陽だまりの君へ   作:Mi-Me-2

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…どうして、こうなった。

あと数話で完結予定です。
絶対にハッピーエンドを迎えるので、見捨てず読んでもらえるとありがたいです。



10.晩刻/凋零

 『秋の日は釣瓶落とし』という。夕方になるとすぐに日が沈み、長い夜がやってくる。なんでも、昼が長いときは何も感じないのに短いときはすぐに本能的に短いと人は判断する、とか。

 なんて、自身勝手な言葉なのだろう。

 

「ねぇ、ヴィーチェル。そう思わない?」

 

「ん……すまない、ソーンツェ。もう一回言ってくれないか?」

 

 倉庫から引っ張り出してきた年季の入った灯油ストーブが煌々と火を輝かせる暖かい室内で、椅子に座ってまどろんでいたヴィーチェルはカチューシャからの突然の質問に思わず聞き返した。

 

 

 

 秋も深まり、芝生の上で昼寝をするのはそろそろ無理があると思ったカチューシャの提案の元、彼女とヴィーチェルは校内にある談話室に集まることにした。使われていない教室に古ぼけた安楽椅子が二つとテーブルが一つ。さらに古ぼけたストーブが入って、まるで秘密基地みたいだとカチューシャはこっそり思っている。

 

 

 そんな部屋の中、しばし部屋の名前どおり談話を楽しんだ後、ヴィーチェルはぼんやりと背もたれに体重を預けて天井を見上げた。彼の座る安楽椅子がキイ、と優しげな音を立てる。

 

「ヴィーチェル?」

 

 気が付くと、ヴィーチェルは眠っていた。

 話し相手を失ったカチューシャは、いつものことだと彼の寝顔をじっと見詰めることにする。

 

 

 カチューシャは思う。

 最近のヴィーチェルはおかしい。いや、正確に言うなら一緒に水族館に行った後ごろからだ。無表情だった彼が徐々に、微かにだが笑ったり困ったりと表情を見せるようになった。その後すぐに無表情に戻るのだが、それでも変化は変化だ。

 だが、良くない変化もある。寝る回数が多くなったように思うのだ。特に彼が表情を変えた後、高い確率で彼は眠りに落ちる。昼休みにこの部屋を訪れても、いつも眠ったままだ。無理に起こすのも悪いと思って、喋らないまま昼休みが終わることもしばしばある。

 

 それでもいい、と昔は思っていた。

 それではダメだ、と今は思ってしまう。

 

 エキシビションマッチ、大洗連合対大学選抜戦。どちらの試合でもカチューシャはぶっちぎりの好成績を収め、堂々のプラウダ高校戦車道引退を果たした。

 未練はない。後継者も、少し頼りないがニーナとアリーナに任せた。ボンプルとの強襲戦車競技(タンカスロン)では敗北を喫したが、それも経験だ。

 

 そんなふうに順調なカチューシャに比べ、ヴィーチェルは調子を崩していった。

 顔色は週ごと、日ごとに悪くなり、学校を休みがちになった。昼休みに談話室にやってこないヴィーチェルをカチューシャは心配したが、住所はおろか本名も知らない関係であることが災いして見舞いに行くことすら出来ない。

 こうやって安らかに寝ているヴィーチェルの顔を見ることくらいしか出来ないのが、カチューシャにはもどかしかった。

 

「私には、貴方がわからないわ」

 

 安楽椅子からぴょこんと降りて、穏やかに眠るヴィーチェルの頬を撫でる。

 

 ヴィーチェルは苦しそうに眉間に皺を寄せ、搾り出したような息を吐いた。

 

 

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 十一月。文化祭を前日に控えた今日は、一日の授業が全て文化祭準備に当てられている。プラウダは巨大な学校であるため、クラス毎に出し物を決めていては被るし時間がかかる。なので、部活や一部の選択授業別に分かれて出し物を決める。例えば忍道であれば忍術体験をするなど、暗黙の了解でどことも被らないように各活動に関連した出し物を組むのが通例である。

 

「小此木ー。長机はこっちー」

 

「了解ー」

 

 バスケットボール部を辞めて現在はどこの部にも参加していない小此木は、本来今日何もすることはない。

 だが、紆余曲折の末自作の小説を文芸部誌に載せてもらえることになり、その代わりに文芸部の設営を手伝うことになったのである。

 

 

「小此木くーん、ちょっといい?」

 

 文芸部の女部長に呼び止められ、小此木は運んでいた荷物を持ったまま返事をした。

 

「なンだァー?」

 

「お客さーん」

 

 見ると、少し前に頼まれごとがあった写真部員の女子生徒が立っていた。

 荷物を規定の場所に置いてそそくさと向かう。

 

「小此木くん。アレ、どうだった?」

 

「あー、ありゃア無理だぞ。どうにも乗り気じゃアなかった」

 

 小此木の歯に衣着せぬ返答に、やっぱり?と肩を落とす女子生徒。初めからダメ元だったらしい。特に気にした様子もなく「わざわざごめんね、ありがとう」と言って二つ隣の写真部スペースへ戻っていく。

 

 彼女の頼みとは簡単なものだった。

 白沢夜一に被写体に、モデルになって欲しいと頼んでみてくれ、というもの。

 無論、言われた本人は即答で断っていたが。

 

 最近こういうの多いなァ、と小此木はため息をついた。

 いつも無表情だった白沢が少し前からほんの僅かに感情を見せるようになった。多分それが要因で(小此木としては『それだけで?』と思っているが)彼のファンクラブの人数が増え始めたらしく、先ほどのように『仲が良いと認識されている』だけの小此木に頼み事をする者も出る始末である。

 

「また白沢くん?モテるねぇ、彼」

 

「はァ……」

 

 ゴシップ大好き人間の文芸部部長が近づいてくる。 確か彼女の今回の作品の題名は「恋愛に失敗する方法」だったような。惚れやすい性質(たち)だと自分でも言っていたし、恋愛経験は豊富なのかもしれない。

 ちなみに、今の彼女は受験間近で恋愛などしている場合ではないらしいが。

 

「この前も告白されてるの見たよ。今月入って二度目かな」

 

「俺も一回見た。てこたァ最低三回は告白されてるわけか」

 

 話によると全員後輩であるらしい。とンだ殺し屋がいたもンだ、と小此木はため息をついた。

 すると、部長はこんなことを言った。

 

「でも、そういう君もあのクラーラさんと付き合ってるそうじゃない?」

 

 その言葉にふ、と余裕ありげに鼻を鳴らす。

 さァ、息を吐いて。いち、にい、さん。

 

「ちょっと待て。ンな話どこから聞いたァ!?」

 

 

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「いらっしゃいませー」「プラウダ校茶道部で一服していきませんかー!」「ねぇ、さっきの客引の人、外人さんじゃなかった?」「ロシア人とかじゃない?お人形さんみたいだったねー」「面白い小説が好きな貴方は文芸部へー!無料配布もありまーす!」「あー!ひさしぶりー!」「あ、継続に行った…!元気だった?」「戦車カフェ、一階多目的ホールでやってまーす」「戦車カフェだってよー。行ってみようぜー!」「もう行った」「マジかよ」「どうだったべ?」「めちゃくちゃ良い匂いした……」「女の子しかいないってマジ?」「そうだけど、めっちゃ怖い目つきの背の高い子がいてさー、おさわりはできなかったわー」「お前、マジかー」「キモ過ぎるだろ…」「吹奏楽部のコンサートもうすぐ開演でーす!入場無料でーす!」

 

 文化祭当日。様々な声が飛び交い、普段とは違う様を呈した廊下を白沢は歩いていた。人の声がミキサーにかけられているかのように混ぜられ薄れ、聞き取りづらい。雑多な音が人々の鼓膜を揺らす。

 

 くあ、と白沢は小さく欠伸をした。

 

 人が多くて落ち着かない。別段目的地もないので、とりあえずどこか休憩する場所を探すことにする。フラフラとおぼつかない足取りで人ごみを縫うように歩いていく。

 

「あ、そこの人」

 

 そんな白沢を呼び止める声が一つ。人混みでもよく通る美しい声が、彼の耳にも届いた。

 

「戦車カフェ、如何ですか?」

 

 日本人離れした真っ白な肌と金色に輝く髪を持つ少女。そんな少女が、何故かメイド服で看板を掲げ客引をしていた。チラシやビラと(たぐ)いは無駄なゴミが出るとの理由で禁止になったのだったか、と白沢はぼんやりと考える。

 と、その後ろから彼女を追いかけてくる男子生徒が一人。

 

「クラーラ、そんな格好で人ごみに紛れ込むな……って、夜一?」

 

「小此木?」

 

 人ごみをかき分けてやってきたのは小此木だった。 唯一顔見知りでないクラーラと白沢が互いに首を傾げる。

 

「あ、お知り合いの方ですか?」

 

「ん、あァ、そういや初対面だったか?クラーラ、こっちは白沢夜一。説明は…必要ねェか?そンで夜一、こっちがクラーラ。戦車道履修者の留学生だ」

 

「はじめまして、白沢さん」

 

「…ああ。はじめまして、クラーラ」

 

 差し出されたクラーラの手を、白沢は一瞬躊躇ってから握り締める。手を握ったまま、クラーラは白沢の目を見て微笑んだ。

 

「先ほども言いましたが、戦車カフェを一階多目的ホールでやっているんです、是非来て下さい!貴方なら皆大歓迎です」

 

「なンか知らねェけど不埒な輩がいてなァ、俺はクラーラのボディガード役で雇われてる」

 

 店の方はノンナが目を光らせてるらしい、俺の今日の報酬はケーキで支払われるそうだ、とため息混じりに言って小此木は、

 

「……おうおっさン、今何した?」

 

 突然声色を変え、近くにいた中年男性の手首を掴んだ。その手にはスマートフォン。どうやら、クラーラのスカートの中を撮影しようとしたらしい。

 骨が折れるのではないかと思うほどギリギリと男性の手首を小此木は捻った。いつものだるそうな雰囲気から一変して相手を強く睨みつける。

 

「今日始まってまだ三時間も経ってねェんだがよォ…アンタで三人目だよ、クソッタレ」

 

 すまン夜一、コイツしょっ引いてくる、と小此木は生徒会本部へ中年男性を引き摺っていく。よほど強い力なのか、中年男性は顔を真っ赤にして弁明の声も出せず苦悶の表情を浮かべている。

 

「すまン夜一、もうすぐ交代時間なもンで、クラーラを多目的ホールまで連れてってもらえねェか」

 

「…別に、構わないが」

 

 小此木が男性を拘束したまま歩いていく。白沢の隣に立ったクラーラが上目遣いで白沢を見上げる。

 

「よろしくお願いしますね、シラサワさん?」

 

「……ああ」

 

 無関心に、白沢は頷いた。

 

 

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 ノンナの提案した戦車カフェは非常に特殊な出店である。

 その制服だけ見ればメイド喫茶にも見えるが、飽くまで戦車カフェは『戦車』がメインなのだ。

 

「一名様ですね、こちらへどうぞ」

 

 ノンナはメイド服を完璧に着こなして、粛々とフロアマネージャーとしての責務を全うする。その鋭い目つきは不埒な男性客の蛮行を一つとして見逃しはしない。

 

 現在、既に不届きを働いた男どもの手の指を4本、足の指6本、鎖骨を一本へし折っている。

 

「お待たせしました、特製ピロシキです」

 

 優雅な所作で皿をテーブルに置く。テーブルのすぐ隣には戦車が誇り高く鎮座していた。

 お客さんの評価も上々、順調に売り上げを伸ばしている。どちらかといえば戦車ではなく戦車道履修者を目的にやってきている客が多いが、店を出る頃には戦車好きに変わっている。メニューやテーブルに置かれた冊子に書かれたコラム、ホールの壁に設置されたモニターに写しだされる今年度の全国高校生戦車道大会の様子。

 どれも戦車道ファンにはたまらない逸品である。

 

「ただいま戻りましたー」

 

 クラーラが暢気な声を上げて入店する。彼女はノンナと客人気を二分する、この店の主力である。本来彼女には店にいて欲しかったが、気が付くと何時の間にか勝手に客引に行ってしまっていた。大方、最近付き合いだしたとかいう男子生徒といちゃつきに行ったのだろう。

 

「どこへ行っていたんですか、クラー…おや」

 

 そこでようやく、ノンナは彼女の隣にいる男子生徒が手伝いを頼んだ小此木ではないことに気が付いた。

 男子生徒はゆっくり頭を下げる。あげられた顔は、既に無表情で店内を見渡していた。

 その顔は、忘れるはずもない。

 

「白沢、夜一……」

 

「……ああ、確か、ノンナさん」

 

 フン、と鼻を鳴らすノンナ。そういえば、会うのはあれ以来だ。もっと露骨に避けられるかと思っていたが、彼としてはあまり気にしていないらしい。そんな様子も、少々ノンナには腹立たしかった。

 そんな彼女たちを見て、クラーラはクスリと笑みを零す。

 

『そんなに敵意を露骨にしなくても良いでしょう』

 

『……私の勝手です』

 

 突然話し出した二人のロシア語に店内の客は一瞬ぎょっとして二人の方を見たが、自分達とは関係ないことだと見るや触らぬ神に祟りなしと目を逸らした。

 そんな店内の様子をクラーラは横目で眺める。そこに、カチューシャの姿はなかった。

 

『……カチューシャ様はどうしました?』

 

『忌々しいことに、探しに行かれました。もうすぐ戻ってくる頃かと』

 

 誰を、とはノンナは言わなかった。普段のクールな印象とは似ても似つかない、ある種子供っぽい彼女の言動にクラーラは苦笑する。

 

『では、このまま店内でくつろいでもらいますか?』

 

『……いえ―――』

 

『いや、その必要はない。俺は少し人のいないところに行きたくてね、これでお暇させてもらう』

 

「―――ッ!?」

 

 呆然とする二人を放っておいて、平然とロシア語の会話に混ざった白沢は踵を返す。

 そのまま二人が呼び止めるまもなく、彼はどこかへ歩いていき、いつしか人ごみに紛れて彼の姿は見えなくなった。 

 

 ノンナはすぐに追いかけようとしたが、目の前には新しい客の姿があった。

 見覚えのあるおどおどした少女。少女は何度か躊躇いながら、それでもしっかりと挨拶をした。

 

「ノンナさん、クラーラさん、こんにちは」

 

「……ああ、みほさん。お久しぶりです。お元気でしたか?」

 

 笑顔を作って、ノンナは西住みほに応対する。みほは少々テンパりながら挨拶をした。

 

「はい!本日は生憎の雲模様ですが雪がしんしんと降っていて、じゃなくて!あの、えっと、大学選抜チームとの試合では本当に迷惑をおかけして、その……」

 

 

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 夢を見る。

 いや、それはもしかすると昔々の出来事なのかも。

 

 ああ、でも、確かに。

 私は確かに、ここにいた。

 

 

 

 『私』は、よく親の付き合いで何かのパーティーだか祝賀会だかに行っていた。親には確かに何か関係があるのかも知れないけれど、私にとっては何の関係も興味も無いことだ。

 いつだったか、何かのセレモニーめいた何かがやっている最中、大人たちに好き勝手着飾られた『私』は一緒に遊べるような同世代の子の姿も見つけられずに会場の外の駐車場へ抜け出していた。大人たちのお堅い雰囲気は、子供心に退屈に過ぎたのだろう。

 いいえ、私が辛抱強くないのは今もね、と彼女は頬を掻く。

 

 『私』は駐車場の隅で石を蹴って気晴らしをしていた。確か、そんなときだったと思う。すぐ後ろの茂みから、声が聞こえてきたのだ。

 

「どうしたの?暇なら、一緒に遊ばない?」

 

 そう、其処で、その少年に出会った。目を輝かせ、何をさせても楽しんで身につけてしまいそうなくらいに無邪気な姿。名前も知らないその少年は、何の躊躇もなく『私』の手をとって走り出した。

 

「ちょ、ちょっと―――!」

 

「いいから―――――!」

 

 『私』の制止の声も届かない。『私』はその少年と手を繋いだまま走り、いつしか会場の裏手にある庭にやってきていた。どこかのお屋敷のような庭は、『私』が読んでいたお気に入りの絵本の城のガーデンみたいに綺麗だった。

 『私』は思わず目を輝かせた。

 

「キレイ……」

 

 その言葉にそうだろうそうだろうと少年は嬉しそうに頷き、快活な笑顔を輝かせた。

 太陽のようなその笑顔は、それからしばらくの間『私』の心に残っていた、ように思う。

 

 それからは単純で、すぐに仲良くなった私達はその美しい庭で遊び呆けた。パーティー用の外行きの格好なんて土埃塗れで、女の子と男の子も関係なくて、相手の名前も何も知らないで、ただひたすらに楽しい時間を過ごした。

 かくれんぼ、鬼ごっこ、だるまさんが転んだ……当時私達が知っている限りの二人で出来る遊びを出来る限り遊び続け、最終的には疲れて丁寧に手入れされた柔らかな芝生に無造作に寝転がっていた。

 庭の持ち主はその後大変迷惑したろうと思うが、あの感触は本当に心地良かった。もし庭師と会えたのなら、きっと『私』も彼もその腕を褒めただろう。

 

 少年は寝転がったままこちらを見て、ニカリと明るく笑った。そうして、何か小さなものを見つけて指差した。

 

「見て、この花。キレイじゃない?」

 

 少年が指差したのはその豪華な庭に誇るように咲いている大輪の花ではなく、片隅にひっそりと咲くような小さな花だった。

 

 『私』は彼の指差した花をじっくりと見る。

 ……綺麗だとは思ったが、やっぱりあっちで咲いているバラの方が綺麗に思えた。だから『私』は、そのことを思ったとおりに少年に言った。

 すると、少年は、

 

「うん、あのバラも綺麗だ。でも、この花も綺麗じゃない?」

 

「絶対あのバラの方が綺麗よ、そうに決まってるわ」

 

 ……なんて可愛くない子供だったのだろう。もし彼ともう一度会うことが出来るなら、そのときには『私』の生意気な返答を謝りたい。

 そんな可愛くない『私』の返答を聞いて彼が浮かべた表情は、少なからず『私』を驚かせた。何せ彼は少し困ったように、それでいて嬉しそうに笑みを浮かべたのだから。

 

「そうか、君は綺麗だって言ってくれるのか、この花のことも」

 

「え……?」

 

「この花はいつか枯れてしまうけど、…君に褒められてもらえたなら、この花も満足だ」

 

「ちょっと待って。私はバラが綺麗だって」

 

「『バラの方が』綺麗なんだろう?比べた結果はどうあれ、君はこの花の事を取るに足らないものだって思わないでいてくれたんだろう?」

 

「……それは」

 

 困惑する『私』を放って、少年はいやぁ、今日は良い日だと空を見上げる。

 

「僕がキレイだと思っても、この花のことはいつか忘れてしまう。この感動は、他の感動に埋め尽くされてしまう。他の人がこの花を見る頃には、この花は枯れてしまってるだろうから、この花の美しさはどこにも残らずに消えてしまう」

 

 なんだか悲しいね、と呟く彼の、何を映しても輝くその目は、どこか少し寂しそうで―――。

 

「じゃあ、残しておけば良いじゃない」

 

「え……」

 

「写真でも、絵でも、文字でも、何でも良い。その貴方が感じた感動を、残しておけば良いのよ」

 

 

 それがこんなにも綺麗なんだって、主張すれば良いのよ。

 

 

 『私』はそう言って、少年の顔を見た。

 

 

 あれれ、えっと。

 そのときの彼は、どんな顔をしてたんだっけ…?

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソーンツェ?」

 

「はッ!?」

 

 いつの間にか、眠っていたらしい。カチューシャは安楽椅子に座ったままごしごしと目を擦る。いつもの談話室。文化祭の喧騒から離れた、いつも通りの暖かで静寂な空間。

 見れば、目の前でヴィーチェルがしゃがみ込んでいた。その後ろには灯油ストーブ。そのストーブの上に置かれた小さな鍋には、黄色いスープが温められていた。

 ヴィーチェルは不思議そうな目でカチューシャの目を覗き込んで、首をかしげてストーブに向き直る。そうして大きめのマグカップに、湯気を立てる黄色のスープを満たしてカチューシャに手渡した。

 

「熱いぞ」

 

「……ありがと」

 

 受け取ったマグカップに満たされていたのは、甘い香りを立ち上らせるコーンスープだった。息を吹きかけながら一口啜り、ほう、と息を吐いた。

 そして今更ながらに、自分が何故こんなところにいるのかを思い出した。

 

「そういえば私、貴方を探してここまで来て、ちょっと休憩に、って思って座って……」

 

 自分の格好がメイド服にも似た服装(というかまんまメイド服)であることに気が付いてカチューシャは顔を赤くしたが、ヴィーチェルは何食わぬ顔で自身のマグカップにコーンスープを注いでいる。恥ずかしがっているのが馬鹿らしくなって、カチューシャはいつもどおり振舞うことにした。

 

「今までの疲れが溜まってたんだろう、休んでおいた方が良い」

 

 優しげに声をかけて、ヴィーチェルは立ったままマグカップを傾ける。そのままもう一つの安楽椅子に腰掛け、カチューシャの目を見た。

 

「ずいぶん穏やかだったけど、どんな夢を見ていたんだ?」

 

「え?うーん……あんまり、覚えてないのよ。でも、確かに穏やかな夢だった気がする」

 

 カチューシャは両手でマグカップを持ったまま、何か思案するように目を瞑った。

 ヴィーチェルはなにもそこまでしなくても良い、と言いたげな顔をしたが、残念なことに目を瞑ったカチューシャにはその顔は見えなかった。ヴィーチェルはまたコーンスープを一口飲み、テーブルにマグカップを置く。

 しばらくして、カチューシャは微かな夢の残滓を思い出し、ゆっくりと談話室の窓から見える雪を指差した。

 

「ヴィーチェル。この雪はいつか融けちゃうわよね?でも、貴方はこの雪を綺麗だと思う?」

 

「…………」

 

 脈絡のない質問に彼は、何処か空虚な間を空けて俯いた。

 カチューシャは、彼の目をじっと見つめる。

 

「……やっぱり。やっぱり、貴方って」

 

 カチューシャは椅子から立ち上がって、俯いたままのヴィーチェルに近づく。

 テーブルに置かれたヴィーチェルのマグカップの隣に自分のマグカップを並べておいた。

 

 そうして、ヴィーチェルの前に立つ。

 

「ねぇ、ヴィーチェル。私はね、出来る限り正直でいようと思ってるの。それは相手にじゃなく、自分に対して。

 勝つためにはとことんまで勝つために行動するわ。それは決して悪いことじゃない。私は隊長で、チームを勝たせる義務があった。…もちろん、私が負けたくないというのもあったけれど。

 相手が馬鹿だと思ったら馬鹿だって面と向かって言ってやるし、相手が優れていたのなら……まぁ、ちょっと認めがたくはあるけれど、素直に賞賛するわ」

 

 ちょうど、あの大洗の少女のように。真っ向から負けたとしても、相手が優れていたなら気分はそう悪くない。悔しくはあるけれど。

 

 ちょうど、あのボンプル戦のように。自身の戦術が通用せずに敗北を喫したとしても、負けを認めないのは愚者の行いだ。

 

 素直に勝ち負けを認め、次に活かして高めていくことこそが大切なのだ。

 (カチューシャ)は、そこだけは譲れない。

 

「ねぇ」

 

 カチューシャは言う。

 

 夢の中で、少年に言った『私』のように。

 

「綺麗だって思ったのなら。

『綺麗だ』って、……そう言っても、いいのよ?」

 

 

 言うべきだ、とは言えない。

 それを言うべきとするならば、私の抱くこの感情をこそ、彼に曝け出すべきなのだから。

 

 ……ああ、私はここぞというところで臆病だ。

 だけど、これだけは言っておきたかった。一緒に昼寝をしていても、水族館に行っても、話していても。 自分の感情を一言も言わなかった、彼に。

 

 (ヴィーチェル)のような、彼に。

 

 

「……」

 

 ヴィーチェルは顔を上げ、声も出さずに目を見開いてカチューシャを見た。歯を食いしばり、何かに耐えるように唇が震える。

 

「…………………………ああ」

 

 ゆっくりと、彼の中の何かに滲むように、彼の涙が頬を伝って落ちた。

 

 カチューシャは、その涙を覆い隠すように、彼の頭を自らの胸に抱きしめた。

 

 

 静かな日。

 プラウダの文化祭は、雪で白く染まってその終わりを告げた。

 

 

----------

 

 

 十二月。文化祭が終わり、あらかた学校行事が終わったカチューシャたち三年生は受験を目前として勉強に励む。

 推薦で既に入学が決まったカチューシャとノンナは受験勉強に励むクラーラに差し入れを渡し執務室で談笑する。

 もうすぐこの部屋ともお別れね、とカチューシャが言い、大学ではもっとカチューシャにふさわしい部屋がもらえますよ、とノンナが言う。

 

 しばし取り留めのない会話が続いた頃、ふとカチューシャが思い出したように言った。

 

「そういえば、文化祭のアンケートってまだ集計してなかったわね。私達でちゃっちゃと終わらせましょ」

 

「そうですね」

 

 カチューシャが手に取ったのは文化祭の戦車カフェに対するアンケート用紙の入った袋だ。一部の生徒や一般参加者が、次回の文化祭に生かせるようにと不満点、満足点を書きそこに一言つけただけの簡単なものだが、反省などに純粋に使いやすい。

 二人は何枚か手に取り、書かれている内容の気になったところをメモしていく。

 

「『もっとスカートの丈を短く』…?なんでそんなことする必要があるのかしら?」

 

「『戦車の油の臭いが気になった』ですか…次回も戦車カフェをするとは限りませんが、確かに油の臭いは戦車関係の店ではどうにかする必要がありますね…

 

 アンケートがどんどん読まれていく。残すところあとわずかとなった紙の中から、カチューシャは無造作に一枚手に取った。 

 

「『ありがとう』……これだけ?何がよかったのか、何に感謝してるのかくらい書きなさいよね」

 

「……変なメッセージですね。一般生徒ですか?」

 

「ええと…『白沢夜一』って名前みたいね」

 

 ノンナは、思わず噎せてしまった。

 

「あら、確か白沢夜一っていうと……確か、あの黒極崇彌の孫よね?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()、と言って、カチューシャはアンケート用紙をピラピラと揺らす。

 ノンナは、黙ってカチューシャを見ていた。 

 

 

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 真っ暗な艦上のテラスを、白沢は歩いていた。テラスの上でぼんやりと明かりを灯した街灯が一定の距離で立っている光景は、夜だけの街路樹のようだ。そんな感想を抱き、抱いた自分に吐き気を催す。

 

 ああ、見るな。汚すな、この美しさを。

 お前()ごときが、汚して良い世界ではない。

 

 白沢は息を吐いた。

 十二月ももはや中旬、今年という区切りも残すところあと僅か。吐いた息はいやに白く、やがて夜の暗闇に溶け込んで見えなくなる。

 

「……」

 

 ふ、と頬を緩める。その頬を、ひゅうと冷たい冬の風が撫でて通り過ぎていく。

 

 夜の散歩、だ。昼間の明るい時間は自分には余りに情報量が多すぎる。目に入るもの全てを見ていては、何時まで経っても家にすら帰れはしないのだから。

 月が煌いている良い夜空かと思ったが、今日は残念なことに月どころか星さえ見えない曇天だ。俺らしいといえば俺らしいのかも知れない、と白沢は空を見上げた。

 

 

 月は見えない。星は見えない。

 雲も、勿論見えはしない。

 でも、雲は其処に在る。

 

 見えないからこそ、其処に在る。

 

 

 白沢はテラスの手すりを乗り越える。乗り越えて少し歩けば船べりについてしまう。なんとも杜撰なセキュリティだと彼は思わずにはいられない。

 

 船べりに立つ。

 遥か下、海面すら見えない真っ暗な景色。きっと波は高くない、と根拠のない推測を立てた。

 白沢の足元、数メートル下には船の壁面に突き出たようなテラスがいくつか見える。船舶科の生徒が息抜きに訪れたりするのだろうかと白沢は思いを馳せる。

 

 と、ぐらりと彼の体が揺れた。

 

 危ない危ない、と体勢を整えて彼は歩き出した。船べりを、足を踏み外さないように。夜の寒さで表面が少し凍ってしまっているが、気をつければ足を滑らせることもないだろう。

 

「……いや、『気をつける』なんて、俺には無理か」

 

 自嘲するように呟いて、構わず歩く。

 学園艦の高さは数十メートル。どんなに上手く着水姿勢を取ったとしても、75メートルの高さから落ちれば確実に助からないと聞く。それだけ聞けばこれだけの高さなど余裕がありそうだが、実際は垂直姿勢で着水するなんて不可能だ。海の上での無風状態なんてそうそうないし、落下するとき人は本能的に身を捻ってしまう。完璧に着水が出来るのは、そう訓練した人のみだ。

 白沢は、構わず死の一歩手前を歩き続ける。この艦の上に、この世に人々の営みがまだ続いていることに笑みを浮かべながら、カツカツと気楽に歩いていく。

 

 ふと、思いついたかのようにポケットから小さな鍵を取り出すと、どうでもいいとばかりに躊躇わず無造作に海に放り投げた。

 耳を澄ませる。……何も聞こえない。

 

「こう高いと、着水音も聞こえないものなのか」

 

 肩をすくめる。人が違ったかのように今の彼は表情豊かで、どこか儚げに優雅だった。

 突風が吹く。彼の黒いコートが風になびきバタバタと音を立てる。

 寒さに手がかじかむ。感覚がだんだん鈍ってきているが、どうでもいい。

 

 

 

 

 船べりを歩き続けてどれほど経ったのだろう。 

 いつの間にか白沢はプラウダ学園艦の特徴的なスロープ状の艦首、その根元に辿りついていた。

 

「……」

 

 言葉はない。寒さに体を震わせて空を見上げた。

 

 

 星は、ない。

 

 

 白沢はふと振り返って学園艦上の街並みを見た。

 

「……ああ」

 

 光。

 光。

 光。

 

 瞬く星はないけれど。

 此処には、こんなにも美しい光がある。

 こんなにも輝く、営みがある。

 

「ああ、なんて―――――」

 

 なんて、美しい、のか。

 

 込み上げる、情感。

 胸から、心から、染み出すモノ。それを白沢は笑って肯定した。

 

 自分にも、確かにこの感情はあったのだ。

 忘れようとして、忘れられなかっただけ。

 

 あの約束が、忘れられなかったから。

 あの少女が教えてくれた、夢のカケラだったから。

 

 

 『それを抱いてはいけない、感じてはいけない』

 

 タブーが囁く。ああ、禁忌を破った者には相応の罰が下るのだろう。

 別に良い、と白沢は思う。心の臓を締め付けるこの情動なんて、もう慣れ親しんだものだ。

 

 彼を学園艦に繋ぎとめていた足が、崩れ落ちる。いや、崩れ落ちた、というのは正しくない。それは、支えていた力が急に消失してしまったかのようだった。

 それに連動して、彼の体も倒れていく。あれだけ踏み外さないように気をつけていた船べりの外へ、体が落ちる。

 

 彼は、最後まで街の光から目を逸らさない。

 

「ああ―――――」

 

 …どこからか、声が聞こえる。

 

 

 世界を穢すな。

 それは、お前(オマエ)のして良いことじゃない。

 

 

「ああ―――――」

 

 

 彼女を穢すな。

 それは、(オマエ)のして良いことじゃない。

 

 

「ああ―――――」

 

 それでも、それでも。

 

 俺は、彼女を。

 

「ああ―――――」

 

 どうしようもなく。

 

「なんて―――愛おしい―――」

 

 涙が、毀れる。

 

 

 

 

 

 

 彼の予想より遥かに早く、その時は訪れた。

 

 何の感動もない、衝突音。

 

 

 それに感動する暇なんて、あるはずもない。

 白沢夜一の意識は、そこで断絶した。

 

 

----------

 

 

 十二月、日曜日。

 あるマンションの一室で、ピンポーン、と可愛げのない無機質なチャイムが鳴った。その音に、部屋の主である小此木晶は忌々しげに表情を歪める。

 

 文化祭で発表した小説の評価は上々。小此木はやる気のあるうちに次の作品へ取り掛かりたかったが、生憎ともうすぐ間近に受験が迫っている。仕方無しに勉強を始めた彼の集中が、空気を読まないチャイムで途切れたのだった。

 小此木は少し苛立ちながら、数学の問題を解き進める手を止めて扉へ向かう。

 

「警察……?」

 

 覗き穴をのぞくと、警官の格好の男が二人、部屋の前に立っていた。

 

「夜分遅くに失礼しますー。プラウダ学園艦内警察ですー」

 

「はい……何の用です?」

 

 チェーンがかかったままで扉を開ける。警官のうち一人、中肉中背の男性が警察手帳を取り出し身分を証明する。

 

「君が、小此木晶くん?」

 

「えェ、そうですけど……」

 

「早速で悪いんだけど、この子のこと、知ってる?」

 

 警官が一枚の写真を取り出した。どうやらプラウダの生徒のものらしい。写っている生徒を見る。幸いにして、知っている顔だった。

 

「……夜一?」

 

「うん、白沢夜一くん。最近学校をずっと休んでたらしいんだけど、何か知ってる?学校に来てる頃とかになにか悩んでた様子とかあった?」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!アイツに何かあったンですか!?」

 

 取り乱す小此木に、もう一人の通学途中によく顔を見かけていた太った中年の警官が落ち着いてと声をかけた。そして出来る限り刺激しないような声色で話しかける。

 

「いいか、よく聞いてくれ。これから話すことは多分明日には広まってるんだろうが、一応、誰にも言わないでくれ」

 

「だから、一体何が――――――」

 

 太った警官は、何も誤魔化さずまっすぐに小此木の目を見て言った。

 

「この男子生徒、白沢夜一くんは昨夜、自殺を図った。何か、理由を知らないか?」 


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