Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
ロングビルが横へ倒れるのと同時に、リウスも足から力が抜けたように尻餅をついた。
「リ、リウス!」
ルイズは土に塗れていたが、全く気にもせずにリウスの元へ駆け寄った。
次いで、キュルケとタバサもリウスの所に走ってくる。
「横になって! 今すぐ学院に運ぶから!」
「大丈夫、大丈夫よ。少しふらついただけ」
「大丈夫な訳ないでしょ! 血がこんなに出てるのに!」
ルイズがそう叫ぶと、すぐ近くでシルフィードの羽ばたく音が聞こえてきた。
「リウス! 平気なの!? ああ、どうすればいいの!?」
「もう、大丈夫だったら」
「いいから喋らないで! 早く横になりなさい!」
「応急手当が終わったらすぐに学院へ連れて行く。ギーシュはロングビルを捕らえて」
「わ、分かった!」
タバサが指示を出すと、ギーシュはよろよろとふらつきながら自分のマントでロングビルをきつく縛り付けた。
タバサとキュルケはルイズと同様にリウスの顔や傷を覗き込むと、自身の顔を歪ませる。
リウスの身体は正に血だらけだった。
怪我をした左腕と右足だけでなく、胸の傷や口から吐いた血がリウスの首と胸を赤く染めている。
三つ編みがほどけた薄桃色の髪には真っ赤な血がべっとりと付き、地面に広がっている血だまりはその傷の深さを物語っていた。
これで、大丈夫な訳がない。
間に合わないかもしれない。いや、先ほどの傷で間に合うはずがない。
応急手当を始めようとするタバサの額には汗がにじんでいた。
しかし、リウスの胸元を見てはっと驚いた顔をする。
「傷が・・・、ない・・・?」
ルイズやキュルケも、リウスの胸にあるはずの傷を覗き込んだ。
剣で刺し貫かれた箇所は血で真っ赤になっていたが、確かに傷らしい傷は見当たらない。
かすかに薄く残る傷跡があるだけだ。
「さっき身体を回復させる薬を使ったのよ。一個しかなかったんだけど、あって良かった。
あの状態じゃゴーレムの剣を利用するしかなかったけど、おかげで皆無事みたいね」
リウスがそう言うと、ふいにルイズがリウスの頭を思いっきり平手で叩いた。
キュルケとタバサが驚いてルイズを見ると、ルイズはぼろぼろと泣きながら震えていた。
「馬鹿、馬鹿リウス! ふざけないで! 無事じゃないわ! あなたが無事じゃない! 一人で傷だらけになって、何考えてるのよ!」
「ちょっとルイズ、何やってるの! 怪我してるのよ!?」
キュルケが焦ってそう怒鳴ると、ルイズはリウスに抱きついて泣きじゃくった。
「嫌いだわ・・・、貴方なんて大嫌い。何でこんなことするのよ・・・。私が泣かなくなるまで、いなくならないって言ってたじゃない。
わ、私のせいで、皆が危ない目に合ったのに・・・。私がすぐに逃げなかったから、こんなことになっちゃって・・・」
リウスは泣きじゃくるルイズの頭をぽんぽんと優しく叩くと、その柔らかな桃色の髪を撫でた。
「失敗したのは私の方よ。ルイズ、ゴーレムを倒したさっきの魔法、見事だったわ。
ルイズが魔法を使って戦ってくれたから、秘宝も取り戻せて犯人も捕まえられた。貴方の力で全部上手くいったのよ」
ルイズは顔も上げずに、リウスに抱きついたまま泣き続けている。
「皆もおつかれさま。それじゃあ、学院に帰りましょうか」
「それで、体は本当に平気なんでしょうね?」
ルイズがリウスをじろりと睨みながら言った。
その目は泣き腫らして真っ赤になっていたが、いつものルイズの調子にリウスは少しほっとする。
一行は来たときと同じように、全員で馬車に乗って学院へと向かっていた。
『土くれ』のフーケに仲間がいる可能性もあるので、念のため周囲の警戒はしているのだが、先程のロングビルの必死さを見るに単独犯である可能性が高い。
そのため一行にはそこまでの緊張感も無く、のんびりと学院に続く道を進んでいた。
なお、来る時と違う点があるとすれば、馬車の隅にきっちりと縛られたロングビルが転がっていることくらいだった。
ロングビルはギーシュの持っていたベルトや紐で手足を縛られた挙句、もう一度ギーシュのマントで腕ごと体を縛り上げられていた。
そして、口にはさるぐつわがはめられている。
仮に拘束が解けたとしても、隠し持っていた杖も含めて全てへし折った上にキュルケの特大の炎で灰にしてあった。
もうどうやっても魔法は使えないだろう。
「ええ、もう体に問題はないわ。さっきは一気に血が無くなったから、ふらっと来ただけだと思う」
「ならいいけど。髪、ほどけちゃったわね。結んであげようか?」
リウスは肩から胸元にかかった自分の髪を一瞥する。
薄桃色の髪の所々についた血は、すっかり固まってしまっていた。
「血も付いちゃったし洗ってからにするわ。ありがとうね、ルイズ」
「平気ならよかったわ。それにしても、リウスのいた国って凄いわね」
馬を引いていたキュルケが声を上げる。最初はギーシュが御者に名乗りを上げたのだが、魔法の使い過ぎでよろめくギーシュに代わり、キュルケが馬車を引くことにしたのだった。
「あんな深手をあっという間に治しちゃうんだもの。それに、光の球や火の魔法もリウスの魔法なんでしょう? あんなの見たことないわ。東方って、凄いところなのね」
リウスは、東方ではなく異世界から来たことをまだ彼女達には伝えていない。
まるで騙しているようで後ろめたく思っていたが、今ここにはロングビルもいるのだ。
もう彼女はこのまま捕まるだけだろうが、異世界から来たなどと迂闊に喋ってしまう訳にもいかないだろう。
「あの薬は人が作った物じゃないんだけどね。私のいた国じゃないんだけど、東方にはイグドラシルっていう巨大な樹があるの。あの薬は、そのイグドラシルの種よ。
イグドラシルの実ならどんな傷でも完全に治すことができるし、その葉っぱは死んだばかりの人を生き返らせることができるわ。条件はあるんだけど」
平然と説明するリウスに、一行は信じられないといった顔をした。
「じゃ、じゃあ、ミス・リウスも何度か死んだことがあるってことですか?」
「ギーシュくん敬語なんていらないってば。そうね、何回あったか分からないくらい。今回も死ぬかと思っちゃった」
「道理で、無茶をすると思った」
「もう、本当ですよ。無茶しないでください」
タバサとギーシュが溜息交じりに呟くと、リウスは苦笑した。
「まあ、持ってたのはさっきの種だけよ。他は何も無し。だから死んじゃったら私も生き返れないわ」
「じゃあ、なおさら無茶なことはしたらダメじゃない。いい? あんなことはもう止めてちょうだい。次は無いわよ」
「分かったわよ。次からは気を付けるわ」
ほんとかしら、とルイズは横目でリウスの顔を見る。
今回のようなことがあればまたやりそうだ。
そんなルイズの様子にリウスは焦ったように苦笑いを浮かべた。
「ほんとだって。私だって死にたくないし、今回は皆に助けられたようなものなんだから」
「でも、リウス。私は何にも出来なかったわ。あなたとタバサに助けられてばっかりで」
キュルケが暗い声で呟いた。それを聞いたリウスは小さく笑う。
「そんなことないわよ。キュルケが何度も隙をついてルイズの所に行こうとしたから、あのゴーレムもキュルケを狙わざるを得なかったんだから。そのおかげで私達は大分楽になってたわ」
「そう。キュルケがいたおかげ」
リウスの言葉にタバサも短く賛同の声を上げた。
「ギーシュくんもギリギリまでルイズを守ってくれていたし、ルイズが魔法であの鉄のゴーレムを倒したから私も間に合った。このメンバーじゃなかったら、ここまで上手く行かなかったと思うわよ」
一行はそのリウスの言葉に少し黙り込んだ。
今思えば、これは綱渡りだったのだ。
リウスの言う通り、誰が欠けていてもこの結果はありえなかった。
ルイズはそう思うと、今更ながら背が凍る思いをしていた。
「私は、やっぱりロングビルを許せないわ」
ルイズが短く呟く。その言葉は不穏な空気を持っているように思えた。
少しの沈黙の後、リウスが口を開いた。
「いい? ルイズ」
ルイズは鳶色の瞳をリウスへと向ける。
「ロングビルを憎んじゃ駄目よ。あのことは、もう起きたことなの。そしてその結果、私たちは無事ここにいるのよ。
・・・私たちは誰かを憎むためにこうして生きている訳じゃない。たとえ私が刺された時に、私が死んでいても」
リウスはルイズの目を見つめたまま薄く笑いかけていた。
「なるべくしてなった、それで良いはずよ」
その言葉は妙に実感がこもっていて、一行はなかなか口に出して否定することができなかった。
リウスは、視線をルイズから青く突き抜けた空へと巡らせている。
「憎み続けていても、その憎しみの相手がいなくなればそれでお終い。居なくなった人が戻ってくる訳じゃないわ。
結局、降りかかる運命から人は逃れられない。出来ることといったら、その降りかかった運命にどうにかこうにか抗うことだけよ」
リウスはまるで昔話をするかのように小さく語っていた。
そして誰を見るでもなく視線を足元に向けた時、リウスは自分の髪にこびりついた血が視界に入ると、そっと目を逸らした。
「じゃあ、憎んでいる相手を誰も罰せられないのなら、あなたはどうすればいいと言うの?」
そう声を出したタバサはリウスをじっと見つめていた。
彼女には珍しく、その目には怒りの色がこもっているように見える。
リウスはタバサの顔を横目で見てから、ゴトゴトと揺れる馬車の床へと視線を落とした。
「その人を止めればいいと思うわ。そして、恨みを晴らすために殺してしまってもいい。
でも居なくなった人が望んでいたことは、そして貴方がやりたかったことは、本当にそれだったの?」
その言葉は一行と、そして目が覚めていたロングビルの耳にも届いていた。
しかし、その小さく寂しそうな声は風にかき消され、ざわめく木々の中へと淡く消えていったのだった。