カッコ良さを履き違えてカッコつけとるバカな男とは違うってね。
それから総一朗を好きになるのにそんなにかからんかったんよ。
なんにでも真っ直ぐで、いい意味で周りを巻き込んでいく。
いつも、みんなの中心に総一朗の姿があった。
その『みんな』の中に私も秋彦もおった。
思えば雫もあの時から総一朗のことを思っとったんじゃろうね。
日を追うごとに私は総一朗で頭がいっぱいになっとった。
なにをしていても総一朗を目で追うようになったし、もっと仲良ォしたくて一緒にバカやったりもしとったんよ。
でも、ある日、気づいてしまったんよ、総一朗が雫に向ける切なげな視線に。
じゃけェ、私は確かめることにしたんよ。
雫が本当はどう思ォとるか。
私はわざとらしく総一朗にくっついたり、許嫁ってことをひけらかしたりしよった。
それでも雫はただ笑っとった。
あの子は、友達の幸せの為に自分を犠牲にする子やったから。
そんな時に秋彦と雫の婚約が決まったんよ。
秋彦も複雑じゃったやろうね、親友の好きな相手と自分の好きな相手が同じやったんやから。
雫は婚約が決まってもただ笑っとったよ。
正直、私は安心するより腹が立ったんよ。
だから、私は夏祭りの日、雫を呼び出して問い詰めた。
『あんたほんとにそれでええの!? 総一朗のこと好きなんやないの?』
『なに言ォるんよ、美奈子。親友の恋を応援するんは当たり前でしょ。』
『っ! あんたも総一朗も、腹が立つわ! そうやって諦めたような顔して、なんでもかんでも仕方ないって顔して! そんなんじゃ、一生幸せになんかなれんよ!』
『それは、美奈子も同じよ。人の恋ばっかり気にしてたら幸せになれんよ。』
『それは······』
『いいのよ、私は秋彦くんのことを好きになるの。そう決めたの。』
そう言って、雫は去っていったわ。
私はなんだか凄く悔しくて今度は総一朗に同じようにぶつけたの。
総一朗は単純やったからね。一目散に雫の所に走ったわ。
そして、私と秋彦は雫のところに先回りして、結末を見届けようとした。
二人がひょうたん池で話すのを物陰に隠れて見とったの。
『雫······俺······』
『なに? 早く戻らんと二人とも待っとるよ。』
『俺は雫のことが好きなんじゃ! 初めて会ォた時からずっと!』
『······なに言ォるんよ。総一朗君には美奈子がおるやろ。私には秋彦君がおるから。』
『それでも、俺は雫が好きなんじゃ。雫を他の誰かに······例え秋彦にもお前は渡したくないんじゃ! それが俺の本当の気持ちなんじゃ!』
『······無理だよ。私は総一朗君のこと、好きやないもん······』
私はその時、初めて雫が嘘をつくのを見たんよ。
いつも素直で、人を傷つけるような嘘なんてつくのを見たこと無いほどええ子やったのに。
『ほんとに言ォるんか······?』
『······当たり前やろ、私は秋彦君が好きなんよ。だから秋彦君と婚約が決まって本当に幸せなの。』
『ほォか······ならお前······』
────なんで泣いとるんじゃ。
私と秋彦はそれを聞いて初めて雫が涙を流しよるのに気づいた。
月明かりしか照らすもののない暗闇では雫の涙までは見えんやったんよ。
『あれ? うっ······なんで······止まらん······止まってよ······』
そして、総一朗は雫を抱きしめた。
『やめて! 離してよ! 総一朗君!』
『もう、ええんじゃ······ずっとええ子でおるのは辛かったじゃろ? 俺の前でくらい好きに泣いたらええ。』
『うっ······嫌い······大嫌い······』
『わかっとる······今だけじゃ。』
『あなたのそばにいると、自分がどんどん嫌な女になっていくんよ。だから······嫌い』
『わかっとる。』
『秋彦君のこと好きなろうと思っとったのに······なのに······』
初めて声をあげながら泣く雫を目の当たりにして、二人には私には見えない何かで繋がっとったんやと思った。
今までで人を傷つけるような事を言わなかった雫が、あえて傷つける言葉を選び、一度も見せたことのない表情を、総一朗には見せたんじゃ。
私は祝福する気持ちがある一方で、悔しさもあった。
だから二人は運命の相手同士だったと思うことにしたんよ。
まるで、海で半分に分かれた一つの貝殻が再び合わさったような。
二人は貝殻で、私はただの傍観者。
元々入り込む隙なんてなかった。
そう思うと自然と二人を祝福出来た。
────「そして、私は秋彦と、雫は総一朗と結婚したんよ。」
美奈子さんは一通り話し終えて一息つく。
じいちゃんとばあちゃんの話はあの日に少し聞いただけだった。
美奈子さんの話を聞くと、二人が生前あんなに仲が良かったのも頷ける。
結ばれない恋、結ばれるはずがなかった恋を叶えたんだから、すごく幸せだったんだろうな。
「私は自分の行動や発言に数十年経った今でも後悔はないんよ。これが私たちの一番の幸せのカタチじゃったんやから。」
その時、襖がスーッと開く。
「お母さん、お客様がお見えですよ。」
その女性は長い髪を綺麗にまとめた、優しそうな女性だった。
雰囲気や眉の形が美奈子さんによく似ている。
「分かった。すぐいくけェ。それじゃあ、律人くん、涼子ちゃん。またいつでも遊びにきんさいね。」
そう言って、美奈子さんは部屋を出た。
「もしかして、美咲ちゃん? 久しぶりだね!」
お母さんの声に俺は確信する。
この人が美咲さんだ。
「お久しぶりです! 涼子ちゃん! 元気にしてましたか?」
「うん! 美咲ちゃんも元気そうね!」
母さんは俺の肩に手を置いて紹介する。
「この子は律人。 私の息子よ!」
「初めまして、一ノ瀬律人です。」
美咲さんは品のある笑みを浮かべ挨拶を返してくれる。
「律人くんね! こんなに大きくなったのね。 実は初めましてではないのよ?」
え? と俺は母さんを見る。
「あなたがすごく小さい頃に会ったことがあるのよ。」
そうなんだ、どおりで覚えてないわけだ。
そんな中、部屋の外から、美咲さんを呼ぶ声が聞こえる。
美咲さんは返事をして立ち上がる。
「ごめんね、涼子ちゃん、律人くん! そろそろ仕事に戻らないと!」
「うん! またゆっくり話せる時にご飯でも行こうね!」
美咲さんは頷き、部屋を出る。
残された俺達は時計を見る。
そろそろお昼か······
「私達もそろそろ帰ろっか!」
俺は同意し、立ち上がる。
美奈子さん達に挨拶を済ませ、俺達は庄原へと戻った。
閲覧ありがとうございました!
さて、今回は祖父母の話となりました。
いかがでしたか?
次回からは文化祭に突入させていただきます!
次回もよろしくお願いします!