はじめは、お互い奇妙な“夢”を見ているのかと思っていた。
が、周囲の反応がどうにもおかしい。
まるで昨日――
そして、二人はようやく気づく。
不本意ながら――自分たちは眠っている間に入れ替わっているのだと。
それも、三年間も時を隔てて。
この“現実”に、先に気づいたのは瀧の方だった。
何しろ彼にとって、三葉を通して映る世界は過去なのである。テレビで流れている社会情勢などを見れば、自分の記憶と照合することは難しくない。
そして、自分自身の番号に電話を掛けて確信する。
『……何で俺が通ってる学校知ってるんです?』
話している相手は、間違いなく中学生の自分だった。
瀧はこの事実を、三葉のノートに記して彼女に報せる。
が、その持ち主は未来からの手紙を信じようとしない。
彼女とて、年号や日付自体は目にしている。
三年後の世界といわれれば、妥当な気がしないこともない。
だが、それはあまりに絵空事。
何より、決定打となる証拠がない。
手っ取り早いのは自分自身に訊ねてみることなのだが……解約してしまったのか、番号を変えたのか――何故か『現在使われていない』とアナウンスされてしまう。
だったら、自分の足で聞いてこい――と、入れ替わり先からの許可は下りた。
安くもない電車賃を
ただ――
願わくは、現実味のある変化であってくれれば良いのだけど、と三葉は思う。
あの田舎町で、何か大きな都市計画など持ち上がりそうな気配はなかった。
ならば、比べるべきはそこに住まう人々の方。
おそらく自分は、お婆ちゃんを置いて村の外に出ることはない。
四葉もそのまま地元の中学校へ上がっていることだろう。
もし何の脈絡もなくグレていて、髪を金色に脱色していたらどうしたものか。
それはそれで、見てみたい気もするけれど。
端から半信半疑ではあったが――三葉はこの小旅行が少し楽しみになってきていた。
が、その好奇心は地元へ着くと不安に変わる。
バスの路線が、大幅に変わっていた。
糸守へと通じる停留所がなくなっているのである。
そこで、瀧君には悪いけど――とタクシーを使ってみるも……
「ああ、糸守が
危ないから近くまででいいか? などと運転手から問われては、聞き返さずにはいられない。
「糸守で……何があったんです……?」
これに対する答えは――三葉にとって到底受け入れられるものではなかった。
隕石により――消滅――?
当時はそれなりに話題になったんだけどねぇ、などと軽い口調で話すのは――
毎年神社で行われていた夏祭りが、その年だけは
まったくもって信じ難い。
だが。
そんな与太話を聞きながら――もしそれが事実ならば、間違いなく、自分の仕業だろう――と三葉は察していた。
今年だけ夏祭りの会場を変える必然性もなければ、そんな提案自体出てすらいない。
それは、まるで別世界の話。
だが。
然程長い期間ではないが、これまで立花瀧として過ごしてきた日々、
そして、掻き乱された宮水三葉としての日々――
騒がしくも楽しかった思い出を、いまさら“夢”だなどと切り捨てたくはない。
だが、これが“現実”であって欲しくもない。
とにかく――先ずは、現地を見てみよう。
次に、何があったのかを知りたい。
この第一段階は、間もなく実現された。
タクシーを下りて山道を登り、糸守を一望できる頂上に立った時――三葉は力なく膝を突く。
目下に広がるのは大きく形を変えた糸守湖。
綺麗に縁取られていた水辺の円が、瓢箪のごとく二つに増えている。
それも、神社があったところを中心に、町のすべてを飲み込んで。
――いや、すべて、ではない。
残された校舎の跡が、行き掛けに聞いた話に真実味を持たせる。
“その年だけは、夏祭りが高校で行われた”
この惨状を見せつけられれば――自分はきっとそのように動くだろう。
もしこれが、悪い“夢”でなければ。
だが、これを“現実”として受け止めるには、あまりに重い。
覚束ない足取りで――三葉は瀧の身体を東京へ返す。
そして、彼のスマートフォンにメモを残した。
自分がこの目で見てきたことと、そして、
“三年前の糸守町について、わかることすべてを調べて教えて”
次に入れ替わった時、自分が何を見ることになるのか――
それは恐ろしいことではある。
だとしても。
これに立ち向かえるのは、自分しかいない。
いま見ている“夢”を“現実”に変えることができるのは。
糸守に迫っている“悲劇”を“奇跡”に変えることができるのは。
そんな事実はない、と言われれば、それに越したことはない。
あとは、次の入れ替わりの日が来るのを待つだけだ。
そして。
翌朝も、その翌朝も、三葉は布団の中から木目の天井を見上げる。
このまま二度と未来を見れなくなったらどうしようか。
念のため、独自に動き始めた方がいいのだろうか。
不安に押し潰されそうになってきた三日目の朝――彼女は段差から落下する。
未だ、ベッドという物に慣れていない。
しかし、お陰ではっきりと目が覚めた。
朝食当番の事も忘れて、三葉は彼の調査結果を探し始める。
最初はアラームを止めた流れでそのままタッチパネルを操作していたが……
『資料は机の上に置いておいた』
昨日も、一昨日も――いつ入れ替わっても良いよう、毎晩寝る前にわかりやすく用意してくれていたらしい。
それを見て三葉は――然程驚かなかった。
覚悟など、とうにできている。
当時の新聞や雑誌の記事になど、直に見たほどの衝撃は感じない。
重要なのは、その経緯である。
どのようにして、夏祭りの会場を変更させたのか。
これについては――どうやら、とある雑誌からインタビューを受けたらしい。
それも、父と娘で揃って。
やはり、発案は自分だった。
そして、町長たる父親に進言して、会場変更計画を実施させたらしい。
元々父は、糸守の神社や伝統を快く思っていなかった。
そこを突いて、町興しと近代化を名目に、祭りを一新させたのである。
これまでのように内輪で盛り上がるのではなく、村の外からも人を呼び寄せるには、奥まったところにある神社より、バスターミナルに近い高校の方が好都合だ。理由としては筋が通っている。……もっとも、集客効果自体は芳しくなかったようだが。
しかしそのお陰で、無駄に被害を拡大させるようなこともなかったし――思わぬところに良い変化をもたらした。
神社がなくなったことで、父と祖母との確執も和らぎ――今後は東京で家族揃って暮らしていくという。そこでも政治活動は続けていくようだが……一家を支えてもらう身としては我儘も言えないかな、と三葉は思う。
ともあれ、これで彼女の心は少なからず軽くなった。
糸守のみんなを救うための道筋は見えているのである。
それに、瀧が集めてくれたのは、雑誌のコピーだけではない。
祭りが行われた当日の資料等も断片的ではあるが残っている。
それらを基に父親に対して提案していけば――きっとうまくいくはずだ。
「ありがとう……ありがとう……瀧君……!」
できれば直に逢って、この気持ちを伝えたい。
だが、残念ながら、その彼は、今は自分だ。
我が身に戻って東京に押しかけたところで、彼にとっては三年前のこと。話が通じることはない。
届けたい声を届けられないもどかしさに苛まれつつも――三葉は、今後のカフェ巡りは控えることにした。
ここまでしてくれた彼に報いられるのは、そのくらいしかなさそうだから。
しかし、たとえ伝えられなかったとしても、
このとき芽生えた気持ちを、彼女は忘れることはない。
彗星の衝突を避け、東京へと移り住み、
そして、大切な思い出を失ったその後も――
翌日、瀧は依頼していた調査会社から、最後の連絡を受け取った。
今回の件は――人命に係わる。
それも、三葉だけでなく、町民すべての。
未来を生きる者として、自分の責任はあまりに大きい。
最初は軽くネットを巡っていただけの瀧も、糸守で起きた現実を前にその姿勢を改めた。
きっと、今まで貯めてきたバイト代は、ここで使うべきなのだろう、と。
さすがはプロというべきか――当時のマスメディアだけでなく、関係者からも話を聞き出してくれていた。
しかし――
が、どうしても頼まずにはいられなかった。
何より、現在の自分が彼女と繋がりがない時点で――きっと、そういうことなのだろう。
それでも、一度、本人の口から聞いておきたい。
だから。
『ええ、宮水議員は現在、義母と、娘さん二人との四人暮らしで――』
政治家の住所を割り出すことなど、そう難しいことではないのだろう。
だとしても、このようなストーカー紛いな所業は……と瀧は苦悩する。
しかし。
“ありがとう瀧君! このことは、一生忘れないから!”
三葉が残してくれた置き手紙の言葉に偽りがなければ、今も自分のことを忘れてはいないのだろう。
この後、何らかの形で繋がりが途切れてしまったとしても。
もしかすると、酷い別れ方をしていて――取り合ってさえくれないかもしれない。
それでも、彼は教わった住所に足を向ける。
今を生きる彼女と向き合うために。
三葉は現在大学生だという。
どこに通っているかまで訊けば早かったのだが……彼は、中途半端に躊躇した。
あくまで、“都議員・宮水俊樹の居場所を知りたい”という体裁で。
ゆえに、帰ってくるまで自宅の前で張り込まざるをえない。
集合住宅エントランスの郵便受けには『宮水』と記されている。
二つと無いほどの希少性はないが、ありふれた姓でもない。
その上――顔を合わせた日はそう深くもないが、遠目で見ただけでもはっきりとわかる。
今しがたマンションへと入っていった制服姿の彼女は――少しだけ背が伸びた、中学生になった四葉であると。
ならば――ここで待ち続けていれば――!
とはいえ。
大学生ともなると、帰宅時間は中学生のようにはいかない。
バイトでもしているのか、既に夜一〇時を回っている。
もしこのまま帰ってこなかったら――外泊?
どこで?
誰と?
自分の心の平穏を保つためにも、このまま引き下がることはできない。
そして、彼の祈りは――その三〇分後に通じることとなる。
少しずつ場所を変えてたむろしていたが、そろそろ空気も冷え込んできた。
寒いことには違いないが、エントランスの中なら夜風は受けない。
瀧はここで、手持ち無沙汰にスマホをいじったりしていた。
あまり長く同じ場所に留まり続けていると、近隣住民には不審者として映るかもしれない。
何より、既に人通り自体がまばらな時間帯である。
だからこそ。
コツコツと硬い床を叩く足音に、彼はすぐに気がついた。
丁度中から出てきたところであるよう装ってすれ違うか――瀧は画面から顔を上げる。
が、そこから一歩も動けない。
フロアの出入り口を塞ぐ形で、一人の女性がそこに立ち尽くしていたから。
しかし、一目で――彼にはわかった。
彼女こそが、自分が待ち望んでいた女性なのだと。
実際、彼女も瀧のことをじっと見つめている。
だが、何も言わない。
何も言えない。
彼女には、どのように声を掛けていいのかわからない。
心の中に様々な感情が湧き上がってくる。
故郷を失った際に、共に砕かれた胸の一欠片。
それが、みるみる満たされていく。
今まで、ずっと探していた何か。
それが、彼だというのだろうか……?
だとしても……どうしてここに?
脈絡がなさすぎる。
気持ちが追いつかない。
それでも。
彼から目を離すことができない。
もう、決して忘れたくはないから……!
「私……前にどこかで逢ったことがある気がする……?」
この頼りない呟きは、瀧を少しだけ落胆させる。
どうやら彼女は、自分のことを覚えてはいないようだ。
自分と時折、身体を入れ替えていたことは。
それでも、すべてを忘れてしまったわけではないのだろう。
だからこうして、目と目で求め合っている。
忘れてしまったことを思い出そうとして。
ならば。
彼は、彼女の記憶の彼方に訴えかける。
「はい、俺は、立花瀧です」
その名を聞いて思い出してくれれば――と彼は願うが、残念ながら、そこには至らない。
それでも、彼女の心には深く響く。
初めて聞くはずの名前が、胸の奥まで貫いている。
それは、彼によって救われた過去だけでなく――
今後も入れ替わりが続いていく未来。
その日々の中で育まれていく想いは、彼よりも更に大きい。
逢いたいのに、逢えない――募るばかりの恋心は――
「わ、わた……私……」
彼女は言葉を詰まらせる。
だが、彼はその続きを必要としない。
何故なら、彼は失っていないから。
少なくとも、彼女として過ごしてきた奇妙な日々については。
そして、これからは彼女と共に生きてゆくのだろう。
今度は、もう失われることはない――同じ世界で。
彼女と――
「宮水三葉さん、ですよね。貴女の名前は、知っています」