Double Servant -Poetry of Brimir-   作:ねずみ一家

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第六十九話 伝説と口八丁

首都トリスタニアの夜も更け、夜の闇がとっぷりと首都の頭上を覆い尽くしていた。

 

その宿屋の一室でランプの明かりに照らされながら、一人の桃色髪の少女が部屋の中を忙しなくうろつき回っている。

その内に椅子へと深く座り込むものの、また不安げな表情を浮かべてから立ち上がり、もう一度おろおろと部屋の中を歩き回っていた。

 

「・・・」

 

ふと気付くと、窓の外に広がる城下町にほのかな明かりが灯り始めていた。

 

朝の早い首都の住人にしても、早すぎる時刻である。

きっと彼らも私のように、眠れない夜を過ごしていたに違いなかった。

 

 

「・・・どうしよう、どうしよう」

 

 

もう何度目かも分からない自問自答を繰り返しながら、ルイズは一人呟いていた。

 

昨日の夕方を過ぎた時刻、ルイズは護衛の兵士たちを問い詰めていた。

アルビオン軍が斥候を放ったはいえ、一向に彼らはルイズを学院へと連れて行こうとしなかったのだ。

余りにも不自然な対応にルイズは彼らへの質問を繰り返し、そして彼らは、ようやくその理由をルイズへと伝えたのだった。

 

 

アルビオン軍が、トリステイン魔法学院を攻撃している、と。

 

 

「・・・どうしよう、どうすればいいの・・・?」

 

 

学院の皆は無事なのか、リウスは無事なのか・・・。

何か、姫様の力にはなれないのか・・・、私に・・・、何か出来ることは・・・。

 

そう自分自身に問い続けていても、何一つとして状況が解決することなんてなかった。

流れるように時間だけが過ぎ、刻一刻と戦いの時刻だけが近付いてきている。

 

 

魔法学院が攻撃されている。

その事実に、ルイズは想像以上の、余りにも強いショックを受けていた。

 

魔法学院は自分の帰る場所だった。

あんなに忌々しく思っていた学院の人々ですら、リウスを使い魔として召喚した以降、いつの間にか自分に安らぎを与えてくれるような存在へと徐々に変わっていたのだ。 

 

その学院が、今・・・、攻撃されて・・・。

 

 

「ど、どうしよう・・・。何で・・・こんな・・・」

 

 

気付くと、ルイズははらはらと泣いていた。

 

今この場にいるのは自分だけだった。

いつも一緒にいてくれたリウスだって無事じゃないかもしれない。

キュルケや、タバサや、シエスタ・・・、ギーシュ、モンモランシーだって・・・、無事じゃないのかもしれない・・・。

 

涙を拭くことすらなく、ルイズは憔悴し切った顔のまま、誰もいない部屋の中を見回していった。

 

ずっと起きているのにルイズは眠くなんてなかった。

眠ることは、恐ろしかった。

一度目を閉じてしまえば、何もかも、全てが終わっているのかもしれないのだから・・・。

 

ぐすぐすとした声が部屋に響く。

そんな自分の涙声を気にも止めずに、ルイズはふと、自分の首からかけられているネックレスを服の上から触っていた。

 

もぞもぞと、そのネックレスを取り出していく。

 

そのネックレスの先端には水色の宝石が輝く指輪があった。

その指輪をネックレスから外し、ゆっくりルイズは自分の薬指にはめていく。

 

アンリエッタ姫殿下から『水のルビー』を頂戴して今まで、ルイズはその指輪を大事に持ち歩いていた。

そしてその指輪をはめることは、姫様と会ったあの日以来、一度たりともしていなかった。

あのウェールズ様の最後を、そして、アルビオン王国の最後を・・・、ルイズは思い出したくなかったのだ。

 

「ウェールズ様・・・。貴方様のアンリエッタ姫殿下を、どうやって救えば・・・」

 

藁にもすがる想いで、ルイズは指輪を両手で覆いながら祈り続けていた。

 

しかし、何かが起きる訳でもない。

そんなことは当たり前だとルイズは思考の端で考えながら、それでも必死に、亡き王子へ向けて祈り続けていた・・・。

 

 

 

「何が・・・、特別なメイジよ・・・。何も出来やしない・・・」

 

しばらくして、ぽつりとルイズは自分自身を嘲笑するように呟いていた。

 

そのまま鼻をすすりながら、涙がこぼれた目をごしごしとこする。

顔を上げたルイズはもう一度部屋の中を見回していき・・・、ある一点をぼんやりと見つめていた。

 

机の上に転がっている、『始祖の祈祷書』。

姫さまの結婚式のために、せめて少しでも姫さまの幸せを願うことのできる詔を考えていた、あの瞬間すら・・・、今はもう、遠い昔のことのように思える。

 

 

「始祖・・・ブリミル・・・。何であなたは、こんな・・・」

 

 

何故、始祖はこんなに苦しい思いをしている私達を救ってくれないのか。

 

何故・・・、ブリミル様は、アルビオンの人達を助けてくれなかったのか・・・。

 

 

そんな考えがルイズの心に満ちていった。

胸の内を支配する暗い感情のままにルイズは椅子から立ち上がると、『始祖の祈祷書』へ向けて歩き始める。

 

 

「何が・・・慈愛に満ちた始祖の祝福よ・・・。私達から全てを奪おうとしてるのに・・・、何が・・・っ!」

 

 

怒りのこもった手で『始祖の祈祷書』をルイズは掴み上げた。

 

 

その瞬間、かすかに『始祖の祈祷書』が光り輝いた気がした。

 

 

「え・・・?」

 

ほのかなランプの光を掻き消すように、『始祖の祈祷書』の光が大きくなっていく。

伸ばしている手の指にはめていた『水のルビー』が同じように光っているのに気が付いた。

 

恐る恐るルイズは『始祖の祈祷書』の表紙をゆっくりと開いていく。

 

 

ルイズは光を発しているページの中に、浮かび上がっていく文字を見つけていた。

 

 

 

『序文。

 これより我が知りし真理をこの書に記す。この世における全ての物質は、小さき粒より成る。

 四の系統はその小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。

 その四つの系統は、「火」、「水」、「風」、「土」と為す』

 

 

 

ルイズはその文字に目を見開いていた。

 

この文章は一体何なのか。

何故、自分にこの文字が読めるのか。

 

この本は・・・、『白紙』だったはずだ。

 

 

『神々の魔法を解析し、我らは更なる力を得ることが可能となった。四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。

 その系統は、四のいずれにも属せず。さらなる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。

 四にあらざれば零、零すなわちこれを『虚無』とする。彼ら神族の魔法を昇華せし零を『虚無』と名付けん。』

 

 

 

どくどくとルイズの鼓動が高鳴っていく。

 

虚無。虚無の魔法。

既に失われた、五つ目の・・・。

 

 

 

『これを読みし者は、我の行ないと理想を受け継ぐ者なり。またそのための力を担いし者なり。

 虚無を扱う者は心せよ。志半ばで倒れし我とその同胞のため、そしてこの世界の命を有する者のために、彼らの侵略に対抗し、失われし大樹の浸食を喰い止めるべく尽力せよ。

 虚無は強大なり。その詠唱は長きにわたり、多大な魔力を消耗する。

 詠唱者は心せよ。時として虚無はその強力により命を削る。したがって我はこの書の読み手を選び、読み手の詠唱する呪文を選ぶ。

 たとえ資格無きものが指輪をはめようとも、この書は開かれぬ。選ばれし読み手は『四の系統』の指輪をはめよ。されば、この書は開かれん。

 以下に、我が扱いし虚無の呪文を記す。初歩の初歩の初歩。エクスプロージョン』

 

 

 

そしてルイズは最後の文章へと目を向けていく。

 

そこには、自分が子供の頃より見知った言葉が描かれていた。

 

 

 

『ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ』

 

 

 

その後には、何かの古代語のような言葉が続いていた。

それは全く見たこともない文字だったが・・・、ルイズには何故か、これを読むことが出来るように思えていた。

 

 

「あ・・・、あはは・・・」

 

 

光り輝く『始祖の祈祷書』を手にしたまま、ルイズはぺたんと床に腰を落としていた。

 

 

ブリミル様は馬鹿だ。

 

この『始祖の祈祷書』を読むためには『水のルビー』みたいな指輪が必要なのに・・・。

その注意書きを、指輪が無いと読めない場所に書いておくなんて・・・。

 

リウスは、この本が何かの力を持っていると言っていた。

この本は・・・、『何かの魔法を利用するための書物』であるかもしれないと・・・。

 

 

ルイズは小さく笑い続けながら、かすかに涙をこぼしていた。

 

 

私は、選ばれていた。

 

自惚れかもしれないなんてどうでもいい。

この魔法を・・・、虚無を、扱うことが出来るのであれば・・・。

 

涙を拭ったルイズは光り輝く『始祖の祈祷書』を閉じ、その指から『水のルビー』を外した。

光が急速に力を失っていくのを見つめながら、水色の指輪を付け直したネックレスを首に通していく。

 

そのまま薄暗くなった部屋の中、『始祖の祈祷書』を手に取ったルイズはゆっくりと立ち上がっていた。

 

 

「・・・行かなきゃ。街の、向こうに」

 

 

そう呟きながら、部屋の扉へと目を向ける。

 

あの扉の更に奥、この部屋の入口では護衛の兵士達が警護しているはずだ。

彼らは私がこの街から外へ出ないように目を光らせている。

私が何をどう伝えようと、彼らが姫殿下直々の命令に反する行動を取るとはとても思えなかった。

 

まずは、彼らの警護を振り切らなければならない。

 

「・・・」

 

ルイズは自分が何を出来るのかと、静かに思考を巡らしていた。

それと同時に、ルイズはこう考えていた。

 

リウスなら、どうするのかと。

 

 

 

 

 

 

ヴァリエール家の三女が泊まっている宿屋において、二人の兵士達が隙一つ無く周囲を警戒していた。

 

トリステイン王国そのものが危機的な状況にある今、いかにヴァリエール家の者といえども警備を付ける余裕など無いはずである。

しかしアンリエッタ姫殿下とマザリーニ枢機卿の命令である以上、彼らはその任務を全うすべく自身の神経を尖らせ続けていた。

 

その時、ヴァリエール家の三女、ルイズ・フランソワーズの部屋の扉ががちゃりと開いた。

 

「・・・どうされました? こんな夜分に」

 

顔を覗かせた桃色髪の少女に護衛の一人が目を向け、そのまま少しばかり眉を細めた。

 

顔を覗かせている少女の目は泣き腫らしたような跡を付けている。

やはり、学院の件は伝えるべきではなかったかもしれない。

 

 

「あの・・・。行きたい場所があるんです。案内してくれませんか?」

 

 

護衛の兵士達は困ったように顔を見合わせた。

 

「もちろん構いませんが・・・。もう少し休まれた方が・・・」

「郊外の戦いは、夜明け過ぎだと聞いていますので・・・。その前に・・・」

 

おずおずとした口調のまま、ルイズは護衛の兵士へと声を上げた。

護衛の兵士達は仕方がないとばかりに装備を整えると、ルイズへと顔を向けた。

 

「承知いたしました。場所はどこに?」

 

「あの・・・。ブルドンネ街の、武器屋まで・・・」

 

 

 

 

 

松明の灯りを頼りに、護衛の兵士達は狭く汚い路地裏を歩いていた。

その二人に守られるようにしながら、フードを目深に被ったルイズが薄く色を付けつつある夜空を見上げていく。

 

夜明けはもう近くなっている。急がなければ。

 

そうして辿り着いた武器屋は、以前と変わりのない姿形をしていた。

石段を登った護衛の一人が、羽扉の外にある閉め切られた鉄格子をがんがんと叩く。

 

「店主はいるか!」

 

護衛がそう叫ぶのを尻目に、ルイズは石段やその周囲の壁を見回していた。

そういえば、前に来た時はもう少し汚れていた気がするが、今は磨かれたようにすっかり綺麗になっている気がしていた。

 

 

「・・・なあに? 誰?」

 

 

武器屋の奥から年若い女性の声がした。

護衛の二人が怪訝な顔を浮かべる中、奥の方からどたどたと走ってくる音がする。

 

「こら、勝手に出たら危ないだろ! ・・・へえ、どちらさんで?」

 

武器屋の奥からおずおずと出てきたのは、五十そこらの親父である。

 

「トリステイン軍の者だ。とある大貴族の息女が貴方に会いたいということで連れてきたのだ」

 

「こ、これはこれは。すぐ開けますんで・・・」

 

がちゃがちゃと音を立てながら、厳重な鉄格子が開いた。

そのまま護衛の兵士は石段を降り、ルイズへと道を譲る。

 

「我らも立ち会いましょうか?」

「いいえ、大丈夫です。ここで待っていてください」

「承知いたしました。何かありましたらお呼びください」

 

そう告げてから護衛の兵士たちを尻目に、ルイズは武器屋の中へと足を踏み入れた。

 

何やら不安げな顔をしている店主を見つめながら、ルイズは目深に被ったフードをばさりと外す。

 

 

「・・・! これは、若奥さま」

 

「・・・奥で話してもいい?」

「わ、分かりました。では、こちらに・・・」

 

ぎくしゃくとしながら店主が奥の部屋へと案内していく。

その途中、ちらりと護衛の兵士がこちらへ視線を向けていたが・・・。

 

「・・・ごめんなさい」

 

そう呟いたルイズは少し俯きがちに彼らから視線を外していった。

 

 

 

 

そうして奥の部屋まで案内された時、店主の傍らには二十歳くらいの年若い女性と、四十半ば程の女性の姿があった。

 

少しばかり皺の寄った女性の顔が店主へと向いた。

 

「・・・ねえ、あんた。お客さまなの?」

「いや、俺にも分からねえんだ。それで・・・、どうしたってんですか?」

 

「覚えていてくれて良かった。こんな明け方にごめんなさい」

 

ルイズは安堵の息を漏らすと、小さく頭を下げた。

その姿に店主は息を飲んだようにルイズの傍で腰を降ろす。

 

 

「そ、そんな。頭を下げる必要なんざありません。一体どうしたってんです」

 

 

息を飲みながら、以前とは全く違うこの貴族の態度に店主は驚いていた。

 

この貴族の娘と、その使い魔とかいう嬢ちゃんのことはよく覚えていた。

何せあのデルフリンガーを売った客であり、あの買い取った武具によって莫大な額の大金を得ることが出来た客なのである。

 

そしてその時の金を使って、過去に別れた妻子を見つけ、養うことが出来ているのだから。

 

「突然で申し訳ないんだけど、あなたはこの街について詳しいと思うの」

 

その言葉に店主は怪訝な表情を浮かべた。

 

「へ、へえ。詳しいっちゃ詳しいですな。かれこれ二十年はここに暮らしてるんで」

「この街を出たいんだけど、どうすればいいのか全然分からないの。教えてもらうことはできない?」

 

その言葉に店主は戸惑っていた。

この貴族は護衛二人を引き連れてここまで来ているのである。

街を出たいというのも、トリステイン軍の許可を得た行動とはとても思えなかった。

 

 

「・・・お言葉ですが、若奥さま。何せ今はこの状況です。面倒事は・・・」

 

 

ルイズは目をかすかに見開いて、がばっと頭を下げた。

 

 

「お願い! 早く行かなくちゃ間に合わないの! あなた以外に私の知ってる人なんていないのよ! お願いします!」

 

「ちょ、ちょっと! やめてくだせえ! そんなされても・・・!」

 

 

焦った店主は何とか頭を上げてくれるようルイズに頼むも、一向にルイズは頭を上げようとしない。

腰を降ろしながら必死に説得を続ける店主へ、その背後に立つ女性が小さく声を上げた。

 

「・・・あんた、連れてってあげなさいよ」

「お、おまえ。何を・・・」

 

その女性は頭を下げ続けるルイズへ近付くと、そっと腰を落とした。

 

「貴族様。貴方が何故そんなに外へ出たいのかは分かりませんが、この馬鹿旦那を一緒に行かせますので・・・。顔をお上げください」

 

ようやくおずおずと顔を上げたルイズは、にっこりと笑う女性と、がりがりと頭を掻いている店主を交互に見る。

店主は気まずそうな顔をしながらルイズへ視線を返していた。

 

「つってもよ・・・、危ねえだろ。ここに俺がいなけりゃ・・・」

 

その言葉に、店主の後ろで腕を組んでいた年若い女性が声を上げた。

 

 

「父さん、ここまでした貴族様に恥をかかせるつもり? この貴族様が父さんの言ってた『桃色髪の貴族さま』でしょ?」

 

 

気まずそうな表情を浮かべた店主の顔を見つめながら、年若い女性は続ける。

 

 

「『金銭の恩義には最大の礼をもって返す』が商人組合の基本でしょう。断ったりしたら、今度こそ私は許さないわよ」

 

 

じとりと睨み付ける娘の視線を受けて、店主は今度こそ観念したように小さく溜め息を吐いた。

 

 

「・・・裏口から案内します。装備持ってくるんで、少々お待ちを」

 

「あ・・・。ありがとう、ございます」

 

 

ちらりとルイズを見た店主が奥の部屋に消える。

 

気付けば、ルイズは平民相手でも威圧的ではなく普通に話していた。

それは本来ヴァリエール家の貴族として有り得ないことだったが、ルイズはいつの間にか自然に感謝の言葉を口にしていたのだった。

 

そんなルイズを二人の女性が見つめる中、何かに気付いたように年若い女性がぱたぱたと奥の部屋へ駆けていく。

そして戻ってきたその女性の手には、果物やパンの入った籠が握られていた。

 

「貴族様のお口に合うかは分かりませんが、良ければこちらを・・・」

「あ、ありがとう」

 

もう一度感謝の言葉を口にしながら、ルイズはおずおずと籠の果物を手に取った。

それを口に入れると、ルイズは自分が空腹であったことに初めて気が付いた。

 

そうしてルイズが果物を食べ終わった頃、店主が長剣を下げて戻ってきた。

 

 

「じゃあ、さっさと行きましょうや。護衛に気付かれると・・・」

 

 

ハッとした店主が妻の顔を見る。

その顔をちらりと見るや、女性は小さく溜め息を吐いていた。

 

「私は武器屋の妻だもの、あの二人は私に任せときなさい。あんたはさっさと行ってきな」

 

虫を追っ払う仕草をした女性に、店主はおどおどとした顔で返した。

 

「じゃ、じゃあ行ってくる。くれぐれも、危ねえ真似は・・・」

 

「いいからあんたは! 早く行ってきな!」

 

声を落としながらのドスの効いた言葉に店主はびくりと身を震わせると、ルイズを裏口へと案内し始めた。

それに続きながら、ルイズは二人の女性へと顔を向ける。

 

 

「あ、あの・・・! ありがとうございました! 果物おいしかったです!」

 

 

そう言葉を残してぱたぱたと裏口へ向かっていく桃色髪の貴族の姿を見つめながら、二人の女性は口を開いた。

 

「あの貴族様・・・。大貴族とか言ってなかったかしら?」

「そう言ってた・・・気がするけど・・・」

 

そのまま二人して顔を見合わせると、待ち続ける護衛達の対応へと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

ルイズと店主がトリスタニア城門の近くまで辿り着いた時、既に夜は明けていた。

 

通常はこの時刻でようやく城門が開けられるのだが、多くの兵士達や武具が戦場へと運ばれていく今の現状においては、夜間問わず常に城門が空いている状態だった。

 

「そういや・・・、若奥さまのお名前を聞いていませんでした」

 

唐突に店主がルイズへ顔を向ける。

武器屋を出て以降、フードを目深に被っていたルイズが小さく首を傾げた。

 

「あ、いや・・・、城門を出る時には変に抜けちまうよりかは身分を明かした方がいいと・・・」

 

 

「そういえば伝えてなかったわね。

私の名前は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。アンリエッタ姫殿下とも知り合いだし、ヴァリエール家の三女だから、それを言えば・・・」

 

 

「ヴァ・・・、ヴァリエール家・・・? アンリエッタ姫の・・・、知り合い・・・?」

 

 

わなわなと震えながら店主は目を見開いていた。

 

ヴァリエール家といえば、このトリステインにおける公爵の一族である。いかに極貧に苦しむ平民といえどもその事実を知らぬ者などいないのだ。

つまり彼女は、全トリステイン貴族の頂点に君臨する、王家に次ぐ地位を保有している存在の子女であるということ・・・。

 

そんな店主の心境も知らずにきょとんとした顔のルイズへ向けて、突然がばりと店主が頭を下げた。

 

 

 

「そんなお方とは露知らず・・・! 一度ならずに二度までも失言の数々・・・!」

「ちょ、ちょっと・・・! 顔上げてよ! 兵士に気付かれ・・・!」

 

「おい! お前達!」

 

 

そんな二人の元に衛兵の一団が近付いてきていた。

がちゃがちゃと威圧的な鎧の音を鳴らしてくる衛兵達に、二人は小さく息を飲んでいた。

 

「お前達は何をやっている。城門は封鎖しているのだ、兵以外は通れんぞ」

 

完全武装した兵士達はじろじろと二人を見つめていた。

 

明らかな平民っぽい親父が頭を下げ、フードを目深に被った胡散臭い子供がぽかんとした顔でこちらを見つめている。

どう見たって怪しい人物たちである。

 

 

「おい、貴様。フードを外せ。何者・・・」

 

「やい! 何だてめえらは! この御方をどなたと心得る!」

 

 

突然店主が叫んだ。

衛兵は目を丸くしていたが、次から次に起きる思いもよらない出来事に、ルイズも目を丸くしていた。

 

 

「ここにいらっしゃるのは! 麗しきアンリエッタ姫殿下の旧友であらせられる! ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様だぞ! 今から密命のため戦場へと赴くというのに、貴様らこそ所属を言いやがれ!」

 

 

騙し騙されを繰り返してきた店主は長いセリフをよどみなく叫んでいた。

 

口八丁で生きてきた店主にとってこの程度のことは容易いことであったが、最後辺りに乱暴な雰囲気が出てしまったのは否めない。

 

しばらく呆気に取られていたルイズだったが、はっと我に返るとフードをばさりと外した。

そのまま少し動揺していた衛兵達に向けて堂々と口を開く。

 

 

「今のトリスタニアが封鎖されているのは存じておりますが、私はアンリエッタ姫殿下の密命を帯びて入城しております。

決戦が始まる前に、アンリエッタ姫の元へと一刻も早く戻らなければなりません。馬をお借りしてもよろしいでしょうか?」

 

 

その貴族然とした態度に、衛兵達は動揺のまま各々の顔を見合わせていた。

 

ルイズの態度だけでなく、彼女のピンクブロンドの珍しい髪は正にヴァリエール家の者である証拠にもなり得る。

トリステイン魔法学院の紋章といい、この少女が貴族であることは違いないのであるが・・・。

 

すると突然、遠くから鳴り響いた歓声が風に乗ってかすかに聞こえ始めていた。

その音は、トリスタニア郊外に展開しているトリスタイン軍、その本陣の方角である。

 

その音を耳にした店主は更に衛兵達へと詰め寄っていく。

 

 

「戦が始まる前に向かわなければならないと仰っているのだ! てめえら、もし間に合わなかったらアンリエッタ姫がどうこうってだけじゃないのだぞ! アルビオンとの戦においてもどういった影響があるか・・・!」

 

 

興が乗ってきたのか、貴族っぽさと平民っぽさが入り混じった言葉をべらべらと喚いていく店主。

 

それを尻目にルイズは静かに首にかけたネックレスを衛兵達へと見せた。

そのネックレスに取り付けられた指輪がきらりと光る。

 

「こちらは、姫様よりお預かりしている『水のルビー』です。この指輪をお見せすれば、姫様は城門を通過できると・・・」

 

衛兵達は目を見開いていた。

 

彼らにはその指輪の真贋など判らなかったが、国宝である『水のルビー』は今、姫殿下の元には存在していない。

 

盗まれたという話も聞いてはいないし、軍内部の噂によると・・・、親交の厚い貴族の息女に譲られたと・・・。

 

 

「・・・承知いたしました。早馬をご用意いたしますので、少々お待ちください」

 

 

 

 

 

そうこうして、ルイズはトリスタニア城門の前で馬に跨っていた。

背後の城門には決戦のために集められている兵士達の姿が数多く見える。

 

 

「色々とありがとう! お礼は必ず!」

 

 

ルイズが叫び、それを受けた店主は苦笑いを浮かべながら駆けていくルイズを見送っていた。

 

本当ならどさくさに紛れてこの場を離れるつもりだったのだが、衛兵達が見守る中ではなかなかその機会が巡ってこなかったのだった。

あのヴァリエールの嬢ちゃんが「護衛はいらない」ときっぱり断ってしまったことも影響しているのだろう。

 

 

「・・・さて」

 

 

小さくなっていくルイズを見送って、店主はトリスタニアへと踵を返した。

 

店主の左右には衛兵達が立っている。

軽く舌打ちをしてから、店主はぎろりと隣に立つ衛兵へと視線を向けた。

 

「別に逃げやしねえよ。お前らはヴァリエール家の密命が嘘だって思ってるのか?」

「・・・我々も信頼していない訳ではないが、一応貴方の身分と住居は把握しておかなければならん」

「へえへえ・・・、お役目ご苦労なことで。決戦が近いってのに呑気なもんだ」

 

肩をすくめた店主は衛兵達へと苦言を返しながら、もう一度背後へと目を向けた。

 

 

ルイズは既に豆粒のように小さくなっている。

 

周りの衛兵など気にもせずに、店主は矢のように駆けていく少女へと、「死ぬなよ」と小さく呟いていた。

 


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