―――――レオナルド・ダ・ヴィンチ
プラウダ高校は、典型的なマンモス校である。
生徒数も多く、そのためクラス数も当然多い。そして当然廊下も非常に長い、まして学年が変わりクラスが大幅に変わるこの時期には廊下が人でごった返す。クラス数が多いためクラス替えがあると友人が一人も同じ教室にいない、ともすれば見たことのある顔すら無いようなクラスになることもそう珍しいことではない。
「ノンナー。ノンナー?…どこに行ったのかしら、もう」
同じクラスだった友人を探す人でごった返す廊下を、一人の女生徒がちょこちょこと可愛らしく歩いていた。どうやら彼女も、知り合いを探しているらしい。
だが、高校生としてはあまりに背が低い。130cmにも満たないような身長である。そんな身長では高校生達の身長で姿が隠れ、彼女が探しているであろう友人からの目線では見つからないのではないか、と思ってしまうほどであるが、実際はそうなることは無い。
理由は二つ。
一つは、一般生徒の態度。彼女の姿を見た生徒が自主的に道を空けるからである。それは恐れや嫌悪ではなく、むしろ好意や尊敬からの行動だ。だが、そんな周りの態度を彼女は気にしない。誇りにさえ思っている。敬意を湛えた目で見つめられて悪い気になる人間など、そうはいないのだ。
次に。
「ここにいましたか、同志カチューシャ」
彼女が探していた友人、ノンナ。彼女がこの『小さな暴君』を、見つけられないことなどまずあり得ないからである。
カチューシャ。
このプラウダ高校において圧倒的なカリスマを誇り、戦車道という競技の中で『小さな暴君』とまで呼ばれる実力者。…だが、その可愛らしい姿からは暴君などという渾名がつくようには到底思えない。激しい口調、熾烈な作戦を立てているとはいえ、彼女はまだ、高校三年生である。…身長こそ年齢にはそぐわないが。
「ノンナは4組なのね」
「ええ。カチューシャは7組ですよね?先ほど向かったのですがちょうど入れ違いになってしまったようで、申し訳ありません」
「いいわ。それよりノンナ、今日はこれで学校は終わりだし、戦車見に行かない?」
「まだお昼ですよ、カチューシャ。ご飯を食べてからにしましょう」
カチューシャを肩車したノンナの提案に、カチューシャは素直に頷いた。
ノンナはカチューシャを肩車したまま食堂に向かう。その光景を、不思議に思う者はいない。いたとして、初めてその姿を見る一年生くらいだろう。この光景は、それほどまでにプラウダ高校の日常風景なのだ。「ブリザードのノンナ」、「地吹雪のカチューシャ」。この二人が穏やかな表情をしているのも、新学年の到来に胸を躍らせているからなのかも知れない。
今年は暖かいのか、それともこの学園艦が暖かい場所を選んで進んでいるのか。窓の外には、例年春になっても積もっているはずの残雪が既に姿を消していた。
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桜の開花前線は、いつもどおり本土より少し遅れてプラウダに到達した。満開に咲き誇る桜が、もう早その花弁を散らす。
「すいません、同志カチューシャ。書類を取ってまいりますので、一人で戦車庫まで向かってもらえますか?」
「別に良いわよ。私もゆっくりしてから行くから、貴方も焦らなくて良いわ」
「ありがとうございます」
そういってノンナとカチューシャは別れ、カチューシャは一人歩き出した。その思考は既に今年の戦車道大会の作戦について最大限に回転している。プラウダを勝たせる作戦を、大会数ヶ月前の今から練り始める。
(去年はウチが勝ったからといって、油断は出来ないわね。黒森峰は当然だけど、聖グロや継続にも油断は出来ないわ)
隊長として、プラウダの将として。今年も、負けるわけには行かない。去年の優勝は、正直に言えば相手方の自滅が勝因だったと思っている。あの自滅さえなければ、黒森峰が十連続優勝を決めていたかも知れなかったのだ。言動こそ不遜な力チューシャだが、その心自体は素直に相手の強さを認めていた。
カチューシャは自身がどう動くべきかを常に考えている。だからこそあの試合でもフラッグ車を討ち取り、今こうして隊長になったのだ。
彼女の思考は回転に回転を重ね、大きな作戦から小さな作戦へスライドしていく。相手がこう動いたらどうするか、地形、車種、状況によってどう作戦を変えるか。その思考の全ては本来戦闘中に行われるものだが、一度思考をまとめておく。こうすることで、実際の戦闘中にすぐに作戦が幾通りも思い浮かぶのだ。連想ゲームに近しいものがあるかもしれない。そうして、まずは自陣の選手のことを考えねばと思い至った。去年の三年生で空いた穴を今の二年生、そして新入生で補填しなくてはいけない。
「よし、今日は一年生の指導と行こうかしら!ちょっとビビらせて隊長カチューシャの威厳を知らしめてやるんだから!」
そういって、思考で停滞しがちだった足を戦車庫に向けて動かしていく。その途中、彼女は目の端に何か黒いものが映った気がした。気になったものは一度確認してみようという(子供らしい)好奇心に負け、カチューシャはそちらに目線を向ける。
(人が、倒れてる!?)
目に映ったのは、少し離れた芝生の上で仰向けで倒れこんでいる男子生徒の姿だった。その芝生がある場所はちょつど木々で隠れていて、彼女が今立っている所を含めて見える場所はごく僅かなようだった。
つまり。彼が倒れているのが見えるのはごく一部の場所のみ、ということだ。
どどどどうしよう、先生を呼んだ方が良いのかしらと一瞬焦ったカチューシャだったが、よくよく見るとその姿は倒れているというより寝転がっているという方がしっくり来る。何かが原因で倒れたなら、もう少しおかしな姿勢になっているだろう。
ということは、彼は自分であの場所に寝転んだということだ。
とりあえず緊急の事態じゃなくて良かったとカチューシャは胸をなでおろす。が、変に狼狽してしまったからか段々腹が立ってきたらしい。口には出さずに悪態をつく。
(何よ、ただ昼寝をしているだけじゃない。なんで私がこんなに慌てなくちゃいけないのよ)
カチューシャはフン、と近くにあった石を蹴った。そこそこの勢いで飛んでいった石は、道の端にあるベンチの金属部分に当たって音を立てた。その音にカチューシャはビクリと体を縮こめたが、寝ている男子生徒は何の反応も見せず寝転がったままだ。
(そんなに気持ちよく寝られるのかしら、あの場所。)
少し興味が沸いたが、ふと時計を見るとさっきノンナと別れてから結構な時間がたっているのに彼女は気がついた。彼女はこうしちゃいられないとばかりに戦車庫に急ぐことにした。
それから数日後。食事を済ませたカチューシャは、たまたま男子生徒が寝ていたのを目撃したあの場所を通った。大体あの辺で寝ていたんだっけと考えていると、むくむくとあの気持ちのよさそうな芝生の上で寝転んでみたいという欲求が膨らんできた。
もちろん食後の眠気というのもあったのだろうが、それよりもあの時の男子生徒の姿が忘れられなかった。このプラウダに入学して、芝生の上で昼寝をする生徒なんて見たことも無かったから。
「今日は…いないみたいね」
芝生に足を踏み入れ、そっと、小動物のように周りを見渡して人影を探す。あの時の男子生徒は見当たらない。ただの気まぐれだったのだろうか。それならそれで良い。場所は空いていることだし、今日はここで寝てみよう。
昼寝をするときにはノンナの子守唄が欲しいところだが、本当に眠ってしまっては午後の授業に遅れてしまうかもしれない。
「というか、意外とここって見えにくいのね…」
もう一度辺りを見渡してみる。先日彼女が男子生徒を発見したところはちょうど他の場所からは見えにくくなっている。木や茂みがちょうど姿を隠してくれているのだ。
こんなところで寝てたら誰も見つけられないんじゃないかと一瞬カチューシャは怖くなったが、いざ寝転んでみるとその不安も吹き飛んでしまった。
「あったかい…」
にへら、と表情を崩す。もしこの表情をノンナが見ていれば、彼女は脳内で鼻血を流しながら、『今日のカチューシャ日記はこの顔で決まりでしょう』と考えたに違いない。それほどまでに、緩んだ表情だった。
その顔からは、『地吹雪のカチューシャ』と言う言葉は連想できない。戦争を知らぬ無垢な小娘が憩うようにしか見えないだろう。それは穏やかな、これ以上ないほど平和的な表情だった。
芝生の上に出来た陽だまりに沈み込む。それだけで、カチューシャは眠ってしまいそうになる。芝生というものはこれほどまでに柔らかく暖かなものだったのか。
(眠く、なってきた、かも…)
『小さな暴君』は、その名に似合わず、しかしその姿に似つかわしい、幼い一面もあった。その一つは昼寝だ。カチューシャは普段昼寝をするとき、ノンナやクラーラに子守唄を歌ってもらったりするのが普通だった。そうでないと心地よく眠れなかった。なのに、この場所には何か魔法でもかかっているのか自分の奥底から睡魔が襲ってくる。
「……ん………ふぁ………」
小さくあくびをする。…もう少し、この場所に留まろう。まだ、暖かいこの場所から動きたくない。なるほど、これがいつも陽だまりで丸くなっている猫の気持ちなのか。猫はこんなに幸せな時間をいつも過ごしているのか。カチューシャは少し、猫が羨ましく思った。
結局、昼休みの時間ぎりぎりまでカチューシャは芝生に横たわり、何をするでもなく時間を費やした。最終的に眠ることは無かったが、カチューシャにとって何もせず、しかし幸せな気分でただ寝転がっている、というのは初めての経験だった。
また、あの場所に行こう。
そうカチューシャに思わせるほどには、あの場所での時間は、とても幸せな時間だった。
さらにその数日後、カチューシャはまた例の芝生を訪れた。もちろん、芝生で少し休みたくなったからだ。ノンナにも教えて一緒に眠ろうかと思ったが、止めておいた。ノンナがいると彼女の子守唄で眠ってしまうかもしれないし、なにより―――実に可愛らしいことだが―――この場所を、誰かに教えると言うことをしたくなかったのだ。
カチューシャ自身がこの場所を見つけたのなら、ノンナやクラーラにも教えてみるのも良かったかもしれない。だが、この場所は彼女が見つけたものではない。その気持ちが、その事実が、彼女にこの場所を教えさせようとさせなかったのだ。
だから、今日も一人で来たのだが。生憎と今回は先客がいた。無論、あの時の男子生徒だ。近寄って見てみると、彼も心地よさそうに眠っている。あの心地いい感情を彼も今味わっているのだと思うと、カチューシャもなんだか嬉しくなった。言葉ではとても説明できない感情を共有している仲間という意識、だろうか。
「ねぇ、そこの」
「…………」
声をかけてみるが、返事は無い。
「ちょっと。…寝てるの?」
「…………すぅ」
もう一度声をかけても、返事は返ってこない。だが微かに、本当に微かに、死んでいるのかと疑ってしまうほど微かに、それでいて安らかな寝息が聞こえた。どうやら、こちらの声も聞こえないほど熟睡しているらしい。その微かな呼吸音に合わせて彼の胸が、これもまた寝息と同じくらい微かに上下していた。
「…なら、いいわ」
カチューシャは今来た道を引き返す。今日のところは諦めよう。元々は彼が寝ていた場所なのだし、彼を押しのけて寝るのは違うだろうと彼女は思う。直接彼が教えてくれたわけではないが、彼がいなかったのならこんな場所、知らないまま卒業してしまっていただろう。
だから、彼女は無理に彼を起こそうとしたり、場所を分けてもらおうとはしなかった。
常に他人を見下す癖のある『小さな暴君』カチューシャにしては、非常に珍しい感情だ。安らかな睡眠は、それだけで人の心を癒すのだろう。別段気を悪くしたふうもなく、彼女は校舎の中へ戻っていった。
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その次の日も、その次の日も。その次の次の日も、次の次の次の次の日も、カチューシャは暇な時間に芝生に向かった。
そして、その日も、その次の日も。その次の日も、その次の次の日も、次の次の次の次の日も。あの男子生徒は眠っていた。相も変わらず、生きているのだか死んでいるのだか分からないほど微かな寝息を立てて。
「こういつも寝てるのを見てると、ずうっとここで寝てるんじゃないかって気になるわね…」
カチューシャはため息をつく。気持ちよさそうに眠っている彼の顔は美しく整っていて、まるで絵から抜け出して来たかのように思える。太陽光をたっぷり浴びて昼寝をしているのにシミ一つないのをカチューシャは不思議に思った。
「それにしても…この顔、どこかで見たことある気がするのよね…」
そういって腕を組む。しばし考えて、結局心当たりはなかったのか、すぐに顔を上げて男子生徒に声をかける。ちらりと胸の辺りを見たが名札は付いていなかった。不審に思ったものの、寝返りをうったときに違和感を持ちたくないからだろう、と納得する。名前を知れなかったことは少し残念だったが、仕方がない。
「ねえ、ちょっと」
「…………」
反応なし。いつも通りに熟睡中のようだ。今日も諦めようかと思ったが、今日はいつもにも増して良い天気なのだ。この芝生の快感を知ってしまったカチューシャは、今日くらいはあの快感を味わいたいと思ってしまう。
我慢できないとばかりに決意を固めて口を開いた。
「私も、一緒に寝ていいかしら?」
「…………すぅ」
男子生徒は何も答えない。微かな呼吸音が新たに生まれただけだ。だが、カチューシャはそれを肯定と捉えた。…『暴君』である。もちろん、この場にこの彼女の決定を咎める人物などいないが。
「ふう……」
コロン、と男子生徒の横の芝生に寝転がる。…やはり、格別に気持ちが良い。初めて寝転んだ日よりも、遥かに。
微睡んでいると、遥か上空で鷲が飛んでいるのが見えた。いや、こんな海の上で鷲が飛んでいるはずがない。とすると鳶だろうか。いや、もしかすると、プラウダの学園艦に存在する小さな森で生活する正真正銘の鷲なのかもしれない。そうだったらいいのに、とカチューシャは思う。
芝生の上で寝ていると、カチューシャの中で色々な疑問が浮かんだ。この男子生徒は、どうしてこんな場所を知ったのだろう。どうして毎日毎日、こうしてここで眠っているのだろう。どうして、いつも一人なのだろう。様々な疑問がカチューシャの頭に生まれ、「まぁいいか、眠いし」という感情で溶かされていく。それは、積もった雪に熱湯をかけるように。
そうして彼女の頭で幸せな世界が広がると同時に、彼女の意識もすぐに陽だまりに溶かされていった…。
リーンゴーン。リーンゴーン。
鐘の音が鳴る。今時の学校にありがちな録音のチャイムではない、正真正銘の鐘の音。一応電子機器で時間は計っているそうだが、音自体はスピーカーではなく、生の音で校内に響き渡る。
「……んん、んぅ……?」
そうして、時間通りに休み時間の終わりを知らせる鐘が昼寝中のカチューシャの耳にも響いた。彼女はゆっくりと目を開く。太陽に照らされ程よく温もった体を起こし、幸せの余韻に目を擦りながら隣を見てみる。
男子生徒の姿はどこにも無かった。寝ている間に、どこか別の場所に移動してしまったらしい。
「…邪魔、しちゃったのかしら。」
彼女は少し落ち込んでしまう。確かに、昼寝から起きて横を見たとき見知らぬ異性がいたら、誰だって驚いてしまうだろう。カチューシャは少し反省したが、
「でも、カチューシャは悪くないわよね!」
と、すぐにいつも通りの元気を取り戻した。そうだ。自分はプラウダのカチューシャ、『地吹雪のカチューシャ』だ。起きて隣にそんな自分がいて、嫌な気持ちになるだろうか?いや、誰も嫌な気持ちになどならないだろう。
彼女は少々自分勝手に自信を取り戻した。そうして完全に眠気から覚醒すると、昼寝の効果か何故だか知らないが、体の調子が良いことに気がついた。
思わず上機嫌になったカチューシャだったが、彼女は肝心なことを忘れてしまっていた。
リーンゴーン。リーンゴーン。
授業開始を知らせる、鐘が鳴る。それは、彼女が次の授業に遅れてしまったという事実を示していた。
この日初めて、カチューシャは午後の授業に遅れてしまうという失態を晒してしまった。
だが、その日カチューシャは不機嫌でなかった。むしろ、始終機嫌が良かったほどだ。
放課後の戦車道の練習でも彼女の元気は続いた。たかだか肩慣らし程度の練習でカチューシャの好きな戦車であるKV- 2をこっぴどく損傷させてしまうという、普段なら地獄のシベリア送り25ルーブルレベルの失態を犯してしまったニーナたち―――入ってきたばかりの一年生だ―――を一切咎めなかった程だ。彼女の上機嫌の理由を知らないチームメイトは、急な隊長のハイテンションにただ首を傾げるばかりだった。
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その日。平和な昼下がり。
クラスメイトが、こんな言葉を口にした。
「さっき、妖精がいたんだ」と。
「それ本当なのか、夜一ィ?」
「どうだろう。もしかしたら、幻だったのかもしれない」
気の抜けた返答。相変わらず言動がふわふわしている。
この男はいつもそうだ。いつも黙っていると思ったら口を開くし、何か言ったと思ったら特に重要じゃアなかったり、とンでもないようなことでも首肯一つで済ませてしまったり。
だがその割にはこの男、言動はふわふわと不安定ではあるものの芯はきちんとあるらしく自分が嫌なことは絶対に他人にしない。感心な性格だ。今の大多数の学生諸君に爪の垢を煎じて飲ませてやりてェくらいだ。
ただその自分がやりたくないこと、というのはこの男の道徳観によるものらしく、他人にはあまり関心がないらしい、ということがここ1年の付き合いで明らかになってきた。
この男、
その経験から言わせて貰うと、
そいつァ損な性格だ、と
だが、なんとなく世間一般で言われる『お人好し』じゃあねェんだろうなァ、とは薄々分かっている。まぁそれ以上首を突っ込む気は、小此木にはないのだが。虎子がいないことを分かっていて虎穴に入らんとする馬鹿などそうそういない。
「幻?はっきりしねェな。見たンだろ?その妖精ってのを」
俺の言葉に、しっかりと頷く夜一。
「ああ。さっき昼寝をしていたんだが、起きたら隣に小さな女の子が寝ていたんだ」
はァ?と思わず大声を上げてしまう。おかげでクラス中から変な注目を集めてしまった。取り繕うように小声で夜一に話しかける。
「お前な、そりゃア夢だぜ、夢。間違いなく。どう考えても。なンでお前と一緒に女の子が昼寝なンかすンだよ。統合性ってーか、必然性がねェだろう」
「夢…そうか、やっぱり夢なのか…」
「ああ、間違いねェ」
そういってペットボトルのお茶を飲み干す。少し喉が渇いたから小さいものを買ってみれば、昼休みが終わるまでに飲み干してしまった。こうなるンだったら大きいのを買えばよかったか。中身がないのを分かっていて、小さなボトルを目の前で揺らしてみる。向こうの景色が見えづらくなった。…なんとも非生産的な行動だ。
『妖精』とやらを否定された夜一は一人「そうか…やっぱりそうか」と一人で納得している。
うむうむ。そんな妖精など存在しないのだ。もしその『妖精』とやらがもし実在したんなら、まずは俺の目の前に現れて欲しいものだし。
「そンで?今日も何か面白い夢は見れたかよ?」
「何も。…というか、その妖精の話が夢なんだろう?」
そういって授業の準備をし始める夜一。律儀なことだ。まだ昼休み終了の鐘が鳴ったばかりだっていうのに。
「拗ねンなよ。…じゃア、その話でいいや。その妖精っての、見つけた後はどうしたンだ」
声をかける。夜一は準備の手を止める。わざわざ止めなくても、暇つぶし目的のこちらとしては片手間で答えてくれればいいのだが。
「何でそんなこと聞くんだ?」
「いいから。教えてくれたらこっちだって聞く理由も言うからよ」
つい先刻話をこちらから打ち切っておいて悪いが、俺は少し夜一の話に興味を引かれたのだ。
『妖精』というのは空想の存在だ。だからこそ、その姿には思い浮かべた人の心理がモロに出る。この昼行灯のような男が、どんな『妖精像』を思い描くのか。将来文学系に進みたい俺としては、是非とも後学のために教えて欲しかった。データは有れば有るだけいいものだ。より広く共感される『妖精像』というものがどういうものなのか。無垢なのか、そうでないのか。邪悪なのか、そうでないのか。少しでも知っておきたかった。
だが、夜一は少し考えるような表情をした後、申し訳なさそうな顔をした。
「うーん、実はよく覚えてないんだよ。小さくて可愛かった、ってくらいかな」
「小さくて可愛かった、ねェ…」
それは一般的に想像される妖精のイメージと変わらない。俺は聞いて少し拍子抜けしてしまった。この男なら、もう少し特殊な妖精像を思い浮かべそうなもンだが。
「で?この質問の意図は?」
聞いてくる夜一に仕方なく意図を話す。隠すほどのものでもないし、もったいぶらずに教えてやった。すると夜一は、
「そうか。小此木にしては随分可愛らしいテーマだな。そういうのに興味があるのか?」
とかほざいた。
「…別に。たまにゃアそういうのも書きたくなるかもなァって話だ」
「ふーん、また完成したら見せてくれよ」
「ああ」
そう。恥ずかしながら、俺は物語やらなんてのを書いている、作家志望の人間だ。怪我を理由にバスケ部を退部して小説を書き始め、その楽しさにのめり込み、最近では執筆用の万年筆まで買ってしまったほどだ。そして、完成した作品をまず最初に読むのがこの男、白沢夜一なのだ。ひょんなことから始まったこの関係だが、意外と長続きしている。普段飽きっぽい俺が物語を書くのに飽きていないからかもしれない。
「まぁ、そういうことだ。ンじゃ、授業始まるし席に戻るわ」
そういって俺はいそいそと自分の席に戻る。と、その時チャイムが鳴り、それと同時に老年の漢文教師が入ってきた。また長いダルい授業の始まりだ。
「ふー、終わったー」
「そうだな」
午後の三時限、全て国語という眠気を耐えるのに必死な授業が終わり、疲労困憊で近づいてきた俺に対して涼しげな表情で座っている夜一。クラスほぼ全員が疲れたように肩を回したり腰を捻ったりしている中、コイツだけはいつもと変わらずぼうっと座っている。
だが、俺は知っているのだ。奴がなぜこんなに消耗していないのかを。
「フフ、夜一ィ、お前さっきの時間居眠りしてたろ、見てたぞォ?」
「あ?……そうだな、少し、寝てしまったか」
そう言って決まりが悪そうにこちらを見る夜一。
なんだァ、今の反応。バレたか、とか、寝てねえよ、とかじゃなく、『寝てしまった』?俺は変な違和感を夜一の言葉に感じつつ、なんでもないように話を逸らす。
面倒くさいのはパスだ。小説のネタになるンならまだしも。第一、友人のちょっとした発言に食いつくとかただの迷惑なヤツだろう。
「ん?どうした。なンか悩み事か?夜の悶々とした感情なのか?女なら紹介せンぞ。むしろお前が紹介しろ」
「いや、俺に紹介できる女友達なんていないし。…そうじゃなくて、さっきの授業のノート、貸してくれないか」
「ん?ほらよ。貸し1な」
そういってノートを投げて渡す。そのノートを、傷が付かないように丁寧なフォームで受け止めた夜一は早速自分のノートと俺のノートを見比べ、寝て空いてしまった空白地帯を鉛筆で埋めに掛かった。
「お前、まだ鉛筆なんか使ってンのか?シャーペンにしろよ、シャーペンに」
「シャープペンなんて必要じゃない、鉛筆でも満足に文字は書けるだろう」
「…左様か」
うん、とか適当な相槌を打ちながら夜一はさらさらと澱みない動きで鉛筆を動かし、授業の内容を丁寧に自身のノートに写していく。そのペンさばきに思わず口笛を鳴らした。流れるようにってのはこういうのをあらわしてんだなぁ、と。
少しして、夜一がパタンとノートを閉じた。
「まさか、もう終わったのか?」
「ああ。意外に少なかった。…お前こそ授業、ちゃんと受けてるのか」
「当たり前だ。現代文、しかも小説だぞ。俺が眠る訳ねェだろ」
俺の好きな教科ベストワンだぞ。フェイバリットサブジェクトだぞ。そんな俺がこと現代文の小説の部分で寝るとか、お前に彼女が出来るくらいありえねェ話だ。そう言ってやると、夜一はただ少し寂しそうな顔をして、「そうかもな」なんて言っていた。…なんだか申し訳ない。ただの冗談でここまで落ち込まれるなンて思っていなかった。
「いや、すまねェ。お前にも彼女の一人くらい出来るさ。お前顔はいいンだしさ」
きょとんとした顔の無言の返事が来た。何を言っているのか分からない、ということだろうか。嫌味だろうか。
この男、白沢夜一はそれこそほとんど見た目だけで高い女子人気を確立している。確かに、もう少し顔やら何やらの雰囲気が明るくなればモデル誌の表紙でも飾れそうだな、というのは素人目の俺からでも分かる。身長は高いし、足は長いし、声は落ち着いていて、聞いていて不愉快になどならないし、…正直に言えば、顔も十分どころかこちらが嫉妬出来ないくらいの美形だ。成績も悪くないし、こんな良物件そうそうない。
じゃあなぜコイツに彼女の一人や二人も出来ないか?それは多分、コイツの独特な性格が原因だろう。誰でも拒まないが誰も受け入れない、誰とでもしゃべるが誰にも話しかけない。俺と話すときだって、話しかけるのはいつだって俺だ。
『小此木君って白沢君と仲いいよね』
女どもはそう言うが、それは大きな間違いだ。コイツにとって、コイツ以外の人間は全員等しく平等だ。『
『
「ま、お前はもう少し物憂げに窓の外でも眺めてろってェ話だ。そうすりゃア女どもも放っておかな―――いや、今でも話しかけられてるンだったな」
「ああ。何が面白くて俺に声をかけているのかは知らないが」
あーあ、可哀想に。昼休み前にも熱心に顔を赤くしながら声をかけている他クラスの女子がいたが、きっとコイツのことだから覚えてないンだろう。「ごめん、誰だったかな」と「…何か用か」くらいしか初対面の奴には話さないコイツとのファーストコンタクトで心を砕かれる女子も少なくない。でも小さいとは言えないくらいの規模のファンクラブはあるという話だ。水族館の優雅な魚は、美しいが家では飼いにくい。でも見るだけなら、って話なンだろう。その気持ちには賛同できる。『高嶺の花』って奴だ。
「そうか。その気持ちがお前にも分かるようになりゃあいいンだがなァ。ンじゃア、俺は用事があるから」
「ああ、じゃあな」
あばよ、といって夜一と別れる。次の物語は妖精の話でも書こうかなんて思いつつ、俺は自室のある男子寮に急いだ。
小説を描くのは初めて、これが処女作ということになります。はじめまして、みみづりゅーと申します。
ガルパンの二次創作小説を読み漁るうちに自分で読みたいストーリーというのが出来て、じゃあいっそ自分で書くか、とペンをとった次第でございます。今見てみると自分の想像を絶する駄文と遅筆で戦々恐々です。
カチューシャの性格が原作とちょっと違う感じがします。できる限り原作のイメージそのままで行きたいのですが…難しいですね。
長々と駄文失礼しました。ここまで読んでくださった方々には感謝しかありません。本当にありがとうございます!続きも頑張って描こうと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。
もしよろしければ、ご指摘、感想などお待ちしてます!