六道の神殺し   作:リセット

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12話 ~魔女~

さてさてエリカと護堂の出会いの話、再開といこうか。確か二人が会うまで話したか。ではその続きからだ。エリカと護堂はお互いに情報を交換した。護堂は石版をルクレチアに渡しに来たのだと嘘を交えず話した。それと交換に魔術や神とは何なのかを尋ねた。そして教えられたのは魔術師とまつろわぬ神の真相。

 

彼女曰く、神とは護堂も知っている神話、その登場人物たちに他ならない。彼らは不死の領域と呼ばれる場所からきっかけがあれば飛び出し、この世に降臨する。神話から抜け出した神々はこの世を流浪する内に本来の神格が歪み、正義の神様でも人々に仇名す荒魂へとなる。神々は強大だ、その力は天地を裂き嵐を呼び大津波を起こし、地震を発生させ火山を噴火させる。人類が敵わぬ生きた災害。それがまつろわぬ神だ。

 

 そして魔術師とは絵本の中に出てくるような魔女や、護堂のように通常の人では起こせぬ超常現象を繰る者たち。この時に護堂がチャクラと呼んでいたものは呪力だと教えられた。

 

 かくして護堂は魔術の世界に関わる事になる。生まれついての超越者、けれどもエリカはまだ護堂がそうだとは知らないのであった。

 

 

 

 

 

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「確かこのあたりのはずなんだけどな」

 

 

 地図を見ながらの護堂の発言。それを後ろからイライラしながらエリカが見ていた。その視線を感じ、ちょっとばかり居心地の悪い護堂。けれども彼女の怒りを護堂が咎める理由はない。

 

 猪が撃退された後、エリカは護堂を問い詰めた。あなたはどこの魔術師だと。しかし護堂はそんな単語を知らない身。そこから彼女を落ち着かせ、自分には小さな頃から不思議な力があったのを話した。それと同時に、イタリアに来た理由についても説明した。エリカは勿論信用しなかった。どこの世界に何も習わずに魔術を行使できる存在がいるのだ。嘘をつくなと言うのだ。そして護堂が会いに来た女性はこのイタリアでも最高位の魔女。そしてこの少年が持っていた石板。これまた護堂を嘘つきだと彼女に断定させることになった。護堂が持っていたのは高位の神具、エリカでもそうそうお目にかかれない代物。結果としてエリカの中で護堂はまつろわぬ神を招来させたカルト集団の一人と認識された。

 

 だが護堂にはこの誤解を解く手札がない。なので提案を一つ。護堂と一緒に同行してルクレチアに会えばいいのではと。そうすれば嘘を言っていないことが分かるじゃないかと。エリカも護堂がまつろわぬ神に何かしら絡んでいるだろうと推測していたので、行動を見張れるのは好都合と判断した。結果護堂の一人旅が二人旅となった。その日はもう日も暮れ遅かったので護堂はホテルに泊まり、エリカも別室を借り宿泊した。

 

 翌朝護堂達は電車で移動することにしたのだが、最初はエリカが嫌がった。理由は簡単、時間通りに電車が来ないのだ。そしてエリカは電車のような公共機関など使った事も無いお嬢様。けれども護堂は元々観光がてらに来ているのだ。異国の文化を楽しみたいのにエリカが言うように車での移動などは却下。

 

 そして電車に揺られる事数時間、ルクレチアのいるオリエーナに到着した。時刻は既に昼飯時、エリカはすぐにでもルクレチアの家を探すつもりだったのだが、護堂が腹が減った、腹が減ったとうるさかったのか、エリカが折れた。飯を先にするから静かにしろと怒鳴られたのだ。そして二人してレストランに入りエリカがてきぱきと注文。イタリア語が出来る人間がいると色々と助かるなあと呑気な護堂。その眠そうと言うか、覇気のない面に終始イラつくエリカ。この時点の彼女の護堂への評価は最低に近い。そして昼食を済ませた護堂はルクレチアの家を探し始めたのだが、これが中々見つからない。そして冒頭に戻る。そうこうしているうちにまたもエリカが切れた。

 

 

「ああ、もうじれったいわね!あなたさっきから何度同じ道を行っているの!その地図貸しなさい、私が案内するわ!」

「す、すまん。恩に着る」

「あなたの為にやっているんじゃないわよ!私が早くルクレチア・ゾラに会いたいのよ!」

 

 

護堂から地図を引っ手繰ったエリカは護堂を置いて歩いていく。その後ろ姿には怒気が宿っている。美人が怒ると怖いなとやはり呑気な思考でその後ろに着いていくのであった。

 

 

 

 

 

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 二十分程歩いただろうか、護堂達は町外れの森に近いぽつんと一軒だけ立っている石造りの家の前に来ていた。庭には雑草が生い茂り、外壁には蔦が張っている。魔女の家と言われたらいかにもな建物であった。

 

 

「ここがルクレチアさんの家か…」

 

 

護堂が一人呟いているうちにエリカがインターホンを鳴らす。だが反応が無かった。留守なのだろうかと護堂が首を傾げる内に、玄関の扉が開いた。けれどもそこには誰もおらず。

 

 

「これ入れって事か?木製のドアを自動ドアにするなんて魔術は便利なんだな」

「確かあなた自分の術を六道仙術と呼んでいるのよね。御大層な名前な割りに、こんな初歩の術も出来ないなんて名前負けもいい所ね」

 

 

感想を言ったら、なぜか馬鹿にされた。俺エリカに何かしたかと思いながらも護堂はエリカの後ろを付いていく。玄関を潜り抜けると一匹の黒猫が待ち構えていた。毛並みは美しいのだが、顔が妙にふてぶてしく可愛くない。そんな猫が家の奥へと歩きだす。時々護堂の方に振り返り一鳴きし、また奥に進んでいく。

 

 

「あれ来いってことだよな?魔女の使い魔が猫なんてまたベタな」

 

 

ともあれその猫を追う。案内されたのは薬草の匂いがただよう寝室らしき場所。そこのベットの上に、女性が一人気だるげに横たわっていた。

 

 

「我が家にようこそ、古き友人の縁者よ。君が誰の血縁がすぐに分かったよ、なるほどとても草薙一郎に似ている。私がルクレチア・ゾラだ」

 

 

 そうベットの上の女性が名乗った。ルクレチアは亜麻色の長い髪を持つ若い女性であった。そう若いのだ。草薙一郎と大学院とはいえ同学年のはずなのに、見た目は二十代に見える。だが護堂の中では彼なりに答えを出していた。エリカが言うには、ルクレチアは最高位の魔女なのだとか。最高位がどの程度なのか護堂には不明だが、多分凄いんだろうと小学生並の感想をつけた。そして創造再生のような術で若さを保っているのだろうと、当たらずとも遠からずな結論を出したのだ。

 

 

「ふむ、ところでそちらにいる少女は誰かな?とても日本人には見えないのだが」

「エリカ・ブランデッリ、赤銅黒十字の大騎士です。縁あって彼の連れとなりました」

「パオロ卿の姪御殿か。うわさは何度か耳にしていたよ。それでそんな君がどうして一郎の孫と連れになったのやら」

「シニョーラ、その為にもいくつかご質問させていただいてよろしいでしょうか?」

 

 

 シニョーラ、イタリア語でマダムを意味する。そんな風に丁重に切り出したエリカにルクレチアはにやりと笑いかけた。

 

 

「名前で呼んでくれて構わないぞ。私のような若々しい美女を年寄り扱いは適切ではないだろう」

「ならルクレチア、私の事もエリカでいいわ。単刀直入に聞くわ、この護堂の家は魔術師の家系なの?」

「おかしな事を聞くな、私の知る限りでは草薙一郎の一族は神にも魔術にも無縁のはずだ」

「そう、なら護堂が魔術を使えるのはどうしてなのかしら?」

 

 

 そんなエリカの言葉に何?と言いながら、ルクレチアが護堂の方を見る。

 

 

「えっと、エリカの言ってる事は本当です。俺は自分の術の事を六道仙術と呼称してますが、エリカが言う魔術を使えます」

「…草薙の家は私が知らぬ内に魔術に関るようになったのか?」

「いえ、使えるのは俺だけです。小さな頃から自分の中に、えっと呪力でしたっけ?それを何となく感じていて、こうしたら使えるんじゃないかなっと思って、制御出来る様練習していたら習得しました」

 

 

 その言葉にルクレチアが固まる。護堂が放った言葉、それがどれだけ異常なのかを護堂だけが理解していない。魔術を己のセンスだけで習得する。そんな事は不可能だ。もし出来るなら天才の言葉すら生温い。

 

 

「ルクレチア、本当に護堂は一般の出なのよね?」

「それは間違いない。だがそんな事があり得るのか?私も生きて長いが、初めて聞いた事例だ」

「そう、なら本当に護堂はただ自分の才能だけで魔術を身に着けたのね」

 

 

 その結論に苦い顔をする女性二人。この業界の常識を当然の如く塗り替えないで欲しい。そんな気持ちだった。

 

 

「護堂は本当にまつろわぬ神に関係がなく、ただ偶然あの場にいただけなんて。なんてこと、この私とした事が時間を無駄に浪費してしまうなんて!」

 

 

 気を取り直したエリカが失敗したと言わんばかりに嘆く。護堂が人の事を時間の無駄呼ばわりは止めてくれよと言っているが無視。

 

 

「エリカ嬢はこの島に現れたまつろわぬ神を追っているのか。ならちょうどいい、駄賃代わりに教えてやろう」

「ルクレチア、まさか今回の神が何者なのか知っているの?」

「正確には知らんがな。私が掴んだのはかの神が軍神であろうという程度だ。今から五日程前に私は異様な規模の神力が集結するのを霊視してな。様子を伺いに行ったのだ、そしてそこで二柱の神々が戦っていたよ。一柱はメルカルト、もう一柱は黄金の剣を持った戦士の神だ。この二神はお互いに最後の一撃を加えたよ。その結果戦士の神は砕け散り、メルカルトは稲妻に姿を変えどこかに飛び去ったな」

 

 

 そこまでルクレチアが言ったところで護堂が口を挟んだ。

 

 

「すみませんルクレチアさん、メルカルトってどんな神様なんでしょうか?」

「おお、少年は知らないのか。無理もないか。…少年はバアルを知っているか?」

「昔本で読んだ事があります。確か聖書に登場するベルゼブブの元ネタで、ウガリット神話の天空神ですよね」

「意外と博識だな。その認識であっているよ。メルカルトはそのバアルのこの地方での尊称なのだよ」

「そうなんですか、ありがとうございます」

 

 

 そう言って護堂は何事かを考えるように手を顎に当てて、地面に座り込んでしまった。護堂の質問に答えたルクレチアはエリカとの話に戻る。

 

 

「確か二神が相打ちになった所までは話したな。メルカルトは先も言ったが、稲妻に姿を変えた。そして砕けた軍神はそれぞれの肉片が新たな形をとってな。私が確認できたのは猪に鷲、後馬と山羊だな。それ以外は目視する前に海や空に飛んでいってしまったのだ」

「各地で確認されていた神獣たちは神の化身だったのね。じゃあ今神獣たちを倒している風の神はメルカルトなのかしら?」

「さあ?それは私にも分からんよ。今の私は呪力が空っぽなのでね。おかげで霊視の一つもままならん」

「呪力が空?もしかして神々の戦いから身を守るために使い果たしたの?」

 

 

 そうエリカが問うと、そうなのだよと笑いながらルクレチアが返す。

 

 

「ところでエリカ嬢、一つ聞きたいのだがなぜ神を追っているのだ?まさかと思うがまつろわぬ神を封印するつもりではないよな?」

「そのまさかよ。私は困難を乗り越えて、紅き悪魔の称号を受けるに足る人材であることを証明しなくてはならないの。それとルクレチア、情報をありがとう役に立ったわ」

 

 

 その返答と共にエリカが部屋を出て行こうとする。そのエリカに何事かを考え込んでいた護堂が呼び止める。

 

 

「どこに行くんだよエリカ?」

「どこも何も決まっているでしょう。私がここに来たのはあなたが疑わしかったからよ。それが晴れた以上用はないの。それともあなた少し一緒に行動しただけで、仲間意識が出来たなんて言わないでしょうね?生憎だけど私あなたみたいに鈍くさい人が嫌いなの。…それじゃあねルクレチア、神を封印したらまた来るわ」

 

 

 そんな言葉と共にエリカは部屋を立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

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 ルクレチアの家についた時点で護堂の旅の目的は達成された。後は石版をルクレチアに返したなら、もう護堂はこの地ですることはない。それなのにエリカが出て行った後、一人護堂は地面に座ったまま、いつも通りの眠そうな顔で頭を捻っていた。

 

 

「ずいぶんと嫌われたものだな少年、君は彼女に何をしたんだ?」

「多分本当にのろのろしていたのが気にいらなかったんでしょうね。俺はどうも人からみるとマイペース過ぎるらしいので」

「確かにあれほどの暴言を吐き捨てられたのに動じてないあたり大物だな、実に一郎の孫らしい。それに天性の才能だけで魔術を修めるとはな、実に面白い子だよ君は。それよりも何を唸っているのだ?」

「…さっきの話でエリカの奴は言わなかったけれど、あいつは俺が神具を持っていたから、神に関係していると思ってここまでついてきたんです。でもその前はあいつはとある少年を追っていたんだそうです」

「少年?」

「ええ、何でも一人の少年が神獣が出現する先で目撃された。それで重要参考人として話を聞きだすつもりだったらしいんです。そして俺はたまたまその少年に会いました。そこをエリカに目撃されて、その少年から俺に興味が移り今回の同行となったんです」

 

 

 そんな顛末に気の毒になと答えながら、ルクレチアが笑う。だが次に護堂が放った言葉は彼女から笑顔を奪い取った。

 

 

「多分その少年があいつの言っていた風の神です」

「………何?」

 

 

 この少年は何を言っているのだ。

 

 

「少年、なぜそう思ったのだ?」

「俺は少年と会って、少しだけ一緒に遊びました。その時に内面の力を少し探ったら、神獣よりも大きな力を感じたんです。その後俺は神獣が近づいてくるのが分かったので迎撃するために、港の方に向かいました。その時に俺とエリカを襲おうとした猪を竜巻が滅ぼしたんです。竜巻と猪の力が少年の呪力の性質と同じだったのと、ルクレチアさんのお話しから確信出来ました」

「少年、君は呪力の性質を読み取れるのか?それに神獣を迎撃だと?君もエリカ嬢と同じで自信が過剰なタイプなのか?」

「ええ、力を探るのは得意ですけど、でもルクレチアさんも霊視とやらで神様の出現が分かったんですよね?」

「いいか少年、確かに君の考察通り神力が集まるのを予測したが、それは偶然だ。君がやったように性質を読みとるなら普通は相応の準備が必要なのだ、だと言うのにそれが出来る。そんなもの欧州の歴史を読み解いても片手で数える程だ」

 

 

 ここに来てルクレチアの中で護堂が異質な存在となっていた。最初は一郎の孫らしくどこか変わった少年程度の認識であった。なのに目の前の少年は変わった程度で納まらない。

 

 

「あと神獣でしたっけ?あの程度でしたらそこまで苦労しませんよ、もう何匹も日本で葬っていますしね」

「…その話はエリカ嬢にはしたのか?」

「してませんけど、どうかしたんですか?」

 

 

 首を傾げながらの返答。そんな護堂をルクレチアが疑わしい目で見ている。信じられない事にこの少年は嘘を言っていないと、長く生きたがゆえに分かってしまった。だからこそどうしたものかと考える。かつての旧友の孫は今までの話だけでも、明らかに怪物的な才能の持ち主。そんな思考をしているルクレチアに護堂が鞄の中から石板を取り出し渡す。

 

 

「後ルクレチアさん、これをお返ししておきます」

「このタイミングで渡してくるか、つくづくマイペースだな君は!…やはりプロメテウス秘笈だったか、今更こんな物を渡されても困るのだがな」

「困ると言われても、それを渡しに俺は来たんですから大人しく受け取ってください。…それよりもルクレチアさん、一つ聞きたいんですけどいいですか?」

「まだ何かあるのか、一体何を聞きたいんだ?」

「さっき軍神の正体は何者なのか分からないと言いましたよね。俺が確認した少年と風に猪、エリカが知っていた駱駝に羊に牛、そしてルクレチアさんが見た黄金の剣を持つ戦士に後鷲と山羊と馬でしたよね。この要素を持った神様に心当たりはありませんか?」

「…該当する神が一柱だけいるな。しかしだ、君はそれを知ってどうする気だ?」

「俺はこの後エリカの奴を追うつもりです。その前にメルカルトと何の神が戦ったのか、知っていた方がいいと思ったので聞いただけです」

 

 

 護堂の今回の旅行の目標は既に達成されている。石板を返した後、観光がてら何か人生の目標でも探そうかと考えていた。そんな時に出会った神を追う少女。護堂はなぜかは自分でも分からないが、彼女に興味を抱いていた。どうせ後は観光ぐらいしかする事がない。なら彼女について行ってみようと考えたのだ。

 

 これが普通の少年なら神獣に出会った段階で、恐怖を持ち日本に逃げ帰ったかもしれない。けれども護堂にとって神獣なぞただでかいだけの的。それに今この島は神の脅威に脅かされている。そして護堂にはこの騒ぎを解決する力がある。流石にこれを見過ごして、観光に行くつもりは護堂にはなかった。

 

 

「彼女を追うのか。ふむ、どうしたものか。……では少年、神の名を教える代わりに一つ頼まれてくれないか」

「頼み…ですか?」

「エリカ嬢が無茶をしようとしたら止めてやって欲しいのだ。あの子はこのイタリアでも名を馳せる神童でな。そのせいで自分なら神を封印できると考えているようだ。けれどもな、あの子でも神の相手など出来ん。だが少年はどうやら神獣を程度呼ばわり出来る力があるようだからな。この約束を守ってくれるなら君に教えてやろう、どうだ?」

 

 

 その言葉に頷きを返す護堂。それを見て取ったルクレチアはおもむろにある神様の名と逸話を語るのであった。

 

 

 

 

 

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 ルクレチア邸を後にしたエリカは携帯に出た後、車を呼びとある場所に向かっていた。彼女に掛かってきた電話の内容は神獣の出現予想。場所はドルガリ。そこにエリカは向かっていた。車で向かう間、彼女は少し苛立っていた。その苛立ちの相手は護堂。最初は自分よりも速く動き、かなりの術者だと感じたのに蓋を開けば自己流の素人。才能だけで魔術を習得したのは驚異に値するが、所詮は一般の出。そんな少年に彼女の勘違いとはいえ時間を取られた。その上あの覇気のない面。どうにも友好的になれない。必要なら上辺だけでも仲良く出来るのに、護堂にはそんな気になれないのだ。

 

 護堂と会ってエリカに良かったことなど、ルクレチアと知り合いになれたことぐらいだ。まあいい、どうせあの少年とは二度と会うことはない。そう切り捨て、エリカはドルガリに向かう。彼女が街に着く直前、急に空が曇り始めた。この辺りは地中海性気候で乾燥しており、めったに雨など降らない。なのに曇り始めた。それは予兆だとエリカは断じた。恐らくだが神獣が近づいた事で気候が変化したのだろうと。

 

 ドルガリについたエリカは車から降りると、すぐに曇り空を見上げる。街に入る前よりも雲は厚くなっており、いつ雨が振り出してもおかしくない。そして雨が降り、すぐにスコールになる。その雨と同時にそれは来た。強い稲光。腹に響く雷鳴が轟く。嵐だ、スコールどころか嵐が来たのだ。そしてその嵐の中をなにかが悠々と飛翔している。山羊だろうか。距離が離れている為見えにくいが、カリアリに現れた猪に負けないだろうサイズの山羊が自然の摂理を無視して空を飛んでいるのだ。

 

 

クァァアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

 これまたカリアリの猪に負けないほどの咆哮が響き、その咆哮と共にドルガリの街が暴風と雷に襲われる。街は阿鼻叫喚の地獄絵図を演じた。人々は嘆きを漏らし、降り注ぐ雷が誰かの家を打ち砕く。車が飛ぶほどの暴風が人々を薙ぎ倒す。護堂は神獣を雑魚扱いしているが、本来この獣たちが暴れれば人間になす術など無い。神獣とは地上を闊歩する戦艦のようなもの。ただ震え、そんな脅威が去るのを待つ選択肢しか人は選べない。だがその選択以外を選ぶ少女がいた。

 

 

「来たれ我が剣、クオレ・ディ・レオーネ。獅子の玉座を守護せし刃よ!紅と黒の先達にも請い願わん。願わくば我が身、我が騎士道を守護し給え!」

 

 

 エリカが呪文を唱える。その直後、細身の剣が彼女の手に虚空より現れる。それだけではない、なんとその華奢な身に紅色の下地に黒の縞模様が入ったケープを纏ったのだ。戦闘体勢を整え彼女の身が駆ける。彼女が駆けるのは地面ではない。稲妻に打たれ砕けた塔や石造りの家の屋根などを蹴り飛ばし、半ば飛翔に近い形で山羊に接近する。けれどもこの街には高い建物がない。そのせいでどれだけ近づいても山羊に剣が届かない。舌打ちをエリカが一つ零す。エリカは魔術の天才だが、彼女が最も得意とするのは鉄を操る術。その術では空を飛ぶ事が出来ない。ある程度山羊に近づいた所でエリカが足を止める。

 

 深く息を吸い呼吸を整える。どうしたものかと彼女は考える。あの山羊に攻撃を届かせるにはどうするか。そしてまだ実戦で使ったことのない、こんな時のために習得した奥義を試す事にする。

 

 

「エリ、エリ、レマ・サバクタニ!主よ、何故我を見捨て給う!主よ、真昼に我が呼べど御身は応え給わず。夜もまた沈黙のみ。されど御身は聖なる御方、イスラエルにて諸々の賛歌をうたわれし者なり!」

 

 

エリカの力有る言葉と共に周囲の温度が下がる。

 

 

「我が骨は悉く外れけり。我が心は蝋となり溶けり。御身は我を死の塵の内に捨て給う!狗どもが我を取り囲み、悪を為す者の群れが我を苛む!」

 

 

彼女が謳うのは怒り。ただ自らを救わぬ主への呪い。

 

 

「我が力なる御方よ、我を助け給え、急ぎ給え!剣より我が魂魄を救い給え。獅子の牙より救い給え。野牛の角より救い給え!」

 

 

遠く遠く祈りの賛歌が木霊する。気高き主に届けと響き渡る。

 

 

「我は主の御名を告げ、世界の中心にて御身を讃え、帰依し奉る!」

 

 

 完成した術の名は『主よ、なぜ我を見捨て給う』。かつて神の子が命を落としたゴルゴタの丘。その時の呪いを再現する魔術。絶望の嘆きを宿す言霊。大気が死に、周囲の温度は下がり続ける。常人がこの空気を浴びれば、それだけで命を落とす。そんな不快な空気を感じ取ったのか、じろりと山羊がエリカの方に視線を向ける。その目に宿るのは知性。カリアリに現れた猪は目に怒りを抱いていたが、この山羊はそうではないらしい。そんな山羊にエリカが更に魔術を行使する。

 

 

「クオレ・ディ・レオーネ、汝、神の子と聖霊の慟哭を宿し、ロンギヌスの槍と成れ!」

 

 

 変形の魔術により剣が槍へと変化。その槍に呪詛を吹き込む。かつて神の子を刺殺した聖槍の再現。神の不滅の肉体すら傷つける魔槍が誕生する。その槍を山羊に向け投擲。高速で投げつけられた槍は山羊の腹を抉る。

 

 

クァァアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

 激痛に獣が絶叫。山羊を傷つけた魔槍はエリカの手に戻る。その手ごたえに確信する。神獣が相手なら自分の力は通用すると。そんなエリカに殺意と共に山羊が雷撃を放つ。エリカは勘に任せてその場から飛ぶ。彼女が先ほどまでいた塔が弾け飛ぶ。そのまま次々と跳躍を続けビルからビルへと飛び移る。彼女が目指すのはドルガリ郊外の山のふもと。彼女は誇り高き大騎士として一つの道を選んだ。山羊を街から引き離し、人々が避難する時間を稼ぐつもり。その判断に従いふもとを目指すのだった。

 

 

 

 

 

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 ドルガリの街から離れたエリカはすでに山のふもと、木々もまばらでほとんどが白い岩肌に囲まれた岩場に到着した。そんな彼女を山羊が追ってくる。

 

 

「…あと15分くらいなら持ちこたえられるわね」

 

 

 自信の体力と呪力を考えての呟き。それ以上は無理だ。15分経ったら、幻惑の術を駆使してここから離脱する。それがエリカの現在取れる最良の策だ。けれどもだ、彼女は一つ忘れていた。ルクレチアが語った神獣はまだ全て姿を見せていない事に。

 

 

「…嘘でしょ」

 

 

 エリカの信じたくないと言わんばかりの一言。彼女は何を信じたくないのか。それは直後に分かった。

 

 

クアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

 

 山羊に似た鳴き声。しかしこの声の主は山羊ではない。その山羊に合流するように彼方から金色の羽を持つ鳳が来たのだ。鷲に良く似た猛禽類。この鳳も山羊と同サイズ、翼長は六十mはあるだろう。

 

 

「神獣が二匹同時になんて…」

 

 

 一匹ならエリカの魔術でも通じた。しかしそれは不意打ちに近い形だからだ。今の山羊は腹を裂かれたことでエリカを敵と認識している。そこに鳳まで加わった。そして二匹はエリカに対して同時に攻撃仕掛けた。山羊は先ほどのように雷撃を、鳳は羽をはためかせ疾風を作りついには竜巻を作り出す。

 

 

「ローマの秩序を維持する為、元老院は全軍指揮権の剥奪を勧告する。獅子の鋼よ、その礎となれ!」

 

 

 呪文を唱えると同時、彼女の持つ剣が銀に輝く十本の鎖となる。その鎖はお互いに結合し、複雑怪奇に絡み合い鎖の檻を作り出す。

 

 

「元老院最終勧告、発令!」

 

 

 その言葉で魔術が完成。エリカが使える中でも最高の守護結界。それを展開した直後であった。その守りを叩き潰さんと衝撃が襲った。次々と雷と烈風が結界を打ち据える。鎖に皹が入る。エリカも負けじと呪力を注ぎ応戦。しかし皹が入るのを防げない。全力で力を振り絞っているのだが、所詮は人間の魔術。ついに螺旋の鎖が砕け散る。吹き飛ばされるエリカ。何度も地面を転がり体中に擦り傷が出来る。

 

 

「…これ以上は無理ね」

 

 

 どうしようもない事実。呪力も切れ体力すら残り僅か。山羊だけならどうにかなったのに、そこに鷲まで加わったのだ。後は死を待つだけ。けれども彼女に嘆きはない。少しとはいえ持ちこたえたことで、町の住人が避難できる時間を伸ばせたはず。騎士としてはそこそこの結果のはずだ。ふうっと息を吐く。そして気力だけを武器に立ち上がる。あいにく死ぬとしてもエリカは倒れたままいるつもりはない。

 

 最後まで赤銅黒十字の大騎士として立ち向かう。それがエリカの誇りだ。そんなエリカの態度が気に入らないのか、山羊が今まで以上の雷を上空に作り出す。あれを受け止める魔術をエリカは持たないし、そもそも魔術を使えるほどの呪力も無い。山羊が雷撃を放つ。そんな雷を少しでも切り裂こうと気合一つで剣を振ろうとしたところで

 

 

「させるかよ!」

 

 

 そんな言葉と共に後ろから何かが飛んできてエリカの上空を通過し、山羊の放った雷を防いだ。飛んできたのは一振りの剣。エリカも見覚えのある形状、大太刀と呼ばれるそれ。昨日ある少年が持っていた物。エリカが後ろに振り替える。そこにルクレチアの家で別れたはずの護堂が立っていた。




この作品の神獣の立ち居地は瓦割りの瓦ぐらいの存在。次回は護堂大暴れ、神獣の命運や如何に

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