声を失った少年【完結】   作:熊0803

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十五話です。連続投稿。


15.声を無くした少年は、ボクっ娘の依頼を聞く。

  数日の時を置いて、今再びの体育である。

 度重なる一人壁打ちの結果、俺はついに一分間に五十回打ち返すことを可能にした。今や一歩も動かず十回きざみにして四角形とか三角形とかを作って遊んでいる。

  明日の授業からはしばらく試合に入る。つまり、ラリー練習は今日が最後だ。

  最後だから六十回打ち返しの壁を超えてみるかと意気込んだところで、ちょんちょんと肩をつつかれた。

  誰だよ、背後霊?俺に話しかけるやつとか皆無だし怪奇現象じゃね?と思って振り向くと、右頬にぷすっと指が刺さった。

「あはっ、ひっかかった」

 そう可愛く笑うのは戸塚彩加である。

  えー嘘、なにこれ。すっごい心臓ばくばく言ってる。雪ノ下との約束がなかったら速攻で告白して振られているところだよ。え、振られちゃうのかよ。

  教室での戸塚の制服姿もよかったなーとか思っていると、戸塚は困ったような表情をした。どした?と目線で問う。

「えっと、今日さ、いつもペア組んでる子がお休みなんだ。だから……よかったらぼくと、やらない?」

  だからその上目遣いやめろっての。超可愛いから。頰染めんな頰。

  にしても、男女でペアっていうのはいいのだろうか。ちらほらいるけど。

  とりあえずいいぞ、と頷く。すると戸塚はぱあっと嬉しそうに笑った。可愛い。

  六十回の壁を超えられなかったのは残念だが、まあそれで戸塚とラリーできるなら儲けもんってことでチャラにするか。

  コートの方に移動すると、何人かの女子たちが「えー、ずるーい」とか、「さっちゃんなら仕方ないかなー」とか零していた。ま、戸塚とやりたいやつもたくさんいるんだろう。

  その羨望の視線が戸塚と俺の両方に送られているのには全く気づかなかった。

  そして、俺と戸塚のラリー練習が始まった。

  戸塚はテニス部だけあって、それなりにうまい。

  俺が暇つぶしに取得した結構な速度のサーブを上手に受けて、正面にリターンしてくる。

  身体能力を一割くらいに抑えて何回かやっていると、少し驚いたように戸塚が話しかけてきた。

「比企谷くん、力強いねー。打ち返すのでやっとだよー」

  距離があるため、戸塚の声は間延びして聞こえる。

  それに対して俺はニヤリと笑った。どうせなら、もう少しハードルを上げてみよう。

  15%ほどに身体能力を調整して、コントロールの精度を上げる。急に速くなったボールに戸塚は心底驚いた顔をしていた。

  それから数分間は持ったが、やはり女子の体力ではきつかったのか、地面にへたり込んでバテてしまう。

  ぜえぜえと息切れをしている戸塚の右腕を自分の肩に回すと、ベンチに連れていった。

  落ち着くまで隣で背中をさすっていると、ようやく息を整えた戸塚が真剣な様子で口を開いた。

「あのね、比企谷くんにちょっと相談があるんだけど……」

 相談、ねえ。

「うちのテニス部のことなんだけど、すっごく弱いでしょ?それに人数も少ないんだ。今度の大会で三年生が抜けたら、もっと弱くなると思う。一年生は高校から始めた人が多くてまだあまり慣れてないし……。それに僕らが弱いせいでモチベーションが上がらないみたいなんだ。人が少ないと自然とレギュラーだし」

  なるほど、もっともな話だ。弱小の部活にはよくありそうなことだと思う。

  弱い部活には人は集まらない。それに、人が少ない部活にはレギュラー争いというものが発生しない。

  休もうがサボろうが大会には出られて、試合をすればそれなりに部活をしている気分になって負の循環が続くのだ。

「それで……比企谷くんさえよければテニス部に入ってくれないかな?」

 は?なぜそうなる…?

  俺が視線だけでそう問うと、戸塚は体育座りの姿勢で体を縮こまらせながら、時折すがるような目つきでちらちらと俺の顔を見る。

「比企谷くん、テニス上手だし、正直言ってぼくより何倍も強いと思う。それに、みんなの刺激にもなると思うんだ。あと……比企谷くんといっしょなら、ぼくも頑張れると思うし。あ、あの、へ、変な意味じゃなくて!ぼ、ぼくも、テニス、強くなりたい、から」

  戸塚のあまりのいじらしさにオートでお兄ちゃんスキルが発動してしまい、頭をもふもふと撫でる。しばらくぽかんとしていたが、やがて真っ赤になって俯いてしまった。

(くぅぅぅぅ、羨ましいぃぃっ!)

(比企谷くんに撫でてもらえるなんてっ!)

(ああ、あの腐っているのに優しげな目。ギャップがあってイイッ!)

 うん?なんか女子どもが騒いでるな。

  ちらりと視線をコートによこすと、こちらを全体の半分ほどの女子が凝視していた。そこでようやく人目があることを思い出し、慌てて手を離す。

「えへへ…あっ」

  戸塚が一瞬名残惜しそうな顔をしたが、ズルズルと撫で続けてしまいそうなので話を先に進めることにする。

  ふるふると首を横に振ると、戸塚は本当に残念そうな表情をした。何もしないというのも後味が悪いので、ぽんぽんと肩を叩くとグッとサムズアップする。任せろ、という意味だ。そういや俺さっきからボディタッチしすぎだな。言葉の代わりの感情表現とはいえ、自重しよう。

「ありがと、比企谷くんに話して少し気が楽になったよ」

  そう言って戸塚は笑った。さて、どうしようかねぇ。

 

 ーーー

 

「…難しい、わね」

 雪ノ下は少し逡巡したのち、そう言った。

  難しいかー。確かに、ちょっとやそっとじゃなんとかはならないな。

  事の端緒は俺が戸塚から相談されたことを、さらに雪ノ下に相談したことから始まる。

  俺としてはせっかく頼ってくれたのだから、できる範囲で何かしてやりたかったのだが、こいつでも難しいとなると俺一人では難航しそうだな。

『だが、俺を入部させようっていう戸塚の考えも間違っちゃいないとは思うんだよ』

  俺がそう言うと、雪ノ下は何故がじろーっと冷めた目で睨んできた。

「ええ、そうでしょうね。あなた人外だし」

  おい、それは暗に人間ではないと言いたいのか。

  ジト目で見返すと、雪ノ下ははぁとため息をつく。

「あなた、去年のスポーツ大会を思い出して見なさい。それでもまだ気づかないなら筋金入りね」

 何おう。

  言われた通りに去年のスポーツ大会のことを思い出して見る。すると、すぐに雪ノ下が人外と言った理由がわかった。

  去年のスポーツ大会。三種目で構成されたそれで俺は、有り体に言えば無双しまくったのだ。

  どうやら俺は一度熱中すると周りが見えなくなるようで、ドッチボールではわずか二分という脅威の速度で敵チームを全滅させ、サッカーでは文字通り風のような速さで全抜きし、バスケでは一点も取らせることなく実質的なコールド勝ちを決めた。

  敵チームにあの葉山がいたというのに、全く相手にならなかった。というかあのときのことを思い出したのか、若干ビビってた。

  あの後しばらく運動部系の部活勧誘がしつこかったな。もちろん逃げたが。

  まあ、そんな奴が入部してきたらそりゃ必死にもなるか。

「そもそも、あなたには喋れないという最大の欠点があるじゃない」

 うぐっ。

  そこを突かれると痛い。部活という本来集団でやるコミュニティの中に一人、強いくせに全く意思疎通をしない奴が入ったら空気が悪くなるのは必然だ。

  うーむ、戸塚のためにも何とかならないものか。

  俺が首を捻っていると、雪ノ下は目を丸くしてじっと見つめてくる。

「珍しいわね。あなたが他人のことで悩むなんて」

 え、そんなに他人に無関心に見えるか俺?

  ……ぼっちの時点で周りなんてどうでもいいですよって言ってるようなもんか。

『まあ、頼りにされるのは久しぶりなんでな』

「ふぅん…」

(八幡くんが他人に興味を持ってくれたのは嬉しいのだけど、その相手が他の女というのが釈然としないわ……)

  二人で頭を絞り何かいい案がないか考える。

  ふと気になることがあり、文字を打ち込んだ。

『例えばだが、お前ならどうするんだ?』

「そうね、全員死ぬまで走らせてから死ぬまで素振り、死ぬまで練習、かしら」

 微笑みながら言ってるけど怖えよ。

  俺が少し引いていると、ガラッと部室の戸が開けられた。

「やっはろー!」

  雪ノ下とは対照的にお気楽そうな、やかましい挨拶が聞こえる。

  由比ヶ浜は相も変わらずアホアホしく抜けた微笑みを湛えていて、悩みなどなさそうな顔をしていた。

  だが、その背後に、力なく深刻そうな顔をした人がいる。

  自信なさげに下へと伏せられた瞳、由比ヶ浜のブレザーの裾を力なく握る指先、透き通るように白い肌。陽の光を浴びれば泡沫の夢の如く消えうせてしまいそうな、そんな儚げな存在だった。

「あ……比企谷くんっ!」

  その瞬間、透き通っていた肌に血の色が戻り、ぱぁっと咲くような笑顔を見せる。その表情でようやく誰かわかった。なんでこいつ、こんな暗い顔してんだよ。

  とててっと俺のほうに歩み寄って、今度はきゅっと俺の袖口を握る戸塚。おいおいそれは反則だろ。

「比企谷くん、ここで何してるの?」

『俺は部活だが。お前こそ、なんで?』

「今日は依頼人を連れてきてあげたの、ふふん」

  由比ヶ浜は無駄に大きい胸を反らして自慢げに言った。お前に聞いてない。戸塚の口から聞きたかったのだが。

「やー、ほらなんてーの?あたしも奉仕部の一員じゃん?だから、ちょっとは働こうと思ってたわけ。そしたらさいちゃんが悩んでる風だったから連れてきたの」

「由比ヶ浜さん」

「ゆきのん、お礼とかそういうの全然いいから。部員として当たり前のことをしただけだから」

「由比ヶ浜さん、別にあなたは部員ではないのだけれど……」

「違うんだっ!?」

  違うんかい。びっくりした……。てっきりなし崩し的に部員になってるパターンだと思ってた。

「ええ。入部届けをもらっていないし、顧問の承認もないから部員ではないわね」

 雪ノ下はルールに厳格だった。

「書くよ!入部届くらい何枚でも書くよっ!仲間に入れてよっ!」

  ほとんど涙目になりながら、由比ヶ浜はルーズリーフに丸っこい字で「にゅうぶとどけ」と書き始めた。それくらい漢字で書けよ……。

「で、戸塚彩加さん、だったかしら?何かご用かしら?」

  かりかりと、にゅうぶとどけを書いている由比ヶ浜をよそに、雪ノ下は戸塚に目を向けた。底冷えのする冷笑に射抜かれて、戸塚がぴくっと一瞬体を震わせる。

「あ、あの……、テニスを強く、してくれる、んだよ、ね?」

  最初こそ雪ノ下のほうを見ていたが、語尾に向かうにつれて戸塚の視線は俺のほうへと動いていた。俺より身長の低い戸塚は俺を見上げるようにしてこちらの反応を窺っている。

  いや、俺を見られても困るんだけど……ドキドキすんだろ、こっち見んなっつーの。

  すると、何故かイラついた様子の雪ノ下が代わりに答えた。

「由比ヶ浜さんがどんな説明をしたのか知らないけれど、奉仕部は便利屋ではないわ。あなたの手伝いをし自立を促すだけ。強くなるもならないもあなた次第よ」

「そう、なんだ……」

  落胆したように、しょんぼりと肩を下げる戸塚。きっと由比ヶ浜が何か調子のいいこと言ったんだろう。「はんこはんこ」と呟きながら、鞄をがさごそやっている由比ヶ浜をちろっと睨む。その視線に気づいて顔を上げた。

「へ?何?」

「何、ではないわ。あなたの無責任な発言で一人の少女の淡い期待が打ち砕かれたのよ」

 雪ノ下の容赦のない言葉が由比ヶ浜に襲いかかった。だが、由比ヶ浜は小首を捻る。

「ん?んんっ?でもさ、ゆきのんとヒッキーならなんとかできるでしょ?」

  あっけらかんと。由比ヶ浜はそう言い放った。それは受け取り方によっては「できないの?」と小馬鹿にしたようにも聞こえる。

  そして、運が悪いことにそういう風に受け取ってしまう奴がいるのだ、ここには。

「……ふぅん、あなたも言うようになったわね、由比ヶ浜さん。比企谷君はともかく、私を試すような発言をするなんて」

  ニヤッと、雪ノ下が笑った。あー、変なスイッチ入っちゃったよ……。

  雪ノ下雪乃はどんな挑戦も真っ向から受け止めて全力で叩き潰す。なんなら挑戦していなくても叩き潰す。

「いいでしょう。戸塚さん、あなたの依頼を受けるわ。あなたのテニスの技術向上を助ければいいのよね?」

「は、はい、そうです。ぼ、ぼくがうまくなれば、みんな一緒に頑張ってくれる、と思う」

  かっと見開かれた雪ノ下の目に威圧されたのか、戸塚は俺の背中に隠れながら答えた。

  そおっと俺の肩から顔を覗かせている。その表情には怯えと不安が浮かんでいた。その姿は震える野兎のようでもふもふしたくなる。

  俺は戸塚の不安を拭ってやろうと頭を撫でた。すると体育のときと同じようにふにゃっとした表情になる。

  思わず頰を緩めていると、雪ノ下から殺気を多分に含んだ視線が飛んできた。おっと、自重自重。

『手伝うのはいいんだけどよ、さっきのアレをやる気じゃないだろうな?』

「ええ、そうだけど?」

  つん、と顔をそらしながら、雪ノ下は答える。なにそれ可愛い。

 ていうか、あれ本気で言ってたのかよ……。

  死ぬまでうんたら、を思い出しながら聞くと、雪ノ下は何かおかしなところでもあった?とでも言うように首を傾げる。怖いから。

  戸塚は白い肌を青白くして小刻みに震えていた。

「ぼく、死んじゃうのかな……」

  大丈夫だ、本当にヤバめになったらさすがに止めに入るから。

  ぽんぽんと頭を叩くと、戸塚はぽおっと頰を赤らめて熱っぽい視線で俺を見つめる。

「比企谷くん、頼りにしてる、ね?」

「戸塚さんは放課後はテニス部の練習があるのよね?では、昼休みに特訓をしましょう。コートに集合でいいかしら?」

  戸塚の視線を切り捨てるように雪ノ下がまくしたてる。そして明日の段取りをてきぱきと決めて行った。

「りょーかい!」

  ようやくにゅうぶとどけを書き終えた由比ヶ浜がその紙を差し出しながら返事をした。むうと唸りながらも戸塚もこくっと頷く。と、いうことは、だ。

  自分の顔を指すと、さも当然とばかりに雪ノ下が頷く。

「どうせお昼休みに予定なんてないのでしょう?」

 ……おっしゃるとおりです。

 

 ーーー

 

  翌日の昼休みから特訓は始まる予定だった。

  無駄に蛍光色の淡いブルーのジャージを着て廊下を歩いていると、面倒な奴に捕まってしまう。

「ハーハッハッハッ八幡」

 高笑いと俺の名前を繋げるな。

  こんなうざったらしい笑い声を上げるのは総武高校広しといえど、材木座を置いて他にはいない。材木座は腕を組み、俺の進行方向を塞いだ。

「こんなところで会うとは奇遇だな。今ちょうど新作のプロットを渡しに行こうと思っていたところだ。さぁ、刮目して見よゴフアッ!?」

  イラっときたのでとりあえず腹に蹴りをお見舞いした。崩れ落ちる材木座。その体の下に紙束ははさまった。こちとら今から用事があるんだよ。

「あ、比企谷くんっ!」

  ふん、と鼻を鳴らして材木座を見下ろしていると元気なソプラノの声が聞こえ、戸塚が俺の腕に飛びついてくる。左肩にはラケットケースが引っ掛けられていた。そして、右手はなぜか俺の左手を握っている。なんで?

「ちょうどよかった、一緒に行こ?」

「は、八幡……。そ、その御仁は……」

  にゅっと復活した材木座が驚愕の表情で俺と戸塚を交互に見つめる。次第にその顔つきは変化していき、どこかで見覚えのあるものによく似た表情になった。あー、あれだ。歌舞伎?

  いよーっぽんぽんぽんぽんと音がしそうな勢いで、材木座がくわっと目を見開き見得を切る。

「き、貴様っ!裏切っていたのかっ!?」

 裏切るってどういうことだよ……。

  材木座は鬼の形相をしながら、ぐるぐると唸り俺を睨む。

「絶対に許さない……」

『いやいや、違うから。戸塚とはそういう関係じゃないから』

  面倒なこと極まりないが、仕方なく携帯を取り出してそう答える。

「嘘をつけ!ならばなぜ腕を組んでいるのだ!」

『これは不可抗力というやつだ』

  だいたい、お前は俺の約束のことを知ってるだろうが。

「ぬう……」

  と、そこで材木座は俺のそばにより、戸塚に聞こえないように俺に耳打ちする。

「お主がそう言うのならそうなのだろう。過去にあのようなことがあったのならな。だが、これは雪ノ下嬢やあの人が見たらまずいことになるのではないか?」

  珍しく良い友人の顔を出して、材木座が俺に問いかける。どういうことだ?

「これは我の憶測だが……、おそらく雪ノ下嬢は、お主のことを思い出していると見た。我が原稿の感想を聞きに訪問した際、御仁のお主への視線は明らかに他とは違った」

 何!?

  いや、そんなはずはない。あいつの記憶はあやふやのままなはずだ。現に俺を見てなんの反応も示さない。心当たりがあるとすれば、先日部室で聞いたあの寝言だが……。

  それに、先日の教室での反応。もしあれが思い出したことによる羞恥なら、納得がいく。

  なんであれ、より一層の覚悟を決めなければならないだろう。

「?比企谷くん?」

  戸塚がひそひそとしている俺たちを怪訝に思ったのか、首をかしげる。

 すると、材木座は俺から離れた。

「ともかく、ゆめゆめ気をつけることだ。我はお主の味方であるからな!」

  それだけ言うと材木座は紙束を拾い、颯爽と去っていく。あいつ……、たまには空気を読むじゃないか。

『戸塚、そろそろ行こう。早くしないと雪ノ下がキレる』

「う、うん、わかった」

  色々と考えることが増えてしまったが、それより目先のことだ。遅刻なんてしようものなら悪口のブリザードが到来するぞ。

  戸塚と二人で歩き出そうとしたところで、背後から材木座が突撃してきた。

  それをひょいとかわす。ずざーっと顔面から床にダイブした材木座は何事もなかったかのように俺に顔を向けた。

「八幡!やはり気が変わった!我もついていくぞ!」

  いやなんでだよ。さっきの俺の感動を返せよ。

「やはり一人は寂しいのだ!」

 知らねえよ!一人で飯食ってろ!

  ジロッと睨むと材木座は、少しだけ真剣な顔をして頷く。

「もしもの時は我がフォローをしよう」

 …そういうことなら、連れていくか。

  こくりと頷くと、後ろをついてくる材木座。なぜか一列になって進んでいく俺たちの姿は傍から見ると、ドラクエっぽいかもしれない。

 

 ーーー

 

  テニスコートには既に雪ノ下と由比ヶ浜がいた。

  雪ノ下は制服のままで、由比ヶ浜だけがジャージに着替えていた。

  ここで昼食を取っていたんだろう。俺たちの姿を見つけると、そのやたら小さい弁当箱を手早く片付ける。もちろん戸塚の腕はここに来る寸前に解いた。

「では、始めましょうか」

「よ、よろしくお願いします」

 雪ノ下に向かって、戸塚がぺこりと一礼する。

「まず、戸塚さんに致命的に足りていない筋力を上げていきましょう。上腕二頭筋、三角筋、胸筋、腹筋、腹斜筋、大腿筋、これらを総合的に鍛えるために腕立て伏せ……とりあえず、死ぬ一歩手前ぐらいまで頑張ってやってみて」

  おい、女の子相手にその方法はどうなんだ。

「うわぁ、ゆきのん頭よさげ……え、死ぬ一歩手前?」

「ええ。筋肉は痛めつけたぶんそれを修復しようとするのだけれど、その修復の際に、以前よりも強く筋繊維が結びつく、これを超回復というの。つまり、死ぬ直前までやれば一気にパワーアップ、というわけよ」

  んな、サイヤ人じゃねえんだからよ……筋肉むきむきの戸塚とか、絶対見たくないぞ。

「すぐに筋肉がつくわけではないけれど、基礎代謝を上げるためにもこのトレーニングはしておく意味があるわ」

「基礎代謝?」

  由比ヶ浜がはてなと小首を傾げながら聞く。そんなものも知らんのかお前は。

  雪ノ下ももはや呆れ顔だったが、責めるより説明した方が早いと思ったのか、手短に付け足す。

「簡単に言うと、運動に適した身体にしていくということね。基礎代謝が上がるとカロリーを消費しやすくなるの。端的に言ってエネルギー変換効率が上がるのよ」

  それを聞き、ふんふんと頷く由比ヶ浜。不意にその瞳が煌めいた。

「カロリーを消費しやすく……つまり、痩せる?」

「……そうね。呼吸や消化のときにもカロリーを消費するようになるから、生きてるだけで痩せていくことになるわね」

  雪ノ下の言葉に由比ヶ浜の瞳が輝きを増す。なぜか戸塚以上にやる気を漲らせていた。すると、触発されたように戸塚もきゅっと拳を握る。

「と、とにかくやってみるね」

「あ、私も付き合ってあげる!」

  戸塚と由比ヶ浜は腹ばいになるとゆっくり腕立て伏せを始めた。

「んっ………くっ、ふぅ、はぁ」

「うぅ、くっ……んあっ、はぁはぁ、んんっ!」

  押し殺した吐息が漏れてくる。苦悶に顔を歪めながら、薄く汗をかき、頰は上気している。戸塚の細い腕ではかなりきついのか、時折すがるような視線を俺に向けてくる。下からゆっくりと見つめられると、何というかその……奇妙な気分になる。

  由比ヶ浜が腕を曲げると、体操服の襟元から眩しい肌色がちらっと覗く。いかん。直視できん。

「八幡……なぜだろうな。我は今、とても穏やかな気分だ……」

 奇遇だな材木座。俺もだよ。

  ときどきちら見しながらにへらっと笑っていると、背後から凄まじい殺気が飛んできた。

「……あなたたちも運動してその煩悩を振り払ったら?」

  振り返ると、雪ノ下が凄絶な笑みを浮かべていた。しかし目は全く笑っていない。やべえ、これ気づいてるよ。

「ふ、ふむ。では八幡、勝負でもしようではないか。一分間全力で腕立て伏せをし、数が少なかった方が何か奢る。どうだ?」

  賛成、とばかりにかくかくと首を振ると、すごい勢いで俺たちは腕立て伏せを始めた。

  結局、勝負は俺が勝ち、後日材木座にはラーメンを奢ってもらった。




書き溜めしていたのはここまでなので、少し更新が遅れます。

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