彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
「東京は都会だけど、こういう人通りがないところも多いんだね」
理奈と二人、あんていくの店長――芳村に教えてもらった家へ向かう。人気がなく、静かな通りだった。
「都会だって、そんなもんでしょ。所詮は田舎者の幻想だよ」
理奈はどこか冷めたように言った。葵はそんなものだよね、と頷いて理奈の持つ紙を見やった。
「で、こっちであってるんだよね?」
「角の数は間違えていない筈だけど」
芳村に渡された紙には、簡易的な地図が書かれていた。
店長には丁寧に柘榴の製作までの話をし、最後に試食をしてもらった。マウスによって再生された赫子組織と豚肉の混合物である柘榴は、当然のように普通の肉とは違う匂いと味がする。葵には大して変わらぬように思えたが、鋭敏な感覚を持つ喰種にとって、それは何よりの証明であったらしい。彼は改めて快諾をしてくれ、葵と理奈も改めて自己紹介をした。
そして昨日、マウスを五匹ほど譲り渡し、世話の仕方や肉の採取方法も細かく見せた。
それにより得られた幾ばくかの信頼よりは、理奈が彼の知り合いである霧島家族の血縁である事、それにより理奈の父とも連絡を取り合っているという事の方が大きかったのだろうが、尋ね人の住所までこころよく教えてくれた。
「――ここ、だね」
目の前に現れたプレハブに、理奈はいくらか声をひそめて言った。
「匂い、するから」
そう、と軽く頷く。手に持っているのはマウスのケージ。今日はこれを見てもらう。店長は、彼は医者をしていると言っていた。少なくとも生物に関する知識を持っているのは確かだろう。
理奈がノックをする。中からは生活音がしない。来訪者に気づいているのだろうか。
「どうぞ」
扉越しにくぐもった声が聞こえた。軽く軋んだ音を立てて戸を開ける。
「確かに新鮮なほうがいいが……別に、生きているのを丸ごとってほど強欲じゃないよ」
出迎えた中年の男性は、葵を検分するように眺めた。葵は身を固くする。覚悟はしていたが、やはり、自分は食料として見られている。
「怪我はしていないようだね。どういう要件だい」
後頭部を軽く掻きながら、目の前の男性は理奈に言った。
「いえ、診察ではありません。笛口アサキさん、ですよね」
「ああ。そうだが」
アサキは鷹揚に頷いた。
「芳村さんの紹介で来ました。……これを」
理奈はバッグから封筒を取り出し、渡した。芳村からの言伝、紹介状だ。
「ありがとう。なら、そっちのは?」
アサキは葵を顎でしゃくった。無言ではあるが混乱しているようでない葵の様子をいぶかしんでいるらしい。その表情からはいささかの疑念が感じられた。
「まずは、読んでからでお願いします」
「わかった」
封をされた封筒の口を、はさみで丁寧に切り落とし、中の白い便箋を広げる。こちらからは見えないが、文面は理奈も葵も把握していた。
だから、アサキの反応は予想の範囲内だった。
途中で何度も見返すように読み、何度も文面と目の前の二人の女学生を見比べる。
「……君達が、協力者?」
「はい」
理奈は堂々としていた。喫茶店に行った時と変わらない。
「君は、喰種だね。宮野さん、であってるかい」
「はい。宮野理奈です」
アサキの視線が葵に向いた。
「……で、そちらが、高瀬さん、か」
「高瀬葵、です。ヒトですが、貴方方と親交を持ちたいと考えています」
アサキは疑心半分、といったような顔で鼻をならした。
「ヒトっていうのは本当のようだね。……これは芳村さんの字だ。まずはその鼠を見せて欲しい。話はそれからだ」
伸ばされた手に、ケージを差し出す。
「どうぞ。……あの、千晶さんを知っていますか」
その言葉に、アサキの動きが止まった。
「……心当たりはある。どういう関係だ」
「夜鷹にいます。都外一の喰種組織です」
今までよりも鋭く低い言葉に、理奈が答えた。
「勝手に出て行ってすまなかった、と伝えて欲しいと頼まれました」
アサキの体から、こわばりが抜けた。
「生きていたのか」
「はい。お世話になっています」
「そうか……」
アサキはため息をついた。
「無事で、何よりだな。所在は? 一度、顔を見たい」
その顔は入った時よりも和らいでいた。
「すみませんが、千晶さんは葬儀関係の職に就いているので、東京の喰種との接触はできません。夜鷹は機密の保持に慎重です。私が東京に来れたのは、父がただの技術者として働いているからです」
申し訳なさそうな理奈の態度に、若干落胆したようではあったが、責める様子はなかった。
「確かに、それなら仕方がないな。私のせいで駆逐されたらたまったものではないだろうし、夜鷹そのものが崩壊する可能性もある……」
アサキは顎をさすって考え込んだ。
葵もその決まりについては聞いていなかったが、夜鷹の食料配給の中核を担う葬儀関係には、慎重になるのは当然だ。もしも一人が喰種だとばれてしまえば、県内の葬儀関係者が洗われるのは当然の流れだ。食料の調達が断たれ、多くの喰種の存在が露見される未来は、想像に難くない。
「なら、手紙だけでも届けてくれないか」
「それなら大丈夫です。私の家は20区との連絡係も兼ねていますから、その点でも何かあれば言ってください」
「ありがとう。もう少し詳しい話を聞かせて欲しい。説明役は一人で足りるのだろう。ヒトの君が来たのは、誠意を見せるためか」
「はい」
いきなり話を振られて緊張しつつも、落ち着いて返す。その返事に満足したのか、アサキはおもむろに診療所の奥を振り向いた。
「リョーコ、ヒナミ、おいで。話は聞こえていただろう」
その声にこたえて、おずおずと二人が出てきた。一人は、まだ幼い。
「私の妻子だ。自慢の子だよ。私よりもとても優しい。少し、話をしてあげて欲しいんだが」
どうだろうか、とアサキは葵を向いた。
葵は現れた母子を無言で見る。僅かばかりの警戒と好奇心が、母親の後ろからこちらを見る姿にありありと表れていた。リョーコと呼ばれた母親の会釈に、葵は礼を返した。
「私で良ければ、喜んで」
出来るだけ緊張を見せぬよう、無造作に近づいた。喰種だ。――喰種だが、おそらく、宮野家に近い性質の。
「高瀬葵です。よろしくお願いします」
「こちらこそ。笛口リョーコです。こちらは、娘のヒナミです」
「……ヒナミ、です」
ヒナミは母に促され、小さな声ながらも、葵から目を逸らさずに言った。
「よろしくね、ヒナミちゃん」
赫子移植マウスの説明は理奈に任せ、リョウコに勧められて奥に行く。確認の為にちらりと理奈を見れば、軽く頷いて返された。おそらく大丈夫だろう。
リョウコに勧められ、ヒナミと向かい合うように床に座った。正座はあまりしないので、崩すように言われたのはありがたかった。
「……あの、お姉さんは、人間……なんですよね」
「うん、そうだよ」
遠慮がちに尋ねてきたヒナミを怖がらせないように、柔らかい表情を心掛けながら返す。ヒトである自分が喰種を怖がらせないように、というのは少々おかしな気もするが、個体としてではなく社会の一部としてのヒトは喰種に恐れられているのも事実であるし、ヒナミは理奈の妹の千鶴よりも幼いように見えた。学校に行けているかどうかは分からないが、ヒトであれば小学生か中学生あたりの歳だろう。
「正確に言うと、大体は、かな。臭いが違うの、わかるの?」
ヒナミはこくりと頷いた。かわいらしい子だ。
「どんな臭いがするの?」
「えっと、そっちの腕はあっちのお姉さんと似た臭いがします」
思っていたよりも正確な答えに、軽く驚いた。
「私が持ってきたネズミからも同じ臭いがしてなかった?」
「はい」
ヒナミは迷いなく答えた。理奈は喰種の中でも嗅覚が良い方だと言っていたが、ヒナミも恐らく感覚が鋭い方なのだろう。
「ヒナミさんって、鼻が良いのですね」
「ええ、私とアサキよりも鋭いようで。トンビがタカを産んでしまったみたい」
素直に賞賛の意を示すと、リョーコは穏やかに応えてくれた。
「……他は、どうかな。変な臭い、しない?」
ヒナミは軽く首をかしげ、眼を閉じて息を吸う。
「変ではないと思います。……とても、いい匂いです」
「いい匂いか……シャンプーかな。安物だったと思うけど」
「えっと、そうじゃなくて」
言いよどむヒナミに、葵は少し意地の悪い事を聞いてしまったかもしれないと思った。
「美味しそうな匂い?」
「……ヒナミ、お姉さんの事を食べたりしない」
肩を強張らせてうつむいている姿に、やはりと思う。自分は、食料として魅力的なのだ。
「大丈夫。気にしてないよ。ごめんね、そういうつもりじゃなかったんだ。臭いについて確認しておきたかっただけ。私の体はちょっと特殊でね」
軽く左腕を捲って見せる。
「もうほとんど痕が残ってないけど、この腕はね、ちょっとした事故で抉られたんだ。それで、あっちの人――理奈に、赫子で治してもらったんだよ」
ゆっくりと話すと、ヒナミはしげしげと葵の腕を見た。
「……痛かった?」
「まあ、多少はね」
葵は腕をつつき、つまむ。神経はほぼ完全につながっているが、ほんの少し、以前とは違う感覚。
「あっちのネズミと同じ処置をしたんだけどね、私はヒトだからか、ちょっと違った結果になったんだ。赫子から作られた組織が変異して、赫包のようになったみたい。私の肘から下にはね、Rc細胞管が張り巡らされているの。だから、この腕だけは、ほとんどヒナミちゃんと同じなんだよ」
へえ、と感嘆したようにヒナミは言った。奇妙な臭いに納得がいったらしい。
「だからね、左腕の握力ならヒナミちゃんに勝てるかも。上腕は普通の人間だから、腕相撲はどうなるかわからないけど」
「……腕相撲」
口の中で繰り返すヒナミに、葵は言葉を止めた。
「腕相撲、知らないの?」
「……本で読んだことはあるんですけど、どういうものか説明がなくて」
「危ないから、学校に通わせていないんです」
リョーコが口をはさんだ。理奈からは、東京ではそういう事が多いと聞いていた。前に会った董香も学校には行ってないらしい。
「そうですか。……腕相撲ってのは、力比べの事だよ。こうやってね、肘をついて向かい合わせに相手と手を握って、押し倒した方の勝ち」
身振りを交えながら、ヒナミに説明してみる。伝わったようだ。
「まあ、ほとんどは弱っちいヒトだから、あんまり乱暴に扱わないでね」
ヒナミは困ったように笑った。馴れ馴れしくしすぎたかもしれない。
「ヒナミちゃんは、よく本を読むの?」
「はい」
「どんなの?」
ヒナミは何冊か本の題名をあげた。一冊は知っているものだったが、残りは聞いたことがなかった。
「……でも、あまり本は読めないんです。中々買えないから」
「ヒナミちゃんって、何歳?」
「十二です」
「じゃあ、小学校の六年生くらいか……」
自分はそのころ、何を読んでいたか。確か、ナルニア国物語などを読んでいた気がする。自分が昔読んでいた本を譲りたいが、生憎と実家にある。
「新品にこだわらないなら、私が前に読んでいたのを持ってこようか? 実家にあるから、渡せるのはちょっと先になるけど」
「……お姉さんの本」
「……ああ、ヒナミちゃんって、鼻がいいんだっけ。ヒトの臭いが気になるかな」
「いいえ! その、嬉しいです。ありがとうございます」
ヒナミは頭を下げた。学校へは行けてないが、行儀は良い。親の躾のたまものだろう。
「……なんで、お姉さんはヒナミ達に良くしてくれるんですか。……ヒナミ、喰種なのに。あと、『協力者』って、どういうことですか」
ためらうような沈黙の後、葵を見ずに、吐き出すように言うヒナミに、葵は内心でため息をついて頭を掻いた。どうも、自分は順序を間違える。
「私は、理奈の友達なんだ。だから、喰種の……
ヒナミは神妙な顔で頷いた。
「なら、私はヒナミちゃんの味方だよ」
「……でも、ヒナミは人間を食べます」
その小さな声に含まれていたのは、罪悪感か、警戒か、線引きか。あるいはそのどれとも違う感情か。幼いながらも思いつめたような顔を見ながら、葵はむしろ明るく続けた。
「そう、そこ。そこさえ解決できれば、人間と喰種は和解できると思わない?」
「……うん」
「だからね、私と理奈で代用品を作っているんだ。あのネズミは、そのためのものなの。喰種はすぐに怪我が治るでしょ?」
「うん」
「あのネズミに移植した赫子もね、削っても、ちゃんと餌を与えれば赫子の組織が再生するんだよ。そしてね、削り取った赫子の組織と、人間が食べる豚肉を混ぜ合わせて、喰種でも食べれる肉を作れるんだよ」
「……本当に?」
黙っていたリョーコが息を飲む気配を感じながら、葵は心からの笑みを浮かべて肯定する。
「……でも、ネズミさん、痛いよね」
「私と違って、移植された赫子はほぼそのままの性質を保っているから、ほぼ痛覚はないみたいだよ。……失礼な事を聞きますが、リョーコさんは赫子を出せますか?」
「……ええ」
「赫子にはほとんど痛覚は無いですよね」
「はい」
予想通りの答えを確認し、葵はヒナミに向き直った。
「だから、大丈夫。
元になるネズミはちょっと特殊なものだから、まだたくさん用意できてないけど、喰種全員に配れれば、もう人間と敵対する必要はなくなるよね? それに、将来的には、喰種も食べれる豚だって作れるかもしれないんだよ」
凄い、とヒナミは顔を輝かせた。
「でしょう? 科学って凄いんだよ。
ヒナミちゃん、人間だって肉も野菜も食べるし、生き物を食べる事には変わりないんだ。喰種が人間と違うのは、食べれるのが自分と同じような見た目で、同じような知性を持っているものだけって事だけで、他は変わらない。ヒトは植物にはなれない。私だって生き物を食べなきゃ生きていけない、傲慢な生き物なんだよ。そして、生き物は生まれを選べない。だから、ヒナミちゃんは罪悪感を持たずに生きて欲しい。勿論、ヒトを殺して回って欲しいわけじゃないよ。
私はね、ヒナミちゃんが堂々と『自分は喰種です』って言える社会を作りたいんだ。ヒトと同じように、ヒトと一緒に、学校に行って、友達と喋って、楽しい食事ができる社会。素敵だと思わない?」
「……出来るの?」
「今のままじゃただの夢だけど、持ってきたネズミがその最初の一歩なんだ」
ヒナミの嬉しそうな顔から、緊張がほぐれているのを感じた。純真無垢な、――世間の喰種の印象からはかけ離れた喰種の少女だ。人間と喰種がいがみ合い憎しみ合う東京にも、この笛口家族のような喰種がいる。それが、喰種と人間の共生の灯のように思えた。
「ヒナミ、お姉さんの事、応援する。学校に行けるようになった時の為に、勉強も頑張る」
「そうだね。それに、勉強できた方が、人間の社会で働きやすいから、頑張って。本と一緒に、私の教科書を持ってきてあげようか。理奈もくれるかもしれないから、後で聞いてみるね」
嬉しそうなヒナミの顔が愛おしく思えて、その頭を撫でたいとすら思った。流石にそれは馴れ馴れしすぎるので、代わりに右手を差し出す。
「握手、してくれるかな。友好の証。普通は会った時にするものなんだけどね」
言ってしまってから、照れくさく感じる。
「うん」
ヒナミは慎重に葵の手を握った。ヒトの方の手なので、力加減がわからず、怖いのだろう。
「私達、仲間だよ。喰種とヒトだけど、一緒に暮らすのを目標にする仲間。さしずめ、共生派、共存派ってところかな」
小さく柔らかな手を、ゆっくりとほどく。
「あのね、ヒナミちゃん。最初に私に、『人間?』って聞いたよね」
「うん」
「私は、生物学的に言うと、学名ならホモ・サピエンスって言うんだ。でも、普通の場合、生物学上の種を言うときは、『ヒト』って、カタカナで書くんだよ」
床に指で文字を書いて見せる。
「それでね、『人間』とか、『人』――特に、『人間』の方は、確かにこっちも生物学的な『ヒト』を指すこともあるんだけど、むしろ社会的な存在としての人、という意味合いが強いんだ」
ヒナミは真剣に葵の話を聞いていた。リョーコも黙って、葵の話に聞き入っている。
「理性とか、感情とか、知性とかを持つ存在。相手を思いやったり、他の人と協力できたりする人。『人間』にはそういう意味もある。この場合なら、私はヒナミちゃんも間違いなく『人間』だと言えるよ」
理奈が奥に葵を迎えに来るまで、それなりの時間をヒナミと話し込んだ。マウスの説明にかかるだろう時間を大きく超えている。所々聞こえてきた会話から察するに、夜鷹や千晶についても話していたらしい。
持ってきたマウスは、アサキが引き取ったので、帰りは手ぶらだ。世話が可能なら、引き渡すつもりだった。預けて調べてもらうという目的もあったが、マウスの支給のためのモデルケースとしての意味もあった。これで成功したら、家を持ち、飼育できるだけのお金を持つ喰種にマウスを広める事が出来る。
「では、お願いします。先程も言いましたが、餌はなるべく、たんぱく質が多いものを選んでください。余裕があれば、ミルワームなども良いようですので、試してみてください」
「わかった」
にこやかな家族に送られて、理奈と葵は笛口家を後にした。
「……理奈、あのさ」
十分に離れたのを確認して、葵は口を開いた。
「私、美味しそうなんだって。他の同年代の女子と比べてみて、どうかな」
理奈は口ごもっている。ぶしつけだったか。
「じゃあ、順番を変える。若い方が美味しそうに見える? 美味しかった?」
「それは、まあ。何度か食べる機会があったけど、老人よりは美味しかったと思う。多くの喰種は、若い方がいいって言うよ」
これは予想通りだ。
「私はね、自分がどれほど食料として魅力的なのか確認しておきたいんだ。若い、という点で私は他よりも狙われやすい。その中でも、さらに『美味しそう』な匂いがするかな?」
理奈は迷った末に、無言で頷いた。
「それは、個人的な、嗜好として? それとも、喰種の中で一般的に美味しそうだと思われる部類の?」
「……一般的な喰種として」
やっぱりか、と呟く。
「私の匂い、変わってたんでしょ。――多分、大学に入ってすぐから」
理奈は目を見開いた。
「どうして、それを」
「喰種の食料として何が魅力的かって考えれば、『Rc細胞が多い個体』ってのは、すぐにわかる。ただ、喰種の肉は不味いらしいので、やはり生物として共喰いは避けるらしい。なら、『人間の要素を持ち、かつRc細胞が多い』のが最も好ましい個体になる。……それは、今の私と完全に合致する。
喰種の嗅覚は同族どころか個人も判別がつくぐらいに鋭い。なら、生死に直結する、獲物のRc細胞の量を感知することも可能だと思った」
葵は理奈の顔を見る。
「今の理奈の反応から、それが証明されたように思う。教授の実験の一環として、Rc細胞を増やす生活習慣にしたのが、その時期。それで、柘榴を食べた時期、腕の移植をした時期で、匂いは急速に変化しなかった?」
「……うん。してた」
「ちゃんと早めに行ってよね、そう言う事は」
おそらく、腕の事件があって言いにくかったのだろう。食料として葵を見る事に、引け目を感じていたと考えるのが妥当か。
「そうだね、うん」
「でさ、ここからが本題」
葵は一度、口をつぐんだ。
「……食べてみて、どうだった?」
「どうだった、って」
「本当に美味しく感じられたなら、私は喰種に狙われた時、本気で逃げるために用意が必要になる。それでさ、前に――移植した後に、実験で軽く抉って時、食べてもらったけど、どうだった。喰種の味だった? それとも、美味しい人間の味?」
理奈は葵に目を合わせなかった。
「人間」
「美味しかった?」
「わからない。ごめん。私は、ほとんど若い人の肉を食べたことがない。だから、食べ比べは出来ないし、貰った肉だから新鮮なものでもなかった。だから、私には正確な判断はできないと思う。ただ、今まで食べた中では最も美味しい部類に入るよ」
理奈の答えに落胆する。左腕を削って渡して、喰種のふりをすることはできないらしい。これからは護身についても考えなくてはならないだろう。
「わかった、ありがとう」
多少の遠慮はあるが、今の率直な物言いに、高校の――知ってからすぐの時とは段違いの信頼を感じる。それだけは、嬉しかった。
金木が月山に目をつけられた理由、什造が美味しそうな匂いをしていた理由を考えた結果です。この作品内では、什造は体格、筋肉量に対して極端に運動能力が高い=Rc細胞を多く保有している、という設定です。