彼女の瞳は血の色だった 作:レイ
次の日、包帯を外してみると、腕の出血は完全に止まっていた。再生された皮膚をつつく。――感覚がある。
腕、指を動かす。全く問題がない。神経までつながっているなんて、と呆れて笑えた。
今、理奈は出かけている。少しくらいの無茶は許されるだろう。
まずは赫子を使った部位に、血糖値検査用の針を刺す。数ミリしか針が出ていないので、もし刺さっても大事にはならない。しかし、刺さる事はなかった。これは今までのマウスの実験から予想できたことだ。包丁の刃を滑らせる。――やはり、傷はつかない。変な気分だ。
もう片方の掌に針を刺す。――出血。これも予想通りだ。
移植された部位の近くを刺す。――出血。しかし、止血が速い。
あれ、と呟いてもう一度近くを刺す。やはり、止血が速い。
――Rc細胞管が伸びているのか。
自分の体はどこまで喰種に近づいているのか。今まで、Rc細胞値を徐々に上げてきた影響もあるのかもしれない。初めは食習慣から、続いて運動、最近は理奈と一緒に代用肉の試作品まで口にしている。……初めて食べた後の採血検査では、Rc細胞値が跳ね上がり、上城先生を驚かせてしまった。確か、人間の基準値を少しだけだが上回っていたはずだ。それからは念のため採血実験から抜けさせてもらった。
それでも、移植したのは赫包ではない。食性の変化はおそらくないだろう。もう少し離れたところを刺すと、止血速度は他の所と同じようなものだった。
もう一度、移植部分をつつく。――普通の肉だ。
今度は、右手の指をたわめて弾く。――痛い。
しかし、痛みがあったのは、弾いた指の方だった。驚いてもう一度弾く。やはり、硬い。
これは一体どういうことか。自律神経や筋肉の緊張に、喰種としての細胞が反応したのかもしれない。
筋肉に力を込めてから爪で突く。赫子程ではないが、硬い。
これは考えていてもしかたがない。これ以上思いつくこともなかったので、別の事をすることにする。
理奈が帰って来た時、葵はモース硬度の実験と称し、歯のエナメル質とほぼ同じ硬さの水晶を甲赫ナイフでひっかいていた。
「理奈、やっぱりすごいね、赫子。水晶に傷がついた。モース硬度7以上だよ。ほら、見てよ」
興奮気味の葵の様子に、理奈は若干引き気味であった。
「確かに、傷はついてるけど……どうしたの、それ」
「水晶なんて、数百円でその辺で売ってるよ。これは……確か、博物館の土産店で買ったやつ」
ああそう、と理奈は適当に返事をした。昨日の事が気まずくて部屋を出たのかとも思ったが、存外ぞんざいな扱いである。
「……で? 今日のメニューは何だっけ」
「いよいよ、養殖Rc細胞の出番だよ」
皿の上の焼かれた肉塊は、見た目には昨日のものとそう変わらない。
「人肉と同じ濃度になるように、挽いたRc細胞と豚のひき肉を混ぜておいた」
結果として、味は不味くはなかったが、昨日程とはいかないまでも、軽い胃もたれの症状まで出してしまった。
「……残念」
マウスからは採取できる量が少ないので、Rc細胞以外の必要な栄養は出来る限り他の食料から摂取したいものだ。
「この前食べた養殖Rc細胞単体よりも、味はましだった気がするんだけどなぁ」
理奈もお腹をさすりながらため息をついた。
次の日、葵は市販の胃腸薬を用意していた。
「なにこれ」
理奈はつまみあげて説明書きを読む。喰種には馴染みのないものだろう。
「今日は、昨日のをこれと一緒に食べてもらおうと思って」
成分の違うものを、三種類買ってきた。この中に喰種の体に合うものがあるといいのだが。人間ならば、珈琲も胃液の分泌を助ける効果がある。これも試してみるつもりだ。
三日目。一つ目と二つ目の薬は、あまり効果がなかった。この薬が体に合わなければ、他のを探さなければならない。
「……二時間経過」
どうかな、と葵は理奈の顔色をうかがう。
「体調は悪くなってないよ」
理奈は立ち上がって、赫子を出して見せた。三本ともいつも通り、腕以上の太さをしている。
「……成功?」
「の、ようだね」
理奈の満面の笑みに、葵も笑い返した。
「よし、家に報告だ」
携帯を取り出し、嬉しそうにメールを打っている。
「商品化できるかな」
「遺伝子組み換え家畜が出来るまでは、これが頼りだからね。移植マウスの生産と維持は手間がかかるし、すべての喰種の家庭に生き渡らせるのは大変だろうけど」
単純な必要Rc細胞量からの計算では、一人当たり約八匹いれば生きていけることになっている。
「商品名、なんて気が早いかな」
「――『
「柘榴……鬼子母神の話だね」
釈迦が人肉の代わりに鬼子母神に与えたのが柘榴だった、というのは日本での俗説に過ぎないけれど。
「いいと思うよ。『代用肉』なんてのは味気ないし、人肉の『代用』って連想させちゃうもんね。――うん、それにしよう」