Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
「まあまあ、何も無い村ですけどゆっくりしてって下さい」
シエスタの生家で一行は歓迎を受けていた。
テーブルには所狭しと家庭料理やタルブ村特産のワインが並んでいる。
しかしシエスタの父親から手酌を受けている人物に、一行は少なからず気まずそうな表情を浮かべていた。
「おっとっと、これはありがたいですな。タルブ村のワインはトリスタニアでも有名ですからなあ」
「先生、嬉しいことを言ってくれますなあ。どうぞ、ぐいっと」
「おおっと、これはどうもどうも」
シエスタが家族へ「奉公先でお世話になっている」と一行やコルベールを紹介したからだろうが、既にコルベール自身もシエスタの家族に馴染んでいるようだ。
あっという間にタルブ村の雰囲気へ馴染んでしまったコルベールに、一行は彼の思わぬ一面を感じていたのだった。
紹介されるまではシエスタの両親も怪訝な表情を浮かべていたのだが、シエスタの紹介に彼らはすぐさま相好を崩していた。
シエスタは八人兄弟の長女だそうで、幼い弟や妹たちもあっという間に一行へあれやこれや質問を投げかけるようになっている。
貴族の客をお泊めするということで、タルブ村の村長までもが挨拶にくるという騒ぎにまでなっていたのだった。
「ねー、シエスタお姉ちゃん。お外にいるドラゴンとかトカゲって貴族さまの使い魔なんでしょ?」
「こら、失礼なことをしないのよ」
「いいわよシエスタ。なあに? 触ってみたいの?」
子供に慣れているのか、しゃがみこんだキュルケがにっこりと笑いかけると、小さい子供たちはおずおずとしながらもこくりと頷いた。
「私がいるところでならいいわよ。あ、でもあのドラゴンはこっちのお姉ちゃんの使い魔なのよ。ねえタバサ、貴女もいいわよね」
タルブ村の名物料理であるスペシャルトーストが気に入ったのか、タバサは上品ながらも猛然と焼き立てのトーストにパクついていた。
しかし、ぴたりとその手を止める。子供たちはきらきらとした期待に満ちた瞳をタバサへと投げかけていた。
「・・・」
キュルケと違いタバサは子供に慣れていないのか、珍しく目線を少し泳がせるとこくりと頷いた。
許可を得た子供たちはきゃあきゃあ言いながら喜び合っている。
「ぼく、あのモグラに触りたい!」
その子供の声をギーシュがぴくりと聞きとがめた。
「君って子はセンスがいいね! もちろんいいとも! 僕のヴェルダンデを思う存分愛でてあげてくれたまえ!」
子供たちの歓声にギーシュは有頂天である。
騒がしい食卓の光景にシエスタの父親が困ったような顔で子供たちをたしなめた。
「いや、すみませんな。お前たち、貴族の皆さまはお疲れなんだから明日にするんだぞ」
穏やかで、暖かい時間が過ぎていった。
久々に家族と会ったシエスタは照れくさそうにしながらも、とても嬉しそうな表情でてきぱきと一行をもてなしている。
そうして一行は美味しい食事やワインをお腹いっぱいに詰め込むと、各々が用意された部屋に案内されていった。
その中で、シエスタが父親に小声で何かを話している。
先にルイズへ休むように言ってから、リウスはシエスタに促されつつシエスタの父親から手酌を受けていた。
「いやいや、凄い偶然です。まさか親父と同じ故郷の人が来るだなんて」
「私も驚きました。私の故郷は本当に遠いところなので」
「そうなんですか。どこらへんなので?」
リウスは注がれたワインで唇を少し湿らせる。
「東方なんだと思います。私は使い魔として召喚されたので、ちゃんとした場所は分からないですが」
シエスタの父親は目を丸くしながら合点がいったように頷いた。
「おお・・・、そうなんですか。そうか、だから親父は爺さまと話が合ったんですね」
シエスタの父親が語るには、シエスタの曾祖父であるササキ=タケオはどこかおかしい人だったそうである。
当たり前の知識を知らず、それでいて色んなことに妙に博識で温和な人間。
そしてそれは、シエスタの祖父にも同じことがいえたのだそうだ。
「親父は村の誰よりも早く、爺さまと仲良くなったって聞いてます。同じ東方の出身だったのか・・・。そりゃあ馬が合うわけですなあ」
長年の謎が解けたかのように、シエスタの父親はぐびりとワインを煽った。
しかし舐めるようにワインを飲んでいたリウスは、多分それは違うだろう、と考えていた。
ササキ=タケオは明らかに異常な私物を持っていた。トリステインとはまるで違う、異国の人間だったのは想像に難くない。
そこへリウスのいた世界から来た、自身と境遇の似ている異国の人間が現れた。
それを知ったシエスタの曾祖父の驚きや喜びはとても強いものだったのだろう。
そこからタルブ村の話やシエスタの奉公先である魔法学院の話など会話に華を咲かせていると、席を立っていたシエスタがぱたぱたと戻ってきた。
手には何かの本が握られている。それを父親へ渡すと、彼はぺらぺらとその本をめくっていった。
「うーん、やっぱり読めないな。ミス、これが親父の日記です」
シエスタの父親は席を立つと、リウスにも見えるように横の席に座りながら日記を開いた。
そしてその中の一文をごつごつとした指で示す。
「ここです。すみませんが、何て書いてありますかね?」
怪訝な表情を浮かべながらも、リウスは指し示された一文を声に出して読み始めた。
「・・・『イチゴと豚肉のトースト作り方メモ』・・・?」
首を傾げたリウスに、シエスタの父親はほっと息を吐いた。
「本当なんですね。申し訳ありません、試すような真似しちまって」
深々と頭を下げる姿に、リウスは慌てて頭を上げてくれるように言った。
ようやく頭を上げた彼は困ったような顔で笑う。
「いや、私は親父の私物を触ったり他の人に見せたりするなって散々言われて育ったんです。他にも色々残ってるんですが、この日記を読める人になら私物を全部譲ってやれって」
これで肩の荷がひとつ降りたなあ、と嬉しそうにしているのを尻目に、リウスは手渡された日記の最初のページを開いた。
そのページに書かれているのは、たった一つの文章だけである。
『いずれ来るかもしれない同士のために、この記録を残す』・・・。
簡素ながらもしっかりとした木材で作られた部屋の中、ろうそくの火と月明かりがぼんやりと周囲を照らしている。
リウスとルイズは一緒の部屋にいたが、お腹がいっぱいになったルイズはすぐに眠くなってしまったようで、既にベッドの毛布にくるまって寝息を立てている。
他の皆もやはり疲れていたのか、彼女たちが案内された部屋からは物音ひとつしていない。
三つ編みをほどいた髪を肩に流しながら、リウスはシエスタの祖父の日記を静かに読み進めていた。
シエスタの父親は「明日には親父の私物をお見せします」とのことで、ひとまず日記だけをリウスに渡してくれたのだった。
リウスは椅子に腰かけたまま、ろうそくの火に照らされている日記のページをぺらりとめくった。
どうやらシエスタの祖父は、予想通りシュバルツバルド共和国の首都、ジュノー出身のセージだったようだ。
自身の研究を行なっている中、突然起動した魔法具によってこの世界に訪れた、と書かれている。
その内容はリウスにとって驚きの連続だったのだが、大いに驚かされたのは序盤のページに書かれている内容だった。
シュバルツバルド共和国の首都、ジュノーの心臓部ともいえる、共和国の機密の研究。
巨大な都市であるジュノーをその大地ごと宙に浮かばせ、そのまま宙に『固定』している魔法具の存在。
歴史あるジュノーにおける全ての魔法の研究は・・・、その魔法具、『ユミルの心臓の欠片』によって成されてきたものである、と。
同じように、リウスのいた世界における残り二つの大国、ルーンミッドガッツ王国やアルナベルツ教国にも『ユミルの心臓』が存在しているらしい。
言い伝えや諜報の捜査を分析すると、今ある三つの大国はその『ユミルの心臓』を基に成り立ってきた国々である可能性が高い、と結論付けている。
では、『ユミルの心臓』とは何なのか。
それについての結論は『分からない』とのことだが、彼は仮定としてこう書き連ねていた。
『ユミルの心臓』は、少なくとも人工物である。失われた巨大国家にいたとされる、偉大な魔術師たちによって造られたと伝わっているが、その詳細は不明・・・。
『ユミルの心臓』には膨大な魔法構築式と共に、魔力を自己生成する機構が備わっている。つまり、数多くの呪文が埋め込まれているのと同時に、大気中の魔力を吸い取りながら、自らも莫大な魔力を生み出し続ける永久機関の存在が確認されている。
埋め込まれている呪文はその多くが解明されておらず、『ユミルの心臓』には、神族や悪魔族が使ったとされる魔法すら含まれていると考えられる・・・。
私の研究は実を結びかけていた。かつて悪魔族の一柱、魔王モロクが我々の世界へ侵入してきた時に使われたとされている『次元を突破する魔法』もその一つである。
私がハルケギニアに飛ばされた理由としては、この魔法が作動した可能性が高い・・・。
魔王が侵入してきた際の痕跡を調査できていれば良かったのだが、結局それは果たされないままだ。
共和国の北方、フィゲル地方の外れにあるタナトスタワーにその痕跡が存在すると考えられるが、凶暴な天使たちの妨害があり調査には至っていない・・・。
魔王モロク・・・。その言葉に、リウスはこの世界に来てしまった謎が少しずつ紐解かれていくのを感じていた。
「アッシュ・バキューム・・・」
リウスがこの世界に訪れる直前、当事者であるルーンミッドガッツ王国だけでなく、周辺国全てで大騒ぎになった事件があった。
魔王モロクの復活である。
モロクという街は元々魔王モロクを封じている街だとされていたが、あくまでそれは伝説上の作り話だと一般的に考えられてきた。
しかし何が起きたのか、その魔王モロクが突如として復活し、ルーンミッドガッツ王国における軍事的、経済的支援の土台であるモロクの街を徹底的に破壊し尽くした。
しかもあの悪魔は自身の身体から強大なモンスター達を際限なく生み出し続け、周辺にある広大なソグラト砂漠の環境すら浸食するほどの壊滅的な被害を及ぼしていたのだった。
そういった事態の中、即座に大国同士で協定が組まれ、討伐隊が結成された。
ルーンミッドガッツ騎士団。
プロンテラ大聖堂の聖騎士や聖職者たち。
アサシンギルドやハンターギルドなどの各ギルド構成員。
魔法都市ゲフェンのウィザード達から、シュバルツバルド共和国におけるセージ達も、ブラックスミス達も、アルケミスト達も。
大国の誇る精鋭たちが一堂に会し、魔王モロクの討伐が行なわれたのだ。
結果は、辛勝だった。
数多くの犠牲を出した末に、討伐隊は魔王モロクを打ち破った。
しかし魔王モロクは滅ぼされる寸前に、別の世界へと逃げ込んだ。
そう、あの伝説上の悪魔は正に『次元を突破した』のだ。
そして魔王モロクの残した世界を渡る扉、次元の狭間を辿っていく中で、アッシュ・バキュームという異世界が発見された・・・。
シエスタの祖父の憶測は正しかったということだ。魔王モロクが異世界への扉を開くことが可能なのは確かに事実だった。
シエスタの祖父も、私も、突如としてハルケギニアに飛ばされてきた。
魔王モロクの使用できる魔法が『ユミルの心臓』にも埋め込まれているのであれば、私たちが異世界であるハルケギニアに迷い込んだ理由も説明がつく。
そして、『ユミルの心臓』の魔法を使うには莫大な魔力が必要だと書かれていた。
きっとそれも正しいのだろう。
シエスタの祖父は『ユミルの心臓』が生み出す魔力によって飛ばされてきたのだろうと書いている。
そして、私はたぶん、カトリーヌによる魔法・・・、その強大な魔力によって飛ばされてきたのだ。
リウスはもう一度日記のページをめくった。
序盤のページには重要な情報が次から次に記載されていたが、それ以降はハルケギニアの知識や料理のレシピ、周辺にある街や国の名産品など、メモ書きのような記述がほとんどだった。
そういった内容を斜め読みしている中、リウスは最後辺りにあるページに目を止めた。
この世界に訪れてから七年が経つ。来月の結婚は私にとっての決意に他ならない。私の年齢は決して若いとは言えないにも関わらず、あのササキの娘が好いてくれたことは確かに嬉しく思っている。
しかし・・・、私の行動は明らかな裏切りだ。もはや私に出来ることは、ただ一人残されたあの娘が、健やかに、幸せに生き続けていると信じることだけだ・・・。
もう私はあの世界へ戻ることができない。なぜなら『ユミルの心臓』が手元に無い以上、世界を繋げる扉を開くことは不可能に近いからだ。
ハルケギニアに存在する多くの魔法は、限りない程に私の知る魔法と似通っている。私たちが『ユミルの心臓』の知識を基に開発したガーディアンと、ハルケギニアのメイジが操るゴーレムにすら、あまりにも類似する部分が多いのだ。
これらに繋がりがあることは明白なのだが、その証拠を掴むことなど出来なかった。たとえ、このまま十年二十年と調査を進めていても結果は同じことだろう・・・。
しかし調査の結果は悪いことばかりではなかった。私のいた世界に比べれば、このハルケギニアは比較的安全な世界なのだ。
土地の魔力がモンスターを作り出すことは無い。人同士の争いですら、際限なく湧出するモンスターとの争いに比べれば平和を生み出す可能性が高いだろう。
村の皆も良い人ばかりだ。ササキもこのハルケギニアとは異なる『チキュウ』という世界からやってきたと聞いたが、彼もまた気の良い人物だ。
偶然訪れたこの村に住むことができたことは確かに幸運なことだったと、今では思っている・・・。
かつての世界に戻れるのなら、会いたい人も、謝りたい人も数多くいる。しかしあの子も、彼も、私は死んだものだと思っていることだろう。そうであるなら、私はもう戻るべきではないのかもしれない。
そう考えた時の最後の心残りは、私が持ってきてしまった私物だ。召喚魔法における研究材料をいくつも持ってきてしまっている。その中には非常に危険な魔法具も含まれているのだ・・・。
もしこの記録を読んでいる者がいるのなら、どうか貴方に判断してほしい。私の私物は貴方に譲るつもりだ。ほとんど大したものではないが、この世界においてはそれなりに価値があることだろう。
ただし、一つだけ注意してほしい。貴方が知っているかは分からないが、私物の中には二本の古びた木の枝がある。あれらはモンスターを召喚する呪物だ。
そしてただそれだけなら特に問題もないのだが、その片方には血の契約が行なわれている・・・。
リウスはその文章から目を離すことができなかった。
古木の枝。モンスターを召喚する魔法具であり、破壊によって放出された魔力がモンスターを形作る呪物である。
そして・・・、血の契約が施された古木の枝は、あまりにも危険な存在として知られている。
神族や悪魔族に匹敵する魔力が封じられているという、滅多に見つかることのない、非常に珍しい呪物だった。
決してあの木の枝を破壊してはならない。『血塗られた古木の枝』は危険すぎる。
封じられた魔力がハルケギニアで何を召喚するのかなど、我々には分からないのだから・・・。
「リウス・・・? まだ寝ないの?」
どきりとして、リウスはベッドの方へと振り向いた。
「もう寝るつもりよ。起こしちゃった?」
「ううん、だいじょうぶ」
眠くて仕方がないという様子で、ルイズは横になったままぼんやりと声を出した。
先程の内容に尾を引かれながらも、リウスは日記を閉じてろうそくの火を静かに吹き消す。
もぞもぞと布団に入ると、薄目を開けたルイズが安心したように笑みを浮かべている。
しかし、少し険しい顔で天井を眺めているリウスを見て、ルイズは不思議そうに口を開いた。
「どうしたの?」
嘘は言わない、という約束を思い出して、リウスはころんとルイズへ向き直った。
「・・・明日話すわ。面白い話があったの」
「そう? ならいいわ・・・。私もねむくって・・・」
小さく欠伸をしたルイズは暗闇の中でリウスの表情を見つめる。
そして何を思ったのかにんまり笑うと、もぞもぞとリウスに抱きつくようにして眠り始めた。
幼い頃の光景をふと思い出しながらも、リウスは優しくルイズの頭を撫でる。
「・・・もう、甘えんぼなんだから」
「・・・いいじゃない。久しぶりなんだし・・・」
呆れたようにリウスが言うが、嬉しそうな様子のルイズはそのまま目を閉じる。
しばらくリウスがぼんやり考え事をしていると、ルイズはすうすうと寝息を立て始めていた。
タルブ村に着いて、偶然コルベールと会った時の会話を、リウスは静かに思い返していた。
-偶然なのですが、学院で『竜の羽衣』の伝説を見つけたのですぞ。これが面白いのですぞ? 『竜の羽衣』は日食を通って突如としてこの地に現れた、という言い伝えが残されているのです!
おおよその書物には『風』のマジックアイテムのように書かれていたのですが、気になる点がいくつかありましてな。
コルベールはその伝説を確かめるために、はるばるタルブ村へとやってきたようだった。
実際の『竜の羽衣』を見たコルベールは、しきりに感心したように興奮した顔つきで話しかけてきた。
-いやはや、本当に見たことのない物ですな。これが飛ぶとなると不思議でしょうがないですぞ。
本当ならこれを調査してからリウスくんと話すつもりだったのですが、君も来ているのなら話は早い。偶然とは恐ろしいものですな!
偶然・・・。これは、本当に偶然なのだろうか。
『竜の羽衣』に触れた時、私の持つガンダールヴのルーンが反応していた。
つまり、あれ自体が『武器』だということだ。
偶然あれの正体を知り得たのも、偶然私がルイズに召喚されて、私がガンダールヴのルーンを持っていたからだ。
そして偶然、シエスタの祖父はかつて私のいた世界の住人だった。
『ユミルの心臓』を知っていた彼の情報は、偶然同じ境遇にいる私へと伝えられた。
宝さがしにシエスタを連れてきていなかったとしたら、きっと私はあの日記を読むことが出来なかっただろう。
ルイズがいたトリステイン魔法学院。
そこに偶然私が召喚されて、偶然シエスタがいて、偶然知り合ったからこそ、私は『竜の羽衣』の情報を、『ユミルの心臓』の情報を、そしてこの村に『血塗られた古木の枝』が保管されているのを、知ることが出来たのだ。
ハルケギニアに来た理由だってそうだ。
偶然カトリーヌの魔法をあの時に受けたから、私はハルケギニアに来ることになった。
偶然・・・、私が『ユミルの心臓』を持っていたから・・・。
-運命は、いつも君と共にある。
先日見たあの夢のことは何故かよく覚えていた。
あの金髪の青年。彼は何者なのだろうか。
彼は何故、かつて女神ヴァルキリーに伝えられた言葉を口にしたのだろう。
セージになった後、私のいた世界で信じられている神々の本を読みふけっていた時期がある。
ルーンミッドガッツ王国におけるオーディン信仰・・・、アルナベルツ教国におけるフレイヤ信仰・・・。
シュバルツバルド共和国は科学を主軸に据えた国ではあるが、それでも他の国々と同じ、ただ一つの宗教が中心となっている国家だった。
どの国の書物を読んでいても、女神ヴァルキリーを含む神族たちは『運命』を司る存在なのだと共通して描かれていた。
-『ユミルの心臓』には、神族や悪魔族が使ったとされる魔法すら含まれていると考えられる・・・。
得体の知れない恐怖が、リウスの胸にじわじわと広がっていった。
運命という言葉は大嫌いだった。
そんなもので今までのことが片付けられるのなんて、許したくはなかった。
しかし頭の片隅では・・・、私は確かに運命の存在を信じ、それに強く恐怖していたのだ。
そんなものが存在するのであれば、私はいつまでも、何を想ったとしても、繰り返し続けるのではないか・・・。
早くなる動悸を抑えようとしている中、ふとリウスは自分の胸の前で丸くなっているルイズを一瞥した。
もう、繰り返さない。繰り返す訳にはいかない。
「・・・運命が、存在するのなら」
そのまま、リウスはそっと目を閉じた。
今目の前にある暖かさを確かに感じながら、そのかけがえのない存在へと思いを巡らせる。
「・・・これからも降りかかってくるのなら、私はいくらでも抗ってやる・・・」
リウスは小さく呟くと、かつての自分がそうしたように、もう一度静かな決意を頭の中へと刻み付けていくのだった。