Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
二日後、リウスとコルベールを除く一行はシルフィードに乗り込んでいた。
シエスタは当初の予定通り、少しの間タルブ村に滞在するということで残っている。
シルフィードの背の上から、ルイズが不満そうな顔で声を上げた。
「じゃあ、リウスもちゃんと戻ってくるのよ? 絶対に危ないことしちゃ駄目なんだから」
「分かってるって。いつまでも名残惜しそうにしないの」
少しむくれた表情のまま、ルイズはリウスをじとりと見つめている。
そのままぷいと横を向いたルイズに、シルフィード上にいたキュルケとギーシュは、何をそんなに心配しているのか、ときょとんとした顔で首を傾げていた。
「そんなに心配しないでよ、すぐ戻るようにするから。約束する」
困った顔で笑いかけるリウスに、ルイズは未だ心配そうな表情のままでリウスをちらりと見て、こくりと頷いた。
リウスは昨日の内に、シエスタの祖父と自分のいた世界との関係を詳しくルイズに説明していた。
その内容にルイズは驚きながらも、何かの事故でリウスが元の世界に帰ってしまうんじゃないかと、事あるごとに不安そうな表情を浮かべている。
くれぐれも気を付けるとのことで、ルイズは渋々リウスが残ることを承知したのだった。
コルベールはといえば『竜の羽衣』の調査を続けたいらしく、しばらくタルブ村に滞在することを決めている。
シエスタの家族たちも、二人が残ることについて大いに快諾していたのである。
思い出したように、ルイズの後ろにいたキュルケが口を開いた。
「じゃあ先に帰ってるわね。お宝については戻ってから一緒に話しましょ」
「ああ、そういえばそれがあったわ。分かった、じゃあ帰ってからね」
キュルケはルイズの様子に未だ不思議そうな顔をしているも、あまり深くは考えなかったようだ。
使い魔たちが行ってしまうため、村の子供たちがシルフィードやサラマンダー、更にはシルフィードが咥えているヴェルダンデに別れの挨拶を行なっている。
そうして別れも程々に、シルフィードが地面を蹴って空中へと浮かび上がった。
そのまま大空へ羽ばたいていくと、別れを叫ぶ子供たちの声を背景に、あっという間にシルフィードは空の向こうへ飛んでいってしまった。
「それで、このプロペラですが・・・。これが後ろへの風を作って、その風がこの翼に当たると浮力を得られるみたいですね」
「なんと、そんなことが可能なんですかな・・・!? まったく、とんでもない代物ですな」
リウスとコルベールは『竜の羽衣』を調査しつつ、あれやこれやと議論を投げ合っていた。
とはいえリウスに分かるのは、ガンダールヴのルーンによって手に入る情報のみ。
コルベールはその情報を元に、あれこれと仮説を巡らしているのだった。
当初は、こんな機械の情報を伝えてしまっていいのだろうか、とリウスも悩んでいたのだが・・・。昨日コルベールがシエスタの家族に対し、必死の形相で『竜の羽衣』を譲ってくれるようお願いを続けていたのである。
結局、一時的に貸し出すのであれば、とシエスタの家族も折れてしまったのだった。
とりあえず学院に運びたいということで、ギーシュの父のコネを使い、数日後には『竜の羽衣』を運んでくれる竜騎士隊が到着する予定とのこと。
リウスがコルベールへの協力を決めたのはその貸し出しが決まってからだ。
いずれコルベールならば『竜の羽衣』のことを解き明かしてしまうだろう、と考えたからだが、それと同じくらいリウスも『竜の羽衣』のことが気になっていたのだった。
「ふうむ。しかし・・・結局のところ『足りないもの』というのは何なのでしょうな」
既にリウスは、コルベールへ『竜の羽衣』の構造を簡単に説明していた。
『竜の羽衣』における重要な機械というものは、筒状になった胴体の前半分くらいにしか存在していない。他の部分は金属の骨組みに柔らかい金属のような布を張り付けただけのものがほとんどである。
その重要な機械類の中で、ある一部分、何に使われているのかよく分からない場所があったのだった。
というのも、ガンダールヴのルーンが教えてくれるのは『武器』の情報だけなのである。
動かし方や何が出来るか、などは分かる反面、何が不足しているか、壊れているのかどうなのか、などを読み取ることは出来なかった。
コルベールとリウスがあれこれと議論を交わしている中、ふとコルベールは何かに気付いたように『竜の羽衣』をいじくり始めた。
それは正に『竜の羽衣』の下部、使用不明の場所へと繋がる小さな栓だった。
コルベールが慎重にその栓を開けると、空洞になった穴がぽっかりと口を開けていた。
「なるほど、分かりましたぞ。まず必要なのは『燃料』ですな」
そうか、とリウスは納得したように頷いた。
確かに機械でできた乗り物で人力ではない以上、燃料は必要である。しかしこの『竜の羽衣』には薪を入れるような場所などなかった。
つまりこんな小さな穴に入る燃料は液体しかない。
コルベールはおずおずとしながらその穴へ手を突っ込んでいく。
中には何も入っていないようだったが、ぴくりと何かに気が付くとゆっくり外ヘ手を引き出した。
その指には、何か得体の知れない液体が付着していた。
「これは何でしょうか。知らない匂いですな、暖めなくてもこれほどの匂いを発するとは」
手であおぐようにしながら、ふんふんとコルベールがその匂いを嗅いでいる。
指に付けている時点でそこまでする必要もないだろうが、しゃがみこんだリウスもコルベールの真似をしながらその匂いを嗅ぎ始めた。
「・・・刺激臭ですね。何だろう、変なにおい」
二人してしゃがみこんで指の匂いを嗅いでいる。
傍から見ると何処ぞの変態のようであるが、二人は大真面目な顔でじっと考え込んでいた。
「・・・何かの油なんでしょうな。学院に戻ってみなければ分かりませんが」
「液体の燃料っていうと、植物や動物から採ったものくらいしか知らないのですが・・・。コルベールさんはどう思いますか?」
「これ程に気化しやすいのであれば違うでしょうな。そういえば、火竜山脈の一部で取れる油が燃焼に特化していると聞いたことがありますぞ。戻ったら早速、取り寄せて・・・」
コルベールは間近にあるリウスの顔に気付き、ほんの少しの間見つめていた。
大きめの目に、整った顔立ち。
薄桃色の髪や三つ編みも彼女の造形によく似合っている。
彼女なら求婚相手も引く手あまただろう、とまで考えたところで、コルベールは小さく笑った。
自分には子供などいないにも関わらず、まるでよく見知った近所の子供の将来を心配しているかのような、変な心持ちになってしまっている。
「・・・『竜の羽衣』の運搬費もありますし、お金が大分掛かっちゃいますよ? もし良ければ私もお金を出しますので・・・。どうしました?」
うーんと考え込んでいる顔がコルベールに向いた。
ぎくりとしながらもコルベールはその顔に笑い返す。
「いや、何でもありませんぞ。金銭のことは気にしなくても問題ありません。これでも貯蓄はしておりますからな。学院に戻ってから調査してみるとしましょう」
「なるほど。燃料に関して分かったことがあれば、ぜひ教えてくださいね」
コルベールの様子にも、リウスは特に違和感を感じていなかったようである。
二人は立ち上がると、もう一度『竜の羽衣』の調査を行ない始めるのだった。
アルビオン空軍工廠の街ロサイスは、油と汗に塗れた人々でごった返していた。
ロサイスはアルビオンの首都ロンディニウムの郊外に位置しており、レコン・キスタが呼ぶ『革命戦争』が終結する前から王立空軍の工廠であった。
そのためロサイスには職人達が多く住み着き、ハンマーを叩く音と人々の活気に満ちた都市であったのだが・・・、今のロサイスはどことなく暗い雰囲気に包まれていた。
レコン・キスタが革命を始めてからというもの食料生産や物資の輸出入が遅れ、首都に近いこの街ですらも食料不足が深刻化しているのだ。
それにも関わらず、首都からの労働者が数多く送り込まれてきている。
いくら腹が減ろうが決して口には出さないものの、この都市の人々はレコン・キスタに対して多くの不満と不信を抱いているのだった。
そんな街の中で、ひときわ目立つ赤レンガの大きな建物があった。
警備する軍人の頭上にはレコン・キスタの三色の旗が翻っている。
ハルケギニア最強とも言われるアルビオン空軍の基点、空軍発令所である。
その内部に、空軍の持つ技術を賭して作り出された『レキシントン』号はあった。
全長二百メイルを超えるかつての『ロイヤル・ソヴリン』号に更なる改装を行なうため、レコン・キスタは日夜突貫工事を行なっていた。
その巨大戦艦の舷側から伸びる大砲を見て、レコン・キスタの最高司令官、アルビオン現皇帝のオリヴァー・クロムウェルは痛快そうに顔をほころばさせていた。
「なんとも勇ましく、頼もしい艦ではないか。この艦を与えられた者は世界を自由にできるような、そんな気分にはならないかね? 艤装主任」
「我が身には余りある光栄ですな」
気の無い声で、サー・ヘンリ・ボーウッドは答えた。
彼は元々レコン・キスタ側の巡洋艦艦長であった。しかし革命戦争の折にその武功を認められ、『レキシントン』号の改装艤装主任を任せられることになったのである。
艤装主任は艦の艤装が完了した後、そのまま艦長へと任命される。それは王立であった頃からの、アルビオン空軍の伝統だった。
「あの大砲は新型だ。余からの新任祝いだと考えてくれたまえよ? 設計士の計算では・・・」
クロムウェルの傍に控えた、長髪の女性が答える。
「トリステインやゲルマニアの戦列艦が装備するカノン砲に比べ、およそ一・五倍の射程を有しております」
「そうだな、ミス・シェフィールド」
ボーウッドはシェフィールドと呼ばれる女性を見る。冷たい雰囲気を持つ、二十代半ば程の女性である。
細い、ぴったりとした黒いコートを身に纏っているが、メイジの象徴であるマントを羽織ってはいない。
メイジではないのかもしれないが、ボーウッドにはそんなことを詮索する意味も興味もなかった。
クロムウェルは満足げな顔でボーウッドを見つめ、そのまま彼の肩を叩いた。
「彼女は東方の『ロバ・アル・カリイエ』からやってきたのだ。エルフより学んだ技術を私たちに伝えてくれている。そうだな、君もともだちとなるといい。艤装主任」
ボーウッドは静かに感謝を述べるが、その表情は暗く落ち込んでいた。
彼は心情的には、未だに王党派だった。上官であった艦隊司令が反乱軍側についたため、仕方なく反乱軍側の艦長として革命戦争に参加したのである。
彼は、高貴であるからこそ身を呈して国土や国民を守るべきだと考える貴族だった。
だからこそレコン・キスタは単なる王権の簒奪者であり、未だにアルビオンは王国だとも考えている。
彼にとって国土を荒廃させるだけのレコン・キスタは、ただの下賤なる盗賊共と同じ、忌むべき存在なのである。
「これで『ロイヤル・ソヴリン』号にかなう艦など、ハルケギニアのどこを探しても存在しなくなるでしょうな」
間違えた振りをしながらボーウッドはこの艦の旧名を口にした。
しかしクロムウェルはその皮肉に気付きながらも、楽しそうにボーウッドへ微笑む。
「ミスタ・ボーウッド、君は面白い冗談を言うのだな。アルビオンに『王権』は存在しないのだよ」
平然と返された言葉に、ボーウッドは思わず舌を打ちそうになっていた。
この男は確かに人々を導く力を持っている。
ただしそれは、綿密な計画を持って人々を扇動し、それぞれの身に潜む欲望を引き出し、終いには周囲を破滅させるような悍ましい力だ。
ボーウッドにとってのクロムウェルは、断じて王の器とはかけ離れた存在だった。
「そうでしたな。しかしながら、ただの婚姻の場に新型の大砲を積んでいくなど、下品な示威行為と受け取られかねませんぞ」
トリステイン王女とゲルマニア皇帝との結婚式には、国賓として初代神聖アルビオン皇帝であるクロムウェルや閣僚たちが出席する。
この『レキシントン』号は、その際の御召艦として使用される予定だった。
「ああ、君には『親善訪問』の概要を説明していなかったな」
「概要ですと?」
また陰謀か、とボーウッドは顔をしかめる。
そんなボーウッドの表情を楽しむかのように、クロムウェルはそっとボーウッドの耳元で二言、三言囁いた。
ボーウッドの顔は見る見る内に蒼白になっていった。
ありえぬ、と呟くボーウッドへ、クロムウェルはただ静かに微笑んでいる。
「そのような、破廉恥な行為を行なうつもりか!!!」
激昂したボーウッドが叫んだ。
周りの労働者たちが驚いて目だけを向けているが、当のクロムウェルは平然とした顔のまま笑っている。
「軍事行動の一環だ」
こともなげに、クロムウェルは声を出した。
「トリステインとは不可侵条約を結んだばかりだ! このアルビオンの長い歴史の中で、他国との条約を破り捨てた歴史はない!」
「口を慎みたまえ、ミスタ・ボーウッド。それ以上の政治批判は許さぬ。これは議会が決定し、余が承認した事項なのだ。きみは余と議会の決定に逆らうつもりかな?」
ボーウッドはぐっと押し黙り、苦虫を噛み潰したような顔のまま感情を押し込めた。
彼にとっての軍人は物言わぬ剣であり、盾であり、祖国の忠実なる番犬だった。
いくら有り得ぬ決定であろうが、指揮系統の上位に存在するものの決定であるなら黙って従うより他はない。
「・・・アルビオンは、ハルケギニア中に恥をさらすこととなります。卑劣な条約破りの国と、悪名を轟かすことになりますぞ」
「君は本当に冗談が好きなのだな。ハルケギニアは我々レコン・キスタの旗の下、一つにまとまるのだ。聖地をエルフ共より取り返した暁には、些細な外交上のいきさつなど誰も気に留めまいよ」
もう我慢できないとばかりに、ボーウッドはクロムウェルに詰め寄った。
「・・・私が冗談を言っているとでも? 条約破りが些細な外交上のいきさつなどと・・・! 貴殿は祖国をも裏切るおつもりか!!」
しかし、クロムウェルの傍らに佇む男が詰め寄るボーウッドを杖で制した。
フードに隠れたその顔は、見覚えのある顔だった。
震える声で、ボーウッドは呟く。
「・・・そんな、馬鹿な。殿下・・・?」
「果たして、かつての上官にも同じ台詞が言えるのかな?」
ボーウッドは咄嗟に膝をついた。
フードでその顔を隠した男は、討ち死にしたと伝えられる、ウェールズ皇太子だった。
ウェールズは静かに手を差し出した。ウェールズが生きていることに感極まりながら、ボーウッドはその手に接吻をする。
刹那、ボーウッドは青ざめた。
皇太子の手が、まるで氷のように冷たかったからだ。
「君には期待しているぞ。艦長」
記憶通りの口調でウェールズが告げる。
そのままクロムウェルは供の者たちと歩き始めめ、ウェールズもそれに続いていく。
その場に取り残されたボーウッドは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
あの戦いで死んだはずのウェールズ殿下が、生きて動いている・・・。
ボーウッドは『水』系統のトライアングルメイジだった。生物の組成を司る『水』系統のエキスパートである。
しかし・・・、死人を蘇らせる魔法など聞いたことはなかった。
ウェールズ殿下に触れた時、はっきりと分かった。
殿下の身体には間違いなく生気が流れていた。『水』系統の使い手だからこそ分かる、懐かしいウェールズ殿下の水の流れが・・・。
未知の魔法に違いない。そう考えたボーウッドは、まことしやかに流れている噂を思い出し、思わず身震いしていた。
神聖皇帝クロムウェルは、命を・・・、『虚無』を操ると。
ならばあれが、『虚無』の魔法なのか?
伝説の、五番目の系統・・・。
ボーウッドは震える声で小さく呟いた。
「あいつは・・・、ハルケギニアをどうするつもりなのだ・・・」
クロムウェルは、傍らを歩く貴族へ声をかけた。
「子爵、きみに二つの竜騎兵隊を授けよう。竜騎兵隊の総隊長として『レキシントン』に乗り込みたまえ」
羽帽子の下の、ワルドの静かな瞳がクロムウェルに向く。
「目付け、ということですか?」
クロムウェルは柔和な表情でワルドへ答えた。
「あの男は信用できる。頑固で融通が利かないが、決して裏切ることをしないだろう。余は君の能力を信頼しているだけだ。竜に乗ったことはあるかね?」
「ありませぬ。しかし、私に乗りこなせぬ幻獣などハルケギニアには存在しないと存じます」
だろうな、とクロムウェルは微笑んだ。
そしてクロムウェルは不意にワルドの顔を見る。
「子爵、きみはなぜ余に付き従う?」
「・・・わたしの忠誠をお疑いになりますか?」
「そうではない。余はきみの能力を買っているが、一方のきみは余に何ひとつ要求しようとはしない」
いつもと変わらない様子で、ワルドはにこりと笑った。そして最近取り付けたばかりの義手をいじる。
「わたしは、閣下がわたしに見せてくださるものを、見たいだけです」
「『聖地』か?」
静かにワルドが頷くのを見て、クロムウェルは面白そうに笑いかける。
「信仰か? 欲がないのだな」
かつての聖職者らしからぬ言葉に、ワルドは何も言わず押し黙っていた。
『聖地』。そこに全ての答えがある。
その答えを前にして、何をするのかはその時に決める。
ワルドは首にかけたペンダントを服の上から触った。
古ぼけた銀細工のロケット。その中には、あの人の肖像画が描かれている。
あの肖像画を見る度に、冷たく静かなワルドの胸の内が、熱く、強く、さざめくのだ。
失くしたものを取り戻す。
そして母を狂わせた原因を暴いてやる。
たとえ何を犠牲にしてでも、必ず辿り着いてみせる。
ふとワルドは、かつての可愛らしい婚約者と、薄い桃色髪の使い魔を思い出していた。
そう、今までと同じように、何を犠牲にしてでも・・・。
たとえ、同じ痛みを知る者が相手でも・・・。
しばらく思考に耽っていたワルドが、小さく呟いた。
「・・・それは違います、閣下。わたしは世界で最も、欲深い男です」