Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
ルイズは夢を見る。
目の前に広がっていたのは、どこかの教室のようだった。
マントを羽織った中年の男性が何やら説明しているのを、自分はローブを着た十数人と共に聞いている。
説明を受けている人達には若者も数人いるが、その他は中年から老人までの男女である。
「・・・であるから、地域ごとのモンスターの組成が大きく変わる訳です。
各地で流れる魔力はその特性に大きく影響を受ける。によって、諸君らが感じている魔力の集合体がそのままモンスターの肉体へと形を変えているとも考えられている訳ですが、
その仮説を基にするとゲフェンタワーの地下に潜むナイトメア等の精神体は一体どのような魔力によって生まれ出たのかという問題に・・・悪魔が多く住みついていることからも・・・・」
男性は長い話を流暢に話しているが、ルイズの視点である少女は話を半分聞きながらも、羊皮紙に何やら考えをまとめているようだ。
『実体であればあるほど魔力の流れを掴みやすい=アーススパイクが扱いやすい理由に繋がる?』
『ライトニングボルト、ファイアーボルトが使いにくい理由にもなるかもしれない』
『フロストダイバーが使いにくい反面、ナパームビートが簡単に扱える理由は?』
少女は様々な疑問を書きだしているようで、羊皮紙にはびっしりと文章が刻まれている。
そして、その注釈として人体図や魔法の仕組みを図解で表していた。
見たことのない文字ではあるものの少女の視界を通しているからなのか、ルイズにもその文字の意味を理解することが出来た。
しかし、その注釈の大部分はルイズにとってちんぷんかんぷんである。
「・・・精神体に対して、あらゆる魔法が大変有効であるのは諸君らも知っての通り。
しかし! そのようなモンスターへ特化している魔法の存在こそ忘れてはならないものであります!」
少女が顔を上げる。
教壇に立っている男性の横には、背の低いクリーム色の髪をした女の子がいた。
ルイズよりも背が低く、十二、十三歳ほどだろうか。
凛とした姿勢のままだが、何を考えているのか少し不安そうな表情を浮かべている。
「ではカトリーヌくん。君はもちろんナパームビートを使えるね? ぜひ、実演をしてほしい」
(ふうん・・・。あれが、例のカトリーヌか)
ルイズにも少女が内心で呟いた声が聞こえていた。
次の瞬間、目の前の視界が切り替わると、目に映る人々の周りを青いもやのようなものが薄く包み込んでいるのが見えるようになった。
人々の胸部分には真っ青に塗り潰された球体があり、そこから伸びる青い線が身体中に走っているのが見える。
これは何だろう、とルイズが見ていると、教壇に立ったカトリーヌが短く呪文を唱え始めた。
その瞬間、カトリーヌの全身から真っ青で巨大なもやが一気に立ち昇った。
そのもやは一瞬の内にカトリーヌの目前に集まり、凝縮されていく。
「ナパームビート」
カトリーヌが小さい声で呟くと、ドゴンッと地響きを伴う爆音が教室中に響き渡った。
見ると、カトリーヌの目の前にあったボロボロの椅子が粉微塵に砕け、それだけでなく石の床に1メイル程もある大穴が空いている。
「なっ、何をしている!?」
「あっ・・・」
教壇に立つ男性が驚愕の声を上げ、何故かカトリーヌも驚いた顔で目を丸くしていた。
そのまま男性がカトリーヌを叱責し始めるのを見つめながら、少女の視界が元の状態へと戻る。
(すっごい魔力。たかがナパームビート程度で・・・)
「何故床を壊す必要があったと聞いているんだ!」
「・・・ごめんなさい」
そう言ってカトリーヌは頭を下げるが、悪びれもせずに真っ直ぐ男性を見つめている。
見つめられた男性は「まったく!」と憤慨しているが、そのままカトリーヌへ席に戻るよう命じると、何喰わぬ顔でこちらへと向き直った。
「・・・何が言いたかったのかというと。
あー・・・、そう、ナパームビートは精神体へ有効な打撃となるが、突き詰めればここまでの威力を出せるのです。肉体を持つモンスターを傷つけずに捕える場合にも使える訳ですが、
えー・・・、詠唱が容易ですので自衛としても・・・」
しどろもどろと男性が説明を続ける中、少女はペラペラと羊皮紙の束をめくっていく。
そして羊皮紙をめくる手を止めると、そこに書かれている文章に目をやった。
その羊皮紙は他のとは違い、二つの短文が書かれていた。
『強力な魔法を構築する方法が必要』
『忘れるな』
その前者の一文には多くの矢印が引かれ、『先生』と書かれたもの以外にも多くの名前が記されていた。
後者の一文は羊皮紙の下側、その隅にひっそりと書かれている。
少女は前者の一文へ新たな矢印を引き、そして『カトリーヌ=ケイロン』と短く書き加えるのだった。
「噂通りね。見てたわよ、さっきの」
大きな噴水の傍で固そうなパンを齧っていたクリーム色の髪をした少女に向けて、視界の主である少女、リウスが声を掛けた。
彼女、カトリーヌは少し驚いたようにきょとんとした顔をしていたが、次第に強い瞳でこちらを睨みつけていた。
そして、さっきまで読んでいた本にもう一度目を落とす。
何も答えないその様子に、リウスは少しどぎまぎしながらも声を掛け続けている。
「ねえ。隣、いいかしら。ご飯食べる場所を探してるの」
「ダメ」
「そ、そう? ちょっと話したいだけなんだけどな。それならいいわ、ここで立ちながら食べるから」
「何の用・・・? 興味本位なら、あっちに行って。間に合ってるから」
「まあ、確かに興味本位よ。あなたが気になったって訳なんだけど」
リウスはそう言うと、皮袋からブドウの実を取り出した。
そして皮の付いたままのブドウを口へと放り込む。
その視界を見ていたルイズにも、甘酸っぱく美味しいブドウの味が口の中に広がっていく気がした。
「・・・色んな物を壊すって噂でも聞いたの? それとも、ウィザードの人が言ってる才能だのなんだのって言葉を鵜呑みにでもしたの?
それとも・・・、覚えてないけど、私があなたに何か迷惑をかけたの?」
少し怒っているかのような口調で、カトリーヌが静かに声を出した。
ブドウの味半分のまま、唾と一緒にごくりと飲み下す。
「迷惑なんて、別に私はそんなことされてないわ。噂は聞いたことあるけどそういうことじゃなくて・・・」
「もういい。あっちに行って」
リウスはそれを聞いて、そっか、と小さく呟いた。
(難しいわね。諦めた方がいいか・・・)
リウスは内心そう考えると、カトリーヌの開いた本をちらりと見た。
そこには数多くの動物の挿し絵が載っている。この本は、リウスも何度となく読み返した本だった。
「・・・ねえ、そういう動物とかって好きなの?」
「・・・」
カトリーヌがちらりとこちらを見る。
リウスははっとしてから慌てて口を開いた。
「あっ・・・。ごめん、迷惑だったわよね。もう行くわ」
リウスはそう言ってから、そそくさとその場を離れた。
立ち去る途中、小さな声でカトリーヌが声を出していた気がするが、リウスは気にはなったものの雰囲気の気まずさからさっさと立ち去っていった。
すると、場面が変わった。
ルイズが急に目に映った風景に驚いている一方、視界の少女もしょぼついた眼をこすりながら辺りを見回している。
薄い暗闇の中、周りは鬱蒼とした森に包まれていた。
空には三日月が煌々と輝いている。
どうやら大木に背を預けて座り込んでいるらしい。
小さな少年が自分の太ももの上に頭を乗せて、すうすうと寝息を立てて眠っている。
擦り傷や打撲などで身体中がズキズキと痛んでいるが、なんとか身体は動かすことができるようだ。
「・・・うなされてたよ」
大木の影から静かな声が発せられた。
月明かりに照らされたその顔は、カトリーヌだった。
「ああ、ごめん。うるさかったかな」
「別に」
カトリーヌの傍らには白い犬が丸くなって眠っていた。
しかし声は聞こえているのか、時々耳がぴくぴくと動いていたりする。
「カトリーヌ。そろそろ行く?」
「ううん、夜が明けてからの方がいい。オークも夜目が効く訳じゃないけど、それはこっちも同じ」
「そっか。確かに、見えない中であの数に囲まれたら終わりね」
リウスはそう言うと、もう一度大木に寄り掛かった。
「ただの討伐依頼が、凄いことになっちゃったわね」
「・・・たぶん、王都が事態を把握できてなかったんだと思う。何人かは逃げれたし、援軍は来るよ」
その言葉へリウスが曖昧に返事をした時、ルイズの目にいくつかの映像が浮かんだ。
巨大な塔の横にあった掲示板。『討伐の依頼』と大きく書かれている。
森の中を駆け巡る。周りには尋常でない数の、自分の倍ほどもある緑色で筋肉質な亜人。一緒に戦っている人が何人も倒れていく。
草藪をかき分けていく中で、震えてうずくまる少年を見つける。少し離れたところから大きな爆発音が地面を揺らす。
少年を連れて爆発のあった場所へ向かう。
先程よりもはるかに多い緑色の亜人の群れに、白い犬を庇いながら一人で戦うカトリーヌの姿・・・。
最後にルイズの視界は今いる暗闇の森へと移る。
そして、リウスは小さく溜め息を吐いた。
「あなたもバカね。そんな犬を庇ってギリギリまで戦い続けるなんて・・・」
心底呆れたようなリウスの言葉に、カトリーヌはむっとした表情を浮かべた。
「うるさい。それならあなただって馬鹿。その子もいるのに、助けに飛び込んでくるなんて」
「うるさいわね。しょうがないじゃない、あなた弓持ちに気付いてないんだもの」
「普通、マジシャンに気付ける訳ないよ。そもそもあの数のオーク相手に短剣で戦うなんて、馬鹿」
静かに言い合っていたリウスは突然くっくと笑うと、その笑顔のままで溜め息を吐いた。
「はいはい、つまり二人ともバカって訳ね」
きょとんとしていたカトリーヌもそれに気付いたのか、静かに笑った。
「そうだね。二人とも馬鹿だ」
月明かりの中、二人して静かに笑い合っている。
その内にリウスが明るい声で口を開いた。
「それで? 何で逃げなかったの?」
「・・・だって。この子、飼い犬でしょ? 死んじゃったら悲しむ人がいるかもしれないし」
「ああ、そういえば動物好きだったっけね」
「・・・言ったっけ?」
「言ってないわよ」
「じゃあ、何で?」
「いつも動物の本ばっかり楽しそうに読んでて、気付かれてないとでも思ってた? 魔法書を読んでたところなんて見たことないわよ?」
ああ、とカトリーヌが納得した顔になる。
リウスはその顔を面白そうに見つめていた。
「悲しむ人がいるからねえ。その子は人じゃなくって、犬よ?」
「犬だって、同じだよ。飼い主にとっては家族といっしょ」
「それは、あなたの家でも?」
「・・・うん。いつも一緒だった」
そっか、とリウスは告げる。
「まあ、その犬も飼い主が見つけられて良かったわね。この子も飼い犬が見つかってよかった」
「うん」
「それにしても、その犬はオーク相手に立ち向かっていったんだってよ。この子もこの子でわざわざ探しに来てるし。ムボーよ、ムボー」
「そうだね。ムボーだ」
そう言ってしばらく笑い合ってから、夜空を見上げると三日月が大分傾いてきていた。
そろそろ夜も明けることだろう。
「リウスは、なんで何度も私に話しかけてきたの?」
しばらく黙ってから、リウスは答える。
「別に。興味があったからよ」
「そうなの?」
「そうよ」
「それは、あなたが本当にしたかったことなの?」
「もちろんよ。どうしたの? さっきから」
「だって・・・。あんなに辛そうな顔、してたから」
その言葉で、今度はルイズの頭にいくつもの声と映像が飛び込んできた。
(忘れるな)
白髪の老人と楽しそうにお喋りをしている。
どうやら初めての手料理を食べてもらっているようだ。
(忘れるな)
まだ弱いけど、魔法の実演でようやく上手く出来た。
目を丸くしている人達と、まるで自分のことのように笑顔を浮かべている先生の顔。
(忘れるな)
様々な人と喋りながら色んな議論を交わし・・・。
魔法についてウィザードから教えを請い・・・。
とても面白い本を読んだり・・・。
興味深い生物を調査したり・・・。
先生にもそれを教えて・・・。
(忘れるな!!!)
その瞬間、ルイズの目に飛び込んできたのは満月に照らされている薄汚れた路地裏だった。
周囲には、朽ちた材木と藁で作られた家々が何の音も発さずに立ち並んでいる。
その通りの奥には、何か、黒い塊が転がっている。
近付いて、それに触れる。
手には何か、液体のような感触がある。
手が、震える。
足から、力が抜ける。
黒い塊にはほのかな温もりがあり、それが徐々に消え・・・。
(報いを―――――!!!!)
「リウス・・・?」
そう呼ばれて、リウスはハッと我に返った。
周りには鬱蒼とした森のみが広がっている。
ルイズは心臓がばくばくと高鳴っていることに気付きながら、先程の恐ろしい声に身を震わせていた。
「・・・大丈夫よ」
「・・・だいじょうぶ? って・・・、何が?」
「何がって・・・。ああ、そうね。話しかけたのは興味があったからよ。それだけ」
ぶっきらぼうにそう告げると、リウスは静かに黙りこくった。
森の闇が風に揺れて、ざわざわと音を立てている。
風に乱れた前髪を静かに整えながら、カトリーヌが何かそわそわしているのが目に入った。
「あのね、その・・・。私で助けになれることがあれば、いつでも言ってね・・・?」
「・・・」
「・・・私は、あなたを助けたいの。だって、もう、友達だって思ってるし・・・」
「・・・助けたい?」
「だって、いつも・・・。今だって、そんな辛そうな顔、してるから」
「・・・辛そう? ・・・私が?」
「あっ・・・。ごめん、もしかして違った・・・? あの・・・、もし私が邪魔だったら、いつでも・・・」
そう言って、カトリーヌは俯いてしまう。
リウスは、半ば呆然とした顔でその姿を見つめていた。
(そんなこと、ある訳がない)
リウスはまるで自分に言い聞かせるようにかすかに呟いていた。
その呟きで、頭の芯が熱くなっていく。
私が辛いだなんて、そんなことあるはずがない。
だって、私が悪いのだから。
あの男が悪いのだから。
父さんもエミールも先生も悪くなんてない。
悪いのは、私とあの男だ。
そんな私が辛いだなんて有り得ない。
そんな『権利』なんて、持っている訳がない!
「私には分からないけど、私はリウスの味方だよ。リウスがどう思っているか、分からないけど・・・、友達だもの」
うるさい・・・! 何も分かってないくせに・・・!
いい加減に、黙れ!!
「馬鹿にされても、ウィザードに認められてなくっても、ずっと努力してたじゃない。色んなところで、ずっと見てたよ。あなたを見てたら、私だって何回失敗しても頑張れるって思ってた。
ずっと、友達になりたかった」
何が、友達だ・・・!
人はいくらでも弱くなれる! 弱くなれてしまう!
私はあいつを八つ裂きにするために・・・!
二度と私の家族が死なないように、強くなり続けなければならないんだ!!
「それにリウスは、辛いことばっかりじゃなかったでしょ? 楽しかったことだって、いっぱいあったんでしょ?」
カトリーヌを睨み付けていた顔から、ふっと力が抜けた。
カトリーヌの言葉が、頭の中で鐘のように鳴り響いている。
楽しかった、こと。
その言葉に、底すら見えない憎悪が一瞬消えた気がした。
ふとリウスは、おぼろげな、はるか昔の記憶を思い出していた。
その記憶の中には、幸せそうに笑う父の姿があった。
そしてその横には、赤ん坊を抱いた・・・母の姿が。
-あらら、どうしたのエミール。お父さんが怖かったの?
-そんなこと言ってくれるなよ。ほーらほら、よしよし。
-ああもう。ほら、お姉ちゃんがよかったのね。はい、ご要望よ。リウス。
うすぼんやりとした記憶の中、あまりにも柔らかい赤ん坊が胸の中にいる。
言葉にならない言葉で、何の疑いもない顔をしながら笑っている。
(私は・・・)
赤ん坊の重さを感じていると、父と母が嬉しそうに呼びかけてくる。
二人の顔を見た私へ、本当に幸せそうな笑顔を向けてくれている。
(私は、もう一度だけでも・・・)
何かが、リウスの中で溶けていった気がした。
記憶の中にある父と母の笑顔があまりにも遠くに見える。
赤ん坊の嬉しそうな声がかすかに聞こえて、ゆっくり消えていった気がした。
(復讐すれば・・・、また戻ってきてくれるだなんて・・・)
「リ、リウス。あの、もし傷つけたのなら・・・」
ふと見ると、カトリーヌが近くに座っていた。
いつの間にか頬に涙が流れている。
ぱっと顔を背けて涙をぬぐったが、今更どんな顔をしてカトリーヌを見ればいいのか分からなかった。
「あの・・・。ご、ごめん、ね?」
「謝らないで」
何とかリウスは声を絞り出した。
今の言葉は、うまく言えただろうか。
「あなたのことじゃないの。私の話よ。あなたは何も悪くなんてない」
リウスの言葉にカトリーヌは小さくもごもごと声を出している。
何を言っているのかは分からないが、リウスはそんなカトリーヌの様子をちらっと見て、小さく笑った。
「いいから、カトリーヌは気にしないで。そう、ここで泣いちゃったことも口外無用! いい!?」
恥ずかしさを誤魔化すように、リウスがカトリーヌの顔を正面から見る。
カトリーヌはびっくりしたように口を半開きにしていた。
「う、うん。いいけど」
「オッケー、よーし。じゃあ、そうよ、ちゃっちゃと戻りましょ。そう、オーク達が来るかも分からないんだから」
ふと見ると、もう夜は明けていた。
美しい太陽が森を優しく照らしている。
リウスは自分の脚の上で寝入っている少年を起こそうとしたが、ふと動きを止めた。
「そう。それで、さっきの話だけど」
カトリーヌがこちらへ来た時に起きていたのか、まとわりついている白い犬の耳をいじっていたカトリーヌがこちらへ向き直る。
「次は魔法、教えてね。私の方でも何か助けになれればいいんだけど」
「う、うん。私はいいけど・・・。さっきの話って?」
「友達だのなんだのって話よ」
う、とカトリーヌが言葉に詰まる。
目線を泳がせながら何か言いたげな感じになっていて、リウスはその様子をちらりと見てから、溜め息を吐いた。
「友達になりたいって思ってたのはカトリーヌだけじゃないんだから」
それを聞いてから二拍か三拍か間を置いて、カトリーヌがほっとしたように静かに笑った。
「そうなの。安心した」
「なら良かった」
「・・・顔、赤いよ?」
「う、うるさいなあ。あーもう、恥ずかしいったら」
カトリーヌから顔を背けながらリウスは少年を起こし始めた。
それを見ていたカトリーヌはとても嬉しそうな笑顔を浮かべながら、くすくすと笑い続けていた。
ハッとして、リウスは目を覚ました。
自分がいる場所は、ゴトゴトと揺れる木製の部屋の中だった。
どうやらいつの間にか簡素なベッドで寝かされていたらしい。
ここは、飛行船の中なのだろうか。
傍らには、リウスのベッドに突っ伏して寝ているルイズの姿があった。
「ん・・・、むにゃ・・・」
ルイズの傍らには小さな籠が置かれている。
そこには包帯や水の入った小さな湯呑み等が入っていた。
ルイズの手には、真白い清潔なタオルが握られている。
「・・・また、心配させちゃったわね」
リウスはそう呟いて、さらさらとしたルイズの頭をゆっくり撫でる。
ルイズの髪は所々がもつれたように乱れていた。
どうやら、寝てしまう前に髪を梳かさなかったのだろう。
「貴族のお嬢さまなら、綺麗にしとかなくちゃダメでしょうに」
そう言いながらルイズの顔を見ていると、何の夢を見ているのか嬉しそうな表情のまま寝息を立てている。
まったく、とリウスはルイズの寝顔を見つめながら、さっきまで見ていた自分の夢を思い出そうとしていた。
しかし、さっきはとても懐かしい夢を見ていたような気がするが、何の夢だったのかあまり思い出せない。
すると出口と思われる通路から、何やら声が聞こえてきていた。
ルイズを起こさないようにそっとベッドから起き上がる。
リウスはまだ残っている痛みに少しばかり顔を歪ませるが、自分にかかっていた毛布をルイズにかけてから部屋の外へと向かっていった。
外に出たリウスは、眩しい朝日に目を細めた。
どうやらちょうど日の出も過ぎた時間のようだ。
朝早い船員達が甲板を忙しそうにうろつき回っている。
船はアルビオンへ向かっている途中のようだった。どうやら雲を越えた場所まで浮上して飛んでいるらしい。
目に飛び込んできた景色はまるで朝日で照らされた真白い海のように見え、その景色は美しいの一言に尽きる。
船員の邪魔にならないようにしつつ、リウスは甲板の上を見回していた。
そこで、ふと見知った顔と丸くなっているグリフォンに目を止める。
「おや、起きたのかい? ミス」
「ええ、ワルドさん」
何をしているのか、ワルドは甲板の帆へ向けて杖をかざしていた。
その体勢のまま、こちらへ向かってにこやかに笑顔を浮かべている。
「まだ寝ていても構わないよ。アルビオンまではあと少しかかるようだからね」
「いえ、もう目が冴えてしまったので・・・。昨日はすみませんでした。途中から記憶が無くって」
「起き上がれるだけ上出来だよ。無理言ってベッドを借りた甲斐がある」
リウスはその言葉に苦笑しながら、もう一度ワルドへ礼を言った。
「礼などいいよ。スカボローの港に着いてから、また大変だからね」
「と、いうと?」
「船長の話によると、王軍はニューカッスル付近にいるとのことだ。そしてニューカッスルは貴族派に攻囲されている」
「なるほど。スカボローからの距離はどのくらいですか?」
「丸一日といったところだろうな。あとは包囲陣をどうするかだが・・・陣中突破しかあるまい」
リウスはその言葉に頷いた。
圧倒的に優勢となっている軍団を抜けるには、多少無理やりにでも通る他にないのだ。
危険ではあるが、トリステインの大使に向けていきなり攻撃を加えてくることはないだろう。
リウスがワルドの姿をざっと見ると、ワルドは随分と疲れた顔をしていた。
主人の疲れを知ってか知らずか、傍に座り込んでいるグリフォンは未だにぐっすりと寝こけている。
「お疲れみたいですね。ちなみに、そこで何を?」
「ああ、どうやら船の『風石』が足りていないようでね。僕の『風』の力を貸しているんだ」
「『ふうせき』・・・?」
首を傾げるリウスに、ワルドは怪訝な表情をした。
「そう、『風石』だ。こういった船を飛ばしているマジックアイテムさ。なんだ、君の国にはそういったものが無いのかい?」
アレのことかな、とリウスは思い出していた。
学院にある書籍にそういったマジックアイテムが載っていた気がする。
こういった船の燃料のようなものなのだろう。
「私の国にも、こういった飛行船はあるんですが。私はあんまりその造りを知らないもので」
リウスは正直に答えるが、飛行船の数が少ないことは伏せておいた。
そもそも、自分が今まで見てきた飛行船のことは碌に知らないのだ。
隠すも何もあったものではない。
「なるほど、それで『風』の魔法を。随分お疲れのようですので、代われるなら代わりたいところなのですが・・・」
「ここまでやったんだ。最後まで僕がやらなきゃ沽券に関わってしまうよ」
ワルドがおどけたような様子でにやりと笑顔を浮かべる。
その表情に、リウスは内心驚いていた。
まるで初めてワルドの本当の表情を見た気がしたのだ。
「不思議なものだな。こうして東方のメイジと話せる機会があるとは思っていなかった」
しかしリウスは、緩んだ警戒心をもう一度引き締めた。
どうやらまだ話し足りないらしい。
ラ・ロシェールの宿で私の事をあれだけ色々聞こうとしていたのだから、当然といえば当然なのだろうが。
「僕は東方に興味があるのさ。よければ、君の話を聞かせてくれないかな?」
やっぱりきた。
そうは思いながらも、リウスは平然とした様子で答える。
「いえ、やめておきます。確か、『レコン・キスタ』でしたっけ。あの連中の目的は、東方にあるという聖地の奪還だったはず。それなら、私が簡単に漏らす訳にはいかないでしょう?」
「・・・僕とレコン・キスタに関係があるとでも言うつもりか?」
「そういう話ではないですよ。貴方は王宮直属の軍人です。つまり、トリステイン王宮との繋がりを持っている。レコン・キスタは色んな国に根を張っているんでしょう? だからですよ」
「・・・僕は君の話を誰にも漏らすつもりはないが」
不満そうなワルドに対して、リウスは少し困ったような顔で笑った。
「そう信じたいですが、すみません、確証が持てないんです。まあ、ひとつだけお伝えするなら・・・」
「何かな?」
「そもそも、私には東方についてろくな話は出来ないんです。私の国がどこにあるのか分からないですし」
あっけらかんと言ったリウスに、ワルドはまた怪訝な表情を浮かべる。
「うん? 東方、ではないのか?」
「それが分からないんです。確か、『エルフ』でしたっけ。耳が長くって、人と同じ姿の亜人種が東方にいるんですよね?」
「ああ、サハラを含んだ東方はエルフの領土だ」
「そのエルフっていうのを私は見たことないんですよ。だから私の国が東方のもっと先なのか、それとももっと別の場所なのか、分からないんです」
ワルドは思案に耽りながらリウスの話を聞いている。
帆に杖を向けるのすら忘れていた。
よっぽど興味を持っているようだ。
「なるほど・・・。それであれば、確かに仕方がない、か」
リウスはその言葉に頷いて答えると、用は済んだとばかりに短く会釈をしてからその場を離れようとする。
しかし、そんなリウスの背にワルドが声をかけた。
「すまない。最後にひとつ教えてくれ。一昨日、宿でイグドラシルという大樹の話を聞いたのだが」
ワルドに背を向けたままのリウスは、ゆっくりと、静かに歯噛みしていた。
あの話は、この世界の人へ伝えるべきではなかった。
盗賊騒ぎの時、フーケと戦った直後に気が抜けていたのかもしれない。
イグドラシルが東方にあると思われてしまえば、死者の蘇生が難しいこの世界の人にとって、この上なく魅力的なものとして映ってしまうだろう。
それこそ、戦争の発端になりかねない程に。
「その話、誰から聞きました?」
「ギーシュ君だ。確か、実や種は万能の薬だと言っていたかな。その葉っぱは、死んだ者を蘇らせられるのだろう?」
(ギーシュくん、後で覚えてなさいよ)
あんちきしょう、とばかりにリウスは思っていたが、溜め息をひとつ吐くとワルドに向き直った。
「そんな便利なものではないです。要は、薬の材料ですよ」
「そうなのか? 確かに、死者蘇生には条件があると言っていたが・・・。誰でも蘇生できるという訳ではないのか」
リウスはその言葉に顔を歪ませてから、ふふっと自嘲気味に笑った。
「そんな素晴らしい物があれば、誰だって苦労はしないです」
その顔を見たワルドは少し驚いた表情を浮かべ、気まずそうに目を背けた。
「・・・すまない。余計なことを聞いた」
リウスはハッとした。
今、自分はどんな顔をしていたのだろう。
そしてワルドは旅の中で見せてきた仮面のような表情ではなく、これもまたリウスにとっては見たことのない沈んだ表情を浮かべている。
「いえ、あの、怒ったりなんかしてないので・・・。そう、もうすぐアルビオンなんでしたっけ? ルイズを起こしてきましょうか?」
「いや、いいよ。アルビオンが見えたら僕から声をかけよう。それまでゆっくりしててくれ」
「そうですか。ではお言葉に甘えて」
リウスはそそくさとその場を立ち去っていく。
ワルドはしばらくの間、その後ろ姿を目で追っていたが、ふと思い出したように船の帆へもう一度杖を向けるのだった。