Double Servant -Poetry of Brimir-   作:ねずみ一家

20 / 73
第二十話 王女、ご行幸

今日の授業の担当は、どこか根暗な雰囲気を漂わせる教師、ミスタ・ギトーである。

 

彼はフーケ騒動の時、やたら揉めてはミセス・シュヴルーズを批判していた男だった。

日頃から自身の扱う系統をよく自慢しているが、そのくせ盗賊騒ぎでついに名乗りを挙げることがなかったことは生徒達の中でも既に周知の事実である。

 

要はその程度の器量なのだ、と生徒達は噂していたのだった。

元々嫌味ったらしい性格をしているのでギトーを庇う生徒もほとんどおらず、生徒達は口々にギトーへの悪口を吹聴していた。

 

今回の講義でも、彼はいつものように嫌味ったらしく自分の系統について語っている最中である。

風の魔法についての長い講釈を終えたギトーは、生徒達を見回してから口を開いた。

 

「最強の系統を知っているかね? ミス・ツェルプストー」

「『虚無』じゃないんですか? ミスタ・ギトー」

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているのだ」

 

キュルケは不快そうに眉を吊り上げる。

 

「『火』に決まっていますわ。全てを燃やし尽くせるのは炎と情熱、そうじゃございませんこと?」

 

不快そうな顔をちゃんと整えてから、キュルケは自信ありげに胸を張って答える。

しかしギトーは含みのある笑いを浮かべると、急に杖を引き抜いた。

 

周囲がどよめき出す中で、キュルケは先ほどよりも更に不快そうな表情になっていった。

ギトーは明らかにキュルケを舐めきった笑みを浮かべている。

 

「・・・火傷じゃすみませんわよ?」

「構わん、本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないならな」

 

例によって男物の平民の恰好をしているリウスは、先生ともあろう人が何を子供じみたことをやってるのかしら、と呆れ半分にその様子を見守っていた。

こんなことでは、かつてのギーシュのような貴族がいたとしても仕方が無いように思える。

 

キュルケはまるで仇敵を見るかのようにギトーを睨み付けると、胸元から自身の杖をゆっくりと取り出した。

そのまま詠唱を始めると、杖の先に拳程の小さな炎が浮かび上がる。

そしてキュルケの詠唱に合わせてその炎は徐々に大きくなり、最後には直径一メイルはあろうかという炎の塊が杖の先に浮かんでいた。

それを見た周囲の生徒達はざわめきながらも避難を開始していく。

 

キュルケは生徒達の避難が終わるのを確認してから躊躇いなくギトーに向けて杖を向けると、ボン、という音と共に、渦巻く炎の塊がギトーの元へと放たれた。

 

しかしギトーは小馬鹿にした表情を崩そうともせず、余裕な態度のまま軽く杖を振るった。

 

すると、ギトーの目前で八方から強い突風が巻き起こった。

大きな炎の塊はその突風によってもみくちゃになり、ついには散り散りになって消えていく。

キュルケや他の生徒達が驚きの表情を浮かべる中、その舞い上がった風は勢いを落とさずにキュルケに向かって押し寄せていく。

 

(吹き飛ばされる・・・!)

 

自身の炎が、こうまで容易く消されるとは。

 

悔しさに顔を歪ませたキュルケは、向かってくる暴風に身体を縮めて身構えた。

しかし、キュルケの視界の端には短剣を逆手に持ったリウスの姿があった。

 

「『アーススパイク』」

 

どん、と音を立ててキュルケの目の前に石の柱が突き立った。

その石柱によってギトーの突風は二つに割れ、キュルケ以外の椅子や本を吹き飛ばしてから消えていった。

 

「・・・何のつもりかね? ミス・ヴァリエールの使い魔」

 

顔を動かさずに、目だけでリウスを睨み付けるギトー。

それに物怖じすることもなく、リウスは椅子に座ったまま手に持つ短剣を腰のベルトにしまう。

そして、ギトーへ向かって平然と微笑んだ。

 

「素晴らしい魔法ですね、ミスタ・ギトー。僭越ながら、実技はここまででいいかと存じます。ああ、私の魔法は学校の備品を何一つ傷つけてはいませんので、ご心配なさらず」

 

すると、キュルケの目の前に立つ石柱はするすると床へと戻っていった。

残るのはギトーの暴風によって散らばった椅子や本だけである。

 

「何故私の邪魔をした、と聞いているのだ」

「ミスタ・ギトーは不思議なことを仰いますね。魔法の実演はもう示されたはずです。先ほども言ったように、授業の実技はここまででいいのでは?」

 

面白くなさそうなギトーは憮然とした顔をリウスに向けると、嫌味ったらしく口元を吊り上げた。

 

「そういえば、このクラスには君が決闘をした生徒がいたね。私にも同じように決闘でも申し込む気かね?」

「そ、それは違います、ミスタ・ギトー! あの決闘は僕から仕掛けたものです!」

 

教室の端にいたギーシュが声を張り上げるが、ギトーは気にした様子もなくリウスを睨み付けている。

 

「決闘など。貴方にそんなものは申し込みませんよ。そもそも貴方は強力なメイジなのですから、どちらにせよミス・ツェルプストーを傷つけるつもりなどなかったのではないのですか?」

「ほう、強力なメイジだと分かった途端に逃げ腰かね。決闘は勝てる者としかしないと言うことか」

 

そのギトーの言葉にルイズや他の生徒も声を張り上げようとするが、それよりも先にリウスが口を開いた。

 

「確かに私は貴方よりも未熟なメイジです。ですが、私は人を傷付けるためだけに魔法を使うつもりはありません。貴方は違うのですか?」

 

生徒達がその言葉に緊張を走らせる中、ギトーは苦虫を噛み潰したかのように顔を歪ませた。

 

「・・・君は、つくづく貴族を苛立たせることに慣れているようだ」

 

明らかに苛ついた表情のギトーに対して、リウスも鋭い視線をギトーへと向け始めていた。

 

隣にいるルイズには何となく分かっていたのだが、リウスはギトーのような行動を元々嫌っていそうだった。

この一触即発の雰囲気では、ルイズが口を出した所でミスタ・ギトーもリウスも引き下がらないだろう。ルイズは無事に終わりますようにと、はらはらしながら見守っていた。

 

「最強の系統とはどのようなものか・・・。その前では東方の魔法など、無力だということを教えてやろう」

「最強など、そのようなことで分かるとも思えませんが」

 

その言葉にも答えずに、ギトーは杖をリウスへと向ける。

それを見て眉をしかめたリウスはゆっくりと席から立ち上がり、生徒たちがいない場所まで移動していく。

 

「ほら、どうした? その短剣を構えなくてもいいのかね?」

「私は、戦う気などありませんから」

 

しかし、リウスはベルトに挟んである短剣の柄頭へと手をやった。

そして軽く触れることで、自分の体からガンタールヴのルーンの力を引き出しておく。

 

「・・・そうか、ならばいいだろう。その慢心を後悔するといい。

 ユビキタス・デル・ウィンデ――」

「失礼しますぞ!」

 

ギトーの詠唱が終わる寸前、急にバァンと教室の扉が開かれた。

ギトーはその音にびくりと体を震わせるが、リウスは動じた様子もなくギトーから視線を離さずにいる。

ギトーの姿が一瞬左右へとぶれると、リウスはその瞬間を逃さずに小さな声で呟いた。

 

「『スペルブレイカー』」

 

ギトーは魔法を詠唱し終わると同時に、自分の体から放出しようとした精神力が急に失われていくのを感じた。

そして何故か、自分の体が妙な虚脱感に包まれていく。

 

「な、何だ?」

 

ギトーは焦った様子で自分の周囲を見回したが、自分の周りに存在しているはずの分身たちは影も形も無い。

乱入者があったとはいえ、確かに自分は『偏在』の魔法を成功させたはずだというのに。

 

ギトーが唱えた『偏在』の呪文は、風によって自分自身の分身を作り出すスクウェア・スペルである。

分身はそれぞれが思考を持っているため、偏在を使えば複数の呪文を同時に扱うことすらできる。

 

先ほどの石柱で自分の突風が防がれたことを警戒していたギトーは、防げない範囲での魔法を繰り出すための下準備として『偏在』を唱えていたのだった。

 

「ええと、皆さんは何をされているのですかな?」

 

素っ頓狂な声を上げたのは、教室の扉の前に立っていたコルベールだった。

先ほど扉を勢いよく開けてきたのは彼だったようだ。

 

その頭にはロールした大きいカツラを乗せ、やけにゴテゴテとした派手すぎる服を着ている。

普段の彼を知るものから見れば、とうとう心労で気がおかしくなってしまったのかと心配してしまう恰好である。

 

生徒達の視線は、ドアの前のコルベールと、教壇に立つギトー、そしてギトーを見据えたままのリウスを行ったり来たりしていた。

その様子にコルベールもぽかんとした表情を浮かべている。

ギトーは間の抜けた顔をしているコルベールを睨み付けてから、リウスに顔を向けて口を開いた。

 

「貴様、何をした」

「私は何もしていませんよ。てっきり、ミスタ・ギトーが矛を収めてくださったのかと思ったのですけれども」

 

リウスはけろっとした顔で言う。

しかし、内心では困ったことになったかなと思っていた。

 

キュルケがいい様に扱われそうになったので、ついギトーの風を防いでしまった。

しかし、そのことで教師からここまでの扱いを受けるとは思っていなかったのだった。

 

『スペルブレイカー』は、相手の詠唱に合わせて放つことで対象が構築している魔力を一時的に狂わせる呪文である。

要は、強制的に魔法を失敗させる呪文だった。

 

そして、対象の魔法失敗によって空中に四散した魔力はすぐさまスペルブレイカーを放った術者の元へと吸収することができる。

半ば強制的に魔力の構築へ介入するため、対象となる相手にはほんの少しだけダメージが残ってしまうのだが、リウスが気にしていたのはそこではなかった。

 

ギトーから吸収した魔力が、予想よりもはるかに多かったのだ。

彼らが自分自身の魔力しか使っていないことを鑑みると、相当な高レベルの魔法を放とうとしていたように思える。

リウスも流石にそこまでギトーが怒っているとは思わなかった。

 

ようやく落ち着きを取り戻したギトーはリウスの両手をじっと観察していた。

 

確かに、この使い魔は自身の杖であるはずの短剣を握ってはいない。

だとすれば、この私が魔法を失敗したということか?

 

「ええと、ミスタ・ギトー。そろそろよろしいですかな?」

 

話の呑み込めていないコルベールが、何やら考え込んでいるギトーに向けて声を上げる。

 

「何の用ですかな、ミスタ・コルベール」

 

若干いらついた声で、ギトーはコルベールへ顔を向けた。

コルベールは彼の苛立ちにも気付かず、待ってましたとばかりに勿体付けた調子で口を開いた。

 

「えー、皆さんにお知らせですぞ。本日はトリステイン魔法学院にとって、良き日であります!」

 

更に勿体付けるかのように、コルベールは一息入れてから続けた。

 

「恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアのご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸されます!!」

 

途端に、周囲がざわめき出す。だがそれも当然のことだった。

 

アンリエッタ姫はトリステインの間では知らない者はいない程、有名な王家の一人だった。

多くの貴族たちが、みな彼女のために命と杖をささげる程の人気である。

特に、ギーシュなどの若い男性貴族からは大いに人気があった。

 

「決して粗相があってはいけませんぞ。急なことですが、今から全力を挙げて歓迎式典の準備を行ないます。よって本日の授業は中止。生徒諸君は今すぐ正装に着替え、門に整列すること! よろしいですかな?」

 

その言葉に生徒達は一斉に姿勢を正す。

そんな生徒達の様子を満足げに見つめたコルベールは、おほん、と喉の調子を戻してから話を締めくくった。

 

「諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、各々しっかりと杖を磨いておきなさい!」

 

 

 

 

魔法学院に続く街道を、聖獣ユニコーンにひかれた王家の馬車が静々と進んでいた。

 

その四方を王家直属の近衛隊が囲んでいる。

彼らは漆黒のマントを帯び、鷲の頭に立派な羽を持ったグリフォンに跨りながら静かに王族を守護していた。

 

馬車の中には、トリステイン王女であるアンリエッタが座っていた。

今年で十七歳になる、みずみずしく美しい少女である。

絹のように柔らかな紫の髪に、透き通るような水色の瞳。

その可憐な美貌もあって国民からの人気は絶大だが、今のところ政治的な実権は持っていない。

 

その隣には、王国の政治を一手に握っているマザリーニ枢機卿の姿があった。

彼は今年で四十だが、トリステインの内政も外政も全てを一手に引き受ける激務のために、年齢よりも十も二十も老いて見える。

彼は国民からあまり人気が無いが、この国の実質的な最高権力者ともいえる人物であった。

 

アンリエッタが沈んだ顔で溜め息をつくと、カーテンを閉め切った窓の向こうからふいに歓声が上がった。

聖獣ユニコーンを連れた馬車を見て、アンリエッタ姫が通ると気付いた平民達だろう。

 

「トリステイン万歳!! アンリエッタ姫殿下万歳!!!」

 

それに答えるべく、レースのカーテンを開けたアンリエッタは優しく微笑みながら顔を覗かせる。

すると、平民達から更に大きな歓声が上がった。

 

やがて人気の無い場所まで馬車が移動すると、アンリエッタはカーテンをそっと閉じて、小さく溜め息をついた。

 

「これで十三回目ですぞ、殿下」

「分かっておりますわ」

 

その虚ろな声に、マザリーニこそ溜め息を吐きたい気分だった。

この様子では自分が先程から話しかけていた政治の話をちゃんと聞いていたかも怪しい。

 

「王族たるもの、無闇に臣下の前で溜め息を吐くものではありませぬぞ」

「王族ですって? まあ、このトリステインにおける王は貴方でしょう? 今城下町で流行っている小唄をご存じないのですか?」

「存じませんな」

 

枢機卿は努めて何も知らないかのように答えた。

 

しかしこのマザリーニは、ハルケギニアの事なら何でも知っていると貴族の間で知られている程の人物である。

ふざけた貴族が『ガリアとロマリアの国境沿いにある火竜山脈のドラゴンには何枚の鱗があるか』と質問して、それを即答したというのはトリステイン貴族の中でも非常に有名な小話だった。

そんなマザリーニが巷で流行っている小唄を知らないはずがないのである。

 

しかし、最近この姫はいつもこんな調子だった。

そのため、マザリーニは内心不快に思いながらも敢えて知らないふりをしていたのだ。

 

それをアンリエッタは知りながらも意地悪そうに続ける。

 

「それなら聞かせて差し上げますわ。

 『トリステインの王家には、美貌はあれど杖は無し。杖を握りし枢機卿、灰色帽の鳥の骨』」

 

マザリーニは特に何の感慨も無さそうに、美しく歌われる唄を聞いていた。

鳥の骨などと陰口を言われるのは残念ながら慣れきっている。

 

「殿下、お止めください。下賤にも程がありますぞ。そこらの街娘が歌う小唄など、口にしてはなりませぬ」

 

その反応に、王女はつまらなそうな顔をして枢機卿をじとりと見据えた。

 

「良いではありませんか、小唄を口ずさむくらい。あと一年もしない内に、私は貴方の言いつけ通りゲルマニアに嫁ぐのですから」

 

アンリエッタが極めて不満に思っていたのはこの件だった。

この問答も何度したのかすら分からない程である。

マザリーニもそんなアンリエッタを内心不憫に感じていたのだが、こればかりはどうしようもない。

 

「仕方がありませぬ。我が国トリステインにとって、目下ゲルマニアとの同盟締結は何よりも優先すべき急務なのです」

「それくらい私とて分かっております」

 

憂鬱そうな表情で、アンリエッタはぷいと横を向いた。

 

「レコン・キスタとかいう者共が、アルビオンの可哀そうな王様を捕らえて縛り首にしようとしているのでしょう?」

「仰る通りです。かの『白の国』アルビオンの阿呆共は『革命』と称して王権を乗っ取ろうとしております。既にアルビオン軍はそのほとんどがあの者共の手に落ちました。

 そしてその軍事力を持って、次は我々トリステインへと矛の先を向けるでしょう」

「何という礼儀知らず共なのでしょう! 国を治め、臣民を慈しむ王家に刃を向けるなどとは!

 この世の全てが彼らの愚かな行為を許したとしても、私は許しませんわ。そして始祖ブリミルも決して許さないでしょう。ええ、許しませんとも!」

 

マザリーニはその皺だらけの顔にかすかな笑みを浮かべるが、すぐいつもの仏頂面へと戻る。

 

「良い心がけです。しかし寝返ったアルビオンの貴族共は強大の一言に尽きます。あの高名な、アルビオン空軍のほぼ全てが裏切ったのですから。王家は最早風前の灯にも等しいものとなっており、このままでは明日にでも王家は倒れてしまうでしょう。

 始祖ブリミルが授けし三本の王権の内の一本が潰える訳ですな」

 

マザリーニは眉間に皺を寄せながら、続いてぽつりと呟く。

 

「まあ・・・、内憂も払えぬ王家に存在など価値もなし、とも思えるところですが」

 

その言葉に王女の澄んだ薄いブルーの瞳が厳しく光る。

王女は静かに、しかし威厳を持ってマザリーニを咎めた。

 

「アルビオン王家の方々はゲルマニアの様な成り上がりとは違い、古くから我々トリステイン王家との親族にあたる王家なのですよ。幾ら貴方が枢機卿と言えども、その様な言い草は許しません」

 

そのアンリエッタの様相はまさに王家のそれであった。

その姿を見たマザリーニは静かに頭を下げる。

 

「失礼致しました。本日の就寝前に始祖ブリミルの御前で許しを請うことにいたしましょう。しかし、先程お伝えしたことは全て事実でございます。そして奴等はハルケギニア統一などと馬鹿げた夢物語を吹聴しております。殿下、分かっておられますな?」

 

その言葉を聞いたアンリエッタは重々しく口を開いた。

 

「あの者共が次に狙うは、我々トリステイン。アルビオンの軍事力はトリステインとゲルマニアが手を組んでようやく同等。だからこそゲルマニアとの婚姻がいる。そういうことですわね?」

 

アンリエッタは少しカーテンを開くと、つまらなそうに外を眺めながら小さく溜め息を吐いた。

 

「先を読み、先手を打つ事。それが政治なのです。私とて、殿下のお心に沿わぬことをお望みするのは本意ではございませぬ。しかしこれは王家のため、そしてトリステインの民草のためなのです。王家の務めとして、ゲルマニアへ嫁がれることは決まったものとお考え頂きたい」

 

アンリエッタは、もうその言葉に答えるつもりもないようだ。

そんな王女の様子に目を細めたマザリーニは窓のカーテンを少しずらし、外にいる腹心の部下を見る。

 

そこには年にして二十代の後半ほどの、羽帽子を被った若い貴族がいた。

口髭を生やして凛々しく精悍な顔立ちをしている。

 

彼はトリステイン王室に存在する三つの魔法衛士隊の一つ、王家守護の任を受けているグリフォン隊の隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵である。

 

「猊下、お呼びですか?」

 

マザリーニが顔を出したことにすぐ気付いた彼は、乗っているグリフォンを馬車の窓へと近付けた。

 

「ワルド君。殿下のご機嫌が麗しくない。何か気晴らしになる物を見つけてきてはくれんか?」

 

厳かに頷いたワルドは少し周りを見渡すと、街道の向こうに見える花畑へグリフォンを駆っていった。

 

花畑にゆっくり着地したワルドは腰に差してあるレイピア状の杖を引き抜くと、短くルーンを詠唱して咲き誇る花々を宙へと吹き飛ばす。

 

その中の白く大きな一輪の花を手に取って、ワルドは馬車へと戻ってくる。

彼はそれを優しく両手に包んで馬車の窓から枢機卿に渡そうとしたが、マザリーニは自身の顎を撫でながら低く呟いた。

 

「ワルド君。殿下がおん自ら受け取って下さるそうだ」

「光栄でございます」

 

ワルドが馬車の反対側へと回ると、すぐに窓が開いてアンリエッタが手を伸ばす。

その手にワルドは花をそっと手渡した。

 

すると馬車の窓からもう一度、今度は反対の手が差し出された。

ワルドは厳かな表情で、その手に恭しく口づけをする。

 

その手が静かに窓の中へと消えると、続いて馬車の中からアンリエッタが顔を覗かせた。

 

「綺麗なお花ですわね。ありがとうございます。隊長さん、貴方のお名前は?」

「ご拝顔を賜りまして光栄でございます。恐れながら、わたくしはジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと申します」

「まあ。ワルドという領地には聞き覚えがありますわ。ヴァリエール家の近くにある領地ですわね」

「はっ。ヴァリエール公爵家の方々とは、以前より大変ご懇意にして頂いております」

「そうでしたか。このお花、ありがたく頂きますわ。わざわざありがとうございました」

 

アンリエッタはそう言うと、その細い手で窓をそっと閉じた。

 

「随分お若い方でしたわね。枢機卿、あの方は使える者なのですか?」

「そうですな。彼の二つ名は『閃光』です。風のスクウェアであり、グリフォン隊の隊長だけあってその実力は折り紙つきです。かのアルビオンにもあれほどの使い手はおりますまい」

「そうですか。それは、頼もしいですわね」

 

アンリエッタは先程よりも少し和らいだ表情で、手に持った白い花を眺めた。

 

「この花のように、力強く野に咲く花々を羨ましく思いますわ。自らの力で咲き誇る花にこそ、美しさが宿るのではないでしょうか」

「そうですな。しかし、野に咲く花もいつかは枯れるか、何者かによって摘まれてしまうものです。家々に飾られる花と何が違いましょうか」

 

「・・・分かっておりませんわね」

 

そのマザリーニの言葉に、アンリエッタはもう一度深い溜め息を吐くのだった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。