懍が広島を発った翌日、俺は神咲家に向かっていた。
昨日の夜、七海ちゃんから電話があり、夏休みの課題を一緒にやろうと誘われたので俺は了承の意を伝え眠りについたのだ。
懍のキスの件については、話さないことにした。
付き合って早々にわざわざ不安にさせるようなことを言いたくなかったし、俺にとっては七海ちゃんが一番大切なので深く考えるのはやめにした。
夏真っ盛りの午前中、太陽も辺りを照らし、アスファルトからも熱気が漂ってくる。
自転車に乗り、心地よい風を感じながら、俺は神咲家への道のりをはしる。
風は俺の髪を揺らし、汗ばんだ額をさらっていく。
────早く会いたいな
そう思い、俺は自転車のペダルを強く踏み込む。
ヒュンという風の音を聞きながら、七海ちゃんのもとへと急いだ。
「おはようございます! 一ノ瀬です!」
神咲家に着いた俺は、自転車をとめ、呼び鈴を押し玄関から呼びかける。
はーいという声が聞こえ、七海ちゃんが出てくる。
「おはよ! 律くん!」
「おはよう、七海ちゃん。親御さんは?」
「出かけてる!夕方には帰ってくるよ!さ、あがってあがって!」
七海ちゃんは急かすように俺の手を取り、玄関をくぐる。
今まではなるべく意識しないようにしていたが、付き合った事によって、ストッパーが外れたように、胸が高鳴る。
────手を握られただけでドキドキするな、ばか。
自分で自分に悪態をつきながら、されるがままに七海ちゃんについていく。
俺はそのまま七海ちゃんの部屋に招き入れられる。
七海ちゃんの部屋に入るのはこれで2度目になる。
以前と変わらず、綺麗に整頓された部屋。
あの時はここで······
意識があの時の出来事を思い出す前に俺は首を振り無理やり我に返る。
「ん? 律くん? どしたん?」
七海ちゃんは俺の行動に不思議そうに首を傾げる。
「な、なんでもないよ!」
「ならええんやけど······それより、律くんと会うのって夏祭りの時以来やね!」
夏祭りの時以来といってもほんの数日前なのだが、長らく会っていないような感覚になるのは、会いたいという想いが強かったからなのだろう。
そして、それは多分、七海ちゃんも同じだ。
そう思うと少し嬉しくなり、軽口をたたいてしまう。
「そうだね。寂しかった?」
言ってしまってから、なんだか自意識過剰におもえてしまい、少し後悔した。
しかし、七海ちゃんは顔を赤らめ、素直に呟く。
「律くんのイジワル······寂しいに決まっとるやん。せっかく付き合えたんやから毎日でも会いたいんよ?」
上目遣いで少し拗ねたようにそんなことを言われると、自然と胸が高鳴る。
「······俺も、会いたいよ。」
素直にそう言えることにすごく幸せを感じる。
今までは自分の気持ちを隠して、当たり障りのない返答を選ぶしかなかったのだから開放感ともいえる今の状況にすごく嬉しさを感じた。
「······私たち、本当に両想いになれたんやね。」
七海ちゃんは俺の返答に嬉しそうに微笑む。
たまらなくなり、七海ちゃんに顔を近づける。
七海ちゃんも受け入れるように瞳を閉じた。
その時、一瞬懍の顔が浮かぶ。
そんな中、七海ちゃんの部屋の扉がノックもなく開くことになる。
「りーつーくん。飲み物をお持ちしましたー。」
「お、お兄ちゃん! ノックくらいしてよ!」
部屋への侵入者は七海ちゃんの兄、成海さんだった。
「なんじゃー? キスでもしとったんか? 顔が赤いのォ七海。」
成海さんはジュースの入ったグラスをテーブルの上に置くと俺を見て
「律くん。お兄さんに報告することがあるんじゃないのかな?」
変に丁寧な言葉を使う成海さんに少し戸惑いながら挨拶をする。
「えーっと······この度、晴れて付き合わせていただくことになりました。」
言った途端に俺は頭をガシガシと撫でられる。
「ほォか、ほォか! 良くやったのォ律!」
これからは義兄さんと呼べよ! と嬉しそうに笑っている。
七海ちゃんは呆れたように、しかし、照れながら笑う。
「そんじゃ、俺は今から用事があるけェ出かけるわ!」
そう言って七海ちゃんの部屋から出ていこうとする成海さんは去り際に爆弾発言を残していく。
「あ、忘れとったけど、避妊はするんじゃぞ! 流石に高3で義兄さんは早すぎるけェのォ。」
残された俺達の間に奇妙な気まずさがうまれたのは言うまでもない。
「勉強······はじめよっか。」
「······そうやね。」
────それから俺達は1時間ほど勉強をしたところで休憩をとることにした。時間的にもお昼時で少しお腹が空いてきたところだ。
七海ちゃんは大きく伸びをしながら体をほぐす。
「高校の課題って多いね。」
「中学に比べると、やることがたくさんあるね。」
「それにしても、律くんの字って綺麗だね。それにノートも綺麗にまとめられてるし。」
「七海ちゃんの方こそ。重要なところはマーカーついてたり、分かりやすいじゃん。」
七海ちゃんのノートは性格が出ているのか、分かりやすくまとめられている。
これなら、誰が見ても理解できそうだ。
「えへへ、そうかな? それより、お昼どうする?」
「そうだなぁ······」
「あのね、良かったら私が作ろうか?」
「いいの? じゃあお願いしようかな!」
七海ちゃんはよしっと言って立ち上がり、階下に降りようと促す。
────七海ちゃんがエプロンを付けて、料理をする姿をぼんやりと見ながら食事の準備ができるのを待った。
手伝うと言ったのだが、今回は自分が全部作ると言い、俺は椅子に腰掛けて大人しく待っていた。
キッチンからはいい香りが漂ってくる。
居間を見渡すと、七海ちゃんと成海さんの小さい頃の写真などが飾られていた。
りんごを持って、満面の笑みを浮かべる七海ちゃんも成海さん。
小さい頃から2人とも可愛らしく、この頃から将来有望だ。
写真を見ていると七海ちゃんがオムライスを持ってやって来る。
「出来たよ······あっ! みっ、見らんで!」
すかさず俺の視界を遮るように俺の前に立つ。
「ごめん。でも、すごく可愛いよ。いくつの時なの?」
七海ちゃんは照れくさそうにうーっと唸り、答える。
「多分、小学2年生の時······それより!早く食べよ!」
七海ちゃんは恥ずかしさを隠すため、食事を促す。
「そうだね。」
オムライスは卵が黄金色に輝いており、甘い香りが漂っている。
その上からケチャップがかけられており、食欲をそそる。
ライスの方はケチャップや、玉ねぎ、鶏肉などで炒められていて、チキンライス風オムライスだった。
卵は綺麗にライスを包んでおり、七海ちゃんが丁寧に作ったのがよくわかる。
「美味しそう······」
「頑張ってつくったんよ! 食べて!」
頂きます。と言って、スプーンでオムライスの端の方をすくう。
「美味しい! 今まで食べたオムライスの中で一番美味しいよ!」
そう言うと七海ちゃんはほっとしたように笑う。
「大げさやね。きっとお腹がすいとったんよ。でも、良かった······」
俺はオムライスをどんどん消費していく。
甘めの卵がケチャップの酸味とあわさり、絶妙な美味さをだしていた。
ものの数分で食べ終わり、一息つく。
「ご馳走様。夢中で食べちゃったよ。」
「お粗末様。じゃあ洗い物終わったらまた勉強はじめよっか!」
「俺も手伝うよ。」
俺達は2人で流し台に立つ。
俺が食器を洗い、七海ちゃんが拭き上げる。
まるで新婚みたいだな······
まるで新婚さんみたいやね! と、照れくさそうに笑う七海ちゃんに、同じく胸の高鳴りを隠せず返事をしたのは言うまでもない。
────洗い物が終わり、七海ちゃんの部屋に戻って勉強を再開し、一息つくことになったのは、すでに太陽もオレンジに色を変えてからだった。
「はぁー、疲れた······」
「今日だけでほとんどの課題が終わっちゃったね。」
ほんとに一日中真面目に勉強してしまった。
実は少し、甘い雰囲気を期待していた部分もあったのです······
そんなに上手くはいかないな。
七海ちゃんを見ると、少しだけむくれているような気がした。
「どうしたの?」
七海ちゃんは控えめに頬を膨らませて、本音を漏らす。
「ほんとはもうちょっとくっついたりしたかったんよ······勉強だけで1日終わっちゃった······」
俺は安心して頬が緩む。
そんな俺を見て七海ちゃんは問い詰める。
「なんで笑っとるんよ!」
「いや······同じだったからさ。俺ももう少し甘い展開期待してたよ。」
「むぅ······そういうのは男の子がリードするんよ!」
「ごめん、俺、女の子と付き合うの初めてだからさ。」
えっ! と驚愕する七海ちゃん。
「律くん、すごくモテるのに今まで一度も?」
「そんなことないよ。七海ちゃんが初めてだよ。」
「初めて······かぁ。私も律くんが初めてなんよ。」
’’初めて,, なんだかすごく幸せだ。
「七海ちゃんこそ、すごい人気あるのに意外だ。」
七海ちゃんはそんなことないよ。と顔を赤くし予想通り謙遜してきた。
いや、実際青大に好かれてたし、うちの学校内では七海ちゃん、柚希ちゃんで人気を二分してるんだけどな。
残念ながら月はああゆう性格なので黙ってれば可愛いというレッテルを貼られてしまっている。
ねぇ、と七海ちゃんの少し緊張した声が聞こえる。
「今からでも······イチャイチャする?」
上目遣いのその言葉に俺は外れそうになる理性のストッパーを抑え込んで、努めて優しくキスをしようとする。
────律人兄ちゃん
思い出の中に聞こえる懍の声が俺の頭に響く。
こんな気持ちのままキスするなんて······やっぱりだめだ。
途中でキスをやめた俺に七海ちゃんは不安そうにこちらをうかがう。
俺は七海ちゃんと正面から向き合い、謝った。
「七海ちゃん、ごめん!」
突然の謝罪に彼女は少しだけ驚きを見せる。
「え? どうしたの?」
俺は先日の件を七海ちゃんに話した。
懍を送っていったことは既に話していたので、その時の帰りにホームでキスをされたことを話す。
七海ちゃんは、俯いて黙って聞いていた。
表情が見えない分余計俺の不安を煽る。
話し終えたあと、沈黙が訪れる。
そして······
「ふーん、そうなんやね。」
虚ろな目をした七海ちゃんがじーっとこちらを見てくる。
こっ、怖い、怒鳴られた方がマシかもしれない。
それほどの威圧感、もとい殺意?が滲み出ている。
こんな七海ちゃん見たことないよ······
「それで? そのキスに律くんは心を動かされちゃったのかなー?」
黒七海ちゃんに圧倒されながらも、俺は答える。
「······正直、七海ちゃんにも懍にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺は懍の気持ちには応えてやれないから······」
七海ちゃんはため息をつき、苦笑しながら言った。
「律くんは優しいからね。それに、懍ちゃんは律くんにとって大切な妹みたいな存在なんやから、無碍に扱うことなんて出来んはずやもん。」
でも、と続ける。
「だからってキスされて仕方ないなんて割り切れるほど私は大人じゃないんやからね?」
七海ちゃんはそのまま俺の唇を強引に奪う。
「あんまり、不安にさせんでよ······」
潤んだ瞳で俺を見つめる七海ちゃんをたまらず抱きしめる。
「ごめん。もうこんなことにはならないよ。」
強く抱きしめる。俺の想いが七海ちゃんに伝わるように。
「んっ······信じとるよ。律くんのこと。」
七海ちゃんも俺の背中に腕を回し、ギュッと抱きつく。
七海ちゃん独特の甘い香りが心地よく、さらさらの髪を指で梳かす。
どのくらいそうしていただろう。神咲家の玄関が開く音で俺達は現実に引き戻される。
「七海ー!今帰ったぞォ!」
「ただいま!」
七海ちゃんのお父さんとお母さんだろう。
名残惜しい思いをしながら俺達は離れる。
俺達は階下に降りる。
「おかえりなさい!」
「お邪魔してます。おばさん、おじさん。」
「あら、律人くん! やだわ、おばさんなんて。お義母さんって呼んでええんよ?」
七海ちゃんのお母さんはウインクをしてそんなことを言う。
この様子じゃ付き合ってることは筒抜けだな······
「じゃあ、ワシはお義父さんと呼んでもらおォかのォ。」
「もう! 2人とも! 律くんが困っとるやん!」
七海ちゃんは顔を赤くしながら反論する。
この家族はみんな似た者同士だな。
七海ちゃんも将来こんな風に言ってるのかな。
そんな七海ちゃんの姿を想像するとなんだか笑えてくる。
「律くん! なに笑ォとるんよ!」
「いや、ごめん。七海ちゃんも将来こんな風に言ってるの想像したらおかしくて。」
その言葉におばさんは素早く反応した。
「あらあら、将来のことをもう考えてくれとるなんて、七海は幸せやね!」
「神咲家は安泰じゃな!」
ご両親の息ぴったりの素早いコンボに七海ちゃんは真っ赤になって反論する。
「もう! 2人とも! からかわないでよ!」
ちょっと虐めすぎですよ······おばさんおじさん。
俺も当事者なのだが、そんなことを考えていた。
「律くんもなにか言い返してよ!」
おっと、俺に振りますか。
仕方ないな······
「幸せな家庭を築けるように頑張ります。」
普段言わないような冗談を言ってみた。
あながち冗談とは言いきれないかもしれないけど。
七海ちゃんはもう······と顔をさらに赤くしており、ご両親は顔を見合わせて笑う。
「律くん。今日は焼肉をしようかと思ォとったから食べていきんさいよ!」
「え? いえ、悪いですし大丈夫ですよ。」
俺は遠慮したが、さらにおじさんが誘ってくる。
「ええから、ええから。七海の初の彼氏じゃからしっかり見定めとかんといかんけェのォ!ついでに泊まっていきんさい!」
いや、ついでって······
「それがいいわ! 」
おばさんまで賛成してくる。
なんだかデジャヴだ。
流石に泊まりは······
俺は少し考えて、七海ちゃんを見る。
「と、泊まっていったら? お母さんもお父さんもこう言ってるんやし。」
七海ちゃんは恥ずかしそうに、しかし、嬉しそうにそう答える。
「じゃあ······お言葉に甘えさせて頂きます。」
まさか、こんなに早く泊まることになるなんて······
俺は少しの不安を抱きながら泊まることにした。
なかなか強引な形でお泊まり決行になりました······
前七海ちゃんが泊まる時は焦ってたのに······
まぁこれは付き合っているということでおおめにみてください!
それでは次回はこの続きになります!
お楽しみに!