彼女の瞳は血の色だった   作:レイ

15 / 19
14 経過

 赫子を移植した三種類のマウスのうち、残念なことに一種類は拒絶反応を示し、一週間以内に全て死亡した。調合してもらったRc抑制剤を打ったが、間に合わなかったようだ。死体を研究室に持っていくと、やはり体内でRc細胞が増殖しすぎていると藤村教授は言った。施術後のマウスの写真と記録は、毎週USBメモリで藤村教授に提出していたが、いくら拒絶反応を起こしにくいRc細胞とは言え、他のマウスには何も異常がなかったことに驚いていた。

 

 気が早いかもしれないが、喰種の社会進出への足掛かりが見えたとたん、法律改正の事が気にかかりだした。

『喰種 人権団体』

 葵は自宅でPCを使って検索をかけてみるが、その存在には端から期待していなかった。喰種に人権を与えようという奇特な人間は、そうはいないだろう。

「『鴉の会』……?」

 一番上に出てきたのは、奇妙な名の団体だった。クリックしてよく読んでみると、喰種に関する知識を広める活動をしたり、喰種の権利についての談合をしたりしている団体らしい。晴南学院大学の生命倫理の教授や弁護士などの識者も参加しているようなので、興味がひかれた。月に500円の会費で、年に四回、会報も配られるようだ。

 会の中では、喰種擁護派の人間も少なくないらしい。勿論、否定派も多いのだが、共生に関する話し合いも幾度も行われているようだった。

――驚いたな。

今までは生物学的な点からしか喰種との共生について考えていなかったので、見落としていた。こんな団体があったとは。

 さして迷わずに会員登録をした。後々、頼ることになるかもしれない。

 

 内科医の上城教授の部屋を訪れる。隔週で火曜日の六時、Rc値検査の日だ。初めは抵抗のあった血液採取も、今ではもう慣れた。

「……うん、順調に増えてきている」

 上城教授は検査結果を見せながら、そう言った。開始時は200もなかった値が、倍近くに増えていた。藤村教授に指示された、食事・生活習慣に従っただけである。

「体調に、変化はないか」

「いいえ、大丈夫です。少し、力がついたような気はしますが」

 体力の測定も行い、そちらの値も向上していたが、最近は筋肉トレーニングにも手を出しているので、念のためその事も伝えておいた。藤村教授が、運動と細胞増加の関連性も確認したいと言ってきていたためである。

 

 免疫抑制剤の投与の中止から十日、移植マウスの経過は順調だった。だが、赫包を移植したマウスのうち肩と腰に移植したものは、施術から一度も食事をとっていない。

葵は一匹のマウスを掴みだした。こちらは赫子を移植したマウスだ。餌に混ぜた睡眠薬のおかげで、深く眠っている。背中の皮膚はすでになじんでいるが、多めに移植してもらったせいか、元のマウスの皮膚よりも分厚く、硬い。それでも、マウスの動きにそれほど大きな支障はないようだった。

「……ごめん」

煮沸消毒した包丁を握り、マウスの背にそっと滑らせる。――もとが赫子のせいか、傷がつかない。

――予想はしていたことだ。

 今度は甲赫のナイフを浅く走らせる。傷が出来たが、すぐに出血が収まった。

――背中だけ、喰種化しているのか。

 移植していない部位に軽く針を押し当てると、今度は赤い血の球が浮かんだ。しばらくして出血は収まったが、これはマウス本来の止血能力だろう。

 葵はもう一度ナイフを握り、息を吐いた。マウスを握る手が強張っている。そして、もう一度ナイフを向けた。息を詰めながら、皮を浅く切り取る。これもすぐに止血された。

 

 マウスの移植部位の欠損は、僅か二日によって跡形もなく再生した。今までの実験で効果の高かった餌を与えた影響もあるだろう。今度はもっと多く、他のマウスからも採取する。前回採取した皮膚組織は、翌日が休日だったため、冷蔵庫で保存しておいた。理奈に会いに行き、食べてもらったところ、生臭く、不味くはあったが、吐き気はせず、体調不良も起こさなかったらしい。だが、少量だったのでまだ安心はできないだろう。

 一方、肩と腰に赫包を移植したマウスは、全く食事を摂らず、飢えているようなそぶりを見せ始め、三日後には赫眼に似たものまで発現させた。黒くなった白目は見えなかったが、虹彩は喰種特有の赤色に染まっていた。そして日に日に狂暴化していった。赫子移植マウスから採取した赫子の皮膚組織を与えると、症状は治まったが、これは完全に食性が喰種化したと見ていいだろう。肩に移植したマウスから赫包を取り除いたが、体調不良を起こし、数日間の発熱の末に死亡した。死体を研究室に持ち込んで調べてもらったところ、全身にRc細胞管が広がっていた。藤村教授は、これを統制する赫包を取り除いたことが死因かも知れないと言った。

 一方、腕に移植したマウスは他のマウスと何ら変わりのない様子だった。治癒力に大きな変化もない。喰種化したマウスの赫包から、脊椎に沿ってRc細胞管が伸び、全身に広がっていた事から、脊椎にRc細胞管が達しなかったことが他の赫包移植マウスとの違いの原因だと推察された。

 

 マウスの観察をしているうちに、夏休みになった。定期テストの勉強との両立は大変だったが、自分なりに納得のいく成績は出せた。安心してマウスと喰種の実験に取り組めそうである。

 

「お邪魔します」

 理奈が大きな荷物を抱えてアパートにやって来た。親から東京滞在の許可が下りたらしい。部屋に入った理奈は、まず一番存在感を放つ、マウスのケージを収めた棚に驚いていた。

「床に置いていたら、足の踏み場がないからね。理奈が来ることになったから、作ってみた」

「あ、ごめん。手間かけちゃったみたいで」

「気にしなくていいよ。前から作ろうと思ってたし。けっこう、いい出来でしょう」

 葵が自慢げに棚に手をかけると、理奈は笑った。

「荷物はそこに置いといて。一応、部屋の説明もしておこうか」

 

 荷物を片付け、風呂場の使い方などを一通り説明してから、葵は理奈を居間に座らせた。水を注いだコップをテーブルに置く。

「……不味いと思うけど、いいんだよね?」

 理奈は頷いた。それを確認し、葵は水に粉末タイプのブドウ糖を溶かした。ブドウ糖——グルコースは単糖だ。これ以上分解しない。つまり、消化酵素を必要とせず、そのまま吸収できるので、喰種でも吸収できるのではないかと踏んだ。

 まずは病院から借りた自己血糖測定器で、理奈の血糖値を測定する。針が通らないので、血液の採取には赫子を使った。――ほぼ人間と同じ値だ。

 理奈はコップをにらみ、一気にあおった。

「……感想は」

「不味い。ほら、人間でも、『吐き気がするような甘さ』とか言うでしょ。多分、それ」

もう一杯、大量に溶かしたものを飲んでもらう。理奈はひどく気分が悪そうな顔をしていた。

「平気?」

「大丈夫。吐き気は、そんなにないから」

 少しだけ時間をおいてから、再度理奈の血糖値を測った。

「……上がってる」

 誤差ではない、明らかな変化だった。理奈の顔を見ると、目を丸くしている。

「肉以外からでも、栄養が取れるんだ……」

 その顔が、徐々に喜びへと変わっていった。赫包を基点とした生態上、Rc細胞の摂取が必要なのは変わらないだろうが、これは凄い事だ。予想はしていたことだが、実際にそれが数値としてわかるのは、嬉しいのだろう。

「葵、ありがとう」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。