女王様と犬   作:DICEK

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そして二人の関係は決着をみた

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもね、私は自分のことを良く知ってる。人間としてどこか壊れてる私は、多分一生かかっても八幡のことを愛せないと思う」

「あ、でも好きなのは本当だよ? 雪乃ちゃんの次くらいで、男の子の中ではぶっちぎりにトップかな」

「――それで、陽乃は俺にどうしてほしいんですか?」

 

 良くも悪くも、雪ノ下陽乃という人間は一人で完結している。恋人という存在が必要とは、八幡の目を以てしても思うことはできなかった。まして、自分がそういう関係になるなどと考えたことも……あるにはあるが、それは妄想の類だと自覚していた。

 

 八幡の問いを受けて、陽乃は笑う。いつもどおり、その心の内は見通すことはできない。

 

「これを言いたかっただけだよ。いつか飽きると思うけど、今八幡のことが凄く好きなのは本当だから」

 

 世間で言う愛の告白とは似ても似つかない。普通の感性を持った男ならば怒るのだろうか。いつか飽きると正直に言われて、良い気持ちのする男はいない。

 

 陽乃の信者であれば、喜んで受け入れるのだろう。近くにいることを許された。その事実だけを見て感動し、しかしそうであるが故に、手酷く、後に関係を切られるのだろう。

 

 では比企谷八幡はどうしたら良いのだろうか。普通とは言えず、妄信もせず、ただ陽乃の近くにいた比企谷八幡は、果たしてこの『告白』を受け入れるべきなのだろうか。

 

「私の彼氏になってみる?」

「――愛せないんでしょう?」

 

 ヤバいものに乗りに乗っていた中学生の自分が見たら、俺スゲー! と感動するような言い回しは、自然に八幡の口を突いて出ていた。後で正気に戻ったら悶死すること請け合いであるが、この時の八幡は自分の言葉を疑問に思うこともなかった。

 

 人生に一度は主役になれる時が人間にはあると言うが、こと恋愛関係において、八幡のそれは今この時だった。

 

「私以下の好意しか持ってないカップルはいくらでもいると思うよ。何か色々と妥協しちゃった夫婦もね。そういう人たちに比べたら、私達は上手くやっていけると思うんだ。もちろん、八幡は私に合わせてくれるのが前提だけど」

「貴女はどこまでも雪ノ下陽乃ですね……」

「八幡は比企谷八幡でいてくれると嬉しいな」

 

 にこにこと陽乃が笑っている。自分勝手な物言いに、しかし八幡は自分に近しいものを感じていた。

 

 自分はこうだから、と最初に宣言をするのは予防線である。相手に勝手に失望されるくらいなら、最初に全部言っておくのだ。最低のスタートからならば、これ以上下がることはない。だから自分が傷つくこともない。

 

 自分の意思を主張しつつも、最終的な決定は相手の判断に委ねるというのは『自分はがっついていませんよ』というアピールだ。リア充どもは自分の手の届く範囲で、自分の理解や力の及ばない頑張りをしている人間を、排除することが多い。

 

 八幡は排除された側で、陽乃は排除してきた側である。過去の経験で、共通するものの方が少ないはずの陽乃に、八幡は自分に近いものを見た。

 

 自分の感性がおかしいのと同様に、陽乃の感性もまた普通ではない。満たされた人生を送ってきてた陽乃のような才媛でも歪んでしまうのだ。そう思うと、陽乃のことが何だか愛しく思えてきた。

 

 返事は考えなかった。答えは、もう決まっている。

 

「俺に断る必要はありませんよ。陽乃は陽乃のしたいようにしてください。彼氏彼女が良いなら、それで良いじゃありませんか?」

「嫌じゃないの?」

「大変ではあるでしょうね。何しろ俺のキャラからは大分離れてますし。でも退屈はしないと、前向きに考えることにします」

 

 それが陽乃と付き合っていく『コツ』だ。

 

 少し前、陽乃と知り合う前の比企谷八幡だったら、深く考えもせずにどうやったらこの状況から逃げることができるかだけを考えていただろうが、半年近く陽乃と一緒にいて、八幡にも心境の変化があった。

 

 諸々の厄介ごとはさておき、事実だけを考える。

 

 比企谷八幡は雪ノ下陽乃に好意を持っていて、陽乃は男ならば振り向かずにはいられないような美少女である。その美少女が彼氏になってくれと言ってきた。含むところは色々あるだろう。特に破局を前提とした物言いなど男として気分が滅入るにも程があるが、そういうところも含めて『付き合っても良い』と上から目線で考えているのもまた、事実だった。

 

「じゃあ、今から彼氏彼女?」

「そうですね。今後ともよろしくお願いします」

「そっか。八幡が彼氏か……」

 

 八幡の答えを受けて、陽乃は深く、深く息を吐いた。それが安堵の溜息に見えたのは、目の錯覚だろう。

 

「彼氏ができるのは生まれて初めてだけど、そんなに悪いものでもないね?」

「同じく。彼女ができるのは生まれて初めてですが、『こういう』彼女ができるとは夢にも思っていませんでした」

「私じゃ不満?」

「とんでもない。雪ノ下陽乃は、最高で最強の彼女ですよ」

「――うん。今の言葉は、普通に嬉しい」

 

 えへー、と陽乃が年相応の顔で笑う。いつも得体の知れない雰囲気である陽乃が、こういう顔をするのは非常に稀だ。思わず見とれていると、今度はいつも通りの笑みを浮かべる。

 

「惚れ直した?」

 

 からかわれたのだと悟った八幡は、憮然とした顔をした。陽乃はクスクス笑いながら、距離をつめてくる。

 

「一応、断っておきますが、何であんな奴と? とか言われることは覚悟しておいてくださいね。政権の支持率が下がることも」

「私が決めたんだから、これで良いの。今すぐ結婚しようって言うんじゃないから、父も母も文句は言わないと思う。高校生の娘の『ボーイフレンド』も認めないような狭量な人間と思われたくはないでしょうしね。それと八幡、支持率のことなんて考えてくれてたの?」

「これでも一応、政権のメンバーですからね。城廻を誘ったばっかりでもありますし、ここで政権が転覆でもしたら、あいつに申し訳ないというか……」

「実害が出ない限り、内心でどう思ってようが意味はないの。私相手に何か起こそうなんて考える気合の入った生徒が総武高校にいるなら、私の高校生活はもっと面白いことになってたと思うな」

 

 自信に満ちた物言いには、陽乃自身の才覚もあることながら、数字の上での確信があった。

 

 校内で一番数が多い雪ノ下グループが支持母体である陽乃を蹴落とすということは、リア充ばかりで構成された彼らと事を構えるということである。長いものには巻かれるのがリア充の鉄則だ。陽乃は敵も多いが、その敵でさえも、グループ全員の数の力を相手にすることは難しい。

 

 また、正当な選挙を経て生徒会長になった陽乃を蹴落とすには、校則に則り全生徒の三分の二の署名を集める必要がある。そこまで行動力がある人間は稀だろうし、陽乃グループと陽乃に靡くだろう浮動票を合計すれば、三分の一は確実に超える見通しである。

 

 致命的なスキャンダル――例えばできた男がリア充でないなどだ――があれば、その数字にも影響が出ようが、そこで発揮されるのが陽乃本人の手腕である。男性票はいくらか減るだろうが、陽乃のカリスマ性にかかればそれも誤差のようなものだ。

 

 集団心理を見抜いてそれを操作することについて、陽乃の右に出るものはいない。総武高校の生徒の思惑は既に、陽乃の掌の上にある。生徒会長の座になど陽乃は固執していないだろうが、自分が望んでついた地位を他人に蹴落とされることは、彼女の性格上、我慢がならないことだ。流し運転ですら頂点に立つ陽乃が本気になったらどうなるのか……考えるのも恐ろしい。

 

「それじゃあ、初めてできた彼女から彼氏の八幡にお願いがありまーす」

「なんでしょう」

「……………………陽乃って呼んで?」

 

 そう言われたのは人生で二度目である。一度目は陽乃に呼び出された生徒会室。あの時の得体の知れない存在だった陽乃の認識は、今尚変わっていない。

 

 しかし、それでも、陽乃を好けるようになったのは、彼女と一緒に多くの時間を過ごしたからだろうか。全く信用できないからこそ、陽乃のことは信頼できる。多くの人間が使うのとは全く逆の意味での安息が、陽乃の隣にはあった。

 

「陽乃」

「もう一回」

「陽乃?」

「どうして疑問系? もう一回」

「陽乃」

「…………なんだかくすぐったくなってきた。もう一回」

「陽乃」

「凄く良い気分。次、最後の一回。ちゃんと好きを込めて」

「…………陽乃」

「はい! よくできました!」

 

 満面の笑みを浮かべた陽乃が、顔を寄せてくる。

 

 目の前には、目を閉じた陽乃の整った顔がある。少なくない力が篭った背中に回された腕が静かに震えているのは、見なかったことにした。

 

「私が八幡に飽きるまで、これからもよろしくね」

 

 自分が飽きられるとは微塵も思っていないその宣言は、離れることは許さないという意思表示でもあった。

 

 きらきらとした笑顔の下に、どろりとした感情が見える。その黒さに、八幡は背筋がぞくぞくするのを感じた。

 

 普通の高校生が思い描くような青春も愛も、そこから生まれるコメディのような関係も、きっとここにはないが、これを間違っているとは思わなかった。

 

 もう一度、陽乃が顔を寄せてくる。今度は八幡も、瞳を閉じた。

 

 

 

 

 




頭の中でエンディングテーマが流れたせいで危うく次話で完結してしまうところでしたがまだもうちょっとだけ続きます。

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