Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
ここ最近、トリステインの貴族たちは『ある問題』に悩まされていた。
神出鬼没な盗賊、『土くれのフーケ』に狙われた貴族たちが後を絶たないのだ。
性別年齢出身、その全てが謎に包まれているその盗賊は、宝石でも絵画でも、武器や防具、骨董品やヴィンテージワインであっても、価値のあるものなら何でも盗んでいく。
ある時は堅固な壁を文字通り『土くれ』に変えてひっそりと金目の物を奪い、別の事件では巨大なゴーレムを操って力任せに強行突破する。
その時その時の状況に合わせて手口を変えてくるその盗み方に、貴族たちは手をこまねいていた。
分かっているのは、フーケがトライアングル以上の『土』系統のメイジだということ。
そして、お宝の中でもマジックアイテムには特に目が無いことだけだ。
貴族たちはこぞって下僕に剣を持たせたり、高レベルの『固定化』を使って対策を立てたりするものの、未だにフーケを捕らえるどころか、その正体すらも掴めないでいる。
そして、その『土くれのフーケ』は今トリステイン魔法学院の宝物庫の中にいた。
もちろん宝物庫にぎっしりと詰まっているお宝が目当てであるが、当の怪盗は焦った様子で一人愚痴をこぼしていた。
「ったく、少しは整理しなさいよね。どこに何があるか分かったもんじゃないわ」
何度かこの宝物庫には入ったことがある。
その度に目当ての物を探すが、なかなか見つからないのだ。
そのため、業を煮やしたフーケはこうして深夜にこっそりと侵入しているのだが、お目当ての代物は一向に見つからなかった。
フーケの目的であるお宝は一冊の本だった。
だからこそ、どの場所に紛れ込んでいるのか分からないのである。
「絶対あるはずだよ。何で無いのさ」
フーケは若干疲れた様子で床に腰を下ろした。
そろそろ戻らなくてはならない。ただでさえ、こうした深夜の侵入は危険極まりないのだ。
もちろん、見回りの衛兵が巡回するタイミングは把握している。
そのため有り得ないことではあるのだが、もし誰かに見つかりでもすれば言い訳など出来るはずもない。
もう、目当ての物ではなく他のお宝を持っていくべきかもしれない。
こうして見るだけでもいくつか高く売れそうなマジックアイテムが置かれている。
それに、当初盗み出そうとしていた「破壊の杖」も既に発見しているのだ。
(そろそろ、潮時かもね)
そう考えつつも依頼主から提示された莫大な報酬を思うと、フーケは落ち込んだように短くため息をつくのだった。
魔法で作った灯りがほのかに宝物庫を照らしている。
そろそろ行こう、と立ち上がったフーケは、ふと茶色い棚の下にある隙間が気になった。
確か、あそこはまだ探していなかったはずだ。
まさかこんな所に?
フーケはそう思いながらも魔法の灯りで隙間の暗がりを照らしてみる。
すると、宝物庫の床に30サント程の小さな隠し扉を見つけた。
これだ。
フーケはにんまりと口を吊り上げた。
宝物庫の中に隠し扉を作っているとは、用意周到なことだ。
鍵がかかっているようだが、床の『固定化』は宝物庫の外壁に比べるとそれほど強力なものでもなさそうだった。
外壁は内側から『錬金』で崩していっても半日はかかる。
しかしこの隠し扉ならば、今すぐにでも私の『錬金』で破ることができるだろう。
ようやく目当ての物が入っているであろう場所を見つけたフーケは、内心小躍りしたい気持ちでいっぱいだった。
しかし事に至るのはまだ先だ。
今、この隠し扉を破る訳にはいかない。
そう考えたフーケは浮き立った気持ちを静めた。
そして頭の中で内側から外壁を破壊する段取りを考えながら、静かに宝物庫を後にするのであった。
ルイズは夢を見る。
その日の夢はいつもと違っていた。
どうやら視界の主はどこかの街を歩いているらしい。
今までの夢ではまるで子供のような視点であったのだが、今回の夢はルイズの身長よりも少し高い視点となっていた。
視界の主は大きな噴水を横切って、がやがやと騒がしい喧騒を抜けていく。
白い基調のマントを羽織った一団や、黒いローブを身にまとった青年など、周囲の人達はルイズがあまり見たことのない服装をしていた。
しかし、中にはリウスのような下着っぽい服装の女性もいる。
視界の主は彼らを尻目に、一軒の家へと向かっていった。
目的の家には青銅の看板がかけられ、その看板には杖の模様が描かれている。
その家に入ると、眠そうな顔の女店主がこちらへと顔を向けた。
―ブルージェムストーンを買いにきました。とりあえず50個ほど。
その声は大人びた声だったが、少しだけ幼さが残っていた。
女店主は気だるそうに立ち上がると、すぐ後ろの棚でがさごそと何かを皮袋に詰め始めた。
―この収集品と交換でお願いします。
そう言うと、視界の主はカウンターに様々な物を並べていく。
動物の毛の束や綺麗なウロコ、何かの動物の牙、瓶に入った液体や虫の皮、果ては弓や盾といった装備から、鮮やかな色をした野草まで。
女店主はそれを一通り鑑定すると、小袋に見たことのない金貨を詰め込んで視界の主に手渡した。
「お釣りだよ。まいど」
視界の主がその言葉に軽くお礼を言って家を出ると、目の前には巨大な塔がそびえ立っていた。
視界の主はその厳めしい巨塔を見上げると、ふうっと一つ溜め息をつく。
そのとき、視界の端に小さな女の子がとぼとぼと歩いているのを見つけた。
彼女もリウスと似たような服装をしているが、その肩には少女の外見に似合わない立派な毛皮のマントがかけられている。
視界の主は駆け足にその子供へと近付いていった。
―カトリーヌ。
呼ばれたその子供が振り返る。
その手には紫色の宝石が埋め込まれた美しい杖が握られていた。
「あ・・・、久しぶり」
驚いた顔をして、目の前の少女が口を開いた。
薄いクリーム色の短い髪が可愛らしく、まだあどけなさの残る、小さな女の子だった。
(この人が、カトリーヌ?)
ルイズがリウスを呼び出した翌日、あの教室で聞いた名前だ。
確か、強大な魔力を持つとリウスが言っていたはずだった。
―久しぶりね。元気でやってた?
視界の主はそう言うと、彼女と一緒に立ち話を始めた。
妹さんは元気かと問うと、少女が元気だと答える。
その杖の調子はどうかと問うと、少女が使いやすいと答える。
ジュノーという街の様子を伝えると、少女がそうなんだと答える。
どう見ても一方通行のような会話だったが、目の前の少女は心地よさそうに薄く微笑んでいた。
しばらくして、カトリーヌと呼ばれた少女がもじもじと何かを言いたそうにしている。
―どうしたの?
「あのね。その」
そう言うと、目の前の少女はもじもじしながら俯いてしまう。
―ほら、言わなきゃ分からないわよ? 次はいつ会えるか分からないんだから。
そう言われた少女はきっと口元を結ぶと、意を決したように口を開いた。
「私、少ししたらハイウィザードになるんだ。ちょっと前にゲフェンタワーの人にそう言われたの」
一瞬、沈黙が降りる。しかしすぐ嬉しそうな、興奮した様子の声が聞こえてきた。
―ちょっと! 凄いじゃない! おめでとう!
その言葉と共に、視界の主は少女の肩をバンバンと叩く。
目の前の少女は困ったような、嬉しそうな顔をしていた。
「いたた。ありがとう」
―やったじゃない! 貴方ってば、やっぱり凄いわ。
凄い力を持ってるんだもの。それくらい当然よ。
しかもハイウィザードって言ったら、ウィザードギルドのマスタークラスじゃないの!
視界の主はいまだに興奮冷めやらぬ様子で少女を褒めそやす。
ふと、その様子を見ていた黒いローブの二人組の会話が聞こえてきた。
「ほら、あの子ですよ。今度、ハイウィザードになるって子」
「元々凄い魔法を撃つって、お前言ってたしな。お偉いさんのお眼鏡にかなったってことか。横のセージは何なんだ?」
「ああ。あの子は魔法がてんでダメだったから、セージになった子だったはずです。今でも魔法じゃなくって、肉弾戦が中心だそうで」
「げえ。それじゃセージの意味ねえな。モンクにでもなれば良かったんじゃないか? 違うもん持ってるからあんなに仲が良いのかね」
ルイズは、どこからか少し苛ついた感情が流れ込んでくるのを感じていた。
(勝手なこと言いやがって。この子がどんな気持ちでいたと思ってる)
耳の奥でそんな言葉が響いてくる。
しかしこの流れ込んでくる感情は、ルイズが昔からずっと感じていたものに似ていた。
「あの。ごめんね」
目の前の少女が、急にそんなことを言った。
その瞬間、ルイズは自分の中に暗い感情が流れてくるのを感じていた。
そしてその感情はどんどん強くなり、目の前の少女に向けられていく。
ルイズにはこの感情に覚えがあった。
これは、嫉妬ではないのか。
―ごめんって、何が?
視界の主から冷たい声が放たれる。
目の前の少女ははっとした顔をして慌てて口を開いた。
「ち、違うの。貴方のおかげなのに、周りが貴方に酷いこと言って」
―私が憧れてたウィザードの、更に先へ行ったから『ごめん』ってこと?
カトリーヌ、貴方はそう思ってるのね?
(違う。私はそんなことを言いたいんじゃない。この子に対してそんなこと思ってない)
ルイズには二つの声が聞こえていたが、目の前の少女は青ざめた顔をしたままだ。
「おいおい、どうした」
今にも掴みかかろうとする気配を感じたのか、先程の黒ローブの二人組が近寄ってくる。
視界の主はぎっと少女を睨み付けると、踵を返してその場を後にした。
「ま、待って!」
後ろから少女の声が聞こえてくるが、視界の主は振り向かずに早足で立ち去っていく。
(早く。今すぐ戻って謝らなきゃ。今すぐ。
違う。私はあの子にそんな感情なんて持ってない。そんなこと、考えてない)
ふと、俯いた視界に巨大な塔の影が映っていた。
視界の主は顔を上げると、大きく佇む塔に向けて怒りのこもった目で睨み付ける。
そして、まるで駆けるかように歩みを速めていった。
その後ろから叫ぶかのような少女の声が響いた。
「待って! リウス!」
虚無の休日から数日経った昼間、リウスはルイズが授業を受けている時間を使って、少し離れた森へと赴いていた。
今日はいつもの冒険服ではなく、中流階級の平民が着るような服を着ていた。
上質そうな布製の黒いズボンに、白いシャツ、そしてこげ茶色の皮でできたチョッキを羽織っている。
それは、ルイズが先日城下町で買ってくれた服の一つだった。
そして背負った荷物袋の中には、デルフリンガーや元々持っていた二本の短剣が入っている。
武器を持つと、使い魔のルーンが光る。
そして筋力や五感、魔力に至るまで、自身の体が強化されることにリウスは気付いていた。
しかも武器を握ると、振るったことのないデルフリンガーのような剣の使い方が頭の中に流れ込んでくるのだ。
それらの検証を行うため、あまり人目につかない場所を選んでやってきたのだった。
リウスは日頃からときどき生態調査のために森を散策していた。
その際、森の奥に開けた広場を見つけていたのだった。
いくつかの目印を辿って広場に難なくたどり着いたリウスは、荷物袋を背から下ろした。
がちゃがちゃと音を立てながら武器を引き出すと、試しにデルフリンガーを手に持ってみる。
左手のルーンが光り、体がよく分からない力で満たされていくのを感じる。
両手で持ったデルフリンガーを軽く振るうと、空気を切り裂く音が辺りに響いた。
「凄いわね、本当に私でも扱えそうだわ」
「そうだろう。なんせ俺っちがそう言うんだから、間違いねえよ!」
デルフリンガーがどんなもんだとばかりに声を上げる。随分と機嫌が良さそうだ。
「ねえデルフ。あなたの言う『使い手』って言葉について、まだ思い出せない?」
リウスはデルフリンガーの言っていた『使い手』という言葉に、この能力のヒントが隠されている気がしていた。
とはいっても人間が使い魔として呼び出されることは滅多に無いらしいので、人間が呼び出されることで特別な能力が付与されていることも否定はできないのだが。
ちなみに、デルフリンガーという名前は長ったらしいので、彼のことはデルフと呼ぶことにした。
思いのほか、彼もその名前を気に入った様子だ。
「『使い手』・・・うーん。いや、やっぱり思い出せね」
デルフリンガーは取り付く島もない。だが、他にもいくつか聞くことがある。
「そういえば、何で私がその『使い手』だって分かったんだっけ」
「そりゃあ、相棒が俺に触ったからさ。俺っちは使う人間の力が大体分かるんだよ。なんかこう、ぼやっと」
また新しい情報が出てきたので、この調子でどんどん新情報を教えてくれるかと思いきや、その後は「知らね」「忘れた」のオンパレードである。
「その内に思い出すんじゃねーか? だって俺っちはほら、剣だからよ。使ってくれれば何とかなるって」
なんとも適当なものだ。
呆れたリウスは広場にある平たい岩に腰かけると、荷物袋から小さな皮袋を取り出した。
それを開くと、2つの物が入っている。
「何なのかしらね、これ」
リウスはひとり呟くと、袋に入っていたそれらを手に取ってまじまじと見つめる。
その1つは、濃い藍色の球体だった。
ぞっとするほど冷たいその球体は手の平ほどの大きさがあり、何故か分からないが、この球体からはひどく気味の悪い気配が伺える。
もう1つは、ガラス管に入っている石の欠片だった。
手の平半分ほどであるその石は黒ずんでおり、その表面には何かの文字の断片が見える。
どこの古代文字なのだろうか、何が描かれているかは全く分からない。
「・・・おい、相棒。何持ってんだそれ。気持ちわりいから閉まっといてくれよ」
急にデルフリンガーが心底嫌なものを見たかのような声を出した。
リウスは小首をかしげつつ、平たい岩に立てかけてあるデルフを見る。
「デルフ、これ見たことあるの?」
「いんや、見たことはねえ。けど、その球。それから気持ちわりい気配を感じるんだよ。捨てっちまえよ、そんなもの」
「捨てはしないわよ。私にもこれが何なのか分からないんだから」
何かピンとくるものでもあるのだろうか、デルフリンガーはやけにこの球体を嫌がっているようだ。
とりあえず今は保留として、2つの石を小袋に入れ直してから紐で封をする。
「はい。これでいい?」
「本当は捨ててほしいんだけどな。まあ相棒に贅沢は言わねえよ」
「悪いわね。思い出すまで我慢して」
リウスはそう言ってデルフリンガーを手に取り、ひとまず素振りでも行なおうとする。
すると、空に何か大きな影が見えた気がした。
「・・・ドラゴン?」
リウスが空を見上げると、優雅に空を飛んでいるドラゴンがいた。
青いウロコが太陽の光に照らされて輝いている。
「ありゃウィンドドラゴン、風竜だな。どうやら子供みてえだが」
デルフリンガーがのんきな声で解説をする。
青空を泳ぐように進むドラゴンはすぐ近くの森の中へ降り立ったようで、木々に隠れて見えなくなった。
「迷い込んできたのかしら。危なっかしいわね」
そう誰に言うでもなく呟くと、リウスは荷物をまとめてドラゴンが降りたであろう場所へと急ぐ。
学院が近い場所にドラゴンが現れるなんて危険極まりない。
リウスの世界にもドラゴンはいたが、大抵が好戦的かつ強力なモンスターばかりなのだ。
ドラゴンが降り立った場所は、リウスがいた広場から少し離れた所だった。
その背びれには学院の制服を着た者がちょこんと座っている。
青髪の少女、『雪風』のタバサだった。
「きゅいきゅい! お姉さま! お腹すいたのね! お腹が! すいたのね!」
ドラゴンは明らかに人間の言葉を喋りながら、タバサに向かって喚いていた。
先ほどからずっとこうである。
きゅいきゅいと喚き散らすこのドラゴン、シルフィードは実は風竜ではなく風韻竜という種族だった。
韻竜は高い知能を持ち、先住魔法によって精霊を操ると言われているが、ハルケギニアではもう絶滅しているというのが定説だ。
しかしこうして召喚できてしまったのだから、その定説は間違っていたということだろう。
そのためタバサはシルフィードに人前で喋るなと命じているのだが、よほど空腹なのか、シルフィードは飛んでいる間もずっと食事をせがんでいた。
あんまりにもうるさいので、一旦落ち着かせなければ学院に戻ることも出来ない。
タバサはシルフィードの背に乗ったまま話しかけた。
「さっきも言ったように、食事なら今から用意する。だから喋っちゃダメ」
「お肉! お肉がいいのね! 早くしてほしいのね! 待ち遠しいのね! ごはん、ごはん、おいしいごーはんー! きゅいきゅい、るーるるるー♪」
タバサは少し疲れた顔でため息をついた。
この竜は伝説の韻竜だというのにまるで小さな子供のようだ。
実際シルフィードは韻竜の中では子供らしいのだが、それでもタバサに比べて長い年月を生きている。
陽気で素直な性格は気に入っているが、疲れているこちらの身にもなってほしい。
そんなことを考えていると、急に茂みががさっと揺れた。
タバサはぎくりとして、さっとシルフィードの背から降りる。
まさか、聞かれた?
シルフィードに念話でこれ以上話さないよう伝えると、魔法で風を操って音のした場所を探った。
「・・・誰?」
小さく声をかけると、茂みをがさがさと揺らしながら平民の女性が現れた。
その女性は気まずい顔をしながらこちらへと近付いてくる。
まさか、平民に聞かれるとは。
タバサは疲れていたとはいえ、そこまで周りを警戒していなかった自分を呪っていた。
こんな森の奥に人がいるとはとても思っていなかったのだ。
その女性は街で見るような薄い布製のズボンとシャツを着て、皮で出来た荷物袋を背負っている。薄桃色の髪に、この顔・・・?
「使い魔の」
「タバサさん。ごめんね、盗み聞くつもりはなかったんだけど。ああ、今日はこんな恰好してるから分からないかもしれないわね」
確かクラスメートであるヴァリエールの使い魔で、リウスという名だったはず。
『盗み聞く』ということは、聞かれてしまったのか。
「お願い。誰にも喋らないで」
端的にそうお願いをする。すると、どこからか低い男の声がした。
「すげーな、韻竜だったか。久しぶりに見たぜ」
その声に、タバサは警戒する顔をして辺りを窺った。
その様子にリウスが苦笑する。
「タバサさん、こっちこっち。この剣が喋ったのよ。デルフ、あんたも誰にも言わないようにね」
「あいよ、相棒。貴族の娘っ子、安心しな。俺っちは口が固いって有名なんだ」
すぐに忘れるだけでしょ、と笑うリウスの手には、長身の剣が握られている。
「インテリジェンスソード?」
「って言うらしいわね。こないだの休日にルイズと買ってきたのよ」
「デルフリンガーってんだ。よろしくな、貴族の娘っ子」
警戒を解いたタバサはじっと二人(一人と一本)を見ている。
「大丈夫よ、誰にも喋らないわ。ねえ、このドラゴンは貴方の使い魔なのかしら?」
「・・・シルフィードっていう名前」
「シルフィード。私はルイズ・フランソワーズっていう貴族の使い魔で、リウスって言うの。これからよろしくね」
シルフィードに向き直ったリウスはにこりと微笑む。
「きゅ、きゅいい・・・」
シルフィードはどうしていいか分からないといった様子で、タバサの顔色を窺っている。
タバサはしょうがないとばかりにため息をついた。
「喋ってもいい」
既に、周りには他に誰もいないことを確認済みだ。
こうしている間も、誰も近寄ってきていないことを絶え間なく確認している。
「きゅい! よろしくなのね! わたし、シルフィードっていうのね! お姉さまの使い魔やってるの! あ、シルフィードっていうのはお姉さまが名付けてくれたのね! 本当の名前は、イルククゥっていうのね! きゅいきゅい!」
よっぽど喋りたかったのか、急に喋りまくるシルフィード。
リウスも呆気に取られた様子だ。
「この子は韻竜。誰かに知られてしまうと、研究のために連れて行かれてしまう。だからお願い、喋らないで」
「もちろんよ、喋らないってば。ルイズにもね」
「・・・ありがとう」
この使い魔の女性をどこまで信じられるかは分からないが、今は信じるしかない。
ぺこりとお辞儀をしたタバサはシルフィードの背に乗ろうとするも、ふと足を止める。
この使い魔はいつも何処かに行ってしまうか、もしくは常にルイズの傍にいる。
そのため、なかなか二人きりで喋ることができなかった。
今は、そのチャンスなのではないか。
そう考えたタバサは、特に何の感情も顔に出さないでリウスに向き直った。
「あなたに質問がある」
リウスはきょとんとして続きを待った。
「東方の特殊な毒を治療する方法を知っていれば、教えてほしい」
不思議な聞き方である。特殊な毒と言われても、リウスに分かるはずもない。
「それはどんな毒?」
「・・・心を壊す毒」
タバサはまるで絞り出したように声を出す。
これはタバサにとって、とても大切なことなのだろう。そう考えたリウスは少し考え込んだ。
「うーん、駄目だわ。私はそういった毒の治療法については分からないわ」
もし深い外傷を負っているのであれば、懐の小袋にたった一つあるイグドラシルの種を使って治療することができるだろう。
しかし毒となると話は別だ。
しかも心を壊した人を治療するなんて、リウスにはどうすることも出来なかった。
「そう・・・」
明らかに落胆した声を出すタバサ。
この子は顔に感情が出にくいだけなのかもしれない。いや、感情を出さないようにしているのか。
「でも、どうして私なら知ってるかもって思ったの?」
タバサは少し俯いていた顔をこちらへと向ける。
「あなたの決闘を見た。そこであなたは東方のメイジだと言っていた。だから、知ってるかもと思った」
なるほど、とリウスは納得した。
タバサのいう毒というものは東方由来のものなのかもしれない。そうであれば、私が知ってるかもと考えるのに納得がいく。
「さっき言ってた毒を何とか出来ないか、もう少し考えてみるわ。少しでも可能性がありそうならすぐ伝える。相談してくれてありがとうね」
「・・・礼を言うのはこちらの方。ありがとう」
タバサは本心からその言葉を口にした。
かすかな望みであっても、繋がなければならない。
シルフィードへ向き直ったタバサに対して、今度はリウスが声をかけた。
「タバサさん」
「・・・?」
振り返ったタバサがリウスの顔を見る。
やっぱりこの顔だ、とリウスは思った。
一つの目的のためならば何を犠牲にしても構わないという顔。
目的に沿わない事柄には全く興味がない顔。
とても、辛いことがあった顔。
でも、だからこそ、事情を知らない私が何を話したところでどうにもならないだろう。
今後、彼女の判断が彼女自身を深く苦しめることのないように祈るばかりだ。
「ううん、何でもない。引き留めちゃって悪かったわ。それじゃあね」
タバサは小首を傾げたが、特に気にも止めずにシルフィードの背びれに跨った。
シルフィードが羽ばたき始めると、その巨体がふわりと宙に浮かぶ。
「きゅい! またね使い魔さん! ごはん、ごーはーんー! るーるるー♪」
「ここからは喋っちゃダメ」
タバサが手に持った長い杖でシルフィードの頭をぽこぽこと叩く。
シルフィードはきゅいきゅいと喚きながら、その場からあっという間に飛び去って行った。
シルフィードに乗ったタバサはすぐ近くの学院を目指しながら飛んでいく。
あの使い魔、リウスは毒の治療法を見つけてくれるだろうか。
正直に言って、それほど期待はしていない。
治療法を探すとは言っていたが、そもそも本当に探してくれるかどうかも分からないのだ。そんな奇特な人などそうそういるはずもない。
もし探してくれる人なんているのなら、その人には裏があるか、もしくはとびっきりのお人好しである。
そう思いながらも、タバサはほんの少しだけ嬉しそうな顔をして学院へと向かっていくのだった。
その夜、夕食を済ませたリウスはデルフリンガーと話して分かったことについて、ルイズと話し合っていた。
「武器を持つと速く動けるようになったり、重い物を持つことができるようになる。こういう能力って、使い魔のルーンによくあるものなのかしら?」
ルイズはリウスの言葉に考え込みながら、テーブルに置かれている馬の木彫りを指で撫でていた。
この馬の木彫りは、リウスが先日城下町で買った木彫りの片割れである。
片方はリウスが持ち、もう片方をルイズへとプレゼントしていたのだが、ルイズは思った以上に気に入ってくれているようだ。
「うーん・・・。無いとも言い切れないけど、聞いたことないわね。召喚した使い魔と感覚が共有できること。それと、使い魔とは念話で話すことができること。それくらいしか知らないわ」
「うーん・・・。その二つは出来ないのよね。代わりに、武器を持つと力が増す。何でなのかしらね」
二人してウンウン唸っていても埒があかない。
そういえば、とリウスが口を開く。
「あと使い魔のルーンには関係してないけれど、ここの言葉を話せるようになってるってのもあるわね」
それに気付いたのは初めて授業を受けた時、シュヴルーズ先生の授業の時だった。
リウスにはハルケギニアの文字を全く読むことができず、逆にルイズにはリウスの世界の文字を読むことが出来なかったのだ。
しかし、会話による意思疎通は行なうことができている。
とはいえ、召喚された直後から会話できていたことから、会話が行えるのは使い魔として召喚されたことが原因だと考えられた。
ちなみに、今リウスが座っているテーブルには数冊の本が置かれている。
物は試しとルイズが図書館から童話本を持ってきてくれたのだが、リウスにはちんぷんかんぷんだった。
「字は読めないのよね。リウスはここの事を色々調べたいんでしょ? 字なら教えるわよ」
ルイズの座学は学年でもトップクラスである。
ルイズは胸を張って得意げな顔をしていた。
「うーん、勉強かあ。本を読むのは好きなんだけど、そういうのは苦手なのよね。確かにここの文字は覚えなくちゃいけないんだけどさ・・・、やっぱり気乗りはしないわね」
リウスは苦虫を噛み潰したような顔をして頬杖をついた。
「ちょっと、あなた学者でしょうに。勉強が苦手ってどういうことよ」
「私は感覚派なのよ。魔法は頑張って覚えたけど、いくつになっても苦手なものは苦手だわ。
魔法を撃つ時の感覚も、こう何ていうか、ボワッとしてるのをこうシューッて伸ばしていって、グルグル回して塊にするって感じだし」
身振り手振りを交えてリウスが説明するも、ルイズには何のヒントにもならなかったようだ。
「そんなんでよく学者になれたわね」
ルイズがじとりと不信の目をリウスへ向けた。
アカデミーという研究施設にいる自分の姉とはエラい違いである。
「もちろん提出する論文とか書類はちゃんとしてたわよ。・・・やっぱり苦手だったけど」
リウスはふてくされたような声でそう付け加えると、大きく伸びをした。
ルイズも座っていた椅子にもたれかかると、口を手で押さえながら欠伸をする。
「とりあえず、文字なら明日からでも教えるわよ。適当な本を持ってきておくわね。あーなんか眠くなってきちゃった」
いつの間にか随分長く話し込んでいたようで、外はすっかり暗くなっていた。
最初は会話に参加していたデルフも、今ではすっかり鞘に収まっておとなしくしている。
「じゃあルイズ。遅くなっちゃったけどお風呂に行こうか。私も今日はなんか疲れちゃったわ」
学院には貴族用の浴場と、平民用のサウナの二つの風呂がある。
当初、リウスはサウナ風呂の方を使っていたが、ルイズの計らいにより貴族用の浴場も使うことができた。
リウスが東方のメイジだということは既に知れ渡っていたため、周りの貴族からも特に文句は言われていない。
ただリウスが浴場に入ると、何人かの貴族の女の子がリウスを見てきゃあきゃあ騒いでいたりする。
あれは一体何なんだろう、とリウスはいつも思っていたが、害は無いので放っておいている。
「そうねえ、そうしましょう。このままじゃお風呂も入らずに寝ちゃうわ」
ルイズは既に少し寝ているかのような目をしていた。
よっぽど眠かったのかもしれない。既にいつもルイズが寝る時刻に近くなっている。
そうしてルイズが風呂へ向かう準備をしている時、カタカタという小さな音が鳴っているのにリウスは気が付いた。
音の鳴っている場所を見ると、窓が少し揺れているようだ。
風でも出てきたのかな、と外の暗闇を覗いたリウスは思わず声を出した。
その声を聞いたルイズも、リウスの横に立って外を覗きこむ。
そこには、塔ほどの大きさがある人間のようなシルエットがあった。
その大きな影は森へ向かって音も無く悠然と歩いていき、そのまま暗闇の中へと溶けて消えていったのだった。