声を失った少年【完結】   作:熊0803

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七話です。


7.声を無くした少年は、少女を諭すために企む。

  しばらくの後、家庭科室は微妙な雰囲気に包まれていた。

「これが本物の手作りクッキーなの?形も悪いし、不揃いね。それにところどころ焦げているものがある。ーーーこれって……」

  雪ノ下が怪訝な表情でテーブルの上の物体を眺めている。その脇から由比ヶ浜がひょいと覗き込んできた。

「ぷはっ、あんだけ意味ありげな笑い方しといて大したことないとかまじウケるっ!食べるまでもないわっ!」

  ウケるとか俺の悪友以上友達未満のあいつかよ。

 由比ヶ浜は嘲笑、いや爆笑していた。ちょっとプチっと来たのは内緒だ。

『まあそう言わずに食え』

  額に青筋が立ちそうになるのをこらえながら、なんとか顔だけは余裕の笑みを浮かべ、ぷるぷると震える指先で文字を打ち込む。

「そこまで言うなら……」

  由比ヶ浜は恐る恐るクッキーを口にし た。雪ノ下も何も言わず一つ摘む。

  サクッと小気味良い音がしたのち、一瞬の沈黙。

 それは嵐の前の静けさに他ならない。

「っ!こ、これはっ!」

 由比ヶ浜の目がくわっと見開かれた。

  味覚が脳にまで達し、それにふさわしい言葉を探し出そうとする。

「別に特別何かあるわけじゃないし、時々ジャリってする!はっきり言ってそんなに美味しくない!」

  驚きから一転、怒りへと感情が揺れ動く。その振り幅が大きかったせいか、由比ヶ浜がこちらを睨んでくる。

  雪ノ下は何も言わないが俺を訝るような視線を向けてくる。こいつには気づかれたか。

  二人分の視線を受け止めてから、俺はそっと目を伏せた。

 いかにも落ち込みましたというふうに。

「ーーーあ…ご、ごめん」

  気まずそうに視線を落とす由比ヶ浜の手から皿をそっと取ると、くるりと背を向けてゴミ箱へ足を向ける。

「ま、待ちなさいよ」

  顔だけ振り向くと、由比ヶ浜が俺の手を取って止めていた。そのまま俺に何か言う代わりに、その不揃いなクッキーをつかんで口に放り込んだ。

  バリバリと音を立てて、じゃりじゃりとしたそれを噛み砕く。

「べ、別に捨てるほどのもんじゃないでしょ。……言うほどまずくないし」

  今度は少し元気が出た、と明るく笑いかけると、由比ヶ浜は無言でプイと横を向いてしまう。窓からは夕日が差し込んでいて、その顔が赤く見えた。

『ま、由比ヶ浜が作ったクッキーなんだけどな』

「……は?」

  しれっと、さらっと、アプリで真実を告げてやった。一回も俺が作ったなんて書いてないので嘘はついていない。

  由比ヶ浜が間抜けな声を上げる。目が点になって口が大きく開いて余計に間抜けだ。

「え? え?」

  目をぱちくりさしながら俺と雪ノ下を交互に見つめる。何が起こったのかさっぱり把握できていないようだ。

「比企谷くん、よくわからないのだけれど。時間を無駄にしてまで、今の茶番になんの意味があったのかしら?」

 雪ノ下が不機嫌そうな面で俺を見る。

『こんな言葉がある………〝愛があれば、ラブ・イズ・オーケー!〟』

  俺は少しキメ顔でぐっとサムズアップした。

「古っ」

  由比ヶ浜が小声で反応した。まあ俺が小学生の頃にやってた番組だからな。

  雪ノ下はなんのことかわからなかったらしく、はてなと小首を傾げている。

『お前らはハードルを上げすぎなんだよ』

  うーん。なんだろう、この優越感。俺だけが正しい答えを知っているというこの気持ち。たまらんなぁ。ついつい文字を打つのも早くなる。

『ハードル競技の主目的は飛び越えることじゃない。最速のタイムでゴールすることだ。飛び越えなきゃいけないってルールはない。ハー』

「言いたいことはわかったからもういいわ」

  ドルを薙ぎ倒そうが吹き飛ばそうが下を潜り抜けようが構いやしない。と続こうとしたのを雪ノ下の声に遮られた。

「今まで手段と目的を取り違えていたということね」

 ……なんか釈然としねぇ。だが、俺の言いたいことはまさしく雪ノ下が今言った通りなので、仕方なく頷いて言葉を続けた。

『せっかくの手作りクッキーなんだ。手作りの部分をアピールしなきゃ意味がない。店と同じようなものを出されても嬉しくないんだよ。むしろ味はちょっと悪いくらいのほうがいい』

  そう書くと雪ノ下が納得いかないような顔で聞き返す。

「悪いほうがいいの?」

『そうだ。上手にできなかったけど一生懸命作りましたっ!ってところをアピールすれば、「俺のために頑張ってくれたんだ……」って勘違いするんだな、悲しいことに』

 右拳を握りしめ、いかにも虚しい!といった雰囲気を出す。

「そんな単純じゃないでしょ……」

  由比ヶ浜は疑わしげに俺を見る。何言ってんのこいつ?みたいな視線だ。

 仕方がない。少し体験談でも話してやろう。

 長くなるぞ、と前置きをすると、文字を小分けして綴る。

『これは中学2年の時の話なんだがな。年が始まってすぐの頃、新学期なので最初のHRで学級委員長を決めなくちゃいけない。無論くじ引きだが。俺は生来のとんでもない運の悪さからか、当然のように学級委員長になってしまう。そして教師から議事進行を引き継ぎ、女子の委員長を決めなければならなかった。話せない上に内気の俺には荷が重い』

「それで?」

『そのとき、一人の女子が立候補した。可愛い子だった。そしてめでたく男女の学級委員長が決まった。その女子が「これから一年間よろしくね」とはにかみながら言った。

 それからというもの何くれとなくその女子は俺に話しかけてくる。警戒しながらも、「あれ、もしかしてこいつ俺のこと好きなの?」的なことを思ったわけだ。それで少し気になり始めた。そうなるまで大体二週間かそこらだったな』

「早っ!」

  ふんふんと頷いていた由比ヶ浜が驚きの声を上げる。

『ほっとけ。それで、ある放課後、教師から命じられたプリントの回収をしてきたとき、探りを入れるために聞いてみたんだ。

『なあ、好きなやつとかいるのか?』

「えー、いないよー」

『その反応はいるな。誰?』

「……誰だと思う?」

『わからん。ヒントくれ』

「ヒントかぁ」

『じゃあイニシャルでどうだ。苗字でも名前でもいい』

「うーん、それならいっかなぁ」

『よっし。で、イニシャルは?』

「……H」

『……それって俺だったりする?』

「……ぷっ」

 その子が声を出して吹き出した後、教室にクラスの上位カーストグループのやつらが入ってきた。いつも話さない俺を見て、からかいたくなってどれくらいで引っかかるか賭けをしてたんだと。次の日から俺はクラス中の笑い者にされた』

「……なんか、ごめん」

  十分と少しになった体験談を聞いた由比ヶ浜が気まずそうに目を逸らして呟いた。

  いやいや、そんな落ち込むような話か?俺からすればちょっとトラウマだが周りから見れば俺がただバカやらかしただけにしか見えないはずだが。

「……で、今の話になんの意味が?」

 ひどくねぇ?結構心を抉ったんですけど。

  まあそのあと色々やってそいつらは潰してってどうでもいいか。

『つまりだな、男っていうのは残念なくらい単純なわけだ。話しかけられるだけで勘違いすることもあるし、手作りクッキーもらったら有頂天になるの。だから、』

  俺はそこで一度言葉を区切り、次の行に指を走らせる。

『特別何かあるわけじゃなくて時々ジャリってするような、はっきり言ってそこまでうまくないクッキーでいいんだよ』

「〜〜っ!うっさい!」

  由比ヶ浜が怒りに顔を朱に染めて、手近にあったビニール袋やクッキングペーパーやらを投げつけてくる。こらこら、後片付けするのお前がやれよ?

「ヒッキー、マジ腹立つ!もう帰るっ!」

  きっとこちらを睨むと由比ヶ浜は鞄を掴んで立ち上がった。ふんっと顔を背けてドアに向かって立ったか歩き出す。

 その肩がわなわなと震えていた。

 やべ、ちょっとやりすぎたかな……。

  またクラスで俺の悪口が乱れ飛ぶのかと想像するとぞっとしない。フォローしとこう。

  ドアの前まで行っていた由比ヶ浜の肩を掴み、振り返らせると急いで文字を打つ。

『お前が頑張ったって姿勢がつたわりゃ男心は揺れんじゃねえの』

「……ヒッキーも揺れんの?」

『どうだかな。揺れんじゃねえの?今まで義妹以外から贈り物なんてされたことないからわからん。それに』

「?」

『自分が頑張ったってところを見せられるなら、それはいいことだ。なんであれ、相手側も好意的な感情を抱くに決まってる』

「ふ、ふぅん」

  俺の書いたことを読むと、由比ヶ浜は気の無い返事をしてすぐに顔を逸らした。ドアに手をかけてそのまま帰ろうとする。その背中に雪ノ下が声をかけた。

「由比ヶ浜さん、依頼のほうはどうするの?」

「あれはもういいや!今度は自分のやり方でやってみる。ありがとね、雪ノ下さん」

 振り向いて、由比ヶ浜は笑っていた。

「また明日ね。ばいばい」

  手を振って今度こそ由比ヶ浜は帰って行った。エプロン姿のまま。あいつやっぱアホの子だわ。

「……ねえ」

  雪ノ下がドアの方から俺の手の中の携帯に視線を移しながら、呟きを漏らす。

「さっきの、頑張っているところを見せられるのは、いいことだとはどういう意味?」

『そのままの意味だが?』

  俺の回答がお気に召さなかったのか、雪ノ下は顔を険しくする。

「そうではなくて、なぜいいことなのかを答えなさい」

 あ、そういうことね。

 いやはや、俺の理解が足りなかった。

  苦笑いしながら、携帯に新しい回答を述べる。

『正確には、見せられるならできるうちに見せとけってことだ。もし孤独になっちまうと、誰も自分を見ちゃくれない。それは世界から隔絶されるのと同義だ』

「……それを言うあなたがぼっちとは、皮肉なものね」

 るっせ、ほっとけ。

 

 ーーー

 

  ようやくこの奉仕部の仕組みというものがわかった。

  要するにここにきた生徒の相談に乗って、その問題を解決する手伝いをすればいい。しかしながら、その存在は別段公にされているわけではない。だって俺知らなかったし。

  いや、俺が学校に馴染んでないから知らなかったというわけではない。由比ヶ浜も正しく認識していたわけではないことを考えると、ここへ相談に来るにはなんらかの伝手が必要になるようだ。その伝手が平塚先生ということだろう。

  先生は、たまに問題や悩みを抱えた生徒がいるとここへ送り込んでくるわけだ。

 要は隔離病棟。

  そのサナトリウムで、俺は雪ノ下と将棋をしていた。

  そもそも悩みを相談するという行為は自分のコンプレックスを晒すということだ。それを同じ学校の生徒に話すというのは多感な高校生にとってはハードルが高いだろう。あの由比ヶ浜も平塚先生の紹介でここにきたわけでそれがない限りはここへ足を運ぶ人間はいない。

  今日もお客が来ることなく、閉店休業状態である。

  そんなことを考えながら、次はどこに飛車を打つか考えていた。部屋は静寂に包まれている。

  だから、戸を叩くコツコツという硬質な音はよく響く。

「やっはろー!」

  気の抜けるような頭の悪い挨拶とともに引き戸を引いたのは由比ヶ浜結衣だった。

  この前もそうだったが、間の悪いやつだな。

  雪ノ下は由比ヶ浜を見て、ため息をつく。

「……何か?」

「え、なに。あんまり歓迎されてない……?ひょっとして雪ノ下さんってあたしのこと……嫌い?」

  雪ノ下が漏らした小声を聞いて由比ヶ浜はひくっと肩を揺らす。すると、雪ノ下はふむと考えるような仕草をする。それから平素と変わらぬ声で言った。

「別に嫌いじゃないわ。……ちょっと苦手、かしら」

「それ女子言葉で嫌いと同義語だからねっ!?」

  由比ヶ浜があたふたとしていた。さすがに嫌われるのは嫌なようだ。こいつ見た目はただのギャルだけど反応はいちいち普通の女子なんだよな。

「で、何か用かしら」

「や、あたし最近料理にはまってるじゃない?」

「じゃないって……初耳よ」

「で、こないだのお礼ってーの?クッキー作ってきたからどうかなーって」

 さぁーっと雪ノ下の血の気が引いた。

  由比ヶ浜の料理といえば、あの黒々とした鉄のようなクッキーが真っ先に想起される。俺も思い出しただけで喉と心が乾いてくる。

「あまり食欲がわかないから結構よ。お気持ちだけ頂いておくわ」

  たぶん、食欲を失ったのは今この瞬間由比ヶ浜のクッキーと聞いたからだろうが、それを言わないのは雪ノ下の優しさだろう。

  だが、固辞する雪ノ下をよそに由比ヶ浜は鼻歌交じりで鞄からセロハンの包みを取り出す。可愛らしくラッピングされたそれはやはり黒々としていた。

「いやーやってみると楽しいよねー。今度はお弁当とか作っちゃおうかなーとか。あ、でさ、ゆきのんお昼一緒に食べようよ」

「いえ、私一人で食べるのが好きだからそういうのはちょっと。それから、ゆきのんって気持ち悪いからやめて」

「うっそ、寂しくない?ゆきのん、どこで食べてるの?」

「部室だけれど……、ねえ。私の話、聞いてたかしら?」

「あ、それでさ、あたしも放課後とか暇だし、部活手伝うね。いやーもーなに?お礼?これもお礼だから、全然気にしなくていいから」

「……話、聞いてる?」

  由比ヶ浜の怒涛の一斉攻撃に雪ノ下が明らかに戸惑いながら、俺のほうをちらちらと見る。こいつをどーにかしろということらしい。

 助けられねーな。

  充電使うの嫌だし、面倒臭いし、……それに、お前の友達なんだし。

  真面目な話、雪ノ下が由比ヶ浜の悩みに対して真剣に取り組んだからこそ由比ヶ浜はこうしてお礼にきているのだと思う。なら、それは彼女が受け取るべき権利であり、義務だ。俺が邪魔しちゃ悪い。

  俺はすっと立ち上がると、飲み物を買いに部室を出ようとした。

「あ、ヒッキー」

  声をかけられて振り向くと、顔の前に黒い物体が飛んできた。反射的にそれを掴む。

「いちおーお礼の気持ち?ヒッキーも手伝ってくれたし」

 見れば黒々としたハート型の何か。

  禍々しいなオイ。そこはかとなく不吉だが、お礼と言うならありがたくもらっておこう。

 あとあだ名はヒッキーで決定かよ。

 




この作品の八幡くんは原作より自分から動くことが多いです。
矛盾点や要望があればお願いします。

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