Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
翌朝・・・。
リウスはひとり自室のソファに座ったまま、じっと考え込んでいた。
既に、夜も明けてしまっている。
ずっと起きているのに眠くもないので、リウスは窓から差し込む日の光をしばらく見つめてから、またソファの背もたれに身を預けた。
「なあ、相棒。どうしたんだよ。いつも話しかけてくれるじゃねーか。無視しないでくれよ」
任務は終わったが、ワルドは怪しい。あまりにも怪しすぎる。
だからこそ、この場での結婚式は止めるべきだ。そうは思いながらも、リウスはその一歩が踏み出せないでいた。
当のルイズが・・・、結婚を望んでいるのだから。
「貴族の嬢ちゃんも帰ってきてないんだろ? 探しに行かなくてもいいのかってば」
ルイズは結婚を望み、私に死なないでくれと言う。
ニューカッスルから離れる避難船もあと二、三時間したら出発してしまうだろう。
ワルドはグリフォンの定員が二人だと言っていたため、『もしトリステインに戻るのだとすれば』ワルドはルイズと共にグリフォンに乗って戻るつもりだ。
つまり私がトリステインに戻るのであれば、必ず避難船に乗っていなければならない。
「さっき、ここの兵隊も言ってたじゃねーか。イーグル号とかマリーガラント号ってので帰るんだろ? もう準備しなくっちゃよ、相棒」
いっそのこと、無理やりルイズを連れ去って避難船に乗り込んでしまってもいいかもしれない。それもアリではある。
どちらにしてもルイズにはもう一度真意を聞いてみても遅くはないだろう。
そろそろ、あの子も起き始めている時間だ。
「ひでえよ相棒。俺っちにだって人権はあらあな。でも許す。おめえは相棒だかんね。この鬱憤は歌でも歌ってごまかすことにするよ。もちろん大声でね」
私が死ぬことを望んでたはずがない、とルイズは泣いていた。
昨日のパーティーであの子がショックを受けていたことを、私も行なっていたということだ。
残された者の気持ちは十二分に分かっていたはずなのに、私はルイズが無事であることだけを考えて、あんなことを・・・。
「ファーストキスから~ は~じまる~ ふ~たりの恋のヒ~ストリ~ この運命に~魔法かけた~♪」
「・・・うっさいわね」
「おおおっ! 相棒っ! やっとお目覚めかってばよ、このやろう!」
デルフリンガーがやけに嬉しそうな声を出している。
リウスは面倒くさそうに頭をがりがりと掻きながら、妙なテンションになっているデルフリンガーをじろりと見た。
「いきなり何なの、今の歌」
「いきなりたあ何でえ。ずっと声掛けてたってのに聞こえてないみたいによ」
「聞こえてたわよ。考え事してただけ」
「そりゃますますひでえ。でも許す。おめえは相棒だかんね」
「・・・それはさっきも聞いたわ」
溜め息を吐きながら、リウスは少ない荷物をまとめ始めた。
デルフリンガーを背負ってから二本の短剣を腰に差し、懐に数少ない魔法石の入った小袋を収める。
「用意し始めたら仕事が早いな! 相棒! 相棒ってば!」
「何なのよ、さっきから」
「相棒よ。無視され続けた者の恨み、思い知れ」
リウスは、最後にもう一度自分の武器をちゃんとチェックし始める。
唐突なワルドの行動は、視点を変えれば焦りとも受け取れた。
もし私の考えているような裏切り者であるなら、ワルドが行動する最後のチャンスなのだろう。
裏切り者でないことも願いたいが、甘い考えはもう捨てた方がいい。
扉へと向かうリウスに、背に抱えたデルフリンガーが鼻歌を歌い始めている。
その能天気な様子に、リウスはほんの少しだけ苦笑した。
「アイセィイエス ずっと~ きみのそば~にい~る~よ~♪」
「うっさいって言ってるでしょ、デルフ」
少しばかり気持ちが和らいだことに気付いたリウスは、心の内でデルフリンガーへ感謝を述べながら、誰もいない部屋を後にしていった。
リウスがワルドの部屋に向かっていると、向こうからワルドとルイズ、そして城の侍従らしき女性が歩いてきていた。
ワルドが敵意をむき出しにしながらこちらを睨み付けているが、リウスは何食わぬ顔でただルイズの方を見つめている。
「リウス。もう行くのね」
ルイズは何を思っているのかもじもじとした様子だったが、リウスはその様子ににこやかな笑顔を浮かべた。
「ルイズはどこ行くの?」
「あの、結婚式の準備で、礼拝堂の横にある部屋に」
リウスはちらとワルドを見る。
その視線に気付いて、ルイズがワルドへと振り向いた。
「ワルド。先に行ってて」
「だが・・・」
「ワルド、お願い」
ルイズは静かに、そして力強く告げた。
ワルドはその言葉に目を細めたまま静かに頷く。
「・・・ああ、分かった」
そしてリウスの横を通り抜けようとして、そのままワルドはぴたりと立ち止まった。
「連れ去ろうなどと、考えるな」
そう言い残して、ワルドは城の侍女と共に礼拝堂へ向けて去っていった。
しばらく二人の間に沈黙が降りる。
その空気に流石のデルフリンガーも黙ったままだった。
「・・・連れ去るの?」
「さあ、どうしようかな」
こともなげにリウスは告げた。
ルイズはその言葉に小さく俯きながら口を噤んでいる。
「ルイズ、考えを変える気はない?」
しばらくもじもじとしてから、ルイズは俯きがちに口を開いた。
「・・・うん。結婚するわ」
そっか、と小さく呟くリウス。
それを見て、ルイズは何か言いたげになりながらもごもごと口を動かしていた。
「・・・私はきっと、あなたとエミールを重ねていたのね」
はっとした顔のルイズへ、リウスは静かに笑いかけていた。
「ワルドは怪しい、それは間違いない。でも怪しいだけで証拠はない。ワルドの目的だってはっきりとは分からない。
・・・ルイズを連れ去ろうと思えば出来るけど、ルイズはそれをして欲しい?」
ルイズはぐっと押し黙った。そして、小さく首を横に振る。
「それなら、私は何も出来ないわ。ただ、ギリギリまで待ってる。一緒に行ってもいいかな」
ルイズは何も言わずにこくりと頷くと、二人して礼拝堂へと歩き始める。
ルイズは何か言おうとしては俯き、また何か言おうとして口をぱくぱくさせている。
それを見たリウスはいつものように笑顔を浮かべた。
「あの、リウス、あのね。エミールのことなんだけど、その、夢で・・・」
「言わなくてもいいわよ。戻ってきたらじっくり聞かせてもらうから」
意地悪そうな顔でにやりと笑うリウスに、ルイズはまた俯いてしまった。
「・・・ごめんなさい。叩いたりして」
「・・・ああ。あのこと? 別に気にしてないわ」
リウスはそのまま正面を向いて歩き続ける。
「私も謝らなくちゃいけないわね。ニューカッスルの人達と、同じことをルイズに言ってたんだから」
ルイズは俯きながらもリウスの話に耳を傾けている。
「私は、自分に何が起ころうともルイズを守る。悪いけど、それは譲れない」
しかしリウスは静かに、はっきりとそう告げた。
「私はあなたが幸せになれればそれでいい。でも、私はもう消える理由にあなたを使うなんてことをするつもりはない。死ぬつもりなんて毛頭ないわ。
・・・それに元々、戦いは嫌いなの。誰かを傷つけるのも、傷つけられるのも。死ぬのも、殺すのも」
ルイズはそっとリウスの顔を見る。
リウスは何か遠くを見るような目をしていた。
「リウスも、怖いことがあるの?」
くっくと笑ってからリウスはルイズを見た。
「そりゃあ、あるわよ。ここに来るまでだってずっと怖かったわ。戦うのは慣れてるけど、怖いのは変わらないんだから。
でも、いくら怖くったって縮こまってたんじゃあ何も出来ない。誰かを救うどころか、自分すら守れない。だから怖くっても、それは他の場所に置いておくだけよ」
ルイズがリウスの顔を見上げた。
「他の場所・・・?」
「そう、他の場所。何をするにしても、私の目的は変わらない。その目的を思い続けながら必要なことをするの。
そうしてるとね、いくら体が痛くても動くことはできるわ。逆に痛みを気にしてる余裕なんてない。後から思い返してみると、何で動くことが出来たんだろう、って思うくらい」
ルイズは呆気に取られてリウスを見つめていた。
「これはね、先生とカトリーヌに教わったことよ」
悪戯そうな顔でリウスは口に人差し指を当てた。
「ルイズがどこまで知ってるかは分からないけど、二人とも私の恩人よ。エミールのことも知ってるってことは、私の身の上話も知ってるのかしらね」
リウスはいたって平然と話を進めている。
気まずそうな顔のまま、ルイズはこくりと頷いた。
「そうなのね。まあ、だからって訳じゃないけど、ウェールズ殿下やこの城の人達のことは、少しだけ理解できる。残された人が幸せになるようにって考えないと、私たちはあっという間に恐怖に塗りつぶされてしまう。そして愛している人と一緒にいたいと願ってしまう。
・・・確かに、それでもいいのかもしれないわ。でも、きっと彼らの目的はそういった人を救うことだったり、大切な人の何かを守ることなんだと思う」
リウスの言葉に、ルイズは少し心当たりがあった。
自分が家族を助けることができるのなら、きっと自分は色んなものを投げ打ってでも助けたいと思うだろう。
今回の任務のように、姫様のためにアルビオンまで来たことだって、今思えばそういった気持ちだったのかもしれない。
「特に彼らは王族であり、貴族でもある。守るべきものがたくさんあって、それでも守るものを選択しなくちゃいけない。
守るものの中には、自分の命もある。貴族としての誇りもあるし、王族のために支えになりたいっていう矜持もある。そして彼らは、真っ先に自分の命を捨てることを選んだのよ。それが良いか悪いかは別にしてね」
礼拝堂の扉が見えてくる。
その横には、今か今かとそわそわしている先ほどの侍従の女性がいた。
リウスはルイズに向き直った。
「私は、あの人達の選択が正しいことを祈ってるわ。ルイズ、貴方の選択も」
そのまま、わしわしとルイズの頭を撫でて静かに笑った。
「結婚、おめでとう。ルイズ」
ルイズは何も言えずに俯いたままで、頭を撫でられるがままになっている。
それを見てリウスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「今から結婚するってのにそんな顔してたら駄目じゃない。それとも、気が変わった?」
ルイズは俯きながら首を横に振った。
リウスは肩をすくめるとルイズの顔を覗き込んで、ルイズの頬に優しく触れる。
「笑って、ルイズ。あなたは笑った顔が一番いいわ」
そう言って、リウスはルイズを侍従の女性に引き渡した。
女性は深々とお辞儀をして答える。
「すみません、お待たせしました」
「いえ、すぐ済みますので。あの・・・もし避難船に乗るのでしたら、もう向かった方がいいですよ? いつ出港するかも分かりませんから」
「貴方も?」
「ええ。ラ・ヴァリエール様の準備が整い次第、私も向かいます」
「じゃあ、貴方と一緒に行けばちょうど良いかしら。ウェールズ殿下はもう中に来られてるの?」
「いえ・・・まだいらっしゃっていません」
頷いたリウスは、ルイズにもう一度向き直った。
「ルイズ、それじゃあね。トリステインで待ってるわ」
リウスがそう言うも、ルイズは何を思っているのか俯いたままでこくりと頷いた。
そして、ルイズは侍従の女性と共に扉の奥へ消えていき・・・。ぱたんと扉が閉じられると、リウスはゆっくりと溜め息を吐いてから、横の壁に寄り掛かった。
「おいおい。いいのか、相棒」
デルフリンガーがかちゃかちゃと声を出した。
「何がよ」
「嬢ちゃんのことに決まってんだろ」
「今ここでルイズを連れ去っても同じことよ」
「でもよ・・・」
リウスは無表情な顔のままでデルフリンガーに言葉を返した。
「私は、ルイズの気持ちを変えることが出来なかった。連れ去っても、ルイズはきっと戻ろうとする。それから、自分に後悔する。ルイズが生き続けるだけならそれでもいいのかもしれないけど、ルイズの命も意志も全て尊重するのなら、これしかなかった」
少しだけ沈黙したリウスは、まるで他人事のように言葉を続ける。
「ルイズが船に乗らない以上、ワルドが裏切った場合はもう脱出手段がないから共倒れになっちゃうわ。私が生き残るのなら、ルイズがして欲しい一つは達成できるって寸法よ」
「・・・おい、相棒よ」
デルフリンガーが小さく声を出した。
「それ、本気で言ってんのか?」
「・・・言ってる訳ないでしょ。このバカ」
顔をしかめたリウスは宙を仰ぎながら、こつんと頭を壁に軽くぶつけた。
「ここまで来てしまうと、ワルドが裏切った場合はもうどうすることも出来ない。私が馬鹿だったわ。もっと早くに対処するべきだった」
「対処、できたんか?」
「・・・出来たかもしれないわね」
すると、デルフリンガーが何やらけたけたと笑っている。
「相棒、嘘はよくねえぜ。ありゃ無理だろ。やれるとしたら、港町の宿に泊まった時くらいだあな。でも、ワルドだっけか? あいつがいなけりゃ船に乗れなかったとしたら、もう積みさあね。結果論だろうがそれは変わらねえよ」
「・・・何よ、慰めてくれてるわけ?」
「相棒が平気かって心配でな」
「私は平気よ」
「嘘ばっか言うなよ。クセになっちまうぜ?」
「・・・うっさい」
しばらくして、礼拝堂の前へ数人の兵士を引き連れたウェールズがやってくる。
決戦の時間が近付いているからか、全員が完全に武装していた。
ウェールズはリウスの姿を見つけて、ぱっと明るい笑顔を浮かべる。
「やあ、探していたんだ」
リウスは姿勢を正しながら、不思議そうにウェールズへと顔を向けた。
「殿下、どうしました?」
「いや、君に渡しておくものがあってね。君は避難船で帰るのだろう?」
頷いたリウスに、ウェールズは右手の指に嵌った指輪を抜き取った。
「これをアンリエッタに渡してほしい」
その指輪は『風のルビー』だった。
ウェールズが差し出した指輪をリウスはそっと受け取る。
「レコン・キスタには何も残してやりたくないものでね」
ウインク混じりにウェールズは微笑んだ。
恭しく礼を返したリウスは、そのまま少し考える素振りを見せる。
「承知いたしました。昨日のお言葉と共に、必ずや姫様の元へお届けいたします。あと、殿下。少しばかりお話を・・・」
「何かな?」
周りの兵士にも聞こえるような声でリウスは言った。
「ワルド子爵に注意してください。何か企んでいる可能性があります」
「子爵が・・・?」
こくりとリウスは頷いた。
「ええ。決戦を前に、貴方達へ危害を加える意味があるとは思えませんし、目的もはっきりしません。ただ殿下も、こういった結婚式に違和感はありませんでしたか?」
「それは・・・そうだな」
思案に耽ったウェールズにリウスは真面目な顔で続けた。
「ワルド子爵のグリフォンには三人も乗れないということで、私は避難船で帰ることになっています。
ルイズの意志なので私もそれに従いますが・・・、何かあった時はルイズの事、お願いしてもいいですか?」
「・・・ああ、分かった」
「ありがとうございます。・・・申し訳ありません。戦いも近いというのに、無理を言ってしまって」
頭を下げたリウスの肩に、ウェールズは優しく手を置いた。
「ラ・ヴァリエール嬢は本当に良い使い魔を持ったものだ。彼女のことは任せてくれ。安心して避難船で帰るといい」
リウスが感謝を交えて頷くと、礼拝堂隣にある扉ががちゃりと開いた。
中から先程の侍女が現れるが、ウェールズの姿に気付くと慌てて一礼をする。
「さあ、早く行かなくては避難船に乗り遅れてしまうぞ。君もリウスくんと一緒に早く行きたまえ」
侍女は感極まった表情で、目の端に涙を浮かべたままもう一度深々とお辞儀をした。
「はい・・・。ウェールズ様も、どうか御武運を」
「ああ。君らの耳にも届くよう、奴らに一泡吹かせてやろう。楽しみにしててくれ」
身分差も感じさせずに、ウェールズは侍女へにこやかに笑いながら返した。
その様子を、兵士達も微笑みを浮かべながら見つめている。
これがアルビオンの皇太子、ウェールズ・テューダーなのだろう。
その王族としての器と求心力を感じながら、リウスはアンリエッタと並び立つウェールズをふと想像した。
それは、本来あるべき姿だったはずだ。
しかし運命は彼らを翻弄し、望まぬ結末を迎えようとしている。
リウスは迷いを振り切るようにウェールズへ一礼してから、重い足取りのままに鍾乳洞の港へと歩を進めていくのだった。