Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
「りゅ、竜騎士が・・・!」
「馬鹿な! そんな、馬鹿な話があるか!!」
左翼部隊の歩兵達から悲鳴に似たどよめきが広がっていく。
中央部隊の頭上に広がっていた、突如として現れた猛吹雪が掻き消え、ばらばらと散らばるように竜騎士らしき複数の影が墜落していく。
「し、静まれ! 静まるのだ!」
歩兵達の動揺を目の当たりにしながらも各部隊を率いる士官達が声を張り上げていた。
明らかに士気が低下していく今の状況に、士官達は自身を鼓舞するかのように歩兵達への指示を続けていく。
「案ずるな! 戦におけるこちらの優勢は変わらぬ! 今は目前の状況に集中せよ!」
左翼を率いていた老年の総指揮官が戸惑う士官達へと声を荒げていく。
「ゴーレム部隊を前面に押し出せ! 量よりも質を重視せよ! 両面より奴の逃れる先を無くすのだ! 決して、距離を詰めてはならんぞ!!」
目を剥き唾を飛ばしながら士官達へと叫びつつ、左翼の指揮官は今の状況が想像以上に悪化していることをようやく実感していた。
しかし虎の子であった竜騎士隊が撃破された今、一体どうすればいいのか。
指揮官の貴族は周囲の士官達の請うような視線に気付きながら、悪化を辿る状況を打破すべく、自身の経験から懸命に頭を回転させ続けていく。
士官や歩兵達への指示を飛ばしながらも、思考を続ける左翼の指揮官は先程の恐怖を必死に抑え込み続けていた。
あの大斧を携えた青年の突進力は尋常ではなかった。
我々は幾度も、あの怪物を仕留めるチャンスを見つけていたはずだった。
しかし、奴は目の前の危機に目もくれず・・・、いや、『だからこそ』奴の斧はこの左翼の指揮系統にすら届きかけていたのだ。
我々に未だ命があるのは、数多くの戦の経験を基に、即座に指揮系統を後退させるべきだと判断したために他ならない。
歩兵達を壁にして自身の命を拾う行動は、軍で積み上げた自身の誇りとしても、かつてのアルビオン王軍に名を連ねていた貴族の矜持としても、決して容認できることではなかった。
しかし、あの瞬間のあの判断が無ければ、左翼の軍団は信じられない程に呆気なく瓦解していただろう。
奴は指揮系統が後退し始めたのを確認するや、包囲の隙間を縫うように最前線の地点まで退いていった。
その隙に信頼のおける側近の士官達を各方面へ分散させながら、命令系統の独立化、軍団の再配備、トリステイン軍の奇襲を警戒する斥候部隊の派遣、右翼や中央軍との再連携等々を行なっている。
指揮官自身、たかが一兵士の奇襲程度でここまでする必要があるか、とは確かに考えたが・・・、現に奴は完全包囲されていた状況からいとも容易く脱出しているのだ。
考え得る最悪の状況だけは、なんとしてでも避けなければならない。
しかし今までの戦況を見る限り、自身の考えが正しければ、奴は・・・。
遠目に見える最前線では十メイル弱もある鉄製のゴーレムが次々に立ち現れていた。
同時にあの大斧を携えた怪物を包囲していた兵士達が、そのゴーレム達の前面へと数々の魔法を、そして弓矢や銃弾を雨あられと放ち続けている。
そうした中でも、数体のゴーレムが強烈な衝撃を受けて体勢を崩し、その内のゴーレムの一体が自身の身体を粉砕されながら地響きを立てて倒れていった。
「あ、ありえぬ・・・! 何故こちらが攻撃を受けているのだ!?」
「指揮官殿! 更にこの陣を下げるべきです! 奴を止められなければ、また・・・!」
しかし指揮官はその遠目に見える光景を前に、自身の思惑が正しかったと、確信に満ちた眼光を向け始めていた。
「・・・いける、いけるぞ! 奴は攻めあぐねている!!」
そう叫んだ指揮官は、士官達の驚愕の表情にも気付かずに更なる命令を下していた。
「ゴーレムの質と大きさを更に上げよ! 奴を前面に誘い出せ! 迫撃砲用意!!」
戸惑う士官が指揮官へと声を上げていく。
「しかし! あの様では長くは持ちませぬぞ!」
「奴は前に出る他ないのだ! 奴は魔法を使えぬ!!」
士官達は愕然とした視線を老年の指揮官へと向けた。
「分からんのか! 奴は『メイジ殺し』だ! 空を飛んで逃れることすら出来ない、ただの平民に過ぎぬ! ならば、脱出できぬ状況に誘い込めば良いだけだ!!」
その言葉に、次々と士官達が部下達への指示を飛ばし始める。
十メイル程の鉄製ゴーレム達が何とか奴を食い止め続けている中、軍団の前方に三十メイルを超える巨大ゴーレムが生み出されていく。
その表面は複数のメイジによる強固な鉄に覆われ、更なる時間を稼いでくれることが容易に想像できた。
「恐れるな! 奴は初手の攻撃に全てを賭けていたのだ! 奴が何者なのかなぞどうでもいい! たかが一人の平民に突破されるなど、あってはならんぞ!!」
「また増えやがったか。考えてやがるな」
むくむくと巨大な影が人の姿を形作っていくのを見上げていると、大斧の青年、ハワードに向けて次から次に鋼鉄の拳が襲い掛かった。
隊列を組みながら殴りかかってくるゴーレム達の攻撃を縫うように避けていく中、両側面からは飽きもせずに矢や銃弾、果てには雨のような氷の槍やら火球やらが飛び交ってくる。
「なるほど、なるほど。面白い戦い方をするもんだ・・・。しかしアイツ、まだ仕事は終わらねえのか?」
側面から襲い掛かった飛び道具は、鉄製ゴーレムを盾にしながら防ぎ切る。
追尾する火球が飛来してくれば、鉄製ゴーレムの手足を破壊することで安全な地帯を作り出してやり過ごす。
そんな中でもゴーレム達は次々にハワード目掛けて拳を振り下ろし続けているが、紙一重で避けられた打撃が地響きを上げながら地面へと突き刺さっていくだけだ。
土煙と共に地面が大きく抉れ、あらゆる魔法や飛び道具が大地に更なる痕跡を残し続けているも、ハワードはほぼ全ての攻撃をこの調子で避け続けていた。
絶えず殴りかかってくるゴーレム達の攻撃は、その正確さ故に若干の隙間とパターンがある。
所詮は人形だな、と考えながら、ハワードは掴むかのように横なぎに振り回されたゴーレムの手を叩きつけるような斬撃で粉砕した。
大斧で打ち砕かれたゴーレムの腕はばらばらに砕け散り、大きく体勢を崩したようにぐらりとその身体をよろめかせている。
しかしゴーレムの破片が宙に散る中で、側面のメイジ達の動きがハワードの赤い瞳に映っていた。
彼らの動きは今ここで自分を仕留めようとしているものではなかった。
何というか、『意識が他の場所へとずれている』のだ。
「罠か。前の方だな」
周囲のゴーレムの位置を確認したハワードは、心底楽しそうに、にやりと笑みを浮かべていた。
両側からは自分を押し潰そうと拳を振り上げるゴーレム達。
前方には突進する十メイル程のゴーレムが二体と、その背後には三十メイルを超える、黒々とした光沢を放つ巨大なゴーレム。
自分の目には、前方の軍勢がどういう動きをしているか目視することが出来ない。
しかしハワードの頭には、その状況に対しての恐れなど欠片も浮かんではいなかった。
冷静な思考を放棄した訳ではない。
『目前の敵の注意を引き付ける』役割を忘れた訳でもない。
ただ、敵である彼らの紡ぎ出した工夫が見たかった。
見たことのない魔法の数々。
それらを操る、この異世界の軍勢。
自分という正体不明の異物を前に、彼らは一体どのような思考の片鱗を見せてくれるのか。
尊敬に値する師から離れ、そして鉄と火を生業にする鍛冶屋として求め続けてきたものは、人知れず幾星霜も積み上げられてきた、数え切れない『工夫』を目にするためにこそなのだ。
両側面から薙ぎ払われたゴーレムの攻撃。
その攻撃に合わせて跳躍したハワードの眼下を大木のような腕が一瞬で通り過ぎていく。
それを瞬時に蹴り付け、ハワードは目前へ迫る二体のゴーレムの隙間を風のように通り抜けていく。
そんな中、ハワードの視界の端には殺意に満ち満ちている異世界の住人たちの姿があった。
火花が瞬いている。そうハワードは感じていた。
自分は戦いが嫌いではなかった。
まるでハンマーで鉄をぶっ叩く時の、一瞬の煌めき。
それに似たものを、今この時の戦いの中にも見出すことが出来るのだから。
「どんな罠なのか・・・、楽しみってなもんだな!」
十メイル程のゴーレム達の隙間を瞬時に通り過ぎたハワードは、その背後に天高くそびえ立つ巨大ゴーレムへと視線を向けていた。
三十メイルを超えるゴーレムは両腕を更に高く掲げ、ハワードに向けて思いっきり開いた両手を叩きつける。
身を翻してそれを回避したハワードはすぐ傍で鳴り響いた爆音のような衝撃を感じながら、感情のままに、自身の全力を敢えて振り絞っていた。
ハワードの身体だけでなく得体の知れない魔力が周囲を包み込む。
それと同時に振るわれた大斧の一撃は空を歪ませる程の威力をもって、城壁にも似た巨大ゴーレムの鋼鉄の脚を一瞬の内に打ち砕いていった。
傍から見ていたなら、ハワードの姿が一瞬の内に消え、巨大ゴーレムの足が突然弾け飛んだように見えたかもしれない。
そしてその次の瞬間、舞うように戦っていたはずのハワードが、突然その勢いを落としたとも。
「な、なんだ、こりゃ・・・っ!?」
黒光りする巨大ゴーレムの破片が宙に散らばる中、ハワードは突如として苦悶の表情を浮かべながらその動きを緩めていた。
全力で大斧の一撃を振るった時、いきなり自分の中に膨れ上がった感覚。
一瞬の内に自分の意識が遠のきそうになりながらも、思わず沸き上がった、目の前の全てを破壊し、全ての存在を殺し尽くしたいという自分の意図しない激情。
(意識が・・・飛びそうだ・・・っ!)
反射的に自分の中で暴れまわる激情を抑え込もうとする中、ハワードに向けて、鋼鉄で作られた拳や無数の強力な魔法が次々と襲い掛かっていく。
「ちっ・・・!」
よろめきながらも襲い来る鉄の拳をハワードは間一髪回避した。
がりがりと大斧を大地に引き擦りながら、先程とはうってかわって、不格好にハワードは次々と襲い掛かる魔法の数々を潜り抜けていく。
その瞬間、前方から鳴り響いた迫撃砲の轟音と共に、無数の砲弾がハワードへと襲い掛かっていた。
「め、命中ッ! 命中です!」
「よし、よし! 油断するな! 畳みかけろッ!!」
左翼の指揮官と士官達は紅潮した顔で目の前の光景に声を荒げていた。
あの大斧の青年はゴーレム達とメイジ達の包囲攻撃を凌ぎ切った挙句、あろうことか複数人の『錬金』によって生み出された巨大ゴーレムの脚すらも打ち砕いていた。
しかし流石に体力の限界だったのか、突如としてあの怪物が勢いを落としたのだ。
そこへ数十人規模による魔法の総攻撃、更には攻城戦のために用意していた迫撃砲の一斉射撃。
いかに奴が人外のような存在だったとしても、あれらの攻撃で無事なはずがない。
もうもうと広がる土煙に向けて、左翼の軍勢が更なる攻撃を加えていく。
標的の姿が見えないにしても雨霰と撃ち込まれる攻撃に奴は為す術もないだろう。
「お見事! 正にお見事です! 流石は指揮官殿! これで奴は・・・」
そう叫んだ士官は指揮官へと顔を向け、同時にその表情を強張らせていた。
「ぐ・・・が・・・っ」
かすかな呻き声を上げた老年の指揮官。
その胴体からは、短剣の刃が背後から深々と生えていたのだ。
「な・・・っ」
周囲の士官達がその有り得ない光景を目の当たりにした時、指揮官のすぐ背後に揺らめいた影が、一瞬の内に姿を消したように見えた。
「・・・遅すぎる」
指揮官の身体がぐらりと倒れ始めたと同時に、士官達のすぐ背後から誰かの声が低く響いた。
すぐさま敵襲だと声を上げようとするも、彼らは声を出すことが出来なかった。
既に、彼らの首は何者かによって深く搔き切られていたのだから。
首を抑えて次々に膝を付いていく士官達。
そして老年の指揮官が倒れこむ姿に気付いた兵士達は一様に、ぽかんとした間の抜けた表情のまま固まっていた。
「て、敵・・・?」
数秒もの間、兵士達は金縛りを受けたように固まっていたが、少しずつ増えていくざわめきと共に、次々とその表情を朱に染めていった。
「敵だ! 敵襲だ!!」
「馬鹿な、馬鹿な! 指揮官殿が、そんな・・・っ!!」
「許さぬ!! 生かして帰すなッ!!!」
悲鳴のような轟きが周囲を包み込み、屈強な兵士達は次々とその影のような男を切り裂くべく駆け出していた。
殺到するようにその影へと襲い掛かる兵士達。
彼らはその時、指揮官の仇であるその男がかすかに笑ったことに気付いていなかった。
「な・・・っ!?」
怒りに我を忘れていた先頭の兵士が驚愕の声を上げる。
自身の長剣が奴を切り裂く瞬間、確かに目の前にいた男の影が揺らめき、音もなく消えていったのだ。
「後ろ、後ろだッ!!」
背後の兵士達がこぞって大声を上げる。
それと同時に背後にいた別の兵士達から叫びに似た怒声が飛び交っていく。
「馬鹿野郎! そこをどけ!!」
「俺の後ろだ! 迫撃砲の方角に・・・!」
「違う! あっちの一団に紛れた!!」
「どこだ! どこにいるッ!!」
指揮官の死体と兵士達の一団から、波のような動揺が軍団の中へ広がっていく。
最も重要な指揮系統をいつの間にか失った兵士達は一様に混乱していたが、その混乱は左翼の前線にまでは届いていなかった。
未だ大斧の青年への攻撃に夢中であった兵士達は、『自分達と同じように動く影』までには気を配ることが出来なかった。
そしてその影が土煙の中へと紛れていくことにも気付かぬまま、むやみやたらに土煙の中へと攻撃を加え続けていくのだった。
「・・・痛くねえな。不思議なもんだ」
周囲から鳴り響く地響きに包まれながら、大斧の青年、ハワードはひとりごちていた。
無残に破壊された、巨大な鋼鉄の腕。
その腕のすぐ近くで大きく空いた穴の中に、ハワードはいた。
ハワードがいる場所は最前線から少し離れた、ゴーレムの群れがいるすぐ近くである。
迫撃砲の衝撃を大斧で受け止め、その反動を利用して吹き飛ばされたハワードは、瞬時にゴーレム達を利用してその身を隠していた。
その代償として身体中にいくつもの深い傷を受け、その上にハワードは左腕まで無残にも吹き飛ばされていた。しかし・・・。
「これが、モンスターか」
ハワードは漏れ出た自分の声に少し驚きつつ、その内にしかめっ面を浮かべていった。
あのブリミルとか言う信用ならない奴の話を聞いても、別にハワードはさほどショックを受けていなかった。
重要なのは自分の意志、そして感覚だ。
モンスターだから、とか、人間だから、とか。
そんなことは大した意味など無い。
そう思っていたのに・・・。
「やべえな・・・」
後悔しちまいそうだ、と口に出しそうになって、ハワードはますます機嫌が悪そうに顔をしかめていった。
軽く顔を振って直前の思考を振り払い、ふと、ハワードは自分へと近付いてくる気配へ顔を向けていた。
「・・・」
「随分遅かったな。凄腕のアサシンじゃなかったのか?」
口元に意地悪そうな笑みを浮かべたハワードへ、影のような男が音もなく近づいていく。
「腕はどうした」
その言葉に、ハワードは少し意外そうな顔をしていた。
中腰になりながらも穴の中へと滑りこんだ影の男。
こいつは到底仲間想いな奴には見えなかったのだが。
「エレメス、って言ったっけか。意外なことを口にすんだな」
思ったことをそのまま口にするハワード。
しかしその男、エレメスは欠片も表情を崩さないまま、ハワードの左腕があった場所を見つめ続けている。
「別に痛くはねえよ、モンスターになった面目躍如ってところだ。そんで、そっちの仕事は済んだのか?」
無表情のままのエルメスがしばらくハワードへと視線を向ける。
その内に何を思ったか、エレメスは穴の外へと音もなく出ていった。
「・・・何だあいつ」
呆気に取られたハワードを尻目に、すぐさまエレメスが音もなく戻ってくる。
「タフな奴等だ」
その小さな声に、ハワードが残った右手で頭をがりがりと掻いた。
「おい、それだけじゃ分からねえだろ」
エレメスがその赤く細い目をハワードへと向けるも、またもやそのまま黙りこくっている。
「おーい、聞こえてるかあ? もしもーし」
「・・・? 聞こえてるが」
無表情のまま返された言葉に、ハワードは思いっきり分かりやすく、深いため息を吐いた。
「ちゃんと・説明・しろ。分かったか?」
何の表情もなく、じっと黙り込むエレメス。
ハワードは徐々にイライラしながら、思わず右手の指の腹で地面を叩き始めていた。
「そう、だな・・・。そう・・・、指揮官は、倒した」
「・・・それで? さっきの『タフな奴等』ってのはどういう意味なんだ?」
またしばらく沈黙が降りる。
そのまま黙って待っていても一向に続きが返ってこない。
もはやハワードは我慢の限界だった。
「お前は、答えるのがおせえ!!」
「静かにしろ。攻撃が来るぞ」
「そんでそういうのは早いのかよ!!」
はーあと溜め息を吐いて、ハワードはじろりと無表情のエレメスを睨む。
「マジで口下手なのか、お前」
「・・・すまんが、慣れてない」
もう一度わざとらしい程の溜め息を吐いてから、ハワードが口を開いた。
「それで、さっきのお前の言葉はどういう・・・」
唐突にハワードが口を閉ざした、と同時に、二人とも耳を澄ませるように宙へと意識を向け始める。
「・・・音が止み始めたな」
「ああ」
示し合わせたように赤目の二人は息を殺して周囲の様子を伺っていた。
地響きと轟音は徐々に鳴りを潜め始めている。
「『タフな奴等』という言葉の意味は」
突然エレメスがゆっくりと話し始める。
なんとなく今の状況でハワードも予測がついていたが、今度は茶々を入れずに黙って続きを待っていた。
「奴らの『頭』は死んでいない、という意味だ」
眉間に皺を寄せたハワードは、また分かりにくい言い方を、と愚痴をこぼす。
「指揮官は仕留めたんだろ?」
「ああ。周囲の直属も仕留めてある」
「ってことは、他に優秀な奴がいるのか。それとも、その指揮官はこの状況を予測してたってことか。流石って言えばいいのかね」
「そうだな、なかなか上手くいかないものだ」
既に繰り返し響いていた轟音はすっかりと消え去り、代わりに他の場所から聞こえてくる戦いの音だけが周囲に響いている。
右翼と中央では未だ戦いが繰り広げられていることだろう。
「さあて、第二ラウンドだな」
「・・・」
小用を済ませるかのように二人して穴からゆっくりと外に出る。
ここからは計画など欠片もない。
正にモンスターと同じように、ただ策も無く乱戦を行なうだけだ。
「それにしてもだ」
ハワードはやれやれと言った具合に呟きながら、前方に広がる敵軍をゆっくり眺める。
穴から這い出してきた赤目の二人組に、敵軍は怒号に似た号令を繰り返しながら更なる布陣を整えていく。
「あのブリミルだかが言ってた言葉。『偶然と運命を積み重ねる』ってどういう意味なんだ。とどのつまりは『なるようになる』って意味じゃねえのか?」
「・・・それも今更だな」
エレメスが初めて微かな笑みをこぼす。
それを見たハワードは残った右腕で大斧を肩に担ぎ、そういえば、と小さく呟いた。
「一つ、注意しろよ。エレメス」
エレメスの赤い瞳がハワードに向く。
「いいか、『全力で戦おうとするな』。自我が吹き飛ぶぞ」
不思議そうな顔でエレメスは黙っていたが、その内にハワードから視線を外して小さく口を開いた。
「・・・お前の言い方も、十二分に分かりにくい」
「うっせ」
軽い口調のまま、二人は広範囲に生み出され始めた巨大ゴーレム達へと目を向けていく。
「・・・最後まで、人間のままでいたいものだな」
歩を進めようとしていたハワードはふとエレメスへと視線を向けた。
静かに敵陣を見つめるエレメスは先程までと同じ、無表情のまま、もう一度ゆっくり口を開いていく。
「・・・今更こんなことを思うとは、思ってもいなかったが」
その横顔にかすかな笑みを見つけると、ハワードは視線を地響きと共に歩き始めたゴーレム達へと戻していた。
「ああ、同感だ」
アルビオン軍、右翼。そこは正に戦場だった。
氷や炎の竜巻が地面に多くの痕跡を残し、その間を高速で動き回る四足型のゴーレムの群れが、まるで獣の群れのように一人の男へと飛び掛かっていく。
そのゴーレム達は一瞬の煌めいた剣閃の束に薙ぎ払われていた。
ほんの一瞬、人程もあるはずの巨大な大剣がその刀身を無くしたかのように見えなくなる。
男の赤いマントが宙を縫い付けるように線となり、はためき、しばらくしてその動きを止める。
次の瞬間、ゴーレム達だったものは、岩の塊を周囲にまき散らしていく。
数メイルもある水の塊が銀髪の騎士の周囲に次々と浮かび上がる。
それらの水の塊が瞬時に形を変える。
剣や槍、大槌や鞭、果ては矢や砲弾であるかのように形を変え、到底対応など不可能な程の密度をもって銀髪の騎士へと襲い掛かる。
銀髪の騎士は死角も含めた全ての攻撃が見えているかのように回避し続けていく。
同時に宙に散ったメイジ達から放たれた複数の雷が、銀髪の騎士へと襲い掛かる。
しかし、水で出来たありとあらゆる武器、そして雷が一か所に集まった瞬間、突如として騎士の周囲を爆炎が包み込んでいた。
空気が急激に膨れ上がり、水で出来た数々の武器が一瞬の内に蒸発し、それらによって作り出された空気の層によって複数の雷は照準を大いに外し、大地に突き刺さっていく。
そして、また、一瞬の静寂が周囲を包み込む。
銀髪の騎士の赤い瞳が輝き、右翼の軍団の兵士達を貫く。
その度に、何か得も知れぬ声、ざわめきが、兵士達の間を包み込んでいくのだ。
こういったことが、もう幾度となく繰り返されている。
「・・・攻撃中止」
右翼の指揮官が静かに、厳かな声を上げる。
目の前の戦いに呆気に取られていた士官達はびくりと我に返ると、指揮官の命令を次々に声高に宣言していった。
「攻撃中止! 攻撃を中止せよ!!」
浮足立っていた兵士達は一様に当惑しつつも、続く攻撃の手を止めていく。
静かに指揮官が歩を進め始める。
それを止めようと側近である士官達が声を上げるが、全く意に介さないように指揮官の男は銀髪の男へと歩み続けていく。
騎士の姿がはっきりと見える位置まで近付いた指揮官は、思わず息を飲んでいた。
あれ程の攻撃を受け続けていたにも関わらず、あの騎士に与えた傷はほんのかすり傷程度に過ぎなかったのだ。
その事実に慄然としながらも、指揮官は大きく息を吸った。
「一つ! 聞かせていただけるか!!」
銀髪の騎士の視線が最前線へと近付いた指揮官へと向けられる。
その輝く赤い瞳を向けられた指揮官は一瞬身を強張らせるも、戦いが始まる前の得体の知れない恐怖は、何故かそれほど感じられていなかった。
「貴君は、何者だ!! トリステイン貴族の内、いずれの名に連ねるのか!!」
その言葉に、背後に広がる兵士達は次々にどよめきたった。
ここは戦場なのだ。
戦争の只中で、敵国の首都へと進軍している最中だというのに。
何故『まるで貴族同士の御前試合でもあるかのように』、指揮官が敵に向けて言葉を投げかけるのか。
銀髪の騎士はただ静かに指揮官を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「私は何者でもない。君たちが思っている者とは違う」
「・・・ならば、何故! ただ一人で我らの道を阻む!!」
指揮官が怒声に似た声を響かせる。
「何故! 貴君は我らを攻撃しない!! それ程の力を持ちながらも!! ただ耐え続けて死ぬだけか!!」
兵士達のどよめきが徐々に静まり始めていく。
横の戦場ではいまだに戦闘の音が続いている。
それにも関わらずに誰も彼もが、敵であるはずの人物の返答を待ち始めていた。
「ここを通しはしない。ただそれだけだ」
大きく、静かな返答に、右翼の指揮官は更に声を荒げていく。
「貴君はこのような場所で死ぬべき男ではない!! 悪いようにはせぬ!! 投降せよ!!!」
その有り得ない発言にも関わらず、今度は兵士達のざわめきすら起こらずに、ただ静けさだけが周囲を包み込んでいた。
戦闘の音は絶えず周囲に鳴り響いているにも関わらず。
数多くの兵士達の視線が、ただ一人立つ銀髪の騎士へと向けられていく。
赤い瞳を輝かせた銀髪の騎士が静かに口を開いた。
「私と君達は、何一つとして変わらない。ただの・・・、ただ一人の、兵士だ」
銀髪の騎士の声が周囲に響いていく。
涼やかでありながら絞り出されたその言葉は、周囲の喧騒を掻き消すような響きを持っていた。
「私の剣は、我が守るべき者のためだけに振るわれる。それこそが、私自身を支え続けた約束に報いる、ただ一つの手段であるからだ」
アルビオンの兵士達は静かに、その赤い瞳の男の言葉に耳を傾けていた。
軍団の前にいる騎士は、ただの、たった一人で戦い続ける敵であるだけのはずだった。
しかし軍団の兵士達は身じろぎ一つせずに、このただ一人の騎士の言葉を聞き続けている。
「君達が行なってきたことの多くを問うつもりはない。無辜の村々を襲ったことも、そこにただ生きる村人達を焼き払ったことも。それをするだけの理由が、きっとあるのだろう」
騎士の赤い瞳が強く光輝く。
「ただ、私は私のために、君達をこの先へ通しはしない。私が私でいるために、ただそれだけのためにだ」
騎士の瞳はまるで一人一人の兵士達の顔を見ているかのようだった。
その瞳を目にした兵士達は何故か自身の胸に何かの感情が沸き上がるのを感じていた。
彼らの剣を握る手に力がこもり・・・。
「君達が、それをさせぬと言うのであれば!!」
吠えるような騎士の声が兵士達の耳に残る。
彼らは凡百の傭兵であり、祖国を裏切った兵士達であり、矜持に泥を被せ続けてきた貴族達だった。
「余計な問答など無用!! ただ剣を取り!!」
その彼らの心中が、何故か見も知らぬこの男に揺さぶられ続ける。
「自らの意思を持って、敵であるこの私を打ち破ってみせろ!!!」
雄たけびにも似た声に軍団は何も答えず、ただ沸々と沸き上がる感覚だけを味わっていた。
ただの敵である自分らに向けられた言葉は、何故か分からぬ程に純粋な言葉であるかのように思えた。
「・・・よく分かった。何者でもない、騎士殿」
紅潮した顔のままであった指揮官はかすかな笑みを浮かべて、貴族のマントを翻しながら大きく口を開く。
「全軍、攻撃準備!!!」
その瞬間、これまでを遥かに超える轟音が大地を震わせていた。
人の声であるとは到底思えない程のその轟音を背景に、銀髪の騎士が巨大な大剣を構えなおす。
「騎士殿!! 出来得るのであれば、この戦場ではない別の場所で出会いたかった!!」
軍団の元へと戻り始めた指揮官はその言葉と共に胸中を満たす感覚を味わっていた。
それは何故か、自分がはるか昔に捨て去り、それを後悔し続けた貴族の誇りを、ほんのかすかにでも取り戻したようにも思えたのだった。