Double Servant -Poetry of Brimir- 作:ねずみ一家
「じゃあ、城下町、トリスタニアまでの道にあまり危険はないのね」
「ええ、そうですね。街道周辺の亜人も根こそぎ討伐されています。街道を通っていれば盗賊共も滅多に現れないはずですよ」
「街道は巡回の兵士がうろついてるんですわ。命を捨てる覚悟じゃなきゃ、盗賊もメイジの方々を襲いやしません。盗賊共にそんな度胸があるとも思えませんや」
虚無の休日の朝早く、リウスは衛兵の詰所で立ち話をしていた。
城下町へは昼頃に到着する予定でいるため、まだルイズは夢の中にいる。
「王都に繋がる街道だものね、考えてみればそうよね。ありがとう、ドニさん、ポールさん」
「いえいえ。しかしミス・ヴァリエールはお優しい方ですね。リウスさんのために買い物をするだなんて」
にこやかな様子の衛兵はポールという青年だった。
丁寧な口調で話す青年に粗野な雰囲気はなく、元々はトリステイン城付きの衛兵として働いていたというのも頷ける。
「でもお嬢さん、城下町といっても気をつけなきゃなりませんよ。裏通りには飲んだくれの傭兵やら貴族崩れ共やらもいますからね」
リウスをお嬢さんと呼んでいるのは、ドニという中年の衛兵である。
元々はラ・ロシェールという都市の出身らしく、衛兵としてトリステインの様々な都市を転々としていたとのことだった。
その見た目はしかめっ面の親父であるが、面倒見の良さや剣の腕前から衛兵の中でも人望が厚いようだ。
つい先日、リウスが魔法学院の周辺について情報を集めていた際にこの二人とも知り合ったのだった。
当初は貴族の使い魔ということで若干不審な目を向けていた衛兵たちだったが、リウスが例の決闘を行なった東方のメイジだと分かるや否や、うってかわって友好的な態度を取るようになっていた。
衛兵の人々は決闘の場に立ち会っていなかったようだが、決闘の詳細を知っているところを見ると、どうやら貴族平民問わず学院の多くの人に決闘の噂が広まっているらしい。
「治安の問題はあるわけね。ハルケギニアのことは全然知らないから助かるわ。王都でそれじゃあ、他の街でも同じなのかしら」
「風の噂じゃ、ラ・ロシェールなんて酷いもんですわ。アルビオンの紛争で傭兵がごったがえしてるってんで」
「アルビオン、って他の国よね。紛争なんてことになってるの?」
話を聞くところによると、『白の国』アルビオンでは貴族の反乱によって内戦に発展しているとのことだった。
その影響で、トリステインとアルビオンの交易地点であるラ・ロシェールにはアルビオンから逃げてきた傭兵や移民が溢れているそうだ。
「巷では、そろそろアルビオンの王様が危ないってもっぱらの噂です。下手したらずっと友好関係だったアルビオンがトリステインにも攻めてくるんじゃないかって、トリステインからガリアへ逃げる人もいるくらいですよ」
「ええっ、それはマズいじゃないの」
「そうなんですよ。お偉いさんが何とかしてくれることを祈るしかありません」
「陛下が気軽に杖をお振りにならなけりゃ、戦争なんかにならないでしょうがね。ブリミル様に平和を祈りゃみんな幸せ、杖に祈りゃ戦争ばかり、ってなもんです。私ら平民は戦争なんかまっぴらごめんなんですがねえ」
中年の衛兵、ドニが溜息まじりに言葉を漏らす。
やはり貴族中心の社会体制を取っていることで、そのしわ寄せが平民の人々へと降りかかっているのだろう。
仕方ないで済ませなければやってられないのだろうが、仕方ないで済ませられるほど軽い話でもなかった。
他の国の話を聞いていても、ハルケギニアでは権力を巡る諍いが絶えないようだ。
隣国のゲルマニアでは水面下で王権争いが勃発し、ガリア王国では過去に王族の暗殺騒ぎもあったらしい。
ロマリア皇国では神官と平民の格差が激しいらしく、ドニが言うには『ぶくぶく肥え太った神官ばかりの国』とのことだった。
結局のところ、そういった点ではリウスの世界における国々と変わらないようだ。
ルーンミッドガッツ王国でも権力争いの噂はあるし、シュバルツバルド共和国において権力を有するレッケンベル社という組織は、自分らの利益ばかりを追い求める腐りきった奴等の巣窟だった。
リウスはそこまで考えを巡らせると、はたと考え込む素振りを見せた。
『レッケンベル社』という言葉が何か引っかかるのだ。
ほんの少し、頭痛がしてくるのを感じる。
「そうだ、リウスさんはワインを飲まれるのですか? トリスタニアでは美味しいワインを出す店がありましてね」
唐突にポールが話題を変えた。どうやら眉をしかめて考え込むリウスの様子を見て気を使ったようだ。
リウスは思考を一旦止めて、ポールの言葉に応える。
「ワインなら好きよ。ここに来る前には、マステラ酒って果実酒をよく飲んでたわ」
衛兵の二人はそれぞれトリスタニアでオススメの店について教えてくれた。
その二人の総評として、トリステインのワインなら『安くてもなお旨い』タルブ村のワインか、値は張るが『外れ無しの絶品』オルニエール・ワインが良いとリウスへ語った。
他にも、城下町トリスタニアの商業区であるブルドンネ街には多くの露店が並んでおり、その中には時々掘り出し物があったりするという。
ただ商人組合の中では『貴族は最高のお客さん』というのが定説だそうで、商人の言う通りにしていると間違いなくぼったくられてしまうそうだ。
そうしたトリスタニアの色々な話を聞いていたら、随分と日が高くなっていた。
「そろそろルイズを起こさなくっちゃいけないわ。二人ともありがとう、またお話を聞かせてね」
「ああ、お嬢さんも気を付けて行っておいで。おい、ポール。そろそろ見回り行くぞ」
「分かりました、先輩。ではリウスさん、お気をつけて」
馬を乗り続けて三時間。ルイズとリウスは城下町トリスタニアに到着していた。
リウスは楽しそうな表情を浮かべながら、辺りをきょろきょろと見回している。
リウスの背には持ってきた自分の荷物袋、その手には先ほど買った洋服屋の皮袋が握られていた。
隣にいるルイズは、しかめっ面をしながら羊皮紙に書かれた地図を見つめている。
「リウス、ちょっと立ち止まって。えっと、ここは『ブルドンネ街』、よね」
「トリステインで一番大きな通りだったっけ」
「あの店があそこにあって、あれがこうだから・・・。絶対あっちにあるはずだわ」
地図を片手に歩くルイズと、その後ろをついていくリウス。
幅の狭い石敷きの道では、商人達が客寄せのため声を張り上げている。
それを眺めていたリウスは、さっき通った時に見逃していた露店を見つけて目を輝かせた。
「ルイズ、ちょっと見ていっていい?」
「もう、さっきも見たじゃない。ええと、ここの道はここに繋がってるから・・・。やっぱりここらへんよ! この地図間違ってるんじゃないの!?」
「そうねえ。この辺りにあるのなら、知ってそうな人に聞いてみようか」
今現在、二人は豪快に道に迷っていた。
目的の洋服屋にはすんなりと辿りつき、学院の衛兵たちが教えてくれた食堂で美味しい食事を楽しんだのだが、そこでリウスが武器屋に行ってみたいと言い出したのだ。
その結果、かれこれ三十分近くブルドンネ街の近くをさまよい続けている。
ルイズは地図とにらめっこをしながら、その地図を傾けたりくるくると回したりしていた。
どうやら人へ道を聞くことには納得がいっていないらしい。
ルイズをほっとくと何かしら危ないので、リウスはその手を引いて横に立たせておいた。
「ねえ、ここらへんにある武器屋ってどう行くのかしら」
声を張り上げていた、ずんぐりとした商人にリウスは声をかけた。
「へいらっしゃい! 良いもの取り揃えてるよ!」
その商人は商人根性を発揮させながら、聞いてもいない品物の説明を始めた。
黄金の砂浜で取れた金の巻貝。たぶん塗料でも塗っているのだろう。中に何か詰めているようだが、巻貝の重量は金のものではなかった。
火竜山脈で発見された竜の化石。人の手で削った岩だろうか。所々が不自然にごつごつとしすぎていて、とても生物の骨には見えない。
忘れられた遺跡から発掘されたという魔法のネックレス。どこからどうみても魔力が宿っているようには見えなかった。単なる銅で出来たネックレスである。
商人オススメの品を面白そうに聞いていたリウスは、その脇にある小さな木彫りの馬に目をやった。
十サント程の可愛らしい木彫りの馬は二つ並べられており、たてがみや尾の形状がそれぞれ異なっている。
目には綺麗なガラス玉がはめ込まれているようで、なかなか出来の良い品物に見えた。
つがいの馬なのだろうか、まるで互いに戯れているかのような姿をしている。
「あ、おじさん。あれはいくらかしら」
「おお、あれに目がいくとはお目が高いですな。あれは出来が良いので、一つ二エキュー、二つ合わせて三エキューと七十スゥにおまけしちゃいましょう」
リウスはルイズに教えてもらったハルケギニアの通貨について思い出していた。
ハルケギニアで主に用いられている通貨は、ドニエ(銅貨)、スゥ(銀貨)、エキュー(金貨)、それに新金貨の四種類であるらしい。
10ドニエが1スゥであり、100スゥが1エキュー。そして新金貨が大体エキュー金貨の3分の2程の価値である。
そして、街で中流階級程度の平民が不自由ない生活を行なうには年間120エキューほどが必要とのこと。
そう考えると、この木彫りの馬は贅沢な買い物だと言えるだろう。
リウスは脇にかけた小袋から数個の小さな宝石を取り出した。
少し前の冒険で手に入れたエメラルドやルビーである。
既に加工された品物なので、そこそこの価値があるはずだ。
「今持ち合わせがないから、これと交換でもいい?」
それを見た商人は内心舌舐めずりをしていた。
これが本物の宝石でなかったとしても、こういうものはよく売れる。万が一本物であるなら、こんなに美味しい話は無い。
そう思いつつ、顔には出さずに商人が返答した。
「へえ、宝石ですか。こういったものは鑑定が難しいので、なんとも言えませんな。それ全部であの木彫り一個くらいでしょう」
「あらそうなの。ならいいわ、この貴族の子の面倒見なくちゃいけないし。邪魔したわね」
はっとした商人は羊皮紙を見つめているルイズを見た。
よく見ると、首に五芒星の紋章がある。あれはこの近くの魔法学院のものだったはずだ。
そう気付いた商人は立ち去ろうとしたリウスに慌てて声をかけた。
「お嬢さん、お待ちになって! へへ、商売がお上手ですな。いいでしょう、それ全部とこの木彫り二つを交換しましょう」
リウスはこれらの宝石に大した未練はなかったため、手に持った宝石を商人に手渡して木彫りの馬を受け取った。
小袋の中には、更に大きな宝石がまだいくつか入っているのだ。
多少はぼったくられているだろうが、リウスにとっては別に問題ではない。
「ついでに、近くにある武器屋の道を教えてくれる?」
商人が懇切丁寧に教えてくれた道を歩いていくと、段々と路地は狭くなっていった。
悪臭が鼻をつき、そこら中にゴミや汚物が転がっている。
結局人に道を聞いてしまったことに、先ほどまでルイズは気に食わなそうにぶちぶち文句を言っていた。
しかし今は何を考えているのか、鼻を押さえながらむっつりと押し黙っている。
リウスはそんなルイズの様子を気にしつつ、路地裏の様子に眉をしかめながら武器屋への道を進んでいた。
足元に転がるゴミを蹴飛ばして端に寄せておく。
(嫌な道ね・・・。いらないことを思い出すわ)
ボロボロの服を着た人々と優しいお婆ちゃん。汚らしい路地裏に朽ち果てた家々。突き抜けたような真っ青な空。そして、あの子の笑い顔。
瞬間、目の前の視界に真っ赤な血溜りが見えた気がした。
耳に響く男の怒号。
リウスは血の気が引いていくのを感じて、思わず立ち止まり目を押さえる。
しばらくして目を開けると、目の前にはゴミの散らばった路地があるだけだった。
急に立ち止まったリウスに対して、ルイズが心配そうな顔をして覗き込んでいた。
「ちょっとリウス? 顔、真っ青よ?」
心配そうなルイズの顔を見たリウスは、血の気が引いた顔のままルイズへと微笑む。
「ごめんね。ちょっと立ちくらみしたけど、もう大丈夫だから。行きましょう」
リウスはそう言うと、そそくさと狭い路地を進んでいく。
ルイズはその様子を心配そうに眺めていた。
(やっぱり、昔のことを思い出してるのかしら)
ここのところ続けざまに見る夢。あれは多分リウスの夢だ。
本来、主人と使い魔は感覚の共有を行なえるはずだが、ルイズとリウスは未だに感覚の共有が出来ないでいる。
何故かは分からないが、それが夢という形になって表れているのかもしれない。
今ルイズがいる汚らしい路地裏。
あまりこういう所に来たことがないルイズにとって、この光景はリウスの夢に出てくる路地裏を彷彿させるのに十分なものだった。
ルイズは夢の中に現れる少年を思い出す。
今、目の前を歩くリウスの薄桃色の髪の毛。
夢の中の少年の髪は、彼女の髪と瓜二つだった。ということは、彼がリウスの弟なのだろうか。
しかし、リウスの弟は・・・。
二人は何となく押し黙ったまま、しばらく路地裏を歩き続けた。
やがて目の前に、剣の形をした銅の看板が下がっている家を見つける。
「ここみたいね」
どうやらここが目的の武器屋のようだ。
石段を上って羽扉を開けると、二人は店の中に入っていった。
店の中は昼間だというのに薄暗く、ランプの灯りがともっていた。
壁や棚には所狭しと剣、槍、槌が並べられている。
壁に立てかけられている立派な甲冑が厳めしい。
店の奥にはパイプをくわえている五十そこらの親父が、こちらを胡散臭げに窺っていた。
彼はルイズの首元に描かれた五芒星に気付くと、パイプを口から離してドスの効いた声を出した。
「貴族のお嬢さん。うちはまっとうな商売してまさぁ。お上に目をつけられるようなやましいことなんか、これっぽっちもありませんや」
(つまり、やましいことをしてるってことかしら)
リウスはぼんやりとそんなことを考えていた。
貴族を見た途端にこういった反応をするとは、怪しいことこの上ない。
「客よ」
ルイズは腕を組んで言った。
「こりゃおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」
「なんでよ?」
「いえ、若奥様。坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふる、貴族は杖をふる。そして陛下はバルコニーから手をおふりになる、と相場は決まっておりますので」
「用があるのは私じゃないわ、こっちの使い魔よ」
「忘れておりました! 昨今は使い魔も剣をふるようで」
店主はお愛想を言うと、横に立つリウスをじろじろと眺めた。
「剣をお使いになるのは、このお嬢さんで?」
ルイズは頷いた。
リウスは先ほどから、目の前に立つ店主の親父をじっと観察している。
「リウス、用があるんでしょ? 私は剣のことなんか分からないから、適当に見てるわね」
そういってリウスを促すと、ルイズは棚の上の商品へと目を向けた。
店主はいそいそと奥の倉庫へ消える。
それを横目で見送ってから、ルイズが小声でリウスへと声をかけた。
「聞きそびれてたけど、何で武器屋なのよ。貴方、もう立派な短剣を持ってるじゃない」
「荷物の中に武器があったから売りたくってね。ほら、お金は何かしら必要かもしれないじゃない? あと、ここで売ってる武器にも興味があるわ」
ルイズはリウスが背負っている荷物袋を見る。
やたらと大きい袋を持ってきたのはそういうことのようだ。
そうこうしている間に店主が奥の倉庫から戻ってきた。
長さ1メイル程の細身の剣を抱えている。
「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たせるのが流行っておりましてね。その際にお選びになるのがこのようなレイピアでさあ。軽いので女性にも扱えると思いますぜ」
なるほど、確かにきらびやかな模様がついている。
いかにも貴族好みしそうな、綺麗な剣だった。
「貴族の間で、下僕に剣を持たせるのが流行ってるの?」
ルイズが尋ねると、店主はもっともらしく頷いた。
「なんでも『土くれ』のフーケとかいう盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。貴族の方々は恐れて下僕にまで剣を持たせている始末だそうで、へえ」
ルイズは盗賊の話に興味がなかったようで、店主が持っている剣をじろじろと眺めている。
「いいじゃない。この剣、気に入ったわ。リウスにプレゼントしてあげる」
ルイズはリウスそっちのけで口を出し始めた。
リウスは唐突なルイズの言葉に驚きつつも、自分の見解を述べる。
「これじゃ派手すぎない? こういった装飾が付いてると高そうだわ。ここじゃ服屋みたいにツケも効かないだろうし、ルイズのお小遣いが勿体ないわよ」
先に訪れた服屋はヴァリエール家の馴染みの店だったようで、ツケが効いたのである。
悪いから、と断ろうとするリウスに、ルイズは半ば無理やり服を選ばせたのだった。
だからこそルイズは、他にもリウスが欲しがるものがあればプレゼントするつもりだった。
「わたしは貴族よ。これ、おいくら? 新金貨で百までなら出せるわ」
流石は貴族のお嬢様である。ルイズは買い物の駆け引きが下手くそであるようだ。
財布の中身を聞いた店主は話にならないとばかりに手を振った。
「まともな剣なら、どんなに安くても二百くらいが相場でさ。新金貨で百でしたら、あそこにある剣くらいでしょうかね」
そう言った店主が乱雑に置かれた剣の山を指差すと、ルイズは頬を赤くする。
剣がそんなに高い物だとは知らなかったのだ。
「結構するのねえ。じゃあ、まずはこれを査定してもらってもいいかしら」
剣の相場を聞いたリウスはそう告げると、荷物袋の中から引っ張り出した剣や盾をカウンターに置き始めた。
それらは、先ほど見せられたようなレイピア、特殊な形をした短剣、幅の広い軍用剣、それに磨かれたばかりにみえる煌びやかな盾だった。
それぞれ装飾はついていない武骨なものではあったが、随分質の良い品物に見える。
次々に置かれる武器防具に、店主が心底驚いた様子で口を開いた。
「これはまた。随分と、良い品物をお持ちで」
店主はカウンターに置かれた4つの武具をまじまじと見つめる。
彼のその顔は先ほどまでの商人の顔ではなく、武器屋としてのプライドを醸し出した顔だった。
正直に言って、どれも良い品だ。
これらの武器は一流の兵士が使いそうな代物である。
重量、バランス、切れ味、どれをとっても文句が無い。
特にこの盾の出来栄えといったら、実用的でありながら高価な美術品として保管されていてもおかしくない代物だった。
「この盾は、どこの方が作ったもんで?」
「さあ、分からないわ。貰い物だったと思うけど」
リウスの言葉に嘘はなかった。
何故こんなものが荷物袋に入っているのかは分からないが、多分冒険の際に手に入れた代物だろう。
今回は自分に使えそうもない重い物だけを選んで持ってきたため、ルイズの部屋にはまだもう少し武具が残っている。
「そうですな。誰が作ったか分からないのであれば・・・。この武器を全部合わせて新金貨で500ほど。盾は1000といったところでしょうか」
「・・・何よそれは。それだけあれば立派な家だって建てられるじゃない。たかが武器なんかに・・・」
店主の言葉を聞いたルイズは呆れたように口を開いた。
しかし店主は至って真面目な様子である。
「お言葉ですが、若奥さま。並の剣ならばいざ知らず、名のある剣の中には城に匹敵するだけの値がつくものもありますぜ」
そこまで言って店主は口を閉ざした。
あんまり褒めそやすのは良くない。この貴族共がもっと高い値を要求してこないとも限らない。それでなくても、貴族は美味しいが厄介な相手なのだ。
「盾は1400。それ以外はその値段でいいわ」
しかしリウスはけろっとした顔でそんなことをのたまった。
店主は少しの間、頭の中でこの武具がどの程度の価値で転売できるかを考えた。
この武器ならば城住まいの貴族であっても売れるだろうし、盾はちゃんとしたルートで売ればエキューで1500はくだらないだろう。
フーケ騒ぎでまとまった金が入ってきているので、この貴族が言う要望の金額も払えるはず。
つまり、ここは有無も言わさず『買い』だ。
「良いでしょう。合わせて新金貨で1900。金貨と新金貨で用意しますんで、少々お待ちを」
そう言うと、真面目な顔をした店主はまた奥の部屋へと引っ込んでいく。
目の前で行われた取引にルイズが呆気に取られていると、突然、少し離れた場所から声をかけられた。
「ちったぁやるじゃねえか、嬢ちゃん! でも騙されてるぜ! もう少し値段を吊り上げちまいな!」
低い男の声が店の中に響き渡った。
ルイズとリウスは声のした方へ振り返る。
しかしそちらの方には剣が積んであるだけで、人影はない。
「おいおい、ここだぜ! ここ!」
見ると、山積みにされた剣の一つがかちゃかちゃと音を立てているのを見つけた。
リウスはそれに恐る恐る近寄ると、驚いた顔をして呟く。
「剣が、喋ってる?」
「おう、そうよ。デルフリンガーってんだ。しかし、おめーじゃ俺っちを扱えそうにねえのが残念だな。見る目があるってのに、女なのが勿体ねえぜ」
がちゃがちゃと身を震わせているそれは、いかにも古そうな一本の剣だった。
すると突然、奥の部屋からどたどたと店主が走ってくるのが聞こえる。
「やい! デル公! お客様に失礼なこと言うんじゃねえ!」
「失礼? けっ、俺は本当の事を言ってるだけだぜ。おめえこそ、さっきから見てりゃ何とか値切ろうとわざと安い値段を言いやがって! あの盾じゃあ、もっと良い値段がつくだろうがよ!」
「うるせえ! 滅多なことぬかすんじゃねえぞ! それ以上商売の邪魔したなら、貴族に頼んでてめえを溶かしてもらうからな!」
「へっ、おもしれえ! やってみろや、ごーつく親父がよ!」
人と剣が言い合いをし始めたのを見ていたルイズが口を開いた。
「これって、インテリジェンスソード?」
店主はこの客の気が変わらないかと戦々恐々とした様子である。
「へ、へえ、そうでさ。意思を持つ剣とやらで。一体どこの誰が剣をしゃべらせるなんてことを始めたのかしりやせんが、適当なことばっかり言うので困ってるんで」
「はー、珍しいわね」
一部始終を聞いていたリウスは目を輝かせながら、デルフリンガーを鞘から引き抜く。
長さは1メイル半ほどで、柄は長く、両手でしっかり持てるように作られている。
剣身は片刃で細く、薄手に作られているようで長さの割にはやや軽い。
リウスの世界でいう、カタナやツルギといったカテゴリーにあたるだろうか。
しかし、その刀身に錆が浮いてしまっているのが勿体ない。
見た感じ、錆さえ無ければなかなか良い武器だといえるだろう。
「おでれーた、てめ『使い手』か。しかも相当な場数を踏んでやがるな。てめ、俺を買え」
剣が自分で自分を売り込む姿を見たリウスは、面白そうに笑いながら口を開いた。
「でも私じゃ貴方を使えないわよ?」
リウスは短剣なら扱えるが、こうした片手半剣は使うことができない。
さっきの軽いレイピアですら使いこなせないし、使い慣れた武器があるのならそれを使った方がいいに決まっているのだ。
「多分何とかなるんじゃねーか? いいから買ってみろって! 損はさせないからよ!」
わいやわいや騒ぐ剣を見たリウスは、確かにそうかも、と思い始めていた。
こうしてデルフリンガーを手に持っていると、何故かデルフリンガーのような片手半剣の使い方が頭に流れ込んできているのだ。
まあ、それでも実際に使えるかは分からない。
しかしその懸案を抜きにしても、こんなに面白い剣を放っておくなんて勿体ない。
リウスはそう思うと、ふとデルフリンガーの魔力を探ってみた。
山積みにされた剣の一本であるならそこまで高くはないだろうが、この剣からほんの少しだけ魔力の痕跡を見つけたのだ。
しかしリウスの想像に反して、この剣からは尋常ではない程の魔力がほとばしっていた。
リウスは目を見開いた。
どうやらこの錆によって隠されているようだが、この剣からは異常なまでの魔力を感じることができる。
それこそ、今まで見てきたどの武器よりも。
これでは、さっき自分が売ろうとしていた武器の値段では到底追いつかないだろう。
数万エキュー、もしかしたら数十万エキューかもしれない。
そんな金額をどうやって作ればいいのか、想像もつかなかった。
リウスは半ば諦めながら、ダメ元で店主に値段を聞いてみることにした。
「ええっと、親父さん。この剣、いくらなのかしら」
「はっ? そいつをお買い上げいただけるので?」
「まあねえ。興味は、あるんだけど」
リウスは歯切れ悪く返答する。
あまりにも高い場合は諦めざるを得ないだろう。
使えるかどうか分からない武器を買うために、尋常でない金額を作るのは馬鹿げた話である。
「あれなら、百・・・、いや厄介払いできるなら五十で結構でさ」
「はい?」
リウスは耳を疑った。
というより、店主の言葉の意味を掴みかねていた。
さっきまでデルフリンガーからも『ごーつく親父』とか言われていたのに、急にどうしたのだろう。
「五十って、エキューよね。五十? 五十万ってことかしら?」
「おいおい、お客さん。いや、お嬢さん。ご冗談がお好きですな。そんな値段なわきゃないでしょう。新金貨で五十枚ってことでさ」
呆れた様子で苦笑した店主を、リウスはまじまじと見つめた。
正直、意味が分からない。
さっきは普通の剣で新金貨二百枚とか言っていたのに、まさかこんな剣を新金貨五十枚で売ろうだなんて。
そもそも喋る剣という珍しい魔法の武器を、普通の剣以下の値段で売るとは。リウスの感覚ではとても正気の沙汰ではなかった。
もしかしてそんな珍しい代物じゃないのかも、とリウスは悶々と悩んでいた。
が、一人で悩んでいても仕方がない。
なるべく動揺を顔に出さないようにして、店主に告げた。
「じゃあこの剣もちょうだい」
「へい、お待ちを」
そう言うと、店主はあっさりと奥の部屋に戻っていった。
「えー、こんな剣を買うの? もっと綺麗で喋らないのにしなさいよ」
「まあまあ。面白いじゃない」
「そうだぜ、貴族の娘っ子。俺を選ぶたあ、流石目が肥えてるヤツは違うな!」
デルフリンガーも嬉しそうにかちゃかちゃと音を出している。
ふと、さっきデルフリンガーが言っていた『使い手』という言葉が気になった。
「ねえ、デルフリンガー。さっき貴方が言ってた『使い手』って、どういう意味なの?」
デルフリンガーはしばらくウンウン唸ってから、あっさりと言った。
「知らね、忘れた」
呆れたようなリウスとルイズ。言い訳をするかのようにデルフリンガーが言葉を継いだ。
「長く生きてるから思い出せねえわ。お前さんに握られたときにビビっときたのは間違いねえんだけどな」
「長く生きてるって、アンタ出来てから何年経ったのよ」
「六千年ってところだろうなあ」
「長生きなのねえ」と興味津々なリウスに、「剣の癖に虚言癖まであるなんて、何なのかしら」と真に受けないルイズ。
そうこうしていると、店主が戻ってきた。
「お待たせしやした。何とか店にある金をかき集めました。エキュー金貨で850枚、それに新金貨で550枚でさ」
店主はずっしりと重い金貨の袋を二つカウンターに置いた。
「間違いないのね?」
「へえ、大丈夫でさ。何でしたら今数えましょうか」
少しむっとした店主に、リウスは笑って答える。
「貴族に無礼な真似をしたら、その首が飛んじゃうものね。分かったわ、ありがと」
そう言ったリウスは袋の中の金貨をざっと見てから、金貨の入った二つの袋を荷物袋に仕舞う。
金貨をろくに数えもしないその様子に、店主はぽかんとした表情を浮かべた。
「ちょ、ちょっとお待ちになって。そのまま持って帰るおつもりで?」
「そうだけど?」
「ここらへんは強盗も出ますぜ。なんなら俺がそこまで送りましょう」
「そんな、悪いわ。お店もあるでしょう」
「いやいや、お嬢さん方だけでそんな大金を持って歩いてちゃ危なっかしい。店は戸締りしときゃあ大丈夫でさ。ちょいとお待ちを」
そそくさと奥の部屋に引っ込んだ店主は、腰に長剣を下げて戻ってくる。
「へっ、珍しいな親父。いっつも金勘定ばっかりしてるおめえがよ」
「うるせえぞ、デル公!」
一行が店を出ると店主はしっかりと店に鍵をかけ、ブルドンネ街に向かって先導して歩いていく。
店主の急な見送りに微妙な空気の中、リウスは短剣をすぐ引き抜けるようにしながら、店主と周りを警戒していた。
この店主を完全に信用した訳じゃない。
何が起きるかは、分からないのだ。
そんな警戒もつかの間、あっという間に一行はブルドンネ街に出た。
そのまま街の入り口にある厩舎へと向かう。
今度はリウスとルイズが先導しているが、まだ店主は周りを警戒した様子で後ろを付いてきている。
「ねえ、親父さん。何でここまでしてくれるの?」
リウスはふと振り返って店主の顔を見た。
店主は一瞬ぎくっとした顔をしたが、すぐ真面目な顔に戻る。
「へえ、お嬢さん方が心配だったんでさ。さっき渡した物をそのまま持って帰るとは、思わなくって」
店主は、貴族の買い物なんてどうせ後から召使いか何かが金を受け取りにくるのだろうと思っていた。
それをこの女性は自分で持って帰ると言う。
よっぽど頭が回らないのか、腕に自信でもあるのか。
金貨をろくに数えないというのも、騙し騙されを続けてきた彼にとっては信じられないことだった。
今回は、金貨という分かりやすい形で貴族を騙してしまうと後が面倒なことになるため、騙さなかっただけだ。
店主はずっと聞きたかった言葉をようやく口にした。
「お嬢さん。お嬢さんは、貴族なんですかい?」
「いや、私は貴族じゃないわよ。この子は貴族だけどね。私は平民で、この子の使い魔よ」
「そうでしたか。そりゃあ、大変でしょう」
店主はそう口に出すや否や、しまったと思って口に手をやる。
貴族の前で、俺は何てことを。
ルイズがじろりと店主の顔を見る。
その視線を受けて店主が顔を青ざめさせる中、リウスが笑って言った。
「まあ、多少大変ではあるけどね。それよりも、この子に会えて良かったって思ってるわ」
「大変って何よ、大変って」
その言葉を聞いて照れた様子の貴族の子供に、その子の頭を撫でる使い魔の女性。
その様子を店主はぼんやりと眺めていた。
大昔に別れてしまった妻と子は、今どうしているのだろうか。
厩舎に着いたリウスは店主に振り返った。
ルイズは馬小屋の番をしていた人に声をかけている。
「親父さん、ここまで送ってくれてありがとう」
「いえ、何もなくて良かったでさ。デル公、お前も元気にやれよ」
「うるせえ、このごーつく親父め。世話になったな」
「そうそう、一つ言い忘れてました。デル公がうるさかったら鞘に閉まってくだせえ。すぐ黙りますんで」
「て、てめえ親父! 余計なこと言うんじゃねえ!」
リウスがその言い合いにくすくす笑っていると、馬に跨ったルイズから早くしなさいと催促された。
「それじゃ親父さん、元気で。また寄るわ」
「お嬢さんも。道中お気をつけて」
二頭の馬が街から離れていく様を店主は見守っていた。
使い魔の嬢ちゃんが背負うデルフリンガーも小さくなっていく。
(これから、店が静かになるな)
そう思うと、店主は少しだけ胸にやり様のない寂しさを感じるのだった。