Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
学院長室に、柔らかい日の光が差し込んでいる。窓を開けてはまだ寒いのだが、この陽気な陽射しは暖かくて心地が良い。
オールド・オスマンはパイプに火を付けると、手に持っている古ぼけた本を丁寧に見つめていた。
王宮から届けられたこの本はかつて美しい革の装丁がなされていたようだが、今や触っただけで破れてしまいそうなボロボロの表紙となってしまっている。
同じように、そっと開いた羊皮紙のページはすっかり色あせてしまっていた。
「・・・ほう、これはこれは」
オスマンはページをゆっくりとめくっていく。
「これが、トリステイン王室に伝わる『始祖の祈祷書』か」
『始祖の祈祷書』は、六千年前、始祖ブリミルが祈りをささげた際に詠み上げた呪文が記されていると伝わっている。
オスマンは三百ページほどにもなる『始祖の祈祷書』をぺらぺらとめくっていくが、どこまでめくってもページは真っ白のままだった。
「紛い物じゃないのかの?」
オスマンは胡散臭げにその本を眺めた。
この手の『伝説』に偽物が多いのは当たり前ではあるのだが、この本には呪文のルーンどころか文字一つとして書かれてはいない。
オスマンは今までにも『始祖の祈祷書』を見たことがあった。というのも、一冊しかないはずの『始祖の祈祷書』には所有者が山程いるからである。
金持ちの貴族、寺院の司祭、各国の王室・・・、いずれも自分の所有する『始祖の祈祷書』が本物だと主張している。
それらを全てかき集めれば図書館が出来るとまで言われているくらいだ。
「流石にこれが国宝だとは、誰も思わんじゃろうなあ」
過去に見たことのある幾冊もの『始祖の祈祷書』にはルーン文字がびっしりと記されており、偽物であろうが祈祷書の体裁を整えていた。
しかし、全て白紙というものは見たことがない。
いくらなんでもこれでは、詐欺みたいなものではないか。
その時、ノックの音がした。
秘書を雇わなければならぬな、と少しばかり溜め息を吐きながら、オスマンは訪問者へ来室を促した。
「鍵はかかっておらぬよ。入ってきなさい」
扉が開いて、一人のスレンダーな少女が入ってきた。
濃い桃色の髪をなびかせながら、おずおずといった具合に鳶色の瞳をオスマンに向けている。ルイズだった。
「私をお呼びと聞いたものですから・・・」
緊張した様子のルイズにオスマンはにっこりと笑いながら出迎えた。
「おお、ミス・ヴァリエール。先日の旅の疲れは癒えたかね?」
オスマンはルイズに着席を促しながら続けた。
「思い返すだけで辛かろう。じゃが君らの活躍で、無事王女とゲルマニア皇帝の結婚式が正式に決定した。これで同盟は締結されるじゃろう。君らのおかげで、トリステインの危機は去ったのじゃ。改めて礼を言わせて欲しい」
オスマンは優しい表情のまま、ルイズに皺だらけの笑顔を向けた。
「そして、王族の結婚式の際には貴族より選ばれた巫女を用意さねばならんのじゃ。トリステイン王室の伝統での。この『始祖の祈祷書』を手に、式の詔を詠み上げることが習わしとなっておる」
そう言ってオスマンが手に持った本をルイズに見せる。
『始祖の祈祷書』、王室に眠る国宝だったはずだ。ルイズは緊張した気持ちをますます強くさせてしまう。
「姫はの、その巫女に、そなたを指名したのじゃ」
「姫さまが?」
「その通り。巫女は『始祖の祈祷書』を式の前より肌身離さず持ち歩き、詠み上げる詔を考えねばならぬ」
しばらくきょとんとしていたルイズは、ようやく言われた言葉を理解した。
「ええ!? 私が考えるのですか!?」
緊張した気持ちはどこかに飛んでいってしまっていた。
目を丸くしているルイズに、オスマンは困ったような顔で自身の髭を撫でている。
「伝統というのは面倒なものではある。もちろん、草案は宮中の連中が考えるのじゃろうが・・・。
だがの、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ。これは大変名誉なことなのじゃぞ? 王族の式に立ち会い、詔を詠み上げるのなぞ、一生に一度あるかないかなのじゃからな」
そう言うオスマンの口調には少し焦りが見えていた。しかしルイズには動揺こそあるものの、断る気など全く無かった。
あの姫さまの結婚式。
たぶん、姫さまの望んでいない結婚式・・・。
あの大切な友人が自分に来て欲しいと言ってくれるなら、断ることはありえなかった。
でも詔を自分で考えるのはどうも・・・、と思いながらも、ルイズはさっと顔を上げた。
「わかりました。謹んで拝命いたします」
ルイズはオスマンの手から『始祖の祈祷書』を受け取る。
オスマンはにこやかに笑いながらほっとした表情を浮かべていた。
「快く引き受けてくれるか。よかったよかった。姫も喜んでくれるじゃろうて」
魔法学院から少し離れた森の中、ひとり長剣を手に素振りをしている人影があった。
「今度はどう? デルフ」
「うーん、速くはなってきてるんじゃねーか? まあ、ニューカッスル城のときに比べりゃまだまだだけどな」
その人影、リウスはデルフリンガーの言葉にしばらく考え込んだ。そして目の前へ向けてイメージを広げていく。
目の前には、かつて戦ったことのあるモンスター達、背後にはルイズや学院で知り合った人たちの姿をイメージする。
守ること。
それを強く頭に刷り込ませると、徐々に左手のルーンが輝きを増していった。
どん、と大地を蹴る音が鳴り響く。
かつて戦ったことのあるモンスターの動きを想定して、それを切り崩すようにデルフリンガーをよどみなく操る。防御されることや避けられることをイメージしながら、魔法や斬撃を駆使して戦っていく。
不意に、目の前へ誰か、長身の男がイメージされそうになった。
羽帽子を被った長身の男。半身になりながら、隙も無くレイピアのような武器を構えている。
リウスは一瞬身を強張らせたが、ふっと力を抜くとデルフリンガーを肩に抱えた。
目の前のイメージは崩れ、目に映るのはざわざわと風の音を鳴らしている森の風景だけである。
「どうした? 相棒」
「うん、休憩しようかなって」
今回リウスが森の中に訪れていたのは、デルフリンガーが語る『ガンダールヴの力』を検証するためだった。
ガンダールヴは感情の強さによってその力を左右される。
そうしたデルフリンガーの言葉は正しかったようで、確かに感情が高ぶれば高ぶる程、リウスは自分の身が軽くなっていくのを実感できていた。
憎しみを目の前のイメージにぶつければ更に大きな力となるかもしれない。それをリウスは薄々勘付いていたが、今は憎しみよりも、守ることを強くイメージするようにしていた。
ニューカッスル城の時のように我を忘れてしまったら元も子もないためである。
散々動き回っていたためいつもよりも入念に身体を伸ばしておく。
デルフリンガーは上機嫌なもので、素振りといえども使ってもらえることが嬉しかったようだ。
柔軟を続けながら、そんなデルフリンガーにリウスは一つ質問をする。
「デルフ、ニューカッスル城の時のことなんだけど。私の魔力を吸い取ってたって言ってたじゃない?」
「あー、そうだな。俺っちに相棒の精神力がガンガン流れ込んできてなあ。なんかよく分からねえけど、ガンダールヴのルーンがそれにすげえ反応してたぜ」
あっけらかんと言うデルフリンガーに、リウスは怪訝な表情を浮かべていた。
先程の素振りで自身の魔力の流れを確認していたのだが、そんなことが起きているような気配は無かったのだ。
「さっき、同じこと起きてた?」
「いんや、起きてねえんじゃねえかな」
「そうよね。何でかしら」
「何でだろうなあ。分かんね」
デルフリンガーは素っ気なく呟いた。
柔軟を終えたリウスはほんのり浮かんでいた汗を平民が使うようなタオルで拭きながら、デルフリンガーへと目を向ける。
「私は覚えてないことなんだから、デルフだけが頼りなんだけど」
「んなこと言われても分からねえっての、ガンダールヴの力が弱いからじゃねえか?
ちなみにあん時、相棒の魔法は吸い取ってなかったぜ。精神力だけだ」
「うーん、他に気付いたことは?」
「そうだなあ・・・」
あれやこれや呟きながらうんうん唸っているが、考え込みながらもデルフリンガーは何も話そうとはしない。
「まあいいわ。気付いたことがあったら教えてね。ありがと、デルフ」
リウスが礼を言ってデルフリンガーから視線を外す。すると、デルフリンガーは「うーん」と唸りながらも声を出した。
「いや、いいんだけどよ・・・。あんまり、ニューカッスル城のあの状態にはならない方がいいって思うんだよなあ」
「どうして?」
きょとんとして、リウスはデルフリンガーを見る。
ガンダールヴの本当の力とやらを任意に引き出せるのなら、引き出せるようにした方が良いに決まっているのだが。
「いや、何だろうな・・・。嫌な予感ってーのか、何て言えばいいかな・・・」
デルフリンガーは言葉を濁したように呟いている。
その様子を眺めていたリウスはデルフリンガーの横に座り込んだ。
「気になったことがあるなら教えて欲しいわ。あと、思ったことをそのまま言ってくれた方がいい」
「うーん・・・」
デルフリンガーには珍しく、しばらく黙り込んだ後、神妙な口調で話し始めた。
「まあ、何となく、って感じなんだが・・・。あの時のことを正直に言うとな、ガンダールヴのルーンが俺っちを使って、無理やり相棒の身体を動かしてた感じだったんだよ」
その発言にリウスはびっくりしていた。
デルフリンガーは、使い手の身体を乗っ取れるとでもいうのだろうか。
「デルフってそういう力があるの? それともガンダールヴのルーンの方かしら」
「分っかんねえよ。どちらかと言えば、俺っちの力なのかもしれねえ。そういうのも思い出せりゃいいんだけどよ」
デルフリンガーの発言はあまり要領の得ないものだったが、とりあえずリウスは相槌を打って続きを促した。
「それでな、相棒の精神力を吸い取ってた時なんだけどよ。言ってることが変なのは分かるんだが、なんつーか・・・。そん時にな、相棒の命も吸い取っちまってる気がしたんだわ」
リウスは首を傾げた。
「吸ってたのは魔力でしょ?」
「いや、そうなんだけどな。相棒が覚えててくれてりゃよかったんだが・・・」
デルフリンガーは言葉を選びつつ、静かな声で問いかける。
「相棒よ。あんとき、自分の生命力を精神力に変えてなかったか?」
リウスは不思議そうな顔で、デルフリンガーの言葉を反芻していた。
生命力を、魔力に変換する?
そんなことが、可能なんだろうか。
「分からないわ。私はそんなこと出来ないし、聞いたこともない」
「まあ、それならいいんだけどよ。あれは危ねえってことだけ覚えといてくれよ」
なにやら深刻そうな声でデルフリンガーが告げる。
「オッケー、危ないってことは覚えておく。それを使うか使わないかは場合によるけど」
「使わねえ方がいいっての。やめてくれよ、使い手を殺す伝説の剣なんざ願い下げだぜ」
「分かんないでしょ、その時になんなきゃ」
未だ嫌そうにぶつくさ言っているデルフリンガーと話している中、リウスの横の地面がもこもこと盛り上がった。
ぱっとその場所を見ると、盛り上がった土の中から細長い髭の伸びた鼻が覗いている。
のそりと穴から出てきたのは、巨大なモグラだった。
「なんだ、おでれえた。ジャイアントモールじゃねえか」
巨大モグラはちらりとリウスの顔を見るも、ふんふんと鼻をひくつかせながらリウスの荷物袋へと近付いていく。
「こらこら、ダメよ。ヴェルダンデ、何でここにいるの?」
その巨大なモグラは、ギーシュの使い魔、ヴェルダンデだった。
リウスに頭を撫でられながら、しきりにリウスの荷物袋に鼻を押し付けている。
もぐもぐ言いながら荷物袋へまとわりついているヴェルダンテへ、リウスは合点がいったように笑いかけた。
リウスは荷物袋をがさごそと漁ると、その中にある小さな皮袋を取り出す。
「これ?」
もぐもぐ言いつつ、ヴェルダンテが目を輝かせている。
その小さな袋から取り出したのは真紅の宝石だった。リウスが以前いた世界の冒険で手に入れた大きめのルビーである。
宝石に目が無い、とギーシュが言っていたことをリウスは思い出していた。
ヴェルダンデの前に宝石を置いてあげると、ヴェルダンデは目を輝かせながら、短い両手で宝石を持ったり、鼻を押し当てたりとずいぶん嬉しそうだ。
リウスはヴェルダンデの頭を一撫でしてから、平たい石に立てかけられたデルフリンガーをちらりと見る。
デルフリンガーとの会話は正直気になっていたが、これ以上は分かりようもない。
また今後、素振りをしながら確認してみようと考えながら、リウスは荷物袋の中から別の小さな皮袋を取り出した。
その皮袋を開き、ふと藍色の球体を見つめる。
これは、カトリーヌの複製された魂だ。そう気付いたとしても、今はこの球体をどうするべきなのか全く見当もつかない。
目を細めたリウスは思惑に耽ってしまいそうな自分に気付いて軽く首を振った。
今はそのことよりも、こちらを調査しなければならないのだ。
小袋の中から、ガラス管に入った、手の平ほどの石を取り出した。
ユミルの心臓の欠片。その名前から連想するのは、学院の宝物庫に眠る『繋がりの秘宝』・・・、リウスのいた世界、ミッドガルドで見たことのある『ユミルの書』のことだった。
カトリーヌの魔力によって、この『ユミルの心臓』が作動した。だとするとこの『ユミルの心臓』は、魔法具・・・、ハルケギニアで言うところのマジックアイテムである可能性が高い。
しかしガラス管に入った石からは魔力を感じることができなかった。
『繋がりの秘宝』においても同じで、フーケ騒動の時に目にした『繋がりの秘宝』からも魔力なんて感じることはできなかったのだ。
「デルフ。この石を見て何か感じることとか、気付くところはない?」
「うーん・・・、別に何にも感じねえやな」
未だ嬉しそうにもぐもぐ言っているヴェルダンデの背中を撫でてから、リウスは胡坐をかいて魔力分析に集中する姿勢を取った。
もう錆が無くなったからだろう、横目に映ったデルフリンガーは尋常でない魔力を放っている。
通常、魔法具であるなら何かしらの魔力を放っているはずだ。デルフリンガー程の魔力ではないにしろ、リウスが持っているバゼラルドやカウンターダガーも刀身全体に強い魔力を帯びている。
だからこそ、他では持ち得ない力を宿しているのであるが・・・。
リウスは目を細めて、しばらくの間ガラス管の石をじっと見つめていた。
やはり、魔力は感じない。しかし何となく違和感がある。
そのままリウスは、石の欠片の魔力を探り続けていく。
(・・・魔力を放っては、いないけど・・・。これは・・・どこかで・・・)
しばらくしてようやく、かすかな魔力の痕跡があることにリウスは気が付いた。
疑問に思って入念に探らなければ気付くことができないほど、ほのかに漂っている魔力。
「それってよ、相棒がこの世界に来た時に持ってた石ってやつか?」
「そうよ・・・。調査しとかなくちゃいけないから・・・」
デルフリンガーの言葉に気の無い声で答える。
この魔力の痕跡には、どことなく見覚えがあった。しかし、一体どこで・・・。
「ふっつうの石に見えるけどなあ。ま、俺っちもボロ剣だのなんだのって言われてたからな。実は伝説の小石でした、ってのもありえねえ話じゃねえわな」
「ちょっとー・・・。静かにしててよ、デルフ・・・」
『ユミルの心臓』に魔法を撃ちこんでみてもいいが、何がきっかけで作動するのか分からない。
この世界にいることを決めた以上、思い付きで魔法など使っては危険すぎるのだ。
じいっと石の欠片を見つめ続ける。
やはり、ほんのかすかな魔力の痕跡があるのだが・・・。自分がどこでこの痕跡に似たものを見たのか、思い出すことはできない。
「そうだ、相棒の魔法でも撃ってみりゃいいんじゃねえか?」
「ダメよ・・・。作動するかもしれないでしょ・・・」
作動する。そう、魔法具なら魔力で作動するのだ。
魔力の痕跡があるということ、カトリーヌの魔力で作動したこと。それらは疑いようのない事実である。
しばらく静かな時間が過ぎる。
ふと、リウスは記憶の中に、これと似たものを見た時のことを思い出した。
あれはジュノーの研究室だった気がする。いや、ゲフェンでも見たことが・・・。
(・・・有り得ない。有り得ないけど、確かに似てる)
リウスは勘というよりも確信めいたものを感じていた。
確かに、これと似た物を見たことがある。
リウスのいた世界。
そこでは一般的に使われている、冒険者にとって大して珍しくもないもの。
魔力を解き放ち、使用した後は、ただ捨てられるだけのもの。
「・・・スクロール?」
「こら、ヴェルダンデ! 何をやってるんだい!」
「あ、やーっと見つけた!」
ぱっと目の前の茂みを見ると、がさがさと茂みをかき分けて学生の一団が姿を現わした。
ギーシュを先頭に、ルイズやキュルケ、タバサが近付いてくる。
「あれ、どうしたの?」
「僕はヴェルダンデを探してて。ほらヴェルダンデ、早くその宝石を返し・・・。わっ、こら! ヴェルダンデ! 抵抗するんじゃないよ! まったく可愛いな君ってやつは!」
「リウスを探してたに決まってるでしょ? まったく、なんでこんな森の中に・・・」
「私もリウスを探してたのよ、タバサから森にいるかもって聞いて。あのね、とっても面白い話があるんだけど・・・」
わいわいと話している一団を前に、リウスは驚いた顔をしながらルイズが抱えていた物へと視線を向けていた。
ルイズの抱えている古びた本。
その本からは、自分の手の中にある石の欠片と同じような、ほのかな魔力の痕跡が漂っていたのだった。