彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
教授の講義を聴くのが面倒な方は、後書きに要点だけまとめておきましたので、そちらで確認してください。
文化祭二日目も、無事に終わった。食事に理奈を付き合わせるのは申し訳なかったが、理奈の方はあまり気にしていないようだった。ただ、流石に打ち上げには行かなかった。
文化祭の翌日は、クラスの中に疲弊している人がちらほらと見られた。ただでさえ疲れるのに、文化祭は土日なので8日間連続登校になるのだから当然である。それでもちゃんと片付けやら机の移動やらをこなしていた。
全校生徒は片付けが終わった後に体育館に集められ、生徒と来校者による投票の結果発表を聞いた。惜しくも、葵達の二年五組は、一二年全体のアトラクション部門で三位だった。
「――悔しいなぁ」
下校中に、葵はそうぼやいた。
「まあ、私達にはまだ来年があるよ。それに、私達は十分頑張ったって」
「……そうだね」
――来年、か。
三年生はほぼ全てのクラスが模擬店をする。理奈は喰種だから、苦労するのではないか。葵は不安に思った。
火曜、水曜は文化祭の代休だった。葵は図書館に行くことにした。近くにあるのは公民館の図書室だけなので、電車を使っての遠出になる。
――広いな。
久々に来たが、その大きさに圧倒された。流石は市立図書館だ。入口にある館内案内を見て、目眩がしそうになった。これだけ蔵書があれば、喰種関連の本もそれなりにあるだろう。
4類――自然科学。……48――動物学。49――医学。
棚の番号を見ながら歩いていくと、動物学か医学かで、少し迷った。喰種は違う生物として扱われるのだろうか。人権を認めていられない事は知っているが、学問的にはどうなのだろう。Rc細胞の多い人間か、異種か。生殖的隔離をしていたら異種なのだろうが――。とりあえず、動物学の方から見ていく。
……485―節足動物……486―昆虫類……487―脊椎動物……488―鳥類……489―哺乳類。
随分と歩いたが、ここにあるのだろうか。
大きな棚を順繰りに見ていくと、やっと後ろの方で喰種という文字が見えた。
――あった。
『喰種生態学』『Rc細胞と喰種』『喰種の発見』……。二十冊以上が並べられていた。
とりあえず、手に取ってパラパラとめくってみる。『喰種生態学』は今の自分には難しそうだった。大学に行けば理解できるようになるだろうか。そう思いながら棚に戻す。幾つか見ていき、読みやすそうなものを借りることにした。
家に帰り、本を広げた。どれも素人用に書かれた物だったので、代休の二日間のうちに読み終えることができた。身体能力や治癒能力が高い事、それが多量のRc細胞によるものである事、その仕組みや赫包・Rc細胞管について――。様々な事が書いてあり、葵が知らない事は多かった。
喰種の食事事情についても知ることが出来た。
Rc細胞を持っているのは人間と喰種だけである。喰種は生存においてRc細胞にほぼ依存しているような生態であり、かつ人食い或いは共食いによってでしか摂取できない。体内で生産できる量では足りないのだ。
解決は大変そうだ。葵はため息をついて、今日借りた本の一冊、『Rc細胞と喰種』の背を見る。
『上井大学准教授 藤村哲也著』
この人からなら、喰種について詳しく学ぶことが出来るだろうか。上井大学を進路として考えてみてもいいかもしれない。
携帯からインターネットにアクセスし、『上井大学 藤村哲也』と検索すると、近々講演会が開催される事がわかった。
『人類の進化と喰種の発生――Rc細胞が生物に与えた影響――』
「……と言うわけで、その講演会に申し込んだんだけど、理奈も行く?」
このところ下校時に喰種の事を話すのが習慣になってきている。一定距離内に人が来たら理奈が黙るように指示するので、安全面についての問題はないだろう。
「うーん。……上井大学、だっけ? 東京はちょっと怖いなあ。親同伴でしか言ったことがなくて」
理奈は苦い顔をした。
「CCGがいるから……」
理奈は落ち着かなげに襟元をいじった。言われてみれば当然だ。今まで敵のいない所で過ごしてきたのだから、わざわざ敵地である東京に行きたくはないだろう。
「そうだね。そもそも、喰種が聞いて面白い話かもわからないし」
葵は話を切り上げた。喰種の方がよく知っていることも多いだろうし、人間についての話が主なら聞く必要もないだろう。
「一度、理奈の家に行ってみたいな」
そう言ってみると、理奈はぎょっとしたように目を見開いた。
「葵、頭大丈夫?」
「酷いな。いや、人目を気にせずゆっくり話したいなって思っただけだよ」
「……今度親に打ち明けてみる?
いやでも、どうなるか分からないし……」
理奈が悶々と悩み始めたので、ごめんごめんと謝った。
喋りながら歩いていると、理奈はふと思い出したかのように言った。
「――あのさ、葵。言っておかなきゃいけないことがあった」
「何?」
「Rc欠乏症については、知ってる?」
昨日読んだ本にも書いてあった事だ。
「体内のRc細胞が不足すると、喰種は――その、『狂暴』になるっていう?」
「そう。それなんだけど、あれは本当に理性吹っ飛ぶから、私がそうなったら、絶対に近づかないようにね」
理奈は酷く真剣な表情だった。相当危険なものらしい。友人さえも識別できなくなるというのは、考えるだけで恐ろしい。人としても、喰種としても。
「食料不足とかあるの?」
しかし、理奈が変な挙動をしていた事はないはずだ。最近の夜鷹の食料調達がうまくいってないのだろうか。
「いや、それはないよ。ただ、怪我をした時は、体内のRc細胞を使って治すんだけど、その時の体内に貯蓄されている分で足りないと急性Rc欠乏症になる事があるんだ。だから、もしも私が大怪我したら、極力――いや、絶対に近づかないで」
「……うん。気を付けるよ」
「ありがとう。まあ、そうそうないと思うけどね。万一の時は怪我させたくないから」
講演会はおよそ一か月後だった。
東京へ一人で行くのは初めてだった。携帯で道順を確認しながら歩いた。こういう時にGPSはありがたい。
恐る恐る大学内に入り、きょろきょろと周りを見ながら講堂を探した。挙動不審である。
何とか講堂にたどり着き、席に座った。少々早かったのか、まだあまり人は集まっていなかった。バッグから本を取り出し、始まるまで読みながら待つことにする。古本屋で安く喰種に関する本が手に入ったのは幸運だった。この前読んだ『喰種解体新書』と違い、元CCGの研究者が書いているものなので、信憑性は高いだろう。
講堂の席の半分が埋まったところで、やっと開会を告げるアナウンスが聞こえた。壇上に立っているのは白髪の混じりかけた中年の男性だった。若い女性の声が、講堂の中に響く。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。これより、第12回上井大学理学部公開講演会 『人類の進化と喰種の発生――Rc細胞が生物に与える影響――』を開会致します。それでは、藤村准教授、よろしくお願いします――」
みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました、藤村哲也です。本日はRc細胞という観点から、人類の進化と喰種の発生についてお話させていただきます。
Rc細胞とは、特異な細胞です。人類と喰種しか持ちません。人類に近い他の霊長類もです。それは、Rc細胞は人類の進化の中で誕生したからです。
遥か昔、人類は樹上生活をやめて、直立二足歩行をし始めました。皆さんも知っての通り、そのおかげで、人類は他の生物とは一線を画す高度な知能を手に入れました。しかし、その代償として、運動機能は著しく低下してしまいました。例えば、人類は他の多くの陸上動物よりも足が遅いでしょう。それを少しでも補うために、人類はRc細胞を発達させたのです。
この統計をご覧ください。
これは、Rc値と運動機能の関係を示すグラフです。Rc値は、体内のRc細胞量を表します。この三つのグラフの横軸は全てRc値になっています。縦軸は、右のグラフは50メートル走、中央は握力、左は上体起こしの記録の平均です。見て分かりますように、全て、Rc値が高いほど、記録が高くなっています。このことから、Rc細胞は、運動能力を向上させる作用がある事がわかります。
また、大怪我を負ったあとや、手術後の患部には、Rc細胞の体内密度が上昇していることも近年の研究でわかっています。このことから、自然治癒に何らかの形で関与していることも明らかです。
それを踏まえて、喰種についての情報も見ていきましょう。人間のRc値の基準値は200~500ですが、喰種は1000~8000もあります。そして、喰種の筋力は、個体差はありますがヒトの4~7倍はあります。
喰種のRc値が高いのは、もちろん、人間から摂取しているからです。しかし、なぜヒトはこれほど劇的な効果を持つRc細胞を少量しか持たないのでしょうか。
理由は、Rc細胞の構造にあります。先程も言った通り、Rc細胞は人類と喰種しか持たない特異な細胞です。そのため、その材料となるアミノ酸の一つ、サプシンも人類と喰種の体内でしか生成されず、食事での摂取はほぼ不可能です。そして、アミノ酸の生成には、多くのエネルギーが必要になります。十分な食事のとれる現代とは違い、人類史のほとんどは狩猟と採集による不安定な生活です。そのため、人類は過食よりも飢餓に耐えるように進化してきました。エネルギーを消費するアミノ酸の生成、ひいてはRc細胞の生成を最小限に抑える必要があったのです。
ここで喰種の発生について考えてみましょう。古来より、人類は時に食料として、時に葬送儀式として、共食いを行ってきました。近年の発掘研究により、紀元前では食人が一般的だった事が明らかになっています。その過程で、人類はRc細胞をより効率的に摂取できるように進化したのでしょう。昔からヒトに由来する生薬なども存在しましたし、最近では人魚伝説——人魚の肉を食べたものは不死になる、というものですが、これは食人による健康効果の暗喩だったのではないかとの説も出てきています。この食人に対して、極端に適応したのが喰種なのです。
喰種は肉を摂取してすぐに体内でRc細胞を分離し、効率的に取り込むことが出来ます。酵素もこの食性に合わせて発達し、十分なRc細胞濃度下で作用するようになり、逆にその他の酵素は極端な体内Rc細胞により分泌されにくくなりました。そして、Rc細胞を貯蓄、統制する赫包、運搬をするRc細胞管を発達させ、Rc細胞に依存した生態を確立させました。この影響で、喰種は十分なRc細胞を含まない食品には、嘔吐中枢を刺激されるほどの拒絶反応を持つまでに至りました。
この喰種の発生時期に関しては諸説あります。どの段階から『喰種』とするかにもよりますが、食性が現在のように限定されたのは、農耕による人口増加の後なのは確かです。近年の研究では、一部の地方では喰種が神として崇められていた事を示す資料が発見されており、戦国時代に活躍した傭兵の中にも喰種らしき記述が……
藤村准教授の話は二時間に渡り、日常での食習慣によるRc値の増減に関する話で締めくくった。
――良い話が聞けた。
大学は上井大学を目指すことにしよう。
葵のメモ(捏造設定など)
・Rc細胞は運動機能や治癒能力に影響を及ぼす。人間でも、多く持っているほど身体能力が高い傾向にある。
・Rc細胞は、特殊なアミノ酸「サプシン」を含んでいる。Rc細胞と同様に、このアミノ酸も人間及び喰種体内でしか生産されない。(憂那さんが人肉を摂取することでエト出産に成功しましたが、人は体内にたんぱく質を吸収するとき、アミノ酸にまで分解します。コラーゲンを食べても、体内でコラーゲンになるとは限らないように、Rc細胞も普通の細胞と同じであるなら、憂那さんの体内で増えることはないと考えました)
・喰種はRc細胞を効率的に取り込むことが出来る。
・喰種は十分なRc細胞を含まない食料に対して、嘔吐中枢を刺激するほどの拒絶反応を持つ。また、体内の過剰なRc細胞量により、人類から進化する前に持っていた通常の酵素の分泌が阻害されている。
作者の専門は生物ではありません。細かい事は突っ込まないでくださると助かります。