Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
第十八話 いつかの夢 3つ目
ルイズは夢を見る。
夢の舞台は、自分のよく見知った庭だった。
トリステイン魔法学院から馬で三日ほどあるラ・ヴァリエール領地内の、住み慣れた屋敷の中庭である。
いつの間にか、ルイズは誰かから隠れるように植え込みの陰に隠れていた。
「ルイズ、ルイズ! どこに行ったの! まだお説教は終わっていませんよ!」
そう言って大声を出していたのはルイズの母だった。
そういえば、さっきまで出来の良い姉たちと魔法の成績を比べられて物覚えが悪いと叱られていたのだった。
ふと、隠れていた植え込みの下から誰かの靴が見える。
「ルイズお嬢さまは難儀だねえ」
「まったくだ。上の二人のお嬢様は、あんなに魔法がおできになるっていうのに・・・」
その言葉を聞いたルイズは悲しくて、悔しくて、一人植え込みに隠れたまま歯噛みをした。
そうしていると、召使たちは少し離れた植え込みの中をがさごそと探し始めたようだ。
このままでは見つかってしまう、そう思ったルイズは召使たちの気付いていない間に植え込みの中から逃げ出していった。
そして、自分がいつも『秘密の場所』と呼んでいる中庭の池へと辿り着いた。
ここはルイズにとって唯一安心できる場所で、あまり人が寄りつかない、うらぶれた場所だった。
池の周りには季節の花が咲き乱れ、小鳥が集うアーチやベンチがあった。
それを目印に島のほとりにある小舟を見つけると、ルイズはその中へと忍び込む。
この船遊びを楽しむためにある小舟も、今ではもう使われていない。
姉たちも母も父も、もうすっかり興味を失っているのだ。
ルイズは小舟の中に用意してあった毛布を広げると、頭からつま先まですっかり覆いかぶさった。
そして、先ほどの召使たちの言葉を思い出したルイズは、悔しさと悲しさで一人声を上げないようにしながら泣き始める。
ふと気付くと、池の周りは霧に包まれていた。
何でこんなに霧が、と泣き腫らした顔できょろきょろしていると、その霧の中から一人のマントを羽織った立派な貴族が歩いてきた。
年は十六歳くらいだろうか。自分の年は六歳だから十ばかり年上だ、とルイズはぼんやり考えていた。
「泣いているのかい? ルイズ」
つばの広い羽根付き帽子に、その顔が隠れていた。
しかし、ルイズには彼が誰だかすぐに分かった。
子爵さまだ。
最近、近所の領地を相続した、年上の貴族だった。
ルイズはほんのりと胸の中を熱くする。
憧れの子爵さま。晩餐会をよく共にして、父さまと彼とで交わされた約束。
「子爵さま、いらしてたの?」
ルイズはもう一度毛布で顔を隠した。
憧れの人にみっともない所を見られてしまったため、恥ずかしさが込み上げてくる。
「今日はきみのお父様に呼ばれたのさ。あのお話しのことでね」
「まあ!」
ルイズは頬を染めて、俯いた。
「いけない人ですわ。子爵さまは・・・」
「ルイズ。僕の小さなルイズ。きみは僕のことが嫌いかい?」
おどけた調子で言う彼に向かって、ルイズは大きく首を振った。
「いえ、そんなことはありませんわ。でも、わたしはまだ小さいし・・・、よくわかりませんわ」
ルイズははにかんでそう言った。
帽子の下の顔はにっこりと笑うと、手をそっと差し伸べてくる。
「子爵さま・・・」
「ほら、手を貸してあげよう。掴まって。もうじき晩餐会が始まるよ」
「でも・・・」
「また怒られたんだね? 安心しなさい。僕からお父上にとりなしてあげよう」
島の岸辺から小舟に向かって手が差し伸べられている。大きな手、憧れの手。
ルイズは頷いて立ち上がると、その手をそっと握った。
そのまま岸へと上がろうとした時、揺れる小舟に足を取られてルイズはよろめいてしまう。
その拍子に、彼の胸を両手で強く押してしまった。
「ご、ごめんなさい」
「貴方ったらすぐ謝っちゃうわねえ。こんなの、何でもないわ」
その女性の声に驚いたルイズは、目の前にある顔を見た。
そして、いつの間にかルイズは六歳から十六歳の姿へと変わっていた。
「リ、リウス?」
何故リウスと子爵様を間違えてしまったのだろう。
目の前のリウスの服装も、以前城下町で買った平民の恰好をしているというのに。
「どうしたの? 驚いちゃって。それよりも、もうすぐご飯よ。ほら、皆も待ってるわ」
周囲はミルクのような濃い霧に包まれたままだったが、リウスが指差した場所だけは霧が晴れているようにしっかりと見ることができた。
ルイズは、いつかその場所を見た覚えがあった。
まだ池の近くでパーティーを開いていた時に似た光景だ。
テーブルが並び、そこに朝食が添えられている。
そして、そこでは人々が歓談していた。
しかし不思議なことに、その人々の姿だけは霧に紛れたような白い影となっていた。
白い影のような人々はルイズに気付いたのだろうか、こちらへ向かって手をふっているのが分かる。ルイズ、と口々に名前を呼ぶ声がした。
その声達には、聞き覚えがあった。
「母様に父様、姉様にちい姉様? それに、キュルケにタバサ、モンモランシーにギーシュもいるわ。他に、学院の皆もいるのかしら? 誰だか分からない声も聞こえるけど・・・」
リウスはにっこりとルイズに微笑んでいる。
「行けば分かるわ。皆も待ちくたびれてるわよ」
そう言って、リウスはルイズの背中を優しく押した。
少し不思議に思ったルイズはリウスの顔を見る。
「リウスも一緒に行くんでしょ?」
しかしリウスは、寂しそうな顔で笑っていた。
「ルイズ、貴方も分かっているでしょう? これは、仕方のないことなんだわ」
いつの間に手に持っていたのだろうか、リウスが可愛らしい木彫りの馬人形の片割れを手渡してきた。
これは、少し前に城下町でリウスが買ってくれたものだ。
ルイズはきょとんとした顔のままでその人形を受け取る。
すると、目の前のリウスはまるで塵になったかのように、ゆっくりと霧に紛れて消えていった。
「あれ? リウス、どこ? リウス、リウス!」
周りを見回しても近くには誰もいない。
しかしふと気付くと、すぐ後ろに誰かが立っていた。
「どうしたんだよ、ルイズ。でっかい声出して」
さっと振り向いたルイズの前には、見知らぬ少年が立っていた。
その少年は見たことのない青いフードつきの服を着ていた。
身長は170サント程だろうか、あまり見慣れないぼさぼさの黒髪をしている。
「あなた、誰?」
ルイズの怪訝な声に、目の前の少年はむっとしながら口を開いた。
「誰ってなんだよ、寝ぼけてんのか? ***だよ」
肝心の名前が何故か聞こえてこなかった。でも、彼の名前は知っているような・・・。
「え、ルイズ冗談だろ? 俺だよ、***だって。お前の使い魔で、お前が呼び出したんだろ」
「私の、使い魔?」
違う。私の使い魔は・・・。
そこまでルイズは考えたが、思い出そうとした人が誰なのかが分からなかった。
顔も思い出せないし、名前も分からない。
知らない内にルイズの目から涙がこぼれていく。
何で、こんなに悲しいのだろうか。
「え? ルイズ、どうしたんだよ」
「ダーリン! 何やってるのよ。ルイズも何をぼうっとしてるの? ってあら、どうしたの?」
目の前の少年にキュルケが飛びついていたが、キュルケはルイズの様子に気付くとびっくりした表情を浮かべた。
少し離れた場所にいた人々も何かあったのかとこちらへと近付いてきている。
いつの間にか彼らは白い影ではなく、はっきりと姿が見えるようになっていた。
違う、違う、とかぶりを振って泣き続けるルイズに対して、家族も友人達も、皆が心配そうにルイズを慰めていた。
すると、突然ふうっと視界の全てが濃い霧に包まれていく。
「君は、準備をしておくべきだ」
気付くと、目の前には静かな青い目をした金髪の青年が立っていた。
優しげな口調でルイズに向かって語りかけている。
ルイズは手に持った馬の人形を胸に抱えながら、必死に誰かの名前を思い出そうとしていた。
「これで君にだって分かるだろう?」
いやだ。あの人は家族も同然だった。あの人の名前、あの人の名前は。
「夢は起きれば忘れてしまう。そして、君にはまだ許されている。だからこそ少しでも残しておきたいなら、準備だけはしておくことだよ」
金髪の青年はそう言い残すと、彼自身も霧の中へと紛れてしまった。
そのままルイズすらも霧の中へと飲み込まれていく。
そして、何もかもが白い景色に包まれていって、ルイズには何も分からなくなってしまった。
ルイズははっとして目を覚ました。
体中にじっとりと汗をかいている。
まだ日も昇っていないようで、部屋の中は真っ暗だった。
「・・・準備をしておく?」
何か、ひどく悲しい夢を見ていた気がする。
しかしたった今見ていたはずの夢はほとんど思い出すことが出来なかった。
ルイズは自分の顔に手をやると、いつの間にか自分が泣いていることに気が付いた。
「何で、わたし・・・」
確か、自分の家の中庭が出てきて、懐かしい子爵様が現れて。
その子爵様が、誰か、誰かに・・・。
そこから先がどうにも思い出せない。
準備をしておくべき、という言葉だけは頭の中に残っていた。
「・・・何の準備を?」
暗い部屋の中、ルイズは誰に言うでもなく呟いた。
ううん、と横で寝ていたリウスが寝返りをうつ。
それを見たルイズはばさっと布団を被ると、眠るリウスの背中に対して身を寄せた。
そして彼女の背中に自分の額をくっつけると、早く忘れてしまおうとまぶたを強く閉じるのだった。
「ええと。『そして、勇者イーヴァルディはお姫様の』・・・『走るお祭りで笑った』?
凄い光景ね・・・。直訳だと意味分かんないわ」
タバサの細い指がテーブルに置かれた本の一文を示した。
「これは、英雄を迎える式典のこと。縦走記念式典というのが昔話に出てくる」
「ああ、そういうこと。どういうものなの?」
「昔のトリステインの英雄がロマリアで密書を受け取った。ガリアは阻止しようとしたけど、その人はトリステインまで歩いて持ち帰った。『大変な任務でも立派にこなした人』へ送られる式典」
「なるほど。物知りねえ、タバサ」
リウスは今現在、トリステイン魔法学院の図書館にいた。
本日は虚無の曜日ということで、リウスは以前オールド・オスマンに入ることを許可された図書館へと早速来てみたのだった。
簡単な文字の読み方はここ数日の間ルイズから教えてもらったが、それでも未だに分からない言葉が多い。
そのため、ルイズから借りた辞書を片手に図書室へと乗り込んだのである。
ルイズはといえば、昨夜遅くまでリウスに文字を教えていたためにまだ眠っている。
朝方に目が覚めたとはいえ眠っているルイズを起こすのも何なので、簡単な書置きをしてからリウスだけでこの図書館へと来た。
少し前に、そこで偶然タバサと出会ったのである。
「・・・何してるの?」
異様な大きさの本棚を前にうろうろと読めそうな本を探していたリウスへ、横からタバサが声をかけてきた。
「あら、おはようタバサさん。ちょっと子供が読むような本を探してるのよ」
「・・・何のため?」
タバサは相変わらず眠そうなぼんやりとした顔をしていた。
リウスは右手に持った辞書をぱっとタバサへと見せる。
「今、ここの文字を勉強中でね。私でも読めそうな童話本を探してるの」
「? でも、会話は出来てる」
「そうなのよね。話すことは出来るんだけど、文字は読めないのよ」
「・・・そう。童話ならもう少しこっちにある」
タバサはそう言うと、てくてくと奥の本棚へ歩いていく。
教えてくれるのかしら、とリウスは言葉少なげなタバサの後を付いていった。
「これなら、読みやすいと思う」
リウスはタバサが差し出してきた真新しい本を笑顔で受け取ると、その表紙に書かれたタイトルをぎこちなく読んでいく。
「ありがとう。ええっと、イー、ヴェルデ・・・」
「『イーヴァルディの勇者』」
間髪入れずに訂正を加えたタバサの言葉を聞いて、今度はイーヴァルディか、とリウスは目を丸くしていた。
イーヴァルディという名前は、リウスの世界の神々が使用した武具を作った鍛冶屋だか、その鍛冶屋に関わる人物として存在する名前だったはずだ。
やはり、童話は役に立つものである。
童話は、伝説や神話といった宗教に関わるものであったり、国の成り立ちや大事件といったスペクタクルな物語を、子供でも理解できるように作られたお話が多いのだった。
もちろんそれが全ての童話に当てはまる訳ではないし、詳細を省いている場合がほとんどだが、その国の考え方や文化を軽く知る分にはちょうどいい。
字の勉強と相まって、一石二鳥というものだ。
「あれ?」
リウスは、タバサが本を抜き取った本棚をまじまじと見つめた。
先程の本が入っていた場所の両脇にも、『イーヴァルディ』という名前が見て取れる。
「そう。こっちの本も同じ名前。でも内容が違う」
「へえ、面白いわね。じゃあこれも持っていこうかな」
ひょいひょいと本を手にしたリウスは満足げにそれらの本の背表紙を見る。
「案内してくれてありがとう。早速読んでみるわね」
手に持った本を脇に抱えると、リウスはテーブルのある場所へと向かう。
すると、後ろからトコトコとタバサが付いてきていた。
「・・・さっき渡した本は読んだことがある。何か分からないところがあったら、聞いて」
「そうなの? ありがとう、タバサさん」
リウスはそう言って、タバサの顔を見る。
すると、タバサはリウスの目をじっと見つめてから小さい声で呟いた。
「・・・バサでいい」
「うん?」
よく聞き取れなかったのでリウスは聞き返す。
「キュルケを呼ぶように、私のことはタバサと呼んで」
今度ははっきりとタバサが告げた。
確かに、私はいつの間にかキュルケを呼び捨てで呼んでいたな。
そう思ったリウスはタバサへと笑いかけた。
「そうね、他人行儀だったかしら。じゃあこれからはタバサって呼ぶわ」
タバサはまだ何か言いたいことがあるのか、しばらくじっとリウスの目を見つめている。
しかし彼女は何も言わないまま踵を返すと、トコトコと奥の本棚へ向かっていった。
タバサの後ろ姿を少しの間見ていたリウスだったが、ふっと小さく笑うと脇に抱えた本を持ち直してテーブルのある席へと向かう。
(ま、いっか)
どうやら嫌われてはいないようだ。
他にも何か話したいことがあるようだが、聞きたいことがあるのならまたどこかのタイミングで聞いてくるだろう。
リウスはそう思いながら辿りついたテーブルに数冊の本を置くと、その一番上に置かれた童話本を開く。
これは先ほどタバサから受け取った童話本だ。
もちろん、テーブルには持ってきた辞書やメモ用の羊皮紙を開いて用意しておいた。
リウスは自分で思っていたよりも順調に本を読み進めていく。
本の内容は、イーヴァルディという少年が臆病な自分の心を奮い立たせながら、色々な人を助けたり、時にはならず者や盗賊と戦ったり、貴族の少女と恋をしたりというものだった。
最終章のシーンは、ドラゴンに連れ去られた少女を助けるためにイーヴァルディがドラゴンの住む洞窟を目指している場面だ。
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イーヴァルディは竜の住む洞窟までやってきました。従者や仲間たちは、入り口で怯え始めました。猟師の一人が、イーヴァルディに言いました。
「引き返そう。竜を起こしたら、おれたちみんな死んでしまうぞ。お前は竜の怖さを知らないのだ」
イーヴァルディは言いました。
「ぼくだって怖いさ」
「だったら正直になればいい」
「でも、怖さに負けたら、ぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが、竜に噛み殺される何倍も怖いのさ」
~~~
静かな時間が図書室に流れている。
この本はよくある国の英雄を描いた英雄譚ではなく、イーヴァルディという少年が勇者と呼ばれるまでの出来事を描いた英雄譚だった。
宗教や国家の正当性などを示したものではなく、少年が英雄となるべくその心を成長させていく様子が描かれている。
少年イーヴァルディはついにドラゴンを打ち倒し、少女を助け出す。
そのことで未来の領主となる道が開かれるのだが、イーヴァルディはそれを拒否し、より多くの人を助けられるようにと旅へ出る。
いつまでも、イーヴァルディの背を見つめ続ける少女を残して・・・。
ぱたんと本を閉じたリウスには、少し思うところがあった。
リウスがこういった本を初めて読んだのは魔法都市ゲフェンに着いてからだ。
昔は、こういった内容をひどく毛嫌いしていた。
こんなことがあるはずがない、こんなものは単なる夢物語にすぎないのだ、と。
しかし今落ち着いて考えてみると、たぶん私もこういった話に憧れてしまったのだろう。
憧れたからこそ、こういう勇者がいるのであれば何故私達を助けてくれなかったのかと逆恨みしていたのだと思う。
だが、思えば私は幸運だった。
私は感謝しなければならなかったのだ。
先生が、あのスラムから私を連れ出してくれたのだから。
静かに目の前の本を横へどかすと、机に置いていた羊皮紙へ本の内容を簡単にメモしておく。
少し考えてから、そのメモに矢印を引いて『ルーンミッドガッツ王国におけるイーヴァルディとは関係無し』と付け加えておいた。
リウスが次の本を手に取って開こうとすると、リウスの横の椅子が静かに引かれた。
「・・・」
トン、と数冊の本を置いてリウスの横に座ったのはタバサだった。
タバサは何も言わずに自分の本を手に取って、姿勢よく読み始める。
リウスはタバサの姿を一瞥して口を開こうとしたが、特に何も言わずに次の本を開いた。
ルイズとキュルケが言い合いをしながら図書室に入ってくるのは、リウスが最後の本の分からないところをタバサに教えてもらっている最中になるのであった。