Double Servant -Poetry of Brimir-   作:ねずみ一家

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第七十二話 エインヘリアルの残影

「何だ・・・、これは・・・」

 

トリステイン本営。その天幕の中で、宙に浮かんでいるいくつかの鏡を見つめる人々がいた。

 

その淡く光る鏡は『遠見の鏡』というマジックアイテムである。

 

遠隔地を映し出す鏡として知られるそのマジックアイテムが映し出しているのは、決戦の地であったトリステイン郊外に広がる平野と、今正にそこで戦う兵士達の姿だった。

 

それぞれの鏡の中心に映っているのは、突如としてこの天幕に現れ、そして消えていった、あの赤い瞳の一団である。

 

 

銀髪の騎士へと次々に襲い掛かるトライアングル・スペル。

氷や炎の矢が間断無く降り注ぐ中、同時に十数メイルもの大型ゴーレム達が次々に拳を振り上げながら突撃を仕掛け、狙い澄ました雷の一閃が赤いマントを翻した銀髪の騎士へと続けざまに襲い掛かっていく。

 

しかし、その全ては無駄に終わっていた。

 

輝く赤い瞳と真紅のマントが舞うようにそれぞれの魔法を潜り抜け、大型のゴーレム達の攻撃に合わせるように次々とその腕や足を容易く斬り裂きながら、複数のメイジにより放たれていたライトニング・クラウドの魔法ですらも瞬時に回避されていく。

 

大斧を振るう青年も同じように、無数の魔法や雨のように降り注ぐ弓矢に怯むことすらなく、次々に襲い来るゴーレムや兵士達を両断し、吹き飛ばし、右翼にいる敵軍の指揮官を守る布陣を切り裂くように戦い続けている。

 

 

「この人達は・・・」

 

 

放心したように鏡へ視線を向けていたアンリエッタが小さく呟いた。

 

そんな中、一つの鏡から赤い光や青白い閃光が放たれていた。

その鏡に映されているクリーム髪の少女が紫色の宝石を湛えた杖を振るう度に、少女の周囲には空を埋め尽くす程の炎の塊や、青白い巨大な雷が瞬時に形成され続けていた。

 

天災のような魔法が数十人の兵士達を飲み込んでいく中、更に地面を走る氷の柱や巨大な氷の槍が残る兵士達に対しても次々に襲い掛かっていく。

しかし大混乱に陥りながらも、後衛のアルビオン軍は無数の矢や銃弾、更には迫撃砲の砲弾までもを少女へと次々と放っていた。

 

アルビオン軍による一斉攻撃には到底避ける隙間など無い。

 

しかし、少女が後方へステップを踏むと同時に、少女の前方へと立ちはだかった金髪の女性。

その周囲に、突如青い光の柱が次々と立ち現れていた。

 

真っ黒い壁のように迫り来る砲弾や矢は二人へと直撃する寸前にびたりとその動きを止め、まるで全てが宙に縫い付けられたようにその動きを止めている。

 

 

その戦いの光景を喰い入るように見つめていたアンリエッタが、もう一度口を開いた。

 

 

「・・・この人達は、本当に人間なのですか・・・?」

 

「・・・分かりませぬ。彼らが、何者なのか・・・」

 

 

不敬だとは知りつつも、マザリーニはアンリエッタへ顔も向けずに、鏡の向こうで繰り広げられる戦闘へと視線を向け続けていた。

 

 

彼らの戦い方は異質だった。

もちろんそれは、到底人間とは思えない程の、彼らが持つ戦闘力が異質であるからだとも思える。

 

しかしそれだけではないと、兵士でもないマザリーニは直観していた。

 

彼らは、余りにも『慣れている』のだ。

 

周囲を埋め尽くす程の敵軍や、到底勝ち目など無い状況においての、判断力。

自身を襲う攻撃の『どこを切り崩し、どこを避けるべきなのか』。

 

そして更には、無謀とも思える程に敵陣を切り崩すことで、相手の押し返そうとする反応を誘っているかのような・・・、『一個の強大な怪物を相手にしているかのような戦い方』・・・。

 

 

ふと、マザリーニは周囲にいる軍属の貴族達の表情を見る。

鏡を凝視し、まるで歯を喰い縛るかのように緊張した表情。

 

その表情がどんな感情から浮かんだものなのか、兵士ではないマザリーニには分からなかった。

しかし自分も含めて、彼らの胸中を満たしているであろう感覚は理解できていた。

 

 

多分ではあるが・・・、彼らはある種の『到達点』だった。

人が人として得ることの出来る、強さの極致。

それを担う者達が、今あの場所で戦い続けている。

 

 

戦闘が始まる前の、先程までの喧騒とはうってかわって、天幕の中で声を上げる人間はほとんどいなかった。

天幕の内部を包み込んでいたのは、ただ遠くから聞こえてくる雄叫びや地響きのみである。

 

『始祖に遣わされた』と言い放ったあの赤い瞳の一団が現れてから、戦闘が始まる寸前まで、トリステイン本営にいた指揮官たちはどちらの判断を下すべきなのかを喚くように話し合っていた。

 

彼らの指示に従うべきか、否か。

 

彼らが尋常でない存在であることは、彼らを実際に目にした者達の全員が認識できていた。

しかし、あの者達がレコン・キスタ側の者共ではないにせよ、あのような異常な存在の言うことに従うべきかどうかは誰しも判断することが出来なかったのだ。

 

トリステイン軍の陸空両軍に突撃待機命令を下しているとはいえ、あの一団を目にしていない軍団の兵士達が今の不可思議な状況に対応できるとは限らない。

 

その軍団の兵士達への指示と、完全なる本営との連携を行なうために、ヴァリエール公爵がその役目を買って出ている。

既に軍団の元へと到着しているヴァリエール公爵からは、何度か伝令による本営への確認が行われているのだ。

 

しかし、天幕の人間達は目の前の鏡へ映されていく光景に絶句しながら、待機命令以外の指示を出すことが出来ていなかった。

 

 

もし、万が一、彼らがトリステイン軍へと矛先を変えた場合・・・。

アルビオン軍と彼らを抑えきることなど、到底不可能であるからだ。

 

 

「・・・」

 

天幕に次々と響きわたる、遠く聞こえる戦いの音。

その只中でトリステイン軍は何もすることが出来ず、ただ彼の地で戦い続ける赤い瞳の存在を見つめているのだった。

 

 

 

 

大騒ぎになっている地上の音を聞きながら、レキシントン号から飛び立とうとしていた竜騎士の一団がいた。

レキシントン号の甲板の一部が仕掛けにより徐々に開け放たれ、そこからは雲間に広がる大空が見え始めている。

 

本来、彼らが出撃するタイミングはもっと後のはずだった。

トリステイン陸軍とアルビオン陸軍が衝突した後、互いの空軍が砲撃戦を開始するであろう中盤戦以降において、二つの竜騎士隊はアルビオン陸軍への支援攻撃を行なうはずだったのである。

 

しかし今現在、地上の状況はトリステイン軍の精鋭らしき歩兵の攻撃によって大混乱に陥っている。

 

しかもその攻撃の規模は極少人数による攻撃であるために、大規模な空戦を予想していた空軍は地上部隊への支援が行なえないでいるとのこと。

万が一にも地上部隊が大打撃を被ることなど有り得ないが、念には念を入れて謎の敵軍に対しての竜騎士達による対地攻撃が行われようとしていたのだ。

 

アルビオンに誇る竜騎士達は突然の指令に戸惑いながらも着々と出撃準備を進めていた。

 

走り回る竜騎士付きの世話人達は火竜の群れへ水の秘薬を含んだ飲み薬を与えながら、火竜のコンディションを最大限に引き出せるように。

竜騎士達は自身の杖や装備を再確認しながら、自身が乗る火竜達との意思疎通を再度行ない始めている。

 

わざわざ竜騎士隊を使用する意図が分からず苦言を呈する竜騎士もいたものの、彼らは既に今の状況が決して楽観できる状況でないことに気付き始めていた。

地上から聞こえてくる陸軍の怒声や戦闘音は尋常なものではない。

出撃をしたところで局地戦に近い現状況においては無意味に終わる可能性もあるが、彼らは決して油断することなく出撃準備を進めていった。

 

その中で一際大きい火竜に乗り込み始めていた男性へ、精悍ながらもまだ年若い兵士が走り寄っていく。

 

 

「総司令官閣下およびワルド総隊長より、伝令です!」

 

 

火竜に跨った隊長格の男性が鷲羽のついた兜を腕に抱えながら、伝令の青年へと刺すような瞳を向けた。

この二つの竜騎士隊はアルビオンが王国だった頃より、アルビオンの精鋭部隊とも言える高名な一団である。

その元総隊長の視線を受けて、伝令の青年は息を飲みながらも苦々しい顔でもう一度口を開いた。

 

 

「申し上げます! 攻撃目標は変わらず、前方のメイジへの攻撃を実施するとのこと! し、しかし! 各竜騎士隊は、『華』を使用するようにと申されました!!」

 

 

青ざめながら声を張り上げる伝令へ向けて、周囲の竜騎士達は戸惑った様子で目を見開いていた。

 

「・・・馬鹿な」

 

短いながらも威圧に塗れた口調と共に、隊長の男は怒りのこもった瞳で伝令の青年を睨みつけていた。

 

 

「連中はよりにもよって『華』を使えと言うのか!! 味方は、どうするつもりだッ!!!」

 

 

船内で響き渡った咆哮に伝令の青年は全身を強張らせるも、もう一度引きつった顔で声を上げた。

 

「お、仰られていることは分かります! しかし、総司令閣下より命令が下されたのです!」

 

悲鳴のような口調のまま伝令の青年が続ける。

 

「敵味方問わずに、一刻も早く混乱の一因を消し去れとのことです! ワルド総隊長は別方面からの奇襲を行ないます! 皆様の攻撃に合わせるため心配は無用とのこと!」

 

隊長格の男性はがぎりと歯ぎしりをすると、忌々しげに「委細了解した」と声を出した。

伝令の青年は慌てて一礼をするとまた船内へ向かって走り去っていった。

 

火竜に乗った一人の竜騎士が隊長の男へと近付く。

 

「・・・隊長、本気ですか?」

 

「・・・俺だって味方殺しの悪名など背負いたくはないが、命令であれば仕方がないだろうが。だが、士気の低下は免れぬだろうな」

 

隊長の男は手に持っていた鷲羽の兜をかぶり直すと、怒りを吐き出すように部下の竜騎士達へ叫んだ。

 

 

「総員、飛翔準備! 目標上部、雲まで至った後に散開! 急降下を行なう! 目標のメイジへ『華』を咲かせるぞ!」

 

 

その言葉を聞いた竜騎士達は各々の火竜へと乗り込み、次々に火竜達が大空へ向けて飛び立っていく。

その羽音が遠ざかっていく中、レキシントン号にいた若い船乗りの一人が不思議そうな顔で首を傾げた。

 

「『華』って何だ? でけえ声だったな」

 

「・・・城落としだ」

 

もう一人の中年の船乗りが戸惑った表情のまま、自分の作業を再開する。

 

「一人のメイジに、しかも混戦中に使うなんざ聞いたこともねえがな」

 

 

 

 

周囲を覆いつくす戦場の音の中で、クリーム髪の少女、カトリーヌは静かに青い空を見上げていた。

 

はるか上空に鳥のような小さな点が複数存在し、それらが急降下をし始めるのが赤い瞳に映っている。

 

「カトリーヌちゃん、前」

 

その落ち着いた声に、カトリーヌは視線を前方へと戻した。

先程のカトリーヌによる魔法で一度は布陣を瓦解させたものの、すぐさま立て直してきた歩兵の一団が再度カトリーヌ達への攻撃を再開しようとしている。

 

「飛び道具と魔法は何とかするわね」

 

金髪をなびかせた女性、マーガレッタが微笑みながらカトリーヌをちらりと見る。

 

先程からマーガレッタはニューマの魔法で飛び道具を無力化しつつ、非物質の魔法は瞬時に紡がれる『ホーリーライト』の魔法で上手く相殺させ、実体化した魔法は手に持った十字架型の鈍器で叩き落とし続けている。

 

カトリーヌの魔法を恐れてか、敵メイジによる魔法の攻撃は決して多いものではない。とはいえ、その戦い方は一般的なプリーストと比べると明らかに異色な戦い方である。

そのマーガレッタの戦い方にかつての友人を少しだけ思い出したが、すぐにその余計な考えを振り払ったカトリーヌは、もう一度魔法の詠唱を開始していた。

 

今度の相手は四足獣型のゴーレムの群れ、そして宙に浮かび上がった十数人にもなるメイジ達のようだ。

人知れず胸に沸き起こった恐怖と怯えをそっと沈めながら、カトリーヌはその突撃してくる地上の軍団へ向けて巨大な火球、ファイアーボールを全力で撃ち出していた。

 

瞬時に分裂した数メイルの火球一つ一つがゴーレムの一団とメイジ達をそれぞれ消し飛ばしていく中、その隙を狙うかのように軍団から再度放たれた矢や弾丸、果ては砲弾すらが次々と迫り来る。

しかし歌うようにマーガレッタが放ったニューマの魔法によって、それらの飛び道具は力無くびたりと宙に縫い付けられていく。

 

宙に停止する飛び道具の向こう側で、爆裂した炎の中から黒に染まった人影が見えた気がした。

 

まるでその人影から目を逸らすように、カトリーヌはもう一度頭上へと顔を向けていた。

しばらく上空から接近してくる小さな点をそのまま見つめていると、カトリーヌのすぐ近くからマーガレッタの声がした。

 

「あなたのせいじゃないわ」

 

声のした方へカトリーヌが顔を向けると、マーガレッタは今までに無いほど険しい顔のまま、炎に包まれて落下していくメイジ達を見つめていた。

 

「でも、嫌になっちゃったのなら・・・、私たちはあなたに従うだけよ」

 

二人の頭上を通り過ぎた砲弾が背後へと着弾し、大地を大きく震わせている。

身体を強張らせたカトリーヌは両手で杖を抱えたまま一瞬下を向きそうになったが、マーガレッタの言葉に答えるように、ゆっくりと視線をはるか上空へ向けていった。

 

そのまま、まるで目の前の軍隊を無視するかのように、カトリーヌはこれまで以上の莫大な魔力を集中させ・・・、それを即座に解き放った。

 

カトリーヌの足元を中心として二十メイルもの巨大な魔法陣が浮かび上がり、凍り付くような一陣の風が周囲を駆け巡っていく。

それらが大地へ急激な氷の痕跡を刻み始めるのと同時に、カトリーヌは周囲の喧騒に飲み込まれる程に小さく、魔法の詠唱を完了させた。

 

 

「――ストームガスト」

 

 

 

 

はるか上空にいた竜騎士たちは自由落下を開始していた。

翼を畳みながらの急降下により、下方の目標へ向けて速度を高め続けていく。

 

竜騎士隊の中隊規模による火のブレスを急加速で連携させる。

頭上から一目標に対して放たれる八方の火力を集中させる。

俗称で『華』と呼ばれるこの技は分厚い城壁を溶かすほどの大火力を持つ一方、ブレスを放つまでにその身を守るのはドラゴンを操る竜騎士の技量のみ。

ドラゴンと竜騎士に多大なる負担を強いる上に竜騎士の命をも天秤にかける危険な行為として、決して多用されない捨て身の大技であった。

 

手練れのメイジがいくら集まろうとも、人が防げる規模の火力ではない。

だからこそ敵味方が混在しているこの場で使うべきではないのだが・・・、既に隊長には迷いなどなかった。

 

尋常でない速度の中で、隊長は下方の光景に目を奪われていた。

 

目標のメイジが、あらゆる魔法を用いて次々と目前の兵士達を吹き飛ばしていく。

あのメイジは危険すぎる。

奴が何者なのかは知らないが、戦への影響が少ない今の段階で、あの存在を確実に消し去るべきだ・・・。

 

その思考の直後、大地に巨大な魔法陣が浮かび上がった。

 

何事かと逡巡したが即座にその考えを振り払う。

何を行なおうとも防ぐことは出来ない。

そう確信した各竜騎士がブレスを放つ準備を整えた瞬間・・・。

 

 

凍りつくような暴風と共に、氷の塊が側面から隊長とドラゴンを吹き飛ばした。

 

 

「な、何だっ!?」

 

咄嗟に目を細めながらも、隊長は周囲に風の層を作り出す。

風のトライアングルメイジであった隊長は必死にドラゴンを立て直しながら目標のメイジを探そうとして・・・、周囲の様相に思わず息を飲んでいた。

 

周りは全て白一色の吹雪の中だった。

 

まるで山脈の猛吹雪にでも放り込まれたような、『ドラゴンの頭すら見えない』程の猛吹雪の中にいる・・・。

 

脱出しなければ。

そう隊長が判断をした時、かすかに竜の叫び声が聞こえ、がくんとドラゴンが体勢を崩した。

 

そのまま暴風に煽られながら力無く落ちていく中で、彼は自分の乗るドラゴンが死んだことを確信した。

自身の身体にも何かの衝撃が走るが、何が起きたのかは全く分からない。

そして隊長とドラゴンは吹雪から抜け、三十メイルもない目の前には広がる大地が見える。

 

隊長は即座に『フライ』の呪文を唱えようとしたが、ルーンを唱えることは出来なかった。

口からは血がほとばしり、何かに胸を貫かれたということに隊長はようやく気が付いた。

 

 

そして、目標のメイジと目が合った。

 

 

目標のメイジは、まだあどけない少女だった。

その目は見たこともない真紅の瞳だったが、悲しそうな感情をその両目に湛えながら、自分をじっと見つめ続けている。

 

戦争にはそぐわない、幼く、悲しげな瞳。

 

 

(お前は・・・何故、そんな目をしている・・・)

 

 

そう問いかけようとしたまま、凍りついた隊長の意識は徐々に消え失せていった。

 

 

 

 

「くそっ! 何が起きた!」

 

吹雪に飲み込まれていたワルドは全力で離脱を行なっていた。

急降下する火竜の群れと離れていたために周囲の吹雪には若干の隙間がある。

 

ワルドは風竜と自身の魔法を駆使してなんとか脱出し、下方に広がる猛吹雪に息を飲んだ・・・、次の瞬間、何かが近付く気配にワルドは操っていた周囲の風を暴風へと変えた。

 

何かが肩を掠め、血が後方へ飛び散っていく。

ワルドは今通り過ぎたものを何とか視認することができていた。

 

『矢』だ。

何者かが自分を狙撃している。

矢が飛んできた方角から狙撃者のいる位置を割り出し、そのまま、ワルドは自分の目を疑っていた。

 

 

「馬鹿な・・・! あの場所かっ!!!」

 

 

また風を切る音と共に矢が飛来し、ワルドは全力で風竜を駆りながらエア・ハンマーの魔法で矢を弾き飛ばす。

 

遠く見える森の端・・・、あの場所から矢を放っている者がいる。

 

 

しかしあの場所は・・・、四百メイルを超えている・・・!

 

 

次々と飛来する矢を避けつつも、なんとかワルドは急上昇を開始していた。

防ぎきれない矢はワルドの身体を掠め、空気の影響を欠片も受けていないように風竜の鱗すらも吹き飛ばしていく。

 

それでも何とか雲近くまで飛翔すると、ワルドは狙撃手を仕留めるためにその方向へと速度を上げていった。

 

 

 

 

木々の隙間から、静かに戦場を見つめる女性がいた。

腰ほどもある淡黄色の長い髪。

その手には身の丈近くもある大弓が携えられている。

 

遠く見える兵士達の頭上から吹雪が掻き消える。

ばらばらと散らばるように落下していく竜騎士達を見て、その女性は軽々と木々の間を飛び移っていく。

 

 

その瞬間、木々の枝をなぎ倒しつつ、頭上から風竜がその女性に襲い掛かった。

 

しかし女性は焦った様子もなくその突進を瞬時に避けると、風竜へ向けて数発の矢を放つ。

矢は強固な竜の鱗すらも貫き、風竜が悲鳴のような雄叫びを上げた。

 

その一瞬の攻防の中、女性の斜め後方から、漆黒のマントを翻しながら襲い掛かる影があった。

 

 

(殺った・・・!)

 

 

しかし女性はまるで見えているかのようにワルドの刺突を容易く躱し、逃げるように木々の枝を飛び移っていく。

逃がすまいとワルドが風のように木々の間を縫いながら、その女性を魔法の射程に収めようとした瞬間、ワルドはそのままぎくりと身を強張らせた。

 

ちらりとこちらを見たその瞳は、血のように真っ赤な色を湛えている。

 

その動揺の隙を突くかのように女性は即座に方向を変えると、木々を蹴るようにしてワルドの頭上を通り過ぎた。

弓を引き絞る音にワルドは『フライ』の呪文を駆使して宙へ身を翻す。

 

 

「ウィンドカッター!」

 

 

即座に『フライ』を解除して瞬間的に上昇した慣性を利用しながら、ワルドは振り向きざまにウィンドカッターの魔法を放つ。

しかし、既にその場所には狙撃手の女性はいなかった。

木々の隙間から次々と矢が放たれる。

ワルドは全力での呪文を多用しながら襲い掛かる矢をなんとか回避し続けていく。

 

緊張の糸を緩ませず戦闘に集中しながらも、ワルドは戦慄していた。

 

広範囲の風を操り、今この瞬間ですら周囲を索敵し続けているにも関わらず。

一度目を離して以降、『風』のスクウェアメイジである自分があの女性の影すらも見ることができない。

 

この強敵から一旦逃れるように枝を伝って移動しつつ、精神力の残量などお構いなしに、ワルドは自らにとって最も強力な魔法の詠唱を開始していた。

 

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ・・・!」

 

 

風のように移動し続けるワルドの身体から四体の偏在が生まれていく。

そして、彼らが瞬時に四方へ散った瞬間・・・、その偏在たちの頭上から無数の矢が襲い掛かっていた。

 

それぞれの偏在はエア・ハンマーやウィンドカッターの魔法で即応していたが、その魔法すらも突き破った矢が偏在たちの急所を次々に貫いていく。

 

背筋が凍り、ワルドがこの場から脱出しようと振り向いた時には、いつの間にか目の前の太い枝に狙撃手の女性が立っていた。

 

淡黄色の長い髪を風になびかせ、弓を引くこともなく、その真紅の双眸は静かにワルドを見下ろし続けている。

 

 

「な・・・。何だ・・・、お前は・・・!」

 

 

目の前に立って初めて、狙撃手の女性はその身からあまりにも冷たい気配を放ち始めていた。

 

この女性の殺気と気配は、ワルドが想像できるものを遥かに超えていた。

どう逃げようとも逃れることのできない、確実な死。

 

ワルドの目には・・・、目の前の女性が、もはや人間にすらも見えていなかった。

 

 

「き、貴様は・・・、貴様らはっ・・・!! 一体何者なんだ!!!」

 

 

ワルドは瞬時にルーンの詠唱を開始するが、一瞬の内に間合いを詰めた女性がワルドを思いっきり蹴り飛ばす。

大木に叩きつけられて落ちていくワルドを見下ろしながら、数瞬の逡巡の中、その女性がいくつもの矢を放った。

 

ワルドの両肩と両足を矢が貫いていく。突き刺さることもなくワルドの身体を突き抜け、それらは背後の木すらも貫いていた。

地面へ落下したワルドが苦悶の呻き声を上げる中、音も無く大地に降り立ったその女性がワルドへと静かに近付いていく。

 

そのまますっとワルドの首元の服を持つと、その細腕からは想像も出来ない程に、軽々とワルドを宙に浮かべた。

 

明らかに女性の膂力ではない。

ワルドが恐怖に濁った眼で睨み付けるも、女性はその端正な顔に何の表情すら浮かべないままでワルドを手に持ったまま移動していく。

 

そして、急にワルドを地面へと投げ飛ばした。

地面に叩きつけられたワルドが呻き声を上げながら周囲を見ると、自身のすぐ傍らに青い鱗を持った巨体が、怯えの混じった、弱々しい唸り声を上げ始めている。

 

その巨体は先程ワルドが乗っていた風竜だ。しかしその風竜は飛べない程の損傷を受けていないにも関わらず、その大きな身体を縮めるかのように、狙撃手の女性へと向けてかすかな唸り声を上げ続けるだけである。

 

ワルドが怒りと戸惑いの混じった視線で狙撃手の女性をもう一度睨み付ける。

 

未だに弓を構えることもしない女性は、そのワルドの様子にも輝く赤い瞳を返すだけだった。

 

 

「何の・・・つもりだ・・・!」

 

 

その言葉にも答えず、女性はついと別の方向を見るや、木々の枝を飛び移っていく。

 

そのまま木の葉を揺らす音と共に、その女性の姿も気配も、何もかもがワルドの目の前から消えていったのだった。

 

 


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