彼女の瞳は血の色だった   作:レイ

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3 私考

 電車から降りると、外は真っ暗だった。眼前には山が黒々と聳えている。

 網戸から漏れる吐き気を催す夕食の匂いを嗅ぎながら、高低差の多い道を歩くこと数分、自宅にたどり着く。理奈はインターホンを押そうとして、手を止めた。カーディガンを脱いでリュックの中に入れ、血痕の上に巻いたハンカチをポケットにしまい込み、そして今度こそ、家のインターホンを押した。

「ただいま」

「おかえりなさい。――どうしたの? その腕」

 鳴らしてから十秒ほどでドアは開いた。母は血の臭いに顔をしかめ、血の付いたシャツの左腕を握り、引き寄せて眺めた。

「東京から流れてきた人がいたんだけど、その時の状況が悪くて、少しだけ赫子使っちゃった。でも、大丈夫だよ。話せばわかる人だったし、ちゃんと山田さんを紹介したから」

「そう。なら、後で確認の電話もしておきなさい。怪我はもう治っているみたいね。でもこのシャツは捨てておきなさいよ。……今度新しいものを買ってこないと」

 母は戦闘面では理奈をほとんど心配しなかった。薄情なのではない。祖母のしごきを受けていた分、信頼されているのだろう。それ以上何も言わず、母はリビングへと戻った。

 理奈は洗面所の鏡を見つめ、赫眼を発現させた。

――綺麗な色、だって。

 肉を食べるたびに自分の種の食性を厭い、この目を見るたびに忌まわしく思ってきた。その、化け物の証。それを、葵は綺麗だと言った。自分は彼女の同族を食べている化け物だというのに、なんという皮肉だろうか。

――言えない。

 両親には、知られてしまった、などとはとても言えない。他の事例から考えると、すぐに葵に危害を加えるようなことはしないだろうが、それでも葵に手を出さないという確信は持てなかった。だからカーディガンを隠した。

理奈はシャツの胸元を握りしめた。葵は口が堅い。自分の事をCCGや他人に言うことはないだろう。それでも家族に黙っていることに、罪悪感があった。

 

     *

 

 葵はパソコンをいじっていた。

――喰種。分布。頭数。CCG。食性。生態。事件。法律……

 何でもする、と言った。その言葉に嘘はない。だが、そもそも喰種について碌に知らないのでは、役に立てるはずがない。何をするにも、まずは知識が必要だ。知識は力なり、という先人の言葉には全面的に同意する。もちろん理奈から色々と教えてもらうつもりだが、自分で調べておくに越したことはないし、人間側の情報からは、また違ったものが見えるはずだ。

 とはいえ、喰種に関してはCCGからの情報規制があるのだろう、一部の情報については、詳しく知ることは難しいようだった。そもそもどのように喰種を駆逐しているのかさえ分からない。それでも、CCGの広報などからは大まかな活動状況や喰種の生態に関すること、過去の事件については幾分か調べることができた。過去には喰種関係の裁判があったこともわかった。      

喰種対策法なるものに、喰種の蔵匿・隠避を禁止するものがあり、擁護した者には死刑判決が出たことがあることを知った時は流石に肝が冷えたが、そもそも理奈に助けてもらえなかったら、自分は死んでいるのだ。今更何を迷うことがあるだろうか。基本的人権に黙秘権は含まれている。それに、自分は未成年だ。今の所は死刑にならないだろう。気にすることはあるまい。

 驚いたのは、県内に喰種はいないとされていることだった。七年前に、県外からやってきたとされる喰種が駆逐されたのが最後だった。それを見て、理奈が男に言った言葉を思い出した。

『ここら辺の喰種は極力人を襲わないようにしている』『ハトを呼びたくない』

 最初は鳩とは何かわからなかったが、調べているうちにCCGのエンブレムが鳩であると気づいた。恐らくこれを指すのだろう。

――『夜鷹』、か。

 さらに調べれば、周辺の県まで『駆逐完了』とされている。どこまでが『夜鷹』の管理下にあるのか知らないが、下手をしたら県さえまたいでいるのかもしれない。そう思わせるほどの組織力と徹底ぶりを感じた。

 

 翌日の朝は気持ちの良い快晴だった。

 教室からは声が聞こえていた。もう何人もいるらしい。乗り遅れたかな、とため息をつき、引き戸に手をかけようとして躊躇した。

――理奈はいるだろうか。

 考えていても仕方ない。軽く息を吐いて気持ちを切り替え、教室に入った。

「おはよう」

「おはよう、葵。今日は早いね」

「家が近いからね。手伝おうと思って」

 いつもよりも早めに来たつもりだったが、クラスメイトのおよそ四分の一、十人程はもう準備をしていた。——理奈の姿も、あった。

 先程まで作業をしていたが、声で気付いたらしい。顔を上げていた。

「おはよう」

「――おはよう」

 さっきまではどんな顔をして会えばいいのか分からなかったが、意外なほどすんなりと返事を言えた。

――今まで通りに接しよう。

 余計なことは考えないほうがいい。他人に何か違和感を持たれたら面倒だし、理奈も喰種だと特別意識したような対応は望まないだろう。その上で、自分にできることを探していこう。そう決めると、踏ん切りがついた。

ようやく気分が天気に追いついたな。そう思いながら、葵は自分の荷物を降ろし、作業に取り掛かった。

 

 内装に使うもの以外は机も椅子も全て体育館や会議室に片付けてしまっていたので、昼食は各々好きなところに座り込んで食べることになった。葵はいつものように理奈の隣に座った。

「そっちはどう? 絵、完成した?」

「うん。今は小道具の方を作ってるよ」

「人手要る? こっちはもうすぐ終わりそうだから、手伝うよ」

「じゃあ、お願いしようかな」

 変に身構えることなく、会話することができた。これで大丈夫なはずだ。

 葵は理奈の口元を見つめた。とても吐きそうなほど不味いものを食べているようには見えない。どれほどの苦痛なのかは分からないが、凄いのは確かだ。表情を変える事もなく、時折笑みさえ浮かべて見せている。しかし、感嘆しながら見ていると、喉元の動きが変であることに気づいた。噛み切ってからすぐに飲み下しているようなのだ。よくよく見れば、水を飲む回数も頻繁だ。

「――葵、人の顔見すぎ」

「……あ。ごめん」

 じっと無言で見つめていたようだ。いくら食べながらとは言え、これでは変だ。せっかくの理奈の演技の足を引っ張ることをしてはいけない。

 ほどなくして食べ終えると、理奈は思いついたように自分のリュックの中をまさぐった。

「はい、昨日はありがとう。汚れてないといいけど」

 手渡してきたのは、昨日貸したカーディガンだった。丁寧に畳まれていた。一応左腕を確認したが、血の跡はなかい。

「どういたしまして」

 それから理奈はそそくさと教室を出た。葵が後を追うと、理奈は意外そうな顔をした。人気のないB、C棟間の廊下まで歩いたところで、理奈は口を開いた。

「何しに行くか、話したよね?」

理奈は困惑しているようだった。

「うん。だから、見張りでもしようかなって。人に気づかれたくないでしょ」

 理奈は一瞬、呆けたような顔をした。

「……そこまでしなくても、いいのに」

「私にできることなんて、それくらいしか思いつかないから」

「いや、別に大丈夫だよ。食べた後に吐く音なんて聞いたら、気持ち悪くなるでしょ?

 それに、ほら、耳がいいって言ったよね。人の足音も聞こえるから、平気」

「そうなの?」

「うん、そう」

だから気にしないで、と嬉しそうに理奈は笑った。

 

自分に出来ることなどあるのだろうか。

一日、学校で過ごしてみると、理奈が見事なほどに人間の集団に溶け込めていることがわかった。もちろん、作業には手を抜くことはなく、たまに意識して眺めるように観察しただけだが、理奈が喰種だと疑う人もいないようだった。

昨日と同じく、理奈の電車の時間に合わせてぎりぎりまで作業をした。教室の中は、今は電気をつけているため明るいが、窓とドアのガラスを隈なく暗幕や段ボールで覆ったので、消灯すれば、昼でもほとんど見えなくなるほど暗くなるはずだ。

最後の仕上げをしている女子六人に挨拶をして、葵と理奈は教室を出た。

「『あれ』に関する事……今、話しても大丈夫かな」

 校門を出て少し歩いてから、葵はきょろきょろと周りを見ながら理奈に小声で囁いた。

「車の音があるから、小声なら」

 駅へ続く道は車の通りが多い。これなら、よほど近づかない限り、盗み聞きは難しいだろう。なるほど、と葵は頷いた。

「ええっと……昨日、調べてみたんだけど、CCGによると、この県には喰種は『いない』らしいんだけど」

「ああ、そのこと。――私っていないことになってるらしいね」

 茶化すように理奈は言った。

「私の家族を含む、昨日言った組織――『夜鷹(ヨダカ)』が徹底してるから。わざわざリスクを冒すような人はここにはいないし、下手な真似をしようとすれば、制裁があるらしいからね。それに、『食』にこだわりがあるような人は、大抵は都会に行くから、こっちみたいな田舎には残りにくいらしいよ」

 理奈は流暢に説明した。

「『食』、ね……」

 葵が複雑な顔をすると、理奈は気まずそうに目を逸らし、ごめんと呟いた。

「……理奈が気にすることはないよ。と言うより、事実だし。もう、そこら辺については割り切ろうと思うから、これからはいちいち謝らなくていいよ」

「でも……気分悪いでしょ」

「そんなことばかり言っていたら、私は理奈の力になれない。理奈達は人を殺さない、そうだよね?」

「……うん」

「……理奈は、私を食料として見ていないんだよね」

「もちろん! そんな事、絶対にしない」

 試すように言うと、理奈は葵を睨んだ。

「大丈夫、わかってる。失礼なこと言ってごめん。これであいこにしよう」

「……そうだね、わかった」

 理奈が納得したように頷くと、葵は満足げに笑った。

「にしても、理奈達は大変だよね……喰種用栄養剤とかないの?」

「ないよ。そんなのがあったら苦労しない」

理奈は呆れたように言った。

「仮に作ったとしても、結局原材料は……ね?」

「そこさえ何とかなれば解決なんだけどな。——そうだよ」

 葵は大仰に頷いた。

「私、作るよ。グルビタンG」

「何そのネーミング」

 理奈はまたしても呆れたような顔をした。

「いや、本気だって。Rc細胞だっけ? それが一番の違いで、鍵なんだよね」

「まあ……そう、だと思うけど」

「なりたい職業なんて明確に持ってなかったし。決めた。私、大学で喰種について勉強して、共存できる方法を探す」

 これなら、理奈に命の恩を少しでも返すことができる。

 理奈は目を見開いた。

「何もそんなにしなくても……」

「いいの。私がやりたくてやる事なんだから。喰種に人間の友達なんて、なかなかいないよね? だから、偏見してばかりで誰もやろうとしないんだよ。それに、喰種の協力者がいたら、研究は格段にはかどるんじゃないかな」

 葵は理奈を見つめた。

「……私は、葵の研究のためなら幾らでも被験者になるよ。でも、葵は自分の将来についてちゃんと考えて。……私が葵を助けたのは、喰種のために人生を捨てさせるためじゃない」

「手厳しいな」

 葵は頭を掻いた。

「でも、人間のためにもなるはずだよ。代用できる物を作れば、それこそわざわざリスクを冒してまで人を狩ろうとする喰種は少なくなるはずだよね。確実に社会のためにもなるよ」

 




組織名「夜鷹」について


宮沢賢治「よだかの星」
 主人公のよだかは、醜い容姿のためにほかの鳥から嫌われていた。とうとう鷹に改名まで迫られた日、よだかは自分が生きるために毎日たくさんの虫を殺して食べていることに気づき、生きることに絶望する。太陽や星に「焼け死んでもかまわないから、あなたの所へ連れて行ってください」と言っても相手にされず、命を賭して飛び続けたよだかは、いつの間にか青白く燃え始め、今も夜空で燃える「よだかの星」となる。

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