Double Servant -Poetry of Brimir-   作:ねずみ一家

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第五十七話 決戦の日 前日

翌朝、トリステイン魔法学院のオールド・オスマンは結婚式へ出席するための準備に未だ追われていた。

 

日程の関係上、オスマンは一週間近くも学院を留守にしなければならない。

そのため前もって片付けておかなければならない用件が多いのである。

 

「ふうむ、帰ってきたら本格的に秘書の募集をかけねばならんな・・・。残りは帰ってきてからにするとしよう」

 

ぶつくさと不満げな独り言を呟きながら荷造りに取りかかろうとした時、猛烈な勢いで扉が叩かれる。

 

「誰じゃね?」

 

この忙しい時に、と言う暇も無く、一人の男が飛び込んでくる。

その服装から王宮の使者であることを理解するや否や、男は大声で口上を述べ始めた。

 

 

「王宮からです! 申し上げます! アルビオンがトリステインに宣戦布告! 姫殿下の式は無期限延期となりました!

アルビオン艦隊はラ・ロシェールの空域を抜け、トリスタニアへと向かって進軍中です! 従って学院に置かれましては、安全のため生徒及び職員の禁足令を願います!」

 

 

使者の口上に、オスマンは一瞬言葉を失った。

 

「宣戦布告とな? 戦争かね?」

「いかにも! アンリエッタ姫殿下率いるトリステイン軍は、王都トリスタニアとの連携を図るためトリスタニア郊外にて展開中です!」

 

オスマンは険しい顔で使者に告げた。

 

「・・・トリスタニアまで来るか。敵軍の規模と我が軍について、詳細を教えてほしい」

 

「はっ! 巨艦『レキシントン』号を筆頭に、戦列艦が十四隻。それに加え巡洋艦も数隻が確認されており、乗員兵力は三千から四千と予想されます。こちらの兵力は現段階で二千、開戦までには二千五百程となることでしょう。

しかしながらラ・ロシェールでの空戦によりトリステイン空軍の主力は壊滅。トリスタニアからの援護があるとはいえ、制空権を奪われたままでの戦いとなるかと存じます」

 

「・・・致命的じゃな。ゲルマニアからの援軍は?」

「同盟に基づき、ゲルマニアへ軍の派遣を要請しましたが、先陣が到着するのは一週間後かと・・・」

 

「そうか。予想よりも大分早いが・・・間に合うかは微妙じゃな。しかし、微かな望みは繋がっている訳か・・・。

あいわかった。学院にて対応を検討した後に、儂もトリスタニアへ向かうとしよう。ご苦労じゃった」

「はっ! それでは!」

 

悲痛な表情を浮かべているオスマンを背にして、伝令の男が部屋を出た時・・・、駆けるように立ち去っていく桃色髪の少女が目に止まった。

 

しかし彼はかすかに目を細めただけで、そのまま王宮へ向けて立ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

日が頭上から落ち始めている頃、リウスとコルベールはようやく学院へと到着していた。

アルビオン軍の斥候に見つからないよう回り道を繰り返していたために、予想よりも到着が遅くなってしまったのである。

 

学院の空に数多くの伝書鳩が飛び交っている中、広場に見たことのあるドラゴンのシルエットがあった。そのシルフィードの近くで準備するキュルケとタバサが目に止まる。

 

コルベールと別れたリウスは馬に乗ったまま二人へと近付いていく。

蹄の音にキュルケが振り向き、ぱっと笑顔を浮かべた。

 

「良かった! 無事だったのね!」

「そっちこそ。しかし凄いことになっちゃったわね」

 

再会も程々に、リウスは次々と飛来する伝書鳩たちへ視線を向ける。

そのリウスの表情にキュルケも小さく口を開いた。

 

「こんなに早く、アルビオンとの戦争が始まるなんてね。タバサも私も帰還命令が出てるのよ。アルビオン艦隊がトリスタニアにまで迫ってるって・・・」

 

沈痛な表情を浮かべながらキュルケが呟いた。

 

トリステインの隣国とはいえ、ゲルマニアが軍備を整えてから援軍を向けるまでには時間がかかる。

事実として援軍が間に合うとは限らないのだろう、とリウスは内心で考えるも、それを口には出さなかった。

キュルケの方が、それについてはよく分かっているはずだからだ。

 

「・・・ごめんなさい。私だけ逃げるみたいに・・・」

 

まるで吐露するかのようにキュルケが声を絞り出す。

たとえ気休めでも、そう考えてリウスは口を開いた。

 

「大丈夫よ、何とかなるわ。キュルケも早く帰った方がいい。きっと家族も心配してる。・・・タバサも、気を付けて」

「・・・分かってる。あなたも死なないで」

 

いつものようにタバサは短い言葉を告げる。

 

しかし普段あまり変化の無いタバサの顔に心配そうな表情を見つけて、リウスは小さく二人へ笑いかけた。

そして落ち着いた声で本心からの言葉を口にする。

 

「当たり前よ、こんなことで死んでたまるもんですか。また会いましょう」

 

その明るいリウスの口調に、キュルケは目端に浮かんだ涙を拭いながらこくりと頷いた。

 

二人を乗せたシルフィードがきゅいきゅいと声を出し、ばさりと浮かび上がる。

そのまま速度を上げて空の向こうに消えていくのを見送りながら、リウスも厩舎へと馬を駆らせていった。

 

厩舎番の青年がリウスを見るや目を丸くして声を上げる。

 

「リ、リウスさん!? ああ、良かった! ご無事で何よりです!」

 

その青年は何やらおろおろとした様子でリウスの元へ駆けてくると、沈痛な表情のまま勢いよく頭を下げた。

 

「も、申し訳ございません! 止めたんですけど全然聞かなくって・・・!」

 

その剣幕に嫌な予感を覚えながら、馬を下りたリウスは謝り続ける目の前の青年へ問いかける。

 

「ちょっと、落ち着いて。何があったの?」

 

その青年はリウスの顔を見ることもなく、ただ頭を下げたまま叫ぶように口を開いた。

 

「申し訳ございません! ヴァリエール様が・・・!」

 

 

そのままリウスはその青年から、ルイズがラ・ロシェールに向かってしまったことを告げられるのだった。

 

 

 

 

 

 

トリスタニア郊外に展開した軍団へと合流するため、アンリエッタとマザリーニの乗った馬車がトリスタニア城を出発していた。

 

馬車の周りはマンティコア隊およびグリフォン隊の精鋭たちが警護している。

彼らを指揮しているのはマンティコア隊隊長のド・ゼッサール卿だった。

 

厳めしい髭を湛えた顔つきと、並外れた巨躯に重厚な鎧。

彼はトリステインでも有数の実力者として名高い人物である。

平時には王宮およびトリスタニア全体の警備隊長として任務に当たる程、慎重さと大胆さの柔剛併せ持った豪傑として知られていた。

 

まさに蟻の隙間もないほどの警備体制の中、マザリーニは最後の確認としてアンリエッタへと語りかけていた。

 

「分かっておりますな? 殿下は危険の少ない最後尾にて軍団を見守ることです。殿下が飛び出しても戦局が変わることはありませぬぞ」

「分かっておりますわ。それは貴方も同じですよ、マザリーニ」

 

アンリエッタは薄く笑いながらマザリーニへ言葉を返した。

 

その顔には緊張の色と王族の高貴さとが入り混じっている。

しかしマザリーニはこの苦境に不適当だと思いつつも、内心高揚した心持ちでいた。

この姫には、まさに王族の威厳というものが備わりつつある。

 

「枢機卿。この戦に勝ち目はありますか?」

 

その澄んだ声に、マザリーニは一瞬逡巡する。

 

「・・・そうですな。五分五分といったところでしょう」

 

アンリエッタは小さく笑うと、マザリーニの顔を正面から見た。

その空色の瞳は決して鋭いものではなかったが、マザリーニは一瞬アンリエッタの視線が背中へと突き抜けたような感覚を覚えていた。

 

「ここには私と貴方しかいないのです。正直に言ってください」

 

頭を下げたマザリーニは、静かに、もう一度現状を分析する。

 

「・・・非常に厳しいと言わざるを得ません。そうですな・・・。勝利の可能性は、二割・・・、いや、一割ほどかと・・・」

 

「そうですか。充分です」

 

こともなげに放たれた言葉に、思わずマザリーニはアンリエッタの顔を見る。

 

 

「父上やお爺様の時代は、更に厳しい戦争が多かったのでしょう? それならば『この程度の相手』、我々の力で何とかしなければ面目が立ちませんわ」

 

 

その口調には傲慢の色も虚勢の色も含まれてはいなかった。

ただ目の前の苦境を静かに見据え、決して折れるまいという王族としての決意の色・・・。

 

マザリーニは絶句したように固まっていたが、次第に大声で笑い始めた。

 

 

「そうですな! 先王も同じことを仰るでしょう、『この程度の相手』だと!!」

 

 

マザリーニは心底嬉しそうに笑い続けている。

マザリーニのこういった姿を始めて見たアンリエッタだったが、その姿に驚くこともなく、にこやかに、そして力強くマザリーニへ向けて口を開いた。

 

「この戦、必ず勝ちましょう。我がトリステインの民を守るのです」

 

「もちろんです! 我が命は殿下と共にありますぞ!」

 

マザリーニは嬉しかった。そして誇らしかった。

あの殿下がこの危機の中、トリステインのために立ち上がる。

先王と重なる程に勇ましく、民のために戦おうとする殿下の姿が見られるとは。

これほどに喜ばしい瞬間があろうか。

 

そのマザリーニの様子にアンリエッタはにこりと笑いかける。

 

「さあ、笑うのはそこまでにして・・・。今後の計画を教えてください。枢機卿」

「おっと! これは失礼いたしましたな!」

 

紅潮した顔のまま軽く咳払いをしてから、マザリーニは説明を始めた。

 

「アルビオン艦隊は現在トリスタニア郊外に・・・、あの『レキシントン』号が見えますな? あの場所に展開を開始しております」

 

トリスタニア城門を通過した馬車の窓からアンリエッタが外へ目を向ける。

マザリーニの視線の先には、巨大な『レキシントン』号を筆頭にした艦隊がはるか遠目にぼんやりと浮かんでいた。

 

「歩兵の展開中は無防備ですが、制空権は奴らの艦隊および竜騎士隊に握られております。奇襲のタイミングを図ってはおりますが、無駄に兵力を削がれては勝てるものも勝てませぬ。

展開が終わるや突撃を仕掛けるような相手でもございませぬゆえ、戦闘開始は明日の夜明け頃かと・・・」

 

そのままマザリーニは集結しているトリステイン軍の状態やトリスタニアからの支援について、更には周辺国の反応などを語り始める。

 

アンリエッタがそうした現在の状況を詳しく聞いていると、外が随分と騒がしいことに気が付いた。

アンリエッタとマザリーニが目を合わせ、馬車の窓を開けたマザリーニが警護するド・ゼッサールへと呼びかける。

 

「ゼッサール卿。何事だ?」

 

厳かに頷いたゼッサールが大地を響かせるような低い声で口を開いた。

 

「猊下。なにやら一人の貴族がラ・ロシェールへ向かおうとしているようです。魔法学院の者とのことですので、今すぐ護衛と共に学院へ帰還させます」

 

アンリエッタは数人の兵士が押しとどめている人物を見る。

そこには、桃色髪をたなびかせた貴族の姿があった。

 

「あれは、ルイズ?」

 

マザリーニもその姿を目に止めると、指示を仰ぐようにアンリエッタへ視線を向ける。

 

「ゼッサール卿、彼女をここに呼んでください。何があったのか聞いてみましょう」

 

 

 

 

馬車を一旦止めて、アンリエッタはルイズの言葉をじっと聞いていた。

当初は馬を下りて低頭しようとしたルイズだったが、アンリエッタとマザリーニの計らいにより馬車と並ぶ形で説明を行なっている。

 

「つまり、リウスさんを探すためにラ・ロシェールまで向かうということですね?」

「・・・姫殿下、申し訳ございません。でも私は行かなくちゃいけないんです」

 

ルイズはようやく落ち着いた様子で目線を落とした。

無茶だなんてことはルイズにも分かっていた。でも、戦争の話を聞いたルイズはいてもたってもいられなかったのだ。

 

アンリエッタは消沈するルイズの表情を目に止めながら、少しだけ考え込んだ。

 

アンリエッタ自身もルイズと同じ気持ちだった。

あのリウスさんを救えるのであれば、今すぐにでも竜騎士隊を向かわせたいところなのだ。

 

しかし・・・。

 

「・・・ラ・ロシェールに向かうことは許しません。理由はあなたも分かっているでしょう?」

「で、でも・・・!」

 

ルイズは抗議の声を上げかけたが、そのまま俯いて口を閉ざした。

そのルイズの葛藤の中、アンリエッタはもう一度口を開く。

 

「ルイズ、あなたは誰よりも理解しているはずです。リウスさんは・・・、ルイズの無茶を決して喜ばないわ」

 

ルイズは俯いたままでアンリエッタの言葉に答える。

 

「・・・分かっています。分かっていますけど・・・だからって・・・」

「聞いて、ルイズ。きっとリウスさんもあなたが心配でたまらないはず。私が二人を心配するのと、同じように。

・・・わざわざあなたが危険な所に行って、どうするというのです」

 

そのアンリエッタの言葉を飲み込みながら、ルイズは自分の感情がぐちゃぐちゃになっていくのを感じていた。

気を抜けば泣きそうになるのをそれでも我慢していたルイズだったが、自分を心配そうに見つめるアンリエッタの顔を見て、更に言葉を失っていた。

 

アンリエッタ姫殿下の表情には見覚えがあった。

ウェールズ様やニューカッスル城の人達のように、そしてリウスのように・・・。

まるで心配をさせまいとするかのような、決意に満ちた穏やかな表情を浮かべている。

 

「・・・お願い、ルイズは今すぐ学院に戻って。ここだって、トリスタニアだって安全ではないのよ」

 

俯きながらルイズはぽろぽろと涙をこぼし、自分の力の無さを呪っていた。

 

もし、あの時ワルドが言っていたように、私が特別なメイジであるなら・・・。

今この時、苦境に立とうとしている大事な友人を助けることだって、もしかしたら無事でないかもしれないリウスを助けに行くことだって、出来るかもしれないのに・・・。

 

 

「ルイズ・・・」

 

 

そんなルイズを慰めようとしているアンリエッタの耳元で、マザリーニが小さく囁いた。

アンリエッタは驚愕の表情を浮かべるも、今目の前で消沈している親友にそれを告げまいと決意していた。

 

「ルイズ、アルビオン軍が斥候を放ちました。安全が確保されるまでトリスタニアで休んでからお戻りなさいな。大丈夫、すぐにこの戦は終わりますわ」

 

そしてマザリーニが護衛へと目配せするとルイズは護衛の兵士達に引き渡されていく。

立ち去る前に、ルイズは落ち込んだ顔のままアンリエッタへ振り向いた。

 

「姫さま・・・、どうかご無事で」

「ええ。ありがとう、ルイズ」

 

 

 

 

そうしてルイズと別れたアンリエッタは窓を静かに閉めると、悲痛な表情を浮かべながらマザリーニへと問いかけた。

 

「枢機卿・・・。何か、手はありますか?」

「・・・申し訳ございませぬ、まさかこれ程までに卑劣な手段を取ってくるとは。先ほど伝令を放ちましたが、伝令の到着はほぼ同時になると思われます。竜騎士隊を向かわせるのにも複数の艦が相手では危険すぎまする。

それに・・・」

 

言葉を濁らせたマザリーニをアンリエッタが見る。

 

「それに、何ですか? 言ってください」

 

「はっ・・・。これは憶測にすぎませぬが、彼奴らの行動には罠の気配がいたしまする。我らが数隻の巡洋艦を救援に向かわせれば、奴等は数隻の戦列艦を送り込むでしょう。空戦において、奴等は圧倒的な優位に立っておりますからな」

 

俯いたアンリエッタに向けて、マザリーニは苦渋の決断を下さなければならなかった。

 

「・・・明日の戦が終わり次第、即座に艦隊と竜騎士隊を向かわせましょう。殿下、それまではどうかご辛抱くだされ」

 

アンリエッタは、その決断に賛同せざるを得なかった。

しかしその決断は余りにも重く、決意したアンリエッタの覚悟を試すかのように、ただアンリエッタの胸の内を強く締め上げていく。

 

「・・・分かっております。それでも、何か・・・」

「幸い、禁足令により学院には多くのメイジが残っておりますので・・・。彼らが何とか耐えてくれるのを期待するしかありませんな・・・」

 

護衛の一団と共に、二人を乗せた馬車は展開を進めるトリステイン軍へ向けて進んでいく。

 

その軍団の更に先にあるアルビオン艦隊からは、三隻の巡洋艦が、忽然と姿を消していたのだった。

 

 

 


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