Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
トリステイン魔法学院、その厩舎の前ではちょっとした騒ぎになっていた。
馬に乗りこもうとするリウスを、厩舎番の青年や数人の衛兵が何とか押しとどめようとしている。
「このっ! いい加減に離しなさい!」
「ダメです! 絶対に離しません! どれだけ距離があると思ってるんですか! 会える訳ないでしょう!」
「お前はバカか嬢ちゃん! いまさら間に合う訳ねえ! トリスタニアの戦がいつ始まるのかも分からねえんだぞ!?」
ルイズがラ・ロシェールに向かったと聞いて、即座にリウスはルイズの後を追おうとしていた。
それに気付いた厩舎の青年がリウスを引き止め、すったもんだの言い合いをしている内に近くの衛兵達までもが騒ぎに駆けつけてきたのである。
キリがないと馬に乗りこもうとするリウスを抑えつけるように、リウスの周りへ衛兵達が群がっていたのだった。
「落ち着いて! リウスさんらしくもない!」
「そうだぞ相棒! 落ち着けって!」
「いいから離しなさいってば! それに落ち着いてなんかいられる訳・・・!」
「何をやっている!!!」
その叫ぶような怒声に、息を切らしたその場の全員が振り向いた。
そこには教師のマントを羽織りながら、厳しい目でこちらへ向かってくるミスタ・ギトーの姿があった。
その後ろからシュヴルーズもぱたぱたと近付いてくる。
「禁足令が出ているのだ! ミス・ヴァリエールの使い魔、お前はどこに行こうとしている!」
抱きつくようにリウスを押さえこんでいた衛兵達はその怒気に押されて、ばらばらとリウスから離れていく。
「ルイズを迎えに行きます」
一言だけリウスが告げると、また馬の手綱を手に取りながら鐙へ片足を乗せる。
しかし、ぴたりとそのまま動きを止めた。
ギトーは静かに、杖をリウスへと向けていた。
「まだ、許可など出してはいない」
周りの衛兵達が息を飲む中、地面に下りたリウスは静かに振り向いた。
「ミス・ヴァリエールを探しに、か。ラ・ロシェールへ向かうのだな?」
こくりと頷いたリウスに、ギトーは何の感情も伴っていない、冷たい笑みを浮かべていた。
「主人想いなのは良いことだが・・・、むざむざヴァリエール家の使い魔を見殺しにすることはできん。私は学院長からこの学院の全権を任されている。
ここを出るんじゃない、従いたまえ」
それでもリウスが口を開こうとしたが、ギトーの後ろからおずおずとシュヴルーズも声を上げた。
「ミス・リウス。今回ばかりは、私もミスタ・ギトーに賛成ですわ。行くべきではありません。見つかる保証もないのですし・・・」
見つかる保証がないこと。それをリウスも分かってはいたが・・・、ルイズが危険である可能性があるのであれば、いてもたってもいられないのだってまた事実だった。
「・・・分かっています。でも、ここに留まるよりかは・・・」
「君は分かっていない。仮にミス・ヴァリエールを見つけられるのであれば、それで良い。しかし見つけられないのであれば、君とミス・ヴァリエール、二人を探すのは誰だと思うのかね?
そもそも、その疲れ切った身体で君に如何ほどのことが出来ると言うのだ?」
リウスはぐっと押し黙る。
静かに杖を収めながら、ギトーは続けた。
「君には使い魔のルーンがある。それを使って確実に探せるのであれば許可しよう。しかし、そうでないのならば許可はできない。
君がここに残ることで・・・、ミス・ヴァリエールの生死を確認することだって出来るのだから」
その冷淡ともいえる言葉にシュヴルーズが焦ってギトーを見るも、一方のリウスは歯噛みするしかなかった。
ギトーの言い分は、まさしく正論なのだ。
「・・・そんな確認が必要となる前に、私は行く必要があると言っているのです!」
「・・・これ以上の問答は無用だ。君は学院を出ないように。行きますぞ、ミセス・シュヴルーズ」
マントを翻しながらギトーは学院へと歩を進める。
そしてギトーはぴたりと立ち止まるや、ふと思い出したように口を開いた。
「学院に残るのであれば、まずはその身体を休めることだ。・・・そうだな、ミスタ・コルベールも休ませる必要があるな」
そう独り言に似た言葉を残して、ギトーは去っていった。
シュヴルーズはちらちらと心配そうな顔でリウスを見ていたが、ギトーに続いて学院へと向かっていく。
残されたリウスはギトーの正論を飲み込もうとしている自分自身への怒りに震えていたが、小さく深呼吸すると周りで見守る衛兵達へ顔を向けた。
「・・・皆さん、大変な時にすみませんでした。とりあえず休んでから考えます」
周りにほっとしたような弛緩した空気が流れる。
「そうですよ。きっと、ミス・ヴァリエールも大丈夫です」
厩舎番の青年が声を上げるも、それを中年の衛兵が手で制した。
「きっと、じゃねえ。嬢ちゃん、絶対に大丈夫だ。あの位置にいるアルビオン軍を避けながらラ・ロシェールに向かう場合は、トリスタニアの近くを通らなくちゃならねえ。間違いなくトリスタニアの軍隊に止められてるはずだ。
・・・まずは休め。疲れてんだろ?」
消沈した表情のまま、リウスはこくりと頷いた。
「リウスさん。先程ミスタ・コルベールにも伝えましたが、食堂で何か食べていってください。何も食べてないんでしょう?」
「・・・ありがと。そうね、そうするわ」
「あんま落ち込むなってよ、相棒。大丈夫だって」
背に抱えたデルフリンガーの声に小さく答えつつ、リウスは食堂へ向けて立ち去っていった。
その背を見つめながら、衛兵の青年がぼんやりとした声を上げる。
「・・・あの剣、喋るんですね」
軽く舌打ちをした中年の衛兵が青年の肩を叩いた。
「そんなこと言ってる場合か。ほら、急ぐぞ」
その声を皮切りに、その場にいた平民達は各々の仕事へと戻っていくのだった。
学院へと向かうアルビオン巡洋艦の貴賓室にて・・・、一人の男が鼻歌を歌いながら金属で造られた杖を磨いていた。
先端がメイスのように塊になっている、戦闘時の機能性のみを追求した武骨な杖である。
彼の羽織っている革のコートは激しく汚れ、部屋の外をうろつき回る船員達とはかけ離れた雰囲気をその身から漂わせている。
同じく貴賓室にいる二人の男も薄汚れた革の装備を身に付けているが、それが当たり前だと言わんばかりに気にした様子はない。
「隊長、随分と機嫌が良いようで」
隊長と呼ばれた男はにやにやと笑いながら、すっかり汚れきった布きれを床に放り投げた。
杖を磨いてその汚れは大分落ちたようだが、まだ炭のような汚れや乾ききった血のような汚れはそこここにこびり付いている。
「分かるか? お前ら」
にんまりと笑みを浮かべた隊長は、その顔を部下の男達へ向けた。
その右の顔面は酷く焼けただれ、真っ黒になった火傷の跡に覆われている。
そして、残る左目は白く濁った色のみを映し出していた。
「分かりますよ、そりゃあ」
しかし部下の男達は見慣れたものとばかりに隊長へ答えた。
「戦だ、分かるか? 戦、戦だ。トロールやオーク共とも違う、あの極上の香りを嗅げるってなりゃあな。そりゃあ気分も良くなるってもんだろうが」
違いない、と二人の男は笑い返した。しかしその表情は苦笑いに近い。
隊長の『趣味』は嫌と言うほど知ってはいるが、だからといっていつまで経っても慣れないものでもあるのだ。
「てめえらにはあの香りは勿体ねえ。俺だけが得るべきものだ。嫌々ってんなら尚更だな」
部下の男の心臓が跳ねた。
まるで天井を見つめるように顔を上げながら、隊長はにやにやと笑い続けている。
「せっかく温室育ちの貴族共を焼けるんだ、しかめっつらは似合わねえだろ。なあ?」
これだから隊長の近くにいるのは嫌だったんだ。そう思いながら緊張した面持ちの部下達だったが、その一人が内心怯えながらも口を開いた。
「まあ、隊長の言う通りですが・・・。貴族のガキ共はあくまで人質ですぜ? トリスタニアを制圧した後、つつがなく降伏させるためとか軍の連中が言って・・・」
すると突然、隊長がかすかに声を出して笑い始めた。
その様子を見た部下達は緊張を更に強くする。
「おいおい、俺が嫌いなものを知ってるか? 一つ目は平和ボケした博愛主義者。二つ目は、クソに似たおべっかを喚く野郎だ」
その言葉に、部下の男は額に汗を浮かべながら青ざめていた。
しかし目が見えていないはずの隊長は笑い顔を欠片も崩さず、男達へもう一度顔を向けた。
「だからといって、てめえは焼かねえよ。クソみてえな悪臭を撒き散らかされても困るからな。『隊長』の爪の垢でも飲んでみりゃあ、てめえにも俺の言うことが少しは理解できるだろうさ」
青ざめている男を尻目に、もう一人の部下が口を開いた。
「例の『隊長』さんで?」
「ああ、そうだ。アイツは今どうしてるんだろうなあ。また会いてえなあ」
一見機嫌が良さそうに隊長は自分の杖を手の中で弄んでいる。
「隊長の話を他の奴に聞いたことはありますが、詳しい話は知らないんですがね。その『隊長』さんはどんな人だったんですかい?」
というより、傭兵仲間からは『聞かない方がいいかもしれない』ということを聞いていただけだ。
しかし、仲間といえどもこの男の機嫌を損ねてしまう訳にはいかなかった。
「そうかそうか、知らないなら教えてやろう」
白く濁った瞳が部下の男へと向けられる。
「まず・・・、お前。俺は何だ?」
その問いに部下は戸惑った。
その視界の中で、青ざめていた隣の男がこちらをちらりと見るのが目に止まった。
畜生が。てめえがヘマをやらかさなけりゃ、こんな綱渡りなんざやりたくなかったってのに。
お前が焼かれようが知ったこっちゃねえが、とばっちりを喰うのは御免なんだ。
「・・・隊長は『白炎』のメンヌヴィルで、ウチら傭兵共の頭でさ」
「そうだ。そんで、今はアルビオンの麗しき狂った犬共、レコン・キスタ様の手先って訳だ」
どうやら回答に問題は無かったようだ。部下の男はほっと息を吐く。
それも束の間、メンヌヴィルがもう一度部下の男へと口を開いた。
「じゃあ、お前は何だ?」
「お、俺ですか? そりゃ、隊長の部下でさ」
「そうだな。頭も悪けりゃ度胸も無え、貴族崩れの傭兵だ」
にやにやと笑いながら、メンヌヴィルは部下達を見つめている。
その白く濁った瞳がいつにも増して恐ろしいものに見えて、部下達は思わずこの怪物のいる部屋から一目散に逃げ去りたくなっていた。
「俺が二十歳の時だったか。もう二十年も前になるが、俺はトリステイン貴族士官としてアカデミーの小隊に所属しててな。当時の俺も、お前みたいな甘ったれだったんだろうよ」
メンヌヴィルが歌うように言葉を続けていく。
「ああ、あの小隊は楽しかったな。来る日も来る日も盗賊共を魔法で粉々にしたり、こんがり焼いたりしてな。お偉いさんは賊の討伐もとい人体における魔法の調査だの言ってたが、俺にとっちゃ知ったことじゃなかった。そんな俺よりも凄かったのが、隊長だ」
その言葉に、実際メンヌヴィルの凶行を目の当たりにしていた部下達は少し気分が悪くなっていた。
『白炎』のメンヌヴィルは裏町に轟いている噂通り、いわゆるイカれた凄腕の傭兵だった。
鋼鉄の剣や槌、更には鋼鉄の弾丸すらも瞬時に溶かし尽くし、焼き尽くす。
それを操る人間ですらも、一息の内に。
それ程の実力があるからこそ隊長の率いる傭兵団は破格の報酬を我が物とする集団であり、それを理由に加入している傭兵は数多くいる。
というよりも、ほぼ全ての傭兵がそうであると言ってもいいだろう。
女子供であろうが、メンヌヴィルは貴族や平民問わず敵対する存在を全て標的にする。
時には、敵対していない味方さえも、全てをだ。
「あの隊長は凄いヤツでなあ。海岸沿いにある田舎の村で任務があったんだけどな。俺とはそう年も離れてねえ二十歳そこそこのガキが、顔色ひとつ変えずに村も人も全部焼いちまったんだ。竜巻みてえな炎を操って、その村をあっという間に炎の海に変えちまった。
分かるか? 夜の海岸に真っ赤な海がある。空には真っ白な月がぽつんとあって、その海には黒色と赤色が虹みてえに織り交ざってるんだ。ありゃあ綺麗だったなあ」
うっとりとした顔のまま、メンヌヴィルは続けた。
「分かるか? この火傷だよ。俺あ、あの隊長にぞっこん惚れちまってた。だから、任務が終わった後に隊長の背中へ杖を向けたんだ。俺の惚れた器が本物かどうか試したかったんだ。
分かるか? あの隊長は、俺を軽くあしらいやがったんだ! アイツは本物だった!!」
部下達は青ざめた顔をして、楽しげに笑う目の前の男を見つめていた。
昔の話とはいえ、この男を超える実力を持っていた人間がいたとは驚くべきことだ。
しかし、それ以上に戦慄していたのは・・・。
この男は間違いなく、想像以上に、昔から今までずっと、イカれていたということだ。
「ああ、アイツに会いてえなあ! 傭兵やってりゃいつか会えると思ってたが、考えが甘かった! 今の俺はあの時よりはるかに強くなったし、俺は何にも後悔しちゃいねえ! 貴族の名なんざクソ喰らえだと気付かせてくれた隊長に、会って礼がしてえ!
いや、礼をする訳にはいかねえな。会ったら、アイツの焼ける香りを存分に楽しまなきゃ失礼ってなもんだ!
なあ、お前らもそう思うだろう!?」