Double Servant -Poetry of Brimir-   作:ねずみ一家

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第三十九話 失われた記憶

 

耳の奥で、何か聞き慣れない音が聞こえている。

固い紙を擦っているようなザリザリとした音、そしてパチパチと何かが弾けるような音。

 

まるで自分の身体が空気になってしまったかのように、身体は不確かな感覚に包まれている。

ただ聞き慣れない、耳障りで、一定のリズムを持った音が聞こえてくる。

自分の頭がどこにあるのかさえも分からなくなっているのに、頭の奥がひどく痛んでいる気がする。

 

 飛行船からの悠然な風景。

 焦り、後悔、怒り・・・、様々な感情を感じながら、懐かしいリヒタルゼンの街並みを歩いていく。

 小綺麗な宿屋の一室で、驚愕の表情を浮かべている栗色髪の女性。

 赤髪の屈強な青年がにこやかに笑い、線の細い少年が悪戯そうにくつくつと笑っている。

 酔いで顔の赤くした栗色髪の女性が、赤髪の青年と仲良さそうにお喋りをしている。

 少年は甘ったるそうなパフェを目の前に満足げな様子だ。

 薄暗い建物の中、不思議な装置と牢屋の立ち並ぶ通路を歩いていく。

 血の気の失せた少年や少女と戦っている。彼らの表情は虚ろで何の感情をも持ってはいない。

 薄暗く、粉々に砕かれた鉄くずだらけの広場を歩いていく。

 行きついた通路の奥には、白衣の死体が転がっている。

 

濁流のように見覚えのない光景が繰り返されていく。

 

この人達は誰なのか・・・。この場所はどこなのか・・・。

 

いくら考えようとしても自分の思考は霧のようにおぼろげで、まとまりがつかなくなっている。

ただひたすらに、訳も分からずに、目の前で様々な光景が映し出されていく。

 

そうした中、薄暗がりに立つ少女の姿が目の前に映された。

その周りの暗がりにはその少女を守るかのように、幾人もの人間たちが静かに立っている。

 

薄暗がりの少女やその人々は全員真っ赤な目をしていて、暗闇の中でも光り輝いているように見えた。

 

(そうだ・・・。この光景は・・・)

 

おぼろげな思考のまま、リウスは気が付いた。

この光景は、あの時のことだ。

 

(何で・・・、私は・・・)

 

そして、少女の目の前で突然青白い光が発生した。

そしてそれは自分の目前を覆いつくして・・・。

 

 

 

 

 

 

「リウスさん、リウスさん」

 

身体を揺すられていることに気付いたリウスは、はっとして勢いよく体を起こした。

近くにいた薄い栗色髪の女性が小さく驚きの声を上げる。

 

短く息が切れていたが、どうやらいつの間にか寝ていたようだ。体中が汗にまみれていて気持ち悪い。

 

「だ、大丈夫ですか? 昨日のことでお疲れだとは思うのですが、なにやらうなされていたみたいだったので・・・。お水、いりますか?」

 

リウスは心配そうな顔の女性をちらっと見て、窓から差し込む日の光に目を細める。

もう昼すらもとっくに回っているようだった。

 

「・・・ああ、アンジェリカさん。ありがと、もらうわ」

 

アンジェリカというこの女性はルーンミッドガッツ王国の上級聖職者、つまりルーンミッドガッツ大聖堂から派遣されたプリーストだった。

彼女は水をゆっくり飲み干したリウスの肩へ優しく手を置くと、短くヒールの呪文を唱えた。

リウスの体がほのかな治癒の光に包まれ、疲れた身体が少し楽になっていくのを感じる。

 

「あまり無理をしないでください。焦る気持ちは分かりますけど・・・。昨日と比べて、体調はいかがですか?」

「ありがとう。大丈夫よ、もう平気みたいだわ」

 

リウスが小さく言葉を返すと、なおもアンジェリカは心配そうな顔をしながらリウスの顔を見つめている。

 

 ザザザッ、と何かが擦れたような音がした気がした。

 

「お疲れだとは思うのですが・・・。リウスさん、落ち着いたら下に来てください。貴方のおかげです。ようやくですよ、二日後の深夜に潜入です。クレイグから詳しく説明があると思います」

 

 

 

 

 ザザッ、という音と共に、場面が変わった。

 

 

 

 

「お、来たね。昨日はお疲れさま」

「寝ぼすけ、とは言えないな。リウスさん、傷の具合はどうです?」

 

一階の部屋にリウスとアンジェリカが入ると、そこには椅子に座った赤髪の屈強な青年と、弓矢の手入れをしている淡黄色の髪を湛えた少年、そして見慣れない小奇麗な黒い服を着た中年の男性がいた。

 

「じゃあこの件をルーンミッドガッツ国王とシュバルツバルド大統領の双方に報告してくれ」

「承知しました。それでは皆様もお気をつけて」

 

中年の男性はそう言って軽く会釈をすると、そそくさと部屋から立ち去っていく。

 

「これで一旦の報告は済んだ。ルーンミッドガッツ上層部にも伝えられることだろう」

 

赤髪の青年、クレイグがリウスに向けて満足げに告げた。

落ち着いた風貌とがっしりした体格をした彼はルーンミッドガッツ騎士団の上級騎士であり、この一団のリーダーでもあった。

部屋の隅には彼の私物である重厚な鎧、そして身の丈ほどもある鞘に収まった大剣が置かれている。

 

「リウスくん、君のおかげだ。スラム街の下水パイプは確かにレッケンベル社の地下にあるレゲンシュルム研究所に繋がっているようだ。先ほどの報告役の部下が確認したらしい」

「いえ、皆の事前調査があってこそよ」

「流石っすよ、リウスさん。やっとこれで次に動けるなぁ。いやあ長かった。フェイヨンの森が懐かしいです、まったく」

 

弓矢の手入れを進めている少年、セシリアが欠伸をしながらぼやいた。

 

線の細い整った顔立ちと女性の名前ではあるが、彼はれっきとした男性である。

それほど屈強そうには見えないし、背も高くなくて甘い物好きなのだが、アンジェリカから聞いた話によるとハンターギルド内でも有数の弓の腕前とのこと。

一見子供のような見た目でありながら、その実リウスよりも経験豊かな年上であるのだった。

 

セシリアのぼやきを聞いたクレイグが豪快に笑う。

 

「まぁそう言うな、まだ大仕事が残ってるんだぞ。戻ったらゼンザイやピーチケーキでも存分に食べればいいだろう」

「いいっすねぇ。ピーチケーキを肴に赤キノコワインで一杯やりたいところです」

「ああ、あれか・・・。あれを僕たちに勧めるのはやめておけよ? 独特のハーモニーが何ともいえないからな」

「それがいいんじゃないっすかぁ」

 

二人のやり取りにアンジェリカがくすくすと笑っている。

リウスは彼らの微笑ましいやり取りに軽く笑みを浮かべた。

 

「よし、じゃあ今後の概要を伝える」

 

クレイグは咳払いを一つすると、真面目な顔をしながら続けた。

 

「研究所への潜入は二日後の夜だ。月が隠れている上に、警備が比較的緩いようだからね。そして我々の目的は、被害にあった冒険者の救出、および研究内容の把握だ。

ただし、危険だと判断した場合には目的が果たせなくても脱出することにする。理由は全員分かっているね?」

 

クレイグの言葉に、そこにいる全員がこくりと頷いた。

 

このリヒタルゼンで失踪した冒険者、つまりレゲンシュルム研究所に囚われたと思われる冒険者は数多くいるが、その中には到底何かあったとは思えない程の熟練の冒険者達も含まれているのだ。

つまり、彼らが囚われるレベルの危険が研究所に存在しているということは明白だった。

 

囚われたと思われる歴戦の冒険者達には、セシリアの従姉弟であるという女性も含まれている。

何も聞いてはいないが、たぶんクレイグやアンジェリカも誰かを探すためにこの任務へと参加しているのだろう。

 

そして私は、先生とカトリーヌを探すために・・・。

 

「我々と同じように、彼らの中にはヴァルキリーの祝福を受けた者もいたはずだ。しかし皆も分かっているだろうが、彼らがヴァルキリーによって蘇生されることはなかった。つまり神々の祝福をも打ち消す『何か』が存在していると思われる。彼らが生きている可能性もあるが、楽観視はできない。侵入の際には、皆も十分に気を付けてくれ」

 

クレイグは神妙な顔でそう告げると、各々がこくりと頷いた。

 

「ルーンミッドガッツ王国が欲しがっているのは、レッケンベル社の情報、ひいてはシュバルツバルド共和国の情報だ。要は『国の都合』で他国の研究記録を盗もうって訳だが、我々の本当の目的は違う。

今は魔王モロクの一件で王国も大変だろうし、お国には黙っておけば大丈夫だ。多分だけどね」

 

クレイグがおどけて言うと、セシリアがくっくと喉を鳴らした。

 

「侵入経路についての詳細は今日の夜に伝えるつもりだ。それまでは各自好きに時間を過ごしてくれ。

・・・よし、以上だ! 飯にしよう!」

 

少し重くなってしまった空気を打ち消すように、クレイグが豪快に席を立つと、食堂にアンジェリカやリウスを促していく。

セシリアは「後で行きますからお先にどーぞ」と鼻歌混じりに弓矢の点検を再開する。

 

 

 

 また、ザザザッという音と共に場面が変わる。

 

 

 

場面はその日の夜になっていた。今日の昼間に話し合いをしたクレイグの部屋には、いくつかの酒瓶やつまみが置かれている。

 

「それにしても、リウスさんと初めて会った時は驚きましたねえ。調査を始めて三か月目の時でしたっけ。もうリウスさんと会ってから一か月ですよ、早いもんです」

 

セシリアがフルーツパフェにがっつきながらそう言った。

 

「ルーンミッドガッツの潜入員を取っ捕まえて話を聞いたってのは凄かったなぁ。てっきりモロクのアサシンでも来たのかと思いましたよ」

「まぁ、あの時はごめんなさい・・・。私とは別の誰かが調査してるのは分かっても、皆なかなか見つからないんですもの」

「いいんですよぉ、リウスさん。結果オーライですから。ほらクレイグ、お水飲みなさい。顔赤いわよ、ほらほらお水」

「いいって、大丈夫だよアンジェ。だいじょーぶだいじょーぶ」

 

リウスとセシリアの背後には一、二本の酒瓶が転がっているが、二人ともまだ平然と酒を飲み進めている。

それでもいつもに比べて酔っている方だが、クレイグとアンジェリカはすっかり出来上がっていた。

 

とはいえ、クレイグはまだ比較的アルコールの弱いマステラ酒の三杯目であり、一方のアンジェリカは既に瓶で五本もの赤キノコワインを空けているのであるが。

 

「まったく・・・、騎士なのにお酒弱いってどういうことなのよ」

「いやいや、アンジェが強すぎなんだよ。聖職者で酒に強いってのもどうかと思うぞぉ」

「まぁ・・・、クレイグさんは弱いわよねぇ」

「そう、クレイグのダンナは弱すぎっすよ。モロクの酒飲んだらイチコロっすね」

 

そんなこんなで、クレイグがこくりこくりと眠そうにし始めた。

三人はそんな様子のクレイグをベッドに寝かせてから、またそれぞれのグラスに濃い紅色の酒を注ぐ。

 

クレイグの様子を心配そうに眺めていたアンジェリカは少し酔いも抜けたようだが、まだほんのりと赤い頬をしながら、思い悩んだように口を開いた。

 

「ごめんなさいね、二人とも。クレイグも明後日の潜入が心配なのよ」

 

セシリアはフルーツパイにかぶりつきながら、口元についたパイのかすを指で拭う。

 

「しょうがないですよ。俺だって不安ですからね」

「私もお酒に頼りたい気持ちは、分かるわ。本当なら今すぐにでも研究所に探しに行きたいもの」

 

その言葉にアンジェリカが静かに頷くと、寝息を立てているクレイグを見つめながらぽつりと呟いた。

 

「本当にね。・・・明後日になったら、分かることなのよね」

 

 

 

 ザザッ、という音でまた画面が変わる。

 

 

 

四人はスラム街の下水管を抜け、レゲンシュルム研究所の中を探索していた。

 

「まったく・・・、何だってんだここは。同じ顔の連中ばっかり」

 

セシリアが心底うんざりした声で吐き捨てると、同感と言わんばかりにクレイグも溜め息を吐いた。

 

「犠牲になった冒険者達だろう。人を複製した上に、人形のようにしてしまうなど聞いたことがないな」

「何とか救うことはできないんでしょうか・・・」

 

アンジェリカが絞り出したような声で呟いたその時、物陰から盗賊風の少女がアンジェリカへ向かってさっと飛び出してきた。

その少女の手には短剣が握られ、その短剣をアンジェリカの首へと思いっきり突き出す。

 

「っ!」

 

ギンッ、という音と共にアンジェリカの目の前に現れた半透明の白い防壁が少女の短剣を弾き返した。

あらかじめアンジェリカが展開していた『キリエエレイソン』という魔法の防壁である。

 

「このっ!」

 

セシリアが強く引き絞った弓から、勢いよく二本の矢が放たれる。

その矢は盗賊の少女の肩と腹に直撃し、その身体を大きく後ろへと吹き飛ばした。

しかしその少女は空中で身を翻して綺麗に着地すると、よろよろとしながらもこちらに向かって歩いてくる。

 

「とどめだ!」

 

セシリアが放った数本のとどめの矢が少女の急所へと吸い込まれた瞬間、近くの暗がりから何かの魔力が放たれるのにリウスは気が付いた。

 

「マジックロッド!」

 

バリッ、という音と共にセシリアの頭上から落ちた魔力の雷を、間一髪リウスが破壊する。

しかし続いて蛇行する無数の光の塊がすぐ近くの暗がりから降り注いだ。

 

「任せろ!」

 

クレイグが一行の前に立ちふさがり、大剣を盾にしながら無数の光の塊をその身に受ける。

降り注ぐ光の塊の連射が止まった瞬間、クレイグはベージュ色のマントを翻して魔法の放たれた場所へと駆けた。

 

またもやいくつもの光の塊が暗がりから放たれる。

しかしクレイグはスピードを緩めずに光の塊を自身の小手で弾き飛ばすと、肩に抱えた大剣を思いっきり振り上げた。

 

「ぬおおッ!!」

 

振り上げてから一瞬の内に振り下ろされた大剣は、ドゴンッ、という床を砕く音と共に、暗がりにいた白いローブの少年を肩口から一刀両断した。

 

一刀両断された少年は血を流すこともなく声を上げることもなく、ただ空気に溶けるかのようにすうっと消えていった。

 

そこに残っているのは、小さな黄色の結晶体だけである。

 

「ふうっ」

 

クレイグは一息つくとその結晶を拾い上げ、一行の元へと戻ってきた。

先ほどセシリアが打ち倒した盗賊の少女も既に消滅しており、後に残っているのは小さな鉛色の腕輪と特殊な形とした短剣だけだった。

 

戻ってきたクレイグはその腕輪と短剣を拾い上げると、それを眺めながら吐き捨てるように呟いた。

 

「この研究所の職員共は、人間じゃないな」

「ええ・・・、本当に」

「クレイグ、傷を見せてください。治療します」

 

アンジェリカがそう言ってクレイグを治療している中、セシリアが下層へと繋がる入り口を発見した。

 

「あそこから奥に行けるみたいですね・・・、もうお腹いっぱいですけど」

 

セシリアが悪態をつきながら道を指し示す。

するとクレイグが静かに、はっきりと口を開いた。

 

「ここまで来たが・・・。皆、どうする?」

 

沈んだ表情のクレイグへ、一行は顔を向けた。

 

クレイグの考えていたことは全員が分かっていた。

何をされたのかは分からないが、犠牲になった冒険者たちが襲ってくる。

それは、つまり・・・。

 

そんな一行の中で、セシリアがやれやれとばかりに肩をすくめた。

 

「ダンナらしくもない。それにセシル姉がそんな簡単にやられたなんて、俺は信じないっすよ。まだ何にも分かっちゃいないんだから」

 

「・・・そうか。リウスくん、君は?」

「・・・ここで帰れば、私はもっと後悔します。もう、これ以上後悔なんてしたくありません」

 

「・・・アンジェは」

「いつからの付き合いだと思ってるのよ。言わなくても分かるでしょ?」

 

クレイグは三人へ向けて静かに頷くと、「ありがとう」と言葉を漏らした。

 

そして一行は、慎重に下層へ繋がる通路を進んでいくのだった。

 

 

 

 ザザザ、とまた擦れた音がして場面が変わる。

 

 

 

ガラクタが敷き詰められた道や長い階段を進んでいくと、四人は広々とした広間に出た。

天井がとても高く灯りすら届いていないようで、一行の頭上は真っ黒に塗りつぶされている。

 

どうやら足元のガラクタは誰かが積んだバリケードや鋼鉄製のシャッターだったようだ。

しかし何の力でこうなったのか、ほとんどのバリケードが内側から粉々に破壊されている。

 

ひんやりとした空気と共に、一行はこの空間に尋常ではない気配を感じていた。

まるで大型の悪魔やドラゴンにじっと見張られているかのような・・・、いやそれ以上の何かがすぐ近くにいるかのような・・・。

 

「皆、すぐ撤退できるようにしておいてくれ」

 

クレイグが小声でそう呟く。

その言葉に一行は軽く頷いただけだったが、返事をしなくても全員がしっかりと理解できていた。

 

この階には、今まで見たこともない、手の付けられない存在がいると。

 

上層に比べてこの場所はやけに広く、研究施設もあまりに少ないように思えた。

所々に光源があるものの薄暗いため、遠くまでは目で確認することができない。

最も夜目が効くセシリアを先頭に、一行は周囲を警戒しながら狭い小道を進んでいく。

 

そのうち大きい通路へと出ると、そこには真っ暗な牢屋らしきものが立ち並んでいた。

しかし牢屋の鉄格子はぐにゃりとひしゃげていたり、ドロドロに溶けていたりと、何かが暴れたような形跡がそこら中に見て取れる。

 

一行が牢屋を確認しながら進んでいくと、通路の中央に白衣の死体が転がっていた。

うつ伏せに倒れた死体は死んでから大分経過しているようで、既にミイラのような姿となっている。

 

クレイグは死体がモンスター化していないかどうかを慎重に確かめながら、死体が抱えている革のカバンを手に取った。

 

アンジェリカが静かに眠る死体へと祈りを捧げ、セシリアとリウスが周囲を警戒している中、クレイグは死体が持っていたカバンから紙の束を見つけて読み進めていく。

 

ページをめくり続けるクレイグは眉間に皺を寄せながら、次第に目を細めていった。

 

「・・・アンジェ」

「? はい」

 

祈りを終えたアンジェリカが不思議そうな顔で、目線を落としたクレイグに近付く。

心なしか、クレイグの顔色が悪い。

 

「任務は終わりだ。急いでここを出るぞ」

「え・・・? どうしたの、急に」

 

すると突然、セシリアが短く口笛を吹いた。

索敵は主にセシリアの役割でもあり、この口笛は何かの存在を発見した時の合図である。

 

がしゃり、と通路の奥で鎧のような音がした。

しかしセシリア以外の誰もその暗がりの奥は分からない。

 

「・・・騎士?」

 

セシリアが静かに呟くと、真っ暗な通路からガシャ、ガシャ、と音を立てながら、白銀の鎧に身を包み、真っ赤なマントを羽織った銀髪の騎士がゆっくりと現れた。

背負った大剣はクレイグのものよりもずっと巨大な代物である。

 

とりわけ異様だったのは、彼の目だった。

普通の人間とはかけ離れた真っ赤な双眸で、こちらをじっと睨み付けている。

 

「・・・あの人は」

 

クレイグがぽつりと口にした途端、目の前の騎士が背に抱えた剣を一息に抜いた。

かと思うと、巨大な大剣を片手で持ち、空を切る音と共にこちらへとその切っ先を向ける。

 

あれは、ルーンミッドガッツ騎士団における決闘の合図だったはずだ。

 

「ま、待ってください! 僕です、クレイグです! 僕は貴方を探しに・・・」

 

クレイグの言葉を無視するかのように、鈍い音を立てて目の前の赤い騎士が大地を蹴った。

重鎧を着込み巨大な大剣を抱えているにも関わらず、赤い騎士はとんでもない速度でこちらへと向かってくる。

 

「くそっ! 皆、下がれ!」

 

赤い騎士が片手で振り下ろした大剣を、何とかクレイグが自身の大剣で受け止めた。

尋常ではない重い金属音が空気を揺らす。

しかし赤い騎士は攻撃が受け止められることを分かっていたかのように、大剣を横に滑らせたかと思うと、自身の身体を回転させながら真横に大剣を薙ぎ払った。

 

剣閃が煌めき、無防備なクレイグの胴体に大剣が直撃しようとした、次の瞬間、ギィン、という音と共に白い半透明の防壁が大剣を受け止めた。

 

しかしその勢いは止まらずに半透明の防壁は砕け散り、大剣がクレイグを真横に吹き飛ばす。

 

「防壁を張り直します!!」

 

アンジェリカのその言葉とほぼ同時に、リウスは赤い騎士の足元に構築していた魔力を解き放った。

 

「アーススパイク!」

 

地面から斜めに突き立った五本の石柱が赤い騎士に激突した。

赤い騎士が即座に大剣で石柱を防いだため大きく吹き飛ばしただけだったが、宙へ吹き飛んだ騎士の鎧の隙間に幾本もの矢が突き刺さる。

 

しかし赤い騎士はセシリアによる矢傷を気にもせずに地面に着地する。

 

そして吹き飛ばされていたクレイグが何とか身を起こして、赤い騎士の目前に立ちふさがった。

 

「セイレンさん、やめてください! 僕たちは敵じゃありません!」

「・・・」

 

セシリアが苦虫を噛み潰したような顔で小さく呟いた。

 

「クレイグのダンナ、あんたも分かってるだろ。・・・上の連中と同じだ」

 

その言葉にクレイグとアンジェリカが顔を歪ませるも、赤い騎士は何の感情もない顔でゆっくりとこちらに向かってくる。

 

「・・・分かってる、分かってるんだ」

 

そう言ったクレイグの身体から魔力が立ち上り、光り輝く膜となってクレイグの身体を覆っていく。

ルーンミッドガッツ騎士独自の強化魔法、ツーハンドクイッケンである。

 

同時に赤い騎士の身体からも濃密な魔力が噴き出し、クレイグが発したのと同じ光り輝く膜と共に、稲光のような赤い魔力が全身を覆っていった。

 

(あの魔力は・・・!?)

 

クレイグが大剣を構え直す。

その時、赤い騎士が一瞬で姿を消した。

 

「受けては駄目!!」

 

そうリウスが叫んだ瞬間、クレイグの肩に深々と大剣が突き刺さった。

 

「ぐあっ!」

 

直後に魔法の防壁の割れる音が鳴り響き、赤い騎士の足元からリウスの魔法である石の柱が突き立った。

しかし赤い騎士はクレイグから瞬時に距離を取って石柱を躱すと、片手に持った巨大な大剣を目に映らない程の速度で縦横無尽に振り回す。

赤い騎士の周囲に、十数本の鉄の矢が軽い音を立てて散らばっていく。

 

「ありえねえ・・・」

 

セシリアがぽつりと呟いた。

 

確かに奴の死角から矢を放ったはずだった。

身を捻ろうが先に放った矢を撃ち落とそうが、数本の矢は奴の身体に直撃するはずだったのだ。

それを、ああも簡単に・・・。

 

「動きを止めてください!」

 

リウスの声に我に返ったアンジェリカが、即座に治癒の呪文をクレイグへ放った。

クレイグの肩に空いた大穴がみるみる内にふさがっていく。

 

瞬間、大地を蹴る音と共にまた赤い騎士の姿が消えた。

しかしクレイグは体の力を緩め、ほんの一時だけ魔力を周囲に放っていた。

 

「オートカウンター!」

 

一瞬で間合いを詰めた赤い騎士が、クレイグの肩を目掛けて大剣を振り下ろす。

しかしクレイグは右側面から薙ぎ払われた大剣を見もせずに、自身の大剣を支柱にしながら全力で攻撃を受け流した。

その勢いのままクレイグは大剣を叩きつけるが、赤い騎士は自身の手甲でクレイグの攻撃を斜めに弾き飛ばす。

 

しかし、ほんの少しだが赤い騎士の体勢が崩れた。

 

「ディスペル!」

 

宙に投げた青い小石、ブルージェムストーンに向けてリウスが魔法を叩きこむと、鮮やかな青い宝石が空中で砕け散った。

リウスの魔力はその破片一つ一つを通して増幅され、その魔力のそれぞれが全て赤い騎士へと襲い掛かる。

 

リウスの魔力は赤い騎士の身体へ纏わりつくように駆け巡り、光の膜も、赤い稲光のような魔力も、全てを掻き消していく。

 

その瞬間、赤い騎士の動きが明らかに鈍くなった。

 

「うおおッ!!」

 

クレイグの目にも止まらぬ速さの斬撃に対して、赤い騎士は咄嗟に両手に持ち直した大剣を身構えようとした。が、その両腕に深々と鋼鉄の矢が突き刺さった。

 

その隙を逃さずにクレイグは赤い騎士の腕と脚へ斬撃を浴びせ、そして即座に後ろへと回り込むと、赤い騎士の背に向けて渾身の突きを叩きこんだ。

 

自身の背中から胸を貫通した大剣に、赤い騎士は少し呆気に取られたような仕草をした。

しかしクレイグがその大剣を勢いよく引き抜くと、赤い騎士は糸の切れた人形のようにその場でゆっくりと崩れ落ちていった・・・。

 

 

 

 また、ザザザ、と何か擦れる音が聞こえる。

 

 

 

「今すぐにここを出る」

 

治療を終えたクレイグが小さく呟いた。

その手には、ミイラ化した死体から見つけた紙の束と、先ほどの赤い騎士が消えた後に残っていた濃い藍色の球体が握られている。

 

「あの白衣の死体が持っていた紙の束は、ここの研究記録だ」

 

ゆっくりと立ち上がり、クレイグは来た道を戻っていく。

その道でクレイグがぽつりぽつりと説明した内容は、一行には到底信じられるものではなかった。

 

「あの記録には実験の被験者の名前が書かれていた。さっきの騎士、セイレンさんの名前も。

・・・リウスくん、セイレン=ウィンザーの名前は聞いたことがあるだろう?」

 

アンジェリカが沈痛な面持ちをしている中、リウスは静かに頷いた。

 

ルーンミッドガッツ騎士団のセイレン=ウィンザーといえば、シュバルツバルド共和国でも耳にするほどの非常に高名な騎士だった。

 

兄セイレン、そして弟ベネディクト。このウィンザー兄弟は現在のルーンミッドガッツ騎士団の中心人物でもあり、特に兄であるセイレン=ウィンザーはありとあらゆる任務をこなし、ルーンミッドガッツ王家にも認められる程の多大なる業績を得ていた人物だ。

 

義理深く、人間味に溢れ、王国騎士としての度量や技量も頭一つ抜けているのだと。

 

冒険者として各地の流浪を繰り返しながらも、次の王国騎士団団長に最もふさわしい騎士とも言われ・・・、彼のことを、まるで英雄の再来であるかのように呼ぶ声すら聞いたことがあった。

 

「・・・セシル姉の名前もあったんですね?」

 

セシリアの端正な顔は悔しさと憤りに満ちているかのように歪んでいた。

セシリアの言葉にゆっくり頷くと、クレイグは静かに口を開いた。

 

リウスは、これ以上クレイグの言葉を聞きたくはなかった。

 

「・・・ああ。セシル=ディモンの名前もあった。そして、リウスくん。カトリーヌ=ケイロンの名前も記されていた」

 

リウスの頭はこれ以上ない程に落ち着いていた。

 

ああ、やはりそうなのか、と。

 

予感はあった。

その予感はこの研究所に入ってからではない。

先生が、そしてカトリーヌが消えてからだ。

 

その時にはまだ希望があった。

どうか二人ともリヒタルゼンに向かっていないでくれ、と何度となく心の内で祈った。

しかし、リヒタルゼンに二人がそれぞれ訪れていたことを知ると、吐き気を伴うような嫌な予感が一気に膨れ上がった。

 

それでも、そうした中でも、どこかでひょっこりと二人が顔を出してくれると信じていた。

 

全てを見透かしているかのようでいながら、いつも優しそうな眼差しを向けてくれる先生の顔。

凛と背筋を伸ばしながらも、儚げに弱みを見せないようにしているカトリーヌの顔。

 

その二人の優しく、うっすらとした笑顔を思い浮かべた。

 

リウスは急に足の力が抜けるのを感じると、その場に尻餅をついた。

 

「リ、リウスさん」

 

アンジェリカがリウスの腕を掴んで、優しく引き起こす。

 

「あ、あれ? だ、大丈夫、大丈夫よ。私は、大丈夫」

 

しっかりと皆に告げたはずの言葉は、あまりにも小さい声だった。

アンジェリカへ笑顔を向けたはずだったが、アンジェリカはとても悲しそうな顔で目を伏せている。

 

「ごめんなさい。早く、ここを出ないと」

 

リウスはそう呟くと、出口へ繋がる道をゆっくりと戻っていく。

黙ったままのセシリアがリウスの前に立って周囲を索敵する中、クレイグがリウスへと近付いてくる。

 

「すまない、リウスくん。これは君が持っていてくれ」

 

クレイグが手に持っていた物は、濃い藍色の球体と、手の平ほどの石の欠片が入っているガラス管だった。

 

「これは?」

「・・・あの研究者の死体が持っていたものだ。奴の記録はカトリーヌ=ケイロンへの記述がほとんどだった。あのハイウィザードなら、このユミルの心臓の魔力として適任かもしれないと」

 

クレイグは手に持った二つの物を皮袋に詰めてから、リウスに手渡す。

 

「外に出てからこの記録を読んでもらうが・・・、皆も聞いていてくれ。

この研究所の目的は、生命や魂を人工的に生み出すことだったようだ。新たな生命を作り出す技術、機械の人形に人のような思考を生み出す技術、そして強大な力を持った冒険者の魂を取り出し、複製する技術だ」

 

誰も返事をしない中、クレイグはまるで独り言のように説明を続けた。

 

「研究所の初期実験である人間の魂を複製する技術は、スラム街の人間、そして未熟な冒険者を利用することで成功したようだ。その次は、力のある冒険者達。つまり・・・」

 

クレイグの言葉はそこで途切れた。

クレイグはゆっくりと深呼吸をしてから、強い語調で続けた。

 

「つまり、ここの連中はあの人達を使って実験をした。・・・まあ、実験は不十分だったようだけどね」

 

セシリアとアンジェリカがクレイグを見る。

 

「ダンナ、どういうことだ?」

 

セシリアが険しい顔をしたまま声を上げる。

クレイグは自嘲気味な笑みを浮かべると、セシリアの顔をちらりと見た。

 

「セイレンさんはあの程度じゃない。本物のセイレンさんは、あんな簡単に仕留められるような人じゃないんだ。もっと、とんでもなく強い。僕らではとても太刀打ちできないくらいにね」

 

アンジェリカは何も言わずに俯き、セシリアが「あれよりも・・・?」と信じられないかのように呟いている。

 

クレイグは静かに歯噛みをしてから、もう一度口を開いた。

 

「話を戻そう。この実験の根幹になっているのは、アインブロックで発掘された、ユミルの心臓の欠片という巨石だったらしい。その一部が、そのガラス管に入っているそれだ」

 

リウスは何の感慨もなく、先ほどクレイグから受け取った皮袋へと目をやった。

 

「そのユミルの心臓を基に、奴らは冒険者の魂の複製を行なった。憶測ではあるが、ヴァルキリーの祝福が打ち消されているのも、このユミルの心臓が原因なのかもしれない。

そしてカトリーヌ=ケイロンの魔力をもって、更なる実験を行なおうと計画していたようだ。しかし、そこで何かの事故が起こって研究所は崩壊した」

 

クレイグは至って他人事のように説明していたが、それは偽りだと全員が悟っていた。

一行は牢屋の並ぶ通路を進んでいく。

 

「この記録の途中には殴り書きがあった。あの研究者はユミルの心臓の一部、そしてもう一つ、そのカトリーヌ=ケイロンの複製された魂を持って脱出しようとしていたようだ」

 

リウスはぼんやりとした瞳で手に持った袋を見つめた。

 

「これが、カトリーヌ・・・?」

 

その言葉を聞いたクレイグは自身が持っていた藍色の球を強く握りしめた。

これは先ほどの赤い騎士が消えた後に残っていたものだった。

 

クレイグはしばらく黙ってから、話を続けた。

 

「あの研究者も、このユミルの心臓という石が何なのかは分かっていなかったようだ。そういった物の研究は、ゲフェンよりも君の住むジュノーの方が優れているだろう? しかもあの街はシュバルツバルド共和国の首都でもあるし、レッケンベル社もおいそれと手を出せる場所ではない。

だから、それは君に預ける」

 

一行は牢屋の立ち並ぶ通路を抜けると、出口に繋がる小道へと足を踏み入れた。

 

周囲を警戒するリウスだったが、もう一方で様々な感情が頭の中をぐるぐると駆け廻っているのを感じていた。

 

 

(何で、こんなことになったのか・・・)

 

 

先生がリヒタルゼンへ出向いたまま消息を絶ったのが最初だった。

 

先生はレッケンベル社について独自に調査を行なっていたようで、そして共和国大統領の依頼を機にリヒタルゼンへと向かい、そのまま消えた。

 

私が二度と近付きたくなかったリヒタルゼンへ向かったのも、先生を探すためだった。

しかしいくら調査しても先生は見つからなかった。

そして二ヶ月ほど経った時、一旦調査を切り上げて私はジュノーへ戻った。

 

 

-リウスさんのお友達の、カトリーヌさんって人が任務のついでに会いに来てましたよ。

 ねえねえ。あの人って、ゲフェンにいるあのカトリーヌさんよね?

 

 

ジュノーに戻った時、知り合いのセージからそう伝えられた。

任務のこともあるが謝りたいことがある、と言っていたとのことだった。

 

あの日のゲフェンのことを言っていたのかもしれない。

しかし、あれはどう考えても私が悪かった。

何故、私はあの時すぐに謝らなかったのか。

 

カトリーヌは私がリヒタルゼンにいることを知ると、私を追いかけるようにリヒタルゼンへ向かう飛行船に乗っていったそうだ。

 

 

何でこうなったのか。理由なんて簡単だ。

 

 

先生は、私と私の両親のことをいつも気にしていた。

一緒に暮らしていた頃、以前借りた魔法書を探すため先生の部屋へ忍び込んだ時に、当時のリヒタルゼンについての膨大な調査資料を見つけた。

何故あんなことになったのかと、口では言わなかったが先生はいつも考えていたようだ。

 

ふと、私は気が付いた。

 

私が逃げ続けていた運命が、また私を追いかけてきたのだと。

 

『運命はいつも貴方と共にいる』。

かすかな記憶の中で、女神ヴァルキリーに伝えられた言葉だ。

 

あの時のスラム街。お婆ちゃんがいて、エミールがいて・・・。

 

エミールは、私が殺したも同然だ。

お婆ちゃんも私達のために無理をして、それが祟って死んでしまった。

 

そして先生に連れられてゲフェンで暮らしていた私は、穏やかな日々よりも・・・あの復讐を望んだのだ。

 

あの時の先生の顔は、よく覚えている。

そして、先生は真実を知りたがっていた。

その最後の引き金を引いたのが、あの復讐だったとしたら。

 

カトリーヌがこの街に訪れたのは・・・、私が原因なのだとしたら。

 

 

何で、こうなったのか。

私はまた、繰り返したのだ。

 

 

小さな口笛が聞こえて、リウスははっとした。

バリケードが散乱している広場に入った一行だったが、セシリアが辺りをしきりに警戒している。

 

「・・・どこだ、セシリア」

「分からない。けど、確かにいる・・・」

 

セシリアがそう呟いた瞬間、かすかにいくつもの風を切る音が聞こえた。

そして光る防壁が砕ける音と共に、セシリアの背中へ深々と数本の矢が突き刺さった。

 

「がっ!!」

 

全員が驚愕の表情を浮かべた時、誰よりも早く動いたのはアンジェリカだった。

 

「ニューマっ!」

 

アンジェリカが即座に呪文を唱えると、一行の中心に青く輝く光の柱が出現した。

そして次々に襲い来る鋼鉄の矢が空中でびたりと止まる。

 

ニューマの魔法は遠距離から放たれた矢や弾丸を止める効果を持っている。

アンジェリカは一行の中心にその魔法を放ったのだ。

 

 

しかしその瞬間に、周囲から放たれた尋常でない殺気が広場を覆っていった。

 

 

誰かが飛び込んでくる気配にクレイグが大剣を使って防御すると、重厚な金属音が辺りに響き渡った。

 

飛び込んできた人間は大斧を手にしたブラックスミスの男性だった。

そしてその両目は、光り輝く赤い目をしている。

 

「うおおッ!」

 

大斧を受け止めたクレイグが赤い目をしたブラックスミスを弾き飛ばす。

 

その瞬間、リウスはセシリアを治療しようとしているアンジェリカの背後で何かの影が揺らめいたことに気が付いた。

 

「危ないっ!」

 

リウスはカウンターダガーを引き抜くとアンジェリカを突き飛ばし、鈍く光る短剣のようなものを弾き飛ばそうとする。

しかし、光り輝く防壁が砕かれながらも短剣を受け止めた時、いつの間にかリウスの両肩と左腕が深く切り裂かれていた。

 

揺らめいた影は、真っ黒い服に汚れた布を巻きつけた痩せぎすのアサシンだった。

リウスに手傷を負わせた男は、現れた時と同じように赤い目を輝かせながら音もなく消えていった。

 

クレイグはブラックスミスの男と戦っているが防戦一方のようだ。

セシリアは矢傷を負いながらも何とかクレイグの援護を行なおうとしている。

アンジェリカはセシリアとリウスに対して治癒の呪文を放とうとしていた。

 

その時、一行の中央に赤いマントを翻した男が飛び込んできた。

その男は巨大な大剣を地面に突き刺すと、小さな声で何かを呟いた。

 

その瞬間、大剣が突き立った地面が膨れ上がり大きな爆発が起こった。

一行はそれぞれ大きく吹き飛び、リウスは肩と腕に激痛を感じながら地面を転がっていく。

 

少し遠くで何かを突き刺す音や金属音、そして小さな悲鳴が聞こえてくると、すぐに辺りは静けさに包まれた。

 

「くっ・・・。み、みんな」

 

傷だらけだが、何とか動くことができる。

 

ようやく起き上がったリウスだったが、静かにこちらへ歩いてくる足音に気付き、そしてその姿を見て声を失った。

 

 

薄いクリーム色の短い髪。

まだあどけなさの残った顔つき。

その肩には少女の外見に似合わない立派な毛皮のマントがかけられている。

 

そして、その両目は血のように真っ赤に光輝いていた。

 

 

「カト、リーヌ・・・?」

 

目の前の少女が無表情のまま小さく何かを呟くと、リウスの周囲にいくつもの氷の柱が突き立った。

それらはリウスの体を取り囲むように固まっていき、腹部から両足にいたるまで下半身の全てが凍りついていく。

 

薄暗がりに立つカトリーヌの周りには、まるでカトリーヌを守るかのように、幾人もの人間たちが静かに立っていた。

 

巨大な大剣を肩に構えている騎士、血に塗れた大斧をいとも簡単に手に持っているブラックスミス、存在すらおぼろげな痩せぎすのアサシン、大弓を携えた狩人の女性、聖職者のような礼装姿の女性・・・。

 

そしてその全員が真っ赤な目をしていて、薄暗がりの中でも光り輝いているかのように見えた。

 

「カ、カトリーヌ・・・。カトリーヌ、よね?」

 

彼らの中心に立つカトリーヌは無機質な表情でリウスを見つめている。

 

「カトリーヌ、帰りましょう? こんなところにいたら、駄目よ。危ないわ。それに、いっぱい話したいこともあるのよ」

 

カトリーヌが持つ紫色の杖に、尋常でない魔力が集まっていく。

 

「わ、私は、あなたに会ったら伝えたいと思ってた言葉があるの。あなたがいつも言ってた言葉。会えてよかったって。あの言葉は、私こそあなたに伝えなくちゃいけなかったのよ。

カトリーヌ・・・、お、お願いだから、返事をして」

 

カトリーヌの杖に集まった魔力は凝縮に凝縮を重ね、そして広場を覆う程の、青白い巨大な雷撃へと姿を変えた。

 

声が、震える。

この魔力は間違いなくカトリーヌのものだ。

真っ青で巨大な魔力が、膨れ上がっていく。

 

「私は、あなたに会えてよかった。でも、私はあなたに出会うべきじゃなかった。いつも、いつだって私が、わ、私のせいで、こんな」

 

カトリーヌは青白い雷撃を帯びた杖を、静かにリウスへと向けた。

 

「カ、カトリーヌ。ねえ、カトリーヌ・・・? 大丈夫、きっと大丈夫よ。返事を・・・」

 

カトリーヌの杖から、巨大な雷撃が放たれた。

 

そしてそれは青白い閃光のように、目の前を覆い尽くしていく。

 

 

 

 

身体には痛みも何もなかった。

ただ目の前が真っ白になって、わずかに身体が消えていくような感覚があるだけだ。

 

自分が何を考えているのかも分からない。いや、何も考えていないのかもしれない。

そんな些末なことと、カトリーヌや先生、エミールやお婆ちゃん、父さんや母さんへ向けた、後悔の気持ちだけが微かに頭へ残っている。

 

そしてその意識も徐々に薄れていき・・・、意識が途切れる瞬間には、自分の身体が何かへと引きずり込まれるかのような感覚だけが残っていたのだった。

 

 

 


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