Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
トリスタニア郊外、そのだだっ広い平野に六名の男女が次々に着地していた。
背後にはトリステイン本営の軍勢が遠目に見えるも、彼らは軍を展開させたまま動こうとはしていない。
敵軍の歩兵達もまだ遠いとはいえ、徐々にこちらへ向かって進軍を開始していた。
遠い平野をびっしりと埋め尽くす黒い塊の背後には、ここからでも分かる程の巨大な戦艦と、数多くの戦列艦が少しずつ近付いてきている。
先程の歓声は進軍が始まった合図だったのだろう、今もなお敵軍の方向からは大きな歓声が上がっている。
もう一刻足らずの間にこの場所まで辿り着くのは目に見えていた。
赤い瞳の一団は遠く聞こえる歓声にいったん目を向けるも、その後は辺りをきょろきょろしたり、装備を点検したり、小さく肩を回したりしていた。
「まだあんな所にいるのか。急いで来て損したな」
気の抜けたような、つまらなそうな声で大斧を背負った青年が呟く。
「間に合ったようだが、まだ少し時間があるみたいだね」
重厚な鎧に身を包んだ銀髪の騎士が巨大な大剣を横の地面に突き刺した。
その横に立つ礼装姿の女性はその声が聞こえていないのか、日の光で煌めく自分の金髪をくるくると弄んでいる。
「さて、どうしようか。カトリーヌくんは・・・」
「・・・なーんか、気に喰わない。ねえ、そう思わない?」
礼装姿の女性が不満たっぷりな口調でそう告げる。
溜め息まじりに、身の丈程もある大弓を携えた女性が口を開いた。
「もう・・・、セイレンさんが話してるのに・・・。何なのよ?」
「だって・・・! セシルちゃんも気付いてるでしょ!? 何であの人たち私達をあんな目でじろじろ見てくるわけ!?」
「んなこと言ったって仕方がないだろ。今の俺達を見たら誰だってあんな顔になるぜ?」
その呆れたような声に、ぎろりと礼装姿の女性が大斧を背負った青年を睨み付ける。
そのまま近くで様子を見ていたクリーム髪の少女へとがばっと抱きついた。
「アンタ、カトリーヌちゃんを見てもそんなこと言うの!? こんなにちっちゃくて可愛いじゃない! こんな子をあんな怖い目で見るだなんて人間性を疑っちゃうわ!」
大斧を背負った青年がにやりと笑う。
「どっちかってーと、人間じゃないのは俺達・・・、っとこら、石投げるなって」
いつの間に拾っていたのか、礼装姿の女性が指先程度の小石を大斧の青年へとぽいぽい投げつけている。
「アンタ、次変なこと言ったら『ホーリーライト』お見舞いするわよ」
ドスの効いた声で呟きながらも、礼装姿の女性は腕の中にいる少女を抱き枕のようにぐいぐい抱きしめている。
それを受けて、クリーム髪の少女が困った顔をしながらもぞもぞ逃げようとし始めていた。
「・・・おてんばだとは聞いていたが、君は想像の上を行ってるね」
拘束からもぞもぞと逃げようとする少女、それを逃がすまいと抵抗する礼装姿の女性。
その二人のやり取りを尻目に、鎧の青年はもう一度溜息をついた。
「・・・そもそも、間に合うのか?」
聞き慣れない声に、赤い瞳の一団はきょとんとした。
そのまま声の主を探してきょろきょろと辺りを見回す。
「・・・首都からここまで、相当な距離がある」
それぞれの赤い瞳がある一人へと向いていく。
声の主は、痩せぎすの青年だった。
「何だ、アンタ喋れるのか」
「驚いたわ。喋れないとばっかり」
ようやくクリーム髪の少女が礼装姿の女性の拘束から逃げ出していた。
名残惜しそうに少し離れていく少女を見つめながら、腕を組んだ礼装姿の女性が痩せぎすの青年へと声を上げる。
「さあ、間に合うかなんて知らないわ。大体ね、ここまでぱっと連れてきて、どかーんってあの艦隊を吹っ飛ばして、ぱっと宿屋まで戻してあげればそれで万事オッケーな話・・・」
不自然に、礼装姿の女性の声が途切れた。
そのまま赤い瞳の一団は、ふんふんと何かを聞いて頷いたり、首を傾げたりしている。
「ふーん・・・。分かったような、分からなかったような・・・」
大弓を携えた女性が呟いた。それに続いて、礼装姿の女性も不満たっぷりに声を上げる。
「『偶然と運命を積み重ねる』ねえ・・・。『影響を少なく』の意味も分からないし・・・。
この人って、上手く言葉を伝えるのが苦手なのかしら」
「あんまりそういうのに慣れてないんじゃないか? 他にも色々とやらかしてそうだな」
二人して不平不満をぶちぶちと言い合っている一方、無表情のままだった痩せぎすの青年がぽつりと口を開いた。
「・・・シンプルな話だ」
「ああ。僕らのやることは分かり易くなった」
鎧の青年がクリーム髪の少女へと視線を向けると、他の一団も次々に少女へと瞳を向けていった。
「うん。じゃあ、皆の戦う場所について相談なんだけど・・・」
レコン・キスタの『レキシントン』号艦上にて・・・、艦隊司令長官サー・ジョンストンは苛立ちを隠さないまま、遠く見えるトリステインの軍勢を見つめていた。
「奴等は動かぬのだな、艦長」
眼下から雄叫びとも歓声とも似た陸軍の声が聞こえてくる中で、ジョンストンは忌々しげに艦隊の前方を進む歩兵達を睨み付けていた。
彼らの士気が高いのは上々なのだが、今のジョンストンにはその声すらも単なる耳障りな雑音にしか聞こえてこない。
「我々を引き込むつもりでしょうな。王都トリスタニアとの連携を図る策なのでしょう」
「臆病者めが。堂々と戦う気概すら持たぬ者が、我々の策を翻弄するとは実に腹立たしい」
その言葉を耳にしながら、『レキシントン』号艦長、ボーウッドは今すぐにこの男へ杖を向けてしまいたい感情を必死に押さえつけていた。
トリステイン王国において高名であり、他国の由緒ある貴族ですら受け入れるというトリステイン魔法学院。
その貴族の子弟たちを標的にし、兵士ですらない彼らを戦争における勝利に利用するなど・・・。
それはボーウッドが考え得る悪行を遥かに超えた、最悪の行動であった。
それが失敗に終わり、学院を襲った三隻の巡洋艦は、その内の一隻を失ったという理由で既に艦隊へと合流している。
乗組員の報告によると、傭兵団を率いていたメンヌヴィルは傭兵達を残したまま忽然と姿を消し、ジョンストンの副官であった指揮官やその補佐についた士官は戦死したとのこと。
失敗の原因・・・、その情報は未だ錯綜している。
メンヌヴィル率いる傭兵団の離反とも、指揮官の勝手な行動により巡洋艦の連携が混乱したとも、偶然の事故により巡洋艦が航行不能に陥ったとも。
そして、あのオールド・オスマンによる巡洋艦撃沈などという、虚実の分からぬ情報すらあったのだった。
「・・・目前にある王都を落としさえすれば、戦は終わりです。司令長官殿は目の前の戦いのことのみをお考えください。託宣に従わねばならぬのでしょう?」
その言葉にジョンストンはボーウッドを睨み付けるも、何も言わずに「ふん」と鼻を鳴らした。
ふと、眼下に広がる歩兵達の動きが止まっていることにボーウッドは気が付いた。
先程まで鳴り響いていた騒がしい程の歓声が、かすかに弱まっているようにも感じられる。
「何だ・・・?」
怪訝な表情を浮かべたボーウッドが地を覆う程の歩兵達を再度見つめる。
やはり、進軍が停止している。
「各艦へ通達。艦隊停止」
「はっ! 艦隊、停止せよ!」
傍らの士官が叫び、『レキシントン』号は徐々に速度を落とし始めた。
同時に『レキシントン』号のマスト上に立つ物見から他の艦にも手旗信号が送られていく。
そうしている間にも歓声が徐々に小さくなっていた。
一体何が起きているのかと艦上にざわざわとした雰囲気が広がっていく。
直後、最前線にいる歩兵達が駆け出していくのが見えた。
眼下に広く展開している歩兵達の、右翼と、左翼、そのそれぞれがほぼ同時に動いていくのが見える。
かすかに雄叫びらしき音が聞こえ、軍団から離れた歩兵達が何かに襲い掛かった瞬間、その歩兵達は何かの攻撃を受けて次々と吹き飛ばされていった。
「物見! 報告しろ! 何が起きている!」
ようやく違和感に気付いたジョンストンが大声で叫ぶ中、アルビオン中央軍の前方で何かの青白い光が弾けた。
その光は突撃していた歩兵達を次々と貫き、その背後に広がる歩兵達の只中で炸裂したように更なる光を放っている。
「歩兵部隊が何者かと交戦中の模様! 敵は少数です!」
その物見からの報告は余りにも杜撰なものである。
ボーウッドが眉根を寄せる中、その傍らに佇むジョンストンが激昂したように伝令へと叫んだ。
「そんなことは見れば分かるだろうが! トリステイン軍による奇襲か!? 敵は何人いるのかと聞いているのだ!」
「さ、再度確認を行なっているのですが、合計で、四名・・・、または五名との報告が・・・!」
その報告にボーウッドはますます怪訝な表情を浮かべていく。
「それぞれの位置に敵軍が一、二名しかいないということか? 敵の別動隊は確認できるのか?」
そうしている間にも眼下では二度、三度と歩兵の小部隊が突撃を仕掛け、右翼、左翼、中央における歩兵達が次々に吹き飛ばされていく姿が見える。
「中央部隊より報告あり! 現在、正体不明のメイジと交戦中とのこと! それ以外の敵は確認されておりません!」
物見からの報告を耳にしながらボーウッドは『レキシントン』号の舷縁へと歩み寄り、眼下に広がる歩兵達の最前線へと目を向けていく。
先程まで次々に沸き起こっていた歓声はいつの間にかまばらのものとなっていた。
「何が起きている・・・」
ボーウッドがそう呟く中、既に歩兵達は攻撃の手すら止め、ただ立ち竦むかのように軍の動きを停止させている。
その余りにも異様な光景にジョンストンが声を張り上げた。
「何故彼奴らは進軍せんのだ! 艦長! 何とかしたまえ!!」
艦隊総司令官であるサー・ジョンストンは気に喰わないが、確かにこのままでは埒が明かない。
仕方がないとばかりにボーウッドは傍らの士官へと命令を下した。
「地上部隊の前方に砲撃を行なえ。その数名如きに何故止まっているのかは分からんが、歩兵達の背を押してやるのだ」
アルビオン軍の左翼、そこに広がっていたのは正に異常とも言える光景だった。
数千からなる軍団がざわめきと共にその歩みを止め、粉々に砕け散った複数の岩の拳や、地面に突き刺さった数十本もの氷の矢、目前に力無く転がっている十数人もの兵士達をただ見つめているのだ。
彼らの前方。
そこには、白銀の鎧を身に包み、真っ赤なマントを羽織った銀髪の騎士が静かに佇んでいた。
「忠告する」
その言葉と共に、輝く赤い瞳が兵士達を射抜く。
目の前に佇む赤いマントの騎士に対して前線の兵士達は何も言えず、怯えたようにその赤い騎士を見つめているだけだ。
それでも、左翼を率いるアルビオン軍の指揮官の一人が、小さいながらも声を張り上げようとした。
「き・・・、貴様は、何者・・・」
「ここから先へ進ませる訳にはいかない」
指揮官の言葉へと重ねるように、赤い騎士が静かに声を上げた。
その声はそれほど大きいものではなかったが、兵士達のざわめきを抑えるほどに力強く、透き通った声だった。
「君達がこれ以上進むことを、我々は許さない。自らの国へ戻るのならそれも良いだろう」
指揮官へと真紅の瞳が向けられると、指揮官は言葉にならない声しか上げることができなかった。
「しかし・・・、それでもなお進むというのなら、命の保証は無い」
その右翼・・・、大斧を携えた赤目の青年がにやりと笑っていた。
「お前らが戦いたいのなら、そうすればいいさ。俺達を殺そうってんならそれでもいい。
だけどな・・・」
その青年の顔から馬鹿にするような笑みが消えた。
肩に担がれていた、血に塗れた大斧が勢いよく地面に叩きつけられる。
まるで大砲が撃ちこまれたような地響きと轟音に、前線にいた兵士達は思わず後ずさっていた。
「忠告してやる。それなりの覚悟を持ってから向かってこい。命乞いは無駄だと思え。
・・・それでも向かってくるのなら、俺達はそいつを叩き潰すだけだ」
アルビオン軍の中央・・・、まだ幼さの残る少女と、礼装のような服に身を包んだ女性が、静かにアルビオン指揮官を見つめていた。
「私たちは、貴方たちを無駄に殺すことなんて望んでいない。
でも、私にもやらなければならないことがある。・・・躊躇なんてしない」
すっと少女の赤い瞳が細まる。
その瞬間・・・、アルビオンの兵士達は周囲の空気が凍りついたかのような、途轍もない威圧感をその身で感じていた。
知らぬ内に前列の兵士達が少しずつ下がり始め、遠目にその様子を見ていた兵士達も目を見開き、自分の肌が粟立ち始めるのを感じていた。
高まっていた士気は大いに崩されつつある。
中央軍を率いていた、屈強な指揮官の男もそれを確かに感じていた。
戦争において、軍団に強者や英雄は必ずしも必要ではない。
たとえ数人、十数人の豪傑がいようとも、戦の勝敗を決めるのは制空権を握る艦隊や竜騎士、そして地を進む歩兵・・・、つまりは兵士の数によって戦が決まるのだ。
もちろん優秀な戦術や指揮官の存在によって数の差が覆ることもままあるが、最終的には兵士の数によって戦争の結果が決定される。これはこの世の摂理ともいえる、当たり前のことなのだ。
しかし・・・、目の前の存在からはこの軍団を飲み込むかのような、あまりにも不吉な雰囲気を感じてしまう。
数多くの戦いを経験してきたからこそ分かる・・・、濃密な、死の気配を。
その瞬間、上空に浮かんだ『レキシントン』号から数発の砲撃音が轟いた。
その砲弾は遠く見えるトリステイン軍と赤い瞳の一団の間に着弾する。
ハッと我に返った中央軍の指揮官は得も知れぬ恐怖を必死にねじふせる。
そのまま自分自身を鼓舞するように、『レキシントン』号からの命令へ答えるがごとく号令を下した。
「と、突撃だ・・・。全軍、突撃せよ! 所詮、奴等はただの人に過ぎぬ! 我らは『虚無』に選ばれし皇帝クロムウェルの軍勢である!! 始祖ブリミルの庇護を受けし我らを阻むことは、何者も許されぬのだ!!!」
その声にアルビオンの指揮官たちは次々と同調し、口々に天高く叫び始める。
「神聖皇帝クロムウェル、万歳!!!」
その指揮官たちの号令に、アルビオン軍の兵士達が戸惑いながら、そして次第に力強く雄叫びを上げ始めた。
前列の兵士達はまるで不吉な予感を拭い去ろうとするかのように、そして後列の兵士達はその勢いに押されながら歓声に似た雄叫びを上げ続ける。
それは波のように大きくうねりを上げ、大地を揺らすような力を持ってアルビオン兵たちの心を強く揺さぶっていく。
『レキシントン』号からまた数発の大砲が放たれる。
それに続くように指揮官たちは各々の杖を高く天に掲げ、そして、喉が張り裂けるほどの号令を叫んだ。
「全軍、突撃ッッ!!!」
目の前の兵士達が進軍を開始する。
その雄叫びに飲み込まれるような小さな声で、カトリーヌは静かに呟いていた。
「・・・そう。分かった」
右翼にいた青年がくっくと笑いながら、突撃し始めた兵士達を向かい討つがごとく、大斧を肩に担ぎなおす。
「これだから、軍隊ってのは・・・」
左翼、赤いマントの騎士は決して油断することもなく、肩に担いでいた余りにも巨大な大剣をゆっくりと構え直し・・・。
その切っ先を、迫る兵士達へと向けた。
「いいだろう、かかってくるがいい。レコン・キスタ」