Double Servant -Poetry of Brimir-   作:ねずみ一家

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第六十四話 贖罪の炎

「きみ、彼らの合図はまだかね?」

 

学院に停泊していたアルビオン巡洋艦の甲板上、指揮官然とした貴族が艦内からひょっこりと顔を覗かせた。

問われた士官は姿勢を正すと、上官への礼を取ったまま答える。

 

「はっ、未だ合図はございません。先程傭兵団の本隊が向かいましたが、どうやら戦闘中のようですな」

「何、まだその段階か」

 

目を丸くした指揮官に、士官の男が軽く笑みを浮かべる。

 

「所詮は傭兵、仕事の詰めが甘いのには閉口いたしますな。しかし、あと二、三刻も待てば拠点を築けるのではないかと・・・」

 

「トリスタニアの救援軍はもう来ないだろう。こちらから艦砲射撃を行なう旨、彼らにも伝えておいてくれ」

 

発言の途中で挟まれた指揮官の言葉に、士官は怪訝な顔を浮かべる。

 

「しかし・・・。メンヌヴィル殿の段取りですと、彼ら傭兵団の合図を起点に砲撃を開始するのでは・・・?」

 

指揮官の男は不満そうな表情を浮かべる。

 

「だからだね、彼らに知らせた上で砲撃を開始すればいいだけではないか。いつトリステイン軍が迫ってくるやもしれないこんな場所に、いつまでも留まっている訳にはいかんのだ。一刻も早く艦隊の元へ帰らなければな」

 

生粋の軍人である士官の男はぴくりと眉をひそめた。

 

艦隊司令長官であるサー・ジョンストンと同じく、この男は政治家である。

奴の子飼いの貴族であるため戦の経験が無いのは最もであるのだが・・・、この恥知らずな作戦を強行した上に、こうも保身の発言を行なわれるのは決して気分の良いものではなかった。

 

その士官の表情に、指揮官の男は不愉快を隠さないまま口を開いた。

 

「きみ。この分隊の指揮官は一体誰なのだね? 命令に従わぬともなれば、軍規違反として裁判にかけることも止む無しとなってしまうな」

 

貴様こそ張り子の虎だろうが、と内心で舌を打ちながらも、士官の男は仕方ないとばかりに恭しく頭を垂れた。

 

「・・・承知いたしました。指揮官殿のお言葉通りに決行いたします」

 

 

 

 

 

 

「まだバリケードは完成せんのか! どれだけ時間がかかっているのだ!」

 

食堂の外からは男達の雄叫びと炎の弾けるような爆発音が響きわたっている。

忌々しげにその音を耳にしながら、ギトーは報告のため駆け寄ってきた生徒へと声を張り上げていた。

 

「あ、あともう少しということです!」

「アルビオンの犬共が迫ってきておるのだぞ! ええい、一部のバリケードを簡略化する! 三階より上階の北側は二層にしろと伝えたまえ!」

「わ、分かりました! そう伝えます!」

 

指示を受けた生徒が走り去っていくのと同時に、もう一度すぐ外から炎が弾けるような爆音が轟いていく。

うずくまる女生徒の悲鳴が聞こえてくる中、ギトーは金属の壁で厳重に塞がれた窓を睨み付けた。

 

「時間が、かかりすぎだ・・・!」

 

今の食堂の中では、轟音の鳴る反対側から外へ逃げようとする一部の生徒達を教師達が必死になだめている姿も見て取れた。

ギトーはその様子をぎろりと睨み付け、近くにいた三年の教師へと叫ぶように声を荒げた。

 

 

「二階の迎撃地点に向かう! 貴方はここの対応を行なってくれ!」

 

「しっ、承知しました! ミスタ・ギトー!」

 

 

教師のマントを翻してギトーが上階へと向かう途中、また声をかけてくる者達がいた。

ギトーが振り返ると、そこには学院の衛兵達・・・、そして十数人の生徒達の姿があった。

 

 

「ミスタ・ギトー! 我々はミスタ・コルベールとミス・ヴァリエールの使い魔殿の救援に向かいます! 勝手ながら許可をいただけますよう願います!」

 

「ぼ、僕たちも彼らと一緒に外へ出ます! お願いです! あの二人を救いに・・・!」

 

 

生徒達の言葉の途中で、ギトーは憤怒の表情を浮かべていく。

 

 

 

「この、馬鹿共がッ!!! あの二人が、誰のために戦っていると思っているのだ!!!!」

 

 

 

その一喝に生徒達はびくりと身を震わせるも、衛兵達は一歩も引かずに食い下がる。

 

「ミスタ・ギトー、どうか! 我らだけでも!」

 

猛るような燃える瞳で衛兵達を睨み付け、ギトーは食堂へと踵を返した。

そのまま叫ぶように数人の教師を呼びつけ、更に呼んでもいないのに集まってきた生徒達へ向けて指示を下していく。

 

そしてまた上階へと向かおうとするギトーは、衛兵と生徒達へ向けて苛立った顔のまま口を開いた。

 

「衛兵共! 我々は貴様らを救う術など持たん! 外に出るからには、死ぬことも覚悟の上で向かうことだ!!!」

 

目を丸くした衛兵達は各々の顔を引き締めると一斉に膝を付き頭を垂れた。

 

「生徒の君たちは身の安全を最優先に考えたまえ! 上階の者の援護に合わせて外へ出るように! 我ら教師の傍から離れてはならんぞ!!!」

「はっ、はい!」

 

教師のマントを翻したギトーが衛兵達や生徒達の脇を通り過ぎると、後ろに続いていた教師の一団が彼らへの指示を飛ばし始める。

 

半ば駆けるかのように各々が動き始める中、忌々しげに顔を歪ませたギトーは誰に向けるでもなく小さく舌打ちをしていた。

 

「どこまでも、小賢しい・・・!」

 

ギトーの横に続く生徒の一人が怪訝な表情を向ける。

それに気付きながらもギトーは不愉快極まりないといった表情を崩さないまま、上階へと続く廊下を駆けるように進んでいく。

 

幾度となく、年若い女性の声が頭の中で繰り返される。

その度に胸の内から苛立ちが湧き上がってくるが、その苛立ちが一体誰に向けられているのか、ギトーには分からなかった。

 

 

-子供たちを守れないのであれば、魔法を扱える意味などありません!

 

 

ギトーはもう一度舌を打ちながら、苦々しい苛立ちと共に頭の中で繰り返される声へと答える。

 

(貴様なぞに言われずとも・・・! そんなことは、百も承知だ・・・!!)

 

 

 

 

 

 

「どうした! 隊長どの、その程度か!」

 

メンヌヴィルが放った無数の火球に、追尾するコルベールの放った火球がぶつかっていく。

空中で次々と爆発が発生する中、互いの地面から走った炎の波がぶつかり合い、絡み合った炎によって広場に大きな炎の壁が沸き起こっていく。

 

「一体どうしたと言うのだ! コルベールともあろう者が! 俺が強くなりすぎてしまったのか!?」

 

双方の目前で大きく広がる炎の壁に、コルベールはメンヌヴィルの動きを確認することができない。

いかにメンヌヴィルとてそれは同じことだったが、盲目でありながらも戦いに身を置き続けてきたからこその直観によって、メンヌヴィルはおおよそのコルベールの位置を把握し続けていた。

 

「そこだ! 隊長どの!」

 

炎の壁の隙間を縫って複数の火球がコルベールへ飛来する。

コルベールが瞬時に放った火球の爆発によりメンヌヴィルの火球は目標から外れていく。

 

しかし、爆発の余波に隠れて飛来する、最後の一発は逸らしきれていない。

 

瞬間、コルベールの目前へと迫る火球が石柱に貫かれた。

石柱と共に爆裂する火球を前にしながら、コルベールは動揺の表情すら浮かべないまま即座にルーンの詠唱を開始していた。

 

 

 

少し離れた場所にて、リウスは傭兵の放った岩の塊を避けながらもコルベールへと目を向けていた。

そのまま激昂する傭兵が喚きつつ、リウスの至近距離から魔法の詠唱を完了させる。

 

「死ね! クソガキが!!」

 

その瞬間、傭兵の右半身で大きな爆発が発生した。

爆発は炎へと姿を変えながら吹き飛ばされる傭兵の身体をあっという間に包み込んでいく。

 

傭兵達が突然の攻撃に驚愕の色を濃くしながらも、傭兵の一人がリウスへと斬撃を放つ。

 

左方から放たれた斬撃を直撃する寸前に短剣でいなしながら、リウスはコルベールの方から次々と飛来する無数の火球へ瞳だけを向けた。

そのまま火球の隙間を身を躍らせるように潜り抜けつつ、即座に短剣を腰の鞘へと収め、短剣の柄に指先だけで触れる。

瞬間、リウスの三つ編みがばらりとほどけた。紙一重に蛇行していく無数の火球がかすかにリウスの髪を焼いていく。

しかしそれを気にすることもなく、リウスは静かに詠唱を開始していた。

 

「アーススパイク!」

 

リウスのすぐ傍を通り過ぎた火球がリウスの近くにいた傭兵、そして背後にいた傭兵達へと襲い掛かった。

思わぬ攻撃に傭兵達が何とか魔法で防御し、大きく下がりながら回避を行なう中、遠く地面に転がっていたデルフリンガーが石柱に天高く弾き飛ばされる。

 

 

「め、めちゃくちゃだ相棒! もっと良いやり方があったんじゃねえのか!」

 

 

喚きながらもくるくると空中に吹き飛ばされたデルフリンガーを、地面を蹴ったリウスが上手く拾い上げた。

着地するまでの間に小さく詠唱を続けつつ両手にデルフリンガーを持ち変えながら、リウスは迫る空気の刃や魔法の矢へと即座に視線を向ける。

地面に足をついた瞬間にリウスは身を屈めながらデルフリンガーを斜めに突き立たせ、そのままデルフリンガーを盾にしながら、飛来した数々の魔法を受け止めていく。

 

「ソウルストライク!!」

 

光り輝いたデルフリンガーが寸前まで迫っていた魔法を次々に吸収した瞬間、リウスの周囲から浮かび上がった十個の光弾は即座にリウスの背後へと飛び上がった。

 

宙を泳ぐように光の尾を引きながら、それらはリウスから離れた位置にいる、メンヌヴィルへと襲い掛かっていく。

 

 

 

「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!!」

 

コルベールの眼前に広がる炎の壁が弱まっていく中、次々と襲い掛かる火球を避けながらもコルベールはルーンを紡ぎ続けていく。

コルベールの杖を炎が纏わりつき、それは瞬時に大きな炎の蛇へと姿を変えていく、と同時に、コルベールのはるか頭上を十個の光弾が次々に通り過ぎていった。

 

メンヌヴィルは頭上から迫りくる無数の光弾を感知し、炎の壁の向こう側に発生した尋常ではない熱量を前に表情を変えていた。

 

「ちいっ!」

 

コルベールの杖から放たれた真っ赤な炎の蛇が、弱まった炎の壁を突き破った。

同時に四方八方から飛来した光弾がメンヌヴィルへと迫っていく。

 

即座にメンヌヴィルは杖に纏っていた炎の帯を自分の周囲へと翻らせるも、防ぎ切れない光弾がメンヌヴィルを右腕へと直撃した。

骨が軋むような強烈な衝撃と共に体勢を崩されたメンヌヴィルは、何とか自身の炎を次々に爆裂させることで炎の蛇の軌道を寸前のところで逸らしていく。

 

「クソが・・・!」

 

メンヌヴィルは忌々しげに煙を上げる自身の右腕を確認していく。

 

コルベールの魔法はメンヌヴィルの右腕と背をかすっただけである。

しかしそれでも、コルベールの魔法はメンヌヴィルの身体に決して軽くはないダメージを負わせていた。

 

 

「てめえら・・・っ!! その女を自由にさせてるんじゃねえ!!!」

 

 

メンヌヴィルの激昂を背景に、コルベールとリウスはそれぞれ息を切らしながらも自身の目前にいる敵を見つめていた。

二人は互いに離れていながらにして、自分の視界の中に互いの姿を入れるように立ち回っていた。

 

互いが互いを気遣っている・・・。確かにそれも一因ではあったが、その本質はまるで違っていることを、リウスも、コルベールも、はっきりと認識していた。

 

互いの目の前にいる敵は、自分の力量のみで敵う相手ではない・・・。

 

 

 

「同士討ちを躊躇するんじゃねえ! その女の思う壺だろうが! 数で押し潰せ!!

次しくじりやがったら、俺の魔法で全員消し炭にしてやるぞ!!!」

 

傭兵達は苦虫を噛み潰したように顔を歪めながらも、それぞれが意を決したようにリウスへ杖を向けたまま散開し始める。

 

メンヌヴィルの言葉は単なる脅しではない。

恐怖に顔を強張らせている傭兵達の表情が、それを強く物語っているようにも見えた。

 

各々の傭兵達が即座にルーンを紡ぎ、魔法の詠唱を開始する。

それと同時に複数の男達が手に持った長剣でリウスを切り裂くべく走り出していた。

 

彼らの目は先程までとはまるで違う、恐怖に駆られた野犬の群れのようである。

 

「相棒! 絶対に足を止めるなよ!!」

 

デルフリンガーの叫びと共に、リウスも迫ってくる傭兵達へと駆け出していた。

 

デルフリンガーを盾にしながら、魔法を凌ぎ、斬撃を凌ぎ、瞬きほどの一瞬の隙すらも見せないように・・・。

 

 

 

「っ・・・!」

 

背後から聞こえてくる戦闘の音に、コルベールは息を整えながらもリウスへの支援を行なおうとしていた。が、コルベールに対峙するメンヌヴィルは隙一つなく、コルベールへと静かに杖を向けていた。

 

「・・・隊長どの、俺は失望したぞ。あの女に救われた挙句、よもや貴様があの女の援護に合わせて『炎の蛇』を放つとはな」

 

リウスと傭兵達の戦う音を背景にしながら、コルベールは無表情で話し続けるメンヌヴィルを何も言わず睨み付けていた。

 

リウスと同じくコルベールの身体にもそこかしこに掠り傷や火傷が散見していた。

それは行動不能になる程のものではないにしろ、メンヌヴィルとの攻防において防戦一方になってしまっていることを如実に表していた。

 

「二十年前、貴様はメイジとして完成していた。俺は常々そう思っていたものだ。その貴様を象徴する『炎の蛇』は、援護などまるっきり必要としていなかったはずだ。

貴様一人で・・・、完結していたはずだ」

 

一度言葉を区切ったメンヌヴィルは、かつての目標であった目の前の男へともう一度口を開いた。

 

「貴様はこの程度ではないはずだ。あの女を焼けば・・・、貴様もかつての面影を少しでも思い出してくれるのか?」

 

地の底から響くようなメンヌヴィルの呟きに、コルベールは静かに自身の思考を深めていく。

そしてコルベールは顔を歪ませて笑うと、滔々と語り続けるメンヌヴィルへ静かに口を開いた。

 

 

「なあメンヌヴィルくん。ここは私の命に免じて、引いてくれないかね?」

 

 

何も答えないメンヌヴィルに、コルベールは静かに続ける。

 

「レコン・キスタの目的がこの学院であることは分かっている。だが、君の言葉を聞いていて思ったよ。君はかつての私にいつまでも囚われていたのだと」

 

話し続けながら、コルベールは焼けた大地に足を踏み出し、メンヌヴィルへとゆっくり近付き始めていた。

 

「君と私の戦いは、どちらかが死ぬことで初めて終わるのだろう。しかし私はもう、この炎で命を奪わぬと決めたのだ」

「・・・」

「ならば、その過去を今ここで消し去るといい。君の目的はそれで達成される。学院から立ち去ってくれるのであれば、私は何も抵抗などしない」

 

互いの距離は十メイル程まで近付いていた。

放心したような表情のメンヌヴィルに対して、コルベールはもう一度、静かに口を開いた。

 

 

「・・・ダングルテールを覚えているか? 副長」

 

 

まるで搾り出すような力の無い声で、コルベールはその村の名前を口に出していた。

 

今がグズグズしている状況でないことは分かっている。

分かってはいたが・・・、今この時だからこそ、コルベールはどうしても目の前の男に自分の言葉を伝えておきたかった。

 

「・・・我々は決して許されない。だが、あの村の虐殺と同様のことを君がこの学院にも行なうつもりならば・・・。

今度は、私こそが君を止めなければならないのだよ」

 

放心した表情のまま、メンヌヴィルが小さく口を開いた。

 

 

「・・・何故だ、隊長どの。何故、お前は・・・、あの程度のことで・・・」

 

「頼む、副長。引いてくれ」

 

 

呆けたように呟くメンヌヴィルへ、コルベールは静かに続けた。

 

 

「私はもうこれ以上、人を殺したくはないのだ」

 

 

コルベールを白く濁った瞳で見つめながら、メンヌヴィルもまた絞り出すように呟いていた。

 

 

 

「俺は・・・、俺は貴様のような腑抜けを、二十年以上も追ってきたのか・・・」

 

 

 

わなわなと震えながら、メンヌヴィルは次第に憤怒の表情を浮かべていく。

 

 

「許せぬ・・・。俺は自分が許せぬ・・・。隊長、貴様は指先からゆっくりと消し炭にしてくれる。

貴様が絶命する前に・・・! 貴様が守ろうとしているものを、残らず灰に変えてくれる!!!」

 

 

炎を杖に纏わせ始め、悪鬼のような表情を浮かべたメンヌヴィルの姿。

 

それはまるで、数千と見続けてきた悪夢の中に佇む、あの時の自分の姿を目の前にしたかのようだった。

 

 

「・・・残念だ。ならば、こうするとしよう」

 

 

コルベールが小さく振るった杖から、小型の火球が宙に浮かび上がった。

メンヌヴィルはその火球を感知していたものの、自分の位置とはまるで違う、十数メイル程の上空へと浮かび上がった火球へ一瞬呆気に取られる。

 

 

「贖罪は・・・、まだ終わってなどいなかったのだがな」

 

 

瞬間、小さな火球が爆発した。

それをきっかけとしたように宙で次々と爆音が鳴り響くと、火球から伸び上がった、空気を引き裂くような炎が急激に膨れ上がっていく。

 

メンヌヴィルは驚愕の表情を浮かべながら、コルベールが放った魔法を即座に理解していた。

 

 

 

「『爆炎』かッ!!!」

 

 

 

空気中の水蒸気を『錬金』により気化した燃料油へと変える。

空気と混じり合った『それ』は火球の爆裂を引き金にして周囲の空気を燃やし尽くし、窒息と強力な熱射によって範囲内にいる全ての生物へ致死的なダメージを与える。

 

理論的にはトライアングル・スペルとして確立されているといえども、『爆炎』は誰でも扱える魔法ではない。

 

対流する空気中に気化油を発生させる『錬金』の正確さ・・・、炎の燃焼速度を計算に入れた緻密な火球の爆裂範囲・・・。

正に、才のある者が努力と実践を積み重ねてこそ、初めて扱える程の魔法であった。

 

しかしこの位置では、この魔法の使用者ですらも・・・。

 

 

「この位置なら、私と君だけが射程内だ」

 

 

メンヌヴィルの思考を読んだかのように、コルベールはただ小さく笑みを零していた。

 

 

 

「やはり、貴様は本物だ!!! 隊長どの!!!」

 

 

 

そう叫びながらメンヌヴィルは頭上に広がる炎の渦へと一瞬の内にルーンを紡ぎ、この場で最も適した自身の魔法を放っていた。

 

 

笑みを張り付かせながらも開いた口からは水分が失われ、眼球や舌に焦げ付くような熱を感じていく。

 

その中でも、これ以上なく研ぎ澄まされたメンヌヴィルの感覚は一寸たりとも途切れることがなかった。

 

 

メンヌヴィルの放った白炎が、薄い絹布のように広がった。

 

 

頭上に巻き起こる炎が空気中の水分や酸素を燃やし尽くしていく。

それは連鎖するかのように広がり続け、直下にいるメンヌヴィルやコルベールすらも覆い尽くそうとし始めている。

 

 

メンヌヴィルの放った白炎は、薄く広く、頭上に広がる炎の渦の下半分をほんの一瞬だけ包み込んでいた。

 

 

 

「うお、おぉおおおッ・・・!!」

 

 

 

薄く広がった白炎がほんの一瞬、血液が流れたかのように厚みを増し、波打った。

 

 

 

 

「おぉおおぉあああァッッ!!!!」

 

 

 

 

メンヌヴィルとコルベールの頭上が突如として爆発した。

 

その爆発は広がり続ける炎の渦の連鎖を空気ごと断ち切り、頭上に広がっていた『爆炎』の効果範囲を捻じ曲げていた。

 

直下へと広がろうとしていた『爆炎』は行き場を失い、更なる空気を求めるように上空へと一瞬だけ大きく伸び上がったが・・・。

そのまま二人の頭上に広がっていた炎の渦は急速に力を落とし始め、そのまま空気を燃やし尽くす音と共に、消え失せていった。

 

 

「か、はは・・・、はははは・・・」

 

 

炎が掻き消えた後の沈黙を過ぎて、数メイル程先にいるメンヌヴィルが小さく笑い始めている。

 

その声を耳にしながら、少なからず熱射を受けていたコルベールは全身からかすかな煙を上げつつ、持てる力を出し切ったかのように地面へ膝をついていた。

 

 

(まさか・・・、『爆炎』すらも・・・)

 

 

コルベールの心は決して折れてなどいなかった。

しかし今の魔法は、正に『必殺』だったのだ。

同じ手を、この男は二度と許しなどしないだろう。

 

 

「はははは・・・。貴様は、やはり『蛇』のままだ。隊長どの」

 

 

満足げに呟いたメンヌヴィルが、武骨な杖をコルベールへ向ける。

 

 

「今のは俺ですら死を覚悟した。そうだ、これこそが戦いだった。

貴様ならば・・・、俺にこの感覚をもう一度味わわせてくれると・・・」

 

 

そう口にしたメンヌヴィルの身体がぐらりと揺れた。

 

その隙を目にしたコルベールは弾かれたように手に持った杖をメンヌヴィルへと向ける。

 

 

 

「ウル・カーノ!!!」

 

 

 

我に返り目を見開いたメンヌヴィルがほぼ同時に白炎を放つ。

二つの炎は絡み合うように激突し、二人の間で大きな爆発を引き起こした。

 

吹き飛ばされたメンヌヴィルは何とか体勢を立て直しつつ地面を滑るように着地するも、コルベールは爆発の勢いのまま地面を転がっていく。

 

 

「・・・どうした。どうした隊長どの。もう精神力が限界なのか?」

 

「・・・それは、貴様も同じだろう。メンヌヴィル」

 

 

全身に力を込めて立ち上がろうとするコルベールの姿に、歩み寄るメンヌヴィルは小さく笑ったままだ。

 

「おっと・・・。あちらも決着がついたようだ」

 

瞬間、地面を揺らす爆音と共に、コルベールの近くへ何かが吹き飛ばされてきた。

 

鈍い音と共に地面を転がりながらも、その人物は震える上半身を何とか引き起こしつつ、地面に転がった長剣をよろよろと手に取った。

 

「隊長どのに気を取られでもしたか? 同じ場所に来るとは、手間が省けるってなもんだ」

 

顔を少し俯かせ、荒い呼吸を繰り返していたその人物が、ちらりとコルベールを見る。

至るところに打撃や切り傷を受けながら、土に汚れ、ぼろぼろになったその姿は・・・、リウスだった。

 

 

「コ、コルベールさん・・・。動けますか・・・?」

 

 

疲弊し尽くした朦朧とした表情で、リウスがコルベールへ視線を向けている。

 

コルベールは、静かにリウスの目を見つめ返していた。

 

彼女は、決して諦めてはいなかった。

諦めてはいなかったが・・・、コルベールは自身の経験から、この戦いの答えを既に出していた。

 

「メンヌヴィル・・・。彼女は」

「聞くに堪えんよ、隊長どの」

 

コルベールの言葉を遮るようにメンヌヴィルが小さく呟いた。

無表情だったメンヌヴィルは次第に笑みを浮かべ始めると、もう一度口を開く。

 

 

「終わりか。終わりなのだな。何とも・・・、呆気ないものだ」

 

 

コルベールを見下ろしていたメンヌヴィルが杖を構えると共に、二人を囲み始めていた傭兵達も同時に杖を向けた。

 

 

「せめて一息に焼き尽くしてやる。ああ・・・、貴様の焼ける香りが、楽しみだ」

 

 

ゆっくりと味わうようにメンヌヴィルがそう呟いた時、メンヌヴィルと傭兵達の乗ってきた巡洋艦から、音もなく発煙弾が上がっていった。

 

しかし、それに気付いた者は、この場には誰もいない・・・。

 

 


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