Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
かつて名城と謳われていたニューカッスル城は、まさに惨状の様相を呈していた。
そこら中に瓦礫の山がうず高く積み上げられ、その中には焼け焦げた死体がちらほらと転がっている。
目を背けたくなるような惨劇の場において、豪快に笑い合う傭兵の一団がうろついていた。
どうやら貴族の居室や死体から装飾品や魔法の杖でも見つけたのだろう。
かつての仲間の死体を跨ぎながら立ち去っていくその一団に、フードを被った女性が軽く舌打ちをした。
「どうした、土くれ。貴様もあの連中のように、宝石を漁らないのか?」
フードをすっぽりと被った緑髪の女性、土くれのフーケに対して、長身の貴族が声を掛けてくる。
アルビオンでは珍しい、トリステインの魔法衛士隊の制服を着たその貴族は、ワルドだった。
右腕は真白い包帯に包まれており、その制服の左腕は、力無くひらひらと風に揺らめいていた。
「私をあんな連中と一緒にしないで欲しいわね」
ワルドの左腕をちらりと見てから、フーケは肩をすくめた。
「私はね、大切なお宝を盗まれて、あたふたする貴族を見るのが好きだったのよ。こいつらは・・・」
フーケは王軍のメイジだった死体を横目で眺めた。
「もう、慌てることもできないわね」
「アルビオン王党派は貴様の仇だったのだろう? 王家の名の下に、貴様の家名は辱められたのではなかったのか?」
フーケはメイジの死体を眺めながら、いたって無感情な顔で頷いた。
「そうね。そうだったんだけどね。なんというか・・・」
馬鹿馬鹿しい、とフーケは胸の内で続けた。
ここに来るまでは、フーケは多分自分は喜ぶのだろうと考えていた。
しかしいざ壊滅した王軍の死体を見ても、何ひとつとして感情が浮かんでくることはなかった。
喜びも、激情も、何ひとつ。
フーケにとってそれは意外だったが、頭の隅では予感していたかのように納得している自分がいた。
実際に王族と会えば・・・、例えば自分の仇であったジェームズ一世と会えば、きっと何かの感情は浮かんできたのだろう。
文句の一つでも言ってから、ゴーレムで押し潰していたかもしれない。
しかし、さっき見たジェームズ一世は人とは分からない程の悲惨な消し炭になっていた。
別に私は、物言わぬ死体と会いたかった訳ではないのだ。
「あんたも、随分と苦戦したみたいね」
ワルドが負った左腕の傷はあまりにも深すぎたため、切断するより他が無かったのだった。
しかし当のワルドは調子を変えずに答える。
「左腕を残せなかったのは残念だが、まあ仕方あるまい。ウェールズと左腕一本なら、安い取引だったということだろうさ」
「まったく大したもんだ、風のスクウェアにまで手傷と負わせるなんて・・・。流石『ガンダールヴ』といったところかしら」
「油断はしていなかったんだがな。貴様が危険だと言っていたのは、よく理解できた」
「あらら。かの魔法衛士隊隊長サマが、随分と殊勝なもんだね」
「ただ単に危険な敵として認めているだけだ。こうなった今でも、奴に恨みなどはない」
そうかい、とフーケは短く答えた。
ワルドが戦ったという礼拝堂に入ると、そこは他の場所以上に荒れ果てた瓦礫の山になっていた。
ほとんどの床石が砕け散り、壁や天井が艦の砲撃によってボロボロに崩れ落ちている。
「・・・こりゃあ流石に生きちゃいないね」
「・・・ああ、そうだな。ここでメイジに苦戦したという情報は入ってきていないが、奴は既にほとんどの力を出し切っていたはずだ。たぶん、そこいらの名も無き傭兵にでもやられたのだろう。
それよりも、ウェールズだ」
フーケは簡易な人型ゴーレムを出しつつ、ワルドの後を続いていく。
ワルドが短く呪文を唱えると、小さな竜巻が現れ、辺りの瓦礫を吹き飛ばしていった。
そして徐々に床が見えてくるとワルドは魔法を掻き消した。
始祖ブリミルの像と椅子の間に、ウェールズの亡骸があった。どうやら偶然できた隙間によって亡骸は潰れていなかったようだ。
フーケは生前のウェールズを目にしたことがあった。
しかし別段何の感慨もない顔で、その亡骸を見下ろしている。
「潰されないなんて、ウェールズ様も運が良いもんだね。ついでに、あの二人も探してみる?」
「好きにしろ」
「ちょっと。私にだけやらせるつもり?」
「・・・仕方がないな。手を貸してやる」
溜め息を吐いたワルドを、フーケはちらりと盗み見た。
どうやら少しは気になっているようだ。
石で出来たガーゴイルのように無感情な男だと思っていたが、どうやらそんな訳でもないらしい。
先程と同じように小型の竜巻が瓦礫を吹き飛ばしていく。フーケはそことは別の場所をゴーレムに捜索させていた。
しかししばらく探しても、ルイズとリウスの死体は一向に現れない。
「ほんとに、ここで死んだわけ?」
「そのはずだが・・・」
そうしている中、フーケのゴーレムがどかした瓦礫の下から見たことのある絵画が見えてきた。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『始祖ブリミルの光臨』である。
なんだ複製か、と呟きながらその絵画を引っくり返すと、そこには一メイルほどの穴がぽっかりと口を開けていた。
「ねえ。この穴、なにかしら」
ワルドは怪訝な表情を浮かべながら、しゃがみこんでその穴を覗き込んだ。
穴の奥から吹いた冷たい風がワルドの頬を撫でる。
おそらく、外へと繋がっているのだろう。
「逃げたって訳ね」
肩をすくめたフーケの言葉に、ワルドはもう一度深い溜め息を吐いた。
「そのようだな。流石は『ガンダールヴ』といったところか」
「あら、あんまり驚いてないのね」
「奴は得体が知れない。どうやったかは分からぬが、こんなところで死を選ぶようには見えなかった。まあ、いずれまた会いまみえることもあるだろうな」
フーケは落ち着いた様子のワルドに首を傾げた。
左腕を失った原因だと言うのに、ちっとも悔しそうな様子ではない。ガンダールヴに恨みはない、と言っていたのも、もしかしたら本心から言っていたのかもしれない。
そんな二人に、礼拝堂の入り口から声がかけられた。
この場にそぐわない、よく澄んだ、快活な声。
「子爵! ワルド君! ウェールズ皇太子の死体は見つかったかね?」
ワルドは振り向いて、あらわれた男に答えた。
その男は、年にして三十代の半ば、丸い球帽を被っていた。
一見すると聖職者のようにも見えるが、その恰好は軍人のようである。
高い鷲鼻に、理知的な色を湛えた碧眼がきらりと光った。
「閣下。そこに見つけてございます」
ワルドは深々と一礼をした。閣下といわれたその男は、にかっと人懐こそうな笑みを浮かべている。
「そうか! 流石だ、子爵! きみは目覚ましい働きをしてくれたよ。かの皇太子を打ち取っていなければ、我が同胞たちは更なる苦戦を強いられていただろうからな!」
ワルドはもう一度頭を垂れた。
実際、ニューカッスル城の戦いでは想像もしていなかった被害を被っていた。
三百の王軍に対し、損害は二千。負傷者も加えれば、四千を超えていた。
それと引き換えに三百の王軍は文字通り全滅したが、死傷者の数でいえばどちらが勝ったのかも分からない程である。
「しかし件の手紙を手に入れることは叶いませんでした。申し訳ございませぬ。いかほどにも罰をお与えください」
ワルドは低頭しながら地面に膝をついた。
しかし閣下と呼ばれた男は気にしていないようにワルドの肩を叩いた。
「何を言うか子爵! 報告は受けたが、どうにも出来なかったのは分かっている! あの賢きマザリーニ枢機卿殿の謀略があったのだからな!」
その男はウェールズの亡骸に顔を向けた。
「実際のところ、同盟阻止よりもウェールズを確実に仕留めることの方が重要だったのだ。誇りたまえ、子爵! 君が倒したのだから!」
そしてウェールズの亡骸に近付いた男は、にこやかな表情のままで続けた。
「しかし、不思議なものだ。彼は随分と私の事を嫌っていたが・・・、こうしていると奇妙な友情すら感じてしまう。死んでしまえば誰もがともだちだ・・・。
ワルド君、彼も私の友人に加えたいのだが、異論はあるかね?」
ワルドは首を振った。
「閣下の決定に異議が挟めようはずもございません」
「では、ミス・サウスゴータ。君に始祖より授かった、『虚無』の魔法をお見せしよう」
フーケはぴくりと眉をひそめた。
こいつだ、こいつがワルドに私の名前を教えたのだ。
しかも噂に聞いた、伝説上の『虚無』の魔法を操るメイジ。
つまり、この男こそが『レコン・キスタ』の総司令官だ。
腰に差した杖を引き抜いた男は、短い、小さな詠唱を行なっていく。
それはフーケが今まで聞いたことのない詠唱だった。
そして詠唱が終わり、男は優しくウェールズの死体に杖を振り下ろした。
フーケはぎょっと目を見開いた。
冷たい躯だったはずのウェールズの瞳がぱちりと開いたのだ。
そしてみるみるうちに、青白い顔へ生前のような瑞々しい生気が満ちていく。
「おはよう、皇太子」
むくりと起き上がったウェールズは、男に微笑みを返した。
「久しぶりだね、大司教」
「失礼ながら、今では皇帝なのだ。親愛なる皇太子殿」
「そうだった。これは失礼した。閣下」
ウェールズは何の躊躇も無く膝をついて、男に臣下の礼を取った。
その様子に、フーケは顔を青ざめさせたまま固まっている。
「きみを余の親衛隊の一人に加えようと思うのだが。ウェールズ君」
「喜んで」
「なら、友人たちに引き合わせてあげよう。ああ、そうだった。その前に」
男はフーケへと振り向いた。ウェールズの瞳もフーケを向く。
その瞳は、フーケの記憶の中のウェールズと何ひとつ変わっていなかった。
「ミス・サウスゴータ。余は『レコン・キスタ』総司令官を務めさせていただいておる、オリヴァー・クロムウェルだ。元はこの通り、一介の司教に過ぎぬ。しかしながら、貴族議会の投票により総司令官を任じられたからには、微力を尽くさなければならぬ。
ああ、聖職の身でありながら、『余』などという言葉を使うのは許してくれたまえよ?」
ワルドがクロムウェルの言葉を引き継いだ。
「閣下はすでに、ただの総司令官ではございません。今ではアルビオンの・・・」
「皇帝だ、子爵」
クロムウェルはにやりと笑った。
「ミス・サウスゴータ。君とウェールズ君、アルビオン王家との確執は知っているが・・・。まあ、今は我慢してくれたまえ。事が済めば、ウェールズ君は君に引き渡しても構わない。存分に恨みを晴らすといい」
にかりと笑ったクロムウェルを、フーケは呆然とした顔で見つめていた。
それと同時に、今までに無い程の怒りが胸の内に沸き立ってくるのを感じていた。
しかしそんなフーケの感情も知らず、クロムウェルはワルドへと顔を向けた。
「ワルド君、安心したまえ。確かにゲルマニアとトリステインの同盟は面倒なものだが、どちらにせよトリステインは裸だ。余の計画に変更はない」
ワルドは短く会釈をした。
「トリステインは、なんとしてでも余の版図に加えなければならぬ。あの王室には『始祖の祈祷書』が眠っているからな。
あと・・・、何と言ったか・・・。そう! 『繋がりの秘宝』だ。あれも聖地に赴く際には、是非とも携えておかなければな」
その見知った単語に、フーケは震える声のまま口を開いた。
「もしかして・・・あなたが私に依頼を・・・?」
「それに関しては何とも言えないな。ミス・サウスゴータ」
そう言ってにかりと満足げに笑うと、クロムウェルはウェールズと共に立ち去って行った。
クロムウェルとウェールズが礼拝堂から出ていった後、フーケはやっとの思いで口を開いた。
「あれが・・・虚無・・・? 死者が、蘇った。そんな馬鹿な」
青ざめているフーケをちらりと見てから、ワルドが呟いた。
「虚無は命を操る系統・・・。閣下が言うには、そういうことらしい。伝承の一つとして知ってはいたが、目の当たりにすると信じざるを得まいな」
なんと悍ましい魔法だろうか。
フーケは吐き気を覚える程に、その魔法を使ったクロムウェルを嫌悪していた。
そして奴は、ウェールズを蘇らせ、『恨みを晴らせばいい』などと言い放った。
フーケは、まるで今までの自分の全てを侮辱されたかのような感覚を覚えていた。
「・・・あまたの命が聖地に光臨せし始祖によって与えられたとされている。あの『虚無』の魔法を見ていると、あながち妄言とも言えないだろう。
・・・そして、貴様が言っていた、イグドラシルだ」
フーケはハッとして、ワルドを見た。
「俺には、これが偶然だとは思えない。俺はそれを確かめたいのだ。そしてその答えはきっと聖地にあると、俺はそう思っているのだよ」