女王様と犬   作:DICEK

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暑い! エアコン大先生のお力を実感する昨今いかがお過ごしでしょうか。
外は暑いですが、いつか仕事やめて引っ越してやろうと考えてる京都はもっと暑いという話。
一年中涼しい京都はどこかにないものかー。

タイトルが文法としておかしいかもしれませんがご容赦ください。


而して、雪ノ下陽乃は犬をいじめる

 

 

 

 

 伸ばした腕の僅かに先を、ボールが高速で通り過ぎていく。身体のバランスを維持できず、八幡はそのままコートに突っ伏した。当然ボールはアウトにはならず、相手の得点になる。

 

 それでゲームが終わった。つまりは八幡の負けである。

 

「はい、ご苦労さまー」

 

 勝者は勿論、雪ノ下陽乃だった。自らの勝利を当然のように享受した陽乃は、ラケットを弄びながらベンチのドリンクを取り上げる。

 

 そんな陽乃を見ながら八幡は立ち上がろうとして――滑って転んだ。身体に力が入らない。久しぶりの運動で、持てる力の全てを出し切ったのだ。

 

 テニスは決して苦手ではないつもりだが、経験者には適うはずもない。八幡の得意は所詮、素人にしてはという枕詞がつく程度のものである。

 

 陽乃は経験者であり、かつ天才だった。部活に所属したことはないはずだ。テニスについて学んだのは授業以外ではプライベートで少々と言ったくらいだろう。陽乃の性格からしてスポーツに真剣に打ち込むということはありえない。テニスを習ったとしても手慰みの範疇を出ないのは確信が持てたが、その油断がいけなかったのだろう。結局1ゲームも取れずに三連敗を喫した。

 

「中々筋は良かったんじゃない? 真面目にやってれば、そこそこの成績は残せると思うな」

「冗談はやめてください。テニスに打ち込む俺なんて、想像するだけで吐き気がする」

「なら夏の軽井沢でテニスをしてる自分を振り返ったら、世を儚んで首でもつっちゃうのかな?」

「連れてきた陽乃が言いますか……」

「それだけ口答えできるなら十分だね。はい、どうぞー」

 

 どうも、と短く答えてドリンクを受け取る。先ほどまでクーラーボックスで冷やされていたため、痛いくらいに冷たい。キャップをあけて、一気に飲む。微かな甘さと異常なまでの冷たさが、熱く力の抜けた体に染み渡った。

 

 一息吐く。疲労は色濃く残っているが、山は去った。珍しく手を貸そうとする陽乃にやんわりと断りを入れて立ち上がり、ふらふらと歩きながらベンチへ。倒れこむようにして腰を下ろすと、今度こそ全身の力を抜いた。

 

「しかし、強すぎませんか陽乃」

「そう? 私からすれば皆が弱すぎると思うな。だって解りやすいんだもん」

 

 陽乃はこともなげにいって、ドリンクに口をつける。自分の才能を疑っていないその態度に八幡は心中でうんざりしながらも、同時にその自信を眩しく思った。

 

 テニスの技量もさることながら、八幡が陽乃に完敗したのは彼女の観察眼の鋭さに寄るところが大きい。とにかく。相手の嫌がることをやってくるのである。前後左右に打ち分けるのは当たり前。試合の最中、ここしかないという絶妙なタイミングで話を振って集中を途切れさせ、視線や身体の向きとは全く正反対に打ち込んだりもする。

 

 人間観察の賜物だ。相手が何を考え次にどう動くのか、陽乃には手に取るように解るのだろう。何を考えているのか良く解らない、と同級生に言われなかった年はない八幡ですらこうなのだから、損得勘定のはっきりしているリア充どもなど、呼吸をするように操れるに違いない。総武高校が陽乃帝国になる訳である。

 

「もう1ゲームくらいする? 八幡が勝つまでやりたいっていうなら、いくらでも付き合うけど」

「陽乃の実力の高さは俺でも理解できました。まだ日は高いですから何かするというのなら付き合いますが、次はもっと動きのないスポーツが良いですね」

「男の子なのになさけなーい」

 

 ぶー、と可愛らしく抗議の声をあげるが、陽乃自身もそろそろ切り上げたいと思っていたのか、それ以上追求はしてこなかった。

 

 ちなみに八幡の使っているラケットは、陽乃のお下がりだ。借りるつもりでいたら、陽乃はくれると言った。金持ちにとってラケット一本くらい、大したことではないのだろう。その金銭感覚が少しだけ羨ましい。

 

 何も理由がないのに物をもらうことには抵抗があったが、ここで突き返しても受け取らないのは目に見えていた。人には偏執狂的に執着することもあるのに、形のあるものにはびっくりするほどに執着しない。最悪そのままゴミ箱に突っ込まれることを考えたら、貰っておいた方が良い。そう自分を納得させることにして、洒落た字体と色で陽乃の名前が刻印されたラケットは、永遠に八幡のものになった。

 

 これでウェアまで貰い物だったら完全にヒモだが、それは自前である。スポーツなど普段はしないから学校のジャージだ。たまの運動に使うくらいならばこれくらいで良いだろう。身体を動かす時にオシャレをしてもしょうがないし、そもそもオシャレという概念が八幡の中には存在しない。

 

 しかし陽乃はそうは思っていないようだった。スカートにアンスコ……では流石にないが、高級そうなテニスウェアを着ている。細い手足を惜しげもなく晒し、首まである髪はポニーテールにしていた。ただでさえ人目を惹く容姿なのに、この開放感である。テニスコートに来るまでも通行人の視線を独り占めにしていた陽乃は、羨望の視線を当然のものとして受け止めていた。

 

 そんな陽乃の連れ、と思われるのは嫌だったからなるべく離れて歩きたかった八幡であるが、そんな八幡の心情を見抜いてか、陽乃は無駄に近づいてくる。同じベンチに腰を下ろしている今も、不必要に距離が近い。肌が触れるほどではないが、お互いの汗の匂いくらいは感じられる距離だ。テニスの内容では圧倒していたが、流石に陽乃も汗をかいている。首筋に流れる汗と、その匂い。普通の男ならば、一瞬で恋に落ちていただろう。

 

 中学生の時の自分だったら危なかったに違いない、と八幡は冷静に考える。どれだけ良い匂いでも、男としてぐっとくるシチュエーションだったとしても、相手が怪物と思うと気持ちも萎える。紳士的に、というよりは怪物を退治するハンターの気持ちで、陽乃を見返す。全く動じた様子のない八幡を、陽乃はつまらなそうに見返した。

 

「どういう人が八幡の彼女になるのか、私今から楽しみだなぁ」

「俺を良いと言ってくれる女が、この世にいるとも思えません」

 

 主夫志望の身としては、絶望的な未来観測である。言いながら矛盾していると思ったが、まず恋人というのができる気がしないのだから仕方がない。

 

「ダメな男が好きな女って、結構いるものらしいよ。ね? 静ちゃん」

「そこで私に話を振るな」

 

 静の言葉には険があった。ダメな男に悪いイメージでもあるのかもしれない。ダメ男にひっかかるようなタイプには見えないが、人間見た目通りの中身はしていないということは陽乃を見ていれば良く解る。

 

 静とダメ男。正直興味は惹かれる話題だが、この話題を続けたらタダじゃおかないと、静はわざわざこちらに視線を向けてきた。

 

 それであっさりと八幡は諦める。陽乃であれば持ち前の無神経さで突破できたのだろうが、聞かれたくないと思っているところを踏みこえてまでとは思わない。聞いてほしいことだったら本人が言うだろう。その時聞くんじゃなかったと後悔しないことを、八幡としては祈るばかりだ。

 

「先生。俺の代わりにテニスやります? 俺は一つも良いところがなかったんで、先生に良いところ見せてもらえると大変嬉しいんですが」

「私もテニスはそんなに得意じゃないから遠慮しておく。それより、陽乃の言ったとおり手続きは済ませてきたぞ」

「ありがとう、静ちゃん。それじゃ八幡、移動しようか」

「昼飯ですか? 重くないものだと嬉しいですね」

「ちゃんと軽食を用意させてるから安心して。午後の運動に響くといけないし」

「またテニスですか? それとも別の?」

 

 できればあまり動くものでないと嬉しい、と口調に言外の意味を込める。引きこもりに一日ぶっ通しの運動は辛い。リア充側と言っても、陽乃とて青春を運動部に捧げる汗臭い口ではない。体力はそれほど変わらないはずであるが、陽乃に全然疲れた様子は見られなかった。

 

 人に弱みを見せるのが嫌いなだけかもしれないが、その意地だけでけろっとした見た目を維持しているのだとしたら、強化外骨格も大したものである。

 

「午後は私と静ちゃんとゴルフだよ」

「また随分とおっさん臭いスポーツが出てきましたね」

「紳士のスポーツと言え比企谷。それにゴルフとテニスは覚えておいて損はないぞ」

「ゴルフはわかりますが……テニス?」

「多人数でやるソフトボールやサボっていても目立ちにくいサッカーと違い個人競技で、その上比較的授業でやりやすいスポーツだが、経験がないと球をまっすぐ返すことも難しい。下手に恥をかく前に、練習しておくのが賢いやり方だ」

「静ちゃんもほんと、後ろ向きに前向きだね。老婆心?」

「経験論と言ってくれ」

「陽乃、当然俺はゴルフセットを持っていない訳ですが……」

「私のお下がりをあげる」

「ですよね……」

 

 テニスで既に経験済みだから、それ程のダメージはない。覚悟が固まっていて二度目なら、ダメージも少なくて済むと希望的観測を抱いていたが、嫌な気分はするものだ。仏頂面が顔に出ていたのだろう、陽乃の笑みが深くなる。人が苦悩する様を見るのが、陽乃の好物なのだ。

 

「こういう時は大人しくいただいておきますって答えれば良いの。変なところで八幡は潔癖だね」

「そこまで世話をしてもらう理由がないんで……」

 

 立場は陽乃が上で、自分が下。それは十分に解っているが、それは贈り物を受け取る理由にはならない。立場で差がついてるのにさらに物まで受け取っていたら、差は開く一方だ。いつか逆転などと考えている訳ではないが絶対に挽回できないほどの差ができるのは好ましくない。男には男の、犬には犬の矜持があるのだ。

 

 だが、陽乃はそういった八幡の感情を全て見透かした上で――

 

「おバカさんだね。八幡は」

 

 と笑った。

 

「物をもらったらラッキーくらいに思っておけば良いじゃない。契約書がある訳じゃないんだし、恩なんて踏み倒せば良いでしょ? 私がその清算を求めるような心の狭い人間に見えるならそれはそれで心外だけど、賢い八幡はそんなこと思わないよね? なのに、八幡は律儀にそれに応えようとしてる。もっと賢く生きれば良いのに、ほんと不器用なんだから」

 

 八幡は答えない。何かを応えたら負けのような気がしたからだ。助けを求めるように、静に視線を向けると彼女は煙草を咥え、ライターを探すふりをしながら聞いてない風を装っていた。その顔には薄い笑みが浮かんでいる。この人もこの人で、微妙に人が悪い。助けるべきところは助けてくれるのに、悪ノリにはとことん付き合ってくる。陽乃と相性が良いのだろう。教師の中で唯一、陽乃が近くにいることを許しているだけのことはある。

 

「まぁ私が与えたものを八幡が返したいって言うならそれは別に止めないよ。今すぐでも良いし、出世払いでも良い。でも……」

 

 陽乃は満面の笑みを浮かべて、言った。

 

「八幡に返せる?」

「いつか、必ず、耳を揃えて返します」

「うん、良い返事。やっぱり男の子はこうでなくちゃ!」

 

 陽乃は笑顔のままだ。自分の答えが正解だったのか、八幡にはわからない。陽乃はきっと、人を殺す時でも笑顔でいるのだろう。

 

「お腹空いちゃった。行こうか、八幡」

 

 笑顔のまま先に立って歩く陽乃の後を、静と一緒に黙ってついていく。八幡はただ、陽乃の背中を黙って眺めていた。すぐそこにあるはずの背中が、果てしなく遠くに見えた。

 

 

 

 

 

 


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