陽だまりの君へ   作:Mi-Me-2

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5.昼夜/会遇

「その女、ソーンツェ、だったか?その女のこと」

 

「好きなンだろう?」

 

 小此木は告げる。

 

 白沢にとって、重要な一言を。

 

 

 

 

 

 …だが。

 

「…好きか嫌いかで言えば勿論好きだろうな。で?何を言いたかったんだ、お前?」

 

 何でもないように、「それは重要なことか」とばかりに、彼にとって重大な質問を白沢は簡単に肯定してみせた。その言葉を聞いて、小此木は真剣な表情で白沢の瞳を見据え、軽く首を横に振った。

 

「いや、そうじゃねェ。単なる好き嫌いの話じゃアねェんだよ。こういうのは」

 

「…それは、どういう意味だ?」

 

「そのままの意味だっての。俺が言ってンのは単なる好き嫌いの話じゃアなくて、異性として、ぶっちゃけて言やァ女として、そのソーンツェって女子生徒のことが好きなのかってことだ」

 

「…それは」

 

 言って、白沢は黙りこむ。無表情に、先ほどの小此木の言葉を思案しているようだった。それとも、自分の感情を整理しているのか。小此木には分からない。ただ、変に静かになってしまった雰囲気を嫌って、彼は明るく話を切り出そうとする。

 

「まァ、こンな夜のファストフード店で考えることじゃねェよ。んなこたァ。さっさと帰って風呂ン中ででも考えな」

 

「……」

 

 白沢は動かない。小此木がストローを咥え音を立ててジュースを飲み干した。その間も、白沢は何かを思案しているようだった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 全く動かない白沢を不審に思い小此木は声をかける。彼は、そこでようやく自分がファストフード店にいることに気付いたかのように目を瞬かせた。無気力にも見える瞳が小此木を捉える。

 

「大丈夫か?その女子生徒のことでなンかあったのかよ?」

 

「…何もないならこんなに悩まないだろう」

 

「そりゃア、そうだけどよ。…ンで、何が問題だってンだよ?そのソーンツェとやらが好きなら好きで告白でも何でもしちまえ。タイミングを窺うってンならそれでもいいがよォ。嫌いってこたァねェんだろう?好きでも嫌いでもねェってンなら俺と同じように現状維持していきゃアいい」

 

 投げやりに言って小此木はストローを咥えた。そして中身を既に飲み干していたことを思い出しフタを開け中の氷を口に放り込み、ガリガリと噛み砕く。そんな様子を見ながら、困ったように眉を顰めて白沢が口を開く。

 

「…いや。そもそも、恋愛感情なんてのが分からなくて、だな」

 

「はァ?じゃアなンだ?いくらなンでも今まで誰にも惚れなかったってのはねェだろう」

 

 ファンクラブすらあるくせにいくらなンでもそりゃア、と呆れる小此木に、白沢は真剣な眼差しで頷いた。

 

 絶えずガリガリと氷を砕いていた音が途絶える。

 

「…マジでか」

 

「お恥ずかしながら。そもそも、好きになった女性とかじゃなくて、『俺が嫌いになったモノ』自体がほとんどなくてな」

 

「嫌いになったものがほとンどねェって?お前実験授業とか調理実習とか嫌いなンじゃなかったか?」

 

「苦手なだけだ。嫌いなわけじゃない」

 

「捉え方次第だろ、そりゃア。…女の好みは?」

 

「そういう、恋愛感情というかな…誤解を恐れずに言えば、性的に女性を見たことが無いんだ。好みもへったくれもない。強いて言うなら元気に生きている娘ってことくらいだ」

 

「…ンじゃア、嫌いな食べ物は」

 

「特に、無いな。特別好きなものも無いが」

 

「スポーツは」

 

「嫌いなわけじゃない」

 

 …はァ、と小此木はため息をつく。どうやら本当に嫌いなものは無いらしい。ここまで来ると何が嫌いなのか気になるところだ。…もしこれで『嫌いなものってもよく考えたらないな』とか抜かしたら笑ってやる。

 

「じゃア、逆に嫌いなものってなンだよ。ほとんどってこたァ僅かにでもあンだろう?」

 

「自分だな」

 

 即答か。小此木は無意識のうちに乾いたような笑みを浮かべてしまう。

 

「本気か?」

 

「当たり前だ。この世界に生きていて最も無意味に感じるモノだ。見ての通り生きがいも何も一つとして無い男だからな」

 

「…あのなァ。俺達はまだ高校生だぞ?それこそ生きがいやら働きがいなンてのを見つけるための時期じゃねェか。そンな時期に無意味だとか言ってもしょうがねェぞ」

 

「…自我の同一性の確立をする時期って話か」

 

 そういうこと、と小此木は氷が融けて出来た僅かな水をとけ残った氷と共に口に流し入れ噛み砕いた。そうして真剣な話をするための照れ隠しなのか、気だるげな表情で告げる。

 

「真面目な話をするとなァ、俺らくらいの歳の奴らは大人じゃねェんだ。面倒くせェ『大人の責任』ってヤツが免除されてるわけだからな。大人でもなけりゃア子供でもねェ訳さ」

 

 ぴっ、と小此木が人差し指を立てると、白沢は黙って話を聞く姿勢をとった。まずはきちンと相手の話を聞くようなところが夜一の良いところだなァと思いつつ、小此木は続ける。

 

「そンな時期だからこそ、俺達はアイデンティティを、…変に言やァ『自分の正体』を掴むために色々馬鹿やったりするわけだ。…馬鹿ってのは『馬と鹿の区別が付かねェ』って事じゃアねェんだぞ」

 

 そりゃア当て字だからな、本来の文字は『莫迦』って書くンだが、なんてことを小此木はつい続けそうになったが、白沢の「それくらい分かっている」と言わんばかりの目線によって中断する。

 

「ン、ン…で、だ。そンな時期に人間ってのはさっき言ったような『自分の正体』を確定して、いわゆる『生きがい』を見つけるわけだ。こういう時期を精神分析学的にゃア『モラトリアム』っていうンだが」

 

 そういって一旦口を閉じる。夢中になって喋りすぎたか、と思って様子を窺ったが、白沢は俯いてじっと考え込んでいるらしかった。

 

「この期間を引き延ばして大人になろうとしねェ奴もいる。そういう奴らを精神分析学的にゃア『モラトリアム人間』だとか言うらしいが…まァ、ンなこたァどうでもいい。

 要は、アレだ。自分の『生きがい』を見つけるのが今の俺らのやるべきことな訳だし、色々挑戦してみなってことだ。彼女作ってみるなんてのも良い手段だと思うぜ?今好きじゃアなくても、付き合ってみてから好きになることもあるわけだしさァ」

 

 …返事が無い。

 

「…おーい?」

 

 しばらく待ったが、やはり何の返事もない。小此木が訝しんで顔を覗き込むと、

 

「……」

 

 目を瞑り、死んでいるような静けさでまどろんでいる友人の顔があった。

 

 思い切り、息を吸い込む。

 

「人がせっかく真面目にしゃべってやってンのに悠々と寝てンじゃねェーーーーー!」

 

 

----------

 

 

 小此木と同じように、クラーラは告げた。

 カチューシャにとって、決定的な、一言を。

 

 

「その『(ヴィーチェル)』のことが、好きなんでしょう?」

 

「え、そうね…そりゃあ好きだとは思うけど」

 

 空気が、凍りついた。主にノンナ周辺の空気が吹雪いているかのように冷え込んでいく。その空気を気にすることもなく、クラーラがカチューシャにさらに踏み込んだ質問をする。

 

「それは、異性としてですか?」

 

「えっ!?」

 

 ぴょこん、と目に見えてカチューシャは椅子から飛び上がった。その反応を見て、クラーラはくすりと微笑む。ノンナはショックを受けたまま固まっている。

 

「な、ななななにを言い出すのよクラーラ!?」

 

「別に、なんということはありません。カチューシャ様もお年頃ですし。恋愛経験の一つや二つ、そろそろあってもいいんじゃないかな?と思ったわけですが」

 

「な、なななななななななななななな」

 

 クラーラの言葉に、カチューシャは顔を真っ赤にさせてプルプルと震えだした。右手のスプーンがかたく握り締められ今にも曲がりそうになっているのを見ると、相当な力で堪えようとしているらしい。

 

「そ、そういうのは他人に言うことじゃないんじゃない…?」

 

「そうでしょうか?恋バナと言う言葉もあると聞きますし、そういう話題で盛り上がりたいこの乙女心を理解いただければ。まさか、カチューシャ様ともあろうお方が、恋愛に対しては無知でいらっしゃるのですか…?」

 

 クラーラは楽しみながら言葉を紡ぐ。カチューシャは彼女にとって尊敬すべき隊長であり、重んじるべき同志であり、…愛するべき妹のような存在である。そんな彼女と恋愛談義が出来るので少々舞い上がっているのだ。

 

 だが、その時。少々、彼女の予想外のことが起きてしまった。

 

 カチューシャが落ち込むように俯き、その目に輝くものを湛えたのだ。

 

「…そうよ」

 

「…どうされましたか、カチューシャ様…?」

 

「恋なんてしたことないもの!カチューシャにだって分からないことくらいあるわ!この気持ちは恋なの、それともただの友愛なの!?カチューシャは一体どうすればいいの!?何もかもわかんないのよ!」

 

 噛み付くように言うと、寝室に向かう。突然の激昂あまりの剣幕に声をかけることも出来ずに呆然とするクラーラは立ち上がろうとした姿のまま硬直し、ようやくショックから立ち直ったノンナはほとんどの状況を一瞬で理解すると、カチューシャの寝室へ向かっていった。

 

 

----------

 

 

「そもそも、向こうはお前のこと好きだと思うンだが。お前、そこンとこどうなンだ?」

 

「待て。何でソーンツェが俺を好きだなんてことが分かるんだ?お前は会った事すらないだろうに」

 

 居眠りしていた白沢を起こしてまた雑談に戻る。もう時刻は九時半を回っていた。それでも未だファストフード店には白沢たちを含めて客がちらほらと見える。昼間ほどの喧騒は無いが、辺りを見ると落ち着いた雰囲気でプラウダ生が他愛も無いことを喋りあっていた。

 

「だってよォ、寝るってのは一種無防備な状態な訳じゃアねェか。誰に何されるか分かりゃしねェし、自分がどれだけ不細工な顔晒してるか分かったもンじゃねェ。お前は気にしねェだろうが、女子生徒がそンなことを気にしねェとは考えづれェと思うンだが」

 

 その雰囲気に混じるように、小此木たちも男子高校生らしい会話を続ける。小此木はともかくとして、白沢が女子についての話をするのは珍しいが、マンモス校であるプラウダの生徒がいちいち同じクラスにもなったことが無い他クラスの生徒を覚えているわけが無い。注目を集めることなく、夜が更けていく。

 

「そういうことか。…単に気にしない性格なだけじゃないのか?」

 

「馬鹿野郎、女がそういうのを気にしねェ訳ねェだろうが。いいか?女ってのはなァ…」

 

 下らない、男子高校生らしい会話が続いていく。小此木の過去の失敗、そして今彼らが対処に困っている金髪碧眼の少女たち。変な偶然もあるものだと追加注文したホットコーヒーを飲みながら、彼らの夜は更けていく。

 

 時折白沢が寝てしまうこともあったが、それでも大した違いは無い。一方的に小此木がまくし立て、それに一言二言程度の相槌を白沢が打つだけなのだから。

 

 何時になった頃だろうか、どちらともなく今日はこれで帰ろうと言い、その場はお開きになった。

 

 

 

 

 

 

 

「カチューシャ様?申し訳ありませんでした、出すぎた真似を…」

 

「同志カチューシャ、クラーラも謝っています。どうか機嫌を直していただけませんか…?」

 

 クラーラとノンナがカチューシャの寝室の前で声を上げる。クラーラもノンナも、ここまで自分達を拒絶したカチューシャを見たことがなかったので、どう対応していいのかわからないのだ。

 クラーラに関しては、嬉しさあまっての意地悪だったので受けたショックはノンナの比ではない。今にも倒れこみそうなほど顔色が真っ青だ。

 その後も二人はしばらく部屋の前で彼女に謝罪を繰り返していたが、

 

「…うるさいわね、もう十時過ぎよ?貴方達も自分の部屋に戻って早く寝なさい」

 

という、少し鼻にかかったような湿った声が部屋の中から聞こえてきてようやく、二人は最後に「申し訳ありませんでした」と頭を下げてから自室に戻ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 それが、『(ヴィーチェル)』と『太陽(ソーンツェ)』が出会う前の夜、それぞれが過ごした時間だった。

 

 

----------

 

 

「…はァ。今日は何なンだ、お前。どっか悪ィんだったらとっとと帰れよ」

 

「…ァ、あ?」

 

 珍しく深夜までくだらない話をして盛り上がった次の朝。俺は眠りこけ死にかけているような夜一に声をかけた。

 寝惚け眼のまま、それでも律儀に返事をするだけの気力は残っているらしい。腕をクッション代わりにして寝ていた夜一はだるそうに顔を上げた。

 

「あのなァ…二時間目からずっと寝てばっかりじゃねェかよ、一年生の時に退行でもしたか?」

 

「ああいや…あの時はいまいち時間配分がつかめてなかったし、今は大丈夫。大丈夫、なんだが…」

 

 …時間配分?気になる言い回しだ。

 睡眠時間の調節、ということだろうか?確かに一年生のときの夜一は授業中に何度も寝て教師達を困らせ続けていた。しかし、それにしては今でも授業中に眠るのは変わらない。ならば、時間調節が出来ているという夜一の言葉は間違いではないのだろうか。

 その疑問を俺が口に出す前に、夜一はさらりと答える。

 

「今のうちに眠っておこう、って話なんだ、要は」

 

「…はァ?」

 

 夜一が言っている理由がさっぱり分からない。今のうちに眠っておく、だァ?

 

「そりゃア何のためにだ。目的がなくそンな無駄なことするやつじゃアねェだろう、お前」

 

「…手紙だ」

 

 うつらうつらとまた寝そうになっている夜一は、俺の言葉に辛うじて答える。…そんなに眠けりゃア無視すりゃ良いのに。

 

「…昨日貰った手紙、『会いたい』って…」

 

「あァ?…ああ、アレか。あのソーンツェとかいう一緒に寝てる女子からの手紙か」

 

「…そうだ」

 

 再び腕に顔を埋める。眠気がどうしてもこらえられないらしい。

 手紙。そういえば、昨夜の話でもンなこと言ってたっけか。他人の惚気話なンてつまらないことこの上ないモンだが、夜一自身もそれを自慢してくることもなかったし、中身を見せてくることもなかったから、不愉快な思いはしてねェ。

 いや、普通あァいうのは他人には見せないものなのかね。まァとにかく、おかげで俺はくだらねェ惚気話にげんなりすることもなく夜一と駄弁っていられるからいいのだが。

 

 …それにしても。コイツが女に執着してるたァな。やっぱり信じられねェ、という気持ちもあるが腑に落ちる気持ちもある。恋ってなァ人を狂わせるもンだって聞くし。元からトチ狂ってるみてェな夜一が恋に奔ればこういうことになるのかもしれねェ…のか?

 

 …いや、それでも何で今寝とく必要があンだ?

 

 チャイムが鳴る。四時間目の始まりを告げる鐘の音。数人の生徒がいそいそと席に戻る。俺も同じく戻らなければいけないが、その前に。言っておかなくちゃアな。

 

「まァ、詳しい事情は聞かねェよ。お前にだって色々あンだろ」

 

「…『お前にだって』は余計だよ」

 

 げ。まだ起きてやがった。いちいち反応してくるし、今日はなンか面倒な性格になってやがンな。ああ、まァ良い。

 

「じゃア保健室で寝てこいよ」

 

「…体調が悪いわけじゃないんだが」

 

 ああ、そうだ。良いことを考えた。元はと言えば俺がハンバーガー店へ誘ったことがコイツの睡眠不足の原因の一つな訳だし、ここは保健室のベッドで休んでもらうとしよう。

 

「良いからさァ。ここで先公に怒られンのも嫌だろ、一つ芝居でもうってやるからさァ」

 

「…何をする気だ」

 

 その言葉を無視して俺は声を上げる。少し大きめに、ここら周りの生徒だけに聞こえるように。

 

「なァ、保健室で寝て来いよ。今のお前、授業中寝るわ寝言かわからねェようなこと言うわでメチャクチャうぜェんだ。そンな奴が同じ教室にいられるとこっちのやる気にも影響があンだよ。わかるか?」

 

 夜一は何も言わない。…ただ、こちらの言わんとすることは伝わったらしい。のそりと起き出し「…じゃあそうする」と呟き「すいません、保健室に言ってきます」と教師に声を上げた後教室を出て行った。

 周りのクラスメイトはその様子を見てポカンとしている。そりゃアそうだろう。俺と夜一が喧嘩になったように―――いや、今のじゃ俺が一方的に攻撃したみてェか。…ずっと寝てる奴にゃア、コレくらい言っても良いだろう。な?まァ一応、これで夜一は自然な流れで睡眠をとるために保健室に行けるというわけだ。

 

 しっかし、時間調節やら昼寝仲間の女やら。変わったねェ、夜一も。少なくとも、以前のあいつはこんな芝居に乗っかるような奴じゃアなかった。

 

 ああ、それにしても。

 

「俺も彼女欲しいなァ!」

 

 思わず大声で叫ぶ。周りのクラスメイトの目も忘れ、声の音量も忘れ、―――今が、四時間目の授業中だということも忘れ。

 周りの奴らが驚いたようにこちらを見ていて、教師がジロリとこちらを睨んでいる。

 

「小此木。彼女が欲しいのは痛いほど分かるが授業中だ、黙ってろ。あとで職員室まで来い」

 

 運悪く、数学の授業だということも忘れていたらしい。

 

 あァ、やっちまったかなァ。

 

 

----------

 

 

 カチューシャは走っていた。その手に、昼食であるサンドイッチの入った籠を持って。

 何のために?決まっている。ヴィーチェルに会うため、ヴィーチェルと話すため。そのためだけに彼女は今走っている。

 より早く、彼の瞳を見るために。

 より早く、あの陽だまりに着くために。

 

 春という季節が、その片鱗を残すばかりになった風景。青々と輝く木の葉、彼女が近くを通るとぴょんと飛び跳ねるバッタなどの虫、髪を揺らす風。そのどれもが美しくカチューシャの目に映る。それは、今の『ヴィーチェルに会える』という喜びからなのだろうか。

 頭上で燦燦と輝く太陽。そういえば、今日は何日だったろう。もしかすると、昼が最も長い日なのかもしれない。そうであればいい、と彼女は微笑む。

 

 そうであったなら、彼と会うのにこれほどおあつらえ向きな日はないのだから。

 

 

 そうして、カチューシャはいつもの芝生に到着する。息も少し切れているが、問題ではない。

 

 なぜなら。

 

「……すぅ」

 

 いつもどおり、彼はそこに眠っていたのだから。

 いつもどおりに眠る彼の傍らには、彼女と同じような籠が置かれていた。恐らく、彼も昼食をとらずにここに来たのだろう。

 カチューシャ―――ソーンツェは、深く息を吸い込んだ。ゆっくりとその息を吐き出すと、横たわった彼に声をかける。

 

「起きて、ヴィーチェル」

 

 ゆっくりと、穏やかにヴィーチェルを揺する。無反応のヴィーチェルに少しむっとしたが、すぐにその不機嫌さは解消された。

 眠りこけたヴィーチェル。そのゆっくりと上下する胸の動きを見て、カチューシャはにっこりと―――いや、にやりと笑って、彼の仰向けの体の上に躊躇なく座り込んだのだ。

 

「ほら、狸寝入りは終わりよ。起きてるんでしょ、ヴィーチェル?」

 

「…なんで、分かったんです?」

 

 彼女の重みで起き上がることも出来ず、さりとて乱暴に押しのけることも出来ず。彼―――ヴィーチェルは彼女を体に乗せたまま、声を絞り出すように問いかけ、逆光で眩しいのか目を細く開いた。

 

 近くの木にとまった鳥が、チチ、と声を上げた。




今回の話が一番書いてて辛かったです。なので短めです。どう動かして良いかさっぱりでした。

次回からは大丈夫だと思いますので、よろしくお願いします。



ちなみに、今回の話でわかったかもしれませんが、小此木の名前は精神分析学者の『小此木啓吾』さんから名前をとっています。名前だけです。

カチューシャが引きこもったシーンは天岩屋戸をイメージしたかったんです(遠い目)

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