女王様と犬   作:DICEK

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比企谷八幡は戦慄する

 

 陽乃が勝手に始め、半ば押し付けられるように始まった文化祭実行委員の仕事であるが、これがやってみると中々面白いものだった。一人だったら途中で潰れていただろう仕事を続けることができたのは、陽乃の存在が大きい。外面の良い彼女が折衝の全てを引き受けてくれなければ、いかに陽乃の下でこき使われてレベルアップした八幡でも、一人ではどうにもならなかった。

 

 事務仕事を八幡が一手に引き受けたことで、今まで行っていた陽乃のフォローが疎かになってしまったが、それは新たに加わっためぐりがこなしてくれている。初めてということで手際の悪さもあるが、穏やかな性格と朗らかな見た目が、陽乃のカリスマ性を良い意味で中和してくれて、話も早く進んでいるという。

 

 確かに、交渉ごとにおいては八幡の不景気な面がうろついているよりも、陽乃とめぐりだけで当たった方が効果的だろう。適材適所ということだ。八幡は別に悔しい思いなどはしていなかった。自分にはできないことをやってくれる二人を純粋に尊敬はしている。ただ疎外感を覚えているだけだった。

 

 少し前までは疲れの見える陽乃だったが、ある日を境に活力を取り戻し、今まで以上に精力的に実行委員会の仕事に取り組むようになった。

 

 その影響で、文化祭の規模はどんどん大きくなっていった。革新的な企画やイベントが次々と委員会に持ち込まれては、その議論がなされていく。ダメなものはダメと一刀両断にする陽乃だが、見込みのあるものにはアドバイスをし、改善されたものが採用されるなど、できるだけ持ち込まれたものは活かそうと奮闘している。

 

 自由すぎると教師から苦情が来ることもあるが、そこは陽乃の独断場だった。陽乃以上に弁の立つ教師は静くらいしかおらず、その静は消極的に陽乃の味方をしていた。加えて陽乃は地元の有力者の長女。いずれはその地位と権力を継ぐと目されている才女である。

 

 陽乃に汚点を残すことは、学校も本位ではない。陽乃の強気の影には、彼女の家の力も見え隠れしていた。親の力を借りるなんて……と八幡であれば嫌に思うそういった扱いも、陽乃は笑顔で使いこなしていた。

 

『使えるものは使わないとね』

 

 笑顔で言う陽乃に、怖いものはなかった。

 

 校内の敵を潰した陽乃は、学校外にも進出するようになる。近隣の店舗に声を掛け捲り、スポンサーにならないかと提案して回った。その頃には文化祭実行委員会の熱狂は、周囲にも伝わるようになっていた。その中心人物である陽乃の名前も同時に伝わっている。呼びかけに応える形で集まり始めたスポンサーは、仕舞いには自分で売り込みにくるようになっていた。

 

 協賛という名目で、学校には次から次へと物品が提供されていく。中にはどうやって使うんだと頭を抱えるような代物もあったが、八幡の手によって整理された目録を見た陽乃は、やはり笑って言った。

 

『それを考えるのが私達の役目よ』

 

 提供されたものは、何が何でも使い尽くす。陽乃は目録を片手に連日会議を重ね、必要な物品をクラスや団体に提供した。援助を受けた生徒達はますます活気付き、文化祭を一週間後に控えた頃には気運は最高潮となっていた。

 

 熱狂的な校内の雰囲気を肌で感じながら、八幡の気持ちは逆に冷めていた。他人と相容れない性格を、恨めしいと思う。同調できる人間が正しく、自分のような人間が異端なのだろうが、性分なのだから仕方がない。陽乃の元で激務をこなし、文化祭を支えている。誰にも文句を言われる筋合いはないと自己完結しながら、生徒会室のドアを開けた。

 

「ひゃっはろー、八幡」

 

 生徒会室には先客がいた。何となく居るだろうと思っていた八幡は黙ってティーポットの元まで歩き、陽乃の分も紅茶を淹れた。

 

「城廻はどうしました?」

「今日はちょっと一人でやってもらってるの。めぐりでもできそうだったから、経験を積ませようと思って」

「陽乃がいないと、陽乃目当ての連中が暴動を起こすんじゃありませんか?」

「知らないの? めぐりも結構人気あるんだよ」

「あの城廻が……」

 

 意外な事実だった。人気投票が開催されたら、間違いなく陽乃が二位以下を引き離してトップを独走するだろう。めぐりも素材は悪くないが、陽乃には勝てるはずもない。陽乃目当ての人間がめぐりを代用として認めるとは思えないが、当の陽乃は気にしたそぶりもなく紅茶を口にしている。

 

「そんなことより、八幡もお疲れ様。資料見やすくて助かってるよ」

「無愛想な俺には外回りなんてできませんからね。これくらいしておかないと、陽乃に忘れられそうでらしくもなく頑張った成果です」

 

 皮肉な物言いになってしまったが、それは偽らざる八幡の本心である。これを他人が言ったのならば女王陛下の気分を害しただろうが、犬として貢献している成果か、大抵の軽口は陽乃は笑って受け流してくれる。例外にぶち当たった時は容赦のない報復をしてくるが、それは普段大目に見てもらっている駄賃として八幡も受け入れていた。

 

 八幡の感覚では、今回の軽口は余裕でスルーしてもらえる……はずだったのだが、陽乃が返してきたのは無言だった。まさか地雷を踏んだかと、背中に冷や汗をかきながら陽乃を見ると、陽乃は紅茶のカップを両手で抱えながら、八幡をじっと見つめていた。今までにはない反応である。訝しく思いながら陽乃を見返すと、彼女は男を一目で恋に落とす天使のような笑みを浮かべた。

 

 自分の容姿の使い方を解っている陽乃がこういう作り笑いをする時は、何かロクでもないことを思いついた時だと、八幡は経験として知っていた。今度はどんな無理難題を押し付けられるのだろうと思いながらも、それを楽しみにしている自分がいることに八幡は気付いた。犬根性が染み付いてきたな、としみじみと思いながら紅茶を啜る。

 

「……八幡、ひょっとして拗ねてる?」

「…………なんですって?」

「やっぱり? やー、八幡にもそういう可愛いところがあるなんて、私知らなかったなぁ」

 

 肯定したつもりはないが、陽乃の中では肯定されたものとして話が進んでいる。これは危険だと判断した八幡は紅茶のカップを置いて陽乃に詰め寄るが、彼女は一足先に席を立ち、机を挟んだ位置に逃げ込んだ。回り込もうとするとそれ以上の速度で離れる。身体能力は元々陽乃に分があるため、先手を打たれると八幡にはどうしようもない。既に逃げの体制に入っている陽乃を見て、八幡はとりあえず抵抗するのをやめた。

 

「うんうん。物分りの良い八幡のこと、私好きだよ」

「お褒めに預かり恐縮です」

「そんな八幡にたまにはご褒美を上げないとね。最近はずっとめぐりに構いっぱなしだったし、八幡のために時間を作ってあげる。明後日の日曜、一日空けておくこと。おめかししてよ? 私と二人ででかけるんだから」

 

 それじゃあねー、と陽乃は生徒会室を出て行く。去っていく背中は、見たこともないほどに上機嫌だった。そんな背中を見て八幡が真っ先に思いついた手段は何もかも放り投げて逃げることだったが、『あの』雪ノ下陽乃から逃げるということがどれほど困難か、知らない八幡ではない。陽乃がやると言った以上、それがどれだけ八幡の主義主張から離れていても決定事項だった。

 

 力を抜いて、陽乃の椅子に身を投げ出す。これから処理しなければならない仕事が山のようにあるが、とても仕事をする気分にはなれなかった。いつも以上に死んだ魚の目で窓の外を見る。外では今まさに青春を謳歌しているといった風の高校生達が、部活やら文化祭の準備やらに追われていた。

 

 自分とは違う種類の生き物を見ながら、アドレス帳から静を呼び出す。

 

『メールでなく電話とは珍しいな。陽乃には内緒で相談事か?』

『はい。ちょっと先生にしか相談できないことが……』

『そこまで言われたら聞かない訳にはいかないな。何があった』

『はい。実は明後日の日曜に陽乃と二人で出かけることになったんですが……』

『くたばれリア充』

 

 一方的な宣言で通話は打ち切られた。八幡は無言でリダイヤルの操作をする。

 

『何だ、リア充。私のような非モテ女をからかって楽しいか?』

『助けてください、マジで。どうしたら良いのか解りません。これはどういうことなんですか? ついに美人局の餌食になるんですか俺』

『今更他意はないだろう。陽乃も普通にお前と出かけたいと思って誘ったのではないかな。いや、リア充でない私にはお前達リア充の考えることなど解る訳もないが』

『拗ねないでくださいよ、先生だけが頼りなんですから』

『……悪かった。とにかく、あの陽乃が相手とは言え、構える必要はないだろう。この学校で陽乃を相手にするのに最も適しているのは間違いなくお前で、私じゃない。お前にできないなら、おそらく誰にもできないだろう。教え子が私を放ってデートなど忌々しい限りだが、そういうことを見守るのも教師の役目だ。陽乃がどういう顔してお前と歩くのか、興味がない訳でもないしな』

『実は隠れてついてきてくれるとか、気の利いたことを考えたりしてませんよね?』

『ないな。教師もそこまで暇じゃない。レポートを出せとは言わないが、後で話を聞かせてくれると助かる』

『ご期待に沿えるよう頑張ります』

 

 よろしく、と事務的な言葉で通話は打ち切られた。頼りの綱も切られた形だ。静の話の中にデートという不愉快な単語が出てきたが、まさか陽乃に限ってそんなことはあるまい。二人で出かけるというのも、他に邪魔を入れたくないということだ。どんなことを要求されるのかを考えると、背筋が震えて仕方がないが、もはや聞かなかったことにはできない。

 

 もやもやした感情から逃げるように、八幡はパソコンのモニタに向かった。キーボードを叩く音だけが、生徒会室に響く。

 

 

 


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