女王様と犬   作:DICEK

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比企谷八幡は戦場に臨む

1、

 

 陽乃が待ち合わせ場所に指定したのは駅前だった。

 

 それだけならば別に良いのだが、陽乃の希望はよりによって総武高校の最寄り駅だった。男女の待ち合わせ場所としては近隣では定番のスポットであるが、それだけに八幡と年の近い人間も多く出入りしていた。見たことのある顔も、何人か通ったような気がする。

 

 待った? ううん、全然! という定番のやり取りをするカップルに『くたばれリア充』と思いながら、八幡は陽乃を待っていた。

 

 12時45分。待ち合わせは13時だ。まだ時間はあるが、早めに着いたという程でもない。

 

 陽乃ならば遅刻するということもないだろう。リア充の中で待つというのも気分の滅入る話であるが、待つことそのものは嫌いではなかった。噴水のふちに腰掛け、鞄から文庫本を取り出す。栞を外し紙面に目を落としたところで、八幡の上に影が差した。開いたばかりの文庫本を閉じると、頭上から聞きなれた含み笑いが漏れる。

 

「待ったよね?」

「少し。まぁ、誤差の範囲ですよ」

 

 鞄に文庫本を仕舞い、立ち上がる。私服姿の陽乃は、何が楽しいのかにこにこと微笑んでいる。多くの人間に、その笑顔は魅力的に映るのだろう。道を行く男は皆、陽乃に見とれていたが、八幡はその笑顔に良くないものを感じ取っていた。陽乃が笑っている時は、ロクなことにならないことを経験として知っているからである。

 

「じゃあ、行こうか」

「そう言えば聞いてませんでしたね。どこに行くんです?」

「こういう時は男の子がリードするものだよ」

「この世で最も信じられないものは自分なもので……」

 

 遊びなれて交友関係も広い陽乃と自分では、どちらがプランを立てた方が上手く行くか、考えるまでもない――という建前で、八幡は切り返す。陽乃が言っているのはそういうことではないとは解っている。その方が上手く行かない。それを解った上で尚、陽乃は比企谷八幡のプランを見たいと言っているのだ。

 

 ズレた答えを受けた陽乃は、苦笑とも何ともつかない笑みを浮かべた。機嫌を損ねたという風ではない。陽乃は無駄を愛せるような人間ではなかった。自分に合うか合わないか解らない計画を他人に立てさせ、それに最後まで付き合うなど陽乃のすることではない。最初から最後まで自分で行動し、他人を巻き込むのが雪ノ下陽乃のあるべき姿である。

 

「それなら服でも見に行く?」

「服を買う用事なんてあったんですね」

 

 私服姿は何度も見たことがあるが、一度として同じ服を着ているところを見たことがない。それだけ衣装を持っているということである。一般家庭に生まれた八幡には解らない環境であるが、雪ノ下家は県下でも有数の金持ちだ。その長女で後継者と目されている陽乃ならば、クローゼットを埋め尽くすほどの服を持っていても、不思議ではない。

 

 そこから更に服を買う必要があるのか。八幡の言葉には若干の嫌味が込められていたが、それを敏感に感じ取った陽乃は八幡の肩に軽く手を置いた。

 

 抵抗する間もあればこそ。

 

 八幡の身体に激痛が走る。声も挙げられないような痛みとはこのことだった。傍目には並んで立っているようにしか見えないだろうが、さりげなく身体に添えられているもう片方の陽乃の手によって、八幡の右腕は完全に極められていた。

 

 笑顔ではあるが、目は笑っていなかった。この痛みは調子に乗りすぎだという、女王様からの警告である。かくかくと壊れた人形のように頷くと、陽乃はさっと八幡から離れた。

 

「女の子は買うものがなくても、お店にいけるの。ウィンドウショッピングって言葉を、八幡は知ってるかな?」

「……一応、知ってはいます」

 

 腕を摩りながら、応える。

 

 単に、自分一人でやる機会がなかっただけだ。用事がないのに外に出ることはあっても、そういうリア充臭いことはしたことがない。空気の読めない店員に押し切られ、無駄な散財でもしようものなら、高校生の懐に大ダメージだ。

 

「陽乃に付き合うのは吝かではありませんよ」

「八幡がそう言ってくれて良かった。雪ノ下陽乃の名にかけて、見た目くらいはかっこよくしてあげるからね」

「――俺が着るんですか?」

「付き合うのは吝かじゃないんでしょ?」

 

 揚げ足を取られた八幡は、押し黙った。正直なところを言えば行きたくなどなかったが、この状況で断ることは八幡の死を意味した。

 

 無言で肯定の態度を取る八幡に、陽乃は満足そうに頷く。ただ頷くだけの仕草が、異様に様になっていた。

 

 陽乃が手を取ってくる。まるで恋人の仕草だ。

 

 それでも八幡はどきどきなどしなかった。美人の女性と手を繋いでいる。それを事実として受け止めているだけだ。どきどきしていないから、充実はしていない。リア充ではない。増長もしない。

 

 比企谷八幡は、いつも通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

「こうなりたいって希望はある?」

「平穏無事に生きて、死んでいきたいです」

「OK。じゃあ、ちょっと冒険してみようか?」

 

 陽乃に連れてこられたのはリア充御用達と看板に書いてありそうな店だった。一山いくらの服は一着もない。八幡一人ならばまず入らない高級店である。男性服の専門店。陽乃本人のためではなく、八幡を弄り倒すための選択であることは明白だった。

 

 服を選びにかかった陽乃の後姿を、何となく眺める。誰もが振り返らずにはいられない、リア充の代表のような少女。後姿でも美人と思わせることのできる女は、そういないだろう。陽乃の他には、静くらいしか知らない。色々と残念な美人である静と違って、陽乃は外面は完璧な美少女だ。八幡自身陽乃と年が近いせいもあるのだろうが、どちらのグレードが高いかと言われれば、陽乃だろう。

 

 その外面的な完璧に難点を挙げるとすれば、その内面が見通せないほどに黒いこと。それから常人では手に負えないほど非常に面倒くさい性格をしていることである。見る人間によっては最高の美点に思えるらしいそれが、しかし、八幡がいまだに陽乃の隣にいられる理由の一つだった。

 

 おそらく、陽乃のことは一生かかっても理解できない。

 

 だからこそ八幡は安心できた。陽乃相手に地雷を踏み抜くことはあっても、調子に乗って自爆することはありえない。信用できないからこそ、安心できるのが雪ノ下陽乃である。

 

「ただいま~」

「おかえりなさい」

 

 陽乃の差し出してきて服を持って試着室に入る。思えば、試着室に入るのも久しぶりだった。

 

 他人に服を選んでもらうのは初めてではないが、今までは母親か良くて妹の小町だった。本当に他人に選んでもらうのは、これが初めてのことである。それが陽乃というのは、男子として非常に幸運なことなのだろう。

 

 深く、深く溜息を吐く。

 

 どうせならもっと他の幸運が良かったと、心中で文句を言いながら真新しい服に袖を通していく。

 

 着替え終わった八幡は、仏頂面のまま試着室のカーテンを開けた。店員と談笑していた陽乃が八幡の方を向き、ふむ、と小さく頷く。その間に八幡は陽乃の隣にいた店員の顔を見た。営業スマイルは見事なまでに崩れていなかったが、その顔にははっきりと微妙と書かれていた。少なくとも高得点を得られるようなものではないらしい。別に期待などしていなかったが、事実を突きつけられると気分も滅入る。だからこういうのは嫌なんだ、と憮然とした気持ちで陽乃の言葉を待つ。

 

 陽乃は八幡の上から下までをたっぷり時間をかけて眺めると、にっこりと笑って言った。

 

「うん、凄い微妙」

「とりあえず褒める気遣いをしないところに、逆に感謝したいくらいです」

「私のそんな嘘なんて、八幡ならすぐに見抜いちゃうでしょ?」

 

 見抜かれない嘘ならついて良いという物言いで、近づいてきた陽乃は指を一本立ててくるくると回した。その場で回れ、という女王様の指示に、八幡は大人しくくるり、と一回転する。

 

「やっぱり微妙だね。おかしいな、結構自信あったのに」

「陽乃にだって間違えることはあるでしょう。いつでも完全完璧という訳にはいかないもんです」

「あ、その言い方は何だかムカつく。でも、八幡だってシンデレラになる資質は十分あると思うけど?」

「あれ、原作は相当アレな終わり方になるらしいですね」

 

 話を逸らしながらも、共通点はあるように思う。自分の関係ないところで引き上げられ、衆目を集めるところはそっくりだ。逆に言えばそれ以外には、共通点は何もない。陽乃は魔法使いでも王子様でもないし、ガラスの靴など用意してくれないだろう。最終的にハッピーエンドになるかは、比企谷八幡についてはまだ微妙なところであるが――

 

「ま、シンデレラもマイフェアレディも今は良いや。その服はそのまま着て帰って良いよ。私が買ってあげる」

「待ってください。そこまでしてもらう義理はありません」

「私が雪ノ下陽乃で、八幡が比企谷八幡だからって理由じゃ足りない?」

「足りません」

 

 一瞬、それ以上の理由はないと納得しかけてしまったが、陽乃の言葉には全く筋が通っていなかった。無言で『施しは受けない』という態度を貫くと、陽乃が先に両手を挙げた。陽乃が折れたのである。珍しいことに八幡が目を丸くしていると、陽乃は店員に問うた。

 

「あれ、全部でいくら?」

「占めて四万八千円になります」

「千円の48回払いでどう?」

「加えてボーナスが入ったら、その分前倒しで支払いをするってことにしておいてください。陽乃が卒業するまでには、綺麗な身になっておきたいです」

「了解。それじゃあ、行こうか」

 

「でも、八幡にプレゼントしたかったって気持ちは本当だよ?」

「知ってます。だから受け取らないとは言いませんでした」

 

 大きな、しかも継続的な出費になってしまったが、陽乃の『好意』を無下にするのも嫌だった。それに、自信があったと自分で言うだけあって、コーディネイトは悪くない。陽乃のセンスを感じさせつつも、比企谷八幡の趣味から外れていない。その調和を成すのも流石だが、趣味を把握していたという事実に脱帽である。八幡としては密かにそれが一番嬉しかったのだが、それは顔には出さないでおいた。

 

 とにもかくにも、金を払う価値はあるのである。

 

「陽乃は買わないんですか?」

「このお店は男の子向けだから、私が買うなら別のお店かな。今日は別に見るつもりはなかったんだけど、八幡が選んでくれるなら行っても良いよ?」

「謹んで遠慮させていただきます」

 

 自分の服を選ぶこともできないのに、他人の、ましてや陽乃の服を選べるはずもない。

 

 言葉を喰い気味に断ったにも関わらず、陽乃は嬉しそうに笑っていた。機嫌良さそうに、また八幡の手を取ってくる。楽しくて仕方がないという陽乃に、八幡は黙ってついていった。

 

 デートはまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 




えらく時間がかかってしまいました申し訳ありません。
紆余曲折を経ましたが、とりあえずこんな形に落ち着きました。

いちゃらぶ一色の一回目を書き直し、やたら淡白な二回目を書き直し、その中間くらいに落ち着いたのが決定稿のこれになります。
正直はるのんよりもヒッキーの方がクレイジーさがましてきてるような感じがする上、複数話に跨いだおかしな構成となってしまいましたが、お楽しみいただけましたら幸いです。


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