女王様と犬   作:DICEK

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雪ノ下陽乃は餌をぶらさげる

 比企谷八幡が雪ノ下陽乃の実質的な犬となってから一週間が過ぎた。

 

 その間に陽乃は全ての引継ぎを完了し正式に生徒会室の主となった。普通ならば会長に就任してすぐに他の役員の人事が発表されるのだが、陽乃から公表されたのは選挙の時に声をかけられた八幡が書記に就任したというものだけだった。

 

 つまり、公式発表の通りならば雪ノ下政権のメンバーは二人だけということになる。他のメンバーはまだ決まっていないとは陽乃本人が口にしたことであるが、いざそれが事実となってみると生徒達は本気で色めきたった。

 

 直接指名されたとは言え、特に秀でたところのない男子が選ばれたのだ。ならば自分も……と多くの自分に自信を持つ人間が生徒会室を訪ね、陽乃の審査を受けた。その全てに陽乃は時間を作り、審査を行った。書類審査などはない、面接一本の一発勝負である。

 

 一週間の間に30件。八幡はその全てに立ち会わされた。書記となった以上、生徒会に関することで記録の必要なことは全て八幡の仕事となっている。面接の内容など後から見返すとは思えなかったが、陽乃がやれと命じたら、それはもう八幡の仕事なのだった。

 

 八幡の愛機となったパソコンには面接を受けに来た人間全員のプロフィールが収まっている。結果は全て不合格だ。全員に面接を行うような細かな配慮を見せたと思ったら、落とす時にはばっさりだ。不合格通知は例外なくその場で突きつけられている。陽乃のような人間を前に、我こそはと思うような人間だから、彼ら彼女らは自信の塊だ。落ちると思っていなかった彼らは陽乃の言葉を聴いて憤り、それでも決定が覆らないとなると、陽乃を、次いで八幡を睨み部屋を出て行った。

 

 多くの生徒に支持されている陽乃であるが、対抗馬に投票した人間がいるように、アンチも少なからずいる。陽乃に投票した人間だって全員が心服している訳ではないだろう。どんな選挙にも浮動票というものはあり、陽乃はその多くを強引に引き込んだに過ぎない。いかに陽乃が天に愛されたような存在であると言っても、傲岸不遜に振る舞い過ぎればいずれ叩き落される。

 

 一人では集団に勝てないというのは、世の摂理だ。世界とは比べるべくもなくスケールは小さいが、八幡はそれを中学時代に嫌というほど思い知っている。そんな世間の攻撃に、この雪ノ下陽乃が沈むところなど見たくはない、というのが八幡の偽らざる本音だ。無闇に敵を作る必要はないのでは? 書記という身分と犬という立場を意識しつつ、それとなく忠言したのだが、陽乃は笑いながら答えた。

 

「敵のいない生活なんて、面白くないじゃない」

 

 波風立てずに生きようとする人間が多いこの時代に、剛毅なことである。虚飾は感じられない。陽乃が本気でそう思っているのは見て取れた。

 

「面接で落とされた連中が結託して、クーデターでも起こしたらどうするんですか?」

「叩き潰すに決まってるでしょ? 私に反抗したらどうなるか、思い知らせてあげないとね……」

 

 ふふふー、と陽乃は陽気に笑う。争いの種を好き放題に撒き散らした彼女は、始終ご機嫌だった。

 

 逆に八幡の気分は、陽乃が笑えば笑うほどに落ち込んでいく。

 

 陽乃が陽気でいられるのは、能力の高さに自信があることもそうであるが、既に校内最上位カーストのトップに君臨しているという事実があるからだ。立候補するまでの間、陽乃は方々でコミュニティを作り、それを自分の利害で以て調整できるようにした。普通、どれだけリア充レベルの高い人間でも、ホームと呼べるグループがあるが、陽乃はそれを持たない。より厳密に表現するなら複数のグループに所属しながら、その全てをホームとしているのである。

 

 陽乃を頂点とした複数のグループが、そのまま陽乃の支持基盤になっている。二年生を中心とした陽乃閥は既に校内で最大派閥だ。単独過半数には届かないものの、他のグループの足並みが揃わない以上、この数の力は脅威である。

 

 さて、この陽乃閥であるが、八幡にとってはまさに天敵と言えた。

 

 彼ら彼女らは陽乃を中心にドロリとした結束を誇っているが、その結束を保っていられるのは派閥内で相互監視が行き届いているからだ。各々のグループがお互いを監視しあうことで、特定のグループが陽乃と近くなりすぎないよう、牽制しあっているのである。無論、それはそうなるように陽乃が仕組んだのであるが――そうである、ということを嬉々として本人が語ってくれたのだから、間違いはない――彼らは自発的にそれを行っていると信じ、また不必要に陽乃に近づく人間を敵視する。

 

 彼らにとって、陽乃が直接声をかけ、傍においた八幡はまさに敵だった。陽乃の意思が最優先されるために実害こそ出ていないものの、廊下を歩けば上級生に睨まれ、教室にいれば同級生にひそひそと噂話をされる。もう少し社交性を表に出していたら、おこぼれに預かろうとする人間が八幡の周囲に群がっていただろう。現状、教室で放置されているのは、八幡がぼっちだったからに他ならない。

 

 正直、今この時ほどぼっちで良かったと思ったことはなかった。

 

「失礼するぞ」

 

 ノックなしに生徒会室に足を踏み入れてきたのは、静だった。今日もスーツの上に白衣の彼女は、ポケットに手を突っ込んだまま部屋を横切ると、八幡の正面の席に腰を下ろす。ちなみにそこは会計の席だ。会長と書記しかいない生徒会執行部にとっては空位の席であるが、暇を持て余した静がやってきた時の定位置となっている。

 

 静が来たことで、八幡が席を立った。客というには態度が鷹揚であるが、外から来た以上客は客だ。外から来た人間に対応するために、生徒会室には応接セットが用意されている。これは陽乃が自宅から持ち出してきたもので、紅茶、緑茶の茶葉が用意されている。

 

「コーヒーはないのか?」

「ミルとサイフォンを持ってくるのが面倒だからないよー」

「豆からひけとは言っていない。インスタントという手もあるだろう」

「私、インスタントって嫌いなの」

「聞いたか比企谷。金持ちはこういうことを言うんだ」

「それなら自分でお金を出して買ってきたら?」

「そう言ってくれるな。職員室のと違ってここのお茶は美味いんだ。比企谷、よろしく頼む」

「俺がやるより先生がやった方が美味くなるんじゃないですかね」

「お前は主夫志望なのだろう? 花婿修行とでも思えば良い」

 

 物は言いようだな、と呆れながらカップの用意をする。静もレギュラーメンバーとして陽乃に認識されているのか、専用のカップが用意されている。八幡は茶葉を蒸らしている間に、陽乃と自分のカップも用意した。淹れ方は初日に陽乃に一度教えられて以来、自分で模索を続けている。自分で飲んだ限り不味いとは思えなかったが、陽乃曰くまだまだらしい。

 

「様になってきたな」

「褒めても何もでませんよ」

「お茶を淹れてくれているだろう? 私にはそれで十分だよ」

 

 八幡は黙ってカップを差し出した。静はカップから立ち上る香りを楽しんでから、紅茶に口をつけた。

 

「どうですか?」

「自販機で買うよりは美味いな。それは私が保証する」

「それは俺でも解ります」

「分量が正確で所作に問題がないなら、及第点以上のものが出来上がるのは道理だ。そして及第点を出せるということは、基本がしっかりできているということでもある。始めたばかりならそれで十分だろう。これ以上何を望むんだ?」

「私は美味しい紅茶を飲みたいの」

 

 席から立ち上がり、歩みよってきた陽乃が自分のカップを取り上げる。静と同じように香りを楽しんでから、一口。

 

「私が教官なら落第かな」

「判定が厳しくないか? 紅茶としては『可』をくれてやっても良いと思うが」

「これは『雪ノ下陽乃が飲む紅茶』なの。ただの紅茶じゃないの。わかった? 八幡」

「精進します」

 

 言って、自分のカップに口をつける。

 

 及第点の紅茶は、八幡からすれば十分な味だった。これ以上を求められても正直困るのだが、陽乃がやれと言っている以上、やるしかない。女王様の言葉は、絶対だ。

 

「ところで静ちゃん、何の用?」

「そろそろ期末テストだろう? 準備はどうかと思ってな」

「メールで済む話じゃない。そんなこと態々聞きにきたの?」

「そんなこととは随分だな。学生の本分は勉強だろ?」

「テストで聞かれるようなことにあまり興味はないけど、準備がどうってことなら万端ね」

「全教科でトップ?」

「もちろん」

「流石去年の年間主席は言うことが違うな。まぁ、私が心配していたのはお前ではなく比企谷だ。準備はどうだ? 陽乃に連れまわされて、勉強に時間が取れていないんじゃないか?」

「流石にそこまでは。授業はちゃんと聞けてますし、家でも勉強してます」

「へぇー、ちょっと意外。八幡、家で勉強なんてするんだ?」

「俺は陽乃と違って、天才肌ではないものですから」

 

 言外にあまりつれまわすのはやめてくれ、と八幡は言ったつもりだったが、陽乃はふーんと気のない相槌を打った上、

 

「ふーん。凡人って大変なんだ」

 

 これである。元々あまり期待はしていなかったが、陽乃に配慮や遠慮を求めるのはやめることにした。代わりに何か言ってくれと、静を見る。彼女は八幡の視線を受け止めると、力強く頷いて見せた。

 

 頼りになるのは教師である。八幡が密かに心の中で感心していると、静は懐から封筒を取り出した。

 

「実はここに比企谷の入試と中間テストのデータがある」

「俺のプライバシーってないんですかね!」

「静ちゃん気がきくー。見せて見せて」

 

 八幡を押しのけるようにして、陽乃が静の手元を覗き込む。その陽乃の肩越しに、八幡はテーブルの上に広げられた紙切れを見た。間違いであって欲しかったが、それは間違いなく自分の試験のデータだった。入試のことは記憶にないが、中間テストについては見覚えのある点数が並んでいる。陽乃はその数字をざっと見て、にこりと微笑んだ。

 

「八幡の、おばかさん」

「かわいく言ったつもりでしょうけど、今俺の心臓にぐさりと来ました」

「それほどバカにしたものでもないと思うがな。確かに数学は惨憺たるものだが、文系科目はそれなりに良い点数をたたき出している。特に国語は良いな。国語教師としては、嬉しい限りだ」

「昔から得意なんですよね、何故か」

「その得意科目でも10位前後なのね、八幡ってば」

「普通の人間は学年で十位を取るのも大変だっていうことを、覚えておいてくれると嬉しいですね」

「もう少し頑張れば一位を取れるんじゃない?」

 

 まさか、と答えようとして、八幡は静を見た。可能性の話である。教師の意見を聞きたい、と思っての行動だったが、静は腕を組むと小さく頷いた。

 

「十分射程圏内だろう。陽乃が何かご褒美でも出してやれば、八幡もやる気を出すんじゃないか」

「ご褒美ねぇ……国語一位だけだと簡単過ぎない?」

「簡単とは思わないが、国語の成績だけ上がって他が壊滅したら本末転倒だな。何か他にも条件をつけるべきか、陽乃、お前ならどうする?」

「五十位とかいいんじゃないかな」

「五十位? 総合順位でってことですか?」

「違う違う。国語と苦手な数学以外の『全教科』五十位以上ってこと」

「それはあまりに厳しいんじゃありませんかね……」

 

 そんな成績が叩きだせるのだとしたら、中学の時もっと調子に乗って余計な黒歴史を追加する羽目になっていただろう。勉強ができないとは思わないが、陽乃を前にしてデキる人間だと嘯くこともできない。

 

 どっちつかずな反応をする八幡を見て、静が陽乃に乗って見せた。教師であるが、静も大概に素敵な性格をしている。だからこそ、陽乃の担当に選ばれたのだろう。色々なことを許容できないと、陽乃の近くにいることすら不可能なのだ。一週間一緒にいて、八幡はそれを実地で学んだ。

 

「それだけ結果が出せたら、ご褒美ははずまないとな」

「そうだね。もし私が言った通りの結果を出したら、静ちゃんのおっぱい触らせてあげる」

 

 沈黙が流れた。動きを止める八幡と静。陽乃は二人を愉快そうに眺めている。

 

「お前、私を巻き込むな!」

 

 先に再起動したのは静だった。勝手に景品にされたのだから当然だ。烈火のごとく声を荒げながら、陽乃に詰め寄る。美人が凄んでいるから中々の迫力だったが、同じく美少女の陽乃にはどこ吹く風だった。

 

「いたいけな少年がお勉強頑張ったんだから、大人がご褒美をあげるのは当然じゃない? それとも静ちゃんは、私のおっぱいを触らせろって言うの?」

「まずおっぱいから離れろ。それから不純な話題に教師を巻き込むな」

「でも効果はあると思うよ。八幡みたいな男の子なんて、おっぱいとお尻のことしか考えてないんだから」

 

 酷い言われようだが、ある意味で事実を正確に捉えていた。

 

 ぼっちを貫いてきた八幡であるが、女体に興味がない訳では断じてない。これまで妹以外の女性と接点がなかった分、そういった欲求はより強いと言っても良い。

 

 ましてや今対象となろうとしているのは、静に陽乃。二人とも文句なしの美女に美少女である。このおっぱいを触れるというのだから、男として奮起しない訳がない。まだ話のまとまってない今の時点で、八幡の興奮は最高潮に達していたが、その内心を外に漏らさないよう、表情を引き締めることに必死だった。

 

 そんな八幡を、陽乃と静が見やる。

 

「ほら、八幡もこんなスケベな顔してるし、効果はあるよ」

「……だからと言ってなぁ」

「別におっぱいは良いですよ」

「無理しちゃってほんとは触りたいんでしょ?」

 

 ここで『はい』と言うのは簡単だが、意地でも言わないと心に決めた。仏頂面で八幡が無言を貫いていると、陽乃は顔を寄せ、じっと八幡の目を見つめる。目を逸らしたら負け……と気付いていても、八幡だって健全な男子だ。美少女に正面から見つめられて、平然といられるような頑強な神経はしていない。

 

 すっと目を逸らすと陽乃は『私の勝ちー』と微笑んだ。対して八幡の仏頂面は不景気具合を増していく。

 

「とりあえず、ご褒美云々は置いておこうか。流石にその程度の順位で静ちゃんのおっぱいは奮発しすぎだと思うし」

「参考までに聞いておきたいんですが、どの程度の順位ならOKだったんです?」

「全教科一位を取って出直してこい」

「そういうこと。とりあえず、静ちゃんのおっぱいは私のものだから安心してね八幡」

「お前のものでもない!」

「あーそれからご褒美は置いておいたけど、さっき言った順位は守ってもらうからね。守れなければポイだから。何か言うことは?」

「勉強を見てくれる人を紹介してくれませんか?」

 

 自分一人で達成できないことは目に見えていた。となれば誰か他人の力を借りるしかないが、八幡には勉強を見てくれるような知り合いは一人もいない。付き合ってくれる可能性があり、自分よりも勉強ができるのは眼前にいる二人だけ。国語一位という条件があるのに、その問題に関与する可能性のある静を巻き込むことはできないから、実質頼めるのは陽乃しかいない。

 

 それを十分に解っている陽乃は、頭を下げる八幡を見下ろしながら、自分の身体を抱きしめていた。その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。これぞ女王という顔を唯一見ていた静は、教え子の性癖の発露にうんざりした様子で溜息をついた。

 

「お願いしますは?」

「お願いします。俺の勉強を見てください」

「いいよ。私が見てあげる。残り二週間、死ぬ気で勉強してみようか」

 

 八幡が顔を上げた時、陽乃は余所行きの笑みに戻っていた。女はこうして男を騙すのだな、と年下の陽乃を見て静が密かに感心していたことを八幡は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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